天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第18章 隆盛の大国

27.お酒の力

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■■■前書き■■■
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更新おまたせしました!
今回はディスコーニ→シェニカ→ディスコーニ視点のお話となります。
■■■■■■■■■


「フィー!フィー!」
「私にお手紙?」

クッキーを頬張るリス達を嬉しそうに見守るシェニカの膝の上に、茶色の小鳥が飛び下りた。彼女が嬉しそうに手を出してみると、手のひらに乗ったフィラはフィーと鳴いた。


「届けてくれてありがとう。帰りも気をつけてね」

早速足につけられた筒から手紙を受け取り、帰りのカケラを舐めさせてシェニカが空に放つと、フィラはすぐに見えなくなる高さまで飛んでいった。


「ローズ様からだ!えっと……。明日ボルフォンに向かいます。ボルフォンに着いたら、ゼナレという宿屋に滞在しますから、そこで会いましょうって書いてあるや。日付は昨日だから、今日出発したみたいね」

「そうですか。ダーファスからだと、早ければ明日の夕方にはボルフォンに到着しそうですね。ここからなら半日で到着すると思いますが、ローズ様をお待たせするわけにはいきませんので、私達は明日の朝ここを出発しましょうか」

「うん、わかった」

ローズ様の名前を聞くと、今回の1件について神官長が陛下に説明していた時の話が思い出される。

ーー欠損部分を治療するために必要な『再生の砂』は神殿にございますが、その砂をそのまま使うと再生部分が灰色になってしまうので、ランクS以上の方に改良していただかねばならないのです。
上級兵士の方や身分の高い方の治療には肌の色と同じになる『再生の砂』が欠かせませんので、改良された砂は非常に重要なものなのです。
シェニカ様はご自身で『再生の砂』をお作りになれるそうですが、神殿にお立ち寄りにならない上に、話を聞いてもらえる状況にもないので砂を頂けない状況が続いております。ジェネルド様からは『再生の砂』を頂けますが、気まぐれな方なので頂けても一握り分だけという場合もあります。
安定的に頂けるのはローズ様だけなのですが、世界中の首都の神官長がローズ様のもとを訪れ、頭を冷たい床に擦り付けて長い説教と嫌味を言われて、ようやく砂をいただける状態で。ローズ様からいただけるのは良くて瓶1本、機嫌を損なえば1粒たりともいただけないこともあるのです。
ローズ様の機嫌を損ねてしまった場合、その国の首都の神官長が出向いて謝罪しても、それ以後砂を頂けないどころか面会の機会すら与えていただけないこともあります。そのため、決して機嫌を損ねることは出来ないのです。


引退されたとはいえ、ローズ様の発言力は強い上にシェニカの師である方だから、待たせるわけにはいかない。明日には出発するというのは仕方のないことだと思う。
ただ、静かなこの場所でもっとシェニカと幸せな時間を過ごしたかったのに。
まだ終わりそうのない仕事を思い出すと、シェニカの前でもため息が零れ落ちそうになる。



そして夕食後。
ユーリと遊びませんか?とシェニカを誘うと、彼女は二つ返事で自分の部屋に来てくれた。


「ふふっ!ユーリくん、ここ気持ちいい?」
「チチ……」

シェニカの隣に座り、彼女の手の上で耳を撫でられて気持ちよさそうに脱力するユーリを見ていると、こんな時間がもっとたくさん過ごせるはずだったのにと悔しさが溢れてくる。


「ここで過ごすのは今夜が最後になりますね」
「あっという間だったね。また来たいな」
「ここにいるリス達もシェニカが来たら喜びますから、シェニカが希望すれば陛下は快く許可を出して下さいます。
良かったら今から一緒にお酒を飲みませんか?さくらんぼのシードルを持ってきたんです」

 自分の言葉を聞いたシェニカは、花が開いたような明るい笑顔を浮かべた。彼女の笑顔を見るだけで、思い通りにならない悲しみなど吹き飛んでしまう。


「さくらんぼのシードル?!美味しそう!でもお仕事は大丈夫?」
「今日くらいはシェニカとゆっくり過ごしたいんです」

廊下に出て鈴を鳴らし、ベーダに厨房で冷やしているシードルとグラスを持ってくるように頼むと、彼は軽食が乗る大きなシルバートレイを持ったエイマと共に戻ってきた。


「わぁ!メロンにりんご、さくらんぼ!ポテトチップスまで!」
「今夜はゆっくり過ごしましょう」
「うん!あ、ユーリくんはもう寝るのかな?おやすみ」
「チチッ」

シェニカの手から降りたユーリはポーチの上で2本足で立ち上がり、『おやすみ』と言っているのかシェニカに向かって小さく鳴いた。


「では乾杯しましょうか」
「うん」

ユーリがポーチに入るのを見届け、甘い香りのするシードルを少し注いだグラスを渡して乾杯をすると、彼女はさっそく一口飲んで嬉しそうに微笑んだ。


「ん~♪さくらんぼの香りが強くて、甘くて美味しいね。飲み過ぎちゃいそう」
「時間になったら起こしに行きますから、気にせず飲んでも大丈夫ですよ。それに。本当はここに来たら、こうしてシェニカと2人でお酒を飲みたかったんです」
「ディズと2人でお酒飲むのって初めてだもんね。じゃあもう1杯もらお。えへへ」

シェニカはそう言ってグラスに残っていたシードルを飲み干したから、空のグラスに薄いピンク色のシードルを注いだ。


「ありがとう。メロンも食べていい?」
「もちろんです」

メロンを頬張るとシェニカはとても幸せそうな笑顔を浮かべた。
仕事の疲れや嫌なことを忘れてしまえるこんな表情を、もっと側で、ずっと見ていられたらいいのに。


「ディズは普段どんなお酒飲んでるの?」
「ビールやウィスキーが多いですね」
「そうなんだ。私もビール飲むけど、シードルを飲んだらすっかりハマっちゃった!」
「シードルは地方によって色々な種類がありますから、飽きずに飲めますね」

シェニカはさくらんぼのシードルを気に入ってくれたのか、他愛のない話をしているうちに、グラスは良いペースで空になる。
フルーツやポテトチップスをつまみ、3杯目を飲んだところで彼女の頬は赤く染まり、ふわふわした微笑を浮かべた。


「ディズが小さい頃、どんなことして遊んでた?」
「そうですね…。本ばかり読んでいました」
「本が好きだったんだ。お勉強してたの?」
「学術書も読んでいましたが、父が読んでいた詩集や小説も読んでいました。シェニカはどんなことをしていましたか?」
「友達とかくれんぼしたり、羊や犬を追いかけたり、お花を摘んで花束を作ったり、木登りしたりしてたかなぁ。ディズは、小さい頃どんな子だったの?」
「遊びに行くことすら億劫に感じる、やる気のない無気力な子供でした」

自分の答えが意外だったようで、シェニカは酔いが飛んだようにポカンとした表情になった。


「ディズってきっちりしているイメージだから、なんか想像出来ないや」
「バルジアラ様に出会って変わったんです」
「どんな出会いだったの?」
「こんな破天荒な人がいるのだと。それも将軍職にある人だなんてと驚きました」

あの方との出会いから現在に至るまでの出来事を思い出すと、思わず小さく笑ってしまった。


「思い出し笑いしてるの?そんなに面白い話なら教えて~」
「えぇ、いいですよ」




「バルジアラ様って面白い人なんだね」
「立場があるのでは普段は威厳のある方ですが、他者の目を気にしない場所だと良い兄貴分のような気さくな方なんです。もう1瓶開けますね」
「うん!それにしても、ディズも結構飲んでるのに何にも変わらないって。お酒強いんだね」
「そんなことないですよ」

ディズとバルジアラ様との出会いといった話を聞いていると、1本目は空になり2本目を開けた。
彼はお酒に強いようで、ペースは遅いけどずっと飲み続けているのに顔色はまったく変わらない。私といえば、さくらんぼのシードルが美味しくて、いつもより飲んでいるな~。ふわふわするなぁ。ディズの話って面白いなぁと思っていると。


「シェニカはどんな男性が好きですか?」

彼が急にそんなことを聞いてきた。


「んっと、誠実で、人にも動物にも優しい人が良いな。あと、ユーリくんみたいに可愛くて、カッコいい男の子も好きだよ。えへへ」
「顔立ちは整っている方が良いですか?」
「美形の人ってこと?」
「えぇ。セナイオルやトゥーベリアス殿のような人です」
「顔立ちは全然関心ないなぁ。セナイオル様みたいに踏み込んでこない人は大丈夫だけど、ソルディナンド様やトゥーベリアス様みたいにグイグイ来るような積極的な人は苦手かな。ディズはどんな女性が好き?やっぱりキレイで、ボン!キュッ!ボーン!な人が良い?」

変なことを言ってしまったのか、ディズはぷっと小さく吹き出して笑った。


「私はシェニカが好きです。優しくて誠実で。自然体で、明るくて、あったかくて、素敵な笑顔のシェニカが大好きなので、外見どころか他の女性にも関心はありません」
「あ、ありがとう……」
「ほろ酔いのシェニカも、照れた顔も可愛いです」

そんなことを言われるとすごく照れくさくて、火照った顔が更に熱を帯び、心の中も熱くなった。


「ディズの優しいところ、たくさん勇気をくれるところ、強くてかっこいいところ。誠実なところ。えっと……。他にもあるのに言葉が出てこないけど、ディズが大好きよ」

「ありがとうございます。恋というのは仕事なんて放り出したくなるほど夢中になって、常に一緒にいたいと思えるほど恋しくて、こんなにも切なくなるものなんですね。シェニカに恋をして初めて知りました。貴女だけを愛しています」

ディズは私の目をしっかり見てそう呟いた。その熱っぽい目にムズムズして思わず俯いたら、手からグラスが抜き取られ、フッと身体が持ち上がってディズの膝の上に跨っていた。
どうしたのかと思って目の前の彼を見たら、目を閉じた彼が眼前に迫ってきていた。あぁ、キスをするんだな~と思って自分も目を閉じれば、唇に柔らかくてあったかいものが触れた。

唇が触れたら熱をわけてもらったみたいに、そこからどんどん全身に熱が伝わっていく。
ディズの唇も腕も、足もあったかいけど、私の中に広がっている熱もディズに知ってほしい。そう思って彼の首の後ろに腕を回すと、息継ぎをするみたいに角度を変えながら唇を食むキスが始まった。


ーー触れ合うだけのキスも好きだけど、やっぱり深いキスがしたいな……。

お酒のせいで理性がゆるくなっているのか、キスのせいなのか、なかなか深くならないキスに悶えるような気持ちになった。


「ディズ。もっと」

熱に浮かされて思わずねだる言葉を口にしてしまったものの、ディズには上手く伝えられなかったみたいで、啄むような短いキスや角度を変えたりと回数が増えてしまった。


「深いキスもしたいな」
「どう、したらいいですか?」

酔っているせいか、すんなりと恥ずかしい言葉が出てきたけど。彼からの言葉を頭の中で理解した瞬間、ハッと正気に戻った。


ーーどうしたらいい?って聞かれたら、一気に恥ずかしくなってきた!『やっぱり今のはなし!気にしないで。部屋に戻るね。おやすみ!』って言って何事もなかったように振る舞った方が良いのかな。
でも、正直言うと彼と深いキスがしたい。けどディズは『深いキス』が分かっていないみたいだ。
なら自分からするしかないと思うけど、彼の顔を見るのが恥ずかしすぎる。俯いたままどうしようと考えた結果。


い、いまの私は酔っ払い!酔った勢いってことなんだ!
そう言い訳をして一歩踏み出してみることを決めた。



「こ、こういうキスがしたいな」

目を閉じたまま彼の両頬に手を添えて、ディズの唇を割って舌を中に入れた。

すると背中に回っていたディズの腕の力が一瞬抜けたような気がしたけど、すぐにギュッと抱き締められて苦しくなった。息苦しくて酸素を求めようと顔を離すと、目の前の彼は切なそうな顔をしていた。


「私も。私もしたいです」

そう言ってもう一度距離がなくなると、今度はディズの舌が入ってきた。
熱くて厚みのある舌に自分のそれも絡めると、彼の身体が小さく驚いたように動いて、すぐに離れていったのが名残惜しかった。


「こんなキスがあるんですね」
「う、うん……」
「はじめて知りました。シェニカに求められている感じで、すごく官能的で。とても……」

ディズはそこで言葉を止めると、彼は濡れた自分の唇をうっとりした表情でゆっくりなぞった。
艶っぽい顔を至近距離で見たせいか、何だか心の奥に育つ若木がドクンと脈打って一回り大きくなったような気がした。
その唐突な成長にビックリしたと同時に猛烈な恥ずかしさが襲ってきて、思わず彼の膝の上から下りようとしたら、足に力が入らなくて身体が斜めに傾いた。


「大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶだよ」

私がずり落ちる前に背中に腕を回して抱え直してくれたディズは、うっとりとした表情は私の見間違いだったのかな~と思うくらい見慣れた心配そうな表情をしている。その顔を見るだけで、居ても立っても居られないような感情が落ち着いてくるのが不思議だ。


「もう一度。もう一度シェニカからさっきのキスをしてくれませんか?」
「へ?」
「シェニカから求められたいんです」

ディズはまたうっとりした顔をしているから、せっかく落ち着いてきた気持ちが大きく波打った上に、はっきりと『求められたい』と言われると、自分が言いだしたキスがそういう意味だったと今更気付いて恥ずかしくて仕方がない。
どこか冷たい場所に逃げ込みたくなったけど、切なそうに私を見る彼を見ると逃げられそうになかった。


「ダメ……ですか?」
「あ、えっと…。い、いいよ」

そんなふうに言われると何だか私が彼に意地悪しているような感じがしてしまい、返事をして彼の頬に手を当てて深いキスをしたら。今度は積極的に舌を絡められる上に、身じろぐことも難しいくらい背中に回された手に力が込められた。


「んぅ…」
「シェニカ…。もっと…」

顔を離そうとするとディズが追いかけてくるから、なかなか唇を離すことも出来ない。顔の角度を少し変えるくらいしか出来なくて、息苦しさでぼんやりし始めた時には彼の舌が私の方に入ってきていて、耳には舌が絡まるたびに出る音が響き、匂いで酔ってしまいそうな強いさくらんぼの香りがしていた。


「は、ぁ。く、くるし…」

息が絶え絶えになった小さな呟きが彼の耳に届いたのか、やっと離してもらえた。そして上がった息を整えようとすると、目の前のディズはまた切なそうな顔をして私を見ている。


「ディ、ディズは。くるしくないの?」
「息苦しさはありませんが、シェニカが愛しすぎて苦しいです」

彼はそう言って耳元に顔を寄せると。


「もう一度……。ダメ、ですか?」

少しだけ荒くなった吐息を抑えるようにゆっくりと熱っぽく囁いたディズは、熱情が帯びているのに、どこか悲しげで憂いを孕んだ目で私を切なそうに見ている。


ーーそ、そんな風に言わないで。そんな目で見ないで…。
私はこの時、彼のこの「ダメですか?」という言葉と、熱っぽく憂いを孕んだ目にすごく弱いことを自覚した。
「ダメ」と言ったら意地悪している気がするし、放っておけない気持ちになる憂いた眼差しと『愛しています』と伝わってくる熱っぽい目を見ると、断る言葉は喉の奥にストンと落ちていってしまう。


「も、もう1回。そしたら部屋に戻るね」
「では…。シェニカを愛する私の気持ちが伝わりますように」

ぱぁぁ!と幸せそうな笑顔になったディズは、頬、鼻先にキスを落とすと唇を合わせた。





腕の中にいる温かな存在がたまらなく愛おしい。彼女と舌を絡めるキスは、『貴方が欲しい』と言われているようでとても嬉しい。

ーーシェニカ。愛しています。もっと貴女に求められたい。このままこの部屋で過ごしてくれないだろうか。

そんな気持ちが大きく渦巻いて、理性を飲み込むような大きな波になって襲ってくる。
今は関係を深めるよりも愛情を育み、信頼関係を築くことが大事なのだと理性を強く働かせるのだが。彼女に求められることが言葉にならないほど嬉しくて。本当ならこんな幸せな時間がたくさん過ごせたはずなのにという気持ちが強くなってきてしまい、今までの分を取り返そうと無意識に思っているのか、次第に理性が緩くなってしまう。
だから彼女がキスをやめて離れていこうとするのがどうしても名残惜しくて、頬を赤らめ、息を上げる彼女がとても愛おしくて、何度も追いかけてキスを強請ってしまう。


「ん、ん…。んぅ…」

彼女の息が荒くなってきた上に苦しそうな小さな声も聞こえきたから、後ろ髪を引かれる思いで唇を離すと、シェニカは『はぁはぁ』と一生懸命呼吸をしている。彼女を苦しめるつもりはないが、もっと求め合うキスをして甘い時間を過ごしたい。
でも約束だからと、離したくないと訴える心に言い聞かせて小さな背中に回していた腕を外した。


「そ、そろそろ部屋に戻るね」

少し呼吸が落ち着くと、彼女はそう言って膝の上から下りてしまった。愛おしい存在とあたたかな温度がなくなってしまったことが寂しくて、足元がおぼつかなくなっているだろう彼女を支えようと隣に立って細い腰に腕を回した。


「ふらついてます。大丈夫ですか?抱えていきましょうか」
「だ、だいじょうぶだよ」

顔が赤いままの彼女はそう言って歩き出したのだが、いつもと比べるとゆっくりとした足取りだ。もっと一緒にいたい気持ちが伝わるように身体を寄せると、彼女は自分に寄りかかってくれた。会話はなくても、心がつながっているのだと身体の奥底まで染み渡ってくる状況は、彼女の部屋の扉の前まで続いた。


「ディズも、もう寝る?」
「えぇ、今日は休みます。今夜はすごく良い夢が見れそうです。おやすみなさい」
「おやすみ」

シェニカが結界を張ったのを確認して扉を閉めると、部屋の奥に進んでいく彼女の気配を感じながら自分の部屋に戻った。そしてついさっきまで甘い時間を過ごしたソファに座ると、目を閉じて自分の唇をなぞった。


「あんなキスもあるなんて」

初めての深いキスはとても甘美で淫らで。「もっと彼女が欲しいと」と身体の芯が訴える声が理性を溶かして、思考を乗っ取られるような感じがした。
深いキスを教えてもらう時の彼女の困ったような、恥ずかしそうな顔を思い出すと、愛おしさと興奮が蘇ってくる。甘い時間がベッドに移った時のことを想像すると、キスだけでも知らないことがあったのに、それ以上のことをよく知らないままで良いのか少し不安になった。


「今まで散々からかわれたことは記憶に残っていないので、もう一度懇切丁寧にご説明していただかねば」

愛し合う行為は本能的なことだから、今その時が来てもなんとかなるんじゃないかと思っていたが。彼女の照れた顔も困った顔も愛おしいが、ちゃんと勉強しておいた方が良さそうだ。
そう決めるとグラスに残っていたシードルを飲み干し、熱を持った身体を冷まそうと風呂場に移動した。








「また遊びに来るね。その時はまたクッキー作るからね」
「みんな元気でね」
「病気や怪我に気をつけてね」
「私と一緒に来てくれる子はいませんか~? 美味しいパンやお菓子が食べれるし、いろんなところに旅行が出来るよ」

翌朝。ここを発つ前にリス達に挨拶がしたいと望んだシェニカと一緒に屋敷の周囲を歩いていると、彼女は遊び回るリス達に向かって名残惜しそうに声をかける。
リュゼットくんにしがみつくリス、枝の上で順待ちをしているリス、特大リュゼットくんの中から顔を出したリス達は、動きを止めてこちらをジーッと見ていたのだが、彼女が近寄ると木の高い場所に逃げてしまう。
ゆっくり2周してみたものの、近寄ってくるリスが1匹もいないまま玄関に戻ってきてしまった。


「うぅ……。一緒に来てくれる子、いないみたい」
「今度来た時は、きっと素敵な出会いがありますよ」

肩を落として暗い表情をしたシェニカは、自分の軍服の隙間から顔を出しているユーリを悲しそうに見た。

今も周囲の木の上からこちらを観察するリス達がたくさんいて、シェニカが何かするのではないかと注目しているようだ。
警戒される状況は変わりがないものの、時間の経過とともに距離は少しずつ近付いていたから、もう少しこの場所にいることが出来たら結果は違ったのかもしれないが、今回は縁がなかったと諦めるしかない。


玄関の脇でエイマとベーダとともに控えていたファズたちが近付いてきたから、許可を求める彼らに小さく頷いて返事を返した。


「シェニカ様、私達からの贈り物です。お受け取り下さい」
「え?私にですか?」
「はい、是非中身を御覧ください」

アヴィスが渡した小さな木箱を開けたシェニカは、一瞬で暗い表情が弾け飛んでとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「わぁぁぁ!!ユーリくんだ!しかも軍服姿!ピンクのハートの階級章が可愛いです!本当に頂いて良いんですか!?」
「もちろんです」
「ありがとうございますっ!どこで売っているんですか?」
「私が作りました」

シェニカは木箱からユーリにそっくりなぬいぐるみを取り出すと、目をキラキラと輝かせて撫で始めた。
ぬいぐるみが気になったユーリが肩まで上がってくると、飛びかかろうと身構えている。どうやら自分用のぬいぐるみだと思っているらしい。


「ユーリくんにそっくりだね!大きさも同じだ!」

シェニカがぬいぐるみを比べるようにユーリの横に持ってくると、ユーリはクンクンと丁寧に嗅ぎ回り、2本足で立ち上がってぬいぐるみの顔を掴んだ。このままだと、ユーリがぬいぐるみに噛み付いてボロボロにしてしまう。
アヴィスの作ったぬいぐるみは、手触りと見た目が似た毛皮を使ったもので、青碧色の軍服にピンクのハートのビーズが縫い付けられ、水色の目は特注のガラスビーズを使った手の混んだ代物だ。
今朝初めてその存在を伝えられたが、ファズ達と協力して忙しい時間をやりくりして作ったらしい。


「ユーリ。これはシェニカのためのぬいぐるみですから、噛み付いてはダメですよ」
「こちらもお使いください」

ファズが小さな革張りのトランクを開け、シェニカに中身が見えるように差し出すと、彼女は中を見た瞬間飛び上がるように驚いた。


「わぁぁ!!着替えまで!本当にいただいて良いんでしょうか?」
「もちろんです」
「ありがとうございます!タキシードにクルミ柄のシャツ、浮き輪付きの水着!あ、フリフリエプロンドレスやウェディングドレスまで!他にも可愛いドレスがたくさん!きゃぁぁ!可愛い~♪」

ファズからトランクを受け取ったシェニカは、興味津々な様子で中の洋服を眺めだした。
自分が普段ユーリ用の服を買う店で注文したそうだが、トランクに入っている量から考えて、オオカミリスの服作りに夢中の店主が作った服を全部買ったのだろう。かなりの金額だっただろうから、彼らには後で特別報酬を出しておかなければ。


「こんな、こんな可愛いユーリくんのぬいぐるみを作っていただいた上に可愛いお着替えセットまで!本当に!本当にありがとうございますっ!」

シェニカは感無量の表情を浮かべると、左腕で木箱とぬいぐるみ、トランクを抱え込み、右手で相手の手を握ってブンブン振るという豪快な握手を順番にやり始めた。
彼女の喜びように驚いたのか、5人は困ったような顔とぎこちない笑顔を行ったり来たりしていて、時折申し訳無さそうに自分を見ている。
相棒に巡り会えず落胆していた彼女が元気を取り戻したのは彼らのおかげと、自分からも「感謝します」と視線で伝えた。


「これからは毎晩この子も枕元に置いて、おはようとおやすみの挨拶は欠かさずやって。朝起きたらお洋服はその日の気分で決めようね。朝から楽しくなるね!えへへっ!
治療院でも机の上に置いて、『お仕事頑張って!』って応援されているような気持ちになって。移動する時は胸元に入れて、リスボタンな姿を再現して……。お風呂は一緒に入れないけど、もちろんどこに行くのも一緒だよ!うふふっ!」

彼女の感動はなかなか収まらないようで、豪快な握手を順番に繰り返しながら意識が遠いところに行っている。そんな握手を受けて少々困惑気味だった部下達だったが、突然真顔になって視線が彼女の鼻から動かなくなった。


「結婚式にはタキシードとウェディングドレス、どっちがいいかなぁ。えへへ~」
「シェニカ様。あの……」
「あ!はい!なんでしょうか!」
「鼻血が……」
「え?あ!すみません。興奮しすぎてしまって!」

アヴィスの手を離したシェニカは、慌てて鼻に治療魔法と浄化の魔法をかけた。


「では行きましょうか」
「うん!」

シェニカの興奮が収まった頃、エイマとベーダも連れて生息地を管理する軍の建物に向かう道を進み始めたが、彼女の意識は手に持ったぬいぐるみに注がれたままだ。


「ねぇねぇ、ルクト。可愛いでしょ!」
「そうだな」

シェニカの一歩後ろを歩く『赤い悪魔』は、彼女の嬉しそうな顔を見ると表情が変わりそうだったのか、すぐに視線を森の方へと移した。


「お名前は…。うーん、やっぱりミルクちゃんかな!」

シェニカは愛おしそうにぬいぐるみを指先で撫でては、幸せそうな笑顔を浮かべる。
今回の贈り物はファズ達が自主的に考えて準備してくれたものだが、彼女に喜んでもらう他に別の意図があるのだろう。彼女の心を掴んで放さない贈り物を準備してくれた彼らには、心から感謝しなければ。


「シェニカ、これをどうぞ」

シェニカに『恋するクルミ』が入った革袋を渡すと、中を見た彼女は驚いた顔で自分を見上げた。


「え、いいの?」
「ユーリがここで溜め込んだクルミがたくさんありますし、王宮のクルミも頂けますから大丈夫ですよ」
「ディズ…。ありがとう!」

シェニカはそう言って弾けるような無邪気な笑顔を浮かべると、ぬいぐるみに匂いを嗅がせるように革袋の中を覗き込ませた。



そして森を抜けて軍の建物内を通り抜けると、門の前には見送りに出てきた兵士達と馬が用意されていた。


「ベーダさん、エイマさん。本当にお世話になりました。お料理も心遣いも愛情が籠もっていて、素敵な時間が過ごせました」
「身に余るお言葉、ありがとうございます」
「あと、リュゼットくんのお手入れ方法を書いたんです。蔦が飛び出したり、穴が空いた時の参考にしてください」
「ありがとうございます。大事にお手入れさせていただきます。どうぞお気をつけていってらっしゃいませ」

ベーダとエイマに挨拶を終えると、兵士らにも見送られながらボルフォンへと出発した。


■■■後書き■■■
・これで第18章は終わりとなります。
・第17章18.5話でファズ達が考えていた、「旅に戻ったシェニカがディスコーニを忘れないようにする」手段が、オオカミリスのぬいぐるみとお着替えセットでした。
この意図はディスコーニにはちゃんと伝わっていて、シェニカの心もガッチリ掴んだようです。上官思いの有能な部下達ですね。
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