天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第3章 油断大敵

5.目を覚ますと

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目を開けると、そこは赤と黄色の絨毯のある場所ではなく、どこかの部屋の天井のようだった。
ぼんやりとする頭で周囲の状況を確認しようと首を動かすと、近くから誰かの声が聞こえてきた。




「シェニカ…?」


「…?」




「シェニカっ!目を覚ましたんだよな?!」


「?」


目の前が二重に見えて、ぼんやりとしか見えない。何となく見える目付きが悪い茶色の瞳は、あの狼のものだろうか。

でもこっちは眉があるみたいだし、人間っぽいような…。



何度か瞬きをしてみると、次第に視界がハッキリとしてきた。

今自分を見下ろしているのは、どう見ても人間のルクトだ。でも、なんでこんなに切羽詰った感じで私を見下ろしているんだろうか。





「俺が…俺が分かるか?」


「……ルクト?」


「良かった。はぁ、良かった…。生きた心地がしなかった」


ルクトは私の手を強く握って、安心したように大きく息を吐いた。






「どう…したの?」


「覚えてないのか?」

私が目を覚ましたことに安心した様子だったルクトが、また心配そうな顔をしてしまった。



「覚えてないって何を…?私、どうしたの?」


「最後に覚えてるのは?」


「え?えーっと、狼が居て…。1人で蹲ってたら隣に来てくれた」


「狼?この辺には狼なんて居ないはずだが。夢を見てたのか?」


「夢?あー、夢かぁ。そうだよね、そうじゃないと狼って初対面であんな風に懐いたりしないもんね。狼は記憶じゃないとなると…?
うーん。そういえば、身体のあちこちが痛いなぁ。とりあえず治療しよ」

私は全身に治療魔法を施すと身体の違和感が消え、そして、私が女性に崖から突き落とされたことを思い出した。





「そうだ。私、崖から落ちたんだ」


「知ってる。全部聞いた」


「そっか…。ごめんね、心配かけた」


「いや、俺が悪かったんだ。護衛なのに、俺はちゃんと宿に送り届けることすら放棄してたんだから」


「そんなことないよ。私が考えなしにホイホイついて行くのがダメだったんだよ。
私、あれからどれくらい寝てた?」


「3日だ」


「3日も?そんなに寝てたの…」


「俺が崖下でお前を見つけた時、脇腹に枝が刺さってた。
俺じゃロクに白魔法は使えねぇし、ガルシアが治療魔法をかけてなんとか止血は出来た。でも、まともに白魔法使える奴はこの町には1人も居ないから、怪我は治せなかった。
だから2日前、町長が他の街の神殿に治療してくれる白魔道士を寄越してもらえるように、早馬を出した」


神殿に連絡したと聞いた途端、一気に我に返った。このまま彼らの到着を待っているとロクなことにならない。





「神殿に連絡したの?じゃあ急いで町を出ないと。
治療しか出来ない『白い渡り鳥』が怪我して寝込むなんて、何だか恥ずかしくて申し訳ないや」


私は慌ててベッドから身を起こし、ポケットを触って所持品の確認を始めた。
持っていた装飾品等は全て身につけていて、あの落下で落とした物はないらしい。



「恥ずかしいのは俺だよ。護衛が仕事を放棄した挙句、主を守れなかったんだから…。
こんなことになって、本当にすまなかった」

ルクトは悲痛な顔をして頭を下げた。






「大丈夫だよ。ガルシアさん達は?」


「隣の部屋にいるよ。シェニカが目覚めて謝るまでは離れないって言ってる」


「そっか…」


「会うか?」


「ガルシアさん達が私に会って気が済むのなら」


正直言えば、理由も分からず崖から突き落とした人やその仲間になんて会いたくない。

でも、謝罪する姿勢があるというのなら、この町を出る前に彼らと会って、自分のモヤモヤした気持ちと決着をつけるべきだろう。







ルクトが部屋から出て行くと、すぐにガルシアさん達が暗い顔をしてゾロゾロと部屋に入ってきた。


精悍だった全員の顔は失意のどん底に沈んだように暗い。そんな中で私を突き落とした女性は私を直視出来ないのか、気に食わないのか分からないが、ずっとそっぽを向いていた。




「シェニカさん。今回の件、本当にすみませんでした。ほら、ノイア。お前が一番謝らないといけないんだぞ!」




「わ、悪かったわね…」

ガルシアさんに促されるように女性は小さく謝ったが、視線を合わせることなくそっぽを向いたままだ。
そんな様子に仲間達もひどく呆れ顔だった。


この様子を見る限り、彼女は反省していないらしい。




「私はなぜ突き落とされたのか分からないんですが、理由を教えてもらえますか?」


「それは、私の方があんたよりも優れているのに、パパッと適当に治療するだけでみんなにチヤホヤされて……ひっ!」


彼女がそこまで言った後、腰を抜かしてガタガタと震え始めた。不思議に思って彼女の視線を辿ると、私のいるベッドの斜め前に立つルクトを見ている。




私の位置からはルクトの背中しか見えないが、部屋全体がピリピリとした空気と息を吸うのも重苦しいほどの何かに包まれていた。

彼女の隣にいるガルシアさん達も、真っ青な顔をしてルクトを見ている。ということは、きっとルクトが殺気を滲ませて威圧しているんだろう。



私の残念な黒魔法を見た時、ルクトが内心嘲笑っていたのは手に取るように分かった。

だから、どうして同じように私を蔑んで見ている彼女を威圧しているのか分からない。




今回のことで彼なりに思うところがあったのだろうか。




その後、彼女の口から出てくるのは言葉にならない呻き声だけで、何を言っているのか分からなかったが、彼女が反省していないというのだけは伝わって来た。






「申し訳ないんですが、私は反省してない貴女におざなりの謝罪をされても許す気にはなりません。
衛兵につき出さない代わりに、きちんと償いをしてもらいます」


まともに謝罪する気のない彼女の態度に、当然だが許す気も起きない。




どの国も、戦場以外では殺人行為は許されていない。殺人も殺人未遂も厳しい処罰の対象だ。

加えて『白い渡り鳥』は地位が高いから、処罰も重くなると聞いている。
町の治安を取り締まる衛兵に突き出せば、彼女は厳しい取り調べを受けて、審判の場で私の望む処罰が下るだろう。


でも、私はすぐに町を出たいので、その手続きをしている時間はない。



私は呪文を唱えながらベッドを下り、腰を抜かしたままの彼女の口元に指を当てた。





「これからしばらく美味しい食事は出来ませんが、貴女が反省した頃に元に戻るでしょう。
それまでは自分のやったことをちゃんと反省して下さい。もう貴女からの謝罪も償いも結構です」

指を外すと彼女は震えたまま、泣きそうな顔をして私を見上げていた。







「本当に申し訳ありませんでした。こいつをちゃんと管理出来なかった俺達も、何かお詫びを…」

ガルシアさん達も責任を感じているらしく、私を申し訳なさそうに見てきた。




彼らは彼女と違い反省している様だし、私の怪我の止血をしてくれた人でもある。償ってもらおうなんて思っていないけど、きっと何かお詫びをお願いした方が、責任感の強そうなこの人達のためにもスッキリするだろう。





「じゃあ、お願いしたいことがあります。
私はもうこの町から出ます。もうすぐ神殿から、面倒な神官長が色々引き連れてやって来ると思います。彼らはあなた方に彼女の仲間だからということで、厳しい言葉を言ってくると思います。その断罪の言葉を受け止めて下さい。
ですが、彼らから理不尽な要求があれば、それは遠慮なくつっぱねてもらって結構です」


「え…?」


「私は急ぎますんで、分かったら部屋から出て行って貰えますか?」


「は、はい…。分かりました。シェニカさん、本当に申し訳ありませんでした」

ガルシアさん達は腰を抜かした彼女を立たせると、ゾロゾロと部屋から出て行った。








彼らがいなくなると、私は宿備え付けの便箋を手に取り、すぐに町長さんの家に行った。


朝食の時間帯だったと思われるのに、使用人ではなく町長さんが転がり出るように自ら扉を開けた。

そして私の顔を見ると安心したのかホッとため息をこぼしたが、その目の下にはクマが出来ていた。




「シェニカ様、大丈夫ですか?ここじゃなんですから、中にお入り下さい」


「ご心配をおかけしました。すぐに町を出ますので、ここで結構です。
神殿に遣いを送ったと聞きましたが、今後大丈夫ですか?」

私がそう言うと、町長さんは一気に表情が暗くなった。






「シェニカ様はご存知だったのですか?」

町長さんは眉を顰め泣きそうな顔をした。
やはり数年前から聞いていた噂通り、この地域を管轄する神官長はロクな人ではないらしい。





「私はこの国のダーファスの神殿にいましたが、離れていても噂は聞いていました」



「そうですか。恐らく目も当てられない額の『寄付』を頼まれると思います。他にどんな事を言われるか見当もつきません」

私は持ってきた便箋を下駄箱の上に広げ、町長さんに書いていることが見えるように走り書きをした。
そして封筒に入れて厳重に封をすると、町長さんに手渡した。





「神官長にこれを渡して下さい。これを見てもまだ何か言うようなら、今回のことをダーファスの神殿にいるローズ巫女頭に相談して下さい。私の名前を出せば、すぐに面会出来るはずです」


「ありがとうございます…」


町長さんは手紙を受け取ると、胸に押し当てて安心したように大きく息を吐いた。

私の一筆で免罪符になるかは、やったことがないから分からない。でも、多少の効果はあるはずだ。



「では私はこれで町を出たいと思います。
町長さんには非のない事で、ご迷惑をおかけしました」




「そんなことありません。シェニカ様、治療ありがとうございました。こちらが謝礼です。どうぞお持ち下さい」


「ありがとうございます。遠慮なく頂きます」

町長さんの家を出ると、宿に急ぎ足で戻り始めた。



「なぁ、なんであの女を衛兵に突き出さなかった?なんでガルシア達に神官長の相手を頼んだんだ?それに、さっき渡してた手紙はなんだ?」

その途中で、ルクトが不思議そうな顔をして、私に矢継ぎ早に問いかけてきた。





「この地域を管轄してる神官長は、色々と問題のある人で有名なの。
そういう人だから、利用価値のある私に怪我をさせたガルシアさん達を怒り狂って罵倒するだろうし、ネチネチと責めて色々と要求するだろうね。

彼女を衛兵に突き出して、審判の手続きを経て償ってもらうのが一番だけど、私は神官長と会いたくないから自分の手で彼女に償いをさせたんだよ。
ついでに町長さんにも責め立てて色々と要求してくると思ったから、私の名前で町長さんには責任はないって一筆書いておいたの」




「そう…なのか。償いって、あの女に何をしたんだ?」


「味覚を変える魔法をかけてあげたの。とにかく口にする物は激マズにしか感じないから、水もまともに飲めないんじゃないかな」


「そんな白魔法があるのか?」


「便利魔法の一つだよ。ルクトは疲れてるだろうけど、もう町を出て良い?」


「あぁ、荷物取って来る」

私は部屋で荷物をまとめると、市場で保存食を買ってすぐにこの小さな町を出た。








街道沿いの森を身を隠すように歩いていると、砂埃を巻き上げながらこちらに向かってくる物々しい馬の隊列とすれ違った。


身体の大きな軍馬に跨った兵士がその隊列を先導し、その後ろを何騎もの軍馬が駆けている。
長い隊列の後ろの方には、白地に赤い十字架をかたどった神殿のマークをつけた豪華な馬車があった。



ということは、これは神官長達を乗せた一行だろう。神官長だけでも面倒なのに、軍人まで連れて来たらしい。





「この一行がそうみたいだな。流石に『白い渡り鳥』相手になると軍人まで連れて来るのか?」


「こんな事態になったのは初めてだから知らないけど…。神官長がこれを機に色々とやりたいと思ったから、利害が一致した軍人を連れて来たんでしょう。
ガルシアさん達は大丈夫かな」


「ガルシア達は今回の事であの女を見限っただろうし、いざとなればあの女を切り捨てて町を出て行くと思う。お前は何も気にする必要はない」


面倒極まりない人達と鉢合わせせずに町を出れたことを一安心しながら、町長さんとガルシアさん達の健闘を祈った。
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