天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第14章 会いたい人

5.迎えた人は

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アビテードの首都で治療院を開いた2日目の朝。
宿には俺達以外に客がいないから、厨房にいるオッサンの鼻歌がよく聞こえる食堂で朝食を食べ終えると、いつも通り新聞を読み始めた。
しばらくすると、目の前に座っていたシェニカが立ち上がり、俺が読んでいた傭兵新聞の上に世界新聞をバサリと重ねてきた。


「ねぇ、これ見て。マードリアでクーデターが起きて、ポルペアって国に変わったって!」

「へぇ!」

身を乗り出しながらシェニカが指を差した場所には、マードリアでエルシードという第5王子を擁した元将軍らによるクーデターが起こり、マードリアの国王を倒してポルペアという新しい国になったと書いてあった。


「へぇ。無事に成功したんだな」

「そうみたいね。みんな無事だといいけど」

あの森の中で出会ったジルヘイド達の顔を思い出したのか、俺に新聞を見せた時には嬉しそうな顔をしていたシェニカの表情が、すぐに心配そうなものに変わった。


「心配か?」

「そうね。クーデターって簡単なことじゃないから」

「あのメンツなら大丈夫そうだが。心配なら、この後ポルペアに行くか?」

あの場にいた連中は筆頭将軍だったジルヘイドだけでなく、将軍を務めていた奴もいたし、その副官も、そのまた部下もいた。
どの奴らも最初見た時は、目には強い意思が宿っているのに怪我や毒の影響で戦力になれない怪我人や病人の状態だったが、シェニカの治療を受けた後は、まだ身体が整っていないながらも油断できない奴らに変わった。

あの国に送られたサザベル出身の兵士は将軍や副官でなくても強敵だろうが、小国とはいえ、実際の将軍だったジルヘイド達からすれば油断しなければ倒せるレベルだろう。だからクーデターが成功したというのは当然の結果だと思う。
ただ、いくら優秀な奴でも戦い終わった後は白魔道士では手が出せない呪いを受けたり、失明や切断などの大怪我をしているかもしれない。
シェニカはあの場で悲惨な様子を見ていたから、またそんな状態の者が出ていないか心配なのだろう。


「そうね。クーデターの後は『白い渡り鳥』の足が遠くなるから」

「そうなのか?」

俺がそう聞き返すと、シェニカは何だか暗そうな顔をしながら椅子に座った。戦争ばっかりの世の中だからクーデターなんてよくあることだが、クーデター後の『白い渡り鳥』の動きや視点なんて、今まで考えたことなんてなかった。


「内政が安定しない場所には、『白い渡り鳥』はあまり行こうとしないの。通り道ついでに行く人もいるけど、身の危険が他国よりも少し高くなるから好んで近付こうとはしないんだ」

「身の危険?」

身の危険を感じたら護衛がなんとかすればいい話だと思うが、他の『白い渡り鳥』についてる軍人上がりの護衛共はヘタレばかりなのだろうか。


「新しい国王や将軍とかは『白い渡り鳥』と繋がりがないことがほとんどだから、行ったらしつこくカケラの交換をお願いされたりするし、交換したとしても親睦を深めるとか理由をつけて長く留まらせようとしてくるの」

「監禁や軟禁でもして、帰ろうとしても帰れない状況にすんのか?」

「どういう人が王になるかで変わるんだけど…。例えば今までの国王や王族の働きを知らない一般人みたいな人が王になると、外交や内政、国や経済の動かし方、立ち居振る舞いとか色々知らないといけないことが山積みになってるの。それがよく理解出来てない時に『白い渡り鳥』が来ると、有頂天になったり見下したりして、禁止されたことまでやってしまうことがあるんだ。
今回、新しい国王は元々王族だし、ジルヘイド様達がいるからそんな心配はないんだけど、確かエルシード王子は国外での外交には一切出てなかったら、どういう人か分からないからって用心して、しばらくの間は『白い渡り鳥』の足は遠くなると思う」

「あの国はあんまり『白い渡り鳥』が来ないって言ってたから、お前が行けばあいつらも喜ぶだろ。俺もジルヘイドに会ったら祝いの言葉くらいはかけてやりてぇし」

俺の言葉が意外だったのか、目の前に座るシェニカはポカンとしたマヌケな顔をしたと思ったらプッと短く笑った。


「なんだよ」

「ルクトって軍人嫌いなのにジルヘイド様は信用しているのね」

「まぁ…な。軍人っていうのは常に傭兵を見下しているし、偉そうにしていて気に食わねぇ。でも、あの男はそんなことはなかったからな」

「ルクトがそんな風に褒めるのって珍しい。じゃあ、アビテードを出たらポルペアに行きましょ。
ウィニストラ経由かトラント経由になるけど、トラントから行こうか?」



アビテードからポルペアに行くとなると、小国をいくつもはさむものの避けて通れないのがこの2か国だ。
トラントの選択肢を口に出したのは、俺がバルジアラ将軍を憎んでいるのを知っているから、ウィニストラは選ばないだろうと考えたのだろう。

確かに前ならそう選択していた。
でも、今はトラントに近寄りたくない。あの国は何だか近寄らない方が良いと自分の直感が警告を鳴らしてくる。



「ウィニストラの方がマシだな。ただ関所まで最短距離、治療院を開かないで行きたい。お前がいるのが分かれば、接触してくるかもしれないからな」

未だに憎しみが消えないあの男を目の前にしたら、俺は今まで燻り続けた復讐心が一気に溢れ出して、例えシェニカが近くにいても何をするか分からない。
そうならないように、シェニカには治療院を休ませてさっさとポルペアに行きたい。


「そっか。じゃあ、そうするね」



それから3日後。治療院に来る患者は随分と落ち着いたから、治療の手は行き届いたようだった。
翌日の朝に国王に治療の報告をすると、シェニカはいつも通りズッシリと重たい金貨の詰まった革袋を貰っていた。


「シェニカ殿は市場には行ったのか?」

「はい。市場の八百屋さんでカスケのドリンクを飲みました。野菜なのにピーナッツバターみたいな味で、すごく美味しくて温まりました。この国は他の国にはない野菜があって、市場を見ているだけでも楽しいですね」

シェニカにそう言われて嬉しかったのか、国王だけでなく隣にいた宰相、脇に控える将軍達も嬉しそうな空気を出した。


「そうかそうか。儂らもカスケのドリンクは大好物でね。パンとの組み合わせは本当に絶品なんだよ。宰相、カスケが大絶賛されておるぞ。良かったな」

「はい。手入れしている甲斐があります」

今日も作業着で首からタオルを下げた宰相は、シェニカだけでなく国王にも褒められて目を細めて嬉しそうに笑った。


「宰相様が手入れをなさっているんですか?」

「カスケは人気だから温室の3割の面積で作っていてね。温室は広い場所だから宰相だけじゃなく、軍部の者達も交代制で世話をしておるんだ。
温室は環境維持がなかなかシビアでね。毎日手をかけてやらねばすぐにヘソを曲げてしまう野菜が多いから、温室管理は国境警備と同じくらい軍の中でも重要な任務じゃな。のうアンダルト」

「そうですね。やりがいのある任務です。シェニカ様にそう言っていただけで、とても光栄です」

話を振られたアンダルトと呼ばれたガタイの良い筆頭将軍は大きく頷いて、シェニカに向かって頭を下げた。


この国の国王とは気が合うのか警戒していないのか、シェニカはいつもならさっさと出ていくのに珍しくお喋りをしていた。ギルキアの国王の一方的な長話の時とは大違いの態度だ。
ただその話の中身が、大根やアボカドのサラダが美味いとか、野菜を雪の下に埋めて保存しておくと野菜に甘みが出るとか…。温室や野菜の話ばっかりで、農家のオッサンと会話しているような内容ばかりだった。


宿に戻って食堂で昼食と食後の茶を済ませた時、席を立つのかと思ったらシェニカは鞄をガサゴソと漁り始めた。


「さてと。仕事も無事におわったし本題に入ろうかな。えっとメモは確かここに…」

「本題?」

「会いたい人の所に行くの」

「あー。そういえば、ここに来たのは会いたい奴がいるって言ってたな」

「そう。私の大好きなお姉ちゃんだよ。メモは…あったあった。じゃ、行きましょ」


シェニカは鞄から取り出したメモを握りしめ、宿を出て一度街の南の城門の前まで移動して、貴族の屋敷がある西側に向かって歩き始めた。

商人街と通りを挟んで向かい合うデカイ貴族の屋敷側には、城壁よりは低いが、他者の侵入を阻むような2階くらいまでの高さのある壁が道を隔てている。
俺の一歩前を歩くシェニカは、商人街側の大通りを歩きながらしきりに貴族の屋敷側の壁を見ているが、貴族の屋敷側の風景はずーっと先まで高い壁だけでそこには門も扉も何もない。


シェニカの何かを探している姿を後ろから眺めながら、このデカイ貴族の屋敷の状態に首を傾げた。
今までの貴族の屋敷なら、立派な門の側に衛兵が立っていたり、周囲を衛兵が警備のために巡回していたり、豪華な噴水付きの中庭があったり、門から玄関まで悪趣味な銅像が飾られた長い一本道があった。
そしてその立派な屋敷や庭を見せびらかすかのごとく、壁ではなく外から見えるような柵が敷地を取り囲んでいることが多かった。

この数日間の移動の中で、遠目で見た限りこの屋敷には王宮の温室寄りの通り沿いに1か所だけ立派な扉付きの厳重な門があっただけで、屋敷を囲む塀は高くて中がまったく見えない。
3階建ての建物は城壁や王宮と同じ黒灰色の石造りで、装飾はないからまるで軍事施設のように見える。


そんな屋敷の高い塀を見上げながら歩いていると、北と南、東に伸びる大通りの三叉路でシェニカは立ち止まった。


「ねぇ、飴屋さんだ!寄って行っても良い?」

「……はいはい」

シェニカの後に続いて店に入ると、長いガラスのショーケースの中には赤や黄色、水色に緑、水色と白の縞模様など、沢山の飴が入ったガラス瓶が並べられていた。数人の子供連れの客が、指を指しながら欲しい飴を楽しそうに注文している。


「これ、綺麗なピンク色!」

シェニカが嬉しそうに声を上げると、ショーケース越しに居た若い女が近寄って来た。


「いらっしゃいませ。これはピピリアの蜜を固めた飴ですよ。とっても甘いんです」

「へぇ~!じゃあ、こっちは?」

淡いピンク色の小粒の丸い飴が入った瓶の隣には、その2粒分の大きさの平べったい琥珀色の飴が詰まった瓶があった。琥珀色の飴の値段はピンクの飴の3倍だ。


「そっちもピピリアの蜜を使った飴なんですが、ピンクの飴よりも長時間煮詰めて作っているので色は琥珀色なんです。長時間煮詰めた分、そちらの方がとても甘いんです。試食がありますので召し上がってみますか?」

「え!良いんですか!じゃあ、お言葉に甘えて」

店員の女が、シェニカと俺に細かく砕いたピンクと琥珀色を1欠けずつ小皿に乗せて渡してきた。
ピンク色の飴を食べてみると、蜂蜜に比べてさっぱりした甘さで、どこかで嗅いだことがあるような花の匂いが一瞬だけ感じられた。
琥珀色の飴を食べてみると、花の匂いは変わらないが蜂蜜と同じくらい強い甘さを感じる。ただ、口の中に広がった強い甘さも花の匂いも数瞬後には消えてしまう。それに、こっちの飴は食べた後にミントのような清涼感が微かに感じられた。


「この琥珀色の方はミントが入っているんですか?」

「はい。初摘みしたミントの葉を少しだけ入れています」

「ミントの味と蜂蜜みたいな甘さが喧嘩しないんですね。すごく美味しいです。ピンクと琥珀色の飴を小瓶に1つずつ下さい」

「ありがとうございます。2つで銀貨3枚です」


シェニカはホクホクと嬉しそうな顔をしながら買った飴を大事そうに鞄に仕舞うと、飴屋を出てまた貴族の屋敷に沿って歩き出した。そして、北側にある王宮の温室にほど近い大通りの突き当りで立ち止まって、メモと貴族の屋敷の状況をしきりに確認し始めた。
その突き当りの少し手前には目を惹く貴族の屋敷の立派な正門があったが、目的地はそこではなかったらしい。

今シェニカの目の前にあるのは、王宮の温室を囲む壁と貴族の屋敷の高い壁の終わりが向かい合う袋小路だ。そこには家が3軒は入るくらいの深い袋小路になっているが、その入り口にひっそりとある裏門の扉が目的の場所らしい。

周囲を見上げて確認してみれば、その裏門の扉は屋敷を囲む壁を直接建物の壁にした二階建ての家の出入り口らしい。
でも、よく見てみればその扉のまだ奥。袋小路の終わりにはピンク色のリースが飾られた扉が見える。
その扉から繋がる建物も高い壁を直接壁にした状態で建てられていて、手前の裏門の扉から入れる建物とは長い廊下で繋がっている。


そして、王宮の門には衛兵がいたのに、これだけデカイ屋敷を構える貴族の屋敷にも関わらず、裏門にも正門にも衛兵はいない。
見た目からすると軍事施設なのに地図を見れば貴族の屋敷らしいのだが…。この扉の前で立ち止まってから、殺気は感じられないがこちらの様子を伺う複数の微かな視線を感じる。その視線の主の姿は見えないし、周囲に人が居ないにも関わらずそいつらの居る場所が特定出来ない。

気配を読むのに長けているはずの俺がこういう状況だということは、俺でも特定出来ないような、気配を完全に殺して存在を空気のように溶け込ませることの出来る、かなりの手練れの暗部が揃っているのだろう。


この国の王宮に居た時にも暗部の気配は感じたが、それよりもここにいる暗部の数は多いし、そこに居た奴らよりかなり強い奴ばかりだ。
他国の王宮でもこんなに緊張するような暗部の視線は感じたことはなかったのに。それほど厳重な場所なんだろうか?ここは貴族の屋敷じゃなくて、やっぱり何かの軍事施設だろうか。


「ここか?」

ここはかなりヤバイ場所だと思うんだが、本当に行くのか?大丈夫か?


「そのはずなんだけど…。とりあえず訪ねてみようかな。すみませーん!どなたかいらっしゃいませんか~?」

俺とは違い、俺達を監視する手練の暗部達の存在に気付いていないシェニカは、元気いっぱいのデカイ声を上げながら立派な木製の扉をドンドンドンと叩いた。
俺はその後ろで、暗部の者達や出てくる奴といつでも戦えるように剣に手をかけて神経を尖らせていると、しばらくしてギィと重々しい音を立てて木の扉がゆっくりと少しだけ開いた。


「誰だ?」

こちらを威嚇するような地を這うような低い男の声で短く応答があると、シェニカは物怖じせずに名乗り始めた。


「『白い渡り鳥』のシェニカ・ヒジェイトと言います。こちらにメー…」

シェニカがまだ喋っている途中で、その姿があっという間に開かれた扉の中に吸い込まれた。あまりの早業に俺は構えていたにも関わらず、吸い込まれたシェニカの残像すら掴めなかった。


「シェニカっ!」

閉じかけた扉を乱暴に開けると、広い玄関の中にはバルジアラまでの巨体ではないが、レオン並みの俺よりデカイ身体で、濃い緑色の短髪で顎が割れたゴツい男が、その分厚い胸板辺りに俺から隠すように目を閉じてシェニカを抱き締めていた。シェニカは押し付けられて動けない上に声も出ないらしく、両手がバタバタと慌てたように宙を舞っている。


「おい、その手を離せ」

俺は剣を抜いて男の前に突き付けた。するとシェニカを抱きしめたままの男はゆっくりと目を開けて、俺を戦場で感じるような凄まじい殺気を込めた暗緑色の目で睨みつけてきた。


「あぁ?お前何?俺に喧嘩売ってんのか?シェニカ、付きまといなら俺がぶっ潰してやろうか?」

「く、苦しい。だ、大丈夫だから、とりあえず放して…」

男はシェニカを渋々といった表情で放すと、俺を今にも襲いかかってきそうな強烈な殺気の籠った鋭い目でまた睨みつけてきた。男は剣は持っていないが、明らかに傭兵の経験がある風体をしている。
なのに、まるでバルジアラのような大国の筆頭将軍を目の前にしているような、重々しい威圧感を与えてくる。


「シェニカ、こっちに来い」

「大丈夫だよ。ルクト、剣をしまって?紹介するね。この人は護衛のルクトだよ。ルクト、こっちは私が会いたかった人だよ」

俺の方に来るように言ったのに、シェニカは大男から離れようとしないばかりか、この大男を『会いたかった人』と言った。


ーーお前、会いたい人はお姉ちゃんみたいな人って言ったよな?これ、どう見てもヤバイ大男だぞ。

そう思いながらも、とりあえず剣を鞘に収めた。



「へぇ。今の護衛はこの赤い髪の男なんだ。まぁまぁ強そうね」

男は俺を値踏みするように鋭い視線を浴びせて来たので、俺は殺気を滲ませて睨み返すと口元を面白そうに歪めで笑った。


「ほらほら。自己紹介は自分でする主義なんでしょ?ルクトが困ってるから早く早くっ!」

大男はシェニカに急かされると、豪快にゴホンゴホン!と痰の絡んだ、やたらとおっさん臭い咳をした。





 
「はじめましてぇ~!わたしぃ、メーコって言うのぉ。よろしくねっ♪」

おっさんは、巨体をくねらせて気持ちの悪いポーズを取りながら堂々と問題発言を繰り出した。 
俺は鞘に収めた剣をもう一度引き抜いて斬りかかりそうになったのを、理性の最後の防衛ラインが何とか押し留めた。




「まぁ、ここじゃあなんだからぁ、お部屋に案内するわぁ!」

薔薇が赤で細かく描かれた薄ピンク色の壁紙と、波打つような薔薇の蔦を表現した木の枠が手すりのようにくっつけられている廊下を、オッサンの先導で歩いた。
不思議なことに扉の前で感じていた暗部の視線は、家の中に入った途端全く感じなくなった。俺がオッサンに剣を向けた時も、殺気も気配も視線も何も感じなかったから、この屋敷の外だけを監視している連中なのだろうか。



「さ、こちらのお部屋にどぉぞっ!」

気持ち悪いメーコ…というオッサンに案内されたのは応接間だった。応接間に入るとまず目を引くのが、暖炉の上にある誰かの家族を描いたと思われるデカイ絵画だ。

大男3人に囲まれた小人のような女が1人描かれているのが一瞬視界に入ったが、薔薇のデザインがたっぷり描かれたピンクの壁、赤に近いピンク色で小さな薔薇が細かく描かれた薄ピンクのカーペット、ゴテゴテした薔薇の装飾が施されているテーブルセットに囲まれると全く気が休まらず、その絵を見る気にもならなかった。
ピンク色に目がチカチカしながらも周囲を見渡すと、根の張りそうなチェストや暖炉の上の装飾棚には、うねる波のような形をした謎の置物など、ゴテゴテした装飾や置物などに囲まれている。


シェニカにソファを勧め、テーブルを挟んだ向かいにオッサンがドッカリとその巨体を埋めた時、俺達が今入ってきた扉がノックされた。


「失礼します」

そう言って薔薇柄のティーポットとティーカップのセットを乗せたワゴンを押して応接間に入ってきたのは、長い黒髪を背中で1つにまとめた細身の執事服を来た若い男で、胸には薔薇の柄のポケットチーフが入っている。手際よく茶を淹れた執事は、ワゴンを押す音も足音もさせることなく部屋から出て行った。



「お茶どぉぞ~!もうっ、シェニカったらぁ、来るなら来るで手紙くらい寄越してよぉっ!」

ーーあんた…。さっき地を這うような低い声だったよな。その笛みたいな高い声は何なんだ。どっから出てるんだ、頭の先に口があるのか?



「手紙出そうと思ったんだけど、サプライズの方がメーコが喜ぶかなって思ってさ!実際、メーコ喜んでくれたでしょ?」

「喜ぶどころか感動のあまり、つい地が出ちゃったわぁ!もう、シェニカったらすっかり悪い子ちゃんねっ!」

オッサンは胸の前で手を組んで、クネクネと身体を揺すった。



ーーなんだろう…。目の前にあるのは薔薇の香りがするピンク色のお茶だが、飲む気も起きないし、なぜか精神的な疲労がすごいスピードで進んでいく。戦場でも今までこんなこと一度も経験したことがない。

早く宿に戻りたい…。拷問だ…。なぜシェニカはこの気持ち悪いオッサンと楽しそうに会話出来るんだ。


「それでぇ?わざわざこんな所まで来てくれて、なにかあったのぉ?」

「うん、あのね。実は私、ルクトと恋人になったの。恋人出来たら紹介してって言ってたでしょ?だから約束通りメーコに紹介したくて来たんだ。えへへ~」


シェニカがそう言うと、笑顔を消して俺をジト目で見据えたのだが、その視線になぜかゾッと寒気が一気に全身を駆け巡った。


「ふぅーん。とうとう鈍感オニブなシェニカにも恋人が出来たのねぇ。
まぁそうねぇ。『赤い悪魔』を連れて来るとは思ってなかったわぁ。どこで出会ったのぉ?詳しくお・し・え・て♪」


この男。

俺をすぐに『赤い悪魔』だと確信したってことは、最近まで傭兵だったのだろうか。問いただしたいが、精神疲労が激しくて口を開く気にもならない。



「もうっ、メーコってばやっぱり乙女ね!やっと私も恋バナが出来るからって、根掘り葉堀り聞いちゃ恥ずかしいよぉ」

ーーも、もう無理だ。顎が割れた青髭のゴツいオッサンのどこが乙女なんだよ。


俺の精神的な疲労はもう限界だ。耐えられない…すぐに宿に帰りたい。でも護衛としてここにシェニカは置いていけない。
そんな俺の胸の内やウンザリした空気にまったく気が付かないのか、シェニカは頬を赤らめながら嬉しそうに俺との出会いや旅の話を始めた。


「それでね、ルクトって高級レストランなのに遠慮せずにバクバク食べるの。私、高額のものには慣れてないから心臓に悪かった!」

「ふぅ~ん。女の子に高額の支払をさせるのねぇ」


シェニカの熱弁中、時折大男の品定めをする視線を感じる。
巨体をくねらせながらのオネエ言葉は正直滅茶苦茶気持ち悪いが、目の前の男はかなり強い。多分俺なんか力が及ばないほどの実力があるだろう。

一体何者なんだよ…。ってか、シェニカとこいつはどういう関係なんだよ。


剣を持っていなくても、俺が斬りかかればすぐに反撃してくるだろうが、そもそも、薄気味悪さが加算されてあまり近寄りたくない。



俺は隣から聞こえてくる2人の会話をただの音として捉えて、聞き流すことにした。

もう俺は心を無にしよう。


俺は今…貝になっている…俺は貝に…貝に……貝…




「…ということで、ここまで来ちゃった」

「なるほどねぇ。出会いから嬉し恥ずかしのエピソードまで詳細に教えてくれてありがとぉっ♪」

「それでメーコはどうなの?仕事は順調なの?」

「聞いて聞いてぇ~♪私の色んな実績が認められて、今度表彰されることが決まったのぉ!」

「へぇ!すごぉい!私、一度メーコのお仕事を近くで見てみたいって思ってたの!そんなに凄いなら見てみたいな」

「あらホントォ?明日、ちょうど各地の幹部達がレッスン受けるために集まるから会う?久しぶりに会う子もいるでしょうし、紹介してなかった子も来てるのよぉ?」

「えっ、いいの?行く行く!またみんなに会えるなんて嬉しい~!」

「じゃあ明日は飛び入り参加ね。とりあえずあの子達に会ってくでしょ?みんな首を長くして待ってるわよ」

「本当?!覚えててくれるかなぁ?」

「もちろんよぉ。好意と恩はどんなに時間が経っても忘れないものよ。温室に案内するわ。こっちよぉ!」

「ルクト?ほら、ルクトも行こうよ」


ソファから立ち上がったシェニカが俺の顔を覗き込んだ。



「俺は貝…」

だが、その時の俺は必死に心を閉じている最中だった。




「ルクト?『俺若い』なんて言ってどうすんの?」

シェニカの言葉を聞いて、ようやく我に返った。


「あ、いや。そういうわけじゃ。宿に戻るのか?」

「もー。話聞いてなかったの?温室に行くんだよ?ほら行くよ!」

シェニカは俺をソファから立たせると、ワクワクした子供のような顔をして応接間から廊下に繋がる扉へと強引に腕を引っ張って行った。

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