天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第8章 旅は道連れ

6.貴族の依頼

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ベルチェの街でシェニカが治療院を開くと、民間人や傭兵、貴族やその使用人まで、大勢の患者が怪我や病気の治療を求めてひっきりなしにやって来た。
シェニカがいつも通り淡々と治療をしていると、この街の町長の家にいたヨボヨボの爺さんが、使用人に助けられながら杖をついて治療院にやって来た。


「先生、ありがとうございました」


「いいえ。往診を希望されたら喜んで行きましたのに。わざわざここまで来て頂いてありがとうございました。年齢による身体の不調は魔法ではどうしようもないので、お身体には御自愛下さいね」

眉毛まで真っ白の爺さんは、ベッドからゆっくりと起き上がろうとし始めた。すかさず使用人が手助けをしようとしたが、爺さんは手でそれを制した。



「ええ。痛かった腰も随分良くなったので、これから孫とのんびり日向ぼっこして過ごします。よっこらしょ」

この爺さんは動作がゆっくりしているから、ベッドから起き上がるのも立ち上がるのもゆっくりだ。だが、時間はかかっても自分で起き上がれるというのは、治療の効果があったのだろう。

そんな爺さんにシェニカは他愛のない話を始めると、この街のことで盛り上がり始めた。


「そういえば、この辺は水があって気候もいいのに、どうして草や木がないんですか?」


「草木が生えないのは、大昔に遠くの山が噴火したからだとか、暴走した黒魔道士が焼き尽くしたとか、色々と言われていますがよく分かっていないんです。

この地方の昔話でこういう話があるんです。
時の国王が『砂地の大地は不毛の大地のようだ』と言って、首都の砂を深くまで掘り返し、その場所に泥や大きな岩、砂利などを大量に入れて、かなり大がかりな土壌改良をしたらしいのです。その結果、城壁の中は緑が育つ環境になって、その王は後に賢王として世界に名を馳せたとか。
実際、首都の城壁の中は草木が生えていますが、城壁の外はここと同じ色の砂地が広がっているんですよ。
ですが、この土地は昔から砂と川の水で染め物をしていたので、環境を変えたくなくてそのままの状態にしてあるとか」


「なるほど。そうなんですね~」


「ふぅ。よっこらしょっと。では、失礼します。治療ありがとうございました」

爺さんは杖をつきながらも、来た時よりも早いスピードで治療院を後にしていた。その後ろ姿を見送るシェニカは、とても嬉しそうな顔をしていた。




そしてそろそろ治療院を閉めようかという時間に、貴族の夫婦が人目を忍んでいるのか、暗い茶色のローブをまとい、目深にフードを被ってやって来た。


「シェニカ様。実は先日我々の娘が男児を生んだのですが、鑑定をお願いできます?」

治療部屋に入ってくると夫婦はフードを取ったが、気の強そうなババアがシェニカに有無を言わせない顔をしてそう言い放った。



「鑑定…ですか。分かりました、どちらに行けばよろしいですか?」


『鑑定』というのが何か分からなかった俺は、隣で立っているレオンに表情だけで「知っているか?」と聞いてみたが、奴も「知らねぇ」という答えを同じ方法で返した。


「街の西に我が家の別荘がありますの。そこに娘は赤子と共におります。ご案内いたしますわ」


「分かりました。では、行きましょうか」


夫婦の案内で連れていかれたのは、外壁に蔦が覆い茂った立派な屋敷だった。
別荘の前まで案内されると、なぜか立派な正面玄関ではなく、屋敷の裏手にある小さな扉から中に入った。
隠し通路なのか、狭くて薄暗い廊下を歩いて長い階段を進むと、誰もいない廊下を横切ってようやく1つの部屋の中に通された。



「こちらです。イレニア、『白い渡り鳥』のシェニカ様が鑑定してくれるぞ」

ジジイがそう言うと、豪華なソファで浮かない表情で赤子をあやしていた黒髪の若い女が、パッと明るい表情を浮かべた。



「3人を呼んできてちょうだい」

ババアが部屋の隅にいた1人の使用人にそう言うと、しばらくして部屋に3人の若い男が浮かない表情で入って来た。
3人の男が部屋に現れるまでの間、ババアと女が小声でヒソヒソと話していて、シェニカはそんな2人から背を向けるように壁の本棚を見て、声に出さない深い溜め息をついていた。


「鑑定する男性は、こちらの3名でよろしいですか?」

シェニカが視線を向けたのは、気の弱そうな顔をした細身の男、貴族らしくない目つきが鋭い男、小太りの派手なスーツを着た男で、共通点と言えば全員黒髪なことだ。


「ええ。そうです」

女が短くそう答えると、シェニカは女と赤子に近寄って、それぞれの胸の前で手をかざした。それと同じように、部屋の隅にいた3人の男達にも手をかざし始めた。
その動作を繰り返している間、部屋の中はシーンと静まり返り、ゴクリと誰かの喉がなる音が何度か響いていた。

そしてシェニカは1人の男の前に立った。



「鑑定の結果はこちらの男性です」

緊張感が張り詰めていた部屋に、シェニカの凜とした声が響いた。



「まぁっ!良かったわぁ」


「イレニア!バロウズはやっぱり僕の子だったんだね!」

その瞬間女は喜びの声をあげ、小太りの男が嬉しそうな顔をして娘と赤子に近付いた。



「まったくイレニアは、パルサ君との結婚後も関係を切れないなんて…。まったく困った子ですね」

さっきの緊張感が漂う空気が一変してホッとした空気が流れ始めると、ババアが困ったように女に話しかけた。


「でも、この子が彼の子なんだから、もう心配ないでしょう?」


「ええ。正式な夫との間の子供ですから問題はないけど…。あくまでも私達が大目に見られるのは結婚前だけですよ。私達は王族じゃないのですから、もう関係は清算しなさいな」


「はぁい。お母様。そういうわけで、イーニアスとファイザーとはお別れね。楽しかったわ」

女がそういうと、残った2人の男はホッとした表情で部屋から出て行った。



「私達の時は、堂々と複数の恋人を持てるのは王族だけだったと言うのに…。まったく、1世代違うと色々と変わるものですわね」


「まったくだ。イレニア、我々は貴族だが王族ではないのだから、これからはもう火遊びは止めなさい。いいな?」


「はぁい。お父様」

やる気のない返事を返す女に、ジジイとババアは呆れた顔をしていた。女の隣に座る小太りの男は、そんな会話が聞こえていないのか、満面の笑みで赤子を抱いてあやしていた。


「シェニカ様、ありがとうございました。鑑定書をお願いします」


ジジイがそう言って立派な紙とペンをシェニカに渡すと、シェニカはサラサラと紙に何かを書いて渡していた。どうやら鑑定の結果が間違いないことを証明しているらしい。




治療院に戻って片付けをしながら、俺はシェニカに声をかけた。


「なぁ、鑑定って子供の親を特定するのか?」


「うん。毒や病気を治療する時、特徴的なパターンを感じ取って原因を特定するのと同じで、その子の魔力の質を見て親を特定するんだ」


「へぇ。そんなのがあるのか」


「これは私じゃなくても、治療に慣れた白魔道士なら誰でも出来るんだよ。今回あの人達がわざわざ私に頼んだのは、悪い結果だったら口外されたくないからだろうね」

片付けを終え、帰り支度を整えたシェニカは鞄を背負いながら、貴族の別荘地に面した窓を複雑な顔で見つめていた。どうやら、敢えてシェニカに鑑定を頼むというのは、貴族ならではの理由があるんだろう。


隣で帰り支度を整えたレオンを見れば、「なんで口外されたくないのか?」と不思議そうな顔で俺を見ていた。

「随分と大っぴらに浮気してたみたいなのに、何で口外されたくないんだ?」

あのババアは娘に「あくまでも私達が大目に見られるのは結婚前だけ」と言っていた。
ということは、結婚前なら何人と遊ぼうが大目に見られているってことだ。関係を隠すこと無くやることをやってるならば、誰の子供だろうが別に構わない気がするのだが。


「どの国でも王族は正妃が第一子を生んだら、国王だろうが王妃だろうが、愛人を持つ事が許されているんだ。だから、ちょっと前まで、こういう鑑定を頼んでくるのは王族だけだったんだよ。
でもここ最近、貴族の間で同時進行恋愛を題材にした恋愛小説が流行ってから、一応結婚前に限るけど、あんな感じで貴族の令嬢や令息が、大っぴらに複数の恋人を持つようになったんだ」


「なんだ?同時進行恋愛って」


「同時進行恋愛っていうのはね、1人の女性や男性が本命の恋人以外に複数の恋人を作ることだよ。結婚する本命の男性がいながら、堂々と他の男性ともお付き合いするの」


「へぇ~。貴族って貞操観念が厳しいイメージがあったが、この国の貴族は案外緩いんだなぁ」

レオンの言う通り、俺も貴族って処女性を大事にしたりするイメージがあったが、そうではないらしい。



「その小説が世界中の貴族の間で爆発的に流行してね、この国だけでなく他の国でも似たようなことになっちゃってるんだ。
身分の高い人が複数の恋人を作るから、恋人が多いほど身分の高さを表すステータスになってるらしいよ。今回は3人だったけど、多い時は7人とかもあったよ。
結婚したら恋人とは関係を清算するはずなんだけど、あの令嬢は結婚しても関係を切れなくて、生まれた子が誰の子か分からなかったみたいね。

よく分からないけど、結婚後も関係を清算できないっていうのは、『遊びで付き合ってあげた者を切れないのは、自分自身がその者と同じ身分だからだ』っていう認識らしくて、社交界では嫌厭されるらしいよ。
そんな状況でも女性が妊娠して出産したのは周知の事実だから、望まない結果になっても口外されないように、1箇所に留まらない私に鑑定を頼んだわけ」


「なるほどねぇ。世の中色々あるんだな。しかし、白魔道士にそんな魔法があるって知らなかったな」

白魔道士っていうのは、怪我や病気を治療して、強制催眠が使えたり結界が張れるだけだと思っていたが、こういう役割もあるのか。シェニカと出会ってから、本当に白魔道士を見る目がどんどん変わっていくのを感じる。


「鑑定することなんて王族や貴族くらいだからね。たまに民間人や娼館のお姉さんから頼まれることもあるけど。さ、宿に帰ろう」



翌日も治療院を開いたが、その日も、その翌日も、そのまた翌日も、民間人や傭兵の治療を終えてひと段落ついた頃になると、鑑定を求める貴族の連中が人目を忍ぶように訪れた。


「この赤子の鑑定をお願いしますわ!この子の父親、うちの息子だと言ってきているんですけど、違いますよね!?爵位とお金目的でそう言ってるに違いありませんわ!」


「息子はやっと侯爵家の令嬢との結婚が決まったんですのよ!なのに、なんで男爵風情の娘に子供を盾にされて、結婚を台無しにされないといけないのですか!
この赤子の父親は息子じゃないって鑑定で証明してあげてください!」


「こんな可愛い赤子の父親が、傾きかけた子爵家の息子だなんてことありませんわよね!公爵家に変な噂は立てられたくないのですから、鑑定して下さいませ」


「大事な箱入り娘が、しょうもない商人の息子なんかとっ…!そんな事実はないと証明してください!」



この街の別荘地には、子供の親が誰なのかハッキリさせたい貴族が多くいるらしい。鑑定を求められる度に、俺達3人は裏で呆れ顔をしてため息を吐いた。
鑑定は屋敷に行くこともあれば、治療院に本人達を連れてくることもあった。その結果が残念な場合、まさにドロドロの修羅場の光景だった。

遊び相手である身分の低い女が子供を生んだ場合、大抵は男の親から『爵位と金目当てか!』と赤子を抱えた女に向かって激しい怒号が飛ぶ。
身分の低い男が父親であると結果が出た時、『お前はうちの身分に不相応という結果だな。離婚だ』と夫に言われて女が泣き崩れる。
そして親同士が罵り合ったり、土下座して許しを請うたりと、こっちが居たたまれない状況が何度もあった。



「はぁ。貴族は鑑定ばっかり……」

宿屋の食堂で夕食を終え、食後の茶や酒を飲んでいるとシェニカはグッタリとテーブルに突っ伏した。
普段ならどんな治療でも嫌な顔ひとつせず引き受けるシェニカだが、流石にドロドロの修羅場が待ち構えている可能性のある鑑定はウンザリしているようだ。


「この街は貴族の別荘地で身を隠すにはもってこいだから、こんなにワケありの奴らが来てるんだろうなぁ」

レオンもウンザリした表情で煙草を吸っている。ここ数日、こいつの煙草の消費が異様に早いのは、見ているだけでもストレスが溜まるからだろう。



「そうだね。父親がハッキリするまでは領地にいるよりも、ここにいた方が人目も少なくて済むだろうしね。普通の人の治療は随分終えたから、明日の朝には街を出ようか。もう貴族の喧嘩はお腹いっぱいだわ」


「「大賛成」」

俺とレオンは、シェニカの提案に片手を挙げて賛成の意思表示をした。





翌朝、町長に治療完了の報告をして街を出たあと、俺は街道の途中でシェニカを呼び止めた。


「おい。これやるよ」

俺がシェニカに小さな包みを手渡すと、不思議そうに受け取ってそっと包みを開けた。



「これ…私に?なんで?」


「お前以外に誰にやるんだよ。ゼニールで俺ばっかり高いメシ食ってた詫びだ」


「ルクト、ありがとう!このハンカチ、本当に綺麗で可愛いなぁ」

シェニカは俺のあげたハンカチを嬉しそうに握りしめ、無邪気な笑顔で俺を見上げた。そして嬉しそうに腕を上げてハンカチを目の前に広げると、陽の光に透かしてベルチェピンクの色合いを目で楽しんでいた。


その様子を見ていたレオンが、俺の耳元で囁いた。


「くくっ!お前も隅に置けないなぁ。顔が赤いぞ」


「ほっとけ」

レオンの目の前でプレゼントするのは恥ずかしかったが、こいつも護衛だから始終張り付いているから仕方がない。
でも、一度恥ずかしい思いをすると不思議と吹っ切れた気もした。


今度野宿する時は、こいつがいてもキス出来るかもしれない。今度試してみよう。

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