雑談する二人

ハチ助

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【閑話:雑談するクソガキ共と俺】

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【★9000文字程度の短編感覚でお読みください★】


「あれ……? 絶対、ここにしまったんだがなぁ……」

 そう言って自分の事務処理用の机の引き出しをゴソゴソと漁っていたティクスが、怪訝そうな表情を浮かべながら、他の引き出しの中も何度も確認しだす。

「何~? 探し物?」

 そんな夫の様子に気付いたシーナが、運んできたお茶をその机の上に置いた。

「んー……。この間、カートから提出して貰った今月の通院人数とかが書いてある書類がねぇーんだわ……。確か、この引き出しに入れておいたと思うんだが……」
「ええー!? それ凄く大事な書類じゃない!! 何やってんのよ!!」
「いや、だからこの鍵の掛かる引き出しに入れておいたはずなんだけど……」

 妻のシーナに責められたティクスが、焦りながらその引き出しを机から引き抜く。そしてその奥に手を突っ込んだ。

「あっ! 何か奥で挟まってる!」
「もぉ……。どうせ、適当なしまい方したんでしょう……」

 夫のだらしなさに呆れたシーナが、大きく息を吐く。
 一年前に夫婦となった二人だが、付き合いは幼少期の頃からで長い。
 その為、お互いの性格をよく知っている仲なのだが、夫のこのだらしなさに関しては子供の頃からなので、正直呆れるしかない。
 そもそもこんな整理整頓が苦手な人間が、次期イーベル村の長で大丈夫なのだろうかと、シーナは心配になる。
 そんな妻の心配をよそに勝ち誇った顔で、引き出しの奥でくしゃくしゃになっていた封筒をティクスが、バッと取り出した。
 しかし、出てきた封筒は目当ての物ではなかった。

「あれ? 何だ、これ? 手紙?」
「どう見てもカートから受け取った書類ではなさそうね……」

 眉間に皺を寄せて、その封筒をジッと見つめる夫から、シーナはパッとそれを取り上げた。

「あっ! おい! 勝手に人の物を……」
「いいじゃない。今更、隠す仲でもないでしょ?」

 そう言ってシーナが、そのクシャクシャになった封筒を丁寧に広げ、中の便箋を取り出す。封印も消印もされていないので、ティクス宛で来た手紙ではないようだ。

「なになに? ええっと……『拝啓、親愛なるシーナ様』って……。ええっ!?」
「はぁ? シーナ宛? なんでこんな所に――――」

 そう言いかけたティクスだが、何故か急に真っ青な顔色になって、その手紙をシーナの手から奪い取った。

「ああっ!! ちょっと! まだ途中なのに!!」
「いやいやいやいや! これ、違うから! 大した事は書いてねぇーから! ただの書き損じだから!」
「だったら見せなさいよ!」
「いやいやいやいや! 無理だから! こんなの読んでも面白くないから!」
「面白くないかは、私が判断するわよ! いいから見せなさいっ!」
「絶っっっっっっっっっ対に、ダメだぁぁぁぁぁー!!」

 必死で手紙を奪おうとしてくる妻から逃れるようにティクスが部屋の入り口の方へと後退する。だが、次の瞬間、その手紙は後ろからティクスの手より、スッと抜き取られた。

「いい年して何遊んでんだよ……。つか、思春期の弟の目の前でイチャつくとかやめて欲しいんですけどぉ? 新婚だからって調子こいてんじゃねぇーぞ、バカ兄貴」
「ああーっ!! リクス、てめぇぇぇぇぇー!!」

 手紙を取った犯人は、よりにもよって一番厄介な相手でもある5つ年下の弟のリクスだった。ティクスは慌てて手紙を取り返そうとしたのだが、妻が見事なまでの素早さで弟の加勢を始め、ティクスを後ろから羽交い絞めにしてきた。

「リクス! 中身、読んで!!」
「おう! 任せろ!」
「ふ、ふざけんなよっ!! お前ら、やめろぉぉぉぉぉぉー!!」

 素晴らしい連携を瞬時に披露した義姉弟は、ティクスの悲痛な訴えを無視し、弟リクスがニヤニヤしながら、その手紙の内容を声高らかに音読し始める。
 その悪夢のような状況から、8年前に受けた一生埋葬しておきたい出来事の記憶が、ティクスの中に蘇ってきた。


 ◆◆◆


 今から8年前――――。
 13歳のティクスは、自室の本棚を引っ掻き回していた。

「うーん、確かにここにしまったんだよな……」

 ブツブツ言いながら、本棚から数冊ほど本を取り出し、その奥にある本のタイトルを一冊ずつ確認する。だが探している本が、どうしても見つからない……。
 その様子を呆れた表情で見つめていた当時13歳のシーナが、大きく息を吐く。

「信じられない……。普通、人から借りた本を無くす?」
「いや! 違うって! 俺、ぜってーここにしまったんだって!」
「というか本当にあの本、読んだの?」
「読んだに決まってんだろ!! あの新刊が出るのを俺がどれだけ楽しみにしてたと思ってんだよ!!」

 当時、イーベル村では半年ほど前に王都で爆発的に売れた竜に乗った騎士の冒険小説が、時間差で子供達の間で大人気となっていた。それを王都に出稼ぎに行っているシーナの父が、読書好きの娘の為に王都から送ってくれたのだが、村ではなかなか手に入らない本だった為、シーナの善意で村中の子供達の間で回し読みされていた。

「次はミリーに貸す約束してたのにティクスの所で止まってるんだもん……。ミリーが怒ってたよ?」
「悪い……。読み終わった後、返そうとしてたんだが、その度にまた読み返しちまって……」
「ええ~!? 次に待ってる人がいるって私、ちゃんと言ったよね!?」
「だーかーらー!! 悪かったって!!」

 やや不機嫌そうに謝罪の言葉を言うティクスからは、あまり反省の色が見えない。そんな幼馴染にシーナが更に呆れるように大きく息を吐く。
 一方、ティクスの方は本棚の前で腰に手を当てて考え込んでいた。

「絶っ対、ここにしまったんだよな……」
「じゃあ、何で無いのよ……」
「それが分かんねぇーから、困ってんだろ!?」

 ガシガシと頭を掻き出したティクスにシーナが呆れ果てる。
 すると、いきなり天井からドタバタと何かが走り回る音が響き出した。

「えっ!? 何っ!? ネズミ!?」
「いや、多分リクスとエナが屋根裏で遊んでんだよ……。あいつら、一年前から『ここは俺達の秘密基地だぁー!』とか言って、物とか持ち込んで入り浸ってんだわ……」
「あー、そういえば私達も昔、そういう遊びやってたねー」
「でも、モロ俺の部屋の上ってのが、ちょっとなぁー」
「いいじゃない。昼間なら」

 そんな事を話していたら、天井からリクスの号令のような声が聞こえてきた。

「エナ隊員! ついに我々は、謎の『キミツブンショ』を手に入れた!」
「隊長! 『キミツブンショ』とはなんですかー!」
「『キミツブンショ』は……『キミツブンショ』だ! これには暗号が書かれている!」
「隊長! 『アンゴウ』とは何ですかー!」
「『アンゴウ』とは秘密の言葉を隠す為のナゾナゾ問題だ!」
「おお! ナゾナゾ!」
「そのナゾナゾを我々で解き明かそうと思う! 今から読み上げるから心して聞けー!」
「イエッサー!」

 どうやら二人は、隊長ごっこをして遊んでいるらしい……。
 だが8歳のリクスと違い、7歳のエナは意味や使い方を理解していない言葉が結構ある。
 そんな二人は『機密文書』という言葉を意味も分からずに口にしているようだ。
 そもそも弟が、どこでそんな言葉を覚えてきたのかは全くの謎である。

 その会話を聞いていたティクスとシーナは、思わず顔を見合わせて苦笑した。
「自分達も昔、あの遊びやってたよなー」と呑気に呟きながら、ティクスは再度シーナから借りた本の捜索を再開させる。
 そして屋根裏では、引き続きリクスとエナが真剣に隊長ごっこを楽しんでいた。

「それでは、今から『キミツブンショ』を読み上げる! 何か気付いたら、すぐに言うように!」
「イエッサー!」
「えっと……『はいけい、しんあいなるシーナ様』」

 その瞬間、ティクスが石像のようにビシリと固まった。
 対してシーナは、ポカンとした表情を浮かべて天井の方を見上げる。

「何で……私の名前?」

 だがティクスの方は、何故か焦るように物凄い勢いで自室を飛び出して行く。

「ちょ、ちょっと! ティクス! どこに行くのよっ!?」

 そしてシーナの制止の声を無視して、屋根裏の入り口前に向かった。
 そのまま到着するなり、屋根裏部屋へ上がる為の梯子を下ろそうと、その天板を開けようとする。
 しかし、その物音に気付いたリクスが、慌てたように叫んだ。

「エナ隊員! 敵襲だ! 急いで入り口を封鎖するぞっ!!」
「イエッサー!」

 すると何かが、ズルズルと引きずられる音が天井から響き始める。
 ティクスが、やっと屋根裏の天板を開けたのだが……そこには二人が引きずったと思われる大きな木箱がドッカリと置かれ、見事に入り口を塞いでいた。

「こんのクソガキィィィィー!! これ、どかせやっ!! つか、その手紙、返せ! そもそもお前どうやって、それを俺の部屋から持ち出したんだよっ!!」
「うわっ! ヤバい! 兄ちゃんだ! 『キミツブンショ』盗んだのがバレた!」
「ええ!? これ、ティクス兄のなの!?」
「おう。でも何か兄ちゃん、スゲー悩みながら難しい言葉ばっか使って書いてたから……。だからここにはスゲー秘密な事が、たくさん書いてあると思って盗んできた」
「盗んじゃダメだよ……。でも本当に難しい言葉ばっかりだね……」
「だろ?」

 木箱で入り口を塞いだ為か、呑気に会話を始めた二人にますますティクスが焦り出す。
 更に悪い事にティクスを追いかけてきたシーナまでもが、そこに現れた。

「シ、シーナ! 何で、お前までここに来るんだよ!」
「だって……何かリクスが私の名前言ってたし……」
「いやいやいや! お前の名前なんて言ってないから! いいからお前は、俺の部屋で待っとけ!」
「ティクス、何焦ってんの? なんか私に知られちゃまずい事でもあるの?」
「いや、そうじゃなくてだな……。と、とにかく! お前は俺の部屋でちょっと待っとけ!」
「ええ~!? でも屋根裏部屋に行けなくて困ってるじゃない……。私もその入り口塞いでる箱をどかすの手伝うよ」
「いや、いいから! 俺一人で大丈夫だから!」

 そんな言い争いをしていたら、今度はリクス達の会話が進み出す。

「難しい言葉だけど、声に出して読んでみたら意味が分かるかな?」
「俺もそう思ってエナを呼んだ。 だって俺一人じゃ分からなくても、二人で考えれば何か分かりそうじゃね?」
「そうだね! 私も一緒に考える! じゃあ、これ読んでみるね!」

 エナのその言葉を聞いたティクスは、顔面蒼白となって叫び出す。

「エナぁぁぁぁぁー!! やめろぉぉぉぉぉー!!」
「何かティクス兄、凄く怒ってるよ?」
「怪しいな……。エナ、その紙、ちょっと俺に寄越せ!」
「うん」

 手紙がリクスの手に渡ったような状況にティクスの顔色が、ますます青くなる。
 そんなティクスの慌てふためいている様子にシーナは、首を傾げた。

「ティクス?」
「うわぁぁぁぁー!! リクス、やめろぉぉぉぉー!! そ、そうだ! 今日のおやつ! 俺の分のおやつ、やるから! だから、ほら! 早くこの木箱どかして、その手紙を俺に返せ!」
「ますます怪しい……。よし! エナ! 一緒にこのナゾナゾを解くぞ!」
「うん!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!!」

 入り口を塞いでいる木箱をティクスがボコボコと叩いて持ち上げようとするが、なかなか動かない……。どうやらこの木箱には、リクスとエナが乗って座り込んでいるらしい。
 そんなティクスにとって絶望的な状況の中、リクスのよく通る大きな声が響き渡る。
「『はいけい、しんあいなるシーナ様! いきなりこのような手紙を受け取って、さぞ驚かれていると思います!』」
「うわぁぁぁぁぁぁぁーっ!! マジでやめろぉぉぉぉぉー!!」

 ドカドカと木箱を叩き、それを排除しようと下から突き上げるティクスだが……。
 流石に7歳児と8歳児二人が乗っている木箱はびくともしない。
 その状況をシーナは、ただただ茫然としながら眺めていた。

「『ですが、どうしても伝えたい事があり、今回ペンをとる事にしました! その理由はせんじつ、シーナがロクスから告白されたと聞き、いてもたってもいられなくなって、思わずこのような手紙をしたためたしだいでございます!』」
「頼むぅぅぅぅぅー!! やめてくれぇぇぇぇぇぇー!!」

 リクスのよく通る声で手紙を読み上げられるその状況に木箱を殴っていたティクスの動きが、ますます激しくなる。その目には、うっすらと涙まで溜まり出していた。

「『俺はこういう事を口にするのが苦手です。ですが、シーナが誰かの物になる事は絶対に受け入れられません! だからこうして手紙で想いを伝えようと思います!』」
「頼むから!! それ以上、読まないでくれぇぇぇぇぇー!!」

 あまりにも必死な様子のティクスに隣にいたシーナが、若干引き気味な視線を注ぐ。だが、次にリクスが読み上げた言葉を聞いた途端、シーナは大きく目を見開いた。

「『ずっと前からシーナの事が好きでした! だから俺と付き合ってください!』」

 リクスが最後まで手紙を読み切ると、絶望したような表情を浮かべたティクスは、魂が抜けたようにガクリと膝を折り、両手で頭を抱えながらその場にうずくまる……。
 そんなティクスをシーナが茫然としたような表情で、見つめていた。
 すると、ティクスにとって永遠とも感じられる重苦しい沈黙が襲ってくる。
 その気まずい空気が、屋根裏部屋入り口がある廊下に充満し始めた。

 まるでこの世の全てに絶望しているようなティクスは、そのままピクリとも動かなくなる。
 対してシーナの方もティクスに何と声を掛けていいか分からず、戸惑い始めた。
 だがその重苦しい空気をぶち壊す気の抜けたような声が、二人の耳へと入ってくる。

「これ、ナゾナゾじゃないじゃん……。ただティクス兄がシーナ姉の事、大好きって言ってるだけじゃん……」

 エナのその呟きに床に這いつくばるようにうずくまっていたティクスが、ビクリと体を強張らせた。だがその後、弟リクスが更なる追い打ちを掛けてくる。

「甘いな、エナ。だったらもっと簡単に『シーナ姉の事が大好きです!』って書けばいいじゃねーか。なのに兄ちゃんは、わざわざ『せんじつ』とか『いてもたっても』とか『したためたしだい』とか……。こんな難しくて大人が使うみたいな言葉をワザと使って、この文章を書いたんだぞ? 特にこの『しんあい』とか『ペンをとる』とか、なんか意味ありそうじゃね?」
「そうかなー」
「わざとこんな難しい言葉を使って書いてるんだ! ぜってー何か秘密があるって!」
「あのさー『しんあい』って、どういう意味? それになったシーナ姉は凄いの?」
「うーん、俺も分かんねぇー。でもなんかシーナ姉は『しんあい』ってのになったみたいだぞ?」
「じゃあ、『こくはく』ってどういう意味?」
「『こくはく』は……誰かに何かを伝える事?」
「何かって何?」
「だーかーらー! それがナゾナゾなんだってば!」
「それ、何か違うと思う……」

 どうやら普段の言葉遣いが悪いティクスが、かしこまった言葉使いで手紙を綴った事で、リクスが変に興味を持ってしまったらしい。
 だがその所為で、まさか弟によって想い人の目の前で恋文を音読され、更に好きだと書いた事を何度も強調されるとは夢にも思っていなかったティクスは、死にたくなる程の羞恥心からうずくまったまま小刻みに震え出す。
 そんなティクスを憐れむようにシーナが遠慮がちに声を掛けてきた。

「あの……ティクス……」
「シーナ、頼む……。今、心が完全に折れてしまった俺にむやみに話しかけないでくれ……」

 二度と立ち直れない程、ティクスの心は打ちのめされていた。
 だが、その隣にスッとシーナがしゃがみ込む。

「そっか……。ティクスは私の事が、ずっと好きだったんだ……」
「お前……人の傷口に塩を塗り込みながら傷をえぐるような事を言うって、悪魔かよ……」
「返事、今した方がいい?」
「えっ?」
「それとも後日、ちゃんと告白をやり直す?」

 半分涙目になっているティクスが顔を上げると、そこには少し頬を赤く染めたシーナが、幸福そうな笑みを浮かべていた。
 その様子にティクスが目を見開き、息を呑む。

「シー……」

 思わずシーナの名を呼びながら、その頬に手を伸ばしかけた瞬間――――。
 ティクスは、後頭部に物凄い衝撃を感じた。

「いっっっっっっってぇぇぇぇぇぇー!!」
「あっ! 兄ちゃん! 何、降り口の所で座り込んでんだよ!!」
「ティクス兄! 凄い音したけど、頭、大丈夫!?」

 目から火花が出たのではと思う程の痛みで、ティクスの両目に涙がジワリと溜まり出す。そしてその衝撃がやって来た方向に目を向けると、災厄の元凶ともいえる二人が屋根裏部屋の入口から顔を覗かせ、自分を見下ろしていた。
 どうやら、リクスが下を確認せずに屋根裏に上る為の梯子を下ろしたらしい。
 それが見事にティクスの後頭部に直撃したようだ……。

「俺、悪くないぞ!? そんな所で座り込んでる兄ちゃんが悪いんだからな!」
「ティクス兄……泣いちゃうくらい頭、痛いの? 大丈夫……?」

 何故か上から目線で抗議してくるリクスと、心配そうな表情を浮かべたエナが梯子を伝い、屋根裏部屋から降りてくる。その憎たらしい弟をティクスが、物凄い形相で睨みつけた。

「そうだ! さっき兄ちゃん、この紙返したら俺に今日のおやつくれるって言ってたよな! はい! これ返すな!」

 怒りで爆発寸前の兄の様子に気付かない弟リクスは、ニコニコしながらおやつの催促を始める。そんな能天気な弟の手から手紙をひったくったティクスは、力を溜めるように大きく息を吸い込んだ。

「こんな目に遭わされて……やるわけねぇーだろーがぁぁぁぁーっ!!!!」

 廊下中に響き渡る程の怒声で叫んだティクスは、災いの神のような憎たらしい弟の頭に握りこぶしを勢いよく、垂直に叩き込んだ。


 ◆◆◆


 そんな悪夢のような過去の出来事を思い出していたティクスは、今目の前で自分と同じくらいの体格に成長した災いの神が、8年ぶりにまた同じ仕打ちをしてきた事に諦めの気持ちしか出てこなくなり、無抵抗になっていた……。

 だがあの時、リスク達から受けた仕打ちが今の自分の幸せに繋がっているのは事実だ。
 あの後、ティクスは無事にシーナと付き合う事が出来た上に現在は、めでたくシーナと夫婦となっているのだから。

 ちなみにあの時、探しても見つからなかったシーナから借りた本は、実は母親がたまたまティクスの部屋に入った際、読みたかったからと勝手に持ち出していた。
 勝手に持ち出された手紙もそうだが………この家にはプライバシーという言葉は存在しないらしい。

 そんな事を虚ろな目をしながら考えていたら、何故か目の前で手紙を音読しているリクスの表情が、どんどん険しくなっていった。

「『俺はこういう事を口にするのが苦手です。ですが、シーナが誰かの物になる事は絶対に受け入れられません。だからこうして手紙で想いを』って……。これ、思いっきり兄ちゃんがシーナ姉に宛てた恋文じゃねぇーかっ!! 何で俺がこんなもん、読まされなきゃなんねぇーんだよっ!!」

 そう言って、リクスは手にしていた手紙と封筒を床に叩きつけた。

「8年経って、やっとそれが恋文だって理解出来るようになったのなら、お前も一応成長はしているんだな……」
「どういう意味だよっ!! 俺の事、バカにしてんのかっ!?」
「いや、実際に昔のお前はバカだった……」
「はぁ!? やっぱ喧嘩売ってんだろ!? このクソ兄貴!!」

 いつの間にか妻の羽交い絞めから解放されていたティクスは、遠い目をしながらやんわりとリクスをけなす。その兄の態度に苛立ったリクスが胸倉を掴むが、それをあっさりティクスは外してしまった。

「大体! 何でこんなもん後生大事に取っておいてんだよ! 初恋の思い出は大事にしたいとか、兄ちゃんは乙女なんですかぁ~?」
「俺だって好きで、こんなもん取っておいた訳じゃねぇーよ!! あの時、お前から取り上げた後、こっそり処分しようと鍵付きの引き出しに隠したまま、忘れちまってただけだ!」
「あの時?」
「お前……。8年前に実の兄にあれだけの仕打ちをした事をきれいさっぱり忘れてるとか、鬼畜すぎだろ……?」
「俺、何かやった?」

 怪訝そうな表情を浮かべているリクスは、兄を奈落に叩き落とすような真似をした8年前のあの惨劇を本当に一切覚えていないらしい……。その様子に怒りどころか呆れ果ててしまうティクス。
 すると、ずっと二人のやり取りを傍観していたシーナが、ニコニコしながらリクスの前に出てきた。

「リクスは私達にとって、縁結びの天使様だからねー」

 そう言ってリクスの頭を撫でだした。
 その義姉の手をリクスが鬱陶しそうに振り払う。

「何すんだよ!! 俺もうガキじゃねぇーぞっ!?」
「いや、お前は今も昔も憎たらしいクソガキだ!」
「何だとぉぉぉぉー!!」
「こらこら。縁結びの天使様をそんな風に言わないの!」
「天使どころか、こいつの場合、災厄をもたらす悪魔の間違いだろ」
「何だよ……。その格差あり過ぎる俺への評価は……」

 そう不満げに零したリクスの頭を再度シーナは撫でだした。
 実際、8年前のリクスが行ったイタズラ的行動のお陰で、今の幸せな自分達が存在している。
 だが、ティクスにしてみれば素直に感謝などは出来ないのが本音だ……。
 そんな複雑な心境を抱いたティクスは、しつこく頭を撫でてくる義姉を振り払おうと奮闘している弟の姿を見て、思わず苦笑した。

 ちなみに行方不明になっていたカートから受け取った通院人数が書かれた書類は、この後、勝手にティクスの部屋から父親が持ち出していた事が発覚する……。
  いくら急ぎで確認したい事があったとは言え、書類を持ち出した事をメモ等に残してほしいと、ティクスは切実に思う。
 尚、その時に引き出しの鍵を開けたのは、父に頼まれたリクスだったそうだ。
 恐らく8年前も同じようにこの引き出しを勝手に解錠して、あの手紙を持ち出したのだろう。

『この家には、プライバシーという言葉は存在しない』

 改めてそう思ったティクスは、盛大にため息をつく。
 そして問題の手紙は早々に妻に取り上げられてしまい、現在は後生大事に保管されているらしい……。
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