天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第15章 大きな変わり目

4.頼る者を失くして

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重い沈黙のまま軍の建物に戻ると、入り口にファズ様と、ルクトと同じように白魔道士のローブを着て、フードを目深に被ったディスコーニ将軍が待っていた。



「シェニカ様と一緒に向かう見届人と護衛する副官をご紹介します。こちらにお願いします」


2人に連れられて建物の裏に移動すると、そこには葡萄色の軍服を着た人達と、白地に赤の十字架を大きく描いた神官服を着た人が待ち構えていた。

ディスコーニ将軍のような上級兵士が着るウィニストラ軍の軍服は青碧色、窓から見えた兵士達は草色だった。この人達の着ている葡萄色の軍服はウィニストラ軍ではなさそうだから、この人達がキルレの見届人なのだろう。


その後ろには、ファズ様と同じ銀の階級章をマントの留め金にした甲冑姿の人達が居る。こっちはディスコーニ将軍の副官のようだ。




「まずは見届人の方をご紹介します」

ディスコーニ将軍がそう言うと、神官服を着た白髪交じりの男性と、絶対モテモテだろうなと思えるような美形の若い男性が私の前にやって来た。



「はじめまして。私はキルレの首都で神官長を務めておりますバーナンと申します。この様な場でシェニカ様とお会いできるとは思ってもいませんでした」


神官長だけが着る上質な神官服を着て、腰まである長い金髪を何か所かで束ねた壮年のバーナン神官長は、腰に剣を差している。私が見たことのある神官長は、誰も腰に剣を差していなかった。戦場に近い所を行くから剣を持っているのだろうか。



「よろしくお願いします」

彼は自己紹介を終えると私に深々と頭を下げたので、私はペコリと頭を下げて挨拶しておいた。






「シェニカ様、はじめまして。私はキルレで将軍を務めておりますソルディナンドと申します。
話によれば、シェニカ様はトラントに狙われる可能性が高いとのこと。万が一の場合には、私や副官達がシェニカ様をお守り致します」


明るい茶色の髪を首の後ろで小さく束ねた彼の胸元には、交差する2本の斧を何かの植物で丸く囲ったデザインの金の階級章が誇らしげに光っていた。

彼の後ろには銀の階級章を付けた5人の副官がいて、ソルディナンド将軍が紹介を終えると深々と頭を下げた。




「よろしくお願いします」


ソルディナンド将軍は私に手を差し伸べてきた。握手でもするのかと私も手を差し出すと、彼は跪いて私の手を取って甲に口付け、にっこりと微笑みながら私を見上げてきた。





「ソルディナンド殿、シェニカ様も貴殿らもあくまで我が国の客人。シェニカ様はもちろんのこと、貴殿らに対する護衛もこちらで務めさせて頂きます。
ここはあくまでもトラントと我が国との戦場です。無用な手出しをなされれば、問題は複雑困難なものになります。その点はよくお考え下さい」
 

思いもよらぬソルディナンド将軍の行動に唖然としていたけど、私の斜め後ろに居たディスコーニ将軍がそう言った瞬間に我に返り、握られていた手を引いた。




「分かっておりますよ。我々が剣を抜くことにならないようにお願いしますね」


ソルディナンド将軍は立ち上がってディスコーニ将軍にそう言うと、バーナン神官長と共に後ろに控えた人達の元へと戻って行った。






「シェニカ様と共に行動する私の副官達の中で、挨拶を済ませていない者を紹介します」


ディスコーニ将軍がそう言って、ファズ様を除く4人の副官を紹介してくれた。


1人目は胸まである水色の髪を顔の両脇に一房ずつ残してポニーテールにした、細身に見える無表情のアヴィスと言う男性。
2人目は絵画で見る天使のような金の巻き毛に綺麗な薄緑色の瞳、ルクトと同じくらい背が高いセナイオルという顔立ちの整った男性。
3人目は顎にかかる長さまである黒髪が、ライオンのたてがみのようなもっさりとした髪型で、切れ長の鋭い目をしたラダメールという男性。
4人目は焦げ茶色の髪を短く刈り込んだ、金色の大きな目が特徴的のアクエルという男性だった。





「移動に使う馬はあちらです。こちらにどうぞ」


それぞれに頭を下げて挨拶を終えると、ディスコーニ将軍はそう言って移動し始めた。
ルクトとの関係はギクシャクしているのに、気を付けなければならない対象が、トラントやウィニストラだけでなく、キルレの神官長や将軍、その副官まで加わった。



誰にも気を許してはいけない、油断してはいけない。一挙手一投足に気を付けなければならない。



戦場近くを移動する、トラント側から接触の可能性があるという、危険と隣り合わせな状況なのに、今の私はルクトが怖くて頼れそうにない。ならどうすれば良いのだろうと不安になっていると、茶色の軍馬の手綱を引いて来たディスコーニ将軍が私の前にやって来た。





「シェニカ様。こちらのローブをお使い下さい」


ディスコーニ将軍からウィニストラの国旗が描かれた白魔道士のローブを受け取ってすぐに着替え、着ていたローブは小さく折りたたんで鞄の中に仕舞っておいた。




「移動中に襲ってきた場合のことを考えて護衛の方と馬を別にしていますが、何かあれば必ずお守り致しますのでご安心下さい」


「はい…」

 
ディスコーニ将軍はそう言って私に馬の手綱を渡し、どこかへと歩いていった。



ーールクトと同じ馬に乗らなくていいと思うとホッとする。移動中は良いとしても、これから先、彼とどんな風に接しながらいけばいいのだろうか。人の目がある所なら彼も私を乱暴したりしないと思うから、出来るだけ2人きりにならないようにすればいいだろうか。
 
 
そんなことを考えていたら、私に与えられた馬がブルルと頭を振った。




「私はシェニカって言うの。これから先、よろしくね」

茶色の馬の首筋を撫でていると、大きな目で私をチラリと見てきた。クリクリしたお目々がかわいくて、ポンポンと首を軽く叩きながら挨拶をしていると、誰かの足音が私の後ろで止まった。

振り返るとルクトが立っている。彼はフードを浅く被っているから、隠しきれていない険しい表情と鋭い目を見てしまった。その目を見ただけで昨晩のことを鮮明に思い出してしまい、思わず手綱を握る手に力が入った。



 
「おい。1人で乗れるのか?」
 

「あ。う、うん。大丈夫。軍馬もちゃんと1人で乗れるから」
 
 
「無理すんな。ほら、手を貸せ」
 
 
ルクトは身体の大きな軍馬に私を乗せようとしたのか、手綱を奪うように取って私の手首を掴んだ。

その時。
 
 

ーー怖い!!いや!



「…っ!」

私は思わず「いや!」と叫びたくなる衝動を飲み込んだが、無意識に一歩下がり、身体が強張ってギュッと目を瞑ってしまった。

私のそんな行動に気付いたルクトは、私の手をそっと放してくれた。
 



「わ、私。馬術は得意なの。軍馬にも1人で乗り降り出来るんだ」


「……そうか」
 






朝に出発した大軍から半日近く遅れて、私達一行はトラントの首都に向けて出発した。

一行を先導するのはファズ様とアクエル様。その後ろに私を挟むようにルクト、ディスコーニ将軍が横並びに馬で走っている。
私達の少し後ろには、ディスコーニ様の副官3人に護衛されたソルディナンド将軍と彼の5人の副官、バーナン神官長がいて、ディスコーニ将軍の副官5人以外は、全員ウィニストラの白魔道士に扮している。




晴天の空の下、草が生い茂る平原を馬が力強く駆ける音と風を切る音だけが耳に響く。

それはとても気持ちが良いはずなのに、心の中は分厚い雲に覆われて、前が見えない霧の中に私は一人で取り残されているようだった。


 

しばらく駆けてトラントとの国境線を越えた辺りで、土が抉れ、草がまだ燃えている戦場跡を通り過ぎた。


戦場跡を確認する仕事をしたい気持ちはあるけど、私の存在は機密になっているから何も出来ない。
死体がひしめく生々しい場所を見れば、これから先の不安や恐怖がどんどん増していって、目には涙が滲んだ。
 


 
いくつかの戦場跡を越えて日が暮れ始めた頃、森のすぐ側を通る川沿いで、ウィニストラ軍が展開した大規模な野営地のテントが見えてきた。
軍勢に追いついた私達一行は、テントの海を見ながら野営地の外れの方にある森の中に入った。


ゆっくりと森の中を歩かせていると、木々の向こう側で、流れる川から水を汲んだり、大鍋で何かを調理している兵士達が見える。

彼らの忙しそうな姿をぼんやりと眺めていると、先に馬を降りたファズ様が近寄って来た。
 
 
 
 
「シェニカ様、お手を」
 
ファズ様が私が乗った馬の側に控え、降りやすいようにしようと手を差し伸べてくれた。
 
 
 
「大丈夫です。軍馬は1人でも乗り降り出来ますから」
 
私は鐙に置いた左足にグッと力を入れて右足を抜くと、教科書通りに降りた。
まさか身体の小さい私が軍馬から難なく降りれるとは思ってなかったのか、ファズ様は口を半開きにして驚いていた。
コンパクトな熊さんのその反応が面白くて、私はクスッと小さいながらも笑うことが出来た。




「今日はありがとう。また明日もよろしくね」

馬に小声で挨拶をして、手綱をファズ様に手渡した時。彼の手に触れたのに、私はビクリと身体が強張ることはなかった。
 

私がルクトに緊張してしまったのは、あの時だけだったのだろうか。





「シェニカ様、こちらにどうぞ」
 

先導するファズ様の後ろ姿を見ながら森の中を歩いていると、後ろを歩くルクトとの距離が気になって小さく振り返った。

ルクトとの距離は大体2歩くらいで、彼はフードを目深に被っているから、視線が合わなかったことにホッとして小さく溜息が出た。
今までなら振り向いて何か声をかけていたと思うけど、今は彼と何の話題を話せば良いか分からないし、まともに顔を見れる自信はない。





「あの、ディスコーニ様やキルレの人達は…」

無言がいたたまれなくなって、私の先を歩くファズ様に話しかけてみた。



「馬を繋ぐ場所が少し離れていますのでまだこちらに来ていませんが、じきにこちらに来るはずです。シェニカ様をお待たせするわけにはいきませんので、先に安全な場所に案内することになりました」


「そうですか…」



しばらく森の中を歩くと、小さく開けた場所に辿り着いた。
枯れた葉っぱが絨毯のように広がっている中に切り株がたくさんある。切り倒した木は見当たらないし、切り株の表面にはキノコが生えている所もあるから、切り倒したのは随分前のようだ。

切り株の近くには石で囲った大きな焚き火もあって、炎が暗くなってきた周囲を明るく照らしていた。



 
「粗末で申し訳ありませんが、こちらがお食事です」
 

「貴重な食事をありがとうございます」
 

ファズ様は私とルクトに数種類のパンが入った籠を渡すと、切り口が綺麗な切り株の所まで案内してくれた。




「お茶をお持ちします」


「あ、ありがとうございます」


保存食は街で買い込んだし、飲み物も自分で用意出来るけど、こんなに至れり尽くせりで良いのだろうか。


そんなことを思っていると、ファズ様が少し離れた所にいる人達の方へと立ち去って行き、ルクトと2人きりになってしまった。
ファズ様とは仲が良いわけでもないのに、ルクトと2人きりになることが怖くて、彼には側を離れないで欲しいとさえ思った。
 
 
とりあえず切り株に座って貰ったパンを食べ始めると、いくつか離れた切り株にルクトも座ってパンを食べ始めた。




 
「なぁ」
 
 
重苦しい沈黙が続く中で焚き火の火を眺めながらパンを1つ食べ終え、2つ目のパンを食べようと膝の上に置いた籠に手を伸ばした時、ルクトが怒っているような低い声で声をかけて来た。





ーー何をされるの?怖い!

 
彼の声を聞いただけなのに、昨晩のことが蘇って耳を塞ぎたくなる衝動に見舞われた。
 
でもそんなことしたら、彼の激情のスイッチが入って、木の陰にでも押し込まれてまた乱暴にされるかもしれない。
 
身体に力を入れて耳をふさいだり、逃げ出したくなる衝動を押し殺しながらゆっくりと彼の方に顔を向ければ、フードを被ったままの彼がいつの間にか立ち上がり、私に右手を伸ばして近付いてくるのがスローモーションで見えた。
 
 




ーー怖い。もう痛いのは嫌…!


私を掴もうとしている行動が押さえつけられる映像と重なって見えて、怖くて籠を抱き締めて慌てて立ち上がって一歩距離を取った。その時、思ったよりも大きく動いてしまったのか、私の顔が丸見えになるくらいフードが後ろにズレてしまった。

そしてほぼ同時に、ルクトの後ろからキルレの人達がやって来た。
 



「シェニカ様。そんなに怯えた顔をしなくても大丈夫ですよ。我々が側におりますからご安心下さい」


「慣れない環境で恐怖を感じるのは無理のないことです。そういう時は会話をすれば気も紛れます」


ルクトと話すのが怖くて、彼から逃げたくて。まったく気が乗らないけど、バーナン神官長の誘いに応じて切り株に座ってお喋りの時間が始まった。



私の両隣の切り株にはフードを浅く被ったソルディナンド将軍とバーナン神官長が座り、ルクトは私の後ろの切り株に座っている。ルクトの両隣にはキルレの副官達がズラリと並んで座っている。
両隣は警戒すべき人達だし、後ろにいる人達からの視線が私の背中に集中しているのを感じて、まったく落ち着かない。




「シェニカ様、此度の件は色々と大変ですね。我々神殿としても、『白い渡り鳥』様を戦場介入させるというトラントの暴挙に頭を抱えています。
トラントのベラルス神官長には真偽を問うフィラが飛びましたが、彼らは沈黙したままです。否定しないということは本当だったようですね」


私の左に座るバーナン神官長はそう言い終えると、豪快にパンを齧った。この神官長は、神官服よりも軍服を着ている方が似合っていそうな気がする。護衛も連れていないし、剣を差しているから元軍人なんだろうか。



「トラントの侵略戦は目に余りましたが、周辺国との軍事会議で一度は落ち着いたと思われた矢先に。
まさか大国ウィニストラ相手に侵略戦争を起こすとは思いもしませんでしたが、それ以上に『白い渡り鳥』様の戦場介入など前代未聞。
自分の首を絞める行動なのに、なぜそんな暴挙を働いたのか謎です。
ですが、シェニカ様の身は我々がしっかりと守り、禁を犯していないことを見届けさせて頂きますのでご安心下さい」


私の右に座っていたソルディナンド将軍は立ち上がって私の前で跪くと、私の両手を取って首を傾け、紫色の目を細めてにっこりと笑った。




「それは心強い…です」


返事の言葉と裏腹に、私の中には心細さと孤独、不安と恐怖しかなかった。

ルクトを含め、今、この場には私が気を許せる人なんてい1人もいない。気を許してしまえば、きっと後々私を利用しようとするに違いない。


ここには敵しかいないから、言動には注意しなければ。





「シェニカ様は、街に滞在中の余暇の時間はどの様にお過ごしなのですか?」


「特には…。街の中で気になった場所に足を運ぶくらいです」


ソルディナンド将軍は跪いたまま私に質問をしてきた。私が握られた手を引っ込めようと力を込めると、彼は放すまいと力を込めてくる。

見届人は必要だけど、この将軍はやたらと私に接触を求めてくる。そういうのは止めて欲しい。イケメンなら何でも許されると思っているのだろうか。




「そうですか。どう言った場所に?」


「その時に興味を惹かれるようなところでしょうか」


「では、今回の戦が終わったらキルレにいらっしゃいませんか?我々と一緒であれば、護衛も兼ねることが出来ますのでシェニカ様もご安心出来るかと。
キルレは国土は狭いですが、滝の飛沫で虹がかかる橋があるんです。そこはプロポーズに最適な場所として有名なんですよ。シェニカ様も1度ご覧になったら、きっと気に入って下さるはずです」


ソルディナンド将軍は私の手をギュッと握ると、胸元にある金の階級章の上に私の手を押し当てた。
その手から逃げようと手を引こうとしたが、彼は相変わらず放そうとしない。
どうしたらいいかと困っていても、ルクトに『助けて』なんて言えないし、顔も見れないし、彼は助けてくれない。





「ソルディナンド殿も、そちらで奥方様にプロポーズなされたのですか?」


どうしたら良いかと困っていると、ソルディナンド将軍の後ろから白いフードを目深にかぶったディスコーニ将軍がやって来てそう言った。

ふとソルディナント将軍の左手を見ると、その薬指には見事な装飾の模様が彫られた金の指輪が嵌っている。


結婚の時に、その証として互いに祝福を受けた指輪の交換をするのが習慣だ。
死別したり離婚したりするとその指輪は外すことになるが、婚姻期間中はどんな理由でも外せないため、軍人の人でもこうして身につけている。

この人、既婚なのになんで私にこうも接触してくるんだろうか。奥さんが悲しんでいるだろうに。




「それは…。ディスコーニ殿、なんとも意地悪なことをおっしゃるんですね」


「役目の1つとはいえ、女性と親しくなされていると奥方様が悲しまれますよ」


ソルディナンド将軍の隣で立ち止まったディスコーニ将軍がにっこりと笑ってそう言うと、彼は気まずそうな顔をしてやっと私の手を放してくれた。




「『白い渡り鳥』様を大事にするのはどの国でも優先事項ですから、誤解を招く行動はしていないつもりです。ですが、ウィニストラの軍勢ひしめくこの状況では、本国に誤解を招くような形で伝わるかもしれませんね」



手の甲に口付けたり、手を握ったりするのは誤解を招く行為です!イケメンだろうと、それは許されません!


私は言う気力もないから、心の中だけでそう叫んでおいた。




「シェニカ様、慣れない戦場の移動でお疲れでしょう。休める場所の準備が整いましたので、ご案内致します。こちらです」


私は立ち上がると、私の前に跪いたままだったソルディナンド将軍を置いて、ディスコーニ将軍の後ろをついて行った。





「小さいですが、こちらのテントをご使用下さい。護衛の方のテントはあちらです」
 
 
私とルクトに用意されたのは、ウィニストラの国旗が白で描かれた1人用の黒い四角形のテントだった。普通のテントより少し広く、大人が立ち上がっても大丈夫なくらいの高さがある。

 
このテントは他の人達のいるテントから離れた場所に設置されているのか、私とルクトのテントは距離があったし、彼のテント以上に離れた場所に1人用のテントが2つあるだけだ。

そこにキルレの人達が休むのだろうかと思ったけど、ディスコーニ将軍は『キルレの人達も客人だ』と言っていたから、さすがに1人用のテント2つに7人を押し込まないだろう。
きっと、私の視界に入らない距離の場所に彼らのテントが用意されているはずだ。


ソルディナンド将軍は何だか距離を詰めてくるから、彼とテントが近いと夜に来られるかもしれない。そういう人とテントが離れていると思うと、ちょっとホッと出来る。


 



「心苦しいですが、中にある寝袋をお使い下さい」
 

「ありがとうございます」


ディスコーニ将軍が去って行くと、私は後ろに居るルクトの足元を見るようにして振り返った。




「私、久しぶりの馬で疲れたからもう休むね。結界はちゃんと張っておくから」
 
 
「…分かった」
 
 
テントに入ってすぐに結界を張り、小さく淡い魔力の光を生み出して中を確認してみると寝袋以外に何もなかった。


やることがないから寝袋に入って横になり、気を紛らわそうと色んなことを考えた。懐かしい故郷のこと、両親のこと、恩師のこと。
でも、やっぱり最後には必ずルクトのことを考えてしまう。
 
 
私の不自然な態度に彼は怒っているだろうか。
 
 
『バルジアラへの恨みを知っているくせに協力するなんて。俺の気持ちを考えないお前を見損なった。お前なんかもう嫌いだ』
 
 
近付くのも目を見るのも怖いけど、勇気を出して昨晩のことを聞いてみたい。でも聞いたら、責められるようにそう言われるんじゃないかと思うと、彼から発する言葉を聞きたくなかった。
 
いっその事すべてを忘れて眠ってしまいたいと思って目を瞑っても、色んなことを考えすぎたのか、なかなか眠りにつくことが出来なかった。





 
「おい。起きてるか。メシ持って来たぞ」
 
 
翌早朝、テントの外からルクトの声がかけられた。眠れなかったけど、いつの間にか眠っていたらしい。

結界は外から見えないようにテントの内側ギリギリに張ってある。視線を地面に落としたままテントの入り口の布を少し捲ると、ルクトの足が見えた。
 
 


「あ、ありがとう」
 
結界の外に手だけを出して食事が乗った小さなお盆を受け取った後、彼の指先がお盆を持つ私の手を触った。

指先が触れただけなのに、その瞬間に私はまた身体に緊張が走った。
その緊張はお盆の上に乗ったスープが大きく揺れる程だったから、ルクトにも当然伝わってしまっただろう。
 

 
「……食い終わったら、テントの外に出しとけ」
 

「うん…」
 
 
ルクトはそう言うと、私の前から歩き出して行ったから自分のテントに戻ったようだ。
 
食欲があまりないからか、私は受け取った食事を普段よりもゆっくりしたペースで食べ、お盆をそっとテントの外に置いた。
 



 
他の人は大丈夫なのに、ルクトの手が触れただけでどうしてこんなに緊張するんだろう。
 

こんな風になってしまった私に、彼は怒ってしまっただろうか。
2人きりになったら、私は彼に責められて罵られて、誰もいない場所に連れ込まれて、また乱暴にされるのではないだろうか。 
 
 
言いようのない恐怖と不安、どうして良いか分からない気持ちで、私はテントの中で小さくなって静かに泣いた。
 
 
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