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第一話 恋の成就と不穏な足音①
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月の光る夜、星が空から降ってくる。
今日は流星群の日だった。
静かな聖堂の裏にある小さな花壇。空を見上げて、手入れされていないためにパサついた銀の髪を風に揺らし、空色の目を伏せたまま、ミリエルは囁くように言った。
「あなたを愛してるわ、ユアン」
初めて口にした愛の言葉は、涙に濡れた、自分に自信のないものになった。
幼馴染のユアンがその炎のように赤い目を丸くし、驚いたような表情でミリエルを──聖女の姉、ではなくて「わたし」を見ている。
ユアンの、肩口で結わえた黒く長い、つややかな髪がさらりと背に流れた。
騎士らしく鍛えられた彼は、視線までも鋭い。ユアンは食い入るように「わたし」を見つめ、ミリー、と彼だけが口にするミリエルの愛称を呼んだ。
一歩近づかれ、急に詰められた距離にどぎまぎする。
10年前、双子の妹がこの国の、宗教上の最高権威であり、教会の象徴でもある聖女として選ばれた日から、ミリエルは妹のセレナにすべてを奪われてきた。
両親の愛も、期待も、ミリエル・クリスト・フララットとしての生活も。
ミリエルのすべては聖女である妹のために存在し、そこに反感をもつことなど許されなかった。
ミリエルは、聖女と言うには不品行な妹の不始末をすべて放り投げられ、罪も泥もかぶって生きていた。
聖女の悪姉というのが、20歳になるミリエルの通り名だ。
けれど、ユアンは──幼馴染で騎士のユアンだけは、ミリエルの無実をいつも信じて、調べて、本当のことを知ってくれた。そして、憐れんで、労わってくれた。
そこに同情以外の感情があるだなんて思わない。
けれど、この想いを、膨らみ切って、ふとしたときにあふれてしまいそうなこの初恋を、ただだまって胸の内にしまうことなど、もはやできなかった。
魔物の大量発生──スタンピードを抑え込み、この国を平和へと導いた救国の英雄である騎士、ユアン・ミーシャ。その彼は、教会の象徴である聖女セレナとの婚姻を望まれていると聞いている。
ユアンまでが妹のものになる。その事実に、ミリエルの心は張り裂けそうに痛んだ。これだけは、耐えられそうになかった。
だから、せめてこの恋だけはここに置いていこう、と思ったのだ。そうすれば、きっとミリエルはこれからも聖女の「はきだめ」として生きて行けると思ったから。
そうして口にした言葉──「愛している」は本当に単純な、どこまでも透明な一言だった。
ユアンは驚いている。そうだろう、と思った。誰も彼も、聖女のはきだめでしかないミリエルに愛を打ち明けられたって、困ってしまうはずだ。
だから、すぐに「ごめんなさい」と言って、撤回する予定だった。
『ごめんなさい、冗談よ。困らせる気はなかったの』
そう言って、この恋を墓に埋めてしまうつもりだった。けれど、それを阻止したのはほかでもない、ユアンその人だった。
「僕から言おうと思っていたのに、先を越されてしまった」
「え……?」
ユアンの目がゆるりと細まる。普段はこの世のすべてに怒っているとでもいうようにきつく吊り上げられているそれは、今はミリエルただ一人を一心に見つめて柔らかく瞬いている。
そう、まるで、ミリエルが愛しくてならない、とでもいうように。
「じょうだ」
「冗談、なんて言わせない。僕は君の告白を本当のものだと知っている」
戸惑うミリエルの髪を救い取り、ユアンがその先に口付ける。
二人の吐息が混ざるような距離の中、ユアンが美しいテノールで囁くように言った。
「僕も、君を愛している」
「……え?」
ミリエルの唇は震えた。きっと声もそうだっただろう。
何もかも自分のものではなかった。そんなミリエルが一番大切だと思った存在を急に「贈り物だよ」とぽんと渡されたって、信じることができない。
これは夢かもしれない、と本気で思った。あるいは、これはミリエルの幸福な願望なのだと。
ユアンは、そんなミリエルを見て、まぶしそうに目を細めた。
「ずっと、君がそう思ってくれるのを望んでいた。僕は君よりずっと前から君を愛していて、告白だって僕からするつもりだったけれど、でも、ミリーはただ僕が愛を告げても信じないだろう」
ユアンだけが呼ぶ、ミリエルの愛称が耳朶を打つ。ユアンの騎士たるたくましい腕がミリエルを抱きしめ、あたたかく包み込んだ。
そうされると、ミリエルの小柄な体はユアンの黒いマントの中にすっかり隠れてしまう。
ユアンの、森の中にいるような匂いに全身を包まれて、ミリエルは浅くしか息ができなかった。
「そんな、ことは」
「ミリー、僕の目を見て」
ユアンの、やわらかな声が降ってくる。
炎色の瞳と目が合って、ミリエルはいつの間にか涙に濡れていた目に力を込めた。
ユアンの、炎の目。赤い、あたたかな色。なんてきれいなんだろう。
「僕はミリーが好きだ。愛している」
「ユアン……」
「だから君が、この告白を限りに、僕から離れていこうとしていた、ということも、わかっているんだよ」
ひゅ、と音を立てて、ミリエルの呼吸が止まった。
今日は流星群の日だった。
静かな聖堂の裏にある小さな花壇。空を見上げて、手入れされていないためにパサついた銀の髪を風に揺らし、空色の目を伏せたまま、ミリエルは囁くように言った。
「あなたを愛してるわ、ユアン」
初めて口にした愛の言葉は、涙に濡れた、自分に自信のないものになった。
幼馴染のユアンがその炎のように赤い目を丸くし、驚いたような表情でミリエルを──聖女の姉、ではなくて「わたし」を見ている。
ユアンの、肩口で結わえた黒く長い、つややかな髪がさらりと背に流れた。
騎士らしく鍛えられた彼は、視線までも鋭い。ユアンは食い入るように「わたし」を見つめ、ミリー、と彼だけが口にするミリエルの愛称を呼んだ。
一歩近づかれ、急に詰められた距離にどぎまぎする。
10年前、双子の妹がこの国の、宗教上の最高権威であり、教会の象徴でもある聖女として選ばれた日から、ミリエルは妹のセレナにすべてを奪われてきた。
両親の愛も、期待も、ミリエル・クリスト・フララットとしての生活も。
ミリエルのすべては聖女である妹のために存在し、そこに反感をもつことなど許されなかった。
ミリエルは、聖女と言うには不品行な妹の不始末をすべて放り投げられ、罪も泥もかぶって生きていた。
聖女の悪姉というのが、20歳になるミリエルの通り名だ。
けれど、ユアンは──幼馴染で騎士のユアンだけは、ミリエルの無実をいつも信じて、調べて、本当のことを知ってくれた。そして、憐れんで、労わってくれた。
そこに同情以外の感情があるだなんて思わない。
けれど、この想いを、膨らみ切って、ふとしたときにあふれてしまいそうなこの初恋を、ただだまって胸の内にしまうことなど、もはやできなかった。
魔物の大量発生──スタンピードを抑え込み、この国を平和へと導いた救国の英雄である騎士、ユアン・ミーシャ。その彼は、教会の象徴である聖女セレナとの婚姻を望まれていると聞いている。
ユアンまでが妹のものになる。その事実に、ミリエルの心は張り裂けそうに痛んだ。これだけは、耐えられそうになかった。
だから、せめてこの恋だけはここに置いていこう、と思ったのだ。そうすれば、きっとミリエルはこれからも聖女の「はきだめ」として生きて行けると思ったから。
そうして口にした言葉──「愛している」は本当に単純な、どこまでも透明な一言だった。
ユアンは驚いている。そうだろう、と思った。誰も彼も、聖女のはきだめでしかないミリエルに愛を打ち明けられたって、困ってしまうはずだ。
だから、すぐに「ごめんなさい」と言って、撤回する予定だった。
『ごめんなさい、冗談よ。困らせる気はなかったの』
そう言って、この恋を墓に埋めてしまうつもりだった。けれど、それを阻止したのはほかでもない、ユアンその人だった。
「僕から言おうと思っていたのに、先を越されてしまった」
「え……?」
ユアンの目がゆるりと細まる。普段はこの世のすべてに怒っているとでもいうようにきつく吊り上げられているそれは、今はミリエルただ一人を一心に見つめて柔らかく瞬いている。
そう、まるで、ミリエルが愛しくてならない、とでもいうように。
「じょうだ」
「冗談、なんて言わせない。僕は君の告白を本当のものだと知っている」
戸惑うミリエルの髪を救い取り、ユアンがその先に口付ける。
二人の吐息が混ざるような距離の中、ユアンが美しいテノールで囁くように言った。
「僕も、君を愛している」
「……え?」
ミリエルの唇は震えた。きっと声もそうだっただろう。
何もかも自分のものではなかった。そんなミリエルが一番大切だと思った存在を急に「贈り物だよ」とぽんと渡されたって、信じることができない。
これは夢かもしれない、と本気で思った。あるいは、これはミリエルの幸福な願望なのだと。
ユアンは、そんなミリエルを見て、まぶしそうに目を細めた。
「ずっと、君がそう思ってくれるのを望んでいた。僕は君よりずっと前から君を愛していて、告白だって僕からするつもりだったけれど、でも、ミリーはただ僕が愛を告げても信じないだろう」
ユアンだけが呼ぶ、ミリエルの愛称が耳朶を打つ。ユアンの騎士たるたくましい腕がミリエルを抱きしめ、あたたかく包み込んだ。
そうされると、ミリエルの小柄な体はユアンの黒いマントの中にすっかり隠れてしまう。
ユアンの、森の中にいるような匂いに全身を包まれて、ミリエルは浅くしか息ができなかった。
「そんな、ことは」
「ミリー、僕の目を見て」
ユアンの、やわらかな声が降ってくる。
炎色の瞳と目が合って、ミリエルはいつの間にか涙に濡れていた目に力を込めた。
ユアンの、炎の目。赤い、あたたかな色。なんてきれいなんだろう。
「僕はミリーが好きだ。愛している」
「ユアン……」
「だから君が、この告白を限りに、僕から離れていこうとしていた、ということも、わかっているんだよ」
ひゅ、と音を立てて、ミリエルの呼吸が止まった。
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