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第18章 隆盛の大国
2.狩人だらけの大通り
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今回のお話は、ディズ視点→ファズ視点になります。
■■■■■■■■■
「ディスコーニ様ぁ!」
「こっちを向いて下さぁい!」
「結婚してっ!」
「素敵ぃ!きゃぁぁ!」
「あ!そっちの方も素敵!」
「いやぁん!超かっこいい!」
大通り沿いにある宿に向かう途中、沿道からは自分と後方にいるセナイオルに向けて女性達の声が飛んでくる。彼女らは警備の兵士に阻まれているものの、興奮して兵士を押しのけてくる場合に備え、ファズ達や部隊の部下達が自分達の周囲を固めている。それが物々しく感じるのか、ピンク色のフードを被ったシェニカはキョロキョロと顔を動かして、沿道の様子を気にしている。
「ディズの人気が凄いね」
「新聞で私がトラント国王を捕まえたと発表されていますので、知名度が上がってしまったようです」
「ディズは強くて優しいし。かっこいいし、誠実で素敵な人だもの。モテるのは当然だと思うよ」
「こうした人気は一時的なものです。私はシェニカだけを愛していますし、私が欲しいのはシェニカの愛だけです。ですから、今までもこれからも、私はシェニカ以外の女性と関わることはありません。
これから先、私についての話をシェニカにしようとする者が出てくるでしょう。それも1つの判断材料にはなりますが、どんなことでも、シェニカ自身の目で見て、耳で聞き、肌で感じたもので判断して下さいませんか」
「う、うん」
周囲の歓声は戦勝の熱に浮かされた一時的なもの。こういった声ならまだしも、自分と親しくなったと知った他国の者達は、自分についてのあることないことをシェニカに吹き込もうとするだろう。常に側にいることが出来ない以上、即座に否定することは出来ないし、彼女に誤解されたくない。歩きながら彼女に想いを伝えると、彼女は照れたのか俯いてしまった。ローブのフードを被っていると、彼女の表情を見ることが出来ないのが残念だ。
人混みの中を歩いて大きな円柱形の宿に着くと、受付で鍵を貰ったファズの案内で5階の最上階に向かった。
螺旋階段を上りきると、階段を中心にした小さな円形のホールがあり、床には黄緑色の絨毯が敷かれ、8方向に茶色のドアがある。その両隣にはドアの高さまで伸びたモンステラの鉢植えがあって、部屋に出入りする者の目隠しになりそうなくらいに、緑が下から上まで生い茂っている。窓のないこの場所には、光量を抑えた魔力の光が階段の上に灯されているだけだから、宿の静かさも相まって夜のような印象を受ける。
「シェニカはこちらの部屋を、ルクトさんはその隣の部屋を使って下さい」
「ディズは軍の建物で休むの?」
「いいえ。私もシェニカの隣の部屋を使います。このフロアにある残りの5部屋は私の副官達が使いますので、何かあったら遠慮なく言って下さいね」
「いつも十分すぎるほど良くしてもらってるから大丈夫だよ」
「移動の疲れもあるでしょうから、まずは部屋で一息ついて下さいね。シェニカと話したいことがありますので、後ほどドアをノックします」
「うん、分かった」
シェニカは『赤い悪魔』の方を向くと小さく頷いてから部屋に入り、彼女がドアを閉める所まで見届けた『赤い悪魔』は、無表情で部屋に入った。
「この後、少し時間を置いてからシェニカ様と共に街へ出ます。バルジアラ様に警備の兵士を借りると伝えておいて下さい」
「分かりました」
ファズ達にそう伝えて自分の部屋のドアを開けると、正面の大きな窓から入ってくる眩しい程の光に目がくらみそうになった。部屋に一歩入ると、右手側には外にあったものと同じモンステラの鉢植えが1つ置いてあり、左手側には窓の手前まで続く白い壁があって、トイレと風呂に繋がる漆黒のドアがある。
明るい光に呼び寄せられるように窓の方に進むと、そこからは大通りが見下ろせるようになっていた。大通りに面する弧の部分には一面に嵌め殺しのガラス窓が張られていて、窓の横にある取っ手を回すと緑色のカーテンが下りてくるようだ。明るくて見通しがよく、広々とした開放感を感じられる良い部屋だ。
部屋の中はダブルベッドと蔦バラの彫刻が美しい黒いクローゼット、白い革張りの2人掛けソファがガラスのローテーブルを挟んで2脚、ガラス扉越しに酒が詰まっているのが分かる大きな戸棚、黄金に輝く稲穂が描かれた風景画、自分の背丈まである幹が立派なパキラの大鉢がソファと部屋の端に1つずつ用意されている。黄緑色の絨毯が敷かれたこの部屋には、香を焚いたのか柑橘系の香りがほのかに漂っている。
「ユーリ、部屋の中を見て回りますか?」
「チチッ!」
ポーチに声を掛けるとすぐにユーリは出てきて、ジャンプして絨毯の上を駆けて行く。身体の小さな彼には、この部屋は十分探検出来る場所だろう。
食事の時や威嚇する時、木登りや壁をよじ登る時に使う鋭い爪は、普段は上手い具合に小さな手足に丸まっているから、絨毯の上を駆けても引っかからない。動物の身体の作りは上手く出来ているなと、彼が元気に動き回る姿を見ると感心する。
パキラの幹によじ登るユーリを見ながらシェニカの部屋の気配を読んでみると、彼女は窓の前に立って外を眺めているようだ。窓の外にある大通りでは、沿道にいた住民たちの一部が解散し始めているから、それを見ているのだろう。
自分もその様子を見ていると、トゥーベリアスが階段を上ってこちらに向かっている気配を感じた。自分よりも先に彼の気配を察知したユーリは、パキラから飛び降りて自分の所に戻ってきた。ユーリをポーチに戻し、やっぱり来たかと思いながら部屋の外に出ると、ムスッとした表情のトゥーベリアスとその副官達がホールに足を踏み入れ、ファズ達も部屋から出てきたところだった。
「ディスコーニ殿、よろしいですか」
「なんでしょうか」
「いくら街一番の高級宿とは言え、シェニカ様はラナハイト卿の屋敷で休まれた方が良いのではないですか?」
「シェニカ様は領主の屋敷で休むよりも、宿での休息の方を好まれます」
「貴殿が泊まると、興奮した民衆がひと目見ようと押しかけるかもしれません。それではシェニカ様は休めないでしょうから、私がここに泊まりましょう。貴殿は軍の部屋で休まれると良いと思いますよ」
「トゥーベリアス殿のお気遣いには感謝いたしますが、私はシェニカ様の希望で世話役を仰せつかっております。ですが、貴殿の懸念する通り、興奮した者はこちらが想定しない行動を起こす場合がありますので、この宿の警備を貴殿にお願いします」
「私も一緒に首都に戻ることになりましたので、宿の警備はもちろん、シェニカ様の行く先の警備も任せて頂くとバルジアラ様に話しておきます。それと、貴殿は護衛としての役目は果たせるでしょうが、世話役としての役目を十分に果たせるとは思えません。これから先、シェニカ様が不満を感じられたらすぐに対応出来るように、私も同席いたしましょう」
「同席するかどうかは、シェニカ様のご判断に委ねます」
シェニカがトゥーベリアスを同席させても良い、世話役に彼を加える、世話役を自分から彼に変えるというなら、自分は彼女の気持ちを尊重するだけ。
警備の話を断っても良いが、野心をもったこの人ならば、将軍というメンツにかけて卒なく仕事をしてくれるだろう。
「そうですか。では、今、シェニカ様に私を紹介して頂けますか」
「分かりました」
小さく溜め息を吐いて、シェニカの部屋のドアの前に立った。気配を読むと、彼女はソファに座って何かをしているようだ。
「シェニカ、ディスコーニです」
ドアをノックすると同時に、隣の部屋から『赤い悪魔』が出てきて、階段の近くにいるトゥーベリアスに「なんだお前」と言う視線を向けた。トゥーベリアスは彼を相手にする気はないらしく、視線をシェニカの部屋のドアから逸らすことはなかった。
「はーい」
扉を開けたシェニカにホールまで進むように促すと、トゥーベリアスとその副官達を見た彼女は、不思議そうな表情で自分を見てきた。
「シェニカ、紹介します。こちらは私達と共に首都に向かうトゥーベリアス殿です」
「はじめまして。将軍を務めておりますトゥーベリアスと申します。これからはシェニカ様の警備をさせて頂きます」
「はじめまして、シェニカ・ヒジェイトです。どうぞよろしくお願いします」
シェニカはペコリとお辞儀をすると自分に視線を向けてくれたのだが、その目から「話したいことって、トゥーベリアス様の紹介?」と彼女が思っているのが伝わってきた。
「以前、一緒に甘味屋さんに行こうと話したのを覚えていますか?良かったら今から行きませんか?」
「行きたいけど、人がすごくない?」
「トゥーベリアス殿がきちんと警備して下さいますので、問題ありませんよ」
「でもプライベートな時間に付き合わせるのは……」
「今は軍と共に移動をしていますが、プライベートな時間まで縛られる必要はありません。我々の都合で旅の足を止めて貰っているのですから、むしろ自由な時間を過ごして欲しいのです。戦勝で浮足立っている者が多いので警備の必要は出てきますが、それを理由に閉じこもる必要はありません」
「シェニカ様が安心して過ごせるよう、どのような場所でもしっかりと警備いたしますのでご安心下さい」
「では……。よろしくお願いします。ルクト、ディズと2人で街をまわりたいんだ。護衛は大丈夫そうだから、ルクトは宿で休んでて」
「分かった」
『赤い悪魔』はそう言うと、自分の部屋に大人しく戻っていった。
恋人関係が解消となった上に、将軍や副官がシェニカの護衛や警備を務めるとなると、自分が必要とされないと感じて肩身の狭い思いをしているだろう。彼が抱くシェニカへの想いは今までと変わらないと思うが、ただの護衛になってから、彼が自分に向ける憎悪や嫉妬を込めた視線は格段に減った。それだけシェニカが別れを選択した事実が堪えたのだろう。
「荷物取ってくるね」
複雑そうな表情を浮かべた彼女が荷物を背負って戻ってくると、トゥーベリアスが自分の隣に移動してきた。
「シェニカ様。ディスコーニ殿は今まで『白い渡り鳥』様のもてなしや、女性と関わる機会がなかったようなので、色々とご不便をおかけしているのではと心配しておりますが、何か不足はありませんでしょうか」
「ディスコーニ様やファズ様たちが心を尽くして下さっていますので、不便を感じたことはありません。とても感謝しています」
「世話役を務める者とは距離が近くなりますので、些細な不便に気付いても言わずに済ませるということは良くあることです。シェニカ様には少しでも快適に過ごして頂きたいので、そうしたことを少なくするためにも、私もシェニカ様のお側につきたいのですがいかがでしょうか」
トゥーベリアスは色気を滲ませた微笑を浮かべたが、目の前のシェニカには響かなかったようで、表情は変わらないし、何故か彼女の視線はトゥーベリアスのこめかみ辺りにある気がする。
彼の髪型は、前髪といった前から見える部分は少し長めでふんわりとしていて、後頭部から襟足にかけて短くなっている。丸顔の彼によく似合う女性受けするスタイルで、こめかみあたりは短く刈り揃えた髪しかないのだが、なぜそんなところを見ているのだろうか。
「気を遣って頂きありがとうございます。ですが、私は些細な不便も感じていませんし、ディスコーニ様とファズ様達だけでも十分すぎるほどです」
「シェニカ様の警備として近くにいる機会は多くありますので、何かありましたら遠慮なくおっしゃって下さい」
「ありがとうございます」
トゥーベリアスとその副官達は自分達よりも先に階段を下り始めたが、彼の表情は見えなくても、悔しさと嫉妬、憎悪の炎を燃やしているだろう。
いくら彼が歯がゆい思いをしようとも、シェニカに直談判した結果がこれなのだから諦めるしか無い。これからはシェニカの周辺で警備をしながら、彼女から声をかけてもらう機会を狙うか、自分から声をかける機会を掴むしか無い。
いかに野心に燃える彼と言えど、「シェニカ様のために一生懸命警備をいたしました」と恩着せがましい発言はしないと思うが、他に会話する糸口がない。とりあえず彼の出番がないように、気を付けておかなければ。
「警備はしっかりしていますから、フードは被らなくて大丈夫ですよ」
「じゃあユーリくんから貰ったスカーフつけようかな」
シェニカはローブの内ポケットからスカーフとハンカチを取り出すと、最初にハンカチを額飾りに当てて、その上からスカーフを手際よく巻き付けた。5つの宝玉の代わりに小さな桜貝が額を飾るのも、彼女の顔がしっかり見えるのもとても嬉しい。
「おかしくないかな?」
「とっても可愛いです。どうしてハンカチを?」
「額飾りの鎖や宝玉を留めてる爪とかが、スカーフに引っかからないようにと思ったんだ」
「なるほど。大事に使って貰ってユーリも喜んでいるはずです。では行きましょうか」
「甘味屋さんで何食べるの?」
「パフェがあると思いますので、それを食べましょうか」
「うん!」
明るい表情で歩き始めたシェニカだったが、『赤い悪魔』の部屋の方を振り向くとその表情が暗くなってしまった。彼とは昨日別れたばかりだが、恋人関係だったというのはすでに過去のこと。お互い接し方が分からず、距離感も手探りの状態だろうが、どこかで線引しなければならない。2人で折り合いをつけて決めたのだから、そうやって試行錯誤しながらも前に進んで欲しい。
「シェニカの気が進まないなら取りやめましょうか」
「あ……ううん。大丈夫。私も甘味屋さんとか、串焼き屋さんとか行くの楽しみにしてたんだし」
「では、留守番をする彼のためにも楽しみましょう」
気配を消して控えてくれていたファズ達に「行ってきます」と目で合図をして、階段を1段1段ゆっくりと下りていった。
◆
「俺はバルジアラ様の所で仕事してるよ」
「あぁ。頼んだ」
お2人から少し間を置いて5人で宿から出ると、セナイオルはそう言って軍の建物の方へと早歩きで向かっていった。
視察や警備のために街を巡回する時、容姿に恵まれたセナイオル見たさに女性たちが騒ぐことがあった。セナイオルは相手にしないし、女性達は不必要に近付いてこないから特に対処をする必要はなかったのだが、戦勝に刺激された女性達の興奮具合を見ると、彼女達が突拍子もない行動に出る可能性が考えられた。ディスコーニ様のシェニカ様との時間を邪魔するわけにはいかないと、今回はセナイオルだけ別行動をすることになった。
「きゃぁぁ!ディスコーニ様ぁ!」
「ディスコーニ様!このお花、受け取って下さぁい!」
「手紙、受け取って下さい!」
「こっちを向いて下さぁい!」
警備をするトゥーベリアス様の部隊の間を通り抜け、2人の後ろ姿を見ながら歩き始めると、大通りを歩くディスコーニ様に黄色い声がかけられる。宿の周囲に居た若い女性たちは、ディスコーニ様と同じ方向に移動しているが、警備に阻まれて近付くことが出来ないからこそ大声を上げ、一生懸命手を振ったり、移動しながら飛び跳ねたりと熱烈なアピールをしている。だが、ディスコーニ様は彼女たちの声も存在も気にすることなく、シェニカ様と肩を並べて楽しそうに会話をしている。
「ディスコーニ様の隣に居る子誰っ?!」
「もしかして恋人?」
「ちぇっ。売約済みかぁ。玉の輿って現実的には難しいなぁ」
「私、諦めきれないわ!」
「警備の兵士達がビクともしないわ。どうやって近付く?」
「根性よ!」
アピールしてもディスコーニ様の注意を引けない女性たちは、がっかりしたような空気を出し始め、この場を離れる人達も出てきた。しかし、ほとんどの女性たちはディスコーニ様に熱心なアピールを続けているから、周囲は騒がしいままだ。
シェニカ様はそういった声が続く状況に反応したのか、追いかける女性たちの方をチラリと見て不安そうな顔になった。それに気付いたディスコーニ様は、シェニカ様の手を取ると耳元で何かを囁き、見上げるシェニカ様にとても幸せそうな笑顔を向けた。そのまま手を繋ぎ、時折見つめ合いながら歩く状態になると。
「なんか……。割って入れる気がしないわ」
「本当本当。地位もあって高給取りで家に居ないっていう好物件だけど、見込みがなさそうだわ。諦めて他に良い男を探すわ」
「私もそうする~。今、ここには上級兵士がたっくさんいるんだから、そっち狙いでいくわ!」
「ディスコーニ様は見込みなし。コルゼニス様は居なくなっちゃったしぃ。次に狙うとしたらバルジアラ様?」
「私、筋肉大好きだけど、猛獣みたいな体格は行き過ぎ!まともに目を合わせられない強面の人はゴメンだわ」
「確かにぃ!凱旋だっていうのに、すっごく厳しい顔してたよね」
「だ・か・ら!ディスコーニ様の近くにすごく美形の人いたじゃない?その人にしようかしら!」
「セナイオル様でしょ~!私、ずっとファンなの!」
「見た目良し、給料よし、将来の見込みあり!なんて良い男なのかしら!探しに行っちゃお!」
「あ!ずる~い!私も!」
「抜け駆け禁止よぉ!」
女性たちはそんな様なことを言うと、その会話につられるように大多数はどこかへ行き、残った10数人ほどが必死にディスコーニ様の名前を呼び続けた。
「なんか……。ガツガツしてる女って狩人みたいだ。怖いな」
「見た目、収入、地位は分かるとして、家に居ない方が良いのかな」
「家に居ない方が良いって思われると浮気されそうだ。あんな風に考えてる人って、俺は嫌だな」
「確かに収入や地位は高い方が良いと思うけど。あの会話聞いてると、今近付いてくる人はそこしか見てないんだろうな」
顔を見合わせた4人で小さな溜息を吐きながら呟くと、幸せそうな上官の背中に視線を戻した。
こうした凱旋になると一気に注目されるものだが、その注目は今回の功労者であるディスコーニ様と、その後ろにいたセナイオルに集中して、周囲にいる自分らは引き立て役にしかならなかったようだ。この反応だと、セナイオルと別行動にしておいて良かったと思うが……。人の目を嫌でも集めてしまう容姿はセナイオルにとって有難迷惑だろうが、容姿に恵まれなかった自分達にとっては少し羨ましい。
お2人が街の端にある甘味屋に入った時、自分達は少し離れた街路樹の裏で立ち止まった。店の中に席はないようだが、外にテーブル席がいくつか置いてあるから、シェニカ様達はここでパフェを食べるのだろう。そう思っていると、自分の後ろから気になる気配が近付いてきた。
ついてくるのは当然かと思って振り向いてみると、赤い髪の男の目は虚ろで、ちゃんと人を避けながら歩いているのに異様なほど存在感がない。警備をする者もシェニカ様の護衛である彼を阻むことはしないが、暗い様子を不審に思ったのか不思議そうな表情をした。
シェニカ様とは昨日別れたばかりだし、未練を残す元恋人がディスコーニ様に奪われるような状況はショックだとは思うが、あの様子は何だか彼らしくない。
シェニカ様とディスコーニ様の親しい様子が続いて、居心地が悪い状況になっても、我関せずの姿勢を示しながらも、シェニカ様の近くにいたのは彼のプライドだったと思う。今でもその高いプライドを持っているはずだから、あんな風にショックを受けているような姿を外に見せないと思うのだが。
「ファズ、どうした?」
「『赤い悪魔』の様子がおかしい」
「そりゃあシェニカ様にフラれて間もないし、部屋で待機してろと言われれば面白くないだろ」
「なんか違う。お2人に危害を加える感じはしないけど、なんか変だ」
「変?」
注文を終えたシェニカ様達が外のテーブル席の1つに座った時、自分達と離れた場所の街路樹の下に『赤い悪魔』が立ち止まった。その時、彼は我に返ったようにキョロキョロと周囲を見渡し、視界の先にシェニカ様がいるのを見つけた。仲睦まじい姿を見るのはやはり辛いようで、苦しく悲しそうな顔を一瞬浮かべ、視線を目の前の木に移した。
眉を寄せて何かを考えている状態がしばらく続いた後、彼は市場に続く道の脇にいるトゥーベリアス様を見た。シェニカ様に熱視線を送る姿を見ても彼は無表情だったが、視線を右の手の平に落としたと思ったら、何かを握り潰すようにその拳を握りしめた。そして、楽しそうにディスコーニ様と会話するシェニカ様の様子が気になるのか、彼は木の陰からその様子を窺ったが、すぐに見るのをやめて木に背中をつけて瞑想し始めた。
「確かに、木の前で立ち止まるまで、ふらついてはないけど意識が薄いというか、心ここにあらずって感じに見えたな」
「俺はただシェニカ様を取られて落ち込んでいるだけかと思った」
「よく分からないけど、部屋でジッとしてられなかったんじゃないか?」
「別れたとは言え護衛として側にいるって、すごい覚悟だよな。恋人だったらシェニカ様にアピール出来ても、ただの護衛だと普段から一線引いて接しないといけない上に、別の男が近付くのを黙って見てるしかないんだぞ?いくら未練があると言っても、俺だったらそんな選択出来ないよ」
「俺も同感。でも、ディスコーニ様と言い、シェニカ様にはそれでも良いって思える何かがあるんだろうな」
「なんかさ、シェニカ様って他の『白い渡り鳥』様と違う感じがしないか?」
「分かる分かる。トラントの首都でシェニカ様が午睡から目を覚まされた後、『赤い悪魔』と何やら揉めてたけど。その時の会話は別れ話みたいだったけど、シェニカ様は『赤い悪魔』の話に耳を傾けてたよな。他の『白い渡り鳥』様だったら、もう決めたからとか言って相手の話を聞かずに捨てるもんな」
「『白い渡り鳥』様にとって、夫も愛人もアクセサリーみたいな扱いだもんな」
「結果的にシェニカ様と『赤い悪魔』は別れることになったけど、昨日のテラスでもシェニカ様は彼をちゃんと恋人として、対等な相手として接しているようだった。シェニカ様と『赤い悪魔』の近くにいると、自分達と変わらない恋愛をしていたように感じた」
「シェニカ様って元々民間人で、今まで神殿と距離を取っていたし、恋人は『赤い悪魔』1人だけみたいだから、感覚は平民に近いのかもしれないな」
「もしそうなら、シェニカ様にはこの先もその感覚でいて欲しいな」
4人で頷きあうと、自分以外の3人は楽しそうにパフェを待つ2人を静かに見守り始めたが、自分は目を閉じたまま動かない男を見続けた。
彼はシェニカ様への狼藉がきっかけとなり、好意を残したままフラレてしまったから、後悔の念に苛まれ、未練はどんどん募る一方だろう。別れてもせめて護衛として側に居たいという気持ちは分からないでもないが、好きな相手が別の男と接近するのを見ているしかないというのは、誰がどう考えても辛いだけ。護衛として一緒に居たとしても、ポルペアに行くまでの間にシェニカ様の心境が変わるとは限らないし、ディスコーニ様とは遠距離恋愛になるとはいえ、強姦まがいのことをした相手をもう一度好きになるものだろうか。
ディスコーニ様とは両想いだし、このような楽しい時間を過ごしていれば、シェニカ様は『赤い悪魔』よりもディスコーニ様を選びそうな気がするが……。『赤い悪魔』はポルペアに行くまでの間に、シェニカ様を振り向かせるだけの材料があるのだろうか。
今回の戦争が始まって以降、彼と行動するようになって、軍人である自分達、特にバルジアラ様に良い感情を抱いていないのは伝わってきた。『赤い悪魔』は評判通りの傲慢さはあるが、シェニカ様を助けようと真剣に入り口を探し回る姿を見て、こんな人間味のある姿も見せるのかと意外に思った。シェニカ様に本気だったのは伝わってきたし、鍾乳洞から戻ってきたシェニカ様を抱き締める姿を見た時、「恋人が戻ってきて良かったですね」と思った。
シェニカ様と『赤い悪魔』の今後がどうなるのか分からないし、彼はディスコーニ様の恋敵でもあるのだが、彼に何らかの形で救いがあれば良いなと、静かな彼を見ながらそう思った。
■■■後書き■■■
早いもので今年も今日が最後になりました。今年は私の体調面の都合で、色々とご迷惑をおかけしてしまいました。m(__)m
健康のありがたさは身にしみたので、来年は元気いっぱいの年にしたいなと思っています。
色々あった年でしたが、応援して下さる方の温かい励ましのおかげで更新を続けることが出来ています。まだ完結していませんが、ここまで続けることが出来ているのは皆様のおかげです。本当にありがとうございました。
寒さが厳しくなってきました。どうぞよいお年をお迎え下さい。
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