天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第14.5章 国が滅亡する時

6.生き地獄

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「ほら降りろ」


山を上り、牢の手前で荷馬車が止まると、ウグイス色の軍服を着た兵士が荷馬車を覗き込み、1番手前にいた私を外に引きずり下ろした。
硬い岩の地面に身体を打ち付けて痛みを感じるが、顔に出さないようにして周囲を見渡した。


私の視線の先にいたのは、あの3人の差し金で先に送られていたらしい十数人の特別部隊の者達と、マードリア兵が5人だ。ここにはマードリア兵を数十人を配置していたはずなのに、今は僅か5人しか姿が見えないということは別の場所に異動させられたのだろう。


崖のような切り立った灰色の岩肌が、麓から山頂まで延々と続く山の中腹に作ったこの牢は、金脈を求めて切り開いた廃鉱跡を再利用したものだ。
ポッカリと口を開けた牢の入り口は、まるで絶望の暗闇のように見えた。





数台の荷馬車から地面に捨てるように動けない仲間達を次々に下ろすと、特別部隊の兵士の中から数人前に出てきて、困惑した表情を浮かべるマードリア兵を奥に下がらせた。

その数人は階級章こそ付けていないが、ここにいる特別部隊の中でも上位に位置するのだろう。目を潰された仲間達には見えないが、私達を嘲笑を浮かべて見下ろしている姿を彼らの分まで目に焼き付けた。







「大罪人の皆さん。貴方方の終焉の地にようこそ。これからは我々が死にゆく姿を見届けさせて貰います。ここに居た囚人は貴方方のために全て別の地の牢に移動させましたので、安心して我々に情けない姿を晒して下さい。牢へ連れて行け」



嘲笑を浮かべた兵士達は両足を動かせない私の両腕を掴んで立ち上がらせると、力の入らない足を引きずらせながら独居房に放り込んだ。

薄暗い部屋を見回してみると、ゴツゴツした岩肌の壁に刺さったボロボロの木からはチョロチョロと水が流れている。その水を受ける風呂を代わりの広く浅い桶、年季の入った木製のベッド、仕切りのないトイレの他には何もない。
入り口は鉄格子の嵌った小さな様子見の窓がある重厚な鉄の扉だけで、あとはガラスも戸も嵌っていない手も入らないような小さな穴の窓があるが、そこからはただ小さな空と雲だけしか見えない。



もともとクフェルノ山脈にあるこの牢は、大罪人を収監してただ死ぬのを待つだけの場所だから、食事も手のひらサイズのパンと具のないスープだけが支給されていた。自分達に同じような食事を出されるのか心配だったが、いざ牢での生活が始まると昼の1度だけは同じ食事がきちんと出された。







牢に入れられても、足が動かない私は今にも崩れ落ちそうなベッドの上にいるか、冷たくゴツゴツした岩肌の地面を芋虫のように這いつくばって移動するしかなかった。ただでさえ何もやることがない上に、不自由な身体では余計に歯痒さだけが募っていく。




「あははは!『黒豹将軍』と言われた奴が、無様に這いつくばっている姿は滑稽だなぁ!これは是非とも見に来てくださいとカーバス様にご報告しなければ」



監視の兵士達が、私が腕の力だけで這いつくばって動き回る姿を見ては、高らかと笑い声をあげる。


ーー笑いたければ笑えばいい。足が使えないならば腕の力が落ちないように、こうして動き回らねば。痩せ細るだけの足を見ていたくはない。






指をさされて笑われようと、仲間達と誓い合ったクーデターに向けて今出来ることを考え、小さな積み重ねを必死に続けた。


そんな生活を送り始めて1週間後。





「ジルヘイド様」


普段姿を見ることのないマードリア兵が、鉄格子越しにそっと話しかけてきた。
ここに居るマードリア兵は下級兵士で、自分の直属の部隊ではないため顔も名前も知らない。でも小さな様子見の窓からは、心配そうに見る顔があった。


扉の所まで地面を這って、ゴツゴツとした岩肌を頼りに腕の力だけで立ち上がると、鉄格子の隙間から小さな飴玉を渡してきた。




「ここにいるマードリア兵は、ジルヘイド様達が謀反を起こしたなど誰1人思っておりません。ですが、ここはサザベルの者達の監視がありますので、我々が近付くことも表立って手を貸すことも出来ません。今の私達に出来ることと言えば、こうして気休めになればと飴を渡すくらいしか…。本当に申し訳ありません」





「貴方達は何もしなくて良いんですよ。久しぶりの甘味。ありがとうございます」


貰った飴を口に入れると、イチゴの甘酸っぱい味がとても美味しい。久しぶりの甘い味は元気を与えてくれた。





「今まで下級兵士である私達に良くして頂いてきた恩があるのに、力がなくて申し訳ありません」



「気にすることはありません。ただ。私の食事は無くして構いませんから、ここに送られてきた者達に少しでも多くの食事を与えてやって下さい」



「皆さん同じことをおっしゃっていますが、その心配はありません。食事については我々の分も含め、全員の分を平等に分けています。ご安心ください」



下級兵士が立ち去った後、ベッドに戻って仲間達のことを思い浮かべた。
きっと彼らも今この時間には、不自由な身体に歯痒さを感じながらも前向きに頑張っているはずだ。

もしこの牢を抜け出す事が出来たら、負傷している仲間達を抱えてどう動けるのかを必死に考えた。






ある日の夜更け。外の世界では強い風が吹いているらしく、小さな窓からゴーゴーという風の轟音が聞こえて目が覚めた。
部屋に入ってくる風に雨の匂いがするから、そう時間を置かずに雨が降り始めるだろう。この強風ならば嵐がきそうだ。






「ジル」



雨と風が轟音を立て始めた頃、小さな窓替わりの穴から誰かの声がした。

轟音に消えそうな低く小さな声だが、穴の先に微かに気配を感じる。この気配の主には覚えがある。
でもこの部屋の外は崖で人が入り込めるような場所はないはず。いくら身軽とはいえ、危険を冒してこんな場所まで来てくれたのだろうか。


暗い中を這って移動して窓の前に立ち上がると、小さな窓の向こう側にナディアがいた。







「ジル。無事?」



「足は使い物にはならないですが、他はなんとか。貴女は大丈夫ですか?そこは足場なんてないでしょう?」



ナディアは普通の声量で話しかけてきた。多少の声量があっても雨風の音で扉の向こう側の監視には聞こえないだろうが、私は小声で返事をしておいた。






「足場がなければ作ればいいだけだ。こういう任務はザラにやっているから全然余裕だ。私だけでなく、他の暗部達も無事だ」




「そうですか…」



「お前達がここに送られてから、王宮内では大激変が起きた」



「大激変とは?」



「お前達が牢に送られたことを知った宰相や大臣らは当然国王に意見した。だが、反逆とは言われなかったものの、宰相らは解任のうえ地方の閑職に左遷を命じられた。左遷されればその地方に送られたはずなのだが、その場所にもいないし、そもそも首都から外に出た様子がない。だからもしかしたら処刑されたのかもしれない。

それと、第5王子だが。お前達が居なくなって、護衛の副官や暗部はそのまま護衛をさせたが、トライトとの接触を禁じて孤立させた。
暗殺のやり方も毒ではなく直接的なものになってきたから、トライトの勧めで王子は国王に忠誠を誓う代わりに身の安全を保証させた。
王子は身分は王族のままだが王位継承権を剥奪され、トラドーニ卿の領地にあるアグネアトに幽閉処分にされた」



「そうですか…。身の安全が保証されるなら妥当な判断ですね」


エルシード殿下の身分を平民にすると、堂々と特別部隊の監視下で幽閉出来ない。人気のある殿下を民衆に接触させたくないからこそ、身分を王族のままにしておいたのだろう。






「私を始めとした暗部は契約した主のために動く。何かして欲しいことがあれば命令しろ」




「貴女達まで巻き込むわけには…」



彼女の申し出は嬉しいが、既に将軍職にない私には暗部を抱えることも命令する権限はないし、大罪人とされている私達に手を貸せば彼女達も無事ではいられない。

もう仲間が傷付くのを見たくないし、恋人を巻き込んで生命の危険に晒したくない。






「暗部との契約をした時、私は国王でもなくジルと契約した。国のためじゃない。私に限らず、我々暗部は契約した者にのみ追従する。だから、遠慮なく使え」




「…そうですか。では、エルシード殿下の護衛を」




「それはもうやってる。直接的な護衛は出来ないが、トライトの抱える暗部が護衛をしているし、たまに我々も様子を見に行っているから大丈夫だ。ちゃんと連絡も取り合ってるから安心しろ。
それに国王の元にいる暗部はこちら側の人間だから、敵対することもない」




「では、国王や王妃、あの護衛達の動向など、クーデターを起こすために有益な情報を収集してください」




「分かった。ジル、決して諦めるなよ」



「もちろんです。貴女も無理しないで下さい。もう、大事な人を傷つくのを見たくない」



「我々を信じていろ。影で動くのには誰にも負けないし、コソコソ動くだけが暗部ではない。暗部の底力を見せてやる」












それからしばらく経った静かな夜。
ベッドで眠っていると、ギギギと錆びた音を鳴らしながら重い鉄の扉が開かれた。目を開けて扉の方を見れば、部屋に入ってきた暗部服に身を包んだナディアが微笑みながらベッドに向かってきていた。





「監視の兵士は?」



「勝手に気持ちよく寝てる。ここにいる奴らは、お前達が使い物にならん身体だからとすっかり油断してる。出された食事は疑うこと無く食べるから楽だな」




「まぁ、事実そうですからね」




「ジル、足を見せてみろ」



「?」


ベッドに腰掛けるように促されると、ナディアは私の前に跪いた。彼女は擦り切れたズボンの上から手をかざし、治療魔法をかけ始めた。淡い光が暗い牢の中に煌めいて綺麗なのだが、肝心の自分の足には何の変化もない。

何度も治療魔法をかけなおしてくれたが、何の変化も起こらないことにナディアはガックリと肩を落とした。





「やっぱり私ではどうにもならないか。白魔道士の監視はかなり厳しくて、ここに連れてくることは不可能だった。お前の怪我だけなら白魔道士でもイケると踏んで、神殿に行って白魔法を学び直したんだが…。私には中級の治療魔法しか使えなかった。もっと白魔法の適性があれば良かったのに」



ナディアの言葉が詰まって、肩が震え始めた。

例えこの牢にいる者達の怪我を癒せなくても、彼女が中級の白魔法が使えるだけでも有り難いことなのだ。実際、暗部内で彼女の治療のおかげで助かった者も多いと聞いたことがある。







「ナディア、無理しなくて良いですよ。その気持ちだけで十分です」



「お前が傷付いているのを見ることしか出来なくて。すまん」



目の前に跪いたままのナディアの頭を撫でると、彼女は嗚咽を漏らしながら大粒の涙を流した。






「貴女が泣くなんて、明日は大嵐でも来そうですね」



「お前馬鹿だろ!こういう時は優しく抱きしめるとかしろよ!」



彼女の嗚咽が落ち着くまで頭を撫でていると、目を赤くした顔を上げて大きな声を張り上げた。





「でも、こんな状況ですし」


「キスくらい出来るだろ」


ナディアは怒りながらそう言って私の隣に腰掛けたので、彼女を宥めようと片腕で抱き寄せてキスをした。
すぐに身体を離そうとしたものの、彼女が抱きついて離れなくなってしまったので、彼女が満足してくれるまでそのままでいた。





「出来るじゃん」



「足以外なら普通ですからね」



「早く治してやれるようにするから、待ってろよ」


ナディアはそう言って少し笑うと、牢から出て行った。
クーデターへの志はあるとは言え、夢も希望もないこの暗い場所では、彼女の存在は自分にとっては守り抜きたい大事な光のような存在だった。









随分と牢での生活も慣れた頃。
これまで何度か会いに来てくれたナディアが、嬉しそうな笑顔を浮かべて飛ぶ勢いで牢の中に入ってきて、ベッドの上に居た私に抱きついてきた。




「ジル。もうすぐお前達をここから出せるかもしれない」


彼女は私の両頬を手で包み込んで視線を合わせ、そんな朗報を伝えてくれた。





「本当ですか?!」




「あぁ。2、3ヶ月後にサザベルから駐屯地に向かう兵士がこの山脈の麓の街道を通る予定だ。その時ここの奴らが挨拶に行く可能性が高い」




「そうですか…。でも脱獄したらすぐにバレますね」



挨拶に行くとはいえ、長時間ここを離れる訳ではない。
身体の自由が奪われた私達が脱獄するには、手助けの者と動けない者を運ぶ移動手段、まとまった時間が必要になる。それなりの人数になるし、人目を忍ばねばならないから簡単に脱獄できない。





「大丈夫だ。ここに戻ってきた兵士には、私を始めとした白魔法の適性がそこそこある奴らで強制催眠をかけておく。次の異動で来る特別部隊の奴らが術を解除するだろうが、うまくいけば脱獄してから2ヶ月くらいの時間は稼げる。
それくらいあれば、国外には出れんが身を隠せる安全な場所も見つかるだろう」




「上手く行くことを願いますよ」










ナディアの情報から2ヶ月が過ぎた頃。監視に当たっていた兵士がどこかに行ったのか、静かな時間が訪れた。



「ジルヘイド様!お迎えに参りました!」


「さぁ、ここから抜け出しましょう」


監視の兵士の隙を見てそっと話しかけてきてくれた下級兵士達が、大声を上げながら牢を開けて駆け寄って来た。
確か5人しかいなかったはずなのに、開け放たれた扉の向こう側には十数人の人影が見える。






「監視の兵士達は?」


木を削って作ってくれた松葉杖を受け取り、久しぶりの牢の外に出た。
自分が入っていた牢のすぐ側には、監視の兵士が使っている机と椅子、頑丈そうなベッドが置いてあったが、その机の上には酒瓶が転がっていた。

この牢にはまともな身体の者が居ないからと油断して、酒を飲んでいたらしい。確かに油断を招く状況ではあるが、勤務時間に酒を飲むなんて考えられない。
いくら将来有望な兵士といえど、こんな風な行動を行うとは。大国は何を教育しているのだろう。







「サザベルから来た兵士達に挨拶するため麓に下りています。おそらく30分くらいで戻ってくると思いますが、待機している者達が時間を稼ぎますのでご安心下さい」



「トライト様の計らいで、牢の外には同行を願ったご家族の方や中級兵士もいます。我々も同行いたしますので、皆様の手足として御命令下さい」




「だが貴方達も手助けをしたとして大罪人の仲間入りになりますが…」


下級兵士達は嬉しそうにそう言ってくれたが、自分達に手を貸せば彼らも無事ではいられない。ここに留まれば、懲罰は受けるかもしれないが大罪人の仲間入りをすることはないはずだ。








「構いません。我々が出来ることは微力ですが、殿下やジルヘイド様達のためにじっとしていられないのです。どうかついて行かせてください」



1人が私に向かって真剣な眼差しでそう言うと、他の者達も同意見だと頷いた。






「そうですか…。では、頼みます」



牢に来てくれた十数人の中級兵士と仲間の家族達は、軍服ではなく商人のような旅装束を着ていた。彼らに介抱されて、商隊に扮した何台もの荷馬車に乗って牢から出た。
まともな身体をした者は殆どいなかったが、毒を受けた者以外は身体の不自由な者も、戦闘経験の殆どない奥方達も剣を持った。



久しぶりに顔を見た仲間達は、失明し、喉を焼かれていても、牢の中で使える筋肉が落ちないようにしていたらしく、魔法は使えなくてもかろうじて剣は使えた。
私は手と喉が無事であっても、これから先は身を隠す生活が待っている。そんな生活では規模の大きな魔法は使えず、戦闘になれば足手纏いにしかならない。

それでも部下達は嫌な顔1つせず、文句も我儘も口にすることなく、支え合いながらついて来てくれると言ってくれた。


まず脱獄して最初にしたのは、牢から離れた場所にある街に立ち寄って、荷馬車や馬、監視の兵士が使っていた剣などの物を金に変え、テントや寝袋など最低限の物を買い揃えた。
毒で動けない者は中級兵士がおぶって移動し、水や食料は森の中を移動しながら現地で調達することになった。



元々野営の経験はあるから狩りをするのも水を沸かすのも問題はなかったのだが、やはり傷付き弱ってしまった身体に悩まされた。


衰えてしまった身体を元に戻したいと思っても、負ってしまった大怪我のせいで満足に動かせない。

白魔道士はここにはいないし、仮に居たとしても自分以外の者達は完全な治療は無理で、自分だけが元の身体に戻れてもクーデターは1人ではなし得ない。『白い渡り鳥』様の手が必要な状況には変わりがなかった。






森の中に身を潜め、移動を繰り返す生活を始めて1ヶ月が経とうとしたある日。
街に買い出しに行っていた仲間の家族達が慌てて戻ってきた。






「大変です!私達の脱獄が発覚していて、国中に手配されています!」


みんなの集まる場でそう報告を聞いた時、誰もが黙りこくって重苦しい空気が流れた。
いつかは発覚すること分かっていたとは言え、今後の行動を大きく制限される事実に不安を覚えた者が多いだろう。




「そうですか。ではこれからは今まで以上に慎重に行動していきましょう。手配書は街中に貼ってありましたか?」




「いいえ。手配書は兵士の詰所などの軍の施設と神殿のみでした」





「国外に出て『白い渡り鳥』様の治療を受けないように国境線辺りの警戒を特に厳重にしておけば、国内に居る限りこの身体ではクーデターの可能性は低いと判断したのでしょうね。
神殿に手配書を置いたのは、恐らく治療を受けられるか訪ねてきた者を確認するため。そして立ち寄った『白い渡り鳥』様に、私達を治療しないように伝えるためでしょう」



脱獄した私達によるクーデターの可能性はあるものの、肝心なのは怪我の治療だ。
私達に必要な『白い渡り鳥』様を招くのも、もてなすのも、行き先も王宮と神殿が全て把握しているから、『白い渡り鳥』様に会わせないようにすれば良い。

懸賞金をかけて民衆の目からも監視させる方法が取られなかったのは、クーデターに賛同して協力者を増やさないためだ。
国王も王妃も王宮への求心力が落ちていることは知っているが、将来的にこの国をサザベルに組み込むには、現在の国王への不満が募っていた方が次の王に譲位しやすくなって好都合だ。



王妃やあの3人がそう判断したからこそ、大々的に手配をかけなかったのだろう。






「国王はまるで見えない紐で首を絞めるようなことをするものだ」


脱獄を手伝ってくれた中級兵士がポツリと漏らした言葉は、誰もが口には出さずとも思っていたことだ。
言葉にすれば厳しい現実を喉元に突きつけられたような感覚になり、不安や絶望といった悪い空気がその場に漂い始めた。




「通常ならクーデターを起こすには軍を味方につけなければなりませんが、その軍のトップだった者達がこのザマです。
今いる軍の上層部は、トライトとその副官だった5人の将軍以外は殆ど使い物にならず、王妃のあの護衛達や特別部隊の兵士達にまともに対抗出来ませんからね。

クーデターを起こしたくても起こさせないという、無力感を味合わせながら死ぬのを待っているような状況には歯痒さしか感じません。
ほとんどの街にはサザベル兵が陣取っていますので、しばらくは街への買い出しも控えた方が良いですね。


ですがどんなに苦境が続こうとも、必ずどこかで小さな幸運が巡ってくるはずです。それを逃さぬように、毎日気をつけてやれることをやっていきましょう」




「「「はい!」」」


自分がそう言うと、少しだけ場を占めていた暗い空気が変わったような気がした。
1番先頭に立たなければならない自分が不甲斐ないのに、それでも慕ってくれている者達のために何とか現状を打開出来るような手を考えなければ。








その晩、ナディアが私のテントに報告にやってきた。魔力の光がない真っ暗なテントだが、彼女は的確に寝袋に入って横になっていた私の側に座った。
身体を起こす私を手伝ってくれた彼女の顔は、朧気なシルエットしか見えないからどんな表情をしているのか分からない。



「ジル、予想よりも早く発覚してしまった」



「何が起きたのですか?」




「王妃の護衛の1人、ニジェールが様子を見にきた。お前達がいない事に気づいた奴は、その場で監視をしていた奴らを強制催眠を解除させることなく皆殺しにした。流石サザベル。激情型だな」



「そうでしたか…」



「だが安心していい。地の利のあるこちらの方が身を隠すのは上手い。お前達の居所はバレてない。
行き先は事前に言ってくれれば、周囲にいる暗部の者が先行して適した場所か調べて来る。それで、これからどうする?」



「やはり治療してもらわねば話になりませんから、『白い渡り鳥』様が来た時に接触出来るような場所で、身を隠せる所を探しましょう。
早く治療しないと、毒を受けた者の体力が保ちません」



「気休めにしかならんかもしれんがと、トライトから毒の影響を和らげる薬を預かった。白魔道士から薬のレシピを貰ったから、私でも作れる。無くなったら言ってくれ」



「ありがとうございます。仕事とはいえ、ナディア達には感謝しきれませんね」



「全部終わった時に礼を言ってくれ。じゃあ私はまた仕事に戻る。しっかりみんなを導いてくれ」



ナディアから渡された薬を翌朝すぐに毒に苦しむ仲間達に飲ませると、吐血する量が僅かに減り、荒い呼吸が少しだけ落ち着いた。僅かな食事と水しか口に出来ない毒に苦しむ仲間達や、不自由な身体にさせてしまった仲間達を見ると、巻き込んでしまった自分の罪悪感がどんどん膨らんでくる。


彼らへの罪滅ぼしをするためにも、早く何とか治療の機会を得なければ。





それからしばらくして。テントが吹き飛ばされそうな強風と大雨に見舞われた翌日。前日の嵐なんて無かったような快晴で穏やかな天気に誘われて、誰もがぬかるむ地面など気にせずにテントの外に出て背伸びをした。





「この国に『白い渡り鳥』様は来ているのだろうか」


仲間達と空を飛ぶ黒や茶色の鳥を眺めていれば、思わずそんな言葉が落ちた。
すると、自分の近くにいた中級兵士の1人がシワシワになった神殿新聞を差し出してくれた。この兵士は変装が得意なので、街に買い出しを頼んでいる。




「新聞を見る限り、サザベル、トラント、ギルキア、イェミナなどの周辺国には訪れがあるようですが、やはりこの国への訪問は全く無いですね。特にトラントは頻繁に訪れがあるから、こちらに来てくださる方はいないのでしょうか」


当時王太子だった国王がシェニカ様に狼藉を行って以降、この国には『白い渡り鳥』様の訪問がない。
それは先王のころからの悩みのタネだったが、なぜこうまでこの国には訪れがないのだろうか。





「トラントからはサザベルかウィニストラに行くことが多く、こちらには…」



ガックリと肩を落とした兵士に新聞を返すと、失明した仲間が口を開いた。





「こういう時。改めて『白い渡り鳥』様の重要さを痛感します。色々と節操がなく驕り高ぶった方が多いですが、一時だけでも我慢してご機嫌を取れば完璧な治療をしてもらえるのですから…」





「そうだな。以前カケラを交換させて頂いた方にうちうちにでも手紙を送りたくても、カケラはここにはないし。それに、その方々の護衛は元軍人だから難しいだろうな」


私がそう言うと、その場にいた者達が一様に暗い顔をした。




「そうですね。元軍人の護衛では、我々の居場所を密告される可能性が…」



「元軍人を護衛にしていない方は、確か『再生の天使』様と『孤高の狐』様のお2人かと」


シェニカ様は私達が脱獄して転々と移動している間に、世界中で『再生の天使』と呼ばれるほど有名になっていた。

『孤高の狐』と呼ばれるランクSのジェネルド様は、自分が軍に入った時から一度も訪れていない人だ。洗礼の後の挨拶回りの時に訪れてくれたはずだが、当時は繋ぎの結晶という便利な物がなかったため、カケラの交換はしていない。


元軍人を護衛にしていないこの2人に是非ともこの国を訪れて頂き、秘密裏に接触することが出来れば密告されることなく治療してもらえるかもしれない。


でも…。




「シェニカ様は以前国王が狼藉を働いたことがありますから、もう2度と立ち寄っては下さらないでしょう。
となれば、ジェネルド様に望みをかけるしかないのですが、あの方も引く手数多ですから、ここに訪れて下さるかは分かりませんね」



嵐の後の爽やかな空気と景色には不釣り合いな重い空気が、また場を支配してしまった。










それから季節が1つ進んだ。

澄み渡った青空から茜色になり始めた頃、集落の外れにある木の下に座って枯れ枝を紐でまとめる作業をしていると、自分のもたれ掛かった木の上にある枝にナディアが座った。



「この前野営した場所をサザベルの兵士が発見した。この情報はもちろん首都の奴らにも伝わっている」


上から振ってきたその報告に、思わず紐を結んでいた手が止まった。





「この前ということは、街道脇の森の奥…ですか?」



「そう。ここまで距離があるからすぐにバレることはないが、移動の間隔を短くした方が良いな」



「移動は大変ですが仕方ありませんね」


その時、近くの木の枝にこの辺では見かけない白い鳥と茶色の鳥が留まった。


空には国境も関所もない。空を飛ぶのはどんなに気持ちが良いことだろうか。不自由な身体だからか、脱獄してからというもの鳥を見るとそんな風に思うようになった。







「ポポとは珍しいな。雄は茶色で雌が白だ。つがいなんて縁起がいいな」



「ポポ?」


ナディアの言葉を聞いて注意深く鳥を見てみると、雄が隣の雌の白い頭をせっせと嘴を動かして毛繕いをしている。
でも雌はその毛繕いがうざったいのか、時折白い翼をバタバタとはためかせて距離を取ろうとしている。


でも雄はめげずに、一生懸命毛繕いをしようと嘴を白い羽根に押し付けている。どうやら雄が雌のご機嫌を取っているようだ。





「ポポは南国に生息する渡り鳥の一種で、雨の降る場所を求めて移動している。この辺じゃ見ることはない上に、やたらと仲睦まじい番となると、何か良いことが起きそうだな」


雄のご機嫌取りに絆されたのか、雌が雄の茶色の頭を毛繕いし始めた。すると雄はポポポ、ポポポと短く鳴き始めた。





「そうですね。この渡り鳥の様に、我々の元にも『白い渡り鳥』様の訪問があるといいですね」


『白い渡り鳥』様が近くの街を訪れたり、街道を通ったとしても、我々は表舞台には出れない身の上。
近くに行くことが出来ても、神殿に立ち寄った時に手配書を渡されて、接触を図ろうとしてくる可能性の高い我々の事を聞かされるはずだ。

そうなれば元軍人の護衛に阻まれるし、『白い渡り鳥』様に話を聞いてもらっても大罪人だからと診療拒否される可能性が高い。そして私達の居場所を掴んだ護衛は、密告する可能性もある。




現実的にはとても難しいことなど、誰も口に出さなくても当然の事実だった。

国王が我々を殺さなかったのは、こういう歯痒く何も出来ない無力感を味あわせ、どうにもならない現状を嘆きながら居場所と仲間達を失って行く苦しみを与えるためだろうか。




脱獄した今でも生き地獄だ。




でも、自分を信じてついて来てくれた者達や衰弱していく仲間を見捨てることなど出来ないし考えられない。
僅かな出来ることを積み重ねて、ただただ耐えることしか出来なかった。



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