天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第5章 悪魔の胸を焦がすもの

3.欲望渦巻く商人の街

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俺達は商人の集まる街テゼルにやって来た。
ここはセゼルとの国境から一番近い、領主が直接治めるデカイ街だ。

流石に商人だらけの街だけあって、広い石畳の大通りにはでかい荷馬車がひっきりなしに入って来ている。
ほとんどの街が2階建ての建物が多い中、ここは3階建ての建物が多い。1階が商店になっているから、2階と3階が住居になっているのだろう。





「この街は初めて来たけど賑やかだね~」


「そうだな」

大通りから横に延びる通りには市場があるらしく、そこから賑やかな笛や太鼓の音が聞こえてきている。



この街には大商人や貴族がよく訪れるのか、大通り沿いには高級宿屋が多く軒を連ねていた。
だがシェニカはそんな高級な宿屋は素通りし、大通りから一本小道を入った所にある安宿に宿を取った。


金は持っているはずなのに、なぜかいつも安宿だ。





「じゃあ領主さんのとこに挨拶に行くね」


大通りを歩いていると色んなことに気付く。

街の出入り口となる門に近い方は、周囲の高級宿屋や高級レストランに圧倒されているのか、肩身が狭そうに小さな商店が並んでいる。

街の奥にある領主の屋敷に近くになると、大きな商店が存在感を主張するように建物の壁に色とりどりの垂れ幕や立派な看板を下げていた。






そして辿り着いた領主の屋敷は期待を裏切らない豪華な造りだ。3階建ての広い豪邸の前には、噴水も植木も立派な広々とした庭園が広がっている。

そして、門の前にはガタイの良い衛兵が厳重に守りを固めていた。



「『白い渡り鳥』のシェニカ・ヒジェイトと申します。領主様にご挨拶に伺ったのですが、御目通りは叶いますか?」


シェニカは眼光鋭い衛兵に怖気づくことなく淡々とそう言うと、衛兵の1人が屋敷へと走って行った。
すると、すぐに衛兵と執事の爺さんが迎えに来て、屋敷の応接間に案内された。





「初めまして。『白い渡り鳥』のシェニカと申します。明日から治療院を開きたいのですが、場所の提供をお願い出来ますか?」


「ええ、もちろんです。街の中心部に白魔道士専用の家がありますので、そちらをお使いください」


領主は白髪が目立つ温和な感じの品のあるオッサンで、変に威張った感じがしない。領主は貴族が務めるが、商人の街だから領主はこういう感じなんだろうか。




「専用の家があるんですか?」


「ええ。今は白魔道士は中央に徴兵されていますのでしばらく使っていませんが、派遣して貰った時に使えるようにしてあるんです」


「そうですか。設備が整っているんですね」


「設備だけですよ。ここは商人街で経済の中心でもあるので、他の街よりも白魔道士を派遣して貰いやすいのですが、それでも随分と時間がかかるんです。
『白い渡り鳥』様に至っては、1年ぶりの訪れです。民も喜んでくれることでしょう」



「期待に応えられるよう、精一杯治療させていただきます」




シェニカが部屋を出ようとソファから腰を上げそうになった時、何かが割れる派手な音が聞こえた。
その音を聞いたシェニカは立ち上がろうとした動作を止めて、不思議そうな顔をして後ろで控える俺を見た。


その顔には「何か壊した?」と問いかけているが、俺は「何もしてねぇよ!」と目で答えておいた。
そもそも何で前科のない俺を疑うんだよ!と、心の中で叫んだ。



「まったくお前は!これくらいしか役に立たないんだから、ちゃんとやりなさい!」

続いて女の怒鳴り声が聞こえてきた。




静かな屋敷に不釣り合いな物音と怒鳴り声に、シェニカは今度は領主に顔を向けて、一体どうしたのかと暗に問いかけた。





「お恥ずかしい所を失礼しました。妻は最近腰を痛めて満足に動けないので、少し苛立っておりまして…」

領主はバツの悪そうな顔をして、ため息をついた。その表情から読み取ると、どうやらこの領主にとって妻は手に余る存在らしい。





「治療しましょうか?」


「そうですか?では遠慮なく甘えさせていただきます。こちらにどうぞ」


領主は応接間から長い廊下を歩き、つきあたりの部屋に入った。廊下を移動している間にも、女の激しく罵る声が響いている。
だが、聞こえてくる内容から考えると、罵られる対象が最低でも1人いるはずなのに、声は女1人だけしか聞こえない。




「ロベリカ、『白い渡り鳥』のシェニカ様がお前の腰の治療をして下さるそうだ」


部屋に入ると、でっぷりとしたババアが若い男の背中を杖で叩いていた。
男は苦悶と悔しげな表情を浮かべていて、その頬には俺の右手と同じ羊の刻印があった。





「ま、まぁ!これは『白い渡り鳥』様がいらっしゃっているなんて。お恥ずかしい所をお見せしましたわ。エスニ。お前は庭の仕事に戻りなさい」


ババアはエスニと呼ばれた男の背中を杖で押すと、男は背中が痛むからかゆっくりとした動きで部屋の奥へと消えて行った。
シェニカはその男の背中を一瞬見たが、すぐにババアの方に顔を向けた。




「腰が痛いのですね。ではそのままで良いので、動かずにいて下さい」


「腰が痛くて杖がないと歩けなかったんですの。流石『白い渡り鳥』様の治療。すぐに治るなんて夢の様ですわ」

シェニカが杖をついたババアの治療を始めると、痛そうにしていたババアの顔がすぐに喜色に染まっていった。




「腰の痛みは無理して動いたからの様ですね。
また同じことになる可能性があるので、普段から身体を動かして柔軟にしておいた方が良いですよ」


「そうですか。この体型ですので運動は億劫なんですが、もうあの痛みは御免ですから頑張ってみますわ」



「では、私はこれで失礼します」





「お母様、どうなさったんですか?」

シェニカが部屋から出ようとすると、部屋に若いヒョロリとした男がやって来た。この若い男は父親のような温和な印象を与える顔をしているが、俺は腹黒そうな印象を受けた。

男は不思議そうに部屋の中にいる人物を見て、最後にシェニカを値踏みする様にジッと見ていた。





「まぁ、ロバート!今、『白い渡り鳥』様に治療をして頂いたんですのよ。
シェニカ様、紹介いたしますわ!こちらはわたくしの息子のロバートですの」


「はじめまして。シェニカと申します」


「ロバートと申します。シェニカ様、母の治療ありがとうございました」

ロバートは目を三日月の形に細めてシェニカに微笑みを浮かべて声をかけていたが、シェニカはロバートに興味はないらしく、すぐに領主の方を向いた。


ロバートはシェニカの素っ気ない態度を受けて、目が驚いた様に一瞬見開かれた。
またすぐに目が三日月の形になったが、素っ気ないシェニカに驚いているのがハッキリと分かった。




恐らく、貴族である自分に愛想もなく、媚びへつらうこともしないシェニカに驚いたのだろう。

シェニカは公的な奴らとの接触は前から避けているし、そもそも『白い渡り鳥』の地位は高いからそうする必要もない。


貴族なんて身分の高い奴なんてお目にかかったことなんてなかったが、良い話なんて滅多に聞いたことはない。
こいつに何かされたわけでもないが、ザマァ見ろと内心思った。






「いえ、治療が仕事ですから。では失礼します」


「門までお見送りしますわ。ロバート、貴方もいらっしゃい」


「ええ。もちろんです」

領主は部屋の中に残り、ババアとロバートが先導するように屋敷の外へ出た。





「シェニカ様、この屋敷の庭園は自慢なんですのよ。折角ですから見て行って下さい」


細い枝にたくさんの小さな緑色の葉をつけた木々が、人の胸元に来るくらいの高さに切り揃えられて見通しの良い庭園になっている。その光景は統一感があって、手がかけられているのが手に取るように分かる。

庭園の中央には噴水があり、その周囲には真っ赤な薔薇が咲き誇っている。
その中に入り口なのか薔薇のアーチがあるから、その先は薔薇園になっているようだ。




「今、奥の薔薇園の中は新しい品種のものに植え替え中なので、あまり綺麗ではないんですの。シェニカ様には是非美しい薔薇園もお見せしたかったですわ」


薔薇園とは別方向を向いていたシェニカの視線の先を辿ると、先ほどの頬に刻印のある男が伸びた木の手入れをしていた。
だが、その手は十分に上がらないのか、やり辛そうに庭木の剪定をしている。




「奥様、あちらの方の治療をさせて貰っても良いですか?」


「エスニを?あんな奴隷に『白い渡り鳥』様の治療なんてもったいないですわ」


「奥様。治療、しても、良いですか?私、仕事柄怪我をしている人を放っておけないんです」

いつも聞いているシェニカの声とは違い、言い聞かせる様に言葉を区切り、感情を込めない低い声がした。隣のシェニカを見れば、笑みを消して真剣な顔をしている。

どことなく、その表情には怒りが滲んでいるように見えた。




「え、えぇ…。シェニカ様がそうおっしゃるのなら、お願いいたしますわ」


シェニカはその返事を貰うと、ババアとロバートを置いてすぐに奴隷の男に向かって行った。




「ちょっと良いですか」


「はい?」


シェニカが声をかけると、男は不思議そうに振り返った。よく見るとさっき杖で叩かれた跡なのか、首元に赤紫の打撲痕がある。



「肩以外にもあちこち怪我していませんか?良かったら治療させて貰っていいです?奥様の許可は貰っていますから」


「え?あ、はい。お願い…します」


シェニカは男の肩や背中に重点的に手をかざし、治療魔法を施した。




「ありがとうございました」


「いいえ。ごめんなさい、私にはこれくらいしか出来なくて。
主従の誓い後の扱いは個人間の契約だと言われて、文句を言ってやりたくても口出し出来ないんです…」

シェニカが悔しそうにそう言うと、男は驚いた様に目を見開いて固まった。




「いや。別に大丈夫です。そういうもんなんで…」

シェニカは治療を終えると、ババアとロバートの方には戻らず直接門の方へと歩いて行った。



ロバートがずっと良からぬ色を滲ませてシェニカを見ていていたのには気付いていたから、俺はその視線を遮るようにシェニカの後ろにぴったりと張り付いた。
間違ってもこいつがシェニカに手を出してこないように、近付くなと視線に込めて睨んだ。


ババアはシェニカの行動に呆然としていたが、ロバートの方は苦々しげに俺達を見つめていた。

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