天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第5章 悪魔の胸を焦がすもの

5.羊たちが集う場所

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シェニカが商人達の贈り物を冷たく拒否しながら、治療をすること数日。

宿で夕食を終えて部屋に戻ろうとした時、食堂の通り沿いに面した窓に見覚えのある顔が歩いているのを見つけた。
その後ろ姿を目で追うと、宿の向かいにある酒場に入っていった。




いつも通り一緒に部屋の前まで行くと、俺はシェニカを呼び止めた。


「俺は少し酒場に行くから、お前は部屋から絶対に外に出るなよ。
誰かが扉越しにノックしても声をかけても絶対反応するな。それから窓は鍵をしっかりかけたら、カーテンを隙間なく締めて近づくな。いいな?」




「うん。分かってるよ。楽しんでおいでよ」


俺はシェニカが部屋に結界を張ったのを見届けると、すぐに酒場へと向かった。



店の外観を見るからに安っぽい酒場に入ると、そこには全員質素なシャツを着て、擦り切れたズボンや色褪せたスカートを履いた、身分の低そうな男女しかいなかった。その様子から考えると、この街の大商人や商人の家で働く使用人達だろう。

そして、目当ての人物はカウンターで1人で背中を丸めて酒を飲んでいた。




「隣いいか」


男に声をかけると、かったるそうに俺を見上げて来たが、俺をどこで見たか分かると意外そうな顔をした。



「あ?どーぞ」


「その頬の刻印。お前も羊なのか」

俺がカウンター席に座り、酒を注文してそう尋ねるとエスニは不思議そうに首を傾げた。




「お前『も』ってどういうことだ?あんたは『白い渡り鳥』様の護衛だろ?」


俺は右の手の平にある羊の刻印を見せると、男は驚いた様に目をまん丸に見開いた。




「え?じゃあ狼は?まさかあの『白い渡り鳥』様?」


「そうだ。奴隷扱いはされていないがな」


「そうなのか。羨ましいよ。俺は見ての通り奴隷だよ」


男は深いため息をつくと、持っていたグラスから酒を一気に煽って新しい酒を注文した。
それとほぼ同時に、俺とは逆側の男の隣に1人の若い男が座って酒を頼んだ。2人に会話はないが、雰囲気からどうやら連れの男らしい。





「逃げないのか?」

男に新しい酒が出されると、俺は聞きたかった質問をした。

あのババアに無抵抗状態で叩かれ、一方的に罵られているのが日常なら、普通ならとても耐えられないはずだ。




「そりゃあ逃げたいし、何度もやってみたさ。でもダメなんだよ。
もう5年も逃げられないんだから、これが主従の誓いってやつなのかと思って諦めてるよ」



「逃げたいのに逃げられない?どういうことだ?」

俺の言葉に、男はため息混じりで横目で見てきた。その目には呆れと諦め、そして羨望の色が滲んでいる。





「その様子じゃ逃げ出そうなんて、やった事も思った事もねぇんだろ?」


「あぁ」


「じゃあ現実を教えてやるよ。どんなに理不尽な扱いをされようとも主人であるババアが念じるだけで膝をつかせられるし、外出した時にそのまま逃げ出そうとしても、何だか知らねぇがあのババアの所に戻って来ちまう。
自殺したいと思って崖から飛び降りようとしても足が動かなくなるし、剣で首や心臓を一突きにしようと思っても手が止まって出来ないんだよ」



「従者は自殺出来ないのか。初めて知ったよ。
なぁ。逃げ出しても戻って来てしまうのは、お前がババアから香る甘い匂いに惹きつけられるからなのか?」


男の話を聞いて、逃げられないのは、主人であるシェニカから香るあの甘い匂いのせいなのかと思い当たった。


野宿をする時、川沿いに近い場所を選ぶことがほとんどだが、水浴びが出来るような深さがなかったり、流れが急だったりして身体を洗えないことが多い。そういう時はシェニカの浄化の魔法で身体をキレイにするとは言え、あの甘い香りは弱まったり別の匂いに変わることがない。
むしろ出会った時に比べると、匂いはどんどんハッキリと感じられるようになった。


だからあの匂いは主従の誓いの影響なのではないかと、自分なりに仮説を立てていた。



「甘い匂い?そんなもん感じないが?
あー……でも、甘いとは感じなかったが最初の頃、なんか匂いを感じた気がするな。今はまったく感じねぇがな。

今感じてるのは、ババアへの嫌悪感と抗えない事への無力感と憤りだ。
幸いなことに領主の旦那は俺達を1人の人間として扱ってくれるが、入り婿でババアの言葉には逆らえないから、やっぱり奴隷なんだよ。
あんたは良いよな。ホント羨ましすぎる。なんで同じ主従の誓いで縛られてんのに、こんなに違うんだよ。世の中理不尽過ぎる」


男は言葉を乱暴に吐き捨てると、また酒を一気に煽って新しい酒を注文していた。



「……そうだな。でも、なんで主従の誓いなんて結んだんだ?」


「俺は元々この街の小さな商家の生まれだったんだよ。俺の両親は領主に借金してたんだけど、商売に失敗したんだ。
破産の手続きをする時、あのババアは俺を奴隷にして一生働かせる条件なら破産に同意すると言いやがってね。
破産が認められた後、両親はこの街から追放になったけど、俺はそれからずっとババアの奴隷だよ」


男は新しい酒が入ったグラスを持ち、水面に映っているであろう自分の顔を見つめながら話していたが、言い終わるとグラスを強く握りしめた。

商人の息子だったのに奴隷の身分に落とされた事、あの屋敷での理不尽な生活といった今までの思い出が蘇ったのだろう。




「そうなのか」


「まだ話を聞きたいか?おいカロ。お前の状況を教えてやれよ」

男は隣の席に座った男に話しかけた。
カロと呼ばれた男を見ると、幼い印象を受ける顔は間違いなく美少年の部類に入るが、酒を飲んでいるということは成人したばかりのようだ。
だが、そんな整った若く美しい顔からは、今までの苦労を物語るようなうれいが感じ取れた。



「こいつはもう8年も前からロバートの奴隷だよ」

笑みを浮かべたカロの手の甲には、羊の刻印があった。




「お兄さん『白い渡り鳥』様の従者なのに、大事にされて羨ましいな。同じ羊なのにそんな人がいたなんて、僕は何だか嬉しいな」

カロは俺を見ながらまた穏やかに笑ったが、その笑顔の裏には諦めの感情が色濃く出ている。




「なんで8年も前から奴隷に?あんたその時まだ子供だろ?」


「僕は孤児だったんだ。孤児院に入れなくて街を彷徨っていた所を、奴隷商に拾われたんだ。
別の国で売られているところを奥様が買って、ロバート様に与えたんだよ」


「孤児に奴隷…。大変だったな」


「このご時世だし、僕みたいなのは沢山いたから何とも思わなかったな。僕も買われた時から、こっちのエスニさんみたいに殴る蹴るは当たり前にされててね。
お兄さんみたいな幸せな羊は初めて見たよ」


「あんたも逃げられないのか?」

俺がそう問いかけると、カロはゆっくりと頷いて今度は悲しそうに笑った。



「僕も逃げようとしたんだけど、どうにも出来なかった。何でか知らないけど、逃げ出しても手繰り寄せられるみたいに戻ってしまうんだよ」


「匂いは?」


「匂い?誓いを結んだ最初の時に何となく不思議な匂いを感じたけど、ハッキリ感じたことなんて一度もないよ?」


「あんた、やけに匂いを気にするんだな。何かあるのか?」


エスニは不思議そうな顔をして俺を見た。あんなにハッキリ感じる匂いを気にするのが、そんなに不思議なことなのだろうか。

俺は近くにいると抱きしめてあの甘い匂いを吸い込みたくなるくらいなのに、治療院に来てシェニカの至近距離にいる男達は匂いなんて気付いていない様子だった。
あの甘い匂いは俺以外に感じる人はいないらしいが、主人は違えど同じ従者同士なら何か分かると思ったのだが…。



「俺は甘い匂いを感じるんだ。最初は微かに感じていたのが、最近じゃはっきりと感じる。そんでその匂いが無性に自分を惹きつけるんだよ」



「へぇ。俺達は同じように奴隷にされた奴らと話すが、そういうのは聞かねぇな」

俺の話を聞いて、エスニとカロは互いに顔を見合わせて首を傾げていた。



「離れても匂いが糸みたいに辿れるか?」


「匂いは感じないし辿るっていうのが分からないが、離れたくても気付いたらババアの所に戻っちまうな。カロはどうだ?」



「僕も同じかな。匂いなんて分からないし、相手がどこに居ようが、いつの間にか足が向いてロバート様の所に戻ってしまうよ。お兄さんは匂いで居場所が分かるの?」


2人は不思議そうな顔をして俺を見ているが、同じ従者であるはずなのに何故こんなに違うのだろうかと、俺も不思議に感じた。




「あぁ。最初は信じられなかったが、今は匂いを辿れば離れていても見つけられるって確信してる」



「へぇ。そういうのもあるんだな。あんたはどういう経緯で主従の誓いをさせられたんだ?」

「僕も聞きたいな。どうして奴隷扱いしないのに主従の誓いなんてしてるのかって」


エスニは興味津々な様子で俺に顔を向け、カロは子供っぽくワクワクした顔をして椅子から身を乗り出して俺を見てきた。



「俺は元々戦場でしか仕事をしない傭兵だった。でも敵に負けて、戦場で動けない所をあいつに助けてもらった。
ただ、助ける条件として奴隷扱いしないって約束するから、主従の誓いをして護衛になるように要求されたんだ。納得いかなかったが、自分が助かるにはそれしか方法がなくて主従の誓いを結んだ。
今から考えれば、身を守るはずの護衛から襲われたらひとたまりもないから、誓いを結ばされたのは仕方のないことだと納得してるよ」


「なるほどねぇ。まぁ確かに護衛が欲しいなら押さえつけて言うこと聞かせるよりも、信頼関係がある方が得策だな。俺達のような関係じゃとてもじゃないけど、助けようとか守ろうとかしないからな。
その関係じゃ主人を憎んでないんだろ?」


「憎むなんてことは一切ないな」


「じゃあ、どう思ってる?」


「どうってそれは…」

今の俺は主人であるシェニカを憎むどころか、そばを離れたくないほどに好きになってしまっている。だが、そんな気持ちをこの2人に伝えるのは気恥ずかしくて答えられなかった。



「俺は昔から相手の顔を見て感情を読むのが得意なんだ。
俺は1度しかあんたらを見てねぇが、あんたは主人を独占したくてたまんねぇって顔してロバートを睨んでたぞ。違うか?」


「まぁ…。否定はしない」


「俺達とあんたとの決定的な違いは、主人に対して抱く感情だな。独占したいっていうのは、相手に好意を寄せてるってことだ。そうだろ?」


「…そうだな」


あの時はそういうつもりでロバートを見たわけじゃないが、無意識のうちに自分の気持ちが滲んでいたのだろうか。





「主人を好きになるなんて羨ましい。僕達みたいな奴隷は、誰が相手でも恋愛なんて出来ず一生飼い殺しだよ」



それから俺はエスニとカロから色んな話を聞いた。
やはり、この街にいる商人の多くは主従の誓いをしているらしく、エスニ達のような奴隷扱いを受ける従者が山ほどいる。この酒場はそんな従者達の溜まり場らしい。




2人以外に店に来ていた奴隷達にも話を聞いてみたが、同じ主従の誓いのはずなのに、俺とは違うところがあるらしい。
自分の中で得られた情報を整理すると、違いは3つあった。



1つ目は、時間が経っても匂いを感じるかどうかだ。

誓いを交わした当初、誰もが主人から何かしら微かな匂いを感じていた。
時間が経つごとに俺ははっきりと甘い匂いを感じるが、彼らは逆に時間が経つと匂いを感じなくなる。




2つ目は、匂いを辿れるかどうかだ。

彼らは主人の所に行こうとすると、居場所を知らなくても不思議と主人の所に辿り着く。だが、俺のように確実に匂いを辿っていけるとは言い切れない。
そもそも彼らは匂いを感じないから、俺のように「匂いを辿る」ということが理解できなかった。





3つ目は、逃げようとしても無意識のうちに主人の所に足が向かってしまうから、逃げられないらしい。


俺は護衛だし逃げようなんてやったことはないが、一度だけ思い当たることがあった。

別の男がシェニカの護衛をすると言って宿屋で待っていた時、気付くと宿の外へ出てシェニカを探しに行こうとしていた。彼らの逃げられないということは、こういうことだろうか。





そして話を聞いていて決定的な違いは、主人へ抱く感情だった。



彼らは主人に憎しみを持ち、俺は好意を寄せる。

主人に対する想いで、何か変わるのだろうかと不思議に思った。



そして周りの話を聞く度に、奴隷扱いをせず、1人の人間として接してくれるシェニカに感謝と愛おしさが込み上げてきた。

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