天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第8章 旅は道連れ

9.後ろ暗い国

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翌日、私は王宮の軍人専用の一室で治療の仕事をしていた。
見ただけで威圧感が凄い屈強な兵士が2人護衛についたのだが、この2人は私の護衛というよりルクトを監視しているのが私にも分かった。


治療を受ける兵士達は、傭兵と違って基本的にナンパなんてしてこないから、治療院での治療と比べてスムーズにいくし精神的にも楽なはずなのに、今回は別の意味でとても疲れる。
2人の護衛はあからさまにルクトを睨むように見ているから、きっと彼自身も居心地が悪い事この上ないだろう。




そして私の方は、いつもと変わらず淡々と治療しているのだが、2人の護衛の存在だけでなく、治療の内容でもとても疲れていた。


「先日戦場から戻ったのですが、その時から何だか身体に不調がありまして…」


「そうですか。治療しますので、そこのベッドに横になってくれますか?」



私は横になった兵士の首元に手を当てて目を閉じると、呪いの世界に引き込まれた。





「はぁ。またこのウサギさんか…。これで3回目かな?」

今解呪しようとしている患者だけでなく、私の治療を受けに来たほとんどの兵士は、こうして呪われているのだ。




白い空間にいる私の目の前には、呪いの本体である赤い目で白くでっぷりと太ったウサギが1匹、こちらをジッと見て座っている。

これは初歩の初歩と言っていいほどのもので、『幸福の吸血』と呼ばれる呪いだ。



この呪いは、術を受けた人が幸せに感じることを吸い取る。

健康が自慢の人が呪いを受けると、軽い風邪を引いたような状態になったり、身体が重だるく感じるなどの変調を訴える。
食べる時に幸せを感じる人だと、食欲がなくなったり、吐き気を催したりする。


とても地味な効果しか与えない呪いで、護符があればちゃんと防げる。

今、私の目の前にいる呪いの本体のイメージであるウサギは、患者の幸せを随分と吸っているらしく丸々と太っている。






この呪いの本体は、術者によってイメージが変わる。

今回治療するに当たって遭遇したのは、今、目の前に居るウサギの他に、鳥だったり、ネズミだったりしているが、どれも同じ『幸福の吸血』の術だ。

同じ術でイメージがまったく同じ、というのは術者が同一人物でしかあり得ないことなので、1人の術者が複数の人に呪いをかけていることを示していた。




「ほらほら。もうお腹いっぱいでしょ?楽にしてあげるから、大人しくしてるんだよ」


幸福を吸いすぎて太り過ぎたあまり、逃げようにも身体が動かないウサギは、私の浄化の魔法で砂のようにボロボロと崩れ去った。






「はい、終わりました。もう大丈夫です」


「ありがとうございました」



次の患者を部屋に呼んだのだが。
本日何人目だろうかと、ついため息を吐きたくなる同じ症状だ。






「最近、なんだか悪夢ばかり見て眠れないんです」

「そう…ですか。そちらのベッドに横になって下さい」



私の所に来る男性兵士は、ほとんど『幸福の吸血』を受けた兵士ばかりだ。そして不思議なことに、本人がその変調が呪いの影響だと分かっていないのが特徴だった。





ようやく全員の治療というか解呪を終えた時、私は精神的にどっぷり疲れていた。


「シェニカ様。治療ありがとうございました」


ルクトと2人で部屋の片付けをしていると、アステラ将軍は巨体に鋭い目つきには似合わないような、にこやかな顔をして私に話しかけてきた。





「アステラ様。今日、私のところに来た兵士の方のほとんどが呪いを受けていました。ご存知でしたか?」


呪いを受けているのは下級兵士が多かったとは言え、複数の術者から同じ呪いを知らぬ間にかけられている状況は、将軍の耳に入れてあげるべきだろう。




「呪いですか?いいえ、知りませんでした」


アステラ将軍は驚いた顔をしていたから、どうやら初耳のようだ。





「悪夢を見せたり、身体のちょっとした不調を起こし続ける嫌がらせレベルの『幸福の吸血』です」


「そうですか」


「では、明日からは街での治療に入ります。では、これで失礼します」


「こちらこそありがとうございました。門まで送りましょう」





アステラ将軍の先導で長い廊下をゆっくりとした歩調で歩いていているが、不思議と誰ともすれ違わなかった。

先頭を行くアステラ将軍、私、ルクト、後ろを歩く2人の護衛の足音だけが、黒い石で作られた王宮の廊下に静かに響いていた。



窓が少ないから薄暗く、外壁と同じ黒い壁と床がどこまでも続いている。変わらない景色をゆっくり歩いていると、方向感覚を失って迷子になりそうだ。


それに…。来た時は、こんなに部屋と入り口までの移動に時間がかかっただろうか。






「シェニカ様の護衛は、ルクトさんとおっしゃるのでしたか。見たところかなり腕の立つ方のようですが、どこかの戦場で功績を挙げた方ですか?貴方と同じ名前が傭兵のSSランクに書いてあるんですが」

色々考えていると、アステラ将軍が前を向いたまま急に口を開いた。



「それがどうかしたのかよ」

ルクトがぶっきらぼうに返事をすると、ゆっくりとした歩みを止めない将軍は、一瞬ルクトの方に顔を向けたがすぐに前を向いた。




「近いうちに我々も戦場に行くのですが、その前に手合わせでもいかがですか?」


「悪いが、俺は護衛だから許可なく雇い主のそばを離れることはできねぇな」


「ではシェニカ様。彼との手合わせを許可して頂けませんか?」


アステラ将軍は視線を前方に固定したまま、今度は私にそう声をかけてきた。
将軍が護衛と手合わせをしたいなんて申し出るなんて、今まで旅をしてきて初めて言われた。


ルクトは強い人との手合わせは好きだろうが、彼が遠回しに断るような返事を返しているから、きっと彼の答えはノーなのだろう。



「私はこちらでの治療を終えればすぐに旅立つつもりです。ですので、申し訳ありませんが許可はできません」


「休養日ということで何日か滞在を伸ばして頂けませんか?
手合わせ中はこちらで護衛を用意しますので、神殿でのご用事などをお済ませになってはいかがですか?」


「先を急ぐ旅ですから」


「そうですか、それは残念です」


何とか将軍の話を躱し、宿屋に戻ってレオンを交えて食堂で食事をした後、壁を隔てる扉を開けるようにルクトから声をかけられた。



「どうしたの?」


「今日の治療の話をレオンが聞きたいって言ってる」

昨晩酒盛りをした私の部屋のソファで、私はお茶、レオンとルクトはお酒を飲みながら話すことになった。




「今日の兵士の治療だけど、何だか不思議な感じだったよ」


「不思議な感じ?」


レオンが持っていた酒瓶をグッと一口煽るように飲むと首を傾げた。




「兵士の人達も普段は護符を身につけているはずなのに、嫌がらせレベルの初歩の呪いを受けていたの。
解呪は私じゃなくて白魔道士で十分可能なのに、本人が呪いだって自覚してないから私の所に来たんだけど。なんで気付かないのか不思議なんだよね。

護符を持っていない状況で術をかけられてる様子から考えて、きっと身内とか親しい人からかけられたんだろうから、まさか呪いをかけられてるなんて思わなかったのかな」




「「なるほどね」」

ルクトとレオンはため息混じりにそう言って顔を見合わせた。2人は何かに思い当たったらしい。何か原因を知っているのだろうか。




「実はな、この国と小競り合いを起こしている小国から、娼婦が大勢流れてきてるらしい。
最近傭兵や兵士連中の間じゃ、その娼婦達が人気らしいんだ。今日、傭兵組合や酒場に行ったが、何だか調子が悪いって言う傭兵連中がちらほら居てね。
感染うつる病気が流行りだしたのかと思ったが、さっきルクトから治療を受けに来た兵士の様子を聞いたら、もしかしてと思ってね」


「じゃあ…」


「多分、その娼婦が呪いをかけているんだろ。呪いが使えるってことは、女兵士を娼婦として送り込んで来てるんだろうな」


なるほど。道理で呪いのイメージが何だか可愛らしい動物ばかりだったのか。

しかし、わざわざ女性兵士を娼婦として送り込むなんて大丈夫なのだろうか。嫌がらせレベルでも、呪いをかけ続ければ軍人や傭兵の間で呪われた人がどんどん増える。
そうなれば当然軍部の上層部の耳にも入り、娼婦として送り込まれた女性兵士が敵国のスパイとして捕らえられてしまうだろうに。



「そっか…。でも私は軍部に関わりたくないから、原因が分かってもどうにも出来ないよ?」


「嬢ちゃんの立場は分かってるから、何もしなくて良い。俺達が気をつければ良いんだからな。
だが、明日嬢ちゃんの治療を受けに来る奴の多くが呪いの影響だろうな」


「そっか。護符があれば防げるレベルの呪いって伝えたし、あの将軍も何となく分かったと思うから、しばらくすると落ち着くでしょ」


ふと、王宮の門まで一緒に歩いたアステラ将軍のことを思い出した。


どの国の将軍も、にこやかな顔をしていても威圧感のある雰囲気があるし、怖いからあまり近寄りたくない。それだけでなく、あの将軍はルクトに手合わせを言い出したりして、何を考えているのか分からなくて嫌だった。



「そういえば、将軍からルクトに手合わせの申し込みされたんだって?」


「うん。私、断ったけど良かった…?」


「もちろんだ。この国の奴らはいけ好かねぇからな。早めに出て行く方が良い」

ルクトはソファの肘掛けに頬杖をつきながらお酒の入った瓶を一口煽った。




「俺も同感だ。コロシアムを楽しんだら別の国に行くことにするよ」


「そっか。じゃあまたどこかで会うと良いね」


「嬢ちゃんはこの国を出たら、次はどこに行く予定なんだ?」


「今度はマードリア方面に行こうかな」


「マードリアか…分かった」


「ふぁ~。今日は解呪ばっかりで疲れたから、そろそろ寝るね」


私が欠伸をしながらソファから立ち上がると、2人も酒瓶などを持って部屋へと戻って行った。




マードリアという小国は国土は狭いが、豊富な金脈を持つ鉱山を有しているので、この鉱山を目当てによく周辺国から侵攻されている。

マードリアは自国に優秀な軍を抱えているが、隣にある大国サザベルと軍事同盟を結んでいるから、他国から侵攻された時に援軍としてサザベルの軍を派兵してもらっているのが特徴的な国だ。


一度マードリアに行ったことはあるが、ここはサザベルの属国か?と思えるくらい、サザベルの兵士をよく見かけた。でもそれは一般人にもマードリア兵にとっても見慣れた光景らしく、何も不思議に感じていないようだった。



3人で話をしながらの夜も、あと数日だけと考えると何だか寂しい。
もっとこんな楽しい時間が過ごせればいいのにな、と思いながら私は眠りについた。





ーーーーーーーーーー



シェニカの部屋から自分達の部屋に戻った後、レオンはベッドに腰掛けて剣の手入れをし始めた。
俺もついでにと剣の手入れを始めると、外の気配が動いた。



「今日、俺にも暗殺用の尾行がついてたよ」


レオンも外の動く気配には気付いているが、剣の手入れをする手は止めず、面倒くさそうに言い放った。




「そうか。だが、お前はここじゃ傭兵稼業はしないんだろ?」


「そのつもりだ。この国はやけに後ろ暗いんだよな。有益なものは骨の髄まで使うつもりらしいが、そのやり方が気に食わねぇな」


「何かやってるのか?」


「一部の傭兵の間でひっそり回ってる噂話なんだが、戦場に行ったらトラントの軍部から傭兵たちに増強剤を渡されるらしい。
その増強剤は集中力を一時的に引き上げて魔法の威力を高める薬らしいんだが、その増強剤に依存性の低い麻薬が混ざっているらしいぞ」


「麻薬?」


「依存性は低いから最初は気付かないらしいんだが、戦場にいる間は毎日渡されるらしい。それを飲めば集中力が高まるから、確かに魔法の威力は高まる。
だが次第に依存性の高い麻薬が混ぜられて、勝敗が決した時にはすっかり依存しているってわけだ。
そしたらその傭兵たちを街に戻さず、戦場から戦場へと移動させて、増強剤を餌にして狂戦士と化した傭兵を手駒にしているらしい」



「傭兵なんて捨て駒だと思ってる奴が多いのは分かるが、そこまでするのは最悪だな」


軍人のほとんどが、傭兵を金で立場を変えるロクでもない奴だと思って見下している。

傭兵は軍部が兵士を行かせたくない僻地や、相手と圧倒的に数の差がある時など、捨て駒のような扱いを受けることもザラにある。
それが傭兵の役割だと思っているが、それでも麻薬漬けにするなんて最悪なことをするとは聞いたことが無い。



麻薬を使うことは、別に世界共通の法律で禁止されているわけじゃない。どう使おうがその国次第だが、ほとんどの国は、人道的な面から最低限のルールの一つとして戦場での麻薬の使用は行っていない。

もし麻薬の戦場での使用が世界中に知られれば、この国には当然傭兵は近寄らなくなるし、軍人も「明日は我が身」と思って退役する者が続出するだろう。
加えて、この国との貿易品についても「もしかして商品に麻薬が入っているのではないか」と他国は疑うから、関所では時間をかけて詳細な検査をすることになるだろう。


麻薬を戦場で使うことはそれなりのデメリットがあるから、どの国もやっていないはずなのだが。





「だろ?そして使い物にならなくなったら、戦場でろくに治療もせずに放置するか、このやり方を取ってることを発覚させないように殺して口を封じるらしい」


「なるほどね。送り込まれた娼婦の呪いなんてかわいいもんだな」


「ルクト、お前も注意しろよ。『白い渡り鳥』本人にはやつらは拘束したり自由を奪うことは出来ないが、護衛は話が別だ。
あいつら、嬢ちゃんだけじゃなく俺らも利用しようとしてるからな」


「あぁ。そうするよ。お前もつい熱が入ってコロシアムで活躍し過ぎないようにな」


「ははは!適度に力を抜いて負けるのも一興だ。上手くやるよ」





レオンの話を聞きながら、俺は将軍のあの目を思い出した。

シェニカに対してはにこやかな笑顔の仮面を張り付けていたが、俺を見る目はその仮面の下に隠している一切の感情を篭めない、将軍らしい冷たく鋭利な目だった。


レオンの話を聞けば、その目の意味も、俺に対して急に手合わせを申し出てきた理由も十分納得できた。



手合わせをすれば、適当におだてるか何かして理由をこじつけ、俺をシェニカから引き離して戦場に送り、他の傭兵同様に麻薬漬けにするつもりだったのだろう。

まともな護衛を失くして困り果てるシェニカを、そのままこの国に留めることも出来て一石二鳥だ。





だが、こいつらの思い通りになどさせるつもりなど毛頭ない。


こんな後ろ暗い国は、俺にもシェニカにもレオンにも良くない。用事を済ませれば、さっさと出て行くべきだ。

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