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第14.5章 国が滅亡する時
9.滅亡と再生
しおりを挟む謁見の間に繋がる立派で重々しい扉を開けると、3段高い玉座に久しぶりに見る緑の髪の青年が険しい顔をして座っていた。
暗部も護衛も、この部屋には他には誰もいない。静まり返った広い謁見の間に、国王は1人でこちらを見ていた。
「ジルヘイド…。本当にお前、なんだな」
「お久しぶりです。本日は陛下を討ち取りに参りました」
玉座に続く3段の階段の下で立ち止まり、国王を見上げれば険しい表情が複雑な表情になった。
「そうか。いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていた。
しかし、あれほどの大怪我をしたのに良く回復したな。お前達を牢に送ってから、国を廻った『白い渡り鳥』はいなかったはずだが」
「『再生の天使』と言われるシェニカ様に治療して頂きました」
私がそう言うと、国王はまた険しい顔になって首を傾げた。
その反応から、やはりシェニカ様がこの国の誰かに招かれた訳ではなかったらしい。本当の渡り鳥のように自由に飛び回っている天使を、私達は逃さなかったのだと幸運に感謝した。
「『再生の天使』って…。確かあの女は、入国してもギルキアとの関所に繋がる街道沿いの街にしか立ち寄らず、すぐに出国したはずだが。
まぁ、ここまで来たということは、トライト達も協力したのだな。そして……。あの3人も倒したのだな」
「ええ。あの護衛や王宮にいた特別部隊の兵士は全て捕らえました。関所に行っている者達も全員捕らえます」
「そうか。では私の番だな。ネニアはどうするのか?」
「王妃は処刑させて頂きます」
「私が言えたことではないが、全ての責任は私にある。ネニアはサザベルに帰すか、細々とした生活でいいから生かしてやってくれないか」
国王の言葉に私は首を横に振った。
「王妃のやってきたことは、この国をサザベルの食い物にするスパイと同じです。
それに、仲間をあの様な目に合わせたのです。軍人として私情を挟むのはよろしくないことですが、この手で殺してやりたいくらいです」
もう2年近く経った今でも、あの時の光景と憎しみと殺意は脳裏に焼き付いている。あの時のことを思い出せば、あの3人と王妃の首をこの手で斬り落としてやりたいと激しい殺意が湧き上がってくる。
「そうか。それは私にも思っていることだろうな」
「なぜあの時殺す様に言わなかったのですか?」
私が聞きたかった問を投げかけると、国王は寂しそうに目を閉じて天を仰いだ。
「あの時、今までのことが走馬灯の様に浮かんだ。お前と鍛錬場で駆け回った時も、宝物庫に忍び込んだのが見つかって怒られた時も。今もこうして目を閉じれば、すべてが懐かしく、たくさんの思い出が浮かんでくる。
どこから私は間違ったのだろう。サザベルという大国の王女から熱心に声をかけられ、厚遇されていると浮かれてしまったのがいけなかったのだろうか。いや、それよりも…。誰も付いてきてくれない自分に問題があったのだろうな」
「それは違います。我々はあの日までは陛下の味方だったのです。ですが、今までずっと身分に驕り、空虚なプライドに囚われて聞く耳を持たなかっただけです。少しでも我々の言葉に耳を傾けていたのなら、こんな事にはならなかったはずです」
私がそう言うと、国王は視線を私に戻して深く長いため息をついた。
「空虚なプライドか。確かにそれはあったな。エルシードが成長するごとに、貴族達から比べられている視線を感じるし、囁かれる声を聞くと歯痒かった。今まで学んだことは頭に入っていないと実感して、なんとかひねり出した政策は否定される。
否定される理由が分かっても、誰も俺の味方になってくれないと思えて腹が立った。俺のやることなすこと理詰めで批判されると面白くなかった。人の意見を受け入れられない俺は、王には向かなかったのだろうな。
エルシードに後は任せる。あいつをお前達が支えてやれ」
「はい」
自分が腰の剣を引き抜くと、国王は玉座から立ち上がって自分の前に歩いてきた。玉座の脇に置かれた剣を取ることも無く、覇気のないその表情からは抵抗する気がないのが分かった。
「そうだ。お前にこれを渡しておく」
国王は首から下げていた金色の丸い物体を外すと、私に渡してきた。
受け取った丸い物体を見ると、表と裏には色とりどりの小さな宝石が散りばめられ、細かな装飾が刻まれている。横には小さなネジ、頂点には細長いボタンのような物があって、それを押してみるとパカリと蓋が開いた。
蓋の下には見たことのない綺麗な宝石が散りばめられた文字盤と、精巧な装飾が施された美しい長針と短針がチクタクと時を刻む贅を尽くした懐中時計だった。
この世で時刻を知らせるのは大時計くらいだ。
時計の技術はとても難しいので、小型化した懐中時計はとても高価なものだった。
「これは…懐中時計?」
「今までお前の給料の2割で弁償した分と同等の価値がある。作らせたのは即位してすぐだったが、これが出来上がったのはつい先日だった。支払が遅くなって悪かった。許せ」
「大事にさせて頂きます」
私は懐中時計を首にかけて甲冑の内側へと大事に仕舞った。
その様子を今までにないくらい穏やかな表情で見届けた国王は、私から一歩下がって襟元を緩め、ネームタグを服の上に晒した。
「いつの日か。昔の様に楽しかった時間が欲しいな。お前とゆっくりと昔話でもしたい。生まれ変わったら、お前とは血の繋がった兄弟でも良いな。でもお前とは憎み合いたくないから王族は嫌だな」
「そうですね。どんな関係でも、私はもうトバッチリで怒られる役目は嫌ですよ」
「あははは!それは生まれ変わってもお前の役目だ。それに、俺が最後に見るのがお前で良かった」
サジェルネ殿下はそう言うと、昔の悪戯小僧だった頃を彷彿とさせる笑顔を浮かべていた。
「これが最後の頼みだ。この場で一思いにやってくれ」
「しばらく寂しい思いをさせますが、立ち直るこの国をどうか見守り下さい」
自分の剣が殿下の胸を刺し貫いた瞬間。サジェルネ殿下は苦悶に満ちた表情で私を見上げながら私の腕を掴み、私は倒れる殿下の身体を受け止めた。
「ジルヘイド…。すまなかった。これから先のことを、お前から聞きたい。だから。ゆっくり見届けてから来いよ」
「はい。その時まで1人にさせてしまいますが、待っていて下さい」
「大丈夫、だ。お前が困るような、イタズラを考えながら待つから、暇しないだろ…。楽しみに、しておけよ」
苦しそうに笑ったサジェルネ殿下の目が閉じる瞬間、小さな雫がその頬を幾筋か伝い、彼の瞼の上にポタポタと零れ落ちた雫がその筋をなぞるように伝って落ちた。
良くも悪くも思い出のある人をこの手で殺すのは、とても辛くて悲しくて堪らない。もうこんな思いはしたくない。
初めて会った時、数々のイタズラに悩まされた時、ハーギル様に何度も怒られた時、八つ当たりされた時。色んな思い出が湧き上がってくる。
首にかかっているネームタグが外せるその時まで、そんなたくさんの思い出と一緒にサジェルネ殿下を抱きしめた。
「殿下。国王の遺体は謁見の間に安置しておきました。これが証拠の品です」
殿下達の待つホールに戻ると、そこには拘束された王妃と3人の特別部隊の兵士がいた。大人しくしている兵士達とは対照的に、王妃は私が国王のネームタグを殿下に渡すのを見ると、悔しそうに顔を歪めて暴れだした。
「貴様!陛下を手にかけたのかっ!?そんなことが許されるはずもない!イェネフ!カーバス!ニジェール!」
王妃は大声を張り上げて3人を呼んだが、その叫びはホールに虚しく響いただけだった。
「貴女の護衛は捕らえました。もう貴女の身を守るものは何一つありません。
国王が亡くなりマードリアが失くなった今、貴女はただの亡国の元王妃。頼れるのはせいぜい御実家のサザベルくらいでしょうが、我々は貴女をこの場から逃がそうとは思っていません」
「何ですって!」
当然のことを元王妃に伝えると、彼女は怒りに満ちた目で私を睨みつけてきた。この期に及んでまだ何か自分に出来ると思っているのだろうか。
「貴女とあの3人は後ほど時間をかけて拷問した後、特別部隊の目の前で処刑させて頂きます。 猿ぐつわをして、地下の血壁の部屋に連れて行って下さい」
私自身が拷問してやりたい気持ちはあるが、私はこれからすぐに始めなければならない事が迫っている。私がこの憎い元王妃に復讐したい気持ちは、私以上に不自由な思いをしてきた仲間が綺麗に晴らしてくれるだろう。
猿ぐつわを噛ませられた元王妃と兵士達が私達が拷問を受けたあの部屋へと引きずられながら連行されると、彼女達と入れ替わるようにホールの扉を開けた仲間が私達の目の前まで息を切らせて走ってきた。
「ジルヘイド様。新設された地下牢から宰相様たちを発見し、保護いたしました」
「そうですか。どんな状況でしたか?」
「今の宰相らに内政及び外交の実力が足りないため、影で今までと同じ役割をさせられていたそうです。
ですから、状況としては牢に幽閉されていても手厚く扱われていたそうです」
マードリアの最後の宰相や大臣らは、エルシード殿下の兄王子達ではなく今まで宰相を務めたことのある家系の若い子息だった。
いくら重臣を務めたことのある家柄であっても、本人が同じだけの能力を持つとは限らない。それどころか、今まで国王や王妃に意見した者が行方不明だったり大罪人のレッテルを貼られたりしていることから、国王と王妃の言う政策に頷くだけの形骸化した重臣達だった。
当然ながら国の中枢が上手く機能していなかった。
「彼らはまず家族の元に帰し、外へ出ないように護衛をつけておいて下さい」
貴族の協力を取り付けている時、宰相様や大臣達の家族達は本人らの行方が掴めず、生死も分からない状況を嘆いていた。彼らが無事で居る姿を早く見せて、本人たちはもちろん家族らもすぐに安心させてあげたい。
それから王宮内を全て制圧した頃、関所に送っていた別部隊からの報告のフィラが飛んできた。手紙を開けば、無事に全ての特別部隊を捕縛し、王宮に連行しているという報告だった。
「これで全てが済んだ。ジルのおかげだよ」
別部隊の報告を殿下に伝えると、殿下はふぅとゆっくりと息を吐いて、複雑な表情をして私を見た。
「いいえ。エルシード殿下とついて来てくれた全ての者達のおかげです」
「謙遜しないでよ。ジルの人徳あってのものだって分かってるから。他の者ではこうもまとまらなかったはずだよ。兄上については国葬は出来ないけど、手厚く葬ろう」
「そうですね」
それからすぐにマードリア国王の死去とクーデターの成功によりマードリアが滅び、新しくポルペアという国が興った事が世界中に伝えられた。
もちろん国王はエルシード殿下で、全ての者達が殿下に忠誠を誓うと、王宮の地下に幽閉されていた宰相様や大臣らは再任されて私は再び筆頭将軍に任じられた。
まだ18歳という若さで国王になることは、国内外からいらぬ憶測を呼ぶことが多い。でも元々の家臣を引き継いだ上に、今までの殿下の功績と人柄を誰も忘れていなかったことで、国内については安定したものとなった。
ーーーーーーーーー
エルシード殿下の治世になっても、今までとやることは大して変わりがない。
朝から重臣達が集まって会議を行い、今後のことなどを話し合う。それが終われば食事休憩をして、午後からは陳情に来た貴族や大商人達との謁見を行う。
国内にあったサザベルの駐屯地は全て閉鎖し、特別部隊の者達は厳重な監視の元で鉱山での重労働にあたらせた。これで国内にはびこっていたサザベル兵は一掃したが、腑抜けたマードリア兵を鍛え直さなければならない。
あの3人の発言力はマードリア軍内でも大きかったらしく、トライトが士気低下を止めようと演習を計画すればそれを却下し、兵士達にまともな訓練や演習をさせなかった。もうサザベルとの軍事同盟はないから、自国を自分達で守るためにすぐに防衛力を高めなければ。
今までと大して変わらない毎日だったが、1つ変わったのは私が花を持って毎日王墓に足を運ぶ習慣が加わったことだ。
クーデターによる最期を遂げた王は民衆の反感を買っている場合が多く、王の遺体は打ち棄てられるため王墓に祀られないのが世界の共通認識だ。
ポルペアの首都の近くにある丘の周辺には、一つ一つに誰の墓なのかを刻んだ立派な十字架の石碑が建てられた歴代の王墓がある。
サジェルネ殿下もクーデターによる最期を遂げた王であるため、殿下の遺体は打ち棄てたと発表されているから、王墓が並ぶ中に出来た真新しい墓の小さな石碑には何も刻まれていない。
通常ならば、年に1度の王族によるささやかな慰霊祭の時に、石碑に歴史を紡いできた尊敬と感謝の祈り、そして花が捧げられるが、その小さな石碑だけは毎日私が花を捧げて慰霊することを陛下から許してもらった。
国が変わろうとも過去の王墓は後世の王族にきちんと祀られるが、私や陛下といった事情を知る者が居なくなれば、この墓がサジェルネ殿下の眠る場所だと後世に伝えられない。
周囲の石碑より見劣りする小さな石碑だし、そこには名前も刻まれていないため、後世の慰霊の時にはぞんざいな扱いを受けているかもしれない。
だからこそ、せめて私が生きている間は殿下が寂しくないようにきちんと祀ってあげたい。そうしないと、私が殿下のいる場所に行った時、頭を抱えるような悪戯をふっかけられそうだ。
あの世に逝ってまで、私は殿下のトバッチリで誰かに謝るのは勘弁してほしい。そう思いながら、丁寧に祈りを捧げれば殿下が笑っているような気がした。
以前と同じ筆頭将軍に与えられる私室で、軍服の中に潜ませている懐中時計を見ていると、隣の執務室と繋がる扉が静かに開いた。
振り返らなくても分かる気配だから、懐中時計をそっと軍服の中に戻して椅子から立ち上がり、彼女に背を向けたまま王宮が見える窓の前に移動した。
「ジル。全てが終わったな」
彼女はそう言うと、私の隣に立って同じように窓から王宮を眺めた。
王宮に攻め込んだ時、彼女達は国内に駐屯しているサザベル軍が余計な動きをしないかずっと監視してくれていた。ナディア達が色んな情報を集め、発見されないように危険を回避させてくれたからこそ、圧倒的に不利な状況でもここまで順調に進んだ。
彼女に視線を向ければ、嬉しそうに微笑んで私を見ていた。付き合いが長い分、私がクーデターをどういう気持ちで終わらせたかは察しがついているだろう。
『悲しい気持ちは自分の心の中だけにしておけ。やることは山積してるから振り返るな』と、その嬉しそうな笑顔の意味がちゃんと伝わってきた。
「クーデターは終わりましたが、これからは国を立て直さなければなりませんから、忙しくなります」
「そうだな。これからも私に仕事を回せよ」
ナディアは自信満々でそう言った。確かに彼女の暗部としての能力は高く、仲間達からの信頼も厚い。暗部にとって彼女は無くてはならない存在だろう。
「もうナディアは暗部を引退しませんか?」
「はぁ?なんで」
ナディアを抱き締めてそう言うと、彼女は私から一歩離れて不満そうに睨んできた。
「ナディア達の働きがなければ成功しませんでしたから、それはとても感謝すべきことですが、もう危険なことはさせたくありません」
「そう言われてもねぇ。なんで辞めないといけないのよ。心配かけたことなんてないでしょ?」
彼女が不満そうな様子を見て、苦笑しながら膝を折って跪いた。
「ナディア・オイフェル。これからは生涯を共にする夫婦として互いに支えあうために、私と結婚して下さいますか」
「急にかい」
一生に一度のプロポーズをしたというのに、彼女は喜びに頬を染めることなく口を尖らせて私を見下ろした。口調は相変わらず男性っぽいが、彼女は嫌がってはいないことに安心した。
「ジュアは優秀な暗部だと分かっていますが、やっぱり妻には危険な目に合わせたくないんです。ダメですか?」
「プロポーズは喜んで受けるが、仕事は辞めない。お前があまり心配しない仕事を割り振れば退役する必要はないだろ?」
「はぁ。分かりました。しばらくは後進の育成に当たって下さい」
「嫌だ。私はまだ現役でいたい」
「なら命令として出します」
「私情を挟むなんて横暴だ」
きっと彼女のことだから、そう言うだろうなとは思っていたが予想通りの反応が返ってきた。
彼女の仕事のことはおいおい考えるとして、ナディアがプロポーズを受けてくれたというのは嬉しいので、立ち上がって柔らかな頬に口づけを落とした。
その翌日。陛下に結婚の報告をすると。
「ジルが結婚?本当に?そんな良い人が居たの?!」
「ええ。実はずっと前から居たんです」
それからは少年のように目を輝かせた殿下が、私とナディアのことを根掘り葉掘りと聞いてきた。
最初は私と陛下しか居なかった部屋に、トライトやアドケニーといった将軍達が入ってくると、私の結婚はあっという間に広がった。
「結婚式は?」
「彼女は暗部ですから公の場に出るのを嫌がります。なので、結婚式は挙げずに書類の提出だけに留めます」
私と暗部のナディアのことは、当然誰にも知られていなかったし、結婚後も彼女は表立って出てくるつもりはないらしい。夫婦揃って公の場に出ることはないが、彼女が退役したら陛下や仲間達の前に2人で姿を現すかもしれない。
「そっか。まぁ、しょうがないことだね。じゃあ、その分、お祝いに1週間の休暇をあげるよ」
「ありがとうございます」
結婚式を挙げると新婚旅行に行くのが普通だが、ナディアは暗部だから結婚式を避けた。私は軍の要職についているので、有事の場合にはすぐに対応できるようにするために首都を離れるのは避けなければならない。
となると、結婚式も新婚旅行もない、本当にささやかな結婚となる。それでも私もナディアもそれで十分だった。
その日の夕方、民間人の格好をしたナディアと2人で神殿で結婚を報告する手続きを行って、神官長から婚姻の祝福を受けた。結婚の証の金の指輪を交換した後は、私とナディアは城下町の片隅にある墓地に行き、それぞれの両親の眠る墓前で結婚を報告した。
私の両親と妹弟は旅行先の国の洪水に巻き込まれて他界。ナディアの両親と兄弟は戦死している。
幼い頃から顔見知りだったそれぞれの家族は、この世に生命はなくても大事な家族であることに変わりはないから、きっと天国で暖かく見守ってくれているはずだ。
「結婚おめでとう!じゃ、今から1週間の休暇だね。遠慮なく休んでね。これ、後で奥方と2人で見ておいて」
1人で王宮に戻って無事に結婚の手続きが終わったことを報告すると、陛下はそう言って私に1通の手紙を渡した。すぐに見たい気持ちはあるが、言われたとおりにナディアと一緒に見ようと私室に戻った。
部屋に入ると、今しがた風呂を済ませたナディアがバスローブを身に纏って、短い髪を男らしく雑に拭いていた。
「先程、陛下から手紙を貰いました。2人で見て欲しいということです。」
「国王から?」
渡された手紙をナディアにも見えるように開くと、あまりの内容に目を見開いて固まった。
ーーーーーーーー
ジルを支えてくれる女性が、下級兵士時代からいたなんて初耳でみんな驚いたよ。意外と隅に置けない奴なんだって、感心してたよ。
新婚旅行に行かせてあげられないのは申し訳ないけど、1週間の休暇中にナディアさんと更にラブラブになってね。私の母上は随分昔に亡くなったし、亡き兄夫婦は残念な感じだったから、仲の良い夫婦というものを知らない私に良い手本を見せてね。
国のためにも子沢山がいいな。休暇が終わったら、夫婦のラブラブ話とか聞かせてね。
エルシード・オルフェウス=ポルペア
ーーーーーーーー
「あはははは!」
ナディアは絶句した私とは対照的に大きな声で笑い出した。
「国王は今までずっと禁欲生活だったんだ。この手の話だって興味がある年頃なんだから、しっかりお前が教えてやれよ」
ひとしきり笑った後、ナディアは頭を抱えた私の肩をバシバシと叩いてそう言った。
エルシード殿下は、父王の時代は王位継承権は持っていても臣下に降りることになっていたため、急いで決める必要もないからとサジェルネ殿下とは違い婚約の話は出なかった。サジェルネ殿下の治世になると、エルシード殿下は目の敵にされていたし、時間を置かずに幽閉された。
多感な時期に幽閉された陛下は当然女性への興味を持つ余裕もなく、農作業に勤しむという王族らしくない生活をしていた。
そしてその幽閉生活は陛下にとっては衝撃的だったのだろう。
国王になった今でもその生活が身に染みてしまっているらしく、父王やサジェルネ殿下が使っていた豪華で広い部屋では落ち着かず、幽閉部屋のような狭い場所を好むようになってしまっていた。
そのため、国王の部屋の中にある窓のない小さな物置部屋に、安宿から仕入れた簡素なベッドを入れてそこで眠っている。
そして休日になるとシャツとズボンという質素な服に着替えて、王宮の裏庭の日当たりの良い場所に陛下が作った小さな畑を耕し始めた。
誰もがそれを痛々しい目で見ていたが、陛下は『土いじりって結構楽しいんだよ?今度農業に詳しい人を呼んで話を聞きたいくらい!』と鍬を手際よく扱いながら楽しそうな笑顔を浮かべていた。
でもあの段々畑と違って土壌が良くないのか、種を蒔いても芽が出ないか、出ても成長せずに枯れてしまう。それを陛下は悲しそうに見ながらも、めげずに肥料を入れて耕して種を蒔き続けている。
国王になった今、婚約者を持たない陛下に結婚相手の世話をしようとする貴族はたくさんいる。
でも、『みんなクーデターの時の仲間だから、誰かを特別扱いにすることは出来ないよ』という理由で、陛下はどの貴族の縁談の話を断ってしまう。
貴族からしてみても、陛下にそう言われてしまうと次の言葉が出てこないから、周囲の者がヤキモキする状況が始まった。
それとなく聞いた今までの話から、陛下は女性嫌いではないらしいが、やはりサジェルネ殿下の失敗を見ているからこそ相手になる女性を慎重に選びたいらしい。
それはもっともなことなのだが、女性に近寄ろうとしない陛下を見ていると今後が心配になる。
1週間後。休暇を終えていつもの生活に戻ると、同僚や部下、宰相様や大臣、そして陛下がニコニコの満面の笑みで迎えてくれた。
「ジルって恋愛結婚なんでしょ?どんな感じが恋なのか教えてよ。やっぱりビビッとくるの?」
会議が終わると人払いをされ、私は陛下から質問攻めにあった。
自分の拙い恋愛の話を披露するなんてとても恥ずかしくてたまらないが、これも陛下の今後のためにとそれを押し殺して教えることになってしまった。
その話をすることになってしまったと愚痴をこぼすと、同僚や宰相様らからは『陛下のためにも継続して教えてやって欲しい』と懇願されてしまい、私は恋愛経験なんてナディアしかないのに陛下の恋愛授業の教師にされてしまった。
ある日、陛下の希望で昼食を一緒に食べていると、陛下は持っていたティーカップをテーブルの上に戻した。
「ジル。シェニカ様にお礼がしたいんだけど、カケラの交換はした?もし繋がりがあれば、建国のパーティーに御招待したいんだけど」
「いいえ。あの時は何も持っていませんでしたので、交換することは叶いませんでした。それにシェニカ様はどの国のパーティーにも参加したことはありませんから、招待しても断られる可能性はとても高いと思われます」
シェニカ様の力がなければ、こうしてクーデターを成功させることは出来なかった。
多大な恩を頂いたシェニカ様とカケラを交換して、少しでも彼女のための力になりたいと思う。でも、私達のような立場の者とは距離を置く方だから、カケラの交換は難しいかもしれない。
「そっか。でも、あの時は大罪人扱いだったみんなを無料で治療してくれたから、是非ともお礼がしたいんだ。パーティーに間に合わなくてもいいからシェニカ様をお招きしたいけど、何かツテはないかな…」
「あの方は公的な者との関係を築くことには大変慎重な方ですから、ツテを作るのも探すのも、どの国も苦戦しています。機会があればカケラを交換し、彼女の身に何かあった時に力になれればと思います」
シェニカ様と繋がりを作った者がいない上に、神殿も行動を把握していない。ナディア達に居場所を探してもらうことは出来るだろうが、居場所を突き止めたからと言って国の要職についている者は簡単に越境出来ないし、暗部の者に手紙を託しても、得体の知れない者から貰った手紙は当然警戒される。
シェニカ様ともう一度再会出来ないかと、私と陛下は同時に溜息をはいた。
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