天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第5章 悪魔の胸を焦がすもの

4.いつもと違う治療院

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翌日、シェニカが治療院を開くと相変わらず長蛇の列が出来た。商人の街だからか、訪れる患者は民間人や傭兵よりも商人が圧倒的に多かった。




「シェニカ様、治療ありがとうございました。私はこの街の南で一番大きな商店を営んでおります、イトニーと申します。お近づきの印に、是非こちらを…」

治療を受けた商人は、見ただけでその中身が高価な物だと分かるような立派な木箱を差し出した。



「あぁ、結構です。私にはこのような高価な物は不相応ですので受け取れません。怪我にはご注意下さい。では出口はあちらです」



「え?いや、そんなことおっしゃらずに。これは作りもしっかりしていますから、普段使いも十分可能です。それに何より、シェニカ様に似合うと思います。
そちらの金の髪留めも良いですが、シェニカ様の黒髪にはこちらの銀の髪留めの方がよく映えるかと」


この街の商人からの贈り物にはいつになく冷たく断るシェニカだが、商人の口から髪留めという言葉が出た瞬間、シェニカが不機嫌な空気を出したのが後ろで控える俺にも伝わってきた。




「この髪留めが似合っていないと?」


「い、いえ。そういうわけではないんですが…」


「私はこの髪留めが一番気に入っているんです。他の物は要りません。ルクト、出口までお連れして」



「出口はこっちだ」

今回、俺は護衛の他に治療を終えた商人を出口へと誘導するのも仕事だ。



この商人に限らず、治療を受けた商人は必ずシェニカに宝石や装飾品、金などを渡していこうとする。


いつもならそういうことは傭兵や民間人がやっていくが、その時シェニカは金以外なら受け取っている。

だが今回は相手が粘っても、徹底して受け取らない。シェニカが大好きな菓子類であっても、絶対に受け取らなかった。それは関わりを持ちたくないという強い意思の表れだった。


そして、商人を追い出した後、シェニカが髪留めを確認するように触れているのを見て、俺は無性に嬉しくなった。
差し出された木箱の中の髪留めは、間違いなく高級なものだったはずだ。それを拒否し、俺の贈った髪留めを大事にしてもらうと、まるで自分まで大事にされている気がした。







次に治療部屋に入って来たのは、暗い顔をした少年と気の強そうな母親だった。


「先生。うちの子、やれば出来る子なのに、いつもやる気がなくて困っていますの。うちは由緒ある商家ですのに、このままじゃうちの家業を任せられませんわ。やる気が出る様な治療をお願いしますわ」


「治療…ですか。少し本人と話したいので、お母様は1度外に出てもらって良いですか?」


シェニカはそう言って母親を外に出すと、暗い顔で俯いて座る少年に向かい合うように座り直した。
やる気の出る様な治療を『白い渡り鳥』に頼むなんて、この母親は何を考えているのだろうと正直呆れた。だが、シェニカはこの面倒くさい注文にどう応えるのか興味が湧いた。




「ねぇ、もしかして君は家を継ぎたくないんじゃない?」

シェニカが少年に話しかけると、ハッとしたように顔を上げたがすぐに俯いた。




「はい。僕には他になりたい職業があるんです。でも、両親は……」


「将来何になりたいの?」


「僕は商人じゃなくて白魔道士になりたいんです。今は上級の白魔法は使えないけど、先生みたいな『白い渡り鳥』様に憧れているんです。
でも、お母さんもお父さんも白魔道士なんかじゃなくて家を継げって言って、僕の話を聞いてくれなくて。弟の方が頭が良いしやる気もあるから、弟が継げば良いのに…」




「そっか。じゃあ、ちょっと手を出して」

シェニカはそう言って少年の手を取った。



「君は白魔道士になるためなら、どんなに厳しい練習や勉強も頑張れるかな?」


「はい!やりたい事ならやる気も出ます」


「ご両親にプレッシャーをかけられるかもしれないけど、大丈夫かな?」


「はい。今までいっぱい言われてきたから大丈夫です!」


「そっか。じゃあ、レベルの高い所を目指そうか。いっぱい厳しいことを乗り越えて、悪いことなんてしない、優しくて正義感のある神官長を目指してみない?」

その言葉を聞いた少年は、驚いたようにシェニカを見つめた。



「僕が神官長を目指す?本当になれますか?白魔道士を目指せるんですか?」


「君は『白い渡り鳥』にはなれないけど、白魔法の適性は高いから、練習や勉強を頑張れば白魔道士になれるよ。
でもお母さんとお父さんは君に期待をしてるから、商人を目指さないのなら、神官長みたいな高い所を目標にしないと許してくれないと思うんだ。
だから神官長を目指して、いっぱい人のためになる勉強も頑張ってくれる?」


「はい!」


「じゃあお母さんには私が説明してあげるから安心して。ルクト、お母さんを呼んでくれる?」




言われた通りに母親を治療部屋に呼ぶと、少年は不安そうに俯いた。


「先生、どうですか?やる気は出ましたか?」


「お母様、息子さんは放っておいてもご両親の様に頭の良い子に成長しますから、心配する必要はありません。
少しさせて貰いましたが、息子さんは白魔法の適性が高いんですね。『白い渡り鳥』には及びませんが、息子さんの実力と手腕によっては、将来は神官長になれるかもしれません。
神官長と商人の掛け持ちはできませんから、家業を継ぐのは難しいかもしれませんね」



「んまぁっ!この子が神官長!?それならば、家業は次男の方に任せますわ!
今からすぐに白魔法の魔導書を買いに行かないと!忙しくなりますわっ!先生、ありがとうございました!」

シェニカの話を聞いた母親は物凄く嬉しそうな顔になり、肝心の息子を置いて慌ただしく出口へと向かっていった。



「先生、ありがとうございます。僕、これから頑張ります」


「君なら大丈夫だよ。上を目指して勉強頑張ってね。でも汚職とかしない、優しい人になってね」

少年はシェニカにペコリと頭を下げると、嬉しそうに出口へと向かった。





「シェニカ、本当に白魔法の適性があるのか?神官長とか期待させて良いのか?」


「あの子は白魔法の適性が高いし、あのお母さんならきっと上を目指して行かないとあの子は白魔道士にはなれないよ。まぁ、お母さんがあの様子だし、しっかり教育させるだろうから大丈夫じゃないかな?結局はあの子次第だけどね」



「白魔法の適性が高いって、目の前で何かやった訳でもないのになんで分かるんだ?」


「ん~。まぁ、色々とね」

シェニカのこの反応から、どうやら今俺にその根拠を説明する気はないらしい。
口から出まかせを言っているのか分からないが、あの少年がやりたい事をやれるようになるのは良い事だと気にしないことにした。





しばらく商人達の治療をしていると、何故か最初から満面の笑みを浮かべた傭兵が治療部屋に入ってきた。


「先生!俺、胸に怪我してるんだ!」


ーーなんで怪我してることを嬉しそうに胸張って言うんだよ。怪我してるんなら、もうちょっと痛そうだったり深刻そうな顔をして入ってこい。





「治療するので上着を脱いで下さい」

シェニカは目の前の椅子に座った男に、その場で服を脱げと淡々と指示を出した。
後ろにいる俺にはシェニカの顔は見えないが、恐らく「ナンパか?」と面倒くさい表情を滲ませた顔をしているだろう。




「もう先生ってば、服を脱ぐ時は椅子に座ったままじゃなくて、一緒にベッドに行って可愛くおねだりして言うのがセオリーって……ぐへぇ!!」


シェニカは男が脱ぎ終わるのを待てなかったのか、男が上着を肌蹴させた状態で速攻で治療を終わらせ、手のひらで男のアゴを思いっきり押し上げた。

男は突然の攻撃に為す術もなく、椅子から床に崩れ落ちてゲホゲホとむせた。





「出口はあっち!ナンパするヒマあったら鍛錬しろ!そしてもう二度と怪我するな!」


シェニカが目を釣り上がらせながら怒鳴ると、床に崩れ落ちたままの男は目をキラキラと輝かせ、浅く短い呼吸を繰り返してシェニカを見上げた。





「先生…。やっぱり怒った顔もすごく良いね。今度はもうちょっと俺を見下した感じでお願い…」





「「………」」

俺とシェニカは一瞬時が止まった。






バッッシィィ~~ンッ!!


時間が再び流れ出した途端、シェニカのビンタが男の頬に炸裂した。その良い音は治療部屋だけでなく、治療院全体に響き渡っただろう。

そのビンタは、「何だ今の手の動きは。お前、実は何か体術でもやってたのか?」と言いたくなるような高速ビンタだった。



「何でそんな趣味に付き合わないといけないのよっ!!!ルクト強制撤去っ!」


怒り狂ったシェニカは俺にそう指示を出し、頬に赤い手の跡をつけた男を部屋の出口へと連れて行かせた。

ハァハァと怪しい呼吸を繰り返し、恍惚の表情を浮かべる男を治療部屋の外に放り投げると、頬を愛おしげに撫でながら俺を嬉しそうに見上げてきた。


「いやぁ~。良いビンタだった。あまりに良すぎてクセになりそうだ。
もっと激しく罵られても、もっと強烈にドツカれても蹴られても良いな~。
いや、いっそ主従の誓いを結んでもらって、俺を奴隷として思いっきり罵りながらこき使って欲しい。
あんたいいな~。毎日ドツカれてるんだろ?」



「………。お前と一緒にすんな。さっさとそういう娼館に行って来い」


こいつは間違いなくドMだ。筋金入りのドMだ。
俺には理解できない世界だが、娼館ならばこいつの欲求を満たしてくれるだろう。そして治療院に来ようが、もう二度とシェニカに近づかせない。







「撤去ありがとう。それにしても変な傭兵だったね。本当は傷を見てから治療魔法のレベルを変えるけど、待てずに上級の治療魔法をかけちゃったわ。
でもあんな人でも、腹黒い商人達ばかりいるこの街だと可愛く見えちゃうから不思議ね」



可愛く見えるのかよ。



まぁ、シェニカの言いたいことも分かる。気の抜けない商人との攻防の合間に、普段の治療風景みたいなのが来たら新鮮で可愛く見えるのだ。それが例え他の街で出会ったらドン引きするようなドMでも。







淡々と治療を続けていると、やたらときつい匂いの香水をつけた若い男が治療部屋に入ってきた。
いい香りのする香水でも、こんだけきついと鼻がひん曲がりそうだ。



「シェニカ様。僕、花を扱う店の跡継ぎなんです。でも、問題があるんです!助けてください!」


「はい、何でしょう」


「僕、鼻がいつも詰まっていて匂いをあまり感じないんです。おかげでいい匂いのする花が分からないんです。このままだと弟に跡継ぎが変わりそうなんです。治療をお願い出来ますか?」


鼻が利かないから、香水がきつすぎても分からないらしい。だが、周囲が教えてやれよ…。客商売だろうが。





「出来ますよ。じゃ、ジッとしてて下さいね」

シェニカは目の前に座る男の顔面に手をかざして治療魔法をかけた。
治療を終えたシェニカが手を下ろすと、すぐに男は目を開けて、何故か胸ポケットから取り出したハンカチを鼻に当てた。






スーハースーハー……スーハースーハー…

スンスン……スーハースーハー……スンスン……




男はハンカチを鼻に当てたまま俯いているから表情は分からないが、静かな部屋の中にはスーハースーハーという吸い込む音と、スンスンという匂いを嗅いでいる男の鼻息だけが響いた。






「……あの。大丈夫ですか?」

シェニカも俺も男の突然の行動が理解できなかったが、シェニカが戸惑いがちに声をかけると、男はようやく顔を上げてハンカチを鼻から外した。



「はいっ!このハンカチのいい匂いが分かるようになりました!これで色々クンクン出来ます」


「はぁ、よかったですね……」


「僕の香水、こんなにきつかったんですね。家に帰ったらまずはお風呂に入らないと。これから忙しくなります!
じゃ、先生。お礼にこのハンカチをどうぞ!いい匂いがしますよ」


男はやる気が出たらしく腕まくりをして、さっきまでスーハーしていたハンカチをシェニカに差し出してきた。
そのハンカチがいかに高級品であろうが、誰も受け取らないだろう。




「間に合ってます……。出口はあちらです」

出口に向かっていく男の腕に、俺とシェニカの視線が釘付けになったのを感じた。


袖をまくって露わになった男の腕には、狼の刻印があったからだ。







こいつで何人目だろうか。
この治療院に来る商人達はほとんど狼の刻印を持っている。服の下に刻印がある者もいれば、人の目に留まる腕や手首にしている者も多かった。


シェニカはそういう奴を見る度に、なんとも言えない表情をしている。
きっとこの商人達の多くが、領主の妻あのババアのような奴隷扱いをしていることに怒りと諦めを覚えているのだろう。


俺はシェニカのそんな表情を見る度に、自分の右の手の平を見つめた。







この日、シェニカは傭兵からナンパされると、相変わらず即答で断ったり実力行使に出ていたが、普段に比べて少しだけ笑いながらやっているのを俺は見逃さなかった。



気晴らしに街の店や賑やかな市場を見て回るのもいいかと思ったが、ここはシェニカにとっては気が抜けない上に色々と考えさせてしまう街のようだ。



治療が終わったら、すぐに旅立ったほうが良さそうだ。

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