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第18章 隆盛の大国
4.失ったもの
しおりを挟むシェニカがディスコーニと一緒に宿を出た後、ベッドに横になっていたが、すぐに落ち着かなくなって、部屋の窓から外を歩くシェニカを見下ろした。その姿が建物に遮られて見えなくなると、だんだん居ても立ってもいられない状態になった。それでも、自分以外の男と一緒にいるのを見たくなくて、甘い匂いを追いかけたくなるのを必死に堪えていたはずなのに。
気付いたら宿の外に出ていて、シェニカが見える木の陰に立っていた。
どうしてここにいるのか。どうやってここまで来たのかを考えると、研究者や他の羊の奴に聞いた『離れたくても気付いたら主人の所に戻ってしまう』『逃げたいのに逃げられない』という誓いの効果なのだと思い当たった。
でも、前に主従の誓いを結んだ時は、居ても立っても居られない感じになっても、記憶を失うようなことにならなかったのに。シェニカとディスコーニから少し離れた場所に行こうとしても、自分の視界にシェニカがいないとどうにも落ち着かないし、縫い留められたように自分の足が動かない。
離れたくても離れられないし、結局この光景を見ざるを得ないのなら、せめてもの抵抗に木に背をつけてシェニカ達を見ないようにした。目を閉じるとシェニカが見えないからソワソワするが、あいつの気配を感じ取ればなんとか耐えられる。
でも、どうしても顔が見たくなって木の陰から様子を窺ってみると、シェニカは嬉しそうな笑顔を浮かべて、目の前のパフェを頬張り、向かいに座るディスコーニに食べさせてやっている。そんな姿を見たくなくて、また木に背中につけて目を閉じた。
そいつはお前を利用しようとしているだけなんだ。どうして分からない?
そんなに嬉しそうな顔、どうして俺じゃない男に向けるんだ。
俺と過ごした時間も記憶も忘れてしまったのか?
俺はこんなにお前のことが好きなのに、どうして俺を見てくれないんだ。
別れることになったのは、他でもない自分のせいだと分かっているのに、「どうして、どうして」という想いがゴボゴボと沸騰する泡のように次から次に湧き上がってきて、胸が押しつぶされて息苦しい。閉じた瞼に力を入れて耐え続けていると、
『従者が主人に好意を抱いた場合、想われた主人が強い想いを抱く従者を相手にしきれなくなって誓いを破棄する』
という研究者の話を思い出した。
暴走しそうになる感情をシェニカにぶつけてしまえば、主従の誓いは破棄されて、きっと護衛もクビになる。なんとか掴んだチャンスなのだから、棒に振るのだけは避けたい。
シェニカが他の男とイチャつくのを許容しないといけない、というのはフラれた時に覚悟したが、それを見たくなくても離れることを許されず、シェニカへの気持ちは募るばかりになる。追い詰められる状態になるのは、まるで主従の誓いが俺に罰を与えているかのようだ。
シェニカの楽しそうな笑い声が気になってまた様子を窺うと、シェニカはバナナとクリームを山盛りにしたスプーンを口に入れた。盛りすぎだからクリームが口の端につくのに、本人はまったく気にせず次のひと口を頬張っている。
その可愛い姿を木の陰ではなく目の前で見たいと願っていると、ディスコーニが腕を伸ばしてシェニカの口の端についたクリームを掬い取って、その指を自分の口に入れた。シェニカが恥ずかしさを隠す笑顔を見せた時、その表情に嬉しさと幸せが溢れているのが分かった。初めて見るその表情は、自分の心と目と頭に重い衝撃を与えながら深く刻まれた。
シェニカと一緒にいた時間はディスコーニより俺の方が圧倒的に長いはずなのに、どうしてあの顔を見ることがなかったのだろう。
どうして、俺じゃなくディスコーニに見せるのだろう。
俺のことが好きだったのなら、どうして俺に見せてくれなかったのだろう。
どうして、どうしてとまた湧き上がる感情を抑え込んでいると、シェニカの『ルクトと一緒にいる時、不安を感じることが多くて、満たされてるって感じなかった気がする』という言葉が重くのしかかってきた。
俺が好きだと言っていたら、あんな風に笑ったのだろうか。あんな風にイチャイチャ出来ないけど、恥ずかしさを押し殺して、手を繋いで街の中を歩き回れば良かったのだろうか。
具体的にどうすれば良いのか分からないけど、もう一度、俺を見て欲しい。もう一度、俺を好きになって欲しい。一緒の部屋で過ごさなくていいから、少しの時間で良いからシェニカと2人の時間が欲しい。恋人になる前みたいに普通に喋って、隣を歩く関係になりたい。
そんなことを思いながら苦痛を耐えていると、銀髪の野郎が俺の目の前で立ち止まった。
「おい、お前。こんな所で何やってんだ。警備もいるし、シェニカ様の護衛はディスコーニが務めるから心配ねぇよ。それともあんな血を吐きそうな甘ったるい姿が見たいのか?死ぬぞ」
「見たくねぇよ。見たくなくても、身体が勝手に動いてここに来たんだよ」
「はぁ?身体が勝手にって……。強制催眠や呪いでもかけられてんのか?」
「違う、主従の誓いのせいだよ」
そう言って右の手のひらを見せると、奴は口の端を持ち上げた。
「シェニカ様の奴隷になったのか」
「奴隷じゃねぇよ。どうせ女を取られた残念な男だと嘲笑ってるんだろ」
吐き捨てるようにそう言うと、目の前の男は不思議そうな顔をした。
「ディスコーニに取られた?お前がフラれたのは、シェニカ様に強姦まがいのことをしたからじゃないのか?」
「……まぁ、そうだけど」
バルジアラは「はぁ……」と小さな溜息を吐いて視線をシェニカ達へと向けた。
「俺達の知る他の『白い渡り鳥』様の愛人達は、互いを蹴落とそうと常に必死で、人目のある場所どころか国王陛下の御前でも、みっともなく寵愛を競ってる。そんな中、『新しい愛人はやることなすこと新鮮だから』という理由で、今まで寵愛を受けていた愛人があっさり捨てられるのはよくある光景だ。
理不尽な理由で捨てられるのが普通だから、お前のように理由があってフラれる方が珍しいんだよ。お前がやったことを考えれば『そりゃそうなるわな』と思うくらいで、残念な男とは思わねぇよ」
「……あいつは節操のない他の連中とは違うんだよ」
「そうみたいだな。だからこそ、余計にシェニカ様の価値は上がる。トラントのような暴挙に出る国はないと思うが、もたらされる恵みが多い故にシェニカ様を狙う敵は増える。お前がしっかり仕事してねぇと、俺はディスコーニを外に出すことに同意せざるを得なくなるんだから、ちゃんとやれよ?」
バルジアラはそう言って俺に背を向け、地面にへたり込むエニアスを肩に担いで去っていった。
そういえばと周囲を見れば、警備をしていた兵士やトゥーベリアス、ソルディナンドやその副官達も、何故か地面に倒れるか蹲っていて、白魔道士が治療をしている。だが、いくら時間をかけて治療しても回復しないらしく、しばらくすると首を横に振ってどこかへ行ってしまった。
「ディスコーニを外に出すことに同意せざるを得ないって、どういう意味だよ。あいつが将軍辞めてシェニカと一緒に旅が出来るかもしれないってことか?」
木に凭れて目を閉じ、バルジアラの言った言葉を反芻していると、いつの間にか時間が経っていたらしく、パフェを食べ終えたシェニカ達は、菓子屋や土産物屋に立ち寄って日が傾く頃に宿に戻った。
2人の楽しそうな様子を晴れない気持ちで見続けたからなのか、途中で買った数冊の新聞は、宿に戻る頃には強く握りしめた影響で皺だらけになっていた。
ディスコーニがシェニカの部屋にいるのを苦々しく思いながらソファに腰掛けると、一番上にあった世界新聞の一面には『トラント国王はフェアニーブで尋問後、処刑予定!』と書いてあった。
流し読みしながら次々にページを捲ってみれば、トラントの滅亡や今回の大罪のことなどが、色んな憶測を交えて書かれている。その中に、ウィニストラとサザベルが国境を直に接することで起きる影響についても書いてあった。
普通なら、大義がなければ互いに侵略戦を仕掛けることはないだろうが、小さな諍いが大きくなって戦争に発展するかもしれない。その戦争が3国が国境を接する場所の近くで起きた場合、興奮状態の下級兵士や傭兵がもう1国の国境を越えてしまえば、その国も戦争に巻き込まれることになる。そんな場合に備え、周辺国は防衛線の再構築、拠点や軍事力の強化などに向けて動き出しているらしい。
世界新聞の紙面がほとんどトラントばかりで、その話じゃないのは『ダルタがクーデターにより滅亡!老将ローバンスの娘が、ルスアニブの建国と女王となることを宣言!』という小さな記事くらいだった。
隣の部屋で気配が動いたのを感じ取り、新聞をテーブルに置いて様子を窺っていると、シェニカが俺の部屋のドアの前までやってきた。ノックをされた扉を開けると、そこにはぎこちなく微笑むシェニカが立っていて、自分の位置からは見えないが、ディスコーニはシェニカの部屋の前で控えているようだ。
「これ、お土産」
「土産?俺に?」
シェニカから差し出された紙袋を受け取ると、シェニカの甘い香りとは違う、バターの焼けた匂いがするから中身は菓子だろうか。
「うん。ルクトも甘いお菓子嫌いじゃないから、お土産にと思って」
「ただの護衛なのに?」
俺がそう言うと、シェニカは困ったように俺の目を見てきた。
「正直言うと、ルクトにどういう風に接していいか分からないし、気まずい状態がすぐに解消出来るとは思ってない。でも、私は旅を楽しいものにしたいんだ。ギクシャクしたまま旅を続けるのって、お互いにきついと思うから。できれば、恋人になる前みたいな空気になればいいなって、思ってるんだ」
「俺も前みたいに普通に喋れるようになりたいって思ってる」
「じゃあ、今度。気分転換も兼ねてどこかの街を散策しよっか」
「あぁ。楽しみにしてる」
シェニカがぎこちなさはあるが、少し安心したような微笑を浮かべたのを見た時、一瞬だけ強く香った甘い匂いに我を忘れ、シェニカを抱き締めようと腕が無意識に動いた。紙袋を落としそうになったことで我に返ったが、もしそのまま抱き締めていたら、別れることになっていたのではないかと肝を冷やした。
「あと今日の夕食だけど。ソルディナンド様とトゥーベリアス様から、それぞれ夕食を一緒にってお誘いがあったんだ。気乗りしないから、今日は疲れたので部屋でゆっくりしたいってことで両方お断りしようと思うの。ソルディナンド様は別の宿だけど、トゥーベリアス様はこの宿に泊まるらしくて、レストランで鉢合わせしないように夕食は部屋でそれぞれってことにして良い?」
「別に構わない」
「じゃあ、また明日。ゆっくり休んでね」
パタンと扉が閉じられると、甘い残り香を感じたくて無機質なドアに額をつけて目を閉じた。
肩を並べて歩く、他愛のない話をしながら食事をする、一緒の部屋で過ごす。そんな当たり前だった毎日が失われてしまうなんて考えもしなかった。
失ったものをどうにかして取り戻したくても、1度の失敗ですべてが水の泡になってしまいそうで、行動を起こすのが怖い。そんな状態の今、歩み寄ってくれるシェニカの優しさは身に染みるほど嬉しい。
袋を大事に抱えてソファに戻る途中、隣の部屋の気配を読めば、シェニカはディスコーニとソファに隣り合って座っている。一体何を喋っているのだろう。あいつを恋人にすると言っているのだろうか。
ディスコーニは俺を敵視することも見下すこともないが、俺の存在を気にしてもいない。まるで、「貴方など敵ではありません」と言われているようでイラつくが、ディスコーニは俺を邪魔者と思っていないのだろうか。それとも、相手にする必要のない存在と思っているのだろうか。
「はぁ……」
シェニカとディスコーニのことを考えると、嫉妬と後悔で胸が痛くて苦しくなるのに、さっき見たシェニカの幸せな笑顔が追い打ちをかけてくる。逃げ出したくなる状況が続いているが、シェニカを諦めたくない気持ちが変わらない以上、ただひたすら堪えるしか無い。そして、シェニカが望む楽しい旅に出来なければ、俺の感情をぶつけなくても護衛をクビになりかねない。
失敗しないように、ポルペアに到着するまでの間に何が出来るのか。
どうすればそれ以降も一緒にいられるのか。
シェニカを守り続けるには何が足りないのか。
ディスコーニに向ける幸せそうな顔を自分がさせるには、どうすればいいのか。
今の俺に何が出来るのか。
答えが出てこないことを考えながらソファに座って紙袋を開けてみると、ドライフルーツが入ったマドレーヌが2つと、マフィンが3つ入っていた。
ギクシャクした状態なのに、こうしてシェニカが俺に何かをくれたということ。今度街を散策する約束が出来た、ということだけで嬉しくてたまらない。
1人で過ごす時間はつまらないし、1人で食べる物には味がない。蚊帳の外の状態で食べる飯は旨くない。
でも今は。1人で食べているのに、この菓子は甘くて美味かった。
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