赤毛の伯爵令嬢

ハチ助

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 オーデント家からセントウレア家が所有する別荘までは、馬車で大体一時間前後掛かる。その間、クレアは自分の今後について色々と考えた。

 クレアがこれから養子となるセントウレア侯爵家だが、その侯爵夫人はジェラルドの母の妹……つまり現国王の母である皇太后の妹という事になる。コリウスの話では、幼少期から容姿の所為で人前に出る事を避けていたジェラルドを何度も預かったりしていたのが、このセントウレア侯爵夫妻らしい。
 その為、ジェラルドにとっては、第二の両親と言った感じの様だ。

 養子縁組後にクレアの父となるのが、セントウレア侯爵でもあるフロックス卿。
 そして母になるのが、ジェラルドとも血縁関係のある叔母のハリエンヌ侯爵夫人という流れになる。二人共、実父であるセロシスよりも年上だ。
 そして二人にはすでに成人した息子が二人おり、こちらもクレアどころかジェラルドよりも年上である。

 長男の方はフェリックスといい、現在家督を継がせる準備の為、父であるフロックス卿より指南を受けている次期領主で、すでに既婚者だ。
 その妻でクレアの義理の姉になるのが、アンジェリカという元伯爵令嬢。

 次男の方はノックスといい、現在東の大陸の方へ留学しており、あと二年程は帰って来ないらしい。しかし婚約者を一緒に伴っているらしく、この二人に関しては、クレアがセントウレア家に滞在中には、会う事が出来ない様だ。

 この様に養子縁組後のクレアには、新しい両親以外にも兄が二人、義理の姉が一人、そして未来の義理の姉が一人増えると言うことになる。
 長女という立場で17年間過ごして来たクレアは、自分が急に末っ子という立場になってしまう事に戸惑いと不安を感じていた。

 そしてそれ以上に不安なのは、アストロメリア家でジェラルドの補佐役をこなさなくてはならない事だ。この時、自分はどうジェラルドと向き合えばいいか、クレアには不安しかなかった……。

 自分はジェラルドに対して間違いなく好意を抱いている。
 だがそれはイアルがティアラに抱いていた様な静かで情熱的な物ではない。
 身分や自分の置かれている立場上、その気持ちを隠し続ける事は、簡単ではないがやろうと思えばクレアには出来るはずだ。
 だが……もし夜伽の相手を求められたら……。
 その後、ジェラルドが正式な妻を得たら……。
 そうなった場合、恐らく自分はジェラルドの傍にいる事には耐えられない。

 そもそもジェラルドの意志で養子縁組を頼まれたセントウレア家の人々が、中堅クラスの伯爵令嬢だった自分をすんなり受け入れるとは、到底思えない。

 コリウスの話では、クレアは三ヶ月ほどセントウレア家で侯爵令嬢としての振る舞いと、ジェラルドの補佐役として必要な知識を学ばされるらしい。
 正直、礼儀作法に関してはティアラの当て馬役をしていた為、あまり問題は無いと思うが……。
 補佐役に関しては、父の領内の仕事を手伝うくらいしかしてこなかった。
 それなのにあと三か月以内に公爵の補佐役として、その知識を身に付けなくてはならない事は、かなり厳しい条件だ。

 一時間も一人でいる時間を得てしまったクレアは、この先の未来に対して、悪い方向にしか考えられなくなっていた。
 そしてそれらの考えは、どんどん不安を交えて広がっていく……。
 そんな負のループに囚われて行ったクレアにとって、その一時間はあっという間に過ぎてしまい、気が付いた時には目的地に到着していた。

「クレア様、お手をどうぞ」

 扉を開け、手を差し出してくれたコリウスにエスコートされながら、クレアが恐る恐る馬車を降りる。
 するとそこにはベテランそうな侍女と50代前後の執事らしき男性、そしてその後ろに20代くらいの二人の侍女が出迎えてくれた。

「クレア様、ようこそお越しくださいました。こちらでは、セントウレア家のお屋敷に行かれる前にお召し替えをして頂きます」
「それではハリエンヌ侯爵夫人は……」
「奥様はこちらではなく、領内のお屋敷にてクレア様をお待ちしております」

 そう言って執事らしき男性に促され、クレアは屋敷の中へと案内された。
 屋敷内の装飾は華美ではないが、どれも品の良い物で飾られている。
 別荘でこれ程なのだから、本宅は一体どれほど豪華なのだろうかと、再びクレアの不安が募る。
 するとある部屋の前まで来たところで、執事らしき男性の説明が入る。

「クレア様には、こちらで奥様のご用意されたお召し物に着替えて頂きます。その際、現在お召しになられているドレス、装飾品類とお手荷物はこちらで預からせて頂きまして、そのままアストロメリア家のジェラルド様のお屋敷に運ばせて頂きますので、ご了承くださいませ」

 その言葉にクレアが焦り出す。

「あの! 身に付けている装飾品も全て預けなくてはなりませんか!?」
「はい。閣下よりそのように言付かっておりますので……」
「そう……ですか……」

 実はこの日、クレアは母から貰ったガーネットのブローチをしていた。
 身に付けていれば、そのまま所持品として扱われないと思ったからだ。
 だが現実はそんなに甘くはなく……部屋の中に入ったクレアは、侍女三人掛りで予め用意されていた淡いグリーンのドレスに着替えさせられる。
 その際、ため息をつきながら、そのガーネットのブローチを丁寧に専用の小箱に入れ、預ける鞄の中にしまった。

「あの……そのブローチは何か思い入れが……」
「実母から貰ったブローチなの……」
「さようでございましたか……」

 侍女の一人にそう問われ、淋しそうな表情でクレアが答えると、侍女の方も同情めいた表情を浮かべてくれた。
 そんなクレアが着替えさせられたドレスは、まるで事前にクレアの容姿を聞いていたかのように選ばれた赤毛と相性の良い、何とも品のある色合いをしている。
 この事から、どうやら今回の養子縁組に関しては、クレアはそこまでセントウレア家の人々に煙たがられていない様子だ。

 それらの待遇で、少なくともこれから三カ月間過ごすセントウレア家での暮らしは、そこまで心配する必要がないかもしれない。
 出来るだけ前向きに考えたクレアは、少し休憩をさせて貰った後、更に一時間掛けて、本当の目的地であるセントウレア家の本宅へと向った。

 この一時間では、もうクレアは気持ちを切り替えて、今後セントウレア家で自身がどのように振る舞うべきかに考えを集中させた。この着替えさせられたドレスから考察すると、恐らくジェラルドが相当クレアの人間性等を過大評価して、侯爵家の人々に伝えた可能性がある。
 となれば、クレアはあまりボロを出す事が出来ないという事だ。


 そんな対策を考えつつも気合を入れて挑もうとしていたクレアだったが……目的地に着き、ジェラルドの叔母ハリエンヌの部屋に通された際、クレアが挨拶をした瞬間、その気合は一瞬で彼方へと吹き飛ぶ。
 ハリエンヌが、挨拶後のクレアにいきなり抱き付いてきたのだ。
 とても20代半ばの息子がいるとは思えない若々しさと、気品あふれた美しい女性に抱き付かれたクレアは、一瞬目を白黒させた。

「ああ! やっと会えたわ! ジェラルドから聞いていたけれど、本当に素敵なお嬢さんね! まだ若いのにしっかしていらして……。わたくし、ジェラルドから養子縁組を頼まれてから、ずっとあなたの事を待っていたのよ?」
「お、恐れ入ります……」

 あまりの予想外の歓迎ぶりに驚き、若干引きつった笑みでクレアが答える。
 しかし次の瞬間、ノックも無いまま急にクレアの背後の扉が大きく開かれた。

「お義母様! オーデント家のご令嬢は、お見えになったの!?」

 そう叫びながら入室してきたのは、アッシュブロンドに目力のある青い瞳の20代半ばくらいの女性だ。見るからに気が強そうである。そしてクレアを見るなり一言、こう叫ぶ。

「まぁ! なんて見事な赤毛なの!?」

 その瞬間、クレアは一気に凍り付いた。
 赤毛は賛否両論だ……。
 好きな人は本当に好きだが、嫌いな人だと陰口を叩く人間も多い。
 そしてこの女性は、恐らく長男であるフェリックスの妻アンジェリカだ。
 早くも上手くやっていく自信を無くしかけたクレアだったのだが……アンジェリカは、そのままカツカツと靴音を立てながら、クレアの許へやって来て、その両側の髪を優しく両手で掬い上げた。

「ああ……なんて綺麗な色なのかしら……。赤毛ってこう凛とした強いイメージがあって、本当に素敵よね。あなたが羨ましいわ……」
「アンジェ! クレアが驚いてしまっているでしょ!? 全くあなたは……」
「あら、ごめんなさい。あまりにも見事で素晴らしい赤毛だったから……。クレア嬢、私はこれからあなたの兄となるフェリックスの妻アンジェリカよ。これから三カ月間、よろしくお願いするわね?」
「クレア・オーデントと申します。こちらこそどうぞよろしくお願い……」

 すると、クレアが言い終わらない内にハリエンヌが、軽く咳払いをした。

「クレア? 先程もそうだけれど……あなたの名は、もうオーデントではないのよ? 今後名乗る際は『クレア・セントウレア』と名乗りなさいね?」

 その言葉にクレアの中で嬉しさと悲しみが同時になだれ込んでくる。
 嬉しいのは、新しい家族が自分をすぐに受け入れてくれている今の状況。
 悲しいのは……今まで一緒に暮らしてきた家族とは、縁がなくなってしまった事を痛感してしまった心境。
 真逆の感情を同時に抱き、複雑な心境のクレアだったが……。

「はい! お母様・・・

 そうハリエンヌに返し、クレアはこの新しい環境を受け入れようと決意した。


 その後、夕食まで三人でお茶を楽しんだクレア。
 話題の殆どはクレアの事についてで、二時間もの間、クレアは二人に好物や好きな色、好みの音楽など、質問責めにされてしまった。

 そして夕食の時間になると、セントウレア侯爵ことフロックスとその息子の長男フェリックスも食堂に集まり、ここでもう一度自己紹介が行われた。

「初めまして。私の可愛い娘のクレア。今後は私が君の父親として君の将来を見守らせて貰うよ?」

 そう声を掛けてきたのは、この屋敷の主であるフロックスだ。
 妻であるハリエンヌに負けないくらいの品ある雰囲気をまとい、容姿も素敵なロマンス・グレーな侯爵だ。
 恐らく若い頃は、ハリエンヌとセットで美男美女と噂されていたに違いない。

「父上はまたそういうご婦人受けしそうな言い回しを……。クレア、初めまして。君の兄になるフェリックスだよ? あの人間不信の塊みたいなジェラルドが絶賛していたご令嬢だから、どんな子なのか会うのを凄く楽しみにしていたんだ! でも確かに君なら従兄弟も気に入ってしまうのも納得だね!」

 次に話しかけてきたのが長男フェリックスだ。
 年齢は確かジェラルドの兄である現国王の一つ下だと聞いている。
 ジェラルド自体、兄とは6歳年が離れているので、フェリックスは今年で27歳くらいだろう。従兄弟のジェラルドと違い、明るく社交性のある雰囲気だ。

 そんな夫の茶化すような内容に妻のアンジェリカが反応する。

「ジェラルド閣下って、そんなに人嫌いなの?」
「凄いよー? 10歳くらいまでは、人と目が合うと射殺さんばかりに睨みつけた挙句、そのまま脱兎のごとく逃げ出していたからね……。それから三年間は、知らない人が来る度に部屋に閉じこもって鍵かけちゃうし。でも途中から急に人と会う事から逃げなくなったんだよね……。でもしばらくは威嚇する様な態度だったな!」

 面白おかしく話すフェリックスのジェラルド像は、クレアの中のジェラルドのイメージとは、とても同一人物とは思えない程、別人だ。
 そのあまりにも落差のあるギャップに唖然としていると、フロックスが更に話を付け加える。

「そういえばジェラルド閣下は、今の容姿になられたばかりの頃、人間不信だけでなく女性不信も患っていたね……」
「父上! それは女性不信ではなく、女性恐怖症ですよ! ジェラルドは今の美青年容姿になってから、初参加した夜会で物凄い数の令嬢達に囲まれ、以来若い女性の多い夜会には、一切参加しなくなりましたから!」

 そう言ってゲラゲラ笑うフェリックスをハリエンヌが窘める。

「フェリックス! 食事中にゲラゲラ笑うなんてはしたないわよ! 見なさい! クレアの中のジェラルドのイメージが、すっかり崩壊してしまったわ!」
「い、いえ……そんな事は……」
「母上、女性は完璧な男性よりも欠点のある男性の方が、愛嬌があって魅力的に見える物ですよ? アンジェだってそう思うよね?」
「ええ! だからあなたを好きになったのよ?」
「アンジェ……それは、褒め言葉かい?」

 そんな楽しい会話展開にクレアは、思わず笑ってしまう。
 お互いがお互いの言葉に上手い返しをする……このテンポのよいやり取りに。
 それはオーデント家では、あまりなかった光景だ。
 オーデント家の家族間は仲が良かったのだが、こういう気の利いた冗談をやりとりする事は、あまりなかったのだ。

 それは食事の時の会話が、いつもティアラの独壇場と化していたからだ。
 人と話すのが大好きだったティアラだが……いつの間にか相手を怒らせてしまう為、同性の友人が殆どいなかった。その淋しさからなのか……家族で集まる場では、矢継ぎ早に自分の好きな事や興味のある事をツラツラと永遠に語ってしまう……。
 例えその時、話題になっていた内容が、ティアラが興味のない話だったとしてもティアラは、その話題を無理矢理自分の好きな内容に変えて語り出す。
 家族内ではもうお馴染みなので、全員が幼子をあやす様に相槌を入れて、ティアラの話を聞いていたのだが……。今思うと、あまり親密度が高くない相手がやられたら、非常にストレスを受ける振る舞いだ……。

 そういう部分でも自分は妹をダメにしていたのかもしれない……。
 そう思ったクレアは、一瞬だけ暗い表情を浮かべてしまう。
 それに気が付いたフロックスが、クレアに優しく声を掛けた。

「クレア。実はジェラルド閣下より、君の以前いた領内で育てられたカモミールを頂いたので、食後に是非、皆で味わおうと思っているのだが……。良かったら、美味しい飲み方を私達に教えてくれないかい?」

 そう言って給仕に目配せをすると、給仕がトレイの上に乗せたマウロ農園のマークが入った袋をクレアに見せる。
 その瞬間、クレアの目がパァーっと輝く。

「はい! 是非」

 そして食後に皆でクレアの勧めた飲み方で、カモミールティーを味わった。
 そんな初日の顔合わせで、クレアはすっかりセントウレア家の雰囲気に心惹かれていってしまった。
 同時に自分の本当の家族に対しては、罪悪感も生まれてしまう。

 新しい家族であるセントウレア家の人々は、全員の社交スキルが高く、会話のやり取りが非常に魅力的だ。
 それはお互い相手の雰囲気を読み取り、それに合わせてお互いが言葉を発している事から生まれるハーモニーの様な会話のやり取りだ。

 だが本当の家族であるオーデント家では、いつもティアラ一人が一方的に語っている事が殆どだった……。たまにその事で父セロシスがうんざりし、席を立とうとすると、ティアラは必死になってそれを引き留め、更に自分だけが面白いと思っている話を一方的に続ける事があった。その状況をいつも上手く収め、調整役を買って出ていたのがクレアだった。

 自分が居なくなってしまってから、オーデント家はどうなっているのか……。
 心配してももう自分には、どうする事も出来ない事を考えてしまい、初めて迎えたセントウレア家の夜は、クレアにとって眠れない夜となった。


 そしてその翌日から、クレアの侯爵令嬢としての教育とジェラルドの補佐役としての修行が始まる。

 初日はまずクレアの礼儀作法やコミュニケーションスキルを確認されたのだが……こちらに関しては、もう何も教える事は無いという太鼓判を貰った。

 問題なのは、補佐役としての能力だった。
 だがこちらに関しては、指導する人間の許で学ぶという事では身に付かない。
 どちらかと言うと実践あるのみという磨き方になる。

 そこで、アストロメリア家に行くまでの三カ月間のクレアには、新しい父と兄の手伝いをする事で、補佐役の仕事を少しずつ覚えさせるという配慮がなされた。

 だがそれは、二週間もしない内に父フロックスと兄フェリックスを驚かせる程の成果を見せる。
 元々、実父であるセロシスの仕事を手伝っていたクレアは、すぐにコツを掴んでしまい、早々に二人の戦力へとなってしまったのだ。これには義父フロックスは、大いに喜んだ。

 そしてフェリックスの方は、領地内の視察をする際、必ず妻アンジェリカだけでなく、妹となったクレアも伴う様になる。
 見た目がきつそうに見られやすいアンジェリカは、領民からはやや恐れられていたのだが……ここにクレアが入る事で、それは信じられない程、緩和剤となる。クレアに対し、無意識で優しい態度になってしまうアンジェリカの様子は、領民たちの誤解を一瞬で解いてしまったのだ。
 妻のイメージアップを図れた義兄フェリックスも大いに喜んだ。

 そんな新しい家族の期待に応え、可愛がられたクレアだが……。
 中でも一番クレアに親身になってくれたのは、ジェラルドの叔母であるハリエンヌだった。
 クレアが、ふと実の家族の事を思い出し淋しそうな表情を浮かべていたり、ジェラルドの許へ行く事への不安感から暗い表情になっていると、その様子に誰よりも早く気付き、優しく話を聞いてくれた。

 そんな目まぐるしい日々を過ごしていたら、あっという間に一カ月が過ぎた。
 そしてその間、何故か週に二回くらいのペースで、ジェラルドから頻繁に手紙が届いていた。その中身の殆どは、クレアの体調の心配や、新しい生活での不安などを気遣う内容だったのだが……オーデント家やイアルのその後については、一切書かれていなかった。

 その為、返事を書くクレアの方も何となくその事に触れられずにいた。
 そしてジェラルドが養子縁組までさせて自分を補佐役に希望した真意が分からない為、クレアの返す返事はいつも業務報告のような内容になってしまった。

 しかしクレアがセントウレア家に来てから二か月が過ぎた頃、珍しくコリウスが二通の手紙を直接持ってクレアの許にやって来る。
 一通はクレア宛ての手紙、もう一通は叔母であるハリエンヌ宛の手紙だった。

 そしてそのどちらでもメインは、ある内容について書かれていた。
 それは……近々クレアをアストロメリア家に寄越してほしいという内容だった。
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