赤毛の伯爵令嬢

ハチ助

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6.安らぎの時間

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 翌日、父の書斎で仕事を手伝いながら、昨日の視察内容を報告したクレア。
 中でも一番、セロシスの反応が大きかった事は……。

「そうか。やはり閣下は予めティアラがどういう令嬢か、すでにお調べになっていたか……」

 そう嘆きながらクレアの予想通り、ガックリと肩を落とした。
 そんな父の様子にクレアが苦笑する。

「ですがお父様。リーネル農園に関しては、かなり閣下のご希望にあった条件をご案内出来ました」
「資金援助まで申し出て頂けたのだったな。その件に関しては、うちとしても大変にありがたい話だ。クレアも本当によく頑張ってくれたな」
「いえ。私は何も……。それに本日も閣下がお見えになるので、まだ私の役割は終わってはおりません。なので、まだ気を抜くのは早いかと」

 クレアがやや困った様な表情を浮かべたので、セロシスも小さく息を吐く。

「私も同席した方が良いなら遠慮なく言ってくれ。お前にだけ負担を掛けるのは、父親として心苦しいのでな……」
「ありがとうございます。ですが、閣下が女性目線でのご意見を求めていらっしゃるので、やはり私が対応するのが一番かと」

 すると、セロシスが悲しそうな笑みを浮かべる。

「本当にお前は出来過ぎた娘だ。だからこそ、イアルと共にこの家を継いで欲しかったのだが……」
「お父様……。本当にごめんなさい……」
「だがそうなると、ティアラの婚約者選びを更に慎重に考えなければ……」
「その件なのですが、一つご提案が……」

 自身が提案するべきではないと思いつつ、三年間もイアルを縛ってしまった罪悪感から、早く解放されたいという気持ちが強いクレアは、どうしても言わずにはいられなかった。

「ティアラの婚約者候補にイアルを少し考えて頂けませんでしょうか?」

 その娘の言葉に父が大きく目を見開き、茫然とする。

「クレア……お前、何を……」
「姉の元婚約者をそのまま妹の婚約者にする事は、かなり抵抗がある事は十分承知しております。何よりもティアラ自身の気持ちを優先させる事が、一番なのも分かっております。ですが、今のところイアルはティアラの周りに存在する男性の中では、唯一あの子の性格をよく理解している存在です。今、ティアラの許に来ている婚約を希望する男性の殆どは、あの子の外見や一時の物珍しさで興味を持っているだけの様に思うのです。その様な男性の許へ今のティアラが嫁いでしまうと、初めはその珍しさで愛されますが、それはすぐに飽きられ、あの子は嫁ぎ先で、とても苦労してしまうと思うのです……」

 クレアの話にセロシスが、大きく息を吐く。

「私もその件に関しては考えた……。イアルはお前と同じくらいティアラの扱いが上手いからな。だがそれは、お前を酷く傷つける決断だと思い、絶対にしたくはなかった……」
「お父様、私は自分からイアルとの婚約解消を言い出したのですよ? その私が傷つくなんて……」
「お前はイアルが誰を想っているのか、薄々気付いていたのではないか?」

 悲しそうな笑みを浮かべたセロシスのその言葉に今度は、クレアが目を見開く。

「ティアラとは違い、お前は周りの空気を読むのが上手い。それどころか空気を読み過ぎてしまい、いつも我慢や損する事ばかりが多いだろ?」
「買いかぶり過ぎです……」
「そんなお前の長所を知っていながら、イアルとの婚約をお前が解消したいと言い出すまで、そのままにしていた私は本当に酷い親だと思う……。だが、やはり家督はお前とイアルに継いで欲しいという気持ちが強かったのだ。お前は本当に私にとっては自慢の娘なのだから」
「お父様……」
「だが私は、お前達二人の優しさに付け込んでしまい、危うく自分の娘と未来の息子の幸せを壊す選択をしかけてしまった。本当にすまない……」

 その父の言葉にクレアが困った笑みを浮かべる。
 感情よりも家の繁栄に有利な選択をするのは、貴族社会ではよくある事だ。
 だからこそ、イアルも自身の気持ちを封印してクレアとの婚約を受け入れようとしていた。そしてクレアの方もイアルの気持ちを知りつつ、その婚約に異議を唱える事を三年間も先延ばしにしてしまっていたのだ……。

 長女でもあり家業に詳しいクレアに自身が認めたイアルと結婚させて家を継がせ、恵まれた容姿で身分の高い令息の目に付きやすいティアラには、人脈作りの為の政略結婚をして貰う。
 家の繁栄や出世の道具として、娘達の結婚を決める親は多いのだが、父セロシスも母クリシアも最終的には、娘二人の幸せを優先してしまう心優しい親なのだ……。

 その証拠にセロシスは、クレアが婚約解消の話を切り出した際、こんなギリギリの時期にも関わらず、すぐに受け入れてくれた。
 その父の決断だけで、クレアにとっては十分過ぎる程、自身は大切に扱われていると実感出来る。

「イアルとティアラの事は一応、考えてはおく。だが私は、お前を傷つける事だけはしたくない……。二人を結婚させてしまえば、お前は嫌でも元婚約者の義理の姉になってしまう」

 その言葉に父が以前、自分がイアルに恋心を抱いていた事までも把握している事に気付いたクレアが、苦笑する。

「お父様、私のイアルへの気持ちは、もうとっくの昔に埋葬済みですよ?」

 そんな察しの良い気遣いある娘のその言葉にセロシスは、悲しげな笑みを返す事しか出来ない。
 しかしクレアの方は、イアルとティアラの事を父に打診出来た事で、三年も抱いていたイアルへの罪悪感から解放され、やや晴れやかな気分になっていた。

 しかし正直なところ、肝心のティアラがイアルとの婚約を受け入れなければ、このクレアの提案は通る事はない。
 その辺は、もうイアルの頑張りに賭けるしかなのだが……現状のティアラは、未だにジェラルドの噂されている人物像を鵜呑みにしている。
 そんな状況下で今イアルに婚約を申し込まれれば、案外あっさりとティアラは受け入れてしまうのではないかと、クレアは考えている。

 これでは、やや妹を騙し討ちするような形になってしまう気もするが……。
 あの自分の好きな物に対して、強い執着を見せるティアラに彼女の理想の固まりの様なジェラルドを会わせる事の方が、怖い……。
 もし会わせてしまったら、ジェラルドの都合もお構いなしに猛アタックするティアラの姿しか、思い浮かばないのだ。
 その相手が、こちらより身分が下か同じならまだ左程問題視されないが……ジェラルドは公爵である。
 確実に不敬行為に該当する振る舞いをあの妹ならやりかねない。

 その事を考えると、また片頭痛か起こりそうになり、クレアを思わず眉間の間を指で摘まんで、ぎゅっと瞳を閉じた。


 そんな会話を父とやり取りしていた午前中のクレアだが……午後からは、昨日に引き続き、公爵閣下の接待が待っていた。
 そしてつい15分程前から、その役割がもう始まっている。
 クレアの目の前には、この二日間で回ったハーブ園の視察内容を纏めた書類をテーブルの上に並べているジェラルドがいる。

 そんなやや伏し目がちで書類を並べているジェラルドの顔立ちは、男性とは思えない程、整い過ぎている事がこの角度からだと、よく分かる。
 これは絶対にティアラの目に入れてはならない人物だと改めて実感したクレアは、また片頭痛が再発してしまい、右手の親指と人差し指で眉間の間を摘まんだ。
 その様子に気付いたジェラルドが、心配そうな表情を向けてくる。

「クレア? もしや体調が優れないのか?」
「いえ。その、いつもの片頭痛が少し……」
「それはいけない! 少し横になった方が……」
「いえ。いつもの事なので放っておけばその内、治まります」
「しかし……」
「むしろ会話をしている方が気が紛れますので、どうぞお気になさらないでくださいませ」

 そう言われたジェラルドだが……まだ心配そうな表情を浮かべている。
 すると、急に後ろに控えている護衛のコリウスに声を掛けた。

「コリウス、馬車の中に昨日マウロ農園の視察時にサンプルとして貰ったジャーマン・カモミールがある。それを持ってきてくれないか?」
「かしこまりました。もしよろしければこちらの厨房へ頼み、ハーブティーとしてお出しするよう手配してまいりますが……」
「ああ。頼む。是非そうしてくれ」

 二人のやりとりにクレアが目をパチクリさせていると、ジェラルドがふわりと微笑む。

「リーネル農園でボリジから最近あなたは片頭痛が酷く、ローズマリーの精油を愛用していると聞いた。確かカモミールにはリラックス効果があると、昨日マウロ農園で説明を受けたので、今日の話し合いの際にでも試飲も兼ねて出して貰おうと思い持って来たのだが……。どうやら今、役に立ちそうだな?」
「お、恐れ入ります! 閣下からその様なお気遣いを……」
「昨日今日と私に付き合わせてしまっているからな。貰い物だが……これぐらいの気遣いは是非させて貰いたい」
「お心遣い、大変痛み入ります」

 そう答えたクレアだが……噂とあまりにも違うジェラルドの人物像に一昨日から、驚かされてばかりいる。
 少年期は容姿の所為で、やや人間不信気味で暗い雰囲気と言われ、臣籍に下ってからは、不正に厳しい冷徹な人物と言われているジェラルド。
 しかし実際は、公爵でありながら話しやすい雰囲気であり、中堅の伯爵令嬢であるクレアに対して、かなり気遣ってくれる紳士的な印象が強い。
 そもそも今のジェラルドからは、人間不信な印象は微塵も感じられない。
 何故、こんなにも素敵な貴公子を世間は見逃していたのだろうか……。
 その事が、クレアには不思議で仕方なかった。

 そんな事を考えていた所為か、ジェラルドの話を上の空で聴いていたクレア。

「それでこの農園の件なのだが……クレア?」

 ジェラルドに怪訝そうな声で呼びかけれ、慌てて我に返る。

「も、申し訳ございません! その、どの部分の……」

 慌てて提示された資料を確認するクレアにジェラルドが苦笑する。

「どうやら今日のあなたは大変お疲れの様だ。私も初日からバタバタしていたので、少しゆっくりしたい。話し合いは明日にして、今日は共にゆっくり過ごした方が良さそうだな」
「で、ですが! 折角お越し頂いたのに……」
「資料は渡しておくので、今日中に体調が回復したら、目を通して貰えばいい。そして気になった部分があれば、明日意見を聞かせてくれ」

 そういってジェラルドが軽く伸びをすると同時に扉がノックされる。
 するとコリウスと一緒にマリンダが、カモミールティーを運んできてくれた。
 マリンダがカップに注がれたカモミールティーと一緒にはちみつの入った容器をテーブルに置くと、ジェラルドが不思議そうな顔をする。

「これには一体何が……」
「はちみつが入っております。ハーブティーは、わりと癖があるので。カモミールティーの場合、はちみつを入れる事で飲みやすくなりますよ?」
「だが……かなり甘くはならないだろうか……」

 少し困った表情を浮かべているジェラルドから、あまり甘い物が得意でない事を悟ったクレアが、思わず苦笑する。

「お砂糖のようなはっきりした甘さではなく、自然な甘さなので余程入れすぎなければ大丈夫かと。ご心配でしたら、初めは入れずにお飲みになってみてはいかがでしょうか?」
「そうだな……」

 しかしカモミールティーを一口含んだジェラルドは、何とも言えない表情を浮かべた。どうやら口に合わなかったらしい。
 その表情に再びクレアが苦笑しながら、ソーサーごとジェラルドのティーカップを自分の方へと引き寄せ、はちみつを注ぐ。

「ク、クレア! 入れすぎではないのか……?」
「このぐらい入れませんと、恐らく閣下のお口には合わないかと」

 そう言いながらスプーンでかき混ぜた後、ジェラルドの前に差し出す。

「どうぞ。閣下」
「あ、ああ。戴こう……」

 そう言っておっかなびっくり再びカモミールティーを口に含んだジェラルドの動きが止まった。

「これは……また随分と飲みやすくなるのだな……」
「はい。他にもレモンの薄切りを浮かべたり、ミルクティーにしても飲みやすくなりますよ?」
「いや、ミルクティーは……」

 余程甘い物が苦手なのか、引きつった笑みを浮かべているジェラルドに思わず笑いがこぼれそうなったクレアが、慌てて口元を手で隠す。
 すると、それに気付いたジェラルドが、今までで見た中で一番優しそうな笑みを浮かべた。

「どうやら頭痛は、少し治まったようだな?」

 そう言われ、いつの間にか消えていた頭痛の存在にクレアがやっと気付く。

「ええ。閣下のお陰でございます」
「私は何もしていないが……もしやカモミールティーの事を言っているのか?」
「もちろん、その事も含めてでございます」

 クレアの言葉に不可解な表情を浮かべたジェラルドに自然と笑みがこぼれる。
 不思議な事にクレアにとっては、この冷徹と噂される公爵閣下と話す事は、とても心地良い時間になるらしい。
 それは同じ男性である婚約者だったイアルと過ごしていた時とは、また違う感じでだ。イアルと過ごしていた時間はお互いが過剰に気遣い気味になり、無理矢理優しい空気を作っていたという感じだったのだ。

 しかしジェラルドと過ごす場合は、不思議とクレアは自然体でいられる。それは初めの緊張との闘いを覚悟していた頃が、まるで嘘だったかのように……。
 同時にたった二日間共に過ごしただけで、ここまでクレアの緊張をほぐしてしまったジェラルドは、本来は社交性が高いのかもしれない。
 そんな事を考えながら、クレアもカモミールティーを口に含む。
 するとジェラルドが、ふと思い出したように話しかけてきた。

「そういえば……あなたのそのアメジストの様な紫の瞳はお父上譲りの様だが、やはり妹君も同じ色をされているのか?」
「ティアラでございますか? いえ、妹は母譲りの淡いライトグリーンの瞳をしておりますが……」
「そうか……」
「あの、それが何か?」
「いや? ただの興味本位だ。どうやらあなた方ご姉妹は、ご両親のそれぞれの特徴を個々に受け継がれたようなので。特に性格部分は大分真逆なタイプのようなので、外見では似通った部分があるのかと思っただけなのだが」

 そう返されたクレアは、一瞬ヒヤリとしてしまう。
 もしかしたらジェラルド自身は、ティアラに少し興味があるのではないかと。

「閣下……。その、もしやわたくしの妹と面会をご希望でございますか?」

 クレアが恐る恐る確認すると、一瞬ジェラルドが目を丸くする。
 そしてすぐに吹き出してしまった。

「あなたは私が妹君と面会をした方が良いとのお考えかな?」
「いえ、その、もし閣下がご希望されるのであれば……」
「それはあなたの判断に任せる。どうやらあなたの妹君は、とてもユニークな性格をされているようなので」

 含みのあるいい笑顔で返され、クレアがやや引きつった笑顔を浮かべる。
 ジェラルドにティアラを会わす事は、何としても回避しなければならない。
 もちろん、ジェラルドの心の平穏の為に……。

 そう思った途端、折角治まっていた頭痛がまたぶり返してきそうになり、クレアはゆっくりとジェラルドが持参したカモミールティーを味わった。
 カモミールの優しい香りが、クレアの不安を少しだけ和らげてくれる。
 そしてこの日は二人で雑談をし、ゆっくり時間を過ごす事で終わってしまった。
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