天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第17章 変化の時

12.好きな気持ち

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ディズの淹れてくれたお茶をゆっくり味わいながら、私の旅の話やユーリくんの話をしたり、手のひらに乗せたユーリくんを撫でたりして、食後の時間がとても穏やかに過ぎていく。ディズがユーリくんを手のひらに乗せて、こちょこちょとお腹や背中をくすぐっていると、気持ちが良いのか彼はだらりと脱力した。


「ユーリくん、ディズにくすぐられるのが気持ち良いみたいね」

「えぇ、特に耳の付け根や耳をこうやって擦られるのが好きなんです」

ディズがユーリくんの大きなお耳をつまみ、優しくこすり合わせるように指を動かすと、ユーリくんは気持ち良さそうに目を閉じた。お茶を飲みながら可愛い姿をより間近に見ようと、ディズにくっつくように椅子を近付けると、ふと彼の視線が私に向けられているのを感じた。どうしたのかと思って彼の方を見れば、心配そうな顔をして私を見ていた。


「ルクトさんとは話し合ってどうでしたか?」

「あ…。えっと。私がルクトへの気持ちが分からなくなっていること、ディズのことが好きになったこと、ディズとキスをしたことを正直に言ったんだ。私は浮気して申し訳ないし、好きな人とだけ付き合いたいから、ルクトに別れようって言ったら……彼はやり直したいって言ったの」

持っていた湯呑を机に置いたけど、じんわりと伝わる暖かさを手放したくなくて、湯呑を両手で包んでみた。


「シェニカは彼とやり直したいですか?」

「正直言って、ルクトがやり直したいって言うと思わなかったから、頭がついていかなくて。前に、私が彼に願いを叶えてあげるって約束したんだけど、その願いがやり直したいってことだったから…。私がもちかけた約束だし、彼の願いは叶えてあげたいんだけど、やり直せるのかな。
ルクトはもう乱暴なことは2度としないって言ったけど、またするんじゃないかって思っちゃって…」

「壊れた信頼関係は、そう簡単に取り戻せるものではありません。シェニカがそう思うのは仕方のないことですよ」

「でも、ルクトは今まで見たことないくらい真剣に謝ってくれたし、後悔して反省しているみたいなんだ。それに、彼は私がディズを好きなことを受け入れるって言ったの。そのかわり、乱暴したことを許して欲しいって」

「彼はシェニカに別れを言われるとは思ってなかったようですから、驚いたでしょうね。独占欲の強い彼がそこまで言うということは、彼なりに乱暴したことを後悔しているのでしょう。
それと、私を好きだと言ってもらって、とても嬉しいです」

真剣に話していたディズが、とても嬉しそうに、幸せそうに微笑んだ。その表情を見るだけで、胸の中がムズムズしてぽかぽか暖かくなった。


「あ…。うん。ユーリくんも大好きだよ」

「チチッ!」

照れくさくなって視線をディズから彼の手のひらにいるユーリくんに移すと、いつの間にひっくり返っていたのか、お腹を見せる格好でくたりと脱力していた。そんな可愛らしさ倍増の格好のまま、元気にお返事をしてくれた。


「ユーリもシェニカが大好きだと言ったようですね」

「ふふっ!とってもリラックスしてるね。本当に可愛い!ユーリくんみたいな可愛くて、カッコいい子と一緒に旅が出来たら良いのにな。ディズが羨ましいな」

「オオカミリスの生息地に行ったら、良い出会いがあると良いですね。そういえば、この戦争が始まる前、シェニカはウィニストラで治療院を開く予定だったんですか?」

「ううん。ウィニストラを経由してポルペアに行くつもりだったんだ」

「ポルペアですか。知り合いの方がいるのですか?」

「実は、クーデターが起きる前にねーーー」

ユーリくんを交えて色んな話をしていると、私はやっぱりこういうほのぼのした時間が好きだと実感する。ルクトと恋人として旅をしていた時よりも、心があったかさで満たされている。キスだけでそれ以上の身体の関係はないのに、ディズとどこかで繋がっている気がするのが不思議だ。




「ねぇ、ディズ。壊れた信頼関係って、修復できるものなのかな」

ディズとユーリくんのおかげで心の芯まであったまった頃、心の中に残っている疑問について、彼の意見を聞いてみたくなった。


「私が恋をしたのはシェニカが初めてなので、恋人関係の話は出来ないのですが、仕事の場合なら出来ます」

「仕事の場合って?」

「部下が大きな失敗をした場合、人によってはその一度だけで上級兵士から下級兵士まで降格させたりもしますが、私の場合はもう一度チャンスを与えます」

「そうなの?どうして?」

「失敗は誰もが犯すものですが、その失敗が大きいものほど取り返すのは困難になります。その結果は失敗した本人が一番重く受け止めるでしょう。もう一度チャンスを与え、そこから這い上がってくる者ならば、今後はより一層努力し、実績を上げるでしょう。這い上がってこなければ、その時に降格させます。
言い方は悪いですが、恩を与えてその後の行動を見るのです。挫折した者の方が精神面でも打たれ強くなり、意識も高くなりますし、自分のために一生懸命働いてくれますから、それを期待してチャンスを与えます」

やっぱりディズはたくさんの兵士をまとめる将軍なんだな、と思える意見で、私にはない考え方は何だか新鮮だった。やっぱりその人の立場によって、見える世界は随分と違うものなんだな。


「なるほど…。あ、そうだ。これ、本を読んで必要そうなことを書き写したんだ」

「ありがとうございます。もう全部読んだのですか?」

ディズに翻訳したメモの束を渡すと、彼は青い目をパチクリさせて私をジッと見てきた。そんな驚いた感じの表情は、なんだか可愛く見えた。


「伝承の本は手帳にあったアスカードル島の部分を読んで、他はザッと目を通しただけなんだ。伝承の本はたくさんあったけど、アスカードル島の話は内容が重複してたから、そんなに苦じゃなかったよ。国史や報告書の方は大体目を通して、ガーファエルや鍾乳洞、今回の戦争に関係していそうなところだけメモしたんだ。何か気になるところがあったら言ってね。すぐ翻訳するから」

「そうですか。ありがとうございます。お茶のおかわりを準備しますね」

ディズが扉の外にいるセナイオル様とアクエル様の方に行っている間、私は机の上で大きな耳を小さな足でカキカキしていたユーリくんを手で包み、目線の高さに持ち上げた。


「ユーリく~ん!大好き~♪」

ユーリくんの可愛さに思わず小さな鼻先にチュッとキスをすると、彼はなぜか慌てたように手から飛び降りた。どこに行くのか素早い動きのユーリくんを慌てて視線で追うと、いつの間にか私の背後にいたディズのズボンを駆け上がってポーチの中に入ってしまった。
キスが嫌だったのだろうか。うぅっ……。ショックで泣けてくる。


「フラレちゃった……」

「そんな泣きそうな顔をしないで下さい」

しょぼくれていると、ディズは苦笑しながら隣に座った。


「ユーリは私がシェニカを好きだと知っているので、キスをすると私に悪いと思ったのでしょう」

「そっか……。ユーリくん、もうキスしないから出てきて?ね?」

必死にポーチに向かって話しかけたけど、ユーリくんは全然出てこない。私のキスが不快だったのだろうか、嫌だったのだろうか。そう考えると目がウルウルしてきた。


「ユーリくんに嫌われちゃったのかな」

「シェニカ、こっちを向いて下さい」

ディズの穏やかな声に反応して顔をあげると、目の前には青い目をゆっくりと閉じる彼の顔が迫っていて、距離の近さに驚いた一瞬の内に唇に温かくて柔らかい唇が合わさった。すぐに離れる彼の姿を見ながら、「え?今のは?ええ?」と何が起きたのか分からないまま呆然としていた。


「ユーリ、私もキスをしましたから悪く思う必要はありませんよ。シェニカが寂しそうにしていますから、ポーチから出てきて下さい」

ディズがそう言うと、ユーリくんは恐る恐る私の様子を見ながらポーチから出てきて、ディズの手から机にピョンと飛び移った。ユーリくんの大きな耳や水色の目がちょっと下がっているから、ディズの言う通り申し訳なく思っているような感じが伝わってくる。


「突然キスしたらビックリしちゃうんだってディズに教えてもらったから、もうユーリくんにしないよ。嫌なことしてごめんね」

「ユーリはシェニカのキスが嫌ではないんですよ。私に遠慮しただけですよね?」

「チチ!」

ユーリくんは元気よく返事をすると、差し出した私の手から肩まで駆け登り、私の頬に冷たい鼻先をチョンと当ててくれた。よかった。嫌われたわけじゃなさそうだ。安心した。
ユーリくんに仲直りのお耳マッサージをしていると、ディズが扉を開いてセナイオル様から湯気の上がるポットを受け取っていた。ノックされる前に『そこにいる』って分かるのは便利だなぁなんて思いながら、ディズがおかわりのお茶を淹れてくれるのをユーリくんと一緒に見守った。


「ディズのお茶、味も香りも美味しくて気に入っちゃった」

「私が好きなものをシェニカに気に入って貰えて嬉しいです。好きなものを、これからもっとたくさん共有したいです」

ディズの言う通り、好きな気持ちを誰かと共有出来るとすごく嬉しいし、こうやって色んな話をして自分には無い視点を聞くのはとてもタメになる。そういう関係が同性だったら友達や親友になるのかな。異性だったら、恋人だったり夫婦だったり、良き理解者になるのかな。

すぐに仲直り出来たけど、大好きなユーリくんに拒絶されたと思ったら辛くて寂しくて不安になった。この気持ちって、私と関係がギクシャクしているルクトも同じように感じているのかな。


ユーリくんのために旅装束のボタンを開けると、彼はすぐに服の中に入ってリスボタンになってくれた。フサフサの尻尾が肌をくすぐって、暗くなる気持ちを明るくさせてくれる。



「ルクトも、不安で泣きそうになってるのかな」

「彼は男性ですから不安で泣く、というのはないと思いますよ。自分の行いがシェニカを深く傷つけたこと、私という相手が出来たことは想定外だったようで彼も混乱しているようです。
ですが、そもそもシェニカを乱暴したことが間違いだったと思います。バルジアラ様に対する憎しみはあったと思いますが、それは彼自身で処理すべきことで、何の関係もないシェニカに乱暴を行う理由にはなりません。
許す許さない、どういう条件を出すのかはシェニカが判断することです。彼が『私の存在を許容するから乱暴の件を許して欲しい』と言って、それをシェニカが承諾すれば解決になるというのは、ちょっと違う気がします。シェニカはそれで納得出来ますか?」

「うーん……。こういうのって、どうやったら許せるようになるんだろう」

「恋愛経験がないので適切な助言は与えられないのですが、シェニカが彼を許せると思った時、許せると思えるような何かを彼が行った時に、結論を出せばいいのではないでしょうか。慌てて答えを出すような簡単な話ではないと思います」

「確かに…」

何も合図はしていないけど、お茶を2人同時に飲んで、口を離すのも、机の上に湯呑を置くのもまったく同じタイミングだった。それに気付いた私とディズは、思わずプッと小さく笑い合った。


「シェニカは好きな人と、恋人として付き合いたいんですよね?」

「うん」

「シェニカが受けた乱暴は強姦と同じこと。心身を深く傷つけ、信頼関係を破壊する罪深いことです。だから、彼がどんなにもうしないと言っても、シェニカがその言葉を信用しきれないのは当然だと思います。
シェニカが約束したことを履行しようとするのは立派なことだと思いますが、彼が願った関係の再構築は、2人の信頼関係がきちんとあること、2人の間で好きだと思う確かな気持ちがなければ、難しいのではないでしょうか」

ディズの言う通り、好きだから手を繋いだり、キスをしたり、それ以上のことをするのだと思う。そういう触れ合いを、今の私がルクトと出来るのだろうかと考えさせられる。


「私がシェニカにこのように助言することは、シェニカの考えを誘導してしまう可能性がありますし、ルクトさんにフェアでないと重々承知しています。でも、シェニカを取り巻く状況が一変してしまったからこそ、シェニカがこれから先の旅路で笑顔になる時間が多くあって欲しいのです」

「そう考えてくれてありがとう。確かに、これから先はカケラを交換したいと思う人だけじゃなく、私の『聖なる一滴』が欲しいって目的の人も出てくるだろうし。荷物や身につけてるものとか、盗まれないようにしないといけなくなるね。気をつけなきゃ」

「そうですね。護衛だけでなく、シェニカ自身も気をつけておいた方が良いですね。離れていても、私もシェニカを守りますから、遠慮なく頼って下さいね」

「うん。ありがとう。とっても心強いや。さて、一息つけたし、そろそろ尋問に行こうか」

「シェニカは客人なのに働かせてばかりで申し訳ないです。これが終われば、お願いすることは少なくなると思いますので、後はゆっくりして下さいね」

「色々と気を遣ってくれてありがとう。ユーリくん、ディズの方にお戻り」

茶器を載せたトレイを持つディズと一緒に部屋の外に出ると、扉の側にはセナイオル様とアクエル様が立っていた。ずっと立ちっぱなしで疲れていると思われるのに、2人ともそんな様子は微塵も見せないのは流石だと思う。セナイオル様がディズからトレイを受け取ると、ルクトも部屋から出てきた。彼が無表情なのは変わらないけど、茶色の瞳には今も寂しそうな色が浮かんでいる。そんな目を見ると、やっぱり彼に対して罪悪感が浮かんでくる。
ディズと仲良くすることでルクトに罪悪感を抱くってことは、私はルクトをまだ好きなのかな。もしそうなら、やり直すことは出来るのだろうか。


アクエル様の先導で廊下を歩きながら隣にいるディズを見ると、視線を感じたのか彼はにっこりと微笑みながら私を見た。その微笑みを見ると、鍾乳洞の中を一緒に歩いていた時のことを思い出す。暗くて狭くて、歩いている道がどこに続いているのか分からない中、繋いだ彼の手や、眠る時に感じたぬくもりや包み込む腕の優しさで安心出来て、彼の力強さや誠実さを感じ取ったんだっけ。

あぁ、やっぱり私はディズが好きだ。


ルクトやディズに自分の気持ちを話しているうちに、モヤモヤ漂っていた自分の気持ちが少しずつ形になってきた気がする。自分の気持ちを誰かに話すことって、こんな効果があるのかと今更ながら実感した。こんなことなら、ファミさんやロミニアに色んな経験や助言を聞いておけばよかった。
頑なに距離を置こうとせず、もっと色んな人と話をして、気が合う人は友人としてカケラを交換しても良かったな、と今までの自分を後悔した。

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