天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第18章 隆盛の大国

20.後悔が見せる夢

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■■■前書き■■■
お気に入りや感想、web拍手、コメントをありがとうございます。
頂いた応援は更新の励みになっております。

更新を大変お待たせしてしまい、申し訳ありません。m(__)m
今回はルクト視点→ディスコーニ視点です。

■■■■■■■■■


ふと気付いたら。
自分の周りには白やピンク、赤、黄色、水色などキレイな色の花や、黒や灰色、濁った紫や赤黒い花なども混ざった花畑が、見渡す限り広がっている。
俺の2歩前にいるシェニカは、花畑を気にすることなく前を向き、肌色の小道を歩いていた。
花畑以外には景色がなく、乳白色の空しかない世界で、風を遮る建物や木がないからか、時折強い風が吹くと、シェニカのピンクのローブと黒い髪が、散った花びらと一緒に舞い上がるように靡いている。
花かごを持ったシェニカは楽しいのか、時折鼻歌を歌ったりスキップをしている。


「ねぇ、ルクト。好きだよ」

歩きながら振り向いたシェニカが差し出した1本のバラは、何枚もの花びらが鏡で出来ていて、そこにはシェニカの嬉しそうな顔が映っている。シェニカのそんな顔がたくさん映るバラが貰えることを嬉く思った時、俺の口からはなぜか淡く光る1匹の蛍が出てきて、シェニカに向かってふわふわと飛んだ。
その蛍をシェニカに見られるのが恥ずかしくて、俺は蛍を捕まえて、首から下げていた虫かごに入れようと蓋を開けた。するとそこには、周囲の明るさに負けないくらいの光を出す蛍が、既にたくさん入っていた。

シェニカから受け取った鏡のバラを花かごに入れた時、その何枚もの花びらには見下ろす俺の顔がたくさん映っていた。


強い風が吹く度に、花畑からは色とりどりの花びらが舞い散って、シェニカの花かごに入ろうとする。
シェニカの花かごの中には数枚の花びらが入っているが、入り口を覆うように光をキラキラと反射する透明な布がかけられているから、風で運ばれてきたたくさんの花びらは、その布の上を名残惜しそうにゆっくりと滑り落ちていくだけだった。


「ルクト。大好き」

再び振り向いたシェニカから鏡のバラが差し出された時、俺の口からまた蛍が出てきたから、シェニカに向かうソレを捕まえて虫かごに入れた。
そしてシェニカの差し出すバラを受け取った時。花びらには少し元気のないシェニカが映っていた気がしたが、花びらはゆっくりと俺の満たされた顔を映した。


「ルクトは私のこと好き?」

発した言葉は出なかったが、また蛍が出てきたから、捕まえて虫かごの中に入れた。
蛍は小さな身体に見合わないような、はっきりとした光を放っているのに、シェニカはさっきからその姿が見えていないらしい。
シェニカは音にならない小さな溜息を吐き出し、前を向いて歩き始めたが、いつもと変わらない後ろ姿は何故か寂しそうに見えた。


少し歩いては俺に好きだと言ってバラを差し出し、シェニカからの「好き?」という問いかけに、声が出ない俺は口から出てきた蛍を捕まえる、という行動を繰り返す。そんなやりとりを続けていると、俺の花かごのバラは零れ落ちそうなほど溢れ、虫かごは光の隙間が僅かにしか見えないほど蛍で一杯になった。


「それ、何が入ってるの?」

シェニカが指差した虫かごを見ると、蛍が発する光はまるで大きな宝石が輝いているようだった。
見た目は蛍だけど、蛍じゃないのは何となく分かる。でも、シェニカにはこの虫かごの輝きも見えていないようだし、声が出るようになったとしても、俺自身どう説明していいか分からなかった。


「私にもそれ見せて?」

シェニカが虫かごを覗き込もうとした時、強烈な恥ずかしさが襲ってきて、花かごを持っていた手を放し、両手で虫かごをかばうように抱いてシェニカに背中を向けた。


「何が入ってるの?」
「ねぇ、見せてよ」

背後から聞こえてくるシェニカの声から、この虫かごがあればシェニカはこうして俺だけを気にしてくれるし、このキレイな蛍はシェニカを喜ばせる存在なのだと分かった。
だからこそ、すぐに見せたくない『とっておきの宝物』として、虫かごを大事に抱え直した。


「どうして見せてくれないの?」

俺の後ろで聞こえる声が、最初に比べて弱々しくなっているのに気付いた。
でも、まだ虫かごの中を見せたくなくて、シェニカの声を聞きながら背中を向け続けていると、花が揺れる音しか聞こえなくなった。

シェニカが黙ってしまったことに違和感を覚えたのに、振り返ることが出来ないままの状態が続いた時、足元にある鏡のバラが入った花かごが見えた。
その無数の花びらは、緑の瞳から大粒の涙を流している姿を映していた。
キレイなその涙をずっと見ていたいのに、涙が頬を伝って肌色の地面に落ちていく度に、胸騒ぎが沸き起こる。


「ルクト……」

微かな風に溶けてしまいそうな弱々しい声に異変を感じ、虫かごを抱えたまま振り向くと、静かに涙を流すシェニカは、茎部分が痩せ細り、花部分が重そうに傾いたバラを弱々しく差し出していた。

虫かごを左手で抱え、右手を伸ばして受け取ろうとすると。
俺の手が触れる瞬間、項垂れた鏡の花が首を切り落とされたようにポロリと茎から離れ、地面に向かってゆっくりと落ちて、音もなく割れた。


受け取れなかった俺は慌てて地面に膝をつき、バラを拾い集めようとしたが、花びらはガラスを叩きつけて割ったように細かく砕け散っている。焦った俺の顔を小さく映した欠片は、どんどん地面と一体化していき、拾い上げることが出来ない。
掘り返そうと、肌色の地面に赤い血がシミを作るまで必死で爪を立てても、地面には傷1つ付かない。地面と同化した欠片は、嘲笑しているかのように俺の必死な顔を映し続けていた。

助けを求めようと顔を前に上げれば、目の前に立っていたはずのシェニカは俺に背を向けて先を歩いている。俺は慌てて立ち上がると、自分の花かごを掴んで追いかけた。


ーー待ってくれ!なんで置いていくんだ!!

シェニカに声をかけたいのに、やっぱり声が出てこない。
もう少しで追いつけると思った時、思わず足を止めてしまうほどの強い風が吹いて、視界を奪うほどの大量の花びらが舞い上がった。
やっと風が収まって前が見えると思ったら、シェニカとはまた距離があいていた。
焦る気持ちで追いかけていると、シェニカの花かごにあった透明な布がなくなっていて、その中には色とりどりの花びらが薄く積もるほど入っているのが見えた。

シェニカは少し歩くペースを落とし、花かごの中の花びらを1枚ずつ確認し始めると、白や薄ピンクなどのキレイな花びらは優しい手付きで花かごに戻すが、黒や濁った紫、赤黒い花びらは捨てて行く。

そんなことを繰り返していると、立ち止まったシェニカは透き通った紫の花びらを手にとって、穏やかに目を閉じて愛おしそうにキスをした。
すると、次に瞬きをした時には、シェニカの隣に軍服姿のディスコーニが立っていて、シェニカと見つめ合っていた。


「シェニカ、愛しています」

ディスコーニはそう言って淡い光を放つ何かを差し出すと、シェニカは嬉しそうにそれ受け取った。
すると、その光はシェニカの手に吸い込まれ、光と同じ淡い色がヴェールのようにシェニカの身体全体を包んだ。
その光は見えるのか、嬉しそうに微笑みながら身体を確認したシェニカは、ディスコーニにあの鏡のバラを差し出した。


「私もディズを愛してるよ」

聞きたくなかったシェニカの言葉を耳にした時、言葉にならない複雑な感情が身体の奥に生まれた。
よく分からない感情に混乱する俺をよそに、ディスコーニが鏡のバラを大事そうに抱き締めると、バラは見つめ合う2人を映したまま、ゆっくりとディスコーニの身体に溶けて消えた。


「ルクトさんよりも私を愛してくれますか?」

「私は手っ取り早く手が出せる存在と思われてるから」

ーー違う!そんな風に思ったことなんかない!

2人に聞こえるように大声で反論したいのに、呻き声すら出てこない。その代わり、虫かごの中の蛍が目立つように点滅し始めたが、2人はまったく気付かない。


「これからは私がシェニカの隣に居ますから、大丈夫ですよ」

ディスコーニはシェニカの両頬に手を添えると、シェニカは抵抗することなく奴を受け入れた。
そよそよと花が揺れる音だけが聞こえる時間がしばらく続くと、2人はやっと離れて歩き始めた。

花かごに入る花びらを選別しながらゆっくりと歩くシェニカは、時折気になる花びらがあるのか、それを大事そうに手にとってキスをする。すると、2人の後ろにぼんやりとした人影が生まれ、シェニカと歩調を合わせるようについて行っている。
シェニカの隣にいるディスコーニは、花びらを選別するシェニカと影を微笑ましく見ていて、時折足を止めると見つめ合い、また長いキスをして、前へ前へと進んで行った。


ーー待ってくれ!置いていかないでくれ!

2人を追いかけるのに、距離はどんどん開いていく。どんなに走っても追いつけない俺は、小さくなっていく2人の背中と影を見続けることしか出来なかった。


やがて完全に見えなくなると、走るのを止めて振り返ってみた。すると、肌色の小道にはキラキラと光を反射する何かが俺の足元まで続いていた。
まさかという気持ちで持っていた花かごを見ると、そこにあったはずの無数のバラは消え失せ、花びらの残骸が僅かに残っているだけで。小さく俺を映すその残骸すら、かごの隙間からボロボロとこぼれ落ちていた。

これ以上失くならないように地面に座り、花かごを膝の上に乗せて、残り少ない欠片に触れた瞬間。
小さな欠片は全て音もなく砂になって、そよ風に攫われて消えてしまった。


ーーなんで?!なんで!!

どこかにいるシェニカにも聞こえるように、乳白色の空に向かって大声で叫ぼうとしても、声はまったく出ない。

大事なバラを壊してしまったことを謝りたいのに。
どうでもいい存在なんて思ってないと誤解を解きたいのに。
あんなに見たがっていた虫かごの中を見せたいのに。
俺も一緒に行きたいのに追いつけなくて。
伝えたいことはたくさんあるのに声が出なくて。


どうにもならないと絶望すると、全身から骨が抜けたように脱力して、力なく項垂れた。
すると、虫かごから出てきた蛍が、座り込む俺の周りを強い光を点滅させながらふわふわと飛び回った。


ーー大事に持っていても、シェニカがいないと何の意味もないじゃないか。

行き場所を失って迷う蛍をぼんやり見続けた後、カラの花かごの下にある地面と同化した花びらの欠片に視線を落とすと、そこには涙を流す自分が小さく映っていた。





「星が消える前の強烈な瞬きかと思ったら」

どこかで聞いたことがあるような声が浴びせられ、慌てて顔を上げると、乳白色と花畑の世界は消え去っていて、俺は薄暗い部屋の椅子に座っていた。
カウンターの向かいには見たことのあるような婆さんが座っていて、色素がほとんどない目で俺をジッと見ていた。


「お前さん、一体なぜあんな光が出せたんだ?」

婆さんは動けない俺を気にする様子もなく、身を乗り出して俺の眼前で手をかざして目を閉じた。
相変わらず声は出ないが、今までになかった首を絞められているような圧迫感を感じていると、しばらくして婆さんは椅子に戻った。


「なるほど。己の過ちを深く後悔し、敵わぬ敵に絶望しているのか」

全てを見透かすような目を見ていると、自分の思考が完全に停止したかのように何も考えられなくなった。


「お前さんの選択が、自分自身だけでなく周囲の星の軌道にも影響を与えた結果、心の中に溜め込んだ不満と後悔、喪失感と罪悪感が行き場所を見失い、炎のように蠢きながら迷子になっておる」

「ただ後悔するだけなら、星が消滅する時と同じくらいの瞬きは生まれない。儂をこうして引き寄せた強烈な瞬きに免じて、もう一度助言してやろう」

「傲慢な炎は大事なものまで焼き尽くしたのだろう?何を失った?お前の欲しかったもの、大事なものはなんだ?」

「お前さんの傲慢さは、お前さんにとって最大の敵だけでなく、最大の味方も作るが、望むものを手にしたいのならば、自分の身の程を知り、自分を抑えなければならない」

「悩みや不安を抱えるのは、誰もが認める強者であろうと、どんなに優れた者であろうと、誰にでもあることだ。
他者を拒絶するのは簡単だが、一度受け入れてから判断しても遅くはない。
逃げたいものから逃げずに向き合い、迷子になったら誰かに道を聞いてみると良い」

「そして弱さを認めることも強さだ。強くなるため、なりたいものになるためには、たくさんの者と関わり、その意見と思考に耳を傾け、多くの失敗と小さな成功を積み重ね、望む未来に繋げることだ」

「小さな変化は大きな変化の前兆だ。過去には戻れぬが、星が色々なものに影響されて軌道を何度も変えるように、お前さん次第で未来も変わるかもしれん」

「焼き尽くすだけの炎のままでいるのか、はたまた違う炎に変わるのかはお前さんが決めることだが、努力する姿は誰の心にも響く。
生まれ変わるつもりで頑張りなさい」

婆さんのしわくちゃの手が俺の右手を掴んだ瞬間、ハッと音のある短い息を吐き出せた。それと同時に身体が跳ね上がり、荒い呼吸を吐き出しながら周囲を見れば、ここは俺しかいない貴賓室だった。




「夢?それにしてはやけにハッキリ……」

昨日、目の前でシェニカとディスコーニがキスをしているのを見たから、あんな夢を見たのだろうか。
苦々しく思いながら掴まれた右手を見ると、あるのは手のひらの刻印だけで、他には異常はないのに掴まれた感触が残っている。

窓の外はまだ暗いから夜明け前だ。もう一度寝ようと横になったが眠気は来ない。
だから、目を閉じて頭に刻むように残った花畑の夢や婆さんの夢を振り返った。


俺が欲しかったものは何だろうか。
誰にも文句をつけられない、奪われない力が欲しくてドルトネアを出て。傭兵として実績を重ねていく内に、バルジアラに負けてシェニカと出会って。
護衛の仕事は退屈だと高をくくって失敗して。いつの間にかシェニカを好きになって。全然俺を意識してくれないシェニカにイライラしながらも、好きだと思う気持ちは膨らんでいって。
やっとシェニカが俺を男として見てくれたことが嬉しくて、俺だけのものでいて欲しくて。シェニカが俺だけを特別扱いするのが嬉しくて。離れないように俺に依存させて。
自分の感情をコントロール出来なくて、八つ当たりした末にシェニカを失って。目の前でディスコーニに奪われて。俺だけが満たされていたことを知って。
バルジアラには完膚なきまでに敗れ、大事にしていたプライドも失くなって……。

シェニカと出会う前の、思い出したくもない、もっと昔のことまで深く遡っていると、シェニカの気配が動き始めた。
外は僅かな明るさがあるものの、いつもならシェニカはまだ眠っている時刻だ。
どうしたのかと思いながらしばらく気配を伺ってみても、一向にベッドの方に戻る様子がない。このまま起きるつもりのようだと思い、自分も身支度を整えようとベッドから下りると、シェニカの部屋の扉の前にディスコーニがやってきた。
ディスコーニがシェニカの部屋から離れた後も、シェニカは部屋の中を動いているから、このまま起きることにしたのだろう。
急いで身支度を整えて荷物をまとめ、シェニカと同じタイミングで廊下に出れば、ディスコーニがシェニカを嬉しそうに迎えていた。


「ルクト、おはよう。もう起きたの?」
「おはよ。お前はやけに早いな」

夢で見たシェニカの姿がありありと浮かんでくるから、現実だと分かっているのに胸がざわざわと落ち着かない。
抱き締めて、目の前にいるのは現実のシェニカだと実感したい。
それが出来ないことに虚しさを覚えたが、普段と何ら変わりがない姿を見ると、安心感と愛しさが生まれてきた。


「生息地に行くと思うと、目が覚めちゃって。そうそう、朝食は中庭でスァンと食べようと思うんだけど、ルクトも一緒にどう?」

「行く」

ファズの代わりにディスコーニがシェニカの隣を歩きながら案内しているが、前を歩く2人が花畑の向こうに消える2人の姿と重なって見えてくる。
今は身体が動くし言葉も出てくるのに、夢の中のどうにもならなかった焦りと、置いていかれる寂しさ。砕け散った鏡のバラを思い出してしまう。


ーーずっと一緒にいたい。シェニカの側にいたい。
ーー好きだって言いたい。
ーーシェニカに愛されたい。



強烈な夢が残像を見せているのか。
どこからともなく漂ってきた1匹の小さな蛍が、シェニカに向かってふわふわと飛んでいるように見えた。





「おはよう!待たせちゃってごめんね!」

中庭でシェニカがローズ様へのフィラを飛ばしていると、妃殿下が息を切らしてやってきた。


「おはよう!こちらこそ朝早くに返事をしてごめんね。まだ寝てたでしょ?」

「ううん。私と殿下は夜明けと同時に犬達を散歩に連れて行ってるから、バッチリ起きてたよ」

散歩中にシェニカからの返事を聞いた妃殿下は、犬達を王太子殿下に任せてこちらに来たようだ。
2人の楽しそうな会話を聞いていると、準備を任されている給仕が隅の方で立ち止まり、自分に向かって頭を下げた。


「朝食の支度も出来たようですから、バラ園に行きましょうか」




シェニカと妃殿下は当たり前のように隣り合って座ると、「いただきます」と言って豪華な朝食に手を伸ばしながら、楽しそうにおしゃべりを続けた。
自分と『赤い悪魔』は隣り合っていても会話をすることはないが、早朝の静けさに包まれたバラ園には、2人の楽しそうな声と笑い声が響いた。

しばらくすると、散歩を終えた王太子殿下と準備を整えたファズ達もやって来た。
妃殿下の隣に座った王太子殿下にも話が振られるのだが、いくら殿下が会話に長けた人であっても、返事をした内容はあっという間に別の話題に変わってしまい、2人のおしゃべりについて行けない。
殿下はそれに気を悪くすることもなく、大人しくパンやスープを口に運びながら、すっかり打ち解けた2人を感心した様子で見守っていた。


「へぇ~!シェニカってアビテードに行ったんだ」

「うん!もう一回行きたいと思うくらい、国王陛下も宰相様もすごく面白い人達だったの。平和で人があったかくて、すごく楽しい国だったよ。スァンはアビテードに行ったことある?」

シェニカは何かを思い出したのか、クスクスと笑い始めた。
アビテードはよく知らないが、特に有名な観光地などはなかったと思う。何か楽しい場所があったのだろうか。


「ううん。私は外遊でダルタやエルドナに行ったことはあるけど、アビテードはないの」

「そうなんだ。あそこは1度は行ってみるべき面白い国だよ!ダルタとエルドナは楽しかった?」

明るい表情で聞いたシェニカに、妃殿下は少し暗い顔をして首を振った。


「王族や大臣を相手にする時間が多かったから、緊張しっぱなしで楽しさは感じなくて。結婚する前はキルレに狩りのお手伝いに行ったことあるんだけど、その時の方が楽しかったな」

「私も王宮に行ったり、貴族のお屋敷に行くのってすごく緊張する。ちょっとでも失敗したら、足元を掬われそうで気が抜けない」

「シェニカもそうなんだ。私だけかと思ってた」

苦しそうな顔をした妃殿下に、シェニカはウンウンと何度も頷いた。


「私も生まれは普通の牧場の娘だったのに、ある日突然高い身分を与えられてどうして良いか分からなかったけど。それなりに時間が経った今でも慣れないし、慣れようとも思わないや」

シェニカの言葉を聞いた妃殿下は、テーブルに添えていた手を握りしめ、苦しそうに短い息を吐き出した。


「私ね。王宮に来て、色んな人達から『王族らしくない』『獣臭い』『血のにおいがする』とか聞こえるように嘲笑われて。でも、どうしたら良いか分からなくて。
殿下に相談したら、俺が一番王族らしくないから安心していいぞ!って言ってくれるけど、やっぱり殿下とは違うし。なかなか王族らしく出来なくて」

「私、あんまり王族の人とか関わってこなかったけど、高い身分を振りかざして思い通りにさせようとする人がいるんだ。
王族って色々と大変だと思うし、私には分からないことも多いけど、スァンにはそんな人になって欲しくないな。今みたいな自然な感じが私は好きだよ」

「シェニカ……。ありがとう」

妃殿下とシェニカは地位や立場に違いはあっても、ある日突然平民から高い身分になったという似た境遇だからか、悩みや心情を吐露しては、互いの手を取り励まし合っている。
妃殿下の話し相手は殿下しか居なかったと思うが、生まれた時から王族だった殿下が励ましても、妃殿下にはその言葉は届かなかったかもしれない。
高い身分を与えられても驕り高ぶらず、一般人に近いままのシェニカだからこそ、妃殿下と共感出来るのだろう。

自分と同じことを思っているのか、王太子殿下は妃殿下が淹れたレモンティーを飲みながら、嬉しそうに2人を見守り続けている。



「ごちそうさまでした。お料理もスァンのレモンティーも、とっても美味しかった!」

「ありがとう。シェニカからもらったライムティー大事に飲むね。城門まで一緒に行きましょ」

ファズ達がお喋りが止まらない2人の前を歩き、彼女たちの後ろを自分と王太子殿下。その後ろを『赤い悪魔』が歩くことになった。


「スァンのお部屋にいる猫のモモちゃん、今日はどうだった?」

「それがね、朝の散歩の直前に、今度はミカンと喧嘩したの。犬の中で一番身体が大きなミカンに、上からならイケる!と思ったのか、棚の上から奇襲したんだけど。ミカンは華麗に避けた後、モモを追いかけ回してたわ」

「あはは!ミカンくんは大変だったけど、モモちゃん頑張ったね~!」

「他の犬や猫達は我関せずみたいな感じなのに、モモってば誰かにちょっかいを出すから、部屋の中はすぐにちらかっちゃって。ほかの子たちみたいに、仲良くしてくれるといいんだけど…」


城門に向かって廊下を歩いていると、会議室や文官達の執務室といった扉の前に有力貴族の令嬢や子息達が並んで、こちらをにこやかに見送っている。
普段ならまだ登城していない朝早い時間だというのに。シェニカの目の前に出られる最後の機会だからと、随分と張り切って来ているようだ。

彼らの視線はシェニカだけでなく妃殿下にも送られているのだが、お喋りに夢中な妃殿下は、彼らの視線どころか存在すら気付いた様子はない。
そんな様子を目の当たりにした彼らは歯がゆい思いを隠せないらしく、自分たちが通り過ぎると焦った表情や困惑の表情を浮かべている。


「昨日からさ、スァン宛に手紙がドンドコ来るんだ。中を見たらさ、『妃殿下のお優しい姿に以前から憧れていました』とか『妃殿下のお美しさの秘訣を是非ともお伺いしたく』とか茶会や夜会の招待とか、王宮に呼んでくれとか。果てはスァンの愛人になろうとする奴も出てきて、手のひら返しがすんげぇの」

「彼らも生き残りに必死ですね」

シェニカと友人関係になったと貴族たちにも知れ渡ったようだが、過去の妃殿下への数々の行いを、まるで幻だったかのようにする貴族たちのやり方には感心する。
王族なら寛大な心で水に流してくれると思っているのだろうが、今でも貴族に不信感を抱く陛下と、さんざん愛妻をけなされてきた王太子殿下が、妃殿下に彼らを許すように助言することはないだろう。


あっという間に王宮の北門に到着すると、大通りと隔てる柵の前には馬が用意されていて、そこへ通じる道には陛下と宰相様、バルジアラ様やトゥーベリアス、その副官達が待っていた。


「いいなぁ。俺も可愛いオオカミリスに会いに行きたいなぁ」
「殿下、ダメですよ」
「分かってる、分かってるけど!そうだ!スァン、アビシニオンを連れて駆け落ちしよう」

殿下は妙案を思いついたという表情で妃殿下に小声で提案した時、陛下と宰相様が殿下に詰め寄って来た。


「命令に背いたらスァンとアビシニオンとの接触、及び狩りと釣りは共に無期限の禁止。首輪とリードをつけて、ヴェンセンクと共同生活にさせると言ったのを覚えているな?」

「朝起きてから夜寝るまで、殿下と勉強できるなんてとても楽しみです」

「ヴェンセンク、お前のペットとして遠慮なく扱っていいからな。性根を叩き直してくれ」

「次代の国王にふさわしい品格を兼ね備えるように、殿下専用の鞭を注文しておきました。鞭が活躍する機会が待ち遠しいです」

「バル!助けて!」
「無理です」

陛下と宰相様の会話を聞いた殿下は、お2人の真顔に気圧されたようで、妃殿下の後ろに隠れてバルジアラ様に助けを求めたが、即答されると絶望の表情を浮かべた。
そんな殿下に冷たい視線を送る宰相様は、陛下に期待された通りペットとして可愛がるに違いない。この調子だと、近いうち、王宮内で鞭を片手にリードを引っ張る宰相様が見れるだろう。

陛下は王太子殿下を見ながらクスクスと笑っているシェニカに近付くと、しっかりとした握手を交わした。


「シェニカ殿、本当に世話になった。屋敷にあるものは全て自由に使って構わないし、気に入ったものがあれば持って行って良いから、ゆっくり過ごして欲しい。リス達をたくさん可愛がってあげてくれ」

「温かいもてなしとお心遣い、ありがとうございました。心から感謝いたします」

「いや、感謝するのは我々の方だ。何かあれば遠慮なく頼ってほしい。
ディスコーニ、任せたぞ」

「かしこまりました」

ファズ達と共に陛下に礼をとると、シェニカの手を取って馬に案内した。


「シェニカ、手紙書くね!」

「私も書くね!陛下、殿下、スァン、バルジアラ様、トゥーベリアス様、皆様。大変お世話になりました」

馬上のシェニカに名前を呼ばれたトゥーベリアスは、明るい笑顔をシェニカに向けたが、彼女は気にした様子もなく前を向き、先導するファズの後を追うように馬を歩かせた。
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