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第16章 日の差さぬ場所で
3.友達になった日
しおりを挟む落ちた場所はジメッとした湿度を感じたけど、奥に進んでいくとその湿っぽさは消えて、次第に空気が冷たくなった。
まるでアビテードに戻っているようなヒヤリとする寒さの中、歩いている乳白色の鍾乳洞には、上からも下からも大きなつららのような鍾乳石が伸びている。
両脇から壁が迫るように1人がやっと通れるような狭い場所、私の背丈くらいまで伸びた鍾乳石が剣山の様に生える場所。凸凹した地面を2人並んで歩くのがやっと…という狭い道から下を覗けば、乳白色の大きな池が待ち構える崖になっている場所など、ヒヤヒヤするような場所もある。
地面に大小様々な穴が空いていることも多く、そこを覗き込めば乳白色の水が溜まっている。その水たまりは穴から高さがあるし、深そうにも見えるから、足を滑らせて落ちたら這い上がれる気がしない。
どこを歩いても同じ様な景色だし、空気は淀んでいる気がする。
ピチョン…ピチョン…と乳白色の天井から滴る水の音と、私達の足音しかしないこの場所は、静かすぎて何だか時間から取り残された世界だった。
こういう場所に1人じゃなくて、ディスコーニ将軍やユーリくんがいてくれて本当に良かった。1人だったら孤独と不安で耐えられそうにない。
「落ちてからどれだけ時間が経っているんでしょうか。ここにいるよって伝えたくても無理そうですね」
「私も気を失っていたので、あれからどれだけ時間が経っているのか分かりませんが、きっとバルジアラ様達が探し出そうとしてくれているはずです。
休めそうな場所がなかなか無いですね。貧血は大丈夫ですか?」
「ゆっくり歩いているので大丈夫です。陽の光を感じないと、何だか不安になりますね」
「陽の光や風というのは普段は何気ないものですけど、こういう状況だと大事なものと実感しますね」
風の音も水の音も、動物の気配もしない中、光をかざして歩けば鍾乳石の影が動く。その影が視界に入ると、石の後ろにトラントの将軍が隠れていて、こちらの様子を伺っているのではないかとヒヤヒヤしてしまう。
そんなことを考えていると、隣を歩くディスコーニ将軍は立ち止まって私に身体を向けた。やっぱりこの辺に誰か潜んでいるのだろうかとキョロキョロしていると、ディスコーニ将軍は軍服の隙間で顔だけ出していたユーリくんに手を差し出した。
「この辺は人間も動物も居ないようです。もし誰か居たら私が対応しますから、シェニカ様は安心していて下さいね。ユーリ、何か見つけたらシェニカ様に教えてくれますか?」
「チチッ!」
ディスコーニ将軍が手のひらに滑るように出てきたユーリくんにそう言うと、元気よく返事を返した。その返事を聞いて微笑を浮かべたディスコーニ将軍は、ユーリくんを乗せた手を私に差し出した。
「シェニカ様、ユーリをお願いしていいですか?」
「え?良いんですか?」
私がディスコーニ将軍を見れば、彼はどうぞと返事を返すようにまた微笑んだ。
可愛さ爆発のユーリくんを抱っこ出来るのか…!と感動で興奮する両手を差し伸べれば、ユーリくんは体重を感じさせない身のこなしで私の手に飛び移ってきた。
ーーくぅっ!ぬいぐるみみたいな軽さ!ディスコーニ将軍が居なかったら、もうニヤニヤ顔全開で「もっふもっふ」ともだえながら、ちょっと先にある崖から飛び降りてしまいそう!
ディスコーニ将軍が居てよかった。居なかったら私は可愛さのあまりユーリくんと心中してしまうところだった。
「ユーリは私以上に気配に敏感なので、シェニカ様の役に立ってくれるはずです」
「じゃあ、ユーリくん何か見つけたら教えてね。あ、服の中に入る?」
憧れのリスボタンを実現すべく、旅装束の胸元のボタンを1つ開けると、ユーリくんは飛び込むように中に入ってクルリと体勢を変え、ヒョッコリと小さな頭を外に出した。
ユーリくんの邪魔にならないように旅装束の襟元を広げて中を覗いてみた。すると、ユーリくんは顔の下に両手を引っ掛け、旅装束の内側に器用に足をかけて踏ん張っているではないか。
ーーいやぁぁぁん!踏ん張ってる姿も可愛いぃぃ~!もふもふの毛は下着に阻まれているけど、上を向いた尻尾のふさふさが下着の上の辺りをくすぐって思わず微笑っちゃう!ちょっと高めの体温が温かいし、何より超可愛いっ!
うへへっ!ユーリく~ん。このまま私の相棒にならないかなぁ。ユーリくんさえ居てくれたら、私、もう誰にもナンパなんてしないよ!
「ふ、服の中で踏ん張ってますけど、きついですよね。服を縛って落ちないようにした方が良いでしょうか?」
私は身体を満たす興奮を逃がすように深呼吸をし、鼻の下がだらしなく伸びてしまわないように意識を集中して、ディスコーニ将軍にアドバイスを求めた。
「私の胸元に居る時もその体勢です。落ちたことはありませんから、大丈夫ですよ」
ディスコーニ将軍は私のリスボタンになったユーリくんを見ると、目を細めて指で小さな頭をコチョコチョとくすぐった。
「そうなんですか。ユーリくん、身軽なんだね」
「チチッ!」
ユーリくんは私の言葉も分かっているらしく、可愛いお返事を返してくれた。それだけで、私は元気いっぱいになった。
再び歩きだしてしばらくすると、温度が更に低くなったのか、凸凹した地面や壁の表面には薄い氷が張るようになった。特に足元は気を付けないと足を滑らせてしまいそうなので、私は胸元にいるユーリくんを気にしながらゆっくりと歩いた。
すると、私よりも大きな一歩を踏み出すディスコーニ将軍は、私の方に手を差し出した。
「この辺は特に足場が悪いですから、お手をどうぞ」
「ありがとうございます…」
彼が差し伸べてくれた手を取り、凸凹の起伏が大きくて緩い下り坂を休みながらゆっくりと歩いた。
慎重に気を付けて足を運んでいても、ツルっと滑りそうになってしまう。そんな時は繋いでいる手に思わず力が入るのだが、ディスコーニ将軍はグッと手を握って引き寄せてくれるから、転倒したりユーリくんが怖い目に遭うことは避けられている。
繋いだ手から伝わる温かい体温を感じると、ブルリと鳥肌が立つくらいこの場所の寒さが際立つ。やっぱり日が差さない場所は、氷が張るくらい冷たくなってしまうんだな…。
「シェニカ様、ここで休憩しましょう」
「そうですね」
どれくらいの時間を歩いたのか分からないけど、崖はなく、地面が比較的平坦で穴ぼこも少ない場所に出ると、ディスコーニ将軍はそう言って立ち止まった。
寒い場所だけど、動いていれば喉は乾くし、薄っすらと汗もかく。
でも、ここは今まで旅してきた場所と違って川もないし木もない。今まで見た崖下の池や地面の穴から見える水溜りは沢山あっても、乳白色の水の中を泳ぐ魚は1匹もいなかった。
食べる物をその場で得られるような環境にないから、今までのような野営は出来ない。
隣にいるディスコーニ将軍を見上げると、顔から出た汗が顎を伝ってポタリと滴った。私も喉が渇いているから、きっと彼も喉が渇いているだろう。
「ユーリくん、ディスコーニ様の所に戻っていてね」
手に乗ったユーリくんをディスコーニ将軍に戻して、おろした鞄からコップを取り出した。
「ディスコーニ様、これを持っていて下さい」
ディスコーニ将軍にコップを渡し、手をかざして水の魔法を唱えると少し濁った水が溜まった。
水が濁っているのは、この場にある水分を集めたからだ。このままでは飲めないので、もう一度手をかざして浄化の呪文を唱えれば、澄んでコップの底まで見通せる綺麗な水に変わった。
「浄化して飲める水にしました。どうぞ飲んで下さい」
「ありがとうございます」
ディスコーニ将軍はゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に飲み干すと、彼はとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
満足そうなその反応に、コップを受け取りながら私もつられて笑顔になった。
「ご馳走様でした。すごく美味しかったです。この鍾乳洞は随分と水の侵食を受けているのか、あまり強度はなさそうです」
「あ、本当ですね」
ディスコーニ将軍が壁から突き出た岩肌を剣の柄で叩くと、乳白色の塊がゴトリと落ちた。見た目は頑丈そうに見えるけど、彼の言うとおり強度はないらしい。
「これだけ脆いと、私が水の魔法なんか使ったら落盤を誘発してしまうので使えませんし、出来たとしても浄化の魔法も使えません。シェニカ様には良くしていただいて、頭が上がりません」
「いえいえ。困った時はお互い様ですから。私は黒魔法の適性がほとんどないから、野宿の時にしか役に立たないんです。あ、保存食もありますから食べましょう。今、ユーリくんの分のお水作りますね」
「ありがとうございます。あそこの鍾乳石なら座れそうです。移動しましょう」
繋いだ手から読み取った彼の黒魔法の適性は95だった。黒魔法の適性が高い彼なら、私がコップに水を溜めた時のような初級の水の魔法でも威力の有る攻撃魔法になるだろう。
戦場では黒魔法の高い適性は役に立つけど、野宿の時には不向き。私の黒魔法は戦場には不向きだけど、野宿の時にはとても役に立つ。こういう時、持ちつ持たれつ、という関係性を実感できて少し嬉しい。
短いベンチのような平たい鍾乳石に肩を並べて座り、鞄から出した干し肉を分けて食べ始めた。
コップに作った水は、ディスコーニ将軍が手に落として彼の膝の上でユーリくんが飲む。そんな姿はすごく可愛い。ユーリくんは何をやっても可愛くてしょうがない。
「そうだ。ユーリくん、クルミあるよ。食べる?」
「チチチッッ!!」
「あ、喜んでくれた!」
水を飲み終えたユーリくんにクルミを差し出すと、手で持ってカリカリと頬張り出した。
あっという間に1つ食べたユーリくんは、ディスコーニ将軍の膝の上で後ろ足だけで立ち上がると、私に向かって「チチッ」と鳴いた。まるで『おかわり!』と言っているような気がして、私は鞄からすぐにクルミを出した。
おかわりのクルミを渡すと、勢い良く受け取って一心不乱に食べ始めた。その様子は、とても可愛くてずっと見ていても飽きない。何だか鍾乳洞に閉じ込められたことを忘れてしまいそうだ。
「ユーリはすっかりシェニカ様に懐いたみたいですね」
お腹いっぱいになったのか、ユーリくんは頬袋に噛み砕いたクルミを入れ始めたらしく、ほっぺたがいびつに膨らみ始めた。かわいい~♪
「本当ですか?嬉しいなぁ。私、動物大好きなんですけど、治療の度にナンパしてもなかなか相手にして貰えなくて…。でもこんなに可愛いユーリくんに懐いて貰えて嬉しいです。オオカミリスは人懐っこいんですか?」
お腹いっぱいになったユーリくんは、私が手を差し伸べるとディスコーニ将軍の膝の上からピョンと飛び乗って肩に走り登ってきた。
ユーリくんは私の頬に顔をスリスリと擦り寄せてくれた。頬袋の中のクルミがゴツゴツと当たっているけど、それも愛おしいし、肌に感じるふさふさの毛がくすぐったくて思わずフフッと笑った。まったくユーリくんの人懐っこさにメロメロになる。
この閉鎖的な空間にいると不安にしかならないけど、このユーリくんという存在は私の心も場の雰囲気も癒してくれる。
「オオカミリスは賢い分、警戒心が強くて主人と決めた者以外に懐かないそうなんです。
でも、ユーリは人を見分けているらしく、バルジアラ様にも懐いていますし、シェニカ様にも懐いてますね」
「懐いてくれてありがとう。ユーリくん可愛いなぁ。懐かない人もいるんですか?」
「ええ。副官達は良いのですが、普段顔を合わせない人間を見るとポーチに逃げ込むことが多く、外に出ていても絶対に身体を触らせません」
「そうなんだ。ユーリくん、人が見分けられるなんて凄いね。どうやってナンパするんですか?」
私の肩にいるユーリくんの頭を指で触って褒めると、甘えたような感じで頭をゆっくりと押し返してくれた。本当に私の言葉も分かっているみたいだ。
そういえば、メーコの所にいるメロディちゃん達も、小さい時から私やメーコの会話はちゃんと分かっているようだった。知能の高い動物って結構いるもんなんだな。
「優しく丁寧に、愛情を込めて接していたら、相性が良かったのか私を主人と認めてくれました」
「なるほど…!やっぱり一途なのが良いんだなぁ。どこかでオオカミリス見かけたら、私もやってみます!」
私はユーリくんを肩に乗せたまま、コップに浄化の魔法をかけたりして片付けを始めた。ユーリくんは私のローブにしがみついていたけど、上手にバランスを取っていて落ちることはなかった。
「シェニカ様は野宿に慣れているんですね」
「えぇ。歩いて移動することが多いので野宿も多くなるんです」
片付けを終えてまた石に座ると、肩にいたユーリくんは私の膝の上に移動した。彼の首元から尻尾の付け根までゆっくりと指でマッサージしてあげると、気持ちが良かったのかダラリと寝そべった。
「野宿は嫌ではないですか?馬や馬車を使わないのですか?」
「野宿って楽しいから、普段の旅の時もよくやっているんです。馬や馬車を使うと移動は早いんですけど、貸馬屋って貴族や大商人がやっていることが多いから、私の素性が分かると面倒なのであまり使いたくないんです」
馬は民間人の移動だけでなく、王宮、軍、貴族でも使われるとても高価な動物なので、沢山の馬を所有している貸馬屋は、資金力がある貴族や大商人が運営していることが殆どだ。
ちなみに、借りた馬はその国の中でしか使えず、馬を連れての越境は出来ない。
借りた馬で関所まで行くと、関所にある貸馬屋で馬を返却して、越境後にその国の貸馬屋で新たな馬を借りることになる。
関所にある貸馬屋で返却した馬は、きちんと借りた先の店まで返却される。持ち主以外の貸馬屋が馬を預かるというのは高価な馬を盗むチャンスでもあるけど、きちんと返却しなかった貸馬屋は、同じ貸馬屋を営む貴族や大商人からの信用を失って、今度は自分の馬を返して貰えなくなってしまうから、普通そんなことはしない。
身体の大きな軍馬は軍部が独占していて一般には出回らない。馬のサイズは普通でも、足が早かったり、力の強い馬は王宮や貴族、大商人が所有していることが多い。民間人が使うのは普通の馬だけど、貸馬屋が競合して価格が暴落、高騰するのを避けるため、貸馬の料金は国内で決められていることが多い。
馬の質や料金では他の店と差別化が図りにくいため、王族や将軍と違って馬を持たない『白い渡り鳥』が馬を借りると、店にいる店主がお茶やお食事でも…と熱心に声をかけてくるし、『だれそれ様が御使用になった馬がある』という宣伝がされる。
普通の馬を借りたとしても、『白い渡り鳥』が使ったとなれば客足も伸びるし、他の貸馬屋に比べて信頼できる店や所有者だと思われやすい。
徒歩での旅を続けているのは楽しいからっていうのもあるけど、そういう煩わしさを避けたいという理由もあった。
「ですが野宿となると賊が襲ってきませんか?」
「なので常に結界を張っています。盗賊が出たら私が寝ている間にルクトが片付けてくれますし、終わったら結界の中で彼も安心して休めていました」
「結界は出て行く分には構いませんが、また入ることは出来ないのでは?」
ディスコーニ将軍がそう言うと、奴隷扱いをしなかったとはいえ、ルクトの自由を奪っていた後ろめたさを感じた。
ユーリくんの背中をなぞりながら言葉に詰まっていると、ふと見たディスコーニ将軍は心配そうな顔をしていた。
「実は、バルジアラ様の呪いで動けなかったルクトに、護衛をしてもらうことを条件に解呪したんです。その時、どんな人か分からなかったので主従の誓いをさせたんです」
「え?主従の誓い?」
「私が主人でルクトが従者です。この誓いをすると、私の張る結界には従者のルクトは自由に行き来出来るんです。でも、奴隷扱いしなくても、彼の自由を縛っていたと気付いて破棄したんです」
「そうだったんですか」
「破棄した後も、次に任せられる護衛が現れるまで彼が護衛をしてくれることになったんですが、何だかんだで今日まで来ちゃいました」
「お2人は恋人同士でしょう?彼は離れるつもりはなさそうですけど」
私達の関係は『恋人同士』だったのだと思いたい。でも…。
ーーあんたなんて、手っ取り早く手を出せるだけの存在なんだから。
ルクトが私をどう思っているのだろう?と考えると、いつかの女性傭兵に言われたこの言葉が頭に浮かんでくる。
彼は私を好きでいてくれたのか、手っ取り早く済ませられる相手として見ているのか。
ギルキアで結ばれた時、私は初めての恋人だからと浮かれていたし、言葉はほとんど無かったけど、彼も好きになってくれたんだとそんな風に思えていた。
それから段々と言葉のない彼に不安を覚えて、好きと言って欲しいと頼んだけど、欲しい言葉は貰えなかった。そしてその内、私は彼に好きだと言って貰うことを諦めた。
でも、あの晩。
彼と離れたからか、少し冷静になった今では、私の言葉を無視した乱暴な行為は恋人にすることではないと思うようになった。
だから、きっと彼は私を恋人というよりは、手っ取り早い相手として見ているんだろう。そう思うと、胸が苦しくて泣きそうになるけど、突きつけられた現実を受け入れるしかない。
「ウィニストラに来てからちょっと彼がいつもと違ってて。何を考えているか分からなくて…」
「彼はプライドが高いですから、バルジアラ様にもう一度挑みたいのでしょう。その本人が目の前にいるもんだから、殺気立っているんだと思いますよ」
「ルクト、今頃大丈夫かな。短気なところがあるから、バルジアラ様に突然斬りかからないか心配です」
「大丈夫ですよ。バルジアラ様は奇襲に慣れていますから、そう簡単には傷1つつけられません。それに、こちらは窮地を救ってくれたシェニカ様に大きな恩があります。彼が何かしたからと言って、ウィニストラ側がそれを元に何かお願いすることもありません。少し眠りましょうか。たくさん歩いたし疲れたでしょう」
「じゃあ侵入不可の結界を張りますね。もし上から何か落ちてきても、落下物を阻んでくれますし。あ、身体に浄化の魔法をかけさせて下さい。スッキリします」
「ありがとうございます」
ユーリくんをディスコーニ将軍に返し、彼と自分の身体に浄化の魔法をかければ、服の中で冷え始めていた汗が消えてスッキリした。
そして鞄から毛布を取り出したけど、休む時に必要な毛布はこれ1枚だけだし寝袋もない。1人なら毛布1枚で何とかなるけど、2人だと足りない。でも、これで凌ぐしかない。
「毛布はディスコーニ様が使って下さい」
私がディスコーニ将軍に毛布を差し出すと、受け取ってくれたけど首を横に振った。
「こういう状況ですし、もし良かったら一緒に使いませんか?」
「え、でも…その…」
「決して下心はありませんし、嫌がることはしないとお約束します」
「でも…」
恋人でもないし、警戒すべき将軍でもある彼とくっついて眠るなんて、普通なら考えられない。でも、この場ではそんなことを言っていられないし、毛布がないと寒くてちゃんと眠れるか分からない。
今のところディスコーニ将軍は誠実な人だけど、ルクトみたいに豹変したりしたらどうしようか。
「では、主従の誓いを結びましょうか」
「え?しゅ、主従の誓い…ですか?」
「シェニカ様がここから出た後に破棄すると約束してくれるのなら、私は構いませんよ。その方がシェニカ様が安心出来るのでは?」
「いや、あれは簡単にすべきものではなくて…。どうしよう。別の方法はないかな」
たしかに主従の誓いなら何か嫌なことをされても押さえつけられる。でも、あの誓いは簡単に結ぶものではない。
ならどうしようかと悩んでいると、肩にユーリくんを乗せたディスコーニ将軍は、自分の胸元にある金の階級章を指差した。
「では、私の階級章を預けます」
「階級章を?」
「階級章というのは上級兵士の一部の者にのみに与えられるもので、生命と同じくらい大事なものなんです。階級章というのは国王陛下から賜る信頼の証でもありますから、誰かに預けることはしません。
誰かに渡す時は、昇進や降格した時、そして自分が負けた時のみです。これを預けますから、嫌な事があったり約束を破れば階級章を捨てて下さい」
「そんな大事な物を預かるなんて…」
「約束は守るということを示したいのですが、主従の誓いかこれくらいしか考えつかないんです」
階級章は私でいうところの額飾りと同じくらい大事なものなんだろう。
ディスコーニ将軍は、今まで私を何度も守ってきてくれた人だ。そんな人が約束を破ったら生命と同じくらい大事なものを捨ててくれ、とまで言ってくれるのなら、少し信用してみても良い気がした。
「じゃ、じゃあ階級章で…」
「では、私はシェニカ様の嫌がることをせず、約束を守り、誠実に行動することを誓います。どうぞ、受け取って下さい」
「あ、ありがとうございます…」
ディスコーニ将軍が胸から外した金色の階級章を受け取ると、ズシリと重い事が分かった。炎をかたどった階級章の裏を見ると、そこには『ディスコーニ・シュアノー』と名前が刻まれていた。
「名前が彫られているんですね」
「ええ。金銀銅の全ての階級章に名前が入るんです」
「金の階級章は将軍の人だけですよね?」
「ええ。銅は王宮に出入りが許された上級兵士、銀は副官、金は将軍です。バルジアラ様のような筆頭将軍になると、材質は金でもデザインが違うんです」
「そうなんですか。ではディスコーニ様は3つの階級章をお持ちなんですね」
「いいえ。昇進する時に、前に持っていた階級章を返納するので、私が持っているのはその階級章1つだけです。戦場で倒した相手が階級章を持っていると、討ち取った証として持って帰るものなんですよ」
「そうなんですか。なら、私はディスコーニ様を討ち取ったのと同じなんですね…」
「ええ。ですので、無事に戻って約束を守りきることが出来れば、階級章はお返し下さいね」
「大事に預からせて頂きます」
私はディスコーニ将軍の生命を落とさないように、いつでも存在を確認出来るようにと、旅装束の胸元にある内ポケットにしまった。
「これくらいのことは当然です。そうだ。この場を乗り越える間は、ただの一個人として友達になりませんか?」
「友達…ですか?」
思いがけないディスコーニ将軍からの提案に、私は頭がついていけなかった。そんな姿が間抜けだったのか、彼はニッコリと目を細め、穏やかな笑顔で私を見た。
「ええ。約束したとはいえ、やはりこんな状況ですし、女性には不安な環境かと思って。友達になれば、多少なりとも気持ちも軽くなるかと思ったのですが…」
「色々と考えて下さってありがとうございます。じゃあ、お友達としてお願いします。シェニカと呼んで下さい」
「では身分や肩書きに関係なく、友人としてお願いします。私のことはディズと愛称で呼んで下さい」
ディスコーニ将軍が微笑みながら差し伸べた手に自分の手を差し出すと、しっかりと握手を交わして私はぎこちなく笑い返した。
ーーこの環境だと協力し合わないといけない。肩を張るような緊張をしてしまうけど、友達としてならそれもスムーズにいきそうな気がする。
ディスコーニ将軍の提案に頷き、私はこの環境下にいる間だけは、彼が警戒すべき将軍であることを忘れることにした。
ディズは腰につけたポーチを外して岩の上にそっと置くと、ユーリくんがあっという間にその中に入って行った。
「座り心地は良くないかもしれませんが、こちらにどうぞ。向かい合っての方が毛布に包まれますね」
「お、お邪魔します…」
乳白色の壁に背を預けるように地面に座ったディズは、胡座をかくと私に手を伸ばし、向き合って座りやすいように誘導してくれた。
毛布は私とディズをすっぽりと包んでくれたし、くっついている部分は彼の体温を感じてとてもあったかい。まるでルクトと野宿をしていた時みたいだ。
ルクトは元気にしてるだろうか。バルジアラ様に斬りかかってないだろうか。
「冷えますね。寒くないですか?」
「やっぱり厚手とはいえ毛布だけだと冷えますね。暖を取る物は……木の枝はないし。鞄に何か入ってたかな」
くっついているところはあったかいけど、外気に晒されている顔はとても寒い。
ディズから離れて鞄をガサゴソと漁ってみると、ラーナの街で買った長持ちする油を見つけたのに肝心の燃やすものがない。
「うーん。燃やす物がない…」
「すみません、私は何の装備もなくて」
私の呟きに、ディズは申し訳なさそうに肩を落とした。
「こういう状況ですし装備がないのは当たり前です。暖はこれで取ります」
私は鞄から自分のローブを取り出すと、ナイフでビリビリと必要な分だけ裂いて地面に置いた。その布切れにトポトポと油をかけると、ディズは目を見開いて驚いていた。
「え!?」
「これを燃やせば大丈夫です。長持ちする油もありますし、節約して使えばそれなりに保つと思うんです」
持っていたローブはカッパ代わりになるほど吸水性の悪い生地だから、長持ちする油をかけてもなかなか染み込まない。このまま火をつけたら、布と油に火がついて、布が先に燃え尽きる。それでは意味がないから、燃えるようなものと一緒に使った方が良さそうだけど。他に何か持っていただろうか。
「大事なローブなのに…。すみません。それならばその白魔道士のローブを使って下さい」
「いえいえ、また買えば良いんだし使える物は使いましょう。じゃあ、こちらのローブも使わせてもらいますね」
着ていたローブを触ってみると、この生地は吸水性は良いようだ。これを一緒に燃やせば、時間はかかっても私のローブもちゃんと燃えるだろう。
そう思ってローブを脱ぎ、適当なサイズに切って地面に置いたローブの上に重ねて油をかけた。魔法で火をつけると、油の染み込んだ布はメラメラと小さな炎に包まれた。
油が染み込むまで時間がかかる私のローブを下、燃えやすい白魔道士のローブを上にして燃やせば、油が役割を果たして長く燃えてくれるだろう。
「よし、これならいけそうですね」
ディズに笑顔を向けると彼は申し訳なさそうにしていた。
燃やす度にローブを切っていれば彼が罪悪感を感じそうだと思い、自分のローブと白魔道士のローブを使いやすい様に全てナイフで全部裂いた。そして数枚の布に油をつけて火の中に入れると、炎は少し大きくなって一息つけるようなあったかさを感じ始めた。
「寒いでしょう。もし良かったらこれをどうぞ」
ディズは自身の着ていた軍服の上着を脱ぐと、私にかけてくれた。
「でも…」
私は長袖のシャツ姿のディズを見ると、彼が風邪を引かないか心配になった。
「私は大丈夫です。女性が身体を冷やすのは良くないですし、もし私が風邪を引いたら治療してくれると助かります。暖かくなりましたし、寝ましょうか」
私にはブカブカの上着を着ると、ディズがもう一度眠る体勢をとってくれた。私は差し出された彼の手を取ると、また抱きつくようにして一緒に毛布に包まった。
「足とか辛くないですか?」
「大丈夫ですよ」
ディズにくっついていると、薄いシャツ越しに伝わる体温と規則的な鼓動が伝わってくる。
それがなんだかすごく心を穏やかにしてくれることに気付くと、もっと感じて安心したくなった。彼にもっと身を寄せようと少し身を捩った時、旅装束の胸ポケットあたりでカサリと紙が擦れる音がした。
そこに何を入れていたかと考えてみると、ずっと前に届いた両親からの手紙だと思い当たった。
そう言えば、今ごろお父さん、お母さんは元気にしているだろうか。
色んな縁談が来たり、招かれざる客が来たりして大変だと手紙で言っていたけど。嫌な思いをしたりしていないだろうか。
ローズ様に助言を貰ったり、追い払って貰っているとも言ってたけど大丈夫かな。
そんなことを考えていると、ぼんやりと眠気が忍び寄っていた頭がハッと覚醒した。
「あ、あの。ディズには国で待ってる恋人や婚約者はいない?もしいたら、私、その方に謝りに行かないと」
「いませんよ」
「え?そうなの?」
私がディズの胸元から顔を上げると、目と鼻の先に優しげな微笑を湛えた彼の顔があった。
彼の綺麗な金の髪は耳にかかるくらいの長さだけど、一部が耳の下辺りまでの長さがある。その髪に隠れて分からなかったけど、銀のプレートに小さな紫色の宝石が嵌った小ぶりのピアスが、両方の耳元で揺れていることに気付いた。
そう言えば。ルクト以外の男の人と、こんなに至近距離でくっついているなんて初めてだ。
そう思うと急にディズを意識してしまって、胸がドキドキするし自分でも分かるくらい顔が赤くなった。
一気に照れくさくなって逃げ出したくなるけど、ここに逃げ場はないし、こうしているのは協力して生き抜くためだからそんなこと出来ない。
冷静になれ、良い人みたいだけど彼は将軍なんだ。今は優しそうな顔をしているけど、裏で何を考えているか分からない気を許してはならない人なんだ。
心の中でそう呪文のように繰り返し、彼の胸元に視線を戻して、ドキドキする気持ちを押さえ込んだ。
「縁談は来ますがほとんどが貴族相手の政略です。いい歳したバルジアラ様も、それを嫌がっていまだに独り身です」
「政略結婚があるんですね。バルジアラ様はおいくつなんですか?」
将軍に対する縁談は貴族相手の政略結婚なのか。
貴族の結婚相手は王族か貴族、大商人とかだと思っていたから、将軍もその対象になるのだと初めて知った。
「私の5歳上ですから…33歳ですね。シェニカは女性ですから、神殿から送られてきた護衛に迫られて大変だったでしょう?」
ディズは28歳、バルジアラ将軍は33歳なのか。ディズは柔和な印象を受けるからかもっと若く見える。バルジアラ将軍は険しい顔をしている所しか見たことがないから、もう少し年齢は上なのかと思った。男性の年齢って、見た目からじゃよく分からないな。
「ええ。無理矢理押し倒されることもあって、ルクトに助けてもらうことがありました。あ、敬語は結構ですよ」
「私が敬語になるのは口癖なので、シェニカは敬語は使わなくて結構ですよ。そういえばギルキアで初めて会った時も、王子に連れ込まれそうになってましたね」
「ディズには、本当に助けて貰ってばかりね」
目を閉じて、ギルキアの王宮で初めて出会った時のことを思い起こした。あのときは、まさか私が戦争に巻き込まれて、こんな風に鍾乳洞の中に閉じ込められるような事態になろうとは思ってもみなかった。
彼にはきちんと恩返ししないと…。私にどんな恩返しが出来るだろうか。そんなことを考えてみたけど、なかなか具体的なものが浮かんでこない。
「そんなことないですよ。私はシェニカに助けてもらいましたし、あの時貴女が居なかったらと思うとゾッとします」
「少しでも、恩返しが出来て良かった……」
伝わってくるディズの暖かさと規則的な鼓動が眠気を呼び寄せてきて、私はそのまま睡魔に手を引かれて行った。
疲れている上に血が足りてないシェニカは、あっという間に眠りに入った。彼女を抱きしめた彼はもう一度しっかりと抱き締めなおすと、穏やかな微笑みを浮かべてゆっくりと目を閉じた。
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