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【番外編】
誤解の原因と第三者目線
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【※時間軸は本編11~12話の間で、ちょうどクレアが首絞められて気を失って寝込んでいる間の公爵とオーデント親子のやり取りの話になります】
静まり返ったオーデント家の客間には、深い怒りの表情を浮かべたジェラルドと、両膝のスカート部分を握り締めながら青い顔して小刻みに震えているティアラが、テーブルを挟み向かい合って座っていた。
そのジェラルドの後ろには、厳しい表情を浮かべたコリウスが控えるように立っている。
今から30分程前、クレアが自室で元婚約者であり、現妹の婚約者のイアルに首を絞められるという騒動が起きた……。
幸いクレアは、異変に気付いて部屋に突入したコリウスによって助けられ、命に別状はなかったが、一瞬酸欠状態になった所為か意識を失ってしまい、そのまま自室のベッドへと運ばれた。
そのタイミング良く助けに入ったコリウスだが……実はイアルがオーデント家に訪れた事を知ったジェラルドが、コリウスに二人の様子を監視する様に指示を出していたからだ。
ジェラルドの中では、イアルの印象は初めから良くはなかった。
会った事もないこの男は、事もあろうに姉であるクレアと婚約解消後、早々にその妹であるティアラとの婚約を受け入れた……。
それがクレアの希望だったとしても、クレアがそう決断した理由をジェラルドは何となく察していた。
その事を自分に話してくれたクレアのあの複雑な表情は、恐らく婚約期間中にイアルの心はすでに妹の方へと傾いている事に気付いたのだろう。
自分よりも周りの気持ちや、意志を尊重したがる何ともクレアらしい決断だ。
だがコリウスからは、そんなイアルが何故か婚約者のティアラではなく、元婚約者のクレアとの面会を希望して、ここに訪れたと報告される。
そのティアラがこの三日間、自分に過剰に絡んできている状況と、いくら幼少期からの付き合いとは言え、クレアが自室に元婚約者である男性を招き入れたという状況がジェラルドの中では、かなり引っかかったのだ。
だからコリウスに二人の様子を監視する様に命じた……。
表向きの理由は、いくら婚約を解消しているとはいえ、未婚の女性の部屋に成人した男性が入室したという状況にクレアの身を案じての対策。
裏の理由は……ジェラルドのイアルに対する嫉妬心からだ……。
ジェラルドは、現状のティアラの様子を見たイアルが婚約に幻滅し、クレアと寄りを戻したいと言いに来たのでは……と勘ぐってしまったのだ。
オーデント家で初めてクレアの姿を見た瞬間、ジェラルドにはクレアが10年前の自分が変われる切っ掛けを与えてくれた少女だと、すぐに気付いた。
あの時のクレアは、確かにプラチナブロンドが彼女の外見の中で一番目を引く部分だったが、ジェラルドにとっては髪よりもアメジストの様な淡い紫の瞳の方が印象に残っていたからだ。
再会し、その少女に礼を伝える事が出来れば満足だと思っていたジェラルドだが……その少女は10年後、想像以上の素晴らしい女性となって現れた。
それはたった一日で、ジェラルドの心を掴んでしまう程に……。
更にクレアは、ちょうど婚約を解消したばかりだと言った。
その理由である教育係になりたいという話は、クレア自身からはそこまで熱意は感じられなかったので、すぐに婚約解消の為の言い訳だと気付いた。
この段階でジェラルドの中には、約一年後にクレアが成人した事を切っ掛けに自身の補佐役として声を掛ける計画が生まれた。そして補佐役として共に過ごす時間の中で、少しずつ距離を縮め、将来的には婚約者にという考えも微かに抱いていた。
だからこそ、自室に元婚約者のイアルを無防備に招き入れてしまったクレアに色々な意味で不安を抱いてしまった……。
だがジェラルドのその不安は、偶然にもクレアの命を救う事となる。
皮肉にも自身のみっともない嫉妬心から、家臣にクレア達の様子を監視させた結果、クレアは大事に至らずに済んだのだ……。
そんな複雑な心境を抱きつつも、目の前で青い顔をして震えているティアラを一瞥する。同時にそのティアラではなく、何の関係もないクレアを手に掛けようとしたイアルへの怒りが収まらない……。
コリウスの話では、部屋に突入した瞬間、イアルは我に返ったようにクレアから慌てて手を放し、茫然とした様子で小刻みに震え出したそうだ。
床に押さえつけた際は、虚ろな目をしたまま何度も何度もクレアへの謝罪の言葉を繰り返していたらしい。
そして他にも呟いていた言葉が……。
『ティアラが……僕を切り捨てようと……』
コリウスのその報告にジェラルドは、更にティアラに厳しい視線を向ける。
すると客間の扉がノックされ、娘と同じ様に青い顔をしたセロシスが入室してきた。妻であるクリシアは、意識を失ったクレアの姿を見て卒倒してしまい、今は自室で休んでいるらしい。
「ジェラルド閣下……このような見苦しい状況をお見せしてしまい、大変申し訳ございません……。そしてコリウス殿、娘の命を助けて下さり、本当にありがとうございました! あの時、コリウス殿に止めに入って頂けなければ、娘のクレアは今頃……」
そこまで言いかけて、セロシスが唇を噛む。
それと同時に目の前のティアラが、ボロボロと涙を零し始めた。
「お、お父様……。イアルは……イアルは何故あんな酷い事をお姉様に……」
そのティアラの言葉に父セロシスが鋭く睨みつける。
「ティアラ……お前は昨日、イアルの心を深く傷つける様な事を言って、彼を怒らせなかったか……?」
低く……そして凄むようにそう問いかけてきた父にティアラが、ビクリと体を強張らせる。その反応に先程、自分がティアラに指摘した不敬行為の内容をジェラルドが思い出し、呆れ果てる様に深く息を吐く。
まさかあの内容を婚約者であるイアルにも話したのか……と。
「お、怒らせるつもりは無かったの! でも……か、閣下は初め私に会う事を希望されていたから……。だから! もし私と閣下が親しくなって私に婚約の申し込みが来てしまったら、イアルとの婚約を解消させて欲しいって……。イ、イアルは優しいから、きっと分かってくれると思って……」
そのあまりにも身勝手なその言い分に父セロシスが、カッと目を見開く。
「お……お前は何て事をっ!! そもそもイアルがどういう気持ちでお前に婚約を申し込んできたか分からなかったのか!? その際、彼はお前に自身の気持ちをしっかり伝えたはずだろう!?」
「ず、ずっと私の事、好きだったって……。でも! いきなりそういう風には見られないと思うから、私の気持ちが変わるまで待ってくれるって!」
「ならば何故、そんなイアルを傷付ける事を……」
「だって! 閣下から婚約のお話が出てしまうかもしれない状態で、イアルにずっと待ってもらう方が、残酷だと思ったから……!!」
「なっ……ばっ……!」
娘のそのあまりにも無神経な言い分に父セロシスが、顔面蒼白で口をパクパクさせながら固まる。
流石のジェラルドも唖然としたまま、口を開けてしまった。
「こ、このバカ者! お前は……お前はイアルの気持ちを知っていた上で、そのような言葉を放ったのか!? ならば何故イアルの婚約を受けたのだ!! それならば初めから断るべきだっただろう!!」
「だ、だって……その時は、まさかジェラルド様がこんな素敵な方だなんて、知らなかったから……。イアルも今はそういう理由でいいって……」
そのティアラの言葉にジェラルドが、ピクリと片眉を動かす。
「その言い分では、初めから私の外見があなたの好みであった事を知っていたら、彼との婚約は受けなかったと聞こえるのだが?」
「そ、そのようなつもりで言ったのではありません!」
ジェラルドが蔑む様な視線を向けながら問うと、ティアラは首を思いっきり振りながら、必死で否定した。
先程のティアラの言い分では、裏を返せばジェラルドの容姿に問題があると思っていたから、イアルとの婚約を承諾したと聞こえてしまう……。
しかしティアラには、それがジェラルドに対して失礼な言動になるという事には、全く気付いていない様子だ……。
何故クレアが、まだ10代だと言うのに片頭痛を患っていたのか……。
そしてここ数日、急にそれを頻繁に発症していた原因をジェラルドは理解する。
こういう人間と日常的に毎日顔を会わせ、過ごしていたら……。
ましてやそのフォローをしなければならないと思い、接していたら……。
クレアのストレスは、想像も付かないくらい大きな負担であっただろう。
もちろん、それはクレアだけでなく両親もだが……。
「オーデント卿……それで彼のその後の処遇は、もう決められたのか?」
もうティアラは相手にするだけ無駄だと判断したジェラルドが、話を戻しながら厳しい表情でセロシスに確認する。
するとセロシスは目を伏せて、やや俯いた。
「彼が娘であるクレアを手に掛けようとした事は許せません……。ですが、私は彼を幼少期から見ておりますので、彼が真面目で心優しい青年である事もよく知っております……。ましてや今回、彼の心をあそこまで追い詰めてしまったのは、紛れも無くもう一人の私の娘であるこのティアラです……。ですので、出来ればこの件に関しましては、内々に処理する事を……」
「いくら錯乱していたとは言え、彼は人を殺めかけた。状況はどうあれ正式な所に訴え、彼はそれなりの罰を受けるべきだと思うが?」
「それは……」
未だにイアルの処遇を決めかねているセロシスの意見を聞いたジェラルドが、後ろに控えているコリウスに目で合図する。
するとコリウスが、イアルが監禁されている部屋を監視しに出て行った。
そしてジェラルドは、スッとティアラに視線を移し、冷たい口調で話し出す。
「それに私としては、この事とは別件でティアラ嬢の言動について、そちらに確認したい事がある。今回の騒動が起こる前、私は彼女から本日クレアは、正午前後から寝込んでいる為、面会は出来ないと聞いたのだが、何故クレアは元婚約者殿とは面会をしていたのだ?」
そのジェラルドの問いにティアラがビクリとする。
「これではまるでクレアが仮病を装い、私と面会する事を避け、嘘を付いたという事になるのだが、その件に関しては……」
「姉は嘘など付いてはおりません! あれは……あれは私が公爵様と少しお話をしたくて勝手に……」
「なるほど。では嘘を付いたのはクレアではなく、あなたという事か……。だが、あなたは姉上より私の今回の視察予定が、かなり押している事を聞かされていたはずだが?」
「それは……その……閣下とほんの少しお話し出来たら、すぐに姉を呼んでこようかと思っておりましたので……」
「ほんの少しで40分……。その間、あなたは私と今回の騒動の元凶であるあなたの婚約者を愚弄するような言動をし、私を怒らせたと……」
そのジェラルドの言葉にティアラの顔色が真っ青になり、再び震えだす。
同時にセロシスも青い顔で勢いよく立ち上がり、テーブルを叩く。
「ティアラ! お前、閣下にどのような無礼な振る舞いを!!」
滅多に見せない父の激昂ぶりにティアラが、更に震えあがり黙り込む。
するとジェラルドが、代わりに口を開いた。
「彼女は私がまだ独身である事に非常に興味を持ち、婚約者がいる身でありながら、何度も私に自身を婚約者にどうかと打診して来たのだ」
「なっ……!! ティアラ!!」
「ち、違うの! お父様! 私……私、ほんの冗談で言っただけで……」
「冗談であのように何度も? そう言えばあなたは私が、あからさまにうんざりしている表情を見せても、一向にその冗談をやめてはくれなかったな」
「も、申し訳ございません……。その、閣下もその冗談を楽しんでくれているとばかり思ったので……」
ジェラルドに畳み掛けられるように言われたティアラが、再び涙を零し出す。
恐らく本気で、ジェラルドが冗談を楽しんでいると思っていたのだろう……。だがここまで相手の気持ちに配慮出来ないとは……とてもあのクレアと血が繋がっているとは思えない。家族だと、このティアラの無神経な動きへの耐性が上がり過ぎて、そこまで酷くは感じないのだろうか……。
だがその免疫のないジェラルドにとっては、ストレス要因の何者でもない。
そして一般的な基準から見てもティアラの相手に配慮出来ない振る舞い方は、あまりにも目に余るレベルだ。
だから本人がそういう事に気付けないから仕方がない……とは思えない。
無自覚だからと言って、相手が不快を抱く言動や、傷付くような振る舞いを平然と行う事が許される訳ではない。
もし簡単に許してしまえば、一緒に暮らしている人間は、常にその悪意のない無邪気に繰り出される無神経な言動に耐え続けなければならない……。
この三日間だけで、すでに限界を感じているジェラルドからすると、10年以上もこのティアラとずっと過ごしてきたオーデント一家の心労は、計り知れないだろう……。特に姉であるクレアは、その被害を一番受けていたはずだ。
そう思った瞬間、ジェラルドの中である決心が固まる。
一刻も早く、クレアを妹から引き離した方がいいと……。
「オーデント卿、そちらのティアラ嬢による以上の行いによって、私はかなり不快な思いをこの三日間強いられ、挙句の果てに今回の視察での重要な相談役であるクレアがこのような状態になり、かなり公務の妨害をされたのだが……そちらの責任はどのようにお考えか?」
冷たくジェラルドがそう言い放つと、親子は同時に体を強張らせる。
恐らくクレアだけでなく、父セロシスも必死でティアラをジェラルドに会わせない様にしていたところを見ると、二人の娘は両親に分け隔てなく、時には厳しく、そして愛情をたくさん注がれ、育てられたはずだ。
それでもティアラの問題部分は、どうにも出来なかったのだろう……。
仮にそうだとしても厳しめの評価を下すジェラルドからすれば、こんな状況を招いてしまう程、相手を配慮する事が出来ない娘をここまで放置していたオーデント夫妻にも責任があると感じてしまうのだ……。
「た、大変申し訳ございませんでした! 我が娘のティアラが、とんでもない不敬行為を致しまして、もうどのようにお詫び致せばよいのか……」
そう勢いよく深く腰を折って全力で謝罪するセロシスの顔を色は真っ青だ。
そんな父にしがみつく様にティアラも許しを乞う様に涙目を向けてきた。
しかし非情にもジェラルドは、更に冷たく言葉を続ける。
「ならばその謝罪の代償として、あなたの自慢の娘であるクレアを私の許に寄越して欲しい」
「ク、クレアをですか!?」
「ああ。今回の視察でこれから私が手掛けようとしているハーブ関連の事業に関して、彼女が非常に戦力になる人材だと確信した。これを機に是非彼女にはそのハーブ事業の補佐役として、完全にアストロメリア家の家臣として私のサポートをさせたい。その為にも……」
そこで一度、ジェラルドは言葉を切る。
「彼女には私の叔母の嫁ぎ先でもあるセントウレア侯爵家への養子手続きをして貰い、公爵家の家臣に相応しい爵位の後ろ盾を持たせたい」
その瞬間、セロシスもだが、ティアラがこの世の終わりの様な表情をする。
「よ、養子手続き!? そ、それではクレアは……書類上、私の娘では無くなるという事ですか!?」
「そうだな。もちろん、そちらのティアラ嬢の姉でも無くなるが」
冷たく言い放たれたそのジェラルドの言葉にティアラが、大きく目を見開く。
そして何を思ったか、全く見当違いな事を質問してきた。
「閣下は……姉との結婚をお望みなのですか……?」
その瞬間、ジェラルドが鋭い視線をティアラに向け、吐き捨てる様に答える。
「あなたは私の話を聞いていなかったのか!? 私は彼女がとても素晴らしい人材ゆえ、重要な役割を担う家臣として欲しいと言っているのだ! そのような私利私欲な考えで、私はこの話を持ち出している訳ではない! 結婚など今この状況で考えている訳がないだろう!」
正直、今のジェラルドにとって、ティアラが発する全ての言葉が、神経を逆撫でするような不快な言葉にしか聞こえない。
そもそもクレアがあのような目に遭う40分前から、この無神経なティアラとのお茶に付き合わされていたのだ。
そして極めつけが、その無神経なティアラの言動が原因で、クレアが危険にさらされた……。これで怒りを抱かない方がおかしい。
ジェラルドの苛立ちぶりにセロシスが慌てながら、再び謝罪をしてきた。
しかしそんな父の様子に気付かないのか、ジェラルドのその言葉にティアラが更に真っ青な顔をして、ブツブツと呟き出す。
「重要な役割を担う……。しかも侯爵家に養子縁組……」
そんなティアラを無視し、セロシスと話を進めようとしたジェラルドの耳に今日一番の非常識で品性の欠片も無い内容の質問がティアラから放たれる。
「か、閣下は私の姉をご自身の慰み者にするつもりですか!?」
「なっ……!!」
この時、ジェラルドは生まれて初めて呆れて声も出ないという状況を体験した。
この令嬢は頭がおかしいのか……?
何故、自分の姉の名誉を傷付けるような質問をこうも平然と出来る?
そして今の話で、どうしたらそんな卑俗的な目的を連想するのか、ジェラルドはますますティアラという生き物が分からなくなる……。
その酷過ぎる質問内容に一瞬、記憶が飛んでしまい、口を半開きにしたまま小刻みに震えて、固まってしまったジェラルドだが……。
やっと『怒り』という感情を爆発させる事を思い出す。
「何故、そのような質問に私が答えなければならない!! そもそもその質問内容は、完全に私を侮辱する発言だ!! あなたはそれを理解して、その質問を私に投げかけたのか!?」
「侮辱しているのは閣下の方です! 罪を犯したのは私なのに何故、姉にそのような惨めな思いをさせようとするのですか!? だったら罰を受けるべき私が、その役割を果たします! 私はもうこれ以上、自分の所為で姉を苦しめたくないのです! お願いです! 私、何でもします! ですから……ですから姉をこの家から引き離し、女性として屈辱的な役割をさせないでください!!」
そのティアラの返答にジェラルドが、眩暈を堪える様に片手で額を抑える。
自分がクレアの代わりを出来るとでも思っているのか……?
それとも単純に公爵家で愛人になって成り上がりでも狙っているだけ?
そもそもその愛人という部分が、大いなる間違いだ!
「何故そこでクレアの代わりにあなたが出てくる!? あなたには関係ない事だ!!」
ジェラルドのその言葉にティアラが、キッと睨みつけてきた。
そのティアラの態度にますますジェラルドの怒りが募る。
何なんだ……この令嬢は……。
会話の噛み合わなさどころか、言葉自体が通じないではないか。
そもそもクレアを一番苦しめているのは、このティアラだ。
そのティアラから必死でクレアを引き離そうとしている自分が、何故この様な言われようをされなければならない?
先程のティアラの爆弾発言を辛うじて、グッと堪えたジェラルドだったが……。
この後、更に放たれた言葉で、それは完全に無駄な努力となる。
「私では力不足という事ですか……? では姉に拘る理由は一体、何ですか!?」
その瞬間、自身の怒りの臨界点がブチ破られる音がジェラルドの頭の中に響く。
「何故、顔も見たくもないあなたの様な人間を自身の傍に置かなくてはならない!! そもそもあなた如きにクレアの代わりが出来ると、本当に思っているのか!? あなたを寄越されてもこちらが困るだけだ!! それではオーデント家の私に対する詫びの誠意など微塵も感じられない!!」
物凄い剣幕でジェラルドが部屋中に響き渡る程の罵声で叫ぶ。
そもそもクレアに拘った理由は、初めの方で伝えたはずなのに何故かこの頭の悪い令嬢は、クレアがジェラルドの愛人になるという前提でしか、話をして来ない。
いくら空気が読めないとはいえ、人の話を聞かないにも程があるだろ!
その苛立ちから、つい物凄い声量で怒鳴り散らしてしまったジェラルドだが……。
その声のお陰で、先程のあまりにも非常識過ぎる娘の質問に固まってしまって動けなくなっていた父セロシスが、やっと我に返る。
「ティアラ!! お前は今すぐ下がりなさい!!」
「な、何を言っているの!? お父様! このままだと、お姉様が惨めな……」
「いいから早く下がるんだ!! お前が口を開けば開く程、オーデント家の立場が悪くなるのだぞ!? お前には、それが分からないのか!!」
声が枯れんばかりに怒鳴る父の剣幕さにティアラが、大粒の涙を瞳からボロボロ零しながらジェラルドを睨みつけ、脱兎の勢いで部屋を飛び出していく。
その瞬間、セロシスは床に膝を付き、両手を組んで祈る様に背中を丸めた。
「も……申し訳ございません……。まさか……まさか娘があのような無礼極まりない発言をするとは……。この責任は、父親である私が必ず……必ず取らせて頂きますので!! どうか……娘達には……」
するとジェラルドが天井を仰ぎながら、グッタリする。
「オーデント卿、どうか頭を上げて貰いたい。私もかなり感情的になり過ぎた……。それよりも貴殿はよくティアラ嬢と会話が出来るな? 私には無理だ……」
「閣下……。本当に……この度は申し訳ございません!」
立ち上がったセロシスが、再び深く頭を下げて謝罪する。
そんなセロシスに目を向け、ジェラルドが大きく息を吐く。
「安心していい。ティアラ嬢に関しては、特に求める事はない。だた……クレアに関しては、先程の話を是非受け入れて貰いたい」
「養子縁組の……お話でございますか……。ですが! 不敬行為を行ったのは妹のティアラでございます! 恐れながら申し上げますが、クレアにだけその責を負わすのは、父親として納得出来ません!」
するとジェラルドが見据える様にセロシスをじっと見つめた。
「オーデント卿、クレアは酷い片頭痛持ちの様だが……あなたはその原因に心当たりはないか?」
その問いにセロシスが口を少し開きかけるが、すぐにギュッと閉じる。
「やはりご存知の様だな。そもそもあなたも同じ原因で時折、頭痛を発症されているのでは?」
「閣下……それは……」
「失礼だが……あなたの二番目のご息女は、かなりの問題児だ。いくら悪気がないとは言え、あまりにも周りに対する配慮が無さ過ぎる……。ましてや家族……姉妹となれば毎日共に過ごす上にその距離感は、かなり近い」
その言葉から、ジェラルドが何を言いたいのかセロシスが察する。
「養子縁組の件は、父親であるあなたにとって、かなり辛いものだろう……。書類上とは言え、クレアがあなたの実の娘ではなくなるのだからな……。ましてやあなたにとって、この家は自慢の娘であるクレアの方に継いでもらいたい気持ちが強いはずだ。少し前のあなたが、その事からクレアを解放したのは、あのイアルと言う青年が妹君の扱いが上手く、あなた自身も安心して家督を任せられる人物だったからであろう。だが……今回起こってしまった騒動で、彼はもうオーデント家に入る資格はない……。そうなればクレアが婿を取り、この家を継ぐ事になるが……。それはすなわち、一生クレアがあの妹君に依存され続け、心労が絶えない人生を送ると言う事だ……」
「ですが、閣下! ティアラとて、いずれは嫁に出て……!」
するとジェラルドが、意地の悪い笑みを浮かべる。
「父親であるあなたから見て、あのティアラ嬢が嫁ぎ先で上手くやっていけると思うか? 私はまだ彼女に会って三日程なので彼女の事をよく知らないが、少なくともこの三日間で、彼女が自身の欲に忠実過ぎる故に相手への配慮が疎かになり、自身の興味ある部分しか相手の話の内容を受け取れないという特徴の令嬢だという事は分かった。そんな彼女が、血のつながらない他人の家に嫁げば、その家族間での交流が難しいだろう。ましてや嫁ぎ先が複雑な人間関係が必須の貴族の元となると、彼女はそこで上手くやれず、何度もこの家に戻って来てしまうのでは? そうなればクレアは一生、彼女に依存され続ける」
そこでジェラルドは一度、言葉を切る。
「この養子縁組の件は、半分はティアラ嬢に自身の軽率な行動の所為で、姉であるクレアが家族から引き裂かれたという反省を促す制裁を意味しているが、もう半分はクレアの心労を軽減させる為の対策として提示している。私から言わせると、ティアラ嬢がクレアにどっぷり依存しているのは明白だが、クレアの方もそんなティアラ嬢をフォローする事が癖になり過ぎている……。この関係がずっと続けば、クレアの方が音を上げてしまうのは一目瞭然だ」
「ですが……! 何も養子に出さずとも……」
必死でクレアの養子縁組を回避しようとするセロシスにジェラルドが、やや渋い顔をしながら口を開く。
「クレアをただ私の許に来させるだけでは、ティアラ嬢の中ではまだ姉と繋がっているという認識が残るだろう……。そうなれば彼女は、今回の騒動の事をすっかり忘れ、平然と姉に会いにアストロメリア領に何度も訪れてくる事は容易に想像出来る。物理的に切り離すだけでは、クレアはすぐに彼女に捕まる。そして妹想いの彼女は、すぐにそれを受け入れてしまう……。私はクレアの事をとても気に入っているので、彼女が周りの人間の所為で潰れてしまう事には、とてもではないが我慢ならない」
ジェラルドにそう言い切られたセロシスが、キッと唇を噛みしめる。
セロシスも妹によるクレアに掛かる負担を何とか減らしたいと、これまでずっと思って来た事なのだ。
しかし出てきた言葉は、真逆なものだった……。
「それでも……私はあの子が自身の娘でなくなる事には耐えられません……」
そのセロシスの返答にジェラルドが、大きく息を吐く。
「オーデント卿……父親としてのあなたの葛藤は理解出来るが、娘の今後を思うのであれば、その選択はあまり感心出来ない。私からすると、あの二人は切り離した方がお互いの為にいいと思うが? でなければ、またあの妹君の悪気のない配慮不足の振る舞いの所為で、今回のようにクレアにその火の粉が掛かってしまう事が多発するだろう……。ティアラ嬢にとってもクレアがいなければ、自身が招いた問題は自身で向き合うしかない状況になるのだから、彼女自身が成長出来る環境にもなるはずだ」
「で、ですが……クレアが私の娘で無くなる事は……」
「もし養子縁組の件を承諾してくれれば、今回のイアル・デバイトの起こした件の彼に対する処遇について、私は一切口を出さないと約束しよう。クレアが私の許に来るのであれば、再び彼から危害を加えられる状況はないのだから、彼のその後など、どうでもいいからな」
ジェラルドのその新たな条件にセロシスの瞳が揺らぐ。
「私は明日、どうしても領地に戻らねばならない。こちらには、あなたの二番目のご息女による公務妨害のお陰で、かなりギリギリまで滞在する事になり、向こうでは仕事が溜まってしまっているからな……。その為、二日後にコリウスをこちらに向かわせる。それまで養子縁組の件は家族間でじっくり話し合い、是非この条件を承諾して頂きたい」
「閣下……」
セロシスが何か言いかけると、ジェラルドはスクっと立ち上がる。
「イアル・デバイトからも今回、何故このような事を起こしたのか、直接本人から話を聞きたい。その後、ご家族に彼を引き渡すのだと思うが……彼を捕らえたのは私の家臣だ。その際は一応、主として私も同行させて貰う」
「かしこまりました……」
暗い表情をしながら、セロシスもゆっくりと立ち上がる。
するとジェラルドが、やや同情めいた表情でセロシスに話しかける。
「オーデント卿……辛いと思うが、ご息女達の今後をよく考えて、この養子縁組を前向きに検討してくれ」
「はい……」
そうして二人は、イアルの許に向った。
しかしジェラルドはこの時、ティアラへの対応を失敗してしまった事には、全く気付けなかった。
この後、クレアの許に泣きつきに行ったティアラが無意識で行う自分本位で誤解した内容で、この時のやり取りをクレアに話してしまうなど、全く予想出来なかったのだ……。
静まり返ったオーデント家の客間には、深い怒りの表情を浮かべたジェラルドと、両膝のスカート部分を握り締めながら青い顔して小刻みに震えているティアラが、テーブルを挟み向かい合って座っていた。
そのジェラルドの後ろには、厳しい表情を浮かべたコリウスが控えるように立っている。
今から30分程前、クレアが自室で元婚約者であり、現妹の婚約者のイアルに首を絞められるという騒動が起きた……。
幸いクレアは、異変に気付いて部屋に突入したコリウスによって助けられ、命に別状はなかったが、一瞬酸欠状態になった所為か意識を失ってしまい、そのまま自室のベッドへと運ばれた。
そのタイミング良く助けに入ったコリウスだが……実はイアルがオーデント家に訪れた事を知ったジェラルドが、コリウスに二人の様子を監視する様に指示を出していたからだ。
ジェラルドの中では、イアルの印象は初めから良くはなかった。
会った事もないこの男は、事もあろうに姉であるクレアと婚約解消後、早々にその妹であるティアラとの婚約を受け入れた……。
それがクレアの希望だったとしても、クレアがそう決断した理由をジェラルドは何となく察していた。
その事を自分に話してくれたクレアのあの複雑な表情は、恐らく婚約期間中にイアルの心はすでに妹の方へと傾いている事に気付いたのだろう。
自分よりも周りの気持ちや、意志を尊重したがる何ともクレアらしい決断だ。
だがコリウスからは、そんなイアルが何故か婚約者のティアラではなく、元婚約者のクレアとの面会を希望して、ここに訪れたと報告される。
そのティアラがこの三日間、自分に過剰に絡んできている状況と、いくら幼少期からの付き合いとは言え、クレアが自室に元婚約者である男性を招き入れたという状況がジェラルドの中では、かなり引っかかったのだ。
だからコリウスに二人の様子を監視する様に命じた……。
表向きの理由は、いくら婚約を解消しているとはいえ、未婚の女性の部屋に成人した男性が入室したという状況にクレアの身を案じての対策。
裏の理由は……ジェラルドのイアルに対する嫉妬心からだ……。
ジェラルドは、現状のティアラの様子を見たイアルが婚約に幻滅し、クレアと寄りを戻したいと言いに来たのでは……と勘ぐってしまったのだ。
オーデント家で初めてクレアの姿を見た瞬間、ジェラルドにはクレアが10年前の自分が変われる切っ掛けを与えてくれた少女だと、すぐに気付いた。
あの時のクレアは、確かにプラチナブロンドが彼女の外見の中で一番目を引く部分だったが、ジェラルドにとっては髪よりもアメジストの様な淡い紫の瞳の方が印象に残っていたからだ。
再会し、その少女に礼を伝える事が出来れば満足だと思っていたジェラルドだが……その少女は10年後、想像以上の素晴らしい女性となって現れた。
それはたった一日で、ジェラルドの心を掴んでしまう程に……。
更にクレアは、ちょうど婚約を解消したばかりだと言った。
その理由である教育係になりたいという話は、クレア自身からはそこまで熱意は感じられなかったので、すぐに婚約解消の為の言い訳だと気付いた。
この段階でジェラルドの中には、約一年後にクレアが成人した事を切っ掛けに自身の補佐役として声を掛ける計画が生まれた。そして補佐役として共に過ごす時間の中で、少しずつ距離を縮め、将来的には婚約者にという考えも微かに抱いていた。
だからこそ、自室に元婚約者のイアルを無防備に招き入れてしまったクレアに色々な意味で不安を抱いてしまった……。
だがジェラルドのその不安は、偶然にもクレアの命を救う事となる。
皮肉にも自身のみっともない嫉妬心から、家臣にクレア達の様子を監視させた結果、クレアは大事に至らずに済んだのだ……。
そんな複雑な心境を抱きつつも、目の前で青い顔をして震えているティアラを一瞥する。同時にそのティアラではなく、何の関係もないクレアを手に掛けようとしたイアルへの怒りが収まらない……。
コリウスの話では、部屋に突入した瞬間、イアルは我に返ったようにクレアから慌てて手を放し、茫然とした様子で小刻みに震え出したそうだ。
床に押さえつけた際は、虚ろな目をしたまま何度も何度もクレアへの謝罪の言葉を繰り返していたらしい。
そして他にも呟いていた言葉が……。
『ティアラが……僕を切り捨てようと……』
コリウスのその報告にジェラルドは、更にティアラに厳しい視線を向ける。
すると客間の扉がノックされ、娘と同じ様に青い顔をしたセロシスが入室してきた。妻であるクリシアは、意識を失ったクレアの姿を見て卒倒してしまい、今は自室で休んでいるらしい。
「ジェラルド閣下……このような見苦しい状況をお見せしてしまい、大変申し訳ございません……。そしてコリウス殿、娘の命を助けて下さり、本当にありがとうございました! あの時、コリウス殿に止めに入って頂けなければ、娘のクレアは今頃……」
そこまで言いかけて、セロシスが唇を噛む。
それと同時に目の前のティアラが、ボロボロと涙を零し始めた。
「お、お父様……。イアルは……イアルは何故あんな酷い事をお姉様に……」
そのティアラの言葉に父セロシスが鋭く睨みつける。
「ティアラ……お前は昨日、イアルの心を深く傷つける様な事を言って、彼を怒らせなかったか……?」
低く……そして凄むようにそう問いかけてきた父にティアラが、ビクリと体を強張らせる。その反応に先程、自分がティアラに指摘した不敬行為の内容をジェラルドが思い出し、呆れ果てる様に深く息を吐く。
まさかあの内容を婚約者であるイアルにも話したのか……と。
「お、怒らせるつもりは無かったの! でも……か、閣下は初め私に会う事を希望されていたから……。だから! もし私と閣下が親しくなって私に婚約の申し込みが来てしまったら、イアルとの婚約を解消させて欲しいって……。イ、イアルは優しいから、きっと分かってくれると思って……」
そのあまりにも身勝手なその言い分に父セロシスが、カッと目を見開く。
「お……お前は何て事をっ!! そもそもイアルがどういう気持ちでお前に婚約を申し込んできたか分からなかったのか!? その際、彼はお前に自身の気持ちをしっかり伝えたはずだろう!?」
「ず、ずっと私の事、好きだったって……。でも! いきなりそういう風には見られないと思うから、私の気持ちが変わるまで待ってくれるって!」
「ならば何故、そんなイアルを傷付ける事を……」
「だって! 閣下から婚約のお話が出てしまうかもしれない状態で、イアルにずっと待ってもらう方が、残酷だと思ったから……!!」
「なっ……ばっ……!」
娘のそのあまりにも無神経な言い分に父セロシスが、顔面蒼白で口をパクパクさせながら固まる。
流石のジェラルドも唖然としたまま、口を開けてしまった。
「こ、このバカ者! お前は……お前はイアルの気持ちを知っていた上で、そのような言葉を放ったのか!? ならば何故イアルの婚約を受けたのだ!! それならば初めから断るべきだっただろう!!」
「だ、だって……その時は、まさかジェラルド様がこんな素敵な方だなんて、知らなかったから……。イアルも今はそういう理由でいいって……」
そのティアラの言葉にジェラルドが、ピクリと片眉を動かす。
「その言い分では、初めから私の外見があなたの好みであった事を知っていたら、彼との婚約は受けなかったと聞こえるのだが?」
「そ、そのようなつもりで言ったのではありません!」
ジェラルドが蔑む様な視線を向けながら問うと、ティアラは首を思いっきり振りながら、必死で否定した。
先程のティアラの言い分では、裏を返せばジェラルドの容姿に問題があると思っていたから、イアルとの婚約を承諾したと聞こえてしまう……。
しかしティアラには、それがジェラルドに対して失礼な言動になるという事には、全く気付いていない様子だ……。
何故クレアが、まだ10代だと言うのに片頭痛を患っていたのか……。
そしてここ数日、急にそれを頻繁に発症していた原因をジェラルドは理解する。
こういう人間と日常的に毎日顔を会わせ、過ごしていたら……。
ましてやそのフォローをしなければならないと思い、接していたら……。
クレアのストレスは、想像も付かないくらい大きな負担であっただろう。
もちろん、それはクレアだけでなく両親もだが……。
「オーデント卿……それで彼のその後の処遇は、もう決められたのか?」
もうティアラは相手にするだけ無駄だと判断したジェラルドが、話を戻しながら厳しい表情でセロシスに確認する。
するとセロシスは目を伏せて、やや俯いた。
「彼が娘であるクレアを手に掛けようとした事は許せません……。ですが、私は彼を幼少期から見ておりますので、彼が真面目で心優しい青年である事もよく知っております……。ましてや今回、彼の心をあそこまで追い詰めてしまったのは、紛れも無くもう一人の私の娘であるこのティアラです……。ですので、出来ればこの件に関しましては、内々に処理する事を……」
「いくら錯乱していたとは言え、彼は人を殺めかけた。状況はどうあれ正式な所に訴え、彼はそれなりの罰を受けるべきだと思うが?」
「それは……」
未だにイアルの処遇を決めかねているセロシスの意見を聞いたジェラルドが、後ろに控えているコリウスに目で合図する。
するとコリウスが、イアルが監禁されている部屋を監視しに出て行った。
そしてジェラルドは、スッとティアラに視線を移し、冷たい口調で話し出す。
「それに私としては、この事とは別件でティアラ嬢の言動について、そちらに確認したい事がある。今回の騒動が起こる前、私は彼女から本日クレアは、正午前後から寝込んでいる為、面会は出来ないと聞いたのだが、何故クレアは元婚約者殿とは面会をしていたのだ?」
そのジェラルドの問いにティアラがビクリとする。
「これではまるでクレアが仮病を装い、私と面会する事を避け、嘘を付いたという事になるのだが、その件に関しては……」
「姉は嘘など付いてはおりません! あれは……あれは私が公爵様と少しお話をしたくて勝手に……」
「なるほど。では嘘を付いたのはクレアではなく、あなたという事か……。だが、あなたは姉上より私の今回の視察予定が、かなり押している事を聞かされていたはずだが?」
「それは……その……閣下とほんの少しお話し出来たら、すぐに姉を呼んでこようかと思っておりましたので……」
「ほんの少しで40分……。その間、あなたは私と今回の騒動の元凶であるあなたの婚約者を愚弄するような言動をし、私を怒らせたと……」
そのジェラルドの言葉にティアラの顔色が真っ青になり、再び震えだす。
同時にセロシスも青い顔で勢いよく立ち上がり、テーブルを叩く。
「ティアラ! お前、閣下にどのような無礼な振る舞いを!!」
滅多に見せない父の激昂ぶりにティアラが、更に震えあがり黙り込む。
するとジェラルドが、代わりに口を開いた。
「彼女は私がまだ独身である事に非常に興味を持ち、婚約者がいる身でありながら、何度も私に自身を婚約者にどうかと打診して来たのだ」
「なっ……!! ティアラ!!」
「ち、違うの! お父様! 私……私、ほんの冗談で言っただけで……」
「冗談であのように何度も? そう言えばあなたは私が、あからさまにうんざりしている表情を見せても、一向にその冗談をやめてはくれなかったな」
「も、申し訳ございません……。その、閣下もその冗談を楽しんでくれているとばかり思ったので……」
ジェラルドに畳み掛けられるように言われたティアラが、再び涙を零し出す。
恐らく本気で、ジェラルドが冗談を楽しんでいると思っていたのだろう……。だがここまで相手の気持ちに配慮出来ないとは……とてもあのクレアと血が繋がっているとは思えない。家族だと、このティアラの無神経な動きへの耐性が上がり過ぎて、そこまで酷くは感じないのだろうか……。
だがその免疫のないジェラルドにとっては、ストレス要因の何者でもない。
そして一般的な基準から見てもティアラの相手に配慮出来ない振る舞い方は、あまりにも目に余るレベルだ。
だから本人がそういう事に気付けないから仕方がない……とは思えない。
無自覚だからと言って、相手が不快を抱く言動や、傷付くような振る舞いを平然と行う事が許される訳ではない。
もし簡単に許してしまえば、一緒に暮らしている人間は、常にその悪意のない無邪気に繰り出される無神経な言動に耐え続けなければならない……。
この三日間だけで、すでに限界を感じているジェラルドからすると、10年以上もこのティアラとずっと過ごしてきたオーデント一家の心労は、計り知れないだろう……。特に姉であるクレアは、その被害を一番受けていたはずだ。
そう思った瞬間、ジェラルドの中である決心が固まる。
一刻も早く、クレアを妹から引き離した方がいいと……。
「オーデント卿、そちらのティアラ嬢による以上の行いによって、私はかなり不快な思いをこの三日間強いられ、挙句の果てに今回の視察での重要な相談役であるクレアがこのような状態になり、かなり公務の妨害をされたのだが……そちらの責任はどのようにお考えか?」
冷たくジェラルドがそう言い放つと、親子は同時に体を強張らせる。
恐らくクレアだけでなく、父セロシスも必死でティアラをジェラルドに会わせない様にしていたところを見ると、二人の娘は両親に分け隔てなく、時には厳しく、そして愛情をたくさん注がれ、育てられたはずだ。
それでもティアラの問題部分は、どうにも出来なかったのだろう……。
仮にそうだとしても厳しめの評価を下すジェラルドからすれば、こんな状況を招いてしまう程、相手を配慮する事が出来ない娘をここまで放置していたオーデント夫妻にも責任があると感じてしまうのだ……。
「た、大変申し訳ございませんでした! 我が娘のティアラが、とんでもない不敬行為を致しまして、もうどのようにお詫び致せばよいのか……」
そう勢いよく深く腰を折って全力で謝罪するセロシスの顔を色は真っ青だ。
そんな父にしがみつく様にティアラも許しを乞う様に涙目を向けてきた。
しかし非情にもジェラルドは、更に冷たく言葉を続ける。
「ならばその謝罪の代償として、あなたの自慢の娘であるクレアを私の許に寄越して欲しい」
「ク、クレアをですか!?」
「ああ。今回の視察でこれから私が手掛けようとしているハーブ関連の事業に関して、彼女が非常に戦力になる人材だと確信した。これを機に是非彼女にはそのハーブ事業の補佐役として、完全にアストロメリア家の家臣として私のサポートをさせたい。その為にも……」
そこで一度、ジェラルドは言葉を切る。
「彼女には私の叔母の嫁ぎ先でもあるセントウレア侯爵家への養子手続きをして貰い、公爵家の家臣に相応しい爵位の後ろ盾を持たせたい」
その瞬間、セロシスもだが、ティアラがこの世の終わりの様な表情をする。
「よ、養子手続き!? そ、それではクレアは……書類上、私の娘では無くなるという事ですか!?」
「そうだな。もちろん、そちらのティアラ嬢の姉でも無くなるが」
冷たく言い放たれたそのジェラルドの言葉にティアラが、大きく目を見開く。
そして何を思ったか、全く見当違いな事を質問してきた。
「閣下は……姉との結婚をお望みなのですか……?」
その瞬間、ジェラルドが鋭い視線をティアラに向け、吐き捨てる様に答える。
「あなたは私の話を聞いていなかったのか!? 私は彼女がとても素晴らしい人材ゆえ、重要な役割を担う家臣として欲しいと言っているのだ! そのような私利私欲な考えで、私はこの話を持ち出している訳ではない! 結婚など今この状況で考えている訳がないだろう!」
正直、今のジェラルドにとって、ティアラが発する全ての言葉が、神経を逆撫でするような不快な言葉にしか聞こえない。
そもそもクレアがあのような目に遭う40分前から、この無神経なティアラとのお茶に付き合わされていたのだ。
そして極めつけが、その無神経なティアラの言動が原因で、クレアが危険にさらされた……。これで怒りを抱かない方がおかしい。
ジェラルドの苛立ちぶりにセロシスが慌てながら、再び謝罪をしてきた。
しかしそんな父の様子に気付かないのか、ジェラルドのその言葉にティアラが更に真っ青な顔をして、ブツブツと呟き出す。
「重要な役割を担う……。しかも侯爵家に養子縁組……」
そんなティアラを無視し、セロシスと話を進めようとしたジェラルドの耳に今日一番の非常識で品性の欠片も無い内容の質問がティアラから放たれる。
「か、閣下は私の姉をご自身の慰み者にするつもりですか!?」
「なっ……!!」
この時、ジェラルドは生まれて初めて呆れて声も出ないという状況を体験した。
この令嬢は頭がおかしいのか……?
何故、自分の姉の名誉を傷付けるような質問をこうも平然と出来る?
そして今の話で、どうしたらそんな卑俗的な目的を連想するのか、ジェラルドはますますティアラという生き物が分からなくなる……。
その酷過ぎる質問内容に一瞬、記憶が飛んでしまい、口を半開きにしたまま小刻みに震えて、固まってしまったジェラルドだが……。
やっと『怒り』という感情を爆発させる事を思い出す。
「何故、そのような質問に私が答えなければならない!! そもそもその質問内容は、完全に私を侮辱する発言だ!! あなたはそれを理解して、その質問を私に投げかけたのか!?」
「侮辱しているのは閣下の方です! 罪を犯したのは私なのに何故、姉にそのような惨めな思いをさせようとするのですか!? だったら罰を受けるべき私が、その役割を果たします! 私はもうこれ以上、自分の所為で姉を苦しめたくないのです! お願いです! 私、何でもします! ですから……ですから姉をこの家から引き離し、女性として屈辱的な役割をさせないでください!!」
そのティアラの返答にジェラルドが、眩暈を堪える様に片手で額を抑える。
自分がクレアの代わりを出来るとでも思っているのか……?
それとも単純に公爵家で愛人になって成り上がりでも狙っているだけ?
そもそもその愛人という部分が、大いなる間違いだ!
「何故そこでクレアの代わりにあなたが出てくる!? あなたには関係ない事だ!!」
ジェラルドのその言葉にティアラが、キッと睨みつけてきた。
そのティアラの態度にますますジェラルドの怒りが募る。
何なんだ……この令嬢は……。
会話の噛み合わなさどころか、言葉自体が通じないではないか。
そもそもクレアを一番苦しめているのは、このティアラだ。
そのティアラから必死でクレアを引き離そうとしている自分が、何故この様な言われようをされなければならない?
先程のティアラの爆弾発言を辛うじて、グッと堪えたジェラルドだったが……。
この後、更に放たれた言葉で、それは完全に無駄な努力となる。
「私では力不足という事ですか……? では姉に拘る理由は一体、何ですか!?」
その瞬間、自身の怒りの臨界点がブチ破られる音がジェラルドの頭の中に響く。
「何故、顔も見たくもないあなたの様な人間を自身の傍に置かなくてはならない!! そもそもあなた如きにクレアの代わりが出来ると、本当に思っているのか!? あなたを寄越されてもこちらが困るだけだ!! それではオーデント家の私に対する詫びの誠意など微塵も感じられない!!」
物凄い剣幕でジェラルドが部屋中に響き渡る程の罵声で叫ぶ。
そもそもクレアに拘った理由は、初めの方で伝えたはずなのに何故かこの頭の悪い令嬢は、クレアがジェラルドの愛人になるという前提でしか、話をして来ない。
いくら空気が読めないとはいえ、人の話を聞かないにも程があるだろ!
その苛立ちから、つい物凄い声量で怒鳴り散らしてしまったジェラルドだが……。
その声のお陰で、先程のあまりにも非常識過ぎる娘の質問に固まってしまって動けなくなっていた父セロシスが、やっと我に返る。
「ティアラ!! お前は今すぐ下がりなさい!!」
「な、何を言っているの!? お父様! このままだと、お姉様が惨めな……」
「いいから早く下がるんだ!! お前が口を開けば開く程、オーデント家の立場が悪くなるのだぞ!? お前には、それが分からないのか!!」
声が枯れんばかりに怒鳴る父の剣幕さにティアラが、大粒の涙を瞳からボロボロ零しながらジェラルドを睨みつけ、脱兎の勢いで部屋を飛び出していく。
その瞬間、セロシスは床に膝を付き、両手を組んで祈る様に背中を丸めた。
「も……申し訳ございません……。まさか……まさか娘があのような無礼極まりない発言をするとは……。この責任は、父親である私が必ず……必ず取らせて頂きますので!! どうか……娘達には……」
するとジェラルドが天井を仰ぎながら、グッタリする。
「オーデント卿、どうか頭を上げて貰いたい。私もかなり感情的になり過ぎた……。それよりも貴殿はよくティアラ嬢と会話が出来るな? 私には無理だ……」
「閣下……。本当に……この度は申し訳ございません!」
立ち上がったセロシスが、再び深く頭を下げて謝罪する。
そんなセロシスに目を向け、ジェラルドが大きく息を吐く。
「安心していい。ティアラ嬢に関しては、特に求める事はない。だた……クレアに関しては、先程の話を是非受け入れて貰いたい」
「養子縁組の……お話でございますか……。ですが! 不敬行為を行ったのは妹のティアラでございます! 恐れながら申し上げますが、クレアにだけその責を負わすのは、父親として納得出来ません!」
するとジェラルドが見据える様にセロシスをじっと見つめた。
「オーデント卿、クレアは酷い片頭痛持ちの様だが……あなたはその原因に心当たりはないか?」
その問いにセロシスが口を少し開きかけるが、すぐにギュッと閉じる。
「やはりご存知の様だな。そもそもあなたも同じ原因で時折、頭痛を発症されているのでは?」
「閣下……それは……」
「失礼だが……あなたの二番目のご息女は、かなりの問題児だ。いくら悪気がないとは言え、あまりにも周りに対する配慮が無さ過ぎる……。ましてや家族……姉妹となれば毎日共に過ごす上にその距離感は、かなり近い」
その言葉から、ジェラルドが何を言いたいのかセロシスが察する。
「養子縁組の件は、父親であるあなたにとって、かなり辛いものだろう……。書類上とは言え、クレアがあなたの実の娘ではなくなるのだからな……。ましてやあなたにとって、この家は自慢の娘であるクレアの方に継いでもらいたい気持ちが強いはずだ。少し前のあなたが、その事からクレアを解放したのは、あのイアルと言う青年が妹君の扱いが上手く、あなた自身も安心して家督を任せられる人物だったからであろう。だが……今回起こってしまった騒動で、彼はもうオーデント家に入る資格はない……。そうなればクレアが婿を取り、この家を継ぐ事になるが……。それはすなわち、一生クレアがあの妹君に依存され続け、心労が絶えない人生を送ると言う事だ……」
「ですが、閣下! ティアラとて、いずれは嫁に出て……!」
するとジェラルドが、意地の悪い笑みを浮かべる。
「父親であるあなたから見て、あのティアラ嬢が嫁ぎ先で上手くやっていけると思うか? 私はまだ彼女に会って三日程なので彼女の事をよく知らないが、少なくともこの三日間で、彼女が自身の欲に忠実過ぎる故に相手への配慮が疎かになり、自身の興味ある部分しか相手の話の内容を受け取れないという特徴の令嬢だという事は分かった。そんな彼女が、血のつながらない他人の家に嫁げば、その家族間での交流が難しいだろう。ましてや嫁ぎ先が複雑な人間関係が必須の貴族の元となると、彼女はそこで上手くやれず、何度もこの家に戻って来てしまうのでは? そうなればクレアは一生、彼女に依存され続ける」
そこでジェラルドは一度、言葉を切る。
「この養子縁組の件は、半分はティアラ嬢に自身の軽率な行動の所為で、姉であるクレアが家族から引き裂かれたという反省を促す制裁を意味しているが、もう半分はクレアの心労を軽減させる為の対策として提示している。私から言わせると、ティアラ嬢がクレアにどっぷり依存しているのは明白だが、クレアの方もそんなティアラ嬢をフォローする事が癖になり過ぎている……。この関係がずっと続けば、クレアの方が音を上げてしまうのは一目瞭然だ」
「ですが……! 何も養子に出さずとも……」
必死でクレアの養子縁組を回避しようとするセロシスにジェラルドが、やや渋い顔をしながら口を開く。
「クレアをただ私の許に来させるだけでは、ティアラ嬢の中ではまだ姉と繋がっているという認識が残るだろう……。そうなれば彼女は、今回の騒動の事をすっかり忘れ、平然と姉に会いにアストロメリア領に何度も訪れてくる事は容易に想像出来る。物理的に切り離すだけでは、クレアはすぐに彼女に捕まる。そして妹想いの彼女は、すぐにそれを受け入れてしまう……。私はクレアの事をとても気に入っているので、彼女が周りの人間の所為で潰れてしまう事には、とてもではないが我慢ならない」
ジェラルドにそう言い切られたセロシスが、キッと唇を噛みしめる。
セロシスも妹によるクレアに掛かる負担を何とか減らしたいと、これまでずっと思って来た事なのだ。
しかし出てきた言葉は、真逆なものだった……。
「それでも……私はあの子が自身の娘でなくなる事には耐えられません……」
そのセロシスの返答にジェラルドが、大きく息を吐く。
「オーデント卿……父親としてのあなたの葛藤は理解出来るが、娘の今後を思うのであれば、その選択はあまり感心出来ない。私からすると、あの二人は切り離した方がお互いの為にいいと思うが? でなければ、またあの妹君の悪気のない配慮不足の振る舞いの所為で、今回のようにクレアにその火の粉が掛かってしまう事が多発するだろう……。ティアラ嬢にとってもクレアがいなければ、自身が招いた問題は自身で向き合うしかない状況になるのだから、彼女自身が成長出来る環境にもなるはずだ」
「で、ですが……クレアが私の娘で無くなる事は……」
「もし養子縁組の件を承諾してくれれば、今回のイアル・デバイトの起こした件の彼に対する処遇について、私は一切口を出さないと約束しよう。クレアが私の許に来るのであれば、再び彼から危害を加えられる状況はないのだから、彼のその後など、どうでもいいからな」
ジェラルドのその新たな条件にセロシスの瞳が揺らぐ。
「私は明日、どうしても領地に戻らねばならない。こちらには、あなたの二番目のご息女による公務妨害のお陰で、かなりギリギリまで滞在する事になり、向こうでは仕事が溜まってしまっているからな……。その為、二日後にコリウスをこちらに向かわせる。それまで養子縁組の件は家族間でじっくり話し合い、是非この条件を承諾して頂きたい」
「閣下……」
セロシスが何か言いかけると、ジェラルドはスクっと立ち上がる。
「イアル・デバイトからも今回、何故このような事を起こしたのか、直接本人から話を聞きたい。その後、ご家族に彼を引き渡すのだと思うが……彼を捕らえたのは私の家臣だ。その際は一応、主として私も同行させて貰う」
「かしこまりました……」
暗い表情をしながら、セロシスもゆっくりと立ち上がる。
するとジェラルドが、やや同情めいた表情でセロシスに話しかける。
「オーデント卿……辛いと思うが、ご息女達の今後をよく考えて、この養子縁組を前向きに検討してくれ」
「はい……」
そうして二人は、イアルの許に向った。
しかしジェラルドはこの時、ティアラへの対応を失敗してしまった事には、全く気付けなかった。
この後、クレアの許に泣きつきに行ったティアラが無意識で行う自分本位で誤解した内容で、この時のやり取りをクレアに話してしまうなど、全く予想出来なかったのだ……。
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