天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第14.5章 国が滅亡する時

4.天使の訪れ

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王宮で行われた会議の席に、珍しくサジェルネ殿下が顔を出した。


22歳になった殿下は悪戯小僧だった頃の面影はなくなり、サラリと風に靡く緑の髪は背中で緩く結ぶほど長くなった。
背はあまり伸びなかったらしく、後ろに控える護衛より頭一つ分低い位置にあるが、自信に満ちた若々しい青年に成長した。




よく足を運ぶエルシード殿下のいる王宮の西の塔とサジェルネ殿下のいる東の塔は離れているし、外遊に忙しいサジェルネ殿下は王宮に殆どいない。だから、こうして顔を合わせるのは随分と久しぶりだった。






「ジルヘイド。久しぶりだな」


「お久しぶりです。王太子として立派になられたようですね」


会議が終わると殿下は護衛の兵士を下がらせて、思い出の鍛錬場が見下ろせるテラスへ行くように促した。
あの鍛錬場では、今、上級兵士になりたての者が上官から厳しい稽古を受けている。


肩で息をする兵士達を見ると、殿下の悪戯で重斧を担いで走らされたあの日が思い浮かび、とても懐かしく感じる。





「お前は筆頭将軍になったのだな。お前が俺の代わりにハーギルに怒られていたのが懐かしいな」



「ええ、本当です。ハーギル様は本当に怖かったんですから…。同じ立場になっても、私はあんな風には怒れません」


ハーギル様の怒りの雷は思い出すだけで血の気が引く。あんな風に怒ることは、同じ立場になった私には出来そうにない。






「あははは!お前が怒っているところなんて見たことがないからな。お前、相変わらず女っ気がないらしいな。俺が紹介してやろうか?」




「私は興味がありませんから…」


民衆の手本となるべき王族は、結婚して第一子が生まれた後なら側室や愛人を持つことが認められている。

結婚の有無に関係なく複数の恋人や愛人を持つことが公然と認められている『白い渡り鳥』様ならともかく、王族が婚前に婚約者以外の相手を持つことは恥ずべきことと認識されているのに、殿下は王太子になった頃から婚約者がいようと名ばかりではない、真実の愛人を公然と持つようになった。


その愛人の顔触れは、国内の貴族の未亡人、高級娼婦、果ては城下町に住む民間人と際限が無かった。それどころか国内に留まらず、外遊先の他国の貴族の未亡人や大商人の娘にも手を出そうとしていたが、流石に側付きの者達が止めに入った。

そのせいで婚約者だったシナトリア嬢は殿下の不誠実な態度に心を痛め、婚約破棄に至ってしまった。
陛下が次の婚約者を選ぼうとしても、殿下は婚約破棄で目が覚めるどころかその後も愛人を抱えているため、どの貴族達も婚約者になることを断っている。



愛人の数が2桁になったとか、外遊先で他国の王族と喧嘩寸前になったとか、このところサジェルネ殿下の良い話を聞かない。


中庭を見下ろしながら他愛のない世間話をした後、殿下はさっきまで浮かべていた笑みを消して私を見てきた。







「なぁ、お前はエルシードをどう思う?」



「そうですね。勉強熱心な方だと思います」



「それだけか?お前も次の国王には俺ではなく、エルシードが適任と思わないか?」



私を見上げる殿下は、まるで睨みつけるような鋭い視線を向けてきた。







「私は軍人です。王位の継承には興味はありません」



16歳になったエルシード殿下は、国内に限ってのことだが社交の場に出る様になり、多くの貴族や商人達が近寄ってきていた。
サジェルネ殿下を除く兄王子達が良く王宮に会いに来ては、勉強を教えたりと面倒を見てくれているので、殿下は近付いてくる者達を上手くあしらっている様子に安心した。



殿下は将来サジェルネ殿下を支えるためにと、兄王子達や陛下に助言を受けて、王妃様が生前行っていたような孤児院や貧民街の慰問に行ったり、国内の街に視察に行ったりという仕事を始めた。

未成年であるから他国への外遊こそ出来ないが、身分を振りかざすことも鼻にかけるような振る舞いもせず、不慣れながらも一生懸命な殿下の姿勢に民衆や貴族達の評価はうなぎ登りになっていた。





幼い頃からわんぱくで、じっとしている勉強が苦手。よく家庭教師から逃げ出してはイタズラばかりだったサジェルネ殿下は、成人前までは会った者達に活発な王子だとそれなりに好印象を与えていた。

今は昔よりも多少落ち着いたとはいえ、身分を振りかざすような横柄な態度がなかなか抜けず、人の話を聞き流しては自分の意見を押し通すところがあるサジェルネ殿下は、水面下でエルシード殿下と良く比べられるようになっていた。





『次の国王はサジェルネ殿下ではなく、エルシード殿下が相応しい』

『我々はサジェルネ殿下ではなく、エルシード殿下に仕えたい』


そんな声は決して表面には出てこなくても、誰もがそう思っているのが暗黙の了解となっていた。
だが声に出さなくても、この話をするということはサジェルネ殿下の耳に入っているようだ。







「ここには他に誰もいない。模範的な返事を返すな」




「エルシード殿下は王位の継承など全く考えていらっしゃいません。殿下を支えられるように必死に頑張っておられますよ。
それに王位の継承は国王陛下がお決めになることです。陛下から王太子に指名されたのは紛れもなくサジェルネ殿下です。どうか堂々となさってください」




「だが、貴族達はエルシードを担ぎ上げるかもしれないだろう?」



私から視線を逸して中庭を見て、テラスの手すりに置いていた殿下の手がギュッと握りしめられた。
殿下はエルシード殿下を敵対する相手として認識しているかもしれないが、決してそんなことはないと伝えなければ。





「クーデターですか?そんな大それたことをしたら国内は混乱に陥ります。
そうなれば、国内の産業は上手く回らなくなりますから、一番最初に困る貴族達がそんなことしませんよ。それにエルシード殿下は殿下を尊敬していらっしゃいますし、臣下の者が殿下に対してクーデターを起こす理由がありません」




「どうだかな…。もし俺とエルシードが対立することになったら、お前はどちらにつく?」



「そのような事態にはなりません」



「…そうだといいがな。そうだ。ジルヘイド」


テラスから離れて廊下に戻ろうとした殿下は私に背を向けたまま立ち止まると、殿下の緑の髪がふわりと風に舞った。





「なんでしょうか?」



「お前にとって1番大事なものはなんだ?」


殿下は私に背を向けたままそう問いかけてきた。その背中は、一瞬だけ少し寂しそうに見えた気がした。






「この国ですよ」



「建て前の答えじゃない、本心が聞きたい」



「そうですか。では本音で。大事なものは国で変わりがありませんが、仲間がいなければ国は守れません。
ですから仲間が1番大事です」





「仲間…か。俺にはないものだな」


やっと私の方に振り向いた殿下は、自嘲の笑みを浮かべて吐き捨てるように言った。







「殿下にもいるではないですか。私もそうですし、国王陛下も宰相様も大臣も。みな殿下の仲間ですよ」




「それは俺が王太子だからだろう?個人としての仲間など1人もいない」




「殿下が気付いていないだけです。常に側にいると、それが当たり前になって見えないだけですよ」




「そうだろうか。口先だけなら何とでも言えるが、人の胸の内など見えないからな」


また私に背を向けたサジェルネ殿下は、焦りと苛立ちを隠せない様子で荒い足音を立てて廊下を歩いて行った。







マードリアは金脈があるから財政は安定しているが、横柄な性格が変わらないままサジェルネ殿下の治世になれば、内政が不安定になるだけでなく外交問題も起きてしまいそうだ。


例えエルシード殿下という目の敵にする存在がなくても、サジェルネ殿下の自由奔放で身分を振りかざすところのある性格は、国外だけでなく国内にも軋轢を生むだろう。一体どうしたものか。



答えの出ない考えを巡らせたが、考えれば考えるだけこの国の今後が不安になるだけだった。












それから数か月後。
会議の席に慌てた様子の文官が駆け込んできて、1枚の手紙を宰相様に手渡した。



文官が力を込めて握っていたからなのか、手紙はグシャグシャになっている。宰相様はグシャグシャの手紙を手で伸ばしながら、大きな声で読み上げ始めた。




「えっと?ラキニスの街で『白い渡り鳥』のシェニカ・ヒジェイト様が治療院を開いて下さっている…?!これは本当か?!」



「本当です。同じ報告が、金の取引の護衛で向かった将軍のアドケニー様からも来ております」



訪れて下さったのは、『白い渡り鳥』様の中でも1番情報が少ない、謎に包まれたあのシェニカ・ヒジェイト様。そのお名前が出ただけで、その場は大きなざわつきで満たされた。





「そうか。ラキニスから首都までは街道1本しかない。シェニカ殿はきっとこちらに来て下さるだろう。
もてなさねばならないが、どうするべきか。みなで知恵を出し合わねばならんな。
とりあえず慎重に行きたいから、アドケニーには接触を控えるように伝えておきなさい」





他国の王族や貴族、将軍らも集まるパーティーや会議の場では、『白い渡り鳥』様との強い繋がりがあるかは社交の話題の1つだ。

そういった場では神殿新聞に載っている『白い渡り鳥』様の名前はほぼ全員が出てくるのに、シェニカ様だけは「訪問があった」という自慢にならない自慢話を聞くことはあっても、繋がりがあるという話を聞かない。



『白い渡り鳥』様の中でも1番能力の高いシェニカ様の訪問となれば、今までお迎えした方々以上に念入りにもてなさねばならないのだが、訪問は突然のことだったので国内の貴族達を呼んでの晩餐会や舞踏会などのもてなしが間に合わない。

首都の近くにいる貴族達を呼んで規模の小さな晩餐会を開くか、長く滞在して頂き、しっかりとしたおもてなしをするか。どういったもてなしを好むのか、どういうお食事を好むのかなど、シェニカ様の情報があまりにも少ないため、陛下や宰相様達は喜びと同時に頭を抱えた。






どういうもてなしをするのか決まらないまま10日が経った頃。待ち望んでいた方がこの王宮にいらっしゃった。


「『白い渡り鳥』のシェニカ・ヒジェイトと申します」



シェニカ様はお名前を名乗って治療院の許可と場所の確認をなされた後、すぐに椅子から立ち上がってこの場を去ろうという姿勢を見せた。

まだこちらから王宮への滞在のお誘いやシェニカ様からの要望などを確認していないというのに、今までにない簡潔ぶりにこちらが困惑した。




「シェニカ殿は王宮の客室に泊まってはいかがか?」


その様子に慌てた陛下はシェニカ様にそう声をかけて椅子に座るように促したが、シェニカ様は陛下に向き直しただけで座ろうとしなかった。





「有難いお言葉ありがとうございます。宿は既に取りましたので結構です」



他の『白い渡り鳥』様同様に王宮に泊まって頂ければ、その間に自然な流れで親睦を深めることが出来るのに。陛下からの直々の提案にも、シェニカ様は表情1つ変えることなくお断りになった。


そもそも『白い渡り鳥』様は王宮に宿泊するのが当たり前だから、どの方も事前に城下に宿を取るということはない。
それに女性の『白い渡り鳥』様は上品なワンピースに高級なローブを羽織っているのに、シェニカ様は普通の商人や旅人と変わらない旅装束にローブ姿だった。
ローブのフードを被って額飾りを隠したら、『白い渡り鳥』様とは分からないだろう。



それに護衛は傭兵の男性がたった1人で、人目を憚らずイチャつくどころか節度をもって接している様子から恋人同士でもないらしい。シェニカ様の左手の薬指を見ても何も嵌っていないから、珍しく未婚らしい。






「では明日から治療院を開きますので、どうぞよろしくお願いします。では失礼します」



シェニカ様は椅子に座り直すことなく、護衛を立たせてすぐに王宮を出てしまった。



その後、遅い時間までどうしたものかと陛下や重臣達で頭を抱えたが、あまり積極的に動いても悪印象を抱かれてしまうかもしれない。では、どうもてなすか。議論は紛糾したが答えは出ず時間が経って行った。








そして翌日の昼頃。
重臣達と陛下で会議を開いていると、数人の文官が抱えきれないほどの書類を持って部屋に入ってきた。




「陛下。王宮の受付に市民が殺到しております」



「どうかしたのか?」



「記録の一部ですが、こちらをご覧下さい」


文官達が宰相様に書類を渡すと、宰相様は大きな声で書類を読み上げ始めた。







「朝早くから治療院を開いて下さったので、仕事の前に行くことが出来た。ペットのトカゲの治療をして頂けた。謝礼を渡そうとしたら、それで美味しいものを食べて下さいと断わられた。貧民の者が来ても分け隔てなく治療して下さった。

これはシェニカ様の治療院へのお礼の言葉か?」





「はい。ここに持って来れなかった書類もあり、こちらは記録にてんてこ舞いです」


文官から報告を聞いた陛下は宰相様から書類の一部を受け取って読み始めると、みるみる満足そうな笑顔を浮かべた。






「やはりシェニカ様が来ると人気が上がるのですね。同じ『白い渡り鳥』様でも、こんなにも反響が違うとは驚きです」



宰相様が満足そうにそう言いながら、山のような書類をその場にいた者達に回し始めた。

自分の手元に来た書類を見ると、多くの民衆からシェニカ様への感謝と、招いてくれた陛下への感謝と賞賛の言葉が書き連なっていた。
シェニカ様はこちらがお招きした方ではなかったが、こんなにも良い反響が来るのならば、やはり是非とも繋がりを作っておきたい。





「こんなに良い反響が来るなんて、もう随分ぶりだな。是非とも国中を廻って貰いたいが、今回はこちらが招いた訳ではないからお願いしなければならんな。
是非とも繋がりを持って、今後も長く付き合うことが出来ればと思うのだが…。繋がりを持つのが難しいと言われる方だから、どうしたものか」


陛下は嬉しそうに記録を閉じたが、すぐに深いため息をついて悩み始めた。
その後も長い時間をかけて意見を出し合ったが、その場でも答えは出ずに一度解散となった。







自分の執務室に戻ろうと廊下に出ると、サジェルネ殿下が声をかけて来た。



「ジルヘイド。たまには俺の私室に来て茶でも飲んで行け」



「では、お邪魔致します」


サジェルネ殿下と一緒に東の塔に移動していると、廊下から繋がる兵士の詰所から話し声が聞こえてきた。

その話に興味があるのか、殿下の歩みがピタリと止まった。話している兵士は、会話に夢中で廊下の外にいるこちらの存在には気付いていない。






「王宮の受付には凄い人だかりが出来てるの知ってるか?」



「知ってる知ってる!『白い渡り鳥』様と陛下への御礼を言いに来てるんだろ!?」



「もう8年王宮付きの衛兵やってるけど、こんなに良い反響で受付が悲鳴を上げてるのって初めて見るぞ。どんな治療してるんだろうな」



「俺、治療してもらったぞ!ちょっとした切り傷だったけど、文句も言わないし診療拒否なんてしなくて!『気をつけて下さいね』って言ってくれたんだよ?優しいよなぁ~!」



「シェニカ様と子供が喋ってる話を聞いたんだけど、護衛とは恋人じゃないし婚約者もいないんだって。俺、何とかお近づきになれないかと思ったんだけど、全然糸口が見つからなくて帰ってきちまったよ」



兵士達の終わらないお喋りを聞いていると、やはり評判の高いシェニカ様は他の『白い渡り鳥』様と違って身分の高さに驕ることないようだ。
本当に良い方が来て下さったのだと、本当に嬉しく思えた。



殿下はしばらく無言でいたが、兵士達の会話が別の話題になると東の塔に向かって歩き出した。








「噂には聞いていたが、あの女ってそんなに人気なんだな」


「そうですね。こうして人気があるからこそ、どの国も必死に繋がりを持とうとしているんでしょうね」


サジェルネ殿下の部屋でお茶を頂きながらシェニカ様のお話をすると、殿下は腕組みをしながら何か考え込んでいた。










そしてシェニカ様が来て2日後。
ここ数日悩んで険しい表情をしていた陛下は、満面の笑みを浮かべて会議の席についた。




「治療完了の報告後にシェニカ殿を茶会に誘うことが出来た。いつ開いても良いように、準備は抜かりなくやるように」




「陛下!素晴らしいですね!」


陛下がシェニカ様をお茶会に誘うことが出来たと報告すると、その場にいた者達からは歓声と拍手が鳴り響いた。





「シェニカ殿の宿を訪ねたら、一番安い宿だったのが驚きだったが…。粘り強くお願いした甲斐もある。その代わり、国中を廻るお願いまでは出来なかったがな」




「それは茶会の席でも出来ることですから、まずは親睦を深めなければ話になりません!陛下、流石です!」



シェニカ様は高級宿ではなく、まさか安宿にお泊りだったとは。
身分の高い『白い渡り鳥』様らしくない庶民派なお姿に、直接話していない私でさえ驚きとともに好印象を抱いた。


満足そうに穏やかな笑みを浮かべた陛下は、サジェルネ殿下に視線を向けた。






「サジェルネ。これからはお前が主体となって『白い渡り鳥』様と繋がりを持たねばならん。だからお前にもてなしの大役を任せる。心しておもてなしするように」



「はい」



陛下から直々にそう命じられた殿下は意気揚々と自分の執務室へと戻って、将来の宰相や大臣候補である第2、第3、第4王子や年若い文官達、私を呼びつけた。





「繋がりを作る事が難しいと有名な『白い渡り鳥』だ。あの女と繋がりが出来れば、俺だけでなくこの国も羨望の目で見られる。

愛人を持つのが当たり前の『白い渡り鳥』なんだから、俺が愛人を抱えていても何も思わないだろ。俺と結婚すれば行く先で安宿なんて泊まる必要がないし、俺の正妃にしてやったらあの女もさぞかし鼻が高いだろ。神官長をここに呼べ!」



殿下は、そう言って困惑した顔の文官達に命を出し一度休憩を出した。





「殿下。いつになくやる気に満ちていますね」


殿下の広い執務室には私や他の王子達、数人の文官達が残されたが、全員が同じことを思っているに違いない。
他の王子達や文官達はサジェルネ殿下に意見しようとしても、殿下は睨むような視線を寄越して黙らせているのを見て心の中で溜息をついた。





「当たり前だ。あの女とカケラの交換をするだけで、国内の貴族だけでなく、他国の王族共まで俺を舐めてかからなくなるんだ。このチャンスを逃す馬鹿はおらんだろう」



「ですが、いかに殿下が王族でも、ご本人が望まれない限りご結婚はあり得ない話です。それに『白い渡り鳥』様のご身分は王族と同等ですよ?」



「そんなこと分かってる。それくらいの勢いでやるという物の例えだ」



殿下の言葉の端々からは、シェニカ様を他の王子達のように露骨でなくても見下しているのが分かる。
いつになく接待にやる気を見せているサジェルネ殿下が、シェニカ様に失礼な態度を取ってしまわないか心配になった。




そして呼びつけられた神官長が執務室に入ってくると、殿下は興奮した様子で困惑した顔の神官長を出迎えた。


「神官長、すぐに報告しろ」


「は、はい。ここ数日ご報告している通り、シェニカ様につきましては、お名前と年齢。そして未婚でセゼルご出身であることの他に新たな情報はございません」


言いにくそうに話し始めた神官長から聞かされた内容は、ここ数日神官長が口にしていたこととまったく同じだった。






「そんな馬鹿なことあるか!隠しているだけだろ!」




「そんなことはございません。殿下もご存知の通り、シェニカ様はどの国の王族や貴族、将軍らも繋がりを持つ事が大変難しい方です。それに、シェニカ様はどの国の神殿にも立ち寄って頂けないので、詳しいことは分からないのです」





「お前だけに知らされてないだけではないのか!?」



「私に限らず、シェニカ様が修行を積まれた神殿からは何の情報も教えて貰えないのです。
他に情報と言いますと、欲のない方とか、護衛の傭兵とは深い関係になさそうくらいしか…。お茶会の後、是非とも神殿にお越し頂くように殿下からもシェニカ様に頼んで頂けませんか?」


神官長が申し訳なさそうにしながら部屋の外に出て行った後、サジェルネ殿下は大きな舌打ちをして私も含めた全員を下がらせた。













それから4日後。シェニカ様が明日の午前中に治療完了の報告に来ることになったと知らされた。
サジェルネ殿下が初めて仕切るお茶会がどのようになるのかと心配になるが、生憎と自分は期日の迫った書類に追われてまとまった時間が取れそうにない。

だから茶会の席には出席せず、護衛を兼ねた数人の将軍を参加させる手はずを取った。





「失礼します」


茶会の時間が刻々と迫る中、自分の執務室で仕事をしていると自分の腹心の副官のストロヴァが入って来た。





「ジルヘイド様。エルシード殿下がお呼びです」



「分かりました。すぐに行きます」




仕事に追われているものの、息抜きがてらエルシード殿下と話すのも良いかと思い、副官とエルシード殿下の居る西の塔へと続く廊下を歩きながらシェニカ様のことを考えた。



サジェルネ殿下の言う通り、王族や貴族、将軍と距離を置くだけでなく、神殿にすら近寄らないシェニカ様と繋がりを作れば、世界中の国から羨望の眼差しを向けられる。
今の時代に『白い渡り鳥』様と婚姻関係を結ぶ王族はいないが、仮にシェニカ様と正式な配偶者としての縁談がまとまれば、『エルシード殿下が次の国王に相応しい』と言った国内の貴族達からの不満は鳴りを潜め、殿下がやってしまった失敗は帳消しになる。そして何より、サジェルネ殿下もとても鼻が高くなるだろう。


陛下が作ってくれた貴重な機会をどう生かすのか、失敗も多いが外遊を頻繁に行っているサジェルネ殿下の真価が問われることになる。








エルシード殿下の部屋に到着すると、こちらが扉を開けると飛びつく勢いで殿下が出迎えてくれた。


「ジル。忙しいのに僕の我儘で来て貰って申し訳ない。でも、ジルが側にいてくれると落ち着くんだ。最近はやたらと外野がうるさいから…」




「殿下…」


エルシード殿下から、自身に寄せられている貴族達の期待に満ちた言葉、殿下からサジェルネ殿下へ思うことを切々と聞いて、胸が痛くなった。
何とかしてあげたくもなるが、いくら自分が筆頭将軍であっても王太子である殿下をどうにか出来るとしたらそれは国王陛下だけなのだ。





「このお茶会でシェニカ様と繋がりが出来たら、兄上はどの国からも羨ましがられるね」




「そうですね。ですが、不興を買うともう2度と来て頂けなくなりますから、シェニカ様の反応を見ながら慎重にやらねばなりません」


例え繋がりを作ることが出来なくても、相手が相手だけにそれは別に殿下の不利益にはならない。
それは殿下も分かっているとは思いたいが、成功した場合の華々しい結果しか目に入っていない様子だったから、無事にお茶会が終わるまで心配が尽きない。




「僕は兄上のもてなしがどういうものか、今後の参考にしたいと思うから頑張って観察するよ」



「私は同席出来ませんが、どんなものだったか後で教えて下さいね」



「うん、分かった!じゃあ、僕はそろそろ行ってくるよ。なんだか兄上は張り切っているらしくて、特別な茶葉を使って自ら淹れるそうで、僕もどんなものなのか楽しみなんだ。忙しいのに呼び出してごめんね」




「殿下とのお喋りは良い息抜きになります。では、行ってらっしゃいませ」


西の塔を出て、自分の執務室のある塔に戻る道のりを歩きながら、窓の外にある白い王宮に視線を移した。




ここ最近、国内の貴族や軍部の中では『エルシード殿下こそ次代の国王に相応しい』という声が一気に広がりを見せ、王宮のメイドまでそんな話をするようになっていた。


それは国王陛下の耳にも当然入っている。




サジェルネ殿下は生まれた時から王太子として期待されていたからか、民だけでなく貴族や軍部へも横暴な態度を取ることがある。
エルシード殿下はサジェルネ殿下よりも根が真面目で大人しく、思慮深い性格だ。加えて身分を問わずに平等に接することから民衆や貴族から人気がある。


王族には求心力が不可欠だ。これからサジェルネ殿下が王になるまでの間に、こうした性格や態度、愛人を無数に抱えることをやめなければ求心力は低いままだろう。




陛下も次代の国王はエルシード殿下が相応しいと思っているようだが、1度決めた王太子を変えるわけにはいかない。陛下としては、サジェルネ殿下が今まで学んだことを元に自分の意思で変わって欲しいと思っているから、口出しせずに溜息混じりに見守っている。

そしてエルシード殿下をゆくゆく臣下に下し、公爵の地位を与えて国王になるサジェルネ殿下を支えるようにと考えているようだった。











「いやったら!やめて下さい!」


しばらく執務室で仕事をした後、副官のストロヴァを連れて王宮へ向かっていると裏門の方で悲鳴のような女性の声が聞こえた。



ストロヴァと顔を見合わせて慌てて駆けつければ、馬車に連れ込まれそうになっている黒髪の女性と、その女性の手を引っ張る見覚えのある緑の長い髪の青年がいた。
女性の額には、『白い渡り鳥』様以外に身に付けることを許されない5色の宝玉がついた額飾りを身につけている。
誰がどう見ても殿下が狼藉を働こうとしている姿に、自分もストロヴァも血の気が引いた。






「ちょっとやめてったら!」



「別宅に行くだけだって言ってるだろ!何もしないから!」



「じゃあ護衛を同行させて下さい!」



「護衛なんて邪魔なだけなんだよ!2人っきりでいい感じの場所に行ったら、明日の朝には俺を見る目が変わるから!」



「もう最低な王太子って見てるわよ!何よ明日の朝って!放してよ、この痴漢で変態なアホ王太子っ!」



駆け寄りながら聞こえてくる会話の内容から、サジェルネ殿下がシェニカ様に狼藉を働こうとしているのは確信に変わった。


このままではマズいことになる。
シェニカ様はもう2度とこの国に来て下さらないどころか、取り返しのつかない最悪の事態になってしまう。

そんなことはサジェルネ殿下も当然知っているはずなのに、何て事をしているのだろうか。







「殿下、おやめ下さい!」


サジェルネ殿下の腕を掴むと、殿下は怒ったように私を睨みつけて来た。
どんなに殿下が身分が自分より上でも、怒られようとも、これは流石に止めなければならないのだと、殿下を諌めるつもりで睨み返した。




「王族たる者は民の模範となるべき存在です。相手が誰であろうと、このようなことをしてはなりません」




「……俺は戻る!」


殿下は悔しそうに顔を歪めても反論することはなかったが、私の真剣な目を見るとすぐに視線を外して荒い足音を立てて王宮へと戻って行った。


その場に残されたシェニカ様は俯いて、痛そうに殿下に掴まれていた手首を擦り始めた。細く白い手首には、赤い指の痕が次第にはっきりと浮かび上がってきている。





「シェニカ様、あの…。お怪我はありませんか」



「大丈夫…です。怪我は自分で治せます。えっと…。助けて頂きありがとうございました」


手首に治療魔法をかけたシェニカ様は、悲しそうな顔をして私とストロヴァに視線を移した。その視線で自己紹介がまだだったと思い当たって、内心とても慌てた。






「申し遅れました、私はこの国の筆頭将軍のジルヘイドと申します。こちらは私の副官のストロヴァです。王太子殿下の非礼をお許し下さい」



私がそう言って謝ると、自分の斜め後ろに居たストロヴァも腰を折って謝罪した。
いかに王族でも、身分の高いシェニカ様への狼藉は謝罪で治まる問題ではない。今までこんな事例は聞いたことはないが、サジェルネ殿下は最悪の場合王太子の身分を剥奪されるかもしれない。





「…ジルヘイド様やストロヴァ様が謝ることではありませんから、頭を上げて下さい」



「護衛の方が心配しているでしょう。お連れ致します」


頭を上げてシェニカ様を見ると、暗い顔をして今にも溢れ出しそうな大粒の涙を拭い、泣き出すのを我慢している。そんな姿を見ると、とても申し訳なくて胸が締め付けられる。

気の利かない自分ではかける言葉も見つからず、重苦しい無言の中で中庭へと戻って行った。





そして気まずい空気のままお茶会が開かれていた中庭の薔薇園に到着してしまうと、こちらに気付いた護衛が心配そうな顔をして駆け寄って来た。


「シェニカ様。本当に申し訳ありませんでした。王太子殿下は非礼を働いたのですが、その…。殿下だけでこの国を判断して頂きたくなくて」




「……エルシード殿下は良い方ですね」



「え?」


シェニカ様の言葉の意味が分からずに固まっていると、こちらにたどり着いた護衛の傭兵がシェニカ様の手を取った。



「シェニカ!シェニカ、無事だったか?何もされてないか?」



「カーラン…心配かけてごめんね。大丈夫だよ。もう宿に戻ろう」


言葉の意味を聞き返したくても、シェニカ様は護衛と一緒に廊下と裏門へと歩き始めてしまわれた。
後を追いかけようか、そっとしておくべきかと悩んでいると、茶会の護衛を務めていた将軍のアドケニーが真っ青な顔をして近寄って来た。






「ジルヘイド様。陛下に今すぐ報告して参ります」



「分かりました。私も行きます」


アドケニーと一緒に陛下の待つ謁見の間へと向かった。
既に誰かが報告したのか、玉座に座る陛下は頭を抱え、宰相様や大臣達は顔色を無くして呆然と椅子に座っていた。





「そうか。本当にサジェルネはシェニカ殿に狼藉を働いたのか」


私から報告を受けた陛下は、頭を抱えたまま深い溜息をついた。






「陛下。それだけではありません。茶会の席では、殿下は自ら淹れたお茶に睡眠薬を入れているのを見たと侍女が申しております。
実際、シェニカ様はご自身で対処なされていたので、大事にはいたりませんでしたが…。
止めようとしたシェニカ様の護衛も我々も、殿下に身分を振りかざされると手が出せませんでした。

シェニカ様は何も言いませんでしたが、不興を買ったのは間違いないと思われます」


今度はアドケニーが報告すると、大臣の1人が椅子からずり落ちてしまった。
未遂ではなく本当に殿下がシェニカ様を別宅に連れ込んで最悪の結果になっていた場合、椅子からずり落ちたり顔色を無くすだけでは済まないことがここにいる誰もが分かっている。






「はぁ。サジェルネの行動は目に余る。我が国に懇意の『白い渡り鳥』様がいない時に、せっかく来てくださったというのに。
是非とも繋がりを作りたい相手ではあるが、これではもう2度と訪れてくれることがなくなるどころか、最悪の事態になりかねん」






「シェニカ様はエルシード殿下には悪い印象はお持ちではないようですので、今後はエルシード殿下に『白い渡り鳥』様の対応を頼むのも1つの手かもしれません」


シェニカ様の言葉の真意は分からなかったが、あの言い方だとエルシード殿下なら今後に活かせるかもしれない。





「そうだな。エルシードはもうすぐ成人するし、性格も穏やかだしな。その意見には賛成だ。だが、サジェルネがどう受け取るか…だな。

それにこれが明るみに出れば、今までは水面下でサジェルネに不満を持っていた貴族達が表立って動くかもしれん。それは内政に混乱をきたすことになろう。
サジェルネには外遊と視察をしばらく控えさせ、再教育期間を取ろう」



報告を受けた陛下は、すぐにシェニカ様が泊まっていた宿に自ら出向いてお詫びをしようとしたが、シェニカ様はすでに首都を出てしまっていた。

国境までの間の街に立ち寄った際に町長や領主に引き止めてもらい、陛下がその地に赴いてきちんとした謝罪を伝えようとしたのだが、不思議な事にシェニカ様や護衛が立ち寄ったという情報が上がってくることはなかった。


それからしばらくして、国境を警備する兵士からシェニカ様が越境したという報告を受けた。陛下はきちんとした謝罪も出来ず、当然誰もカケラの交換も出来なかった。



折角訪れたチャンスを棒に振るだけでなく最悪の印象しか残さなかったのは確実で、王宮内には暗く重苦しい空気が漂った。




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