天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第15章 大きな変わり目

1.戦場の異変

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私達はアビテードの隣国イダニスに入国した。

関所を出た後、この国の首都に向かう街道は進まず、ポルペアに最短距離で行けるように隣国ウィニストラに繋がる街道を歩いて移動しているのだが。






「なんか……人いないね。街道沿いに街も村もないなんて初めてかも」




「まぁ、アビテードに行く奴いねぇだろうしな。地図見ても、この国の首都周辺ばっかり街が集中してて、こっち方面はなんにもないみたいだし」





関所まで街道沿いの街で治療院を開くつもりだったけど、アビテードから関所に向かう街道を通る人は兵士も旅人も商人も居ない。旅人小屋はあるけど、随分と使われていない状態だった。







結局イダニスでは治療院を開くことも、フードを外すこともないまま、ウィニストラの関所を通過した。

ルクトの希望もあって、私はこの国では治療院を開かないつもりなので、フードをいつも以上に目深に被って街道を歩いた。



街道には旅人や傭兵、商人、兵士といった人が街道を往来していて、立ち寄った街には活気に満ち溢れていた。
困っている人がいるかもしれないのに治療院を開かないのは申し訳ない気もするけど、この国はそれなりに『白い渡り鳥』が来ているから大丈夫だと思いたかった。







今までと変わらない旅に戻ると、アビテードは手袋をしていても寒くて、雪で足場も悪かったからルクトとよく手を繋いだことを思い出す。



人の目を気にするルクトが嫌がるので今は手を繋いで歩いてはいないけど、そういう旅はいつもと違ってとても幸せで楽しかった。ついこの間のことなのにもう懐かしく感じる。








ルクトが選んでくれたお気に入りのコートと、可愛いトナカイブーツは気に入っていたけど、アビテードから離れると気候があったかくなってきて、これから先の旅には合わないからとウィニストラに入国して最初の街で買い替えた。

赤いコートはなくなって見慣れた白地に青い刺繍で縁取りされたローブ姿に、トナカイブーツは黒に赤のチェック柄のブーツに変わった。




あの厳しい寒さと雪とお別れしたのが今でも名残惜しいけど、またメーコとあの子達に会いに行こう。メーコは随分とルクトと仲良くしてたから、彼も喜んでまたアビテードに行ってくれるだろう。

その時、またルクトに可愛いコートを選んでもらって、ブーツも買おう。
そしたら、今度こそ私がルクトに可愛いコートを選んであげるんだ。




ルクトはどんなコートが良いかなぁ。スザクワシのメロディちゃんを気に入っていたから、鳥の気持ちになれるようなコートが良いかなぁ。
考えただけでもワクワクしてくるから、すぐにでもアビテードに戻りたくなってしまった。











順調にポルペアに向かう街道を移動している途中、街と街の間が結構離れている場所に差し掛かった。
先を急いでいる訳ではないからと、いつも通り馬は借りずに1週間ほど野宿を繰り返し、青い空が茜色に染まる頃、街道の向こうにラーナという街が見えてきた。ここを出たら、隣国エルドナとの関所までもう少しだ。






「街が見えてきたな」


私の隣を歩くルクトは街を見ると、なんだか安心したような溜息をついた。彼も野宿を続けて疲れたのだろうか。






「1週間も野宿してたから、ベッドが恋しいや」



「ちゃんと1部屋にしろよ?」



「ルクトも野宿続きで疲れてるでしょ?今夜は早く寝ようね」





「野宿続きで全然ヤれなかった。俺が満足するまで付き合えよ」


ルクトって本当にそればっかりだ。
彼は宿の食堂でお酒を買って部屋で飲んで、そのあと私と一緒にベッドに入ることが多い。私が月のものだったり、疲れている時以外は宿に泊まると必ず求めてくる。本当に彼は『性欲の悪魔』だ。


たまには、夜にどこか良い感じの場所に飲みに行ったり、恋人らしく手を繋いだり、デートしたりしても良いと思うんだけどな。





私がそんな風に思っていたのが顔に出ていたのか、ルクトが不満そうに私を睨んできた。

彼の鋭い目で睨まれるとほとんどの女性は怖がるけど、彼はなんだかんだ言っても私の意見もちゃんと聞いてくれるし、今までの信頼関係もあって安心出来るから私は怖くない。

それが他の女性にはない、自分だけの『特別』な気がしてちょっと嬉しかったりする。






「そんな不満そうな顔するなよ。別に治療院開くわけじゃねえんだから、早起きする必要ないだろ」



「まぁそうだけど…。早起きするのはもう習慣になってるからさ」



「野宿の時に押し倒されたくなかったら、ちゃんと1部屋にしておけよ」



ルクトはそう言うと、プイッと私から視線を外して前を向いた。流石に外で押し倒されたくないから、彼の希望通りに1部屋にするしかなさそうだ…。










薄闇の空に星が煌めいてるのが何となく分かる頃、ラーナの街の前に到着した。






「ねぇねぇ。なんかウィニストラ軍が野営してるね。どうしたんだろう」


街を囲む高い壁の外には大小様々の黒いテントの海が広がっている。
そのテントには1本の剣に炎が巻き付いたウィニストラの国旗が白で描かれて、兵士が慌ただしく動いていた。









「さぁな。演習でもしてるんじゃないのか?」


ルクトは興味なさそうにそう言い放つと、私を置いてスタスタと立派な門をくぐって街に入って行った。





「ルクト!ちょっと待ってよ!」


慌てて彼を追いかけて街に入ると、街の中は傭兵と兵士で溢れていて物々しい状況だった。

ここは軍の施設もある商人街だから兵士がいるのは分かるけど、同じ環境の商人街に比べても明らかに兵士も傭兵の数も多い。
時間は夜になっても商人やその使用人で街が賑わっているだろうに、今は商人風の格好をした人は全然見かけない。





「ここ商人街なのに、なんでこんなに兵士と傭兵がいるのかな?」



「俺たちには関係ねぇよ。さっさと宿屋行くぞ」



疑問を口にしただけなのに、彼はなんだかイライラした口調でそう言うと、近くに居たウィニストラ兵を睨んで足早に近くの宿屋に入った。


部屋に荷物を置いてすぐに食堂に入れば、そこはお酒を飲む傭兵達でごった返している。
私達は唯一空いた席に座って食事を注文すると、隣の席で飲んでいた傭兵達の会話が入ってきた。




「トラントには何かしら勝算があるんかねぇ?」



「どうだかねぇ。良く分かんねぇな」



「今回の戦争はウィニストラ側は寝耳に水だったみたいでさ、最初の侵攻の時は準備が間に合わなかったから傭兵の報酬は破格だったらしいぞ」


その会話の内容にびっくりして、向かいに座るルクトを見た。彼もその話には興味を持ったのか、彼は傭兵の方を向いて睨むような鋭い視線を向けていた。





「ねぇ、トラントが侵攻してきてるって…」


「新聞取ってくる。大人しくしてろ」



ルクトが持ってきた数冊の新聞をテーブルに広げて、日付が古い方から新聞を見てみると、




『青天の霹靂!トラントがウィニストラに侵攻するも、大国の固い防衛に阻まれる!』


『トラントは侵攻を阻まれても、ウィニストラに無条件降伏を要求!ウィニストラは拒否の返答』


『トラントとの膠着状態継続!国境線に両軍が集結!』


『トラントとウィニストラ軍、ラーナ付近の国境線で一触即発か!?』



などと膠着した戦況が続いていることが報じられていた。
日を追うごとに緊張が高まり、この街の近くの国境線には両国の将軍が来ているらしく開戦間近らしい。



最後に新聞を読んでから1週間経っているけど、その時はこの2国間で戦争の火種になるような記事はなかったのに。
 

 
 
 
それに、トラントはウィニストラと良好な関係を築いていたはずだ。

トラントはサザベルとウィニストラという2つの大国に挟まれているけど、今までどちらかというとサザベルの方と国境での小競り合いを起こしていたはずだ。
 
 



なぜウィニストラと戦争なんか…。それも無条件降伏を要求するなんて、大国相手に喧嘩を売って勝ち目なんてあるのだろうか?
 
 
 


「まさか戦いが始まろうとしているなんて…」
 


「ウィニストラのどの将軍が来ているのか気になる。メシ食ったら情報を集めに酒場に行くぞ」
 
 

 「情報屋さんに行くの?」



「いや、ここ最近の話なら情報屋に行っても収穫は少ない。行くならこの街で1番デカイ酒場だ。傭兵が大勢いるだろうから、座ってるだけで色んな情報が聞ける」



ルクトと私は食事を終えると、街で1番大きな酒場に入った。空いていた席に座ってお酒を頼むと、お酒を片手に大きな声で話している傭兵の声があちこちから響いていた。



運ばれてきたお酒を飲みながら、私達は会話をすることなく耳に入ってくる声を静かに聞き始めた。



 
「トラントの傭兵達、様子がおかしくないか?」
 

「だよなぁ。目が逝っちゃってるっていうか…。たまに敵味方問わずに攻撃魔法ぶっ放すもんなぁ」
 

「今回トラントは筆頭将軍のアステラが大軍連れて来てるんだろ?」
 

「でもこっちもバルジアラじゃないにしろ、ディスコーニが出て来てるんだから大丈夫だろ」
 

「アステラとディスコーニじゃかなり体格差があるだろ。大丈夫なのか?」
 

「ディスコーニはあのバルジアラが鍛え上げた『金の将軍』だぞ?体格差くらい大丈夫だろ」
 

傭兵達の話に出て来た名前にピンと来た。
 


 


「ディスコーニ…将軍…」
 

「どうかしたのか?」
 

「ここに来てるっていうディスコーニ将軍って、ギルキアで王子から助けてくれた人だ」
 

あの馬鹿王子から助けてくれた、優しそうな笑顔を浮かべた男性を思い出した。
 
 





「あの金髪の野郎か。情報は集めたし宿に戻るぞ」
 
 
無言で宿に戻ると、先にお風呂を済ませたルクトは落ち着かない様子でソファに座ると考え込み始めた。
 

ルクトにしてみれば、復讐相手のバルジアラ将軍ではないものの、戦争が始まりそうな状況にいてもたってもいられないのだろう。





「戦場に行きたい、よね…」
 


「行きたいが、お前を1人には出来ない。それに俺はウィニストラと敵対する勢力につきたいがトラントはお断りだ」
 


「そうなの?」
 


「さっきの傭兵達が言っていたように、トラントの傭兵達はおかしくされるんだよ」
 


「おかしく…?」
 

おかしくされるってどういうことだろうか。幻覚でも見せるような呪いをかけられているのだろうか。






「前にトラントでレオンといた時、傭兵達に軍部から増強剤と称して麻薬を与えているらしいという話を聞いた。多分その話は本当だったんだろ」
 


「麻薬を偽って与えてるの…!?」
 


「死や強者を恐れない狂戦士に仕立て上げられ、麻薬の依存が進んで使い物にならなくなったらお払い箱だよ」


 
「なにそれ。あの国って本当にロクなこと考えてないね。人の生命とか健康とか軽んじて…!」
 
 

戦場で痛みや恐怖を感じないようにするために、どこからか手に入れた麻薬を自分の意志で使う人は少なからず居て、戦争から帰ってきた後も依存が抜けないからと治療を求めてくることがある。
自分の意思で使うならまだしも、増強剤と偽って与えるなんてなんて酷いことをするのだろうか。



麻薬は依存が軽度から中度くらいまでなら治療できるが、重度の中毒となると治療が出来なくなると言うのに。





私はトラントの所業に深い憤りを感じた。
 
 









 
その翌日。街の外に広がった野営地はそのままながらも、テントから兵士達が居なくなり、街から傭兵がごっそりと居なくなって静かになった。



「居なくなったってことは、開戦が近いな」
 


「うん…。すぐに街を出る?」



「いや。トラントに勝ち目はないだろうから、すぐに決着が着くだろ。それまではここにいる」




静かな街の中を散策してみると、この街は中心に領主の屋敷があって、それを丸で囲むように建物が配置されているおもしろい造りになっていた。きっと空から見ると、二重三重にもなる丸い建物群が、中心の大きな屋敷に注目しているようになっているだろう。


どの建物も鮮やかな緑色の蔦が生い茂っているし、建物の脇には小川のような水路があるから、最初に来た時は物々しい感じだったけど普段はとても綺麗な場所のようだ。
この街はトラント、エルドナの2つの国を繋ぐ関所からさほど離れていないから、交易の中心として賑わっているのだろう。


でも今は、戦場がすぐ近いということもあってか、街の中には往来する馬を引いた商人達の姿はなく、市場も人がまばらで、楽しそうな声が響いているのは子供たちが遊んでいる公園だけだ。


 
 




それから2日後の昼。




「おい聞いたか?いよいよ開戦したんだと!」


街中はその話でもちきりになっていて、ルクトは何時にも増して口数が少なく、イライラしている感じが抜けない。


この街に来てからと言うもの、同じ部屋にいると重苦しい空気がちょっと居た堪れないけど、喋りかければ普通だし、傭兵の彼が戦況などを気にするのは当然だからと、当たらず触らず接した。





私はルクトを連れて小鳥屋に行って手紙を飛ばしていると、彼の頭の上でフィラが忙しなくはためいていた。どうやら彼に手紙が届いたらしい。





「レオンから?」


手紙を受け取ったルクトは、中身を読むと無表情でその手紙をビリビリと破って、最後は握り潰してゴミ箱に捨ててしまった。




「ルクト?どうしたの?」



「なんでもねぇよ」


たしか前も似たようなことがあったし、その時も誰からの手紙か教えてもらえなかった。

手紙の相手と中身が気になるけど、彼の凄みのある空気に押されて口を開くのは憚られた。一体誰からの手紙だったのだろうか。ファミさんだろうか。













次の日。
昨晩はルクトがなかなか寝かせてくれなかったので、いつも通り早朝に起きれなくて少し遅めに起きることになってしまった。朝食を食べようと宿の食堂に向かう階段を下りていると、疲れた様子の傭兵たちとすれ違った。





「あ~。疲れた。さっさと寝よう」


「そうだな。夜通し移動だったからメシより先に睡眠だな」


会話の内容から、どうやら戦場から夜通し歩いて街に帰ってきたらしい。






朝食が運ばれてくるのを待っている間、食堂の窓からは街を歩く傭兵達の姿が見えるのだが、街の中をウィニストラの国旗を背中に印した白いローブ姿の兵士が、切羽詰まった顔で駆け回る姿を何人も見た。

確かどの国も白魔道士は白いローブを着ていたと思うけど、重症の兵士の手当に追われているのだろうか。





 
 
「どうかしたのかな?」
 

「ウィニストラが勝ったらしいが、なんかおかしいな」

 
ルクトから手渡された今日の新聞を見ると、『トラント軍が国境線から拠点街まで後退!ウィニストラの勝利!!』と華々しく書いてあった。
 






「はい、おまちど~さん!」


私達はホカホカと湯気の上がるご飯を食べながら、慌てた様子の白魔道士や疲れた傭兵を他人事のように窓から見ていた。







食後のお茶を飲もうと手を伸ばした時、私はなんだかおでこの辺りが引っ張られるような違和感を感じた。
フードの上から触ってみると、その場所はちょうど額飾りの上で、鎖がフードに引っかかっているようだ。

なんだか引っ張られるのが気持ち悪くて、私はフードの中に手を入れて額飾り辺りに触れ始めた。でも見えないから、なかなか引っ張られる感じが消えない。


無理やり引っ張って大事な額飾りが壊れるのは避けたいから、丁寧に取らなければ。






「どうしたんだ?」


「いや、なんか額飾りの鎖の部分がフードに引っかかっているみたいで」


私がもたもたしているのを見兼ねたのか、ルクトが立ち上がって私の隣に来ると、私のフードに手をかけた。どうやら外してくれるらしい。




「取ってやるから大人しくしてろ。ほら、取れたぞ」


 
「ありがとう。鎖が壊れちゃった?」



「いや、何も壊れてない」



「壊れてなくて良かった」



ルクトが席に戻ると、私はフードを外して額飾りに触れた。

ローズ様から受け継いだこの額飾りは、ちょっと古いデザインだけど私にとっては大事な相棒だから、壊れていなくて一安心だ。



私がローブのフードを被った時、窓の外から目をまん丸にして私を見ていたらしい女性と目が合った。
その女性はハッとした顔になると、宿の中へと足をもつれさせながら入って来て、私の隣に膝立ちになった。
 
 




「『白い渡り鳥』様ですよね。すみません、お力をお貸し願えませんか?」
 
 
外を駆け回っていた白魔道士と同じ白いローブを着た女性が、私にだけ聞こえるような小さな声で話しかけてきた。






 
「何かあったんですか?」

 
私はテーブルの向かいにいるルクトに聞こえる声量でそう話しかけると、女性はゴクリと喉を鳴らした。
 





「初めて見る症状なんです。毒の症状だと思うのですが、解毒の魔法も薬草も効かないのです…。
痛みはもちろんのこと傷口の黒い変色、患部付近に痺れがあるんですが、何より不思議なのは魔力が抜けていくんです」
 





「それは…!私をその負傷者の所に連れて行って下さい!」
 
 
ウィニストラ領内で治療院は開くつもりはなかったけど、思い当たる症状を聞いたら居ても立っても居られなくなり、テーブルから慌てて立ち上がった。
 
 
 
 










 「こちらです」


女性に連れられて来たのは、街の外に張られた黒いテントの海にある大きなテントだった。
その中には異臭が立ち込めていて、苦しみに顔を歪める負傷者が横たわり、顔色をなくした白魔道士達が慌ただしく世話を焼いている。

私がフードを外すと、白魔道士達の視線が一気に集中して小さなざわめきが起きた。




 
「ここにいるのは10人程ですが、全員同じ症状なんです」


 
「診せて下さい」
 
 
とりあえず1番近くにいた兵士の横に膝をついて診てみると、エアロスと全く同じ症状だった。違うのはエアロスの時は何も臭わなかったけど、彼らからは生臭い独特の匂いが感じられることだ。

テントに充満する異臭の原因は、彼らから臭うこの生臭い匂いだ。




この人は指先から毒を受けていて、胸に銅の階級章がある。多分、上級兵士だろうから、こちらの質問には的確に答えてくれるだろう。





「どうしてこうなったか教えて下さい」



「トラントの副官が水の魔法を放ってきたんです。指先をかすっただけなのに、尋常じゃない痛みが襲ってきて、立てなくなって痺れてきて…」




「水の魔法の色は水色や透明でしたか?何か変わったことがありましたか?」




「色…ですか?色は確か赤黒かったような気がします。その魔法の後、異臭がしたんです。私は、ちゃんと治るでしょうか?」




「手順を踏んだらちゃんと治療しますから、もう少し待っていて下さいね」



その人から離れて他の人達も診て回ったが、このテントにいる負傷者全員が薄めた『聖なる一滴』を受けていた。
 
魔法だけでなく、剣や矢傷から毒を受けたものもいれば、口から直接飲まされた者まで様々だった。
 
 
 







「すみませんが、この街の神殿の神官長をすぐここに連れて来て下さい」
 


「え?神官長様ですか?すぐに呼んできます!」


状況を飲み込んだ私は、案内してくれた白魔道士にそう頼むと、彼女は飛ぶ勢いでテントから出て行った。
 






私の周りに集まった他の白魔道士達が困惑しながら私を見ているのを感じつつ、チラリと後ろに控えたルクトを見ると、彼は横たわった兵士達を無表情で見下ろしていた。
 

ルクトは、私が彼の希望を破って治療したことを怒っているだろうか。
でも、この毒薬の治療は私にしか出来ないからこそ、この毒薬に苦しむ人を見ていられなかった。





「あの。この毒は何の毒なのでしょうか。治療出来るのでしょうか」


ここにいる白魔道士の中から、まだ成人したばかりみたいな顔立ちの、若い男性白魔道士が恐る恐る私にそう聞いて来た。





「申し訳ありませんが、神官長と話してから治療を始めます」


色々尋ねたいことはあると思う。彼らを安心させるためにも情報は教えてあげたいけど、この毒のことは今すぐには彼らに話せない。






 
 
しばらくすると神官長の服を着た若い男性が、不思議そうな顔をしながらテントに入ってきた。
神官長の後ろには腰に剣を差した護衛の神官が4人居て、テントの隅に居るルクトは彼らを睨みつけていた。

睨み返した4人の護衛と一触即発のようなピリピリした状況になったけど、神官長は私を見ると嬉しそうに顔をほころばせて目の前まで足早に歩いてきた。



 
「これはシェニカ様ではないですか!
私はこの街の神官長を務めておりますネムリスと申します。随分とご活躍されていると聞いております。今、我らの神殿にはトラントの神官長達も来ておりますので、是非神殿にお越しくださいませ。
それで…至急のお呼びとお聞きしましたが?なぜこんな場所に?」




「トラントの神官長…?戦争しているのに?」


なぜここにトラントの神官長が居るのかと疑惑を含ませた視線を神官長に向けると、彼は慌てた様子もなくバツの悪そうな顔をするだけだった。





「神官長達は10日前に戸籍の整理のためにここに来ていたんですが、突然戦争が始まってしまい帰れずにいるんです」



「そうですか。では、申し訳ないのですが、みなさんは一度外に出て頂けますか?神官長様の護衛の方もお願いします」
 
 
私はテントの中にいた白魔道士達と神官長の護衛に一度外に出るようにお願いした。









私とルクト、神官長の3人になったところで、横たわった兵士の傷口を見せた。

 
「ネムリス神官長、この状況を見て下さい。痛みに加えて患部の痺れ、傷口は黒く変色してこの独特な臭いがあります。そして魔力が抜けていくと訴えています。神官長の貴方なら、この症状にお心当たりはありますよね?」
 

私がそう説明すると、神官長は怪訝な表情から一転して呆然として兵士の傷を眺めた。
 



 


「これは…まさか『聖なる一滴』ですか?」
 



「はい。見ての通り戦場で使用されています。
おそらくランクAの『白い渡り鳥』を戦場に同行させ、その場で作らせたものを薄めて大量に使ったのでしょう。戦場不介入の『白い渡り鳥』が手を貸している状況です。

私は解毒薬を作れます。ここは戦場ではありませんから治療を行いますが、この事実を公表しても構いませんね?」

 
私は神官長をジッと見据えて話しているが、神官長はいまだ呆然としていて苦しそうな兵士から視線を外せない様子だ。
 



 
「これは、本当に我が国とトラントとの戦いにおいて使用されたのですか?私はまだその場に立ち会ったことがなくて…」


 
「この人達が受けている毒のパターン、このテントに立ち込める生臭い独特の異臭は『聖なる一滴』が使用されている証拠です。匂いが消えるのは毒を受けて3日程度ですし、ここにいる者から聞き取った話から、間違いなくトラントでの戦場で受けたものと私は判断します」

 

「そう、ですか。仕方ありません。トラントが『白い渡り鳥』様を戦場に介入させたと世界中に知らせるため、『聖なる一滴』の使用を証明する書類をシェニカ様の名で頂けますか」
 



「ええ。分かりました」


私は持ってきていた鞄から便箋とペンを取り出すと、


『ウィニストラ領ラーナに運ばれてきた負傷した複数のウィニストラ兵を診察したところ、『白い渡り鳥』のみが作れる『聖なる一滴』を受けていた。負傷者から聞き取った話やその症状から、ウィニストラとの戦場において、トラントが『白い渡り鳥』を戦場に介入させたと判断する』


と書いて署名し、青い顔をしているネムリス神官長に渡した。
 



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