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第18.5章 流れる先に
12.突然の辞令
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第18.5章は色んな名前が飛び交うため、少しでも分かりやすくなればと、出てくる人達を整理しておきます。ご参考までにどうぞ。
(バルジアラの副官)
●リスドー ※腹心
●イスト
●ヴェーリ
●モルァニス
●アルトファーデル
(下級兵士)
●ライン(リスドーの部隊所属)
●ロア(イストの部隊所属)
●マルア(ヴェーリの部隊所属)
●ロンド(ヴェーリの部隊所属)
●ワンド(アルトファーデルの部隊所属)
●ドルマード(モルァニスの部隊所属)
(階級章のない上級兵士)
●ダナン(イストの部隊所属)
(銅の階級章を持つ上級兵士)
●ダルウェイ(リスドーの部隊所属)
●リーベイツ(モルァニスの部隊所属)
●ヴェストナ(アルトファーデルの部隊所属)
■■■■■■■■■■
エルドナとの防衛戦が終わってからというもの、仲間達から言葉ついでにからかわれるようになっただけでなく、自主鍛錬の時には副官の誰かに実践的な鍛錬を指導されるし、他の将軍や副官達から頻繁に自分を観察されるようになった。静かに見られる状態が何日も続いているが、声をかけられるわけでも、睨まれるわけでも、嫌がらせをされるわけでもない。そういう視線は不快で仕方がないのだが、相手が相手なので気にしないことにした。
「バルジアラ殿、防衛戦お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
午前中の鍛錬が終わると、隣の鍛錬場にいたエメルバ様がバルジアラ様に声をかけてきた。
「そちらの彼が?」
「えぇ。そうです」
エメルバ様は自分を見ながらそう言うと、バルジアラ様は少し嬉しそうな声で答えた。短い言葉のやり取りだが、穏やかな空気が漂っているから、このお方とは友好的な関係らしい。
「まさに能ある鷹は爪を隠すということですな。バルジアラ様は本当に良い目をお持ちだ」
「ありがとうございます」
「いやはや、これは面白いことになりました。今後の活躍がより一層楽しくなりそうですな」
エメルバ様が楽しそうな笑顔を浮かべて去っていくと、バルジアラ様は得意げな表情で自分を見た。
「今回のお前の偉業は、『桃色宣教師』の報復を恐れて新聞にこそ載っていないが、戦場詩人や外交文書を通じてすでに世界中に広まっている。
『バルジアラは平凡な男1人しか獲得できなかったのに、そいつがすんげぇ実力を隠していた』と、お前だけでなく、お前を選び育てたとして俺の株も上がった」
「私はそんな人間ではないんですが…」
「お前はまだ未熟だが、世界中の将軍らを悩ませるアレを戦闘不能に出来た。これは胸を張って自慢できる一生の功績だ。俺も鼻が高い。
奴は短気だからお前に報復することが十分に考えられるが、今のところ手駒たちを含めお前に手出ししようと動いていない。この様子だと相当なダメージを受けてるんだろう。しかもあの悶絶具合を見れば、お前が弱点になっていてもおかしくなさそうだ。
お前を見つけて良かったよ。本当によくやった。誇らしく思ってるぞ」
バルジアラ様は少年のような屈託のない笑顔を浮かべると、頭をぐしゃぐしゃにされるほど豪快に撫でられた。
◆
ある朝。普段と同じように仲間達と食堂で朝食を食べていると、他愛のない話から昨日の鍛錬の話になった。
「昨日の鬼ごっこ、ドルマードの仕上がりは面白かったなぁ!」
「普通にしていてもクシャミは3回連続で出るのに、小麦粉のせいでクシャミが止まらなくて。あのせいで居場所がバレバレで、みんなに触られて散々だったなぁ…」
「俺はディスコーニに背後を取られるし、触られまくって散々だったよ」
「ヴェストナ様は驚いた時の反応が面白いので、一生懸命気配を消してます」
「くそぉ…。剣術ではディスコーニに負けてないつもりだけど、気配に気付けないなんて。階級章が泣いてるぜ」
「ディスコーニは気配を読むのも消すのも上手くなったよな」
「目隠しをして剣を扱い始めてから、みんなに怪我をさせないように、ぶつからないようにと集中していたら、気配を読むのが得意になった気がします」
「確かにそれはあるよな。自分が仲間を斬るなんて絶対したくないし」
入隊して10ヶ月が過ぎた今、入隊した初日にこの食堂で感じた悪意ある視線にもすっかり慣れただけでなく、1人1人が持つ気配の特徴、木箱や岩などの物体の場所も目隠しをした状態で読み取れるようになった。副官方やバルジアラ様の気配を読むのはまだ難しいのだが、ここまで成長出来たのは間違いなく指導が上手いからだと思う。
「そういえば、ここ最近副官方とやってる魔法と体術を組み合わせた鍛錬。随分と上達してきたね」
「いえ、まだたくさん粗があって。未熟者です」
「いやいや、上達してるのは本当のことだって。剣に魔法を帯びさせた攻撃の応用とは言われるけど、頭で分かってても実際にやるとこれがなかなか難しくてさ。上級兵士になるかどうかの判断基準の1つになるほど難易度が高いんだよ」
「俺やリーベイツ達も出来るようになるまで、結構な時間かかったなぁ…」
「ヴェストナ様は彼女を作る難易度の方が高いのでは?」
「ちげーよ。俺も『運命の人』を待ってるんだよ」
「あはははは!!」
ヴェストナ様はそんな風に言いながら豪快にパンを頬張ると、仲間達が自分を意識しながら大笑いした。
自分の価値観、大事な人をからかわれることに居心地の悪さを感じるものの、彼らから悪意などは感じないし、反論したところで何か変わるわけでもないからと、大人しく口を噤むことにした。
「俺たちも結構練習してるんだけど、そのあたりが上手く行かなくてさ。だから長年中級兵士さ」
「頭では分かってるんだけど、敵に攻撃しながら瞬時に魔法のイメージを作るとなると、どちらかがおざなりになっちゃうんだよな。ディスコーニは割り切って考えるのが上手いから、すんなり出来るのかも?」
「あ~!それはありそう」
朝食を終えて鍛錬場に向かうと、リスドー様を除いた4人の副官方が既に居て、全員が甲冑を脱ぐよう指示された。新しい鍛錬でもするのかと思っていると、遅れてやってきたバルジアラ様とリスドー様が自分の前で立ち止まった。どうしたのかと思っていると、リスドー様からこんもりと膨れた包みを渡された。
「そこの武器倉庫で今からそれに着替えて下さい」
「はい、分かりました」
言われたとおり倉庫に行って包みを開くと、そこには上級兵士しか着れない青碧色の軍服が入っていた。
なぜこの軍服を着るように言われたのか分からないが、指示されたとおりに着替えを済ませると、バルジアラ様、副官方を含めた全員から拍手で迎えられ、みんなの前に立つバルジアラ様の隣に来るよう促された。
「今から人事について発表する。まず最初に、本日よりディスコーニを6人目の副官に任じる。ほら、階級章をつけるからこっちを向け。
いいか。階級章は信頼の証。今の階級章を手放す時は降格か昇格の時のみで、奪われた時は自分が死んだ時だ。生命と同じ価値のあるものだから、例え家族や仲間のような信頼できる者であろうと決して預けるな。分かったな?」
驚きのあまり声も出ずに固まっていると、バルジアラ様に肩を掴まれて強制的に向き合わされ、胸にズシリとした重みのある銀の階級章を着けられた。
「ディスコーニ!おめでとう!」
「やったな!」
「当然の功績だな!」
「尊敬するよ!」
仲間たちは心から嬉しそうに笑って、大きな拍手をしながら祝福の言葉をかけてくれるのだが。なぜ下級兵士である自分が、急に副官に任じられているのか理解出来ない。急すぎる話に頭が真っ白になっていると、今度は気合を入れろとばかりに力強く両肩を掴まれた。
「お前は先の防衛戦であの『桃色宣教師』をたった1人で撃破した。とりあえず部隊を持たせずイストの部隊に所属させたままにするが、俺の片腕になるようしっかり育てていくからな」
「あ、え…っと。私が、ですか? 副官は5人と決まっているのではないですか?」
「確かに副官は5人と決まっているが、お前はそれを破っても文句が言えない武勲をたてた。本当なら将軍、筆頭将軍になってもおかしくないが、まだ経験が浅いということでとりあえず副官にした。
それに。『桃色宣教師』を撤退させたお前を倒せば、奴に勝利したと等しいと考え、お前が下級兵士だろうと真っ先に狙ってくる。そんな状態では、お前の周囲にいる仲間たちも巻き込まれる可能性があるから、お前を副官にして俺やリスドー達の近くに置いていた方が良いと判断した。
あの『桃色宣教師』を撤退させるというのは、俺にもリュバルス様にも、他の将軍共にも出来ない。これはお前の一生の強みだ」
バルジアラ様は自分の肩を掴んでいた手を放すと、今度は目の前に並ぶ仲間たちに視線を移した。
「次に新たに迎える入隊者だが。地方視察に行く時間がなかったし、士官学校の最終演習では興味をそそられる奴はいなかった。よって、新たに部隊に加わる者はゼロだ。
前回俺がディスコーニしか指名しなかったのを他の将軍共は嘲笑ってたが、ディスコーニが化けたからなぁ。指名の順番を決めたってのに、横取りしてやろうと俺を最初に持ってきやがった。だが『今年は指名する者がおりません』と言ったら、連中ぽかーんとしてたぞ。あのマヌケ面、お前らにも見せたかったなぁ」
バルジアラ様はそう言って面白そうに笑うと、リスドー様はその時の様子を思い出したのか、つられるようにぷぷっと小さく笑った。
「この1年、俺の部隊に死者は1人も出なかった。これはどの部隊も出来なかった誇るべき重要なことだが、この先も続くとは限らない。そのためにも部隊を強化していく必要があるが、周囲からどんなに優秀だと言わる奴でも、俺は気に入った奴しか部隊に入れるつもりはない。
今後部隊の主力になるのは士官学校を出た者になっていくが、最終演習にならないと成績を確認出来ないとなっている。決まりだから仕方がないとは思うが、指名での嫌がらせは今後も続くだろうし、もう少し事前に情報を得ておきたい。
そこでだ。ダルウェイ、お前を士官学校に派遣するから、教官として指導しながらよく吟味してこい。
生徒の成績を報告することも、本人を俺の前に連れてくる必要もない。そいつだと連想させるあだ名と失敗談だけを俺に話せ。その程度であればルールに抵触しないし、お前なら上手くやれる。
指導が上手く、面倒見の良いお前が自主鍛錬の相手になってくれているおかげで、部下たちの能力が上がっている。このまま部隊に置いておきたいが、この部隊の将来を託すために送り出す。俺好みの性格をしている奴を見つけてこい」
「はい。お任せ下さい」
「直轄部隊は士官学校の出身者を重用しがちだが、お前たちのように地方の養成学校を出た者にも見どころのある奴はたくさんいる。条件を満たした者であれば部隊に迎えたいが、この先も煩わしいデスクワークに追われて視察に行く機会は増えることはないだろう。
それを解決するために。ライン、お前をボルフォンの地方拠点へ派遣する。お前は忍耐強さと人を見る目がある。お前が俺の目や耳となり、『こいつなら』と思える者を見つけ出し、地方に蔓延る不正の話や証拠も見つけてこい。今いる拠点に用はないと思ったら、次の場所に異動するよう手を回すからどんどん探し出せ。
お前も部隊に欠かせない存在だが、ダルウェイ同様、将来を託すためにここから送り出す。頼んだぞ」
「はい。ご期待に添えるよう行って参ります」
直轄部隊というのは、これから入隊する者や地方兵士の憧れの部隊だと聞いている。士官学校の教官が『直轄部隊に入ることが出来ても、その後の成績次第では地方に異動になることもある』と言っていたから、ラインとダルウェイ様の異動はもっともらしい理由をつけた左遷ではないだろうか。2人が何か失敗したと聞いたことはないが、バルジアラ様は何か気に食わないことがあったのだろうか。
ただでさえ自分のことで頭が真っ白になっていたのに。ラインとダルウェイ様が部隊を離れるなんて、左遷だなんて信じたくなくて、バルジアラ様の言葉を拒否するように思考が完全に停止した。
「ラインとダルウェイは明日部隊を離れる。2人は今から荷物をまとめ、ディスコーニは部屋の移動をしろ。今日は休暇日とし、昼飯の時間から部隊全員で酒宴を開く。城下の酒場を貸し切りにしてある。私服で来るように」
「ディスコーニ、さっそく部屋を移動しようか」
頭が働かない状態が続いていたが、イスト様の声にハッとして後を追った。唐突な人事について、イスト様はどう思っていらっしゃるのだろうか。
「あの…。ラインやダルウェイ様は何かあったのでしょうか。それに私が副官になるなんて、どう考えても不相応だと思うのですが」
「バルジアラ様がおっしゃったように、君は世界の誰もなし得ていない、本当に素晴らしい功績を上げたんだ。確かにみんな強くなろうと日々励んでいるけど、これくらい当然の昇進だと誰もが納得し、心から祝福しているよ」
「あれはただの偶然だと思うのですが…」
「あの『桃色宣教師』を撃退するのが偶然で出来るのなら、もうとっくの昔に成されている。世界中の国々が君の功績に驚いて、問い合わせの手紙をたくさん送ってきているよ」
ラインとダルウェイ様については何があったのか教えて貰えなかったが、自分の功績だと言われていることが、理解の範疇を超えてとんでもないことになっているのは分かった。イスト様は混乱する自分に視線を移すと、何かを思い浮かべているのか、遠くを見るような目で自分を眺めた。
「君がバルジアラ様の右腕となる将軍となり、跡を継ぐ姿が目に浮かぶ。その過程の一場面に立ち会えたことを、私達は本当に誇らしく思うよ」
「どういうことでしょうか。イスト様やリスドー様、ヴェーリ様、アルトファーデル様、モルァニス様を始め、素質のある方はたくさんいます。副官に任じて頂いたのは大変光栄ですが、やはり私には不相応な栄誉です。こんな私が将軍になることはないかと思いますが…」
「一人一人にそれぞれ適した役目がある。ディスコーニはまだ分からないかもしれないけど、私達を含めたみんながそれをよく分かっているんだ。
それと、もう副官になったんだ。ディスコーニは礼儀正しいから最初は遠慮があるかもしれないけど、部隊内で敬称をつけるのはバルジアラ様のみにするんだよ。他の部隊につけ入る隙を与えないように、堂々と胸を張っておくんだ。これからは同僚としてよろしくね」
「はい…」
それぞれに適した役目、というのはなんだろうか。自分に期待してくれていると分かるが、その期待に応えることは出来ないと思う。詳しく聞きたいが、なんとなく今の自分には理解できそうにない気がした。
荷物をまとめると、イストに連れられて王宮と渡り廊下で繋がった黒い楕円形の建物に入った。建物の中には地下に向かう階段もあったが、そちらには進まず階段を登り始めた。
「地下1階の一部と地下2階が地下牢。資料室、倉庫とかは地下1階。1階には小規模鍛錬場に応接室、会議室、食堂などがある。2階が銅の階級章の兵士たちの部屋。3、4階は副官の私室。最上階の5階は副官執務室と将軍の私室、執務室がある。1階の食堂は24時間営業で誰でも利用出来るようになっているんだ。細かいことはこの見取り図に書いてあるから」
「ありがとうございます」
階級章を持つ上級兵士のみがこの建物に入れるのだが、その人達は廊下ですれ違う度に自分を値踏みするような視線で見る。居心地の悪さを感じながらしばらく歩くと、イストは無数にある中の1つの部屋のドアを開けた。
「私達の部屋は4階のここだよ。ディスコーニの部屋の右隣がリスドー。左側は私、ヴェーリ、アルトファーデル、モルァニスの部屋になってるんだ。家庭持ちは自宅に帰っていることもあるけど、緊急の時はバルジアラ様が使いを出すから、気にせず対応してくれて大丈夫だよ。何か分からないことがあったら、いつでも相談してね」
「はい。荷物を置いてきます」
ドアを開けて中に入ると、士官学校の部屋と広さは変わらないがトイレとシャワーが付いている。室内には机と椅子、収納出来る2段の引き出しが土台になったベッド、本棚、小さなクローゼットが置かれた簡素な部屋だ。持ってきた荷物をクローゼットの中に入れると、すぐにイストの待つ廊下に戻った。
「じゃあこれから5階の副官執務室に案内するね。普段書類作成とかで使う部屋で、将軍の執務室と繋がっているんだ。将軍執務室の奥に将軍の私室があるから、バルジアラ様は普段そこで生活されているんだ」
5階にあがって副官執務室に入ると、広い室内には書類が山積みになった机が5つと、何も乗っていない机が1つあり、入ってすぐの場所にある応接セットの前にバルジアラ様が他の副官達と一緒に待っていた。
「ディスコーニ、これから同僚副官として一緒に頑張ろうな!」
「責任ある立場になるけど、緊張しすぎることはないから。徐々に慣れていこうな」
「戸惑うことも多いだろうけど、俺達がしっかりフォローするから堂々とするんだ」
「ディスコーニの机は私の隣です。この部屋に書類が山積みなのは、整理整頓が出来ていないのではなく決済待ちの書類です。これからどんどん山を小さくしていきますから、協力して励みましょう」
イストを除いた4人の副官達と握手をしたり、ハグをしたりして歓迎の挨拶を受けたのだが、リスドーの言葉の後には部屋に響くような大きな溜め息が聞こえた。
「リスドー、プレッシャーをかけるな」
バルジアラ様がそう言うと、リスドーは怒気の籠もった目でギロリと睨んだ。睨まれて怒るどころか、バルジアラ様の視線が一瞬泳いだ様子を見ると、プレッシャーをかけられているのは自分ではなくバルジアラ様のようだ。
「ま、まぁ…。あれだ。リスドーの指示に従って、ちゃんとデスクワークも覚えるんだぞ」
「はい…」
「ディスコーニは鍛錬が一番の仕事になるから、この部屋で仕事をすることは少ないかもしれないけど、しばらくしたらデスクワークも覚えていくから。私達は一足先に着替えて酒場に行こうか」
「はい」
「バルジアラ様は明日からディスコーニの鍛錬ですから、今日のうちに出来るだけ書類を片付けてしまいましょうね。さ、酒宴の前に執務室で一仕事しますよ」
「今日くらいやらなくて良いじゃないか」
「文句は溜め込んだ書類をすべて片付けてからにしてください」
「はいはい…」
「なにが『はいはい』ですか。溜め込んでいるのは貴方様でしょう? デスクワークもちゃんとやらないと、ディスコーニに示しが付きませんよ」
「分かった分かった」
「最近自宅に帰れていないせいで、子どもたちから『本当に生きてたの?!死んだと思ってた!』と言われたんです。それだけでなく、飼い猫には忘れられたのか威嚇までされて…。もういい加減自宅に帰らせて下さい」
「分かったから、とりあえず落ち着け」
「分かったというからには、計画的に処理して下さいますね?」
「ど、努力する」
廊下に出た自分が扉を閉めるまで、バルジアラ様は鬼のような顔をしたリスドーに延々と責められていた。どうやらバルジアラ様のデスクワーク嫌いで大変な苦労をしているようだ。
私服に着替えると、イストと他愛のない話をしながら酒場に向かい始めたのだが。敬称も敬語も使わなくていい、というのは分かっているものの全然慣れない。
『桃色宣教師』が撤退したのは凄いことらしいが、あれは何かしらの偶然が重なっただけであって、自分の力で撤退させたわけではないのに。どうして自分がこうなってしまったのか、なぜラインとダルウェイが部隊を離れることになったのか、少し冷静になった今でも腑に落ちない。
「このまえ士官学校の最終演習に行ったけど、去年あの場にいた君がこんなに成長しているなんて想像もしていなかった。
ディスコーニの鍛錬はサザベルとの合同演習と同じように急務だから、明日からバルジアラ様との個別鍛錬が始まるけど。これを口実にまたバルジアラ様がデスクワークを後回しにするだろうから、鍛錬後は君からもバルジアラ様に執務室へすぐ戻るように伝えてね」
「分かりました」
「副官の仕事は色々あるし、覚えることもたくさんある。一気に覚える必要はないんだけど、今、一番大変な仕事はバルジアラ様にデスクワークをさせることなんだ。
普段の鍛錬で見せるやる気をデスクワークにも向けてくれればいんだけど。執務室に戻って下さいって言うと、子供のようにアレコレと言い訳を作って逃げようとしてね…。リスドーがバルジアラ様のお目付け役として一緒に執務室で仕事しないと、あの方は全然やってくれないんだ。おかげでリスドーは最近自宅に帰れてなくてね。まったく困ったものだよ」
ため息交じりに愚痴をこぼすイストと、バルジアラ様を睨むリスドーを思い出し、副官というのは大変なのだなとぼんやり思った。
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第18.5章は色んな名前が飛び交うため、少しでも分かりやすくなればと、出てくる人達を整理しておきます。ご参考までにどうぞ。
(バルジアラの副官)
●リスドー ※腹心
●イスト
●ヴェーリ
●モルァニス
●アルトファーデル
(下級兵士)
●ライン(リスドーの部隊所属)
●ロア(イストの部隊所属)
●マルア(ヴェーリの部隊所属)
●ロンド(ヴェーリの部隊所属)
●ワンド(アルトファーデルの部隊所属)
●ドルマード(モルァニスの部隊所属)
(階級章のない上級兵士)
●ダナン(イストの部隊所属)
(銅の階級章を持つ上級兵士)
●ダルウェイ(リスドーの部隊所属)
●リーベイツ(モルァニスの部隊所属)
●ヴェストナ(アルトファーデルの部隊所属)
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エルドナとの防衛戦が終わってからというもの、仲間達から言葉ついでにからかわれるようになっただけでなく、自主鍛錬の時には副官の誰かに実践的な鍛錬を指導されるし、他の将軍や副官達から頻繁に自分を観察されるようになった。静かに見られる状態が何日も続いているが、声をかけられるわけでも、睨まれるわけでも、嫌がらせをされるわけでもない。そういう視線は不快で仕方がないのだが、相手が相手なので気にしないことにした。
「バルジアラ殿、防衛戦お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
午前中の鍛錬が終わると、隣の鍛錬場にいたエメルバ様がバルジアラ様に声をかけてきた。
「そちらの彼が?」
「えぇ。そうです」
エメルバ様は自分を見ながらそう言うと、バルジアラ様は少し嬉しそうな声で答えた。短い言葉のやり取りだが、穏やかな空気が漂っているから、このお方とは友好的な関係らしい。
「まさに能ある鷹は爪を隠すということですな。バルジアラ様は本当に良い目をお持ちだ」
「ありがとうございます」
「いやはや、これは面白いことになりました。今後の活躍がより一層楽しくなりそうですな」
エメルバ様が楽しそうな笑顔を浮かべて去っていくと、バルジアラ様は得意げな表情で自分を見た。
「今回のお前の偉業は、『桃色宣教師』の報復を恐れて新聞にこそ載っていないが、戦場詩人や外交文書を通じてすでに世界中に広まっている。
『バルジアラは平凡な男1人しか獲得できなかったのに、そいつがすんげぇ実力を隠していた』と、お前だけでなく、お前を選び育てたとして俺の株も上がった」
「私はそんな人間ではないんですが…」
「お前はまだ未熟だが、世界中の将軍らを悩ませるアレを戦闘不能に出来た。これは胸を張って自慢できる一生の功績だ。俺も鼻が高い。
奴は短気だからお前に報復することが十分に考えられるが、今のところ手駒たちを含めお前に手出ししようと動いていない。この様子だと相当なダメージを受けてるんだろう。しかもあの悶絶具合を見れば、お前が弱点になっていてもおかしくなさそうだ。
お前を見つけて良かったよ。本当によくやった。誇らしく思ってるぞ」
バルジアラ様は少年のような屈託のない笑顔を浮かべると、頭をぐしゃぐしゃにされるほど豪快に撫でられた。
◆
ある朝。普段と同じように仲間達と食堂で朝食を食べていると、他愛のない話から昨日の鍛錬の話になった。
「昨日の鬼ごっこ、ドルマードの仕上がりは面白かったなぁ!」
「普通にしていてもクシャミは3回連続で出るのに、小麦粉のせいでクシャミが止まらなくて。あのせいで居場所がバレバレで、みんなに触られて散々だったなぁ…」
「俺はディスコーニに背後を取られるし、触られまくって散々だったよ」
「ヴェストナ様は驚いた時の反応が面白いので、一生懸命気配を消してます」
「くそぉ…。剣術ではディスコーニに負けてないつもりだけど、気配に気付けないなんて。階級章が泣いてるぜ」
「ディスコーニは気配を読むのも消すのも上手くなったよな」
「目隠しをして剣を扱い始めてから、みんなに怪我をさせないように、ぶつからないようにと集中していたら、気配を読むのが得意になった気がします」
「確かにそれはあるよな。自分が仲間を斬るなんて絶対したくないし」
入隊して10ヶ月が過ぎた今、入隊した初日にこの食堂で感じた悪意ある視線にもすっかり慣れただけでなく、1人1人が持つ気配の特徴、木箱や岩などの物体の場所も目隠しをした状態で読み取れるようになった。副官方やバルジアラ様の気配を読むのはまだ難しいのだが、ここまで成長出来たのは間違いなく指導が上手いからだと思う。
「そういえば、ここ最近副官方とやってる魔法と体術を組み合わせた鍛錬。随分と上達してきたね」
「いえ、まだたくさん粗があって。未熟者です」
「いやいや、上達してるのは本当のことだって。剣に魔法を帯びさせた攻撃の応用とは言われるけど、頭で分かってても実際にやるとこれがなかなか難しくてさ。上級兵士になるかどうかの判断基準の1つになるほど難易度が高いんだよ」
「俺やリーベイツ達も出来るようになるまで、結構な時間かかったなぁ…」
「ヴェストナ様は彼女を作る難易度の方が高いのでは?」
「ちげーよ。俺も『運命の人』を待ってるんだよ」
「あはははは!!」
ヴェストナ様はそんな風に言いながら豪快にパンを頬張ると、仲間達が自分を意識しながら大笑いした。
自分の価値観、大事な人をからかわれることに居心地の悪さを感じるものの、彼らから悪意などは感じないし、反論したところで何か変わるわけでもないからと、大人しく口を噤むことにした。
「俺たちも結構練習してるんだけど、そのあたりが上手く行かなくてさ。だから長年中級兵士さ」
「頭では分かってるんだけど、敵に攻撃しながら瞬時に魔法のイメージを作るとなると、どちらかがおざなりになっちゃうんだよな。ディスコーニは割り切って考えるのが上手いから、すんなり出来るのかも?」
「あ~!それはありそう」
朝食を終えて鍛錬場に向かうと、リスドー様を除いた4人の副官方が既に居て、全員が甲冑を脱ぐよう指示された。新しい鍛錬でもするのかと思っていると、遅れてやってきたバルジアラ様とリスドー様が自分の前で立ち止まった。どうしたのかと思っていると、リスドー様からこんもりと膨れた包みを渡された。
「そこの武器倉庫で今からそれに着替えて下さい」
「はい、分かりました」
言われたとおり倉庫に行って包みを開くと、そこには上級兵士しか着れない青碧色の軍服が入っていた。
なぜこの軍服を着るように言われたのか分からないが、指示されたとおりに着替えを済ませると、バルジアラ様、副官方を含めた全員から拍手で迎えられ、みんなの前に立つバルジアラ様の隣に来るよう促された。
「今から人事について発表する。まず最初に、本日よりディスコーニを6人目の副官に任じる。ほら、階級章をつけるからこっちを向け。
いいか。階級章は信頼の証。今の階級章を手放す時は降格か昇格の時のみで、奪われた時は自分が死んだ時だ。生命と同じ価値のあるものだから、例え家族や仲間のような信頼できる者であろうと決して預けるな。分かったな?」
驚きのあまり声も出ずに固まっていると、バルジアラ様に肩を掴まれて強制的に向き合わされ、胸にズシリとした重みのある銀の階級章を着けられた。
「ディスコーニ!おめでとう!」
「やったな!」
「当然の功績だな!」
「尊敬するよ!」
仲間たちは心から嬉しそうに笑って、大きな拍手をしながら祝福の言葉をかけてくれるのだが。なぜ下級兵士である自分が、急に副官に任じられているのか理解出来ない。急すぎる話に頭が真っ白になっていると、今度は気合を入れろとばかりに力強く両肩を掴まれた。
「お前は先の防衛戦であの『桃色宣教師』をたった1人で撃破した。とりあえず部隊を持たせずイストの部隊に所属させたままにするが、俺の片腕になるようしっかり育てていくからな」
「あ、え…っと。私が、ですか? 副官は5人と決まっているのではないですか?」
「確かに副官は5人と決まっているが、お前はそれを破っても文句が言えない武勲をたてた。本当なら将軍、筆頭将軍になってもおかしくないが、まだ経験が浅いということでとりあえず副官にした。
それに。『桃色宣教師』を撤退させたお前を倒せば、奴に勝利したと等しいと考え、お前が下級兵士だろうと真っ先に狙ってくる。そんな状態では、お前の周囲にいる仲間たちも巻き込まれる可能性があるから、お前を副官にして俺やリスドー達の近くに置いていた方が良いと判断した。
あの『桃色宣教師』を撤退させるというのは、俺にもリュバルス様にも、他の将軍共にも出来ない。これはお前の一生の強みだ」
バルジアラ様は自分の肩を掴んでいた手を放すと、今度は目の前に並ぶ仲間たちに視線を移した。
「次に新たに迎える入隊者だが。地方視察に行く時間がなかったし、士官学校の最終演習では興味をそそられる奴はいなかった。よって、新たに部隊に加わる者はゼロだ。
前回俺がディスコーニしか指名しなかったのを他の将軍共は嘲笑ってたが、ディスコーニが化けたからなぁ。指名の順番を決めたってのに、横取りしてやろうと俺を最初に持ってきやがった。だが『今年は指名する者がおりません』と言ったら、連中ぽかーんとしてたぞ。あのマヌケ面、お前らにも見せたかったなぁ」
バルジアラ様はそう言って面白そうに笑うと、リスドー様はその時の様子を思い出したのか、つられるようにぷぷっと小さく笑った。
「この1年、俺の部隊に死者は1人も出なかった。これはどの部隊も出来なかった誇るべき重要なことだが、この先も続くとは限らない。そのためにも部隊を強化していく必要があるが、周囲からどんなに優秀だと言わる奴でも、俺は気に入った奴しか部隊に入れるつもりはない。
今後部隊の主力になるのは士官学校を出た者になっていくが、最終演習にならないと成績を確認出来ないとなっている。決まりだから仕方がないとは思うが、指名での嫌がらせは今後も続くだろうし、もう少し事前に情報を得ておきたい。
そこでだ。ダルウェイ、お前を士官学校に派遣するから、教官として指導しながらよく吟味してこい。
生徒の成績を報告することも、本人を俺の前に連れてくる必要もない。そいつだと連想させるあだ名と失敗談だけを俺に話せ。その程度であればルールに抵触しないし、お前なら上手くやれる。
指導が上手く、面倒見の良いお前が自主鍛錬の相手になってくれているおかげで、部下たちの能力が上がっている。このまま部隊に置いておきたいが、この部隊の将来を託すために送り出す。俺好みの性格をしている奴を見つけてこい」
「はい。お任せ下さい」
「直轄部隊は士官学校の出身者を重用しがちだが、お前たちのように地方の養成学校を出た者にも見どころのある奴はたくさんいる。条件を満たした者であれば部隊に迎えたいが、この先も煩わしいデスクワークに追われて視察に行く機会は増えることはないだろう。
それを解決するために。ライン、お前をボルフォンの地方拠点へ派遣する。お前は忍耐強さと人を見る目がある。お前が俺の目や耳となり、『こいつなら』と思える者を見つけ出し、地方に蔓延る不正の話や証拠も見つけてこい。今いる拠点に用はないと思ったら、次の場所に異動するよう手を回すからどんどん探し出せ。
お前も部隊に欠かせない存在だが、ダルウェイ同様、将来を託すためにここから送り出す。頼んだぞ」
「はい。ご期待に添えるよう行って参ります」
直轄部隊というのは、これから入隊する者や地方兵士の憧れの部隊だと聞いている。士官学校の教官が『直轄部隊に入ることが出来ても、その後の成績次第では地方に異動になることもある』と言っていたから、ラインとダルウェイ様の異動はもっともらしい理由をつけた左遷ではないだろうか。2人が何か失敗したと聞いたことはないが、バルジアラ様は何か気に食わないことがあったのだろうか。
ただでさえ自分のことで頭が真っ白になっていたのに。ラインとダルウェイ様が部隊を離れるなんて、左遷だなんて信じたくなくて、バルジアラ様の言葉を拒否するように思考が完全に停止した。
「ラインとダルウェイは明日部隊を離れる。2人は今から荷物をまとめ、ディスコーニは部屋の移動をしろ。今日は休暇日とし、昼飯の時間から部隊全員で酒宴を開く。城下の酒場を貸し切りにしてある。私服で来るように」
「ディスコーニ、さっそく部屋を移動しようか」
頭が働かない状態が続いていたが、イスト様の声にハッとして後を追った。唐突な人事について、イスト様はどう思っていらっしゃるのだろうか。
「あの…。ラインやダルウェイ様は何かあったのでしょうか。それに私が副官になるなんて、どう考えても不相応だと思うのですが」
「バルジアラ様がおっしゃったように、君は世界の誰もなし得ていない、本当に素晴らしい功績を上げたんだ。確かにみんな強くなろうと日々励んでいるけど、これくらい当然の昇進だと誰もが納得し、心から祝福しているよ」
「あれはただの偶然だと思うのですが…」
「あの『桃色宣教師』を撃退するのが偶然で出来るのなら、もうとっくの昔に成されている。世界中の国々が君の功績に驚いて、問い合わせの手紙をたくさん送ってきているよ」
ラインとダルウェイ様については何があったのか教えて貰えなかったが、自分の功績だと言われていることが、理解の範疇を超えてとんでもないことになっているのは分かった。イスト様は混乱する自分に視線を移すと、何かを思い浮かべているのか、遠くを見るような目で自分を眺めた。
「君がバルジアラ様の右腕となる将軍となり、跡を継ぐ姿が目に浮かぶ。その過程の一場面に立ち会えたことを、私達は本当に誇らしく思うよ」
「どういうことでしょうか。イスト様やリスドー様、ヴェーリ様、アルトファーデル様、モルァニス様を始め、素質のある方はたくさんいます。副官に任じて頂いたのは大変光栄ですが、やはり私には不相応な栄誉です。こんな私が将軍になることはないかと思いますが…」
「一人一人にそれぞれ適した役目がある。ディスコーニはまだ分からないかもしれないけど、私達を含めたみんながそれをよく分かっているんだ。
それと、もう副官になったんだ。ディスコーニは礼儀正しいから最初は遠慮があるかもしれないけど、部隊内で敬称をつけるのはバルジアラ様のみにするんだよ。他の部隊につけ入る隙を与えないように、堂々と胸を張っておくんだ。これからは同僚としてよろしくね」
「はい…」
それぞれに適した役目、というのはなんだろうか。自分に期待してくれていると分かるが、その期待に応えることは出来ないと思う。詳しく聞きたいが、なんとなく今の自分には理解できそうにない気がした。
荷物をまとめると、イストに連れられて王宮と渡り廊下で繋がった黒い楕円形の建物に入った。建物の中には地下に向かう階段もあったが、そちらには進まず階段を登り始めた。
「地下1階の一部と地下2階が地下牢。資料室、倉庫とかは地下1階。1階には小規模鍛錬場に応接室、会議室、食堂などがある。2階が銅の階級章の兵士たちの部屋。3、4階は副官の私室。最上階の5階は副官執務室と将軍の私室、執務室がある。1階の食堂は24時間営業で誰でも利用出来るようになっているんだ。細かいことはこの見取り図に書いてあるから」
「ありがとうございます」
階級章を持つ上級兵士のみがこの建物に入れるのだが、その人達は廊下ですれ違う度に自分を値踏みするような視線で見る。居心地の悪さを感じながらしばらく歩くと、イストは無数にある中の1つの部屋のドアを開けた。
「私達の部屋は4階のここだよ。ディスコーニの部屋の右隣がリスドー。左側は私、ヴェーリ、アルトファーデル、モルァニスの部屋になってるんだ。家庭持ちは自宅に帰っていることもあるけど、緊急の時はバルジアラ様が使いを出すから、気にせず対応してくれて大丈夫だよ。何か分からないことがあったら、いつでも相談してね」
「はい。荷物を置いてきます」
ドアを開けて中に入ると、士官学校の部屋と広さは変わらないがトイレとシャワーが付いている。室内には机と椅子、収納出来る2段の引き出しが土台になったベッド、本棚、小さなクローゼットが置かれた簡素な部屋だ。持ってきた荷物をクローゼットの中に入れると、すぐにイストの待つ廊下に戻った。
「じゃあこれから5階の副官執務室に案内するね。普段書類作成とかで使う部屋で、将軍の執務室と繋がっているんだ。将軍執務室の奥に将軍の私室があるから、バルジアラ様は普段そこで生活されているんだ」
5階にあがって副官執務室に入ると、広い室内には書類が山積みになった机が5つと、何も乗っていない机が1つあり、入ってすぐの場所にある応接セットの前にバルジアラ様が他の副官達と一緒に待っていた。
「ディスコーニ、これから同僚副官として一緒に頑張ろうな!」
「責任ある立場になるけど、緊張しすぎることはないから。徐々に慣れていこうな」
「戸惑うことも多いだろうけど、俺達がしっかりフォローするから堂々とするんだ」
「ディスコーニの机は私の隣です。この部屋に書類が山積みなのは、整理整頓が出来ていないのではなく決済待ちの書類です。これからどんどん山を小さくしていきますから、協力して励みましょう」
イストを除いた4人の副官達と握手をしたり、ハグをしたりして歓迎の挨拶を受けたのだが、リスドーの言葉の後には部屋に響くような大きな溜め息が聞こえた。
「リスドー、プレッシャーをかけるな」
バルジアラ様がそう言うと、リスドーは怒気の籠もった目でギロリと睨んだ。睨まれて怒るどころか、バルジアラ様の視線が一瞬泳いだ様子を見ると、プレッシャーをかけられているのは自分ではなくバルジアラ様のようだ。
「ま、まぁ…。あれだ。リスドーの指示に従って、ちゃんとデスクワークも覚えるんだぞ」
「はい…」
「ディスコーニは鍛錬が一番の仕事になるから、この部屋で仕事をすることは少ないかもしれないけど、しばらくしたらデスクワークも覚えていくから。私達は一足先に着替えて酒場に行こうか」
「はい」
「バルジアラ様は明日からディスコーニの鍛錬ですから、今日のうちに出来るだけ書類を片付けてしまいましょうね。さ、酒宴の前に執務室で一仕事しますよ」
「今日くらいやらなくて良いじゃないか」
「文句は溜め込んだ書類をすべて片付けてからにしてください」
「はいはい…」
「なにが『はいはい』ですか。溜め込んでいるのは貴方様でしょう? デスクワークもちゃんとやらないと、ディスコーニに示しが付きませんよ」
「分かった分かった」
「最近自宅に帰れていないせいで、子どもたちから『本当に生きてたの?!死んだと思ってた!』と言われたんです。それだけでなく、飼い猫には忘れられたのか威嚇までされて…。もういい加減自宅に帰らせて下さい」
「分かったから、とりあえず落ち着け」
「分かったというからには、計画的に処理して下さいますね?」
「ど、努力する」
廊下に出た自分が扉を閉めるまで、バルジアラ様は鬼のような顔をしたリスドーに延々と責められていた。どうやらバルジアラ様のデスクワーク嫌いで大変な苦労をしているようだ。
私服に着替えると、イストと他愛のない話をしながら酒場に向かい始めたのだが。敬称も敬語も使わなくていい、というのは分かっているものの全然慣れない。
『桃色宣教師』が撤退したのは凄いことらしいが、あれは何かしらの偶然が重なっただけであって、自分の力で撤退させたわけではないのに。どうして自分がこうなってしまったのか、なぜラインとダルウェイが部隊を離れることになったのか、少し冷静になった今でも腑に落ちない。
「このまえ士官学校の最終演習に行ったけど、去年あの場にいた君がこんなに成長しているなんて想像もしていなかった。
ディスコーニの鍛錬はサザベルとの合同演習と同じように急務だから、明日からバルジアラ様との個別鍛錬が始まるけど。これを口実にまたバルジアラ様がデスクワークを後回しにするだろうから、鍛錬後は君からもバルジアラ様に執務室へすぐ戻るように伝えてね」
「分かりました」
「副官の仕事は色々あるし、覚えることもたくさんある。一気に覚える必要はないんだけど、今、一番大変な仕事はバルジアラ様にデスクワークをさせることなんだ。
普段の鍛錬で見せるやる気をデスクワークにも向けてくれればいんだけど。執務室に戻って下さいって言うと、子供のようにアレコレと言い訳を作って逃げようとしてね…。リスドーがバルジアラ様のお目付け役として一緒に執務室で仕事しないと、あの方は全然やってくれないんだ。おかげでリスドーは最近自宅に帰れてなくてね。まったく困ったものだよ」
ため息交じりに愚痴をこぼすイストと、バルジアラ様を睨むリスドーを思い出し、副官というのは大変なのだなとぼんやり思った。
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