天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第15章 大きな変わり目

6.翼をもがれた渡り鳥

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夜襲を受けて数日。

ウィニストラの大軍は順調にトラントの首都へと向かい、首都まであと少しという森のそばでこの日の進軍を止めて野営地が展開された。

私は与えられたテントに入ると結界を張って広げた寝袋の上に座り、地図を広げて探索の魔法を使った。
 

ーーやっぱりいない…。ニニアラガとアルビン・スコーピオンは特に繁殖力が低いわけじゃないのに、この森だけでなくトラントの首都付近の森は絶滅してしまっている。


エアロスの話だと、トラントは他の戦場でも『聖なる一滴』で実験していたようだった。おそらく戦場で使う前にも実験していたと思うから、以前から『白い渡り鳥』に作らせていたんだろうか。


『聖なる一滴』を作れるのは『白い渡り鳥』だけだから、作り方を誰かに話したとしても問題はない。
でも、解毒薬がない上に『白い渡り鳥』でも治療出来ないからこそ、その存在は『白い渡り鳥』と神官長クラスしか知らないはずなのに。



トラントのベラルス神官長が事実確認をされても沈黙しているということは、彼が関わっているのだろう。
どうして『白い渡り鳥』を保護する立場にある神殿の人が、『聖なる一滴』を悪用するのか私には理解できない。

元々神殿は信用していなかったけど、私が本当に安心出来る場所なんて、セゼルの実家とローズ様しかないんだと痛感した。

セゼルに帰れなくてもいいから、テントじゃなくて、どこか気を緩めても良い場所で何も考えずにジッとしていたい。





そんなことを思っていると、テントの近くを誰かが歩く微かな音がして私はビクリと身体が跳ねた。

私の居るテントは、あの夜襲からキルレの人達やディスコーニ将軍達からほど近い場所に設置されるようになり、ファズ様を始めとしたディスコーニ将軍の副官達がテントに近寄らせないように交代で夜通し警戒してくれている。

ファズ様によれば、私の目の前まで来たトラントの人はいないけど、私を攫いに来ようとする人物は確認されているらしい。でも、あの夜襲の時にトラントが失った戦力を考えれば、面と向かって来る可能性は低いらしい。


もうあんな怖い思いをしたくないから、護衛してくれる人達に心から感謝した。




 ーーーーーーーーー



昂ぶった気持ちを発散するようにシェニカを抱いてから数日。俺はまともにシェニカと会話が出来ていない。

それに加え、いつもと同じように1歩後ろを歩いていると、あいつは俯きながら小さく振り返る。
その時、あいつは俺が怖いのか、俺の顔を見ることなく強張らせた顔をして俺の足元を見て、視線が合うこともない。



『近寄らないで』


直接口に出していなくてもそう言われているのが伝わってくるから、あいつの気持ちを汲み取って1歩下がって距離を取る。

でも、しばらくすると、またあいつは俯いたまま小さく振り返って、『もっと離れて』と無言の拒絶を示してくる。




今までは離れても2歩程度だったのに、あっという間に俺たちの間には3歩、4歩と距離が開いていった。先に気配を読めば何とかなる距離だから、護衛をする分には問題はない。


でも、俺たちの関係には大問題だった。



歩数以上に、どんどん俺たちの間は冷えて距離が開いていく。

1歩だけでも近寄ろうと後ろから気配を殺して間合いを詰めると、気配を読むのが苦手なはずのあいつは敏感に反応して俯いたまま小さく振り返る。
そういう時、一瞬見える表情は決まって泣きそうな顔だった。



噛み付いた傷はあいつの治療魔法で消せるし、いつもあいつが満足するようにやっているから、たまには俺の思うがままに抱いたってバチは当たらないと思ったのに。

俺のした行動は、そんなにシェニカを怖がらせたのだろうか。そんなに傷付くことだったのだろうか。






首都を囲む高い城壁が小さく見える場所で、ウィニストラ軍はこの日の移動を止めた。この調子なら明日には首都決戦だろう。


シェニカがテントに入る直前に、「なぁ。少し話せるか?」って、今までみたいに何気ない感じで話しかけようと心に決めた。
「お前を怖がらせるつもりはなかった。悪かった」って謝れば、きっと女傭兵に突き落とされた時みたいに、何もなかった様に振る舞ってくれるはずだ。



そしたら今までと同じように普通に会話して、抱きしめて、ここじゃ敵だらけでキスくらいしか出来ないけど、落ち着いた時に今度はちゃんと優しく抱けば大丈夫なはずだ。


そんなことを思いながら、身体のデカイ軍馬から器用に降りるシェニカを見ていた。




「こちらのテントをお使い下さい」


「ありがとうございます」


ファズの案内でテントの前まで来た。
今までなら中に入って結界を張ったことを見届けさせてから出入り口の幕を下ろしていたのに、今日は中に入るとすぐ出入り口の幕を下ろした。



「私、疲れたから少し休むね。もう結界は張ったから」

言おう言おうと思っていた台詞は、幕越しにかけられた突き放すような言葉に阻まれた。有無を言わせないような空気が伝わってきて、引き止める言葉は言い出せなかった。



ーーなんで?どうしてそんなに俺を拒絶する?確かに少し荒く扱ったのは悪かったかもしれないが、娼婦に同じことをやっても、最中は痛そうにしても終わった後は平気な顔をして俺にまとわりついてきたのに。

今まで自分の思うように動かせたはずのシェニカが、俺を拒絶して思うようにならない。
ただでさえ憎いバルジアラが近くにいるし、俺を内心見下している様子のキルレの奴らがいてイライラするのに、余計に苛立って爆発しそうになってしまう。




自分に与えられたテントの中で溜息を何度も吐きながら頭を抱えていると、俺のテントの前で覚えのある気配が立ち止まった。
腹の底から出てくる溜息をまた1つ吐いてから立ち上がり、テントの幕をめくると無表情のファズが立っていた。


「今から会議を行います。シェニカ様と一緒に来て頂けますか」


「分かった」



その場に留まったファズに背を向けてシェニカのテントの前に行くと、一度深呼吸をした。


「俺だ。起きてるか?」


「……うん?」



声をかけると、間を置いて小さく寝ぼけたような返事が返ってきた。テントに入ってすぐに休んだのだろう。短時間だったがどうやら寝ていたらしい。


「今から会議をするから、同席して欲しいそうだ」


「分かった、すぐ行くね」


テントから出る寸前、フードを被る瞬間に見えたシェニカはいつもと変わらない表情だったが、俺の前を通り過ぎる時は俯いて目を合わせようとはしなかった。


まるで俺の存在を無視されているような気がして、胸がジクジクと焼けるように痛かった。





ファズに案内された一際デカイテントの中では、トラントとの決戦が見込まれる明日に向けての会議が行われた。
そこには甲冑姿のバルジアラとエメルバや15人の副官達、軍服姿のディスコーニ、見届人のバーナンとソルディナンド、その5人の副官も居て、物々しく重苦しい空気に満たされている。
 

トラントへの進軍ルート、奇襲が予想される箇所の確認、気をつけるべきトラントの将軍と副官、食料の調達方法など、色々な話が飛び交った。
そして全ての話が終わった後、小声での会話があちこちから聞こえる中、ディスコーニから書類を受け取った憎い銀髪の男は、図体と同じくらいのデカイため息をついた。




すると、すぐ横にいたディスコーニが苦笑を浮かべた。


「トラントは戦争のし過ぎですね。国民も兵士も疲弊しています。麻薬漬けにされるという噂で傭兵すら近寄らなくなっていますし、夜襲で3人の将軍を失ったことで軍の中では士気が下がり気味のようです」
 

「当たり前の結果だな。奴らが首都をどのように防衛するのか見ものだ」
 

バルジアラがそう言うと、ディスコーニが副官のラダメールから書類を受け取って読み上げ始めた。


 
「世界中の神殿が『白い渡り鳥』様に直接対面して、トラントの戦場介入に関わっていないか確認したそうですが、4人の『白い渡り鳥』様と連絡が取れていないことが分かりました。
その方々はトラントから離れた国の間を移動中となっていましたが、どの国の神殿も連絡が取れていないそうです。恐らくこの4人が協力していると思われます。
あれ以来『聖なる一滴』の使用はありませんが、この方々をどこで使いますかね」
 
 

「普通に考えれば首都直前の防衛戦と首都での決戦だろうな。偵察隊によれば首都と、近くの貧民街の民間人は退避させられているようだが、姿を確認出来た将軍の数が明らかに足りない。
おそらく将軍どもはどこかに潜んでいるはずだ。奇襲もだが、シェニカ様を奴らに攫われないように気を抜くな。

それとサザベルがトラント領に入ってきた。顔触れはディネード、ユド、ヘルベの将軍3人とその副官どもだ。奴らが首都に来るまでだいたい2日くらいだろう。奴らより先に首都を攻め落として、国王を殺すか捕縛しろ」
 


バルジアラがそう言うと、テントに集まっていた将軍や副官達は顔を引き締め、その場は解散になった。
 

 
テントの外に出ると、シェニカにソルディナンド達が近寄って来た。

バーナンは年がいっているからかシェニカと距離を保っているが、ソルディナンドは既婚にも関わらず、やたらとシェニカに触れようとしてくる。
利用価値の高いシェニカをたらしこめるなら、離婚しても構わないというあからさまな態度だ。



「私は『聖なる一滴』の存在を今回初めて知りましたが、素材はありふれたものなのに『白い渡り鳥』様が作るとまったく異質のものに変化してしまうとは。
『白い渡り鳥』様にしか作れない上に、すぐに効果を失い始めるというのは取り扱いが難しいですね」



「あくまでも私達が自分の身を守るためのものですから」

ソルディナンドが話しかけてもシェニカは俯いたままで、テントに向かって歩き出そうと一歩前に進むと、今度はバーナンが近寄ってきた。




「キルレには自国出身の『白い渡り鳥』様がいないので、私は記録でしか結果を見ることが出来ませんでしたが、シェニカ様のランクがつかなかったという結果を聞いた世界中の神殿は、大きくざわめき歓喜に包まれたのですよ。
どの国もシェニカ様にお会い出来るのを心待ちにしていたのに、挨拶回りをすることなく旅立ってしまわれるなんて。ローズ様の計らいだったそうですが、シェニカ様が確たる繋がりを作る機会を失うことになるというのに、何とも残酷なことをなさる。

それにしても保存が出来ないものを、シェニカ様はどうやって保存しているのですか?それに解毒薬を復活させたと聞きましたが、一体どうやったのですか?」


バーナンがそう言うと、シェニカの動きが完全に止まって無表情でバーナンを見た。
その表情からは何も読み取れないが、元軍人らしいバーナンでさえその凄みに圧されるほど、何か鬼気迫るものがあった。





「保存出来るというのは、なぜ知っているのですか?」


「え?それは、ダーファスのユオシ神官長の名で出された結果報告書に書いてあったからですが…。
保存方法などは書いていなかったので、神官長に問い合わせても『詳細は分からない。具体的に分かればまた報告する』と言われていましたが、結局その後の報告がないままで…。シェニカ様、大丈夫ですか?」



「すみません、テントに戻って休みます」


シェニカは無表情ながらも凄みは消えた。バーナンが心配するように、顔色は青いどころか顔色がないほど白くなって、深刻そうな顔をしていた。
再び歩き出したシェニカの足取りはしっかりしているが、明らかに様子がおかしい。




「では私が送って行きましょう」


「1人で大丈夫です」


手を差し伸べたソルディナンドに小さく頭を下げたシェニカは、スタスタとテントに向かって歩き出した。俺はシェニカに近寄り、2歩後ろまで距離を詰めた。




「お前、顔色が悪いけど本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫。休んだら治るから」

シェニカは俺を振り返ること無くそれだけ言うと、重苦しい空気を醸し出して無言になってしまい、さっさとテントの中に入ってしまった。




テントに戻る間、ローブの袖から見えているシェニカの手が震えているし、泣いているのか小さな嗚咽が聞こえているのに俺は何も出来なかった。
抱きしめて、「お前は俺が守るから大丈夫だ」と言って安心させてやりたいのに、今は他でもない俺自身をあいつが怖がってしまっている。



どうしたらいい?

謝りたいのに、邪魔が入ったり、あいつの精神状態が良くなかったりしてタイミングが掴めない。俺はシェニカのテントの前から離れられず、開く様子のない入り口の幕をじっと見つめていた。







 
翌朝、日が昇る前に出発したウィニストラの軍は昼過ぎにはトラントの首都に到着した。
首都の外壁の前に陣形を広げ待ち構えていたトラントの大軍は、ウィニストラの軍が陣形を整える前に攻撃をしたらしく、あっという間に開戦となった。

遠目で見る限り、トラントはこれまでの戦場で温存していた兵士を首都決戦の場で使ったようだ。




 
以前訪れた貧民街のほど近い場所から、微かに聞こえる喧騒と砂煙が立ち上る様子をキルレの連中とディスコーニとその副官達で静かに見守った。


「シェニカ様、顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」

ソルディナンドが言う通り、シェニカの顔色は明らかに悪い。おそらく連日の移動で疲れが溜まり、奇襲に対する緊張で参っているのだろう。





「大丈夫です。なにかあれば自分で治療できますから、ご心配には及びません」

 
「連日慣れない戦場を移動していますから、心労が絶えないでしょう。そこの町に少し休める場所がないか探してきます」


シェニカに良い印象をつけたいらしいソルディナンドは、暗い顔をして乗っていた軍馬の頭を撫でているシェニカにそう言うと、2人の副官とバーナンを連れて貧民街へ馬で駆けて行った。

奴らに無用な手出しをされないようにするためか、ディスコーニの副官のセナイオルという美形の男とラダメールという切れ長の鋭い目の男がついて行った。




夜襲の後、シェニカを攫おうとするトラントの奴が現れると、俺や副官らよりも先にディスコーニが反応して対処している。俺でも感知出来ない距離や相手でも、敏感に反応するのは流石将軍なのだろうが認めるのは癪でしかない。


キルレの連中は単なる見届人で手出しをするなと言われている立場だから、シェニカがここから動かないこと、短時間ならば居なくなっても問題はないと判断したらしく、ディスコーニは無言で奴らを見送った。

もしトラントの将軍や副官、暗部が来ても、必ず自分が倒せるという自信があるからそうしているのだ。その態度が無性に俺を苛つかせた。





ーーーーーーーーー




明るい茶色の前髪をうざったそうに掻き上げながら、ソルディナンドは貧民街へと馬を走らせた。
町を囲む外壁の上部からは、真新しい赤いレンガで作られた2階建ての建物がいくつも見える。



馬を駆けさせながら、ソルディナンドはこれからのことについて思いを馳せると、自然と口元が緩んできた。


ーーこの様子なら、ウィニストラがシェニカ様を戦場に介入させることはなさそうだ。となると、シェニカ様を手に入れるには口説き落とすしかない。
既婚の自分には不利でしかないが、例え愛人であっても国内外から羨望の視線を向けられる。その名誉な相手は、独身の副官ではなく自分でありたい。
能力と身分だけでなく、素晴らしい効果のある『聖なる一滴』も作れるシェニカ様との確かな繋がりが出来れば、自分だけでなく国にも大きな利益があるのだ。今回のチャンスを逃す手はない。

バーナン殿の話によれば、シェニカ様は『赤い悪魔』を恋人にしているようだが、所詮は身分も実力も自分には到底及ばない小物だ。
ここでシェニカ様との距離を縮め、この戦争が終わればキルレにお連れしよう。
妻は政略結婚で押し付けられた貴族の小煩い娘だが、シェニカ様さえ頷いてくれれば、国王陛下の口添えもあって離婚は簡単に済むだろう。



あと数分で貧民街に着くという時、ソルディナンドの目には外壁の側でモゾモゾと蠢いている物体が見えた。



「ソルディナンド様、どうなさいました?」


馬を止めたソルディナンドに追いついたバーナンが不思議そうに問いかければ、ソルディナンドは手綱を引いて馬を物体の方へと向けた。



「あそこに何か…。確認してきます」


「え?ちょっとお待ち下さい!」

再び馬を走らせたソルディナンドを、バーナン、2人の副官、セナイオルとラダメールの5人も追いかけた。




蠢く物体が何なのか見える距離になった時、ソルディナンドを始めとした全員が馬から下りて、腰に差している剣に手をかけた。



「あれは、人…ですね。4人ほどいるでしょうか。兵士ではないようですが、老人みたいですね」


「ここは退避命令が出ているはず。ということはトラントの兵士?…にしては年がいっているから要職に就いている者でしょうか?」


先頭を切って歩くソルディナンドがそう呟くと、真後ろにいたバーナンと副官の1人が目を凝らしながら返事をした。




「バーナン殿、ミルト、ベイノード。あの4人を我々の手で拘束しましょう」

距離が近くなり、1人が身に付けている物に気がついたソルディナンドはそう小さく呟いた。それは至近距離にいたキルレの3人には聞こえたが、数歩離れた場所にいるセナイオルとラダメールには聞こえていなかった。

ソルディナンドが一気に4人に向かって駆け出すと、キルレの3人も一気に駆け出した。
出遅れたセナイオルとラダメールもすぐにその背中を追ったが、一瞬の差が詰まることはなかった。



キルレの4人が足音を立てて駆け寄ってきているのに、蠢いている者達はそれにまったく気付いていないのか、一心不乱に外壁の近くにあるクリーム色の砂地を手で掘り返していた。


「戻りたい!あの暗い場所に戻りたい!陽の光は嫌だ!」


「ジメジメした場所では味が落ちてしまうというのに。なぜあやつらは話が分からんのだ」


「どこだ?どこにある?」


「ベラルスの奴め。あんな良いものを隠していようとは。最初からあれを出していれば、もっと協力してやったのに」


ブツブツとそう言いながら砂を掘り返す4人を、ソルディナンド達は一瞬で地面に引き倒して拘束した。



「この4人の『白い渡り鳥』様は我々が拘束したぞ!我々のものだ!」


高らかに宣言したソルディナンドに、セナイオルとラダメールは悔しげに顔を歪めるだけしか出来なかった。




ーーーーーーーーーー



ソルディナンド達が貧民街の方へ行ってしばらく経った頃。


「ディスコーニ様」


「どうしました?」

ディスコーニ、アクエル、ファズ、アヴィスがシェニカの周囲を固めて遠くの戦場を見守っていた時、1人で戻ってきたセナイオルがディスコーニに近寄って何か報告をした。
 
 
 

「シェニカ様、確認して頂きたいことがあるのであちらに移動をお願いします」
 

毒薬が使われたのかと思っているのか、シェニカの顔は一気に強張って深刻そうな顔になった。

ディスコーニやその副官、残っていたソルディナンドの副官達と一緒にセナイオルの後を馬でついて行くと、戦場から離れた場所に設置されていたテントの群れの方へと向かった。


セナイオルは貧民街に向かったソルディナンドに同行していたはずなのに、貧民街とは逆方向に案内している。
一体何を確認させたいのか不思議に思いながらテントの隙間を馬を歩かせていると、負傷したウィニストラ兵が運び込まれているテントは素通りした。



そしてセナイオルが止まったのは、テントの群れの外れの方にある大きなテントの前だった。


そのテントの前にはソルディナンドらと一緒に貧民街に行ったはずのラダメールが入り口を見張っていて、ディスコーニの姿を見ると静かに出入り口の幕を開けた。
ディスコーニに続いてシェニカと一緒に中に入ってみれば、手を後ろに拘束されて地面に座る4人の爺さんをソルディナンド達が見下ろしていた。


中に歩みを進めれば、爺さん達の額には、デザインはバラバラながらも『白い渡り鳥』の額飾りがあったのが見えた。



 
「これは…?」

 
「我々が貧民街の近くを馬で駆けていると、『白い渡り鳥』様達を見つけました。ネームタグを確認したところ、連絡が取れなくなっていた方々です」


ソルディナンドが視線を4人に向けそう言うと、シェニカはフードを外して爺さん達を見た。

ボンヤリとした目の爺さんたちは、俺達がテントに入っても視線をこちらに寄越さず、地面を見てブツブツ呟いていたり、うわ言のように何かを言いながらキョロキョロと何かを探すように天井を見たりしていて、その行動には異様さを感じる。




「彼らはどこに居たんですか?」
 

「まともに会話が出来ないので良く分からないのですが、貧民街の外壁のそばで、4人で砂地を掘っていたんです。様子がおかしいので治療して頂くことはできますか?」

 
ソルディナンドが困ったようにそう言うと、シェニカは小さくコクンと頷いた。



「分かりました。会話が出来ないってことは、何か呪いでもかけられているのでしょうか」
 

シェニカが4人の面前まで近付くと、ぼんやりしていた爺さん達の目に急に力が入った。
 


 
「飴を独り占めしてるのはお前か!寄越せ!」


「お前も飴を取りに来たのか!あれは私のものだぞ!」


「入り口は…入り口はどこだ!案内しろ!」


「飴は?飴はどこだ?お前が隠したんだな!?」
 
 

4人は血走った目で立ち止まったシェニカを見上げ、ヨダレを垂らしながら口々に叫び始めた。
 
 


「飴?」

爺さんたちの背後に回ったシェニカは、身を捩って暴れる4人に手をかざし治療魔法をかけた。
でも、治療魔法をかけているはずなのに、治療を受けた後もシェニカに向かって「飴が、飴が」と叫んでいる。

そして全員に治療魔法をかけ終わった所で、シェニカは首を横に振った。




「彼らは全員、重度の麻薬中毒です。私が治療しても治すことは出来ません」
 

「そうですか。ならば我々は権利を放棄しますので、彼らはウィニストラで処断するのがよろしいかと。ディスコーニ殿、バルジアラ殿にはそうお伝え下さい」


「分かりました。ではそのようにしましょう」


「では、鑑定書をお書きします」



そう言ってシェニカは鞄から便箋を出して、4人のネームタグを確認しながら机の上で何かを書き始めると、ソルディナンドもディスコーニから渡された便箋に何かを書き始めた。


シェニカは書き終えると封をしてソルディナンドに渡し、同じく書き終えたソルディナンドはシェニカの手紙とともに自分が書いた手紙をディスコーニに渡した。


ーー権利?処断?鑑定書?一体何を言っているのだろうか。

3人の会話についていけない俺は、1人取り残されたような疎外感を感じた。




「確かにお受けいたしました」
 

ディスコーニが2通の手紙をファズに渡したちょうどその時、テントの入り口の外に立っていたラダメールが中に入ってきた。

 
 
「ディスコーニ様、エメルバ様が首都に入りました」


「そうですか。その4人は猿轡を噛ませた上でどこか人気のない場所に移動させますので、皆様はこちらでお待ち下さい」


アヴィスとセナイオルが4人に猿轡を噛ませようと近付くと、爺さんたちはテントの隅にいるシェニカに近寄ろうとしているのか、言葉にならない奇声を上げながらジタバタともがきだした。

その姿は、まるで翼をもがれた鳥が半狂乱で暴れている様によく似ている。





爺さん達の行動が怖いのか、シェニカは強張った顔をしてディスコーニに視線を移した。


「ディスコーニ様。目隠しをした後に大人しくさせますから、その後に彼らを連れて行って下さいませんか」


「目隠しですか?」


「術が解除された場合、何も見えない方が大人しくしてくれます。一応、審判が下るまでは身分はありますから、大人しくしてないと扱い方に困るでしょう。
それに、この人達は私と同じ『白い渡り鳥』です。万が一彼らが無罪であった場合でも、私ならば多少手荒にしても文句は言われないはずです。その代わり、目隠しをした後の猿轡をお願いします」
 

「分かりました」


ディスコーニはそう言って、猿轡を噛ませようとしていた2人を一度テントの壁側まで下がらせると、それを見届けたシェニカは爺さんの前に座って鞄から包帯を取り出した。




「貴様!私を誰と心得る!」

垂れ流すヨダレを飛ばす勢いで声を張り上げた爺さんだったが、シェニカが額に指を当てた瞬間に大人しくなった。だが、その目は驚きに見開かれ、口がワナワナと小刻みに震えている。



ーーあれは強制催眠か?でも強制催眠は、白魔法の適性が高い『白い渡り鳥』には効かないと、他でもないシェニカから教わったが。なんで『白い渡り鳥』に強制催眠がかけられるんだ?



シェニカは自分に向かって相変わらず怒鳴っている3人を無視し、大人しくなった爺さんの額飾りの真下から鼻の付け根まで丁寧に包帯を巻いた。1人の爺さんが終わると、シェニカは残りの3人を同じようにして黙らせた。



「今、強制催眠で大人しくさせているので、審判が下るまで解除しないで下さい。もし解除してしまった場合、モーニダリアンの薬を嗅がせて下さい」


「分かりました。では、ファズ以外の4人で別のテントに連れて行って下さい。その後は、セナイオルとアクエルが監視して下さい」


「分かりました」


ディスコーニがそう指示を出すと、4人の副官はサラシのような長い布を爺さん達の額飾りを隠すように巻き付け、肩に担ぎ上げてその場からテントの外に出て行った。
 
 


シェニカは相変わらず暗い顔をしたまま俯いていたが、疲れたのか両手で顔を覆うようにして、「はぁ…」という深い溜め息を吐いた。

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