小さな殿下と私

もも野はち助(旧ハチ助)

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14歳の殿下と私②

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「息子が連れてきた恋人が気に入らない母親の気分……」

 どんよりとしながら呟くセレティーナに親友であるブローディアが呆れる。その彼女の腕には生後4か月の可愛らしい女の子が抱かれていた。
 セレティーナが手紙を出してから三日後、ブローディアは親友の事が心配になり、生まれて間もない娘の顔を見せがてら、会いに来てくれたのだ。

 2年前に嫁いだブローディアは、嫁ぎ先の場所が王都から近い。その為、セレティーナに会おうと思えば簡単に城まで出向く事が出来るのだ。

「娘を見せるついでに顔を出したのだけれど……。セレナ、あなた相当迷走しているわね……」
「迷走しているのはわたくしではなく、殿下の方だと思うのだけれど……」

 するとブローディアが盛大なため息をついた。

「ねぇ、セレナ。あなた、自分が根本的な部分でおかしな行動をしている事に気付いていないのかしら?」
「根本的な部分?」
「あなたはユリオプス殿下の婚約者なのでしょう? それが何故、別の女性との恋の相談などに乗っているのよ! そこは普通怒るところではなくて!?」

 そのブローディアの意見にキョトンとした表情をするセレティーナ。

「でも……折角、殿下が恋をなさったのに……」
「あなたねっ!! いつまでユリオプス殿下の保護者気分でいるつもりなの!?」

 思わず大声でツッコんでしまったブローディアの声で、腕に抱いていた愛らしい娘が驚き、ぐずり出す。

「ああ! ごめんね? びっくりさせちゃったわね? はいはい、よしよし」

 今にも泣き出しそうな愛娘をあやすブローディアは、もうすっかり母親の顔だ。
 三年前に抱いたセレティーナの心配は取り越し苦労だった様で、挙式後のブローディアは10歳年上の夫と上手くやっており、今では仲睦まじい夫婦である。

「やはり小さい子は可愛いわねぇ~。お名前はプリレアちゃんだっけ?」
「ええ。そうよ。セレナも抱いてみる?」

 子供好きで目を輝かせているセレティーナにブローディアが愛娘を託す。
 小さくて柔らかいプリレアは、セレティーナに抱かれると笑顔になった。

「ああ! 温かくて柔らかくてミルクの匂いがする! エミリーナが生まれたばかりの頃を思い出すわ!」

 エミリーナは昔、ユリオプスとセレティーナの取り合いをしていた末の妹だ。
 ちなみに二人は、今でも犬猿の仲である……。
 自分の愛娘を嬉しそうに抱くセレティーナにブローディアは不憫な目を向けた。

「本来ならばセレナもわたくしと同じように母になっていてもおかしくはない年齢なのだけれど……」

 そのブローディアの呟きにセレティーナが、やや困った様な笑みを浮かべる。
 昔から小さい子供が好きなセレティーナだが自身の子供を儲けるのは、かなり先になりそうだ。
 少なくとも6歳年下のユリオプスの婚約者でいる限り、それは当分訪れる事はない。

「それで……セレナから見て、その男爵令嬢はどういう女性だと感じたの?」
「こんな事は言いたくはないのだけれど……。王族の一員になられる資質は、あまりお持ちではないご令嬢なの……。同情を誘う様な身の上話ばかりなさるし、嫌がらせをされたというご令嬢達の事をかなり過剰に殿下に訴えていたし、何よりも……淑女としての振舞いが全く身に付いていらっしゃらないの……」

 するとブローディアが再び盛大なため息をつく。

「その嫌がらせというのも微妙ね。本当はその令嬢にあるまじき振る舞いを注意されただけなのにそれを勝手に嫌がらせと感じていただけではなくて?」
「確かにその可能性はあるかもしれないわ……」

 そう答えたセレティーナだが、その辺りの事はあまり気にしてはいない。
 仮に常識的な振る舞いに欠けているというのであれば、今後の王妃教育などで改善させれば済む事だ。だがそれ以外にリナリスを受け入れられない理由がセレティーナにはある。

「セレナ? もしかして他にもリナリス嬢で気になる事があるの?」
「気になると言うか……何というか……」
「もう! この際だからハッキリ言ってちょうだい!」

 モゴモゴしているセレティーナにブローディアが、やや苛立つ。
 するとセレティーナは、後ろめたそうな表情を浮かべながら呟く。

「あの方のユリス殿下への接し方がもの凄く嫌なの……。このような事をわたくしが言うのも変なのだけれど……。あの方が殿下に触れれば触れる程、殿下が穢されていく様な気がしてしまって……」
「まぁ! 殿方にそんな破廉恥な接し方をなさるご令嬢なの!?」
「ち、違うの! そういう接し方ではないのだけれど……。何というか、殿下に必要以上に触れ過ぎるというか……わざとらしいというか……」
「必要以上に殿方にスキンシップを図るなんて、やはり破廉恥だわ!」
「でもそれはわたくしの偏見かも……。もしかしたら心細さから、つい殿下を頼ってしまって触れているだけかもしれないし……」

 この後に及んで、まだユリオプスの想い人を庇うような言動をするセレティーナにブローディアが、盛大に呆れる。

「セレナ……。はっきり言わせて貰うけれど、早めにそのご令嬢からユリオプス殿下を引き離した方がいいと思うわ? どうやらそのご令嬢、成り上がりを狙っているとしか思えないもの。何か間違いがあってからでは遅いのよ!?」
「でも……」
「いいの? あなたが大切に見守って来た王太子様が不幸になっても」

 そのブローディアの言葉にセレティーナがビクリとする。
 それを感じたのか、腕の中のプリレアもぐずり出した。

「ご、ごめんなさい! わたくしの不安な気持ちが伝わってしまったのかも」
「そう思えるのなら、どうしたらいいか分かっているわね? 世間慣れをなされていないユリオプス殿下をお守りする事が出来るのは今、婚約者であるあなただけなのよ? しっかりなさい!」

 そう言ってブローディアは、セレティーナから自分の愛娘を回収する。
 そのブローディアの言葉にセレティーナは心を鬼にして、近々ユリオプスにリナリスへの想いを諦めるよう説得しようと決めた。


 しかしセレティーナは、その決意した事を実行出来なくなる。
 お茶会から一週間後、自室で一人お茶をしていたセレティーナのもとに珍しく怒りの表情を露わにしたユリオプスが、駆け込んできたのだ。
 ユリオプスが部屋に入ってきたと同時にセレティーナも慌てて、席を立つ。

「セレ! どういう事だい!? 君はリナリスに一体何をしたんだ!?」

 ユリオプスの問いにセレティーナがポカンとする。
 何故ならセレティーナはあのお茶会以来、リナリスとは会っていないのだ。

「あの……殿下、一体何の事をおっしゃって……」
「君がリナリスの事を良く思っていない事は知っていた! だからと言って、何故周りの人間に彼女が僕にふさわしくないと必要以上に吹聴したんだ!」

 その言い分にセレティーナは、驚きのあまり目を大きく見開いた。

「あ、あの、その様な事をした覚えは一切ないのですが……」
「だがここ最近のリナリスは君を慕っているご令嬢達から、かなりの嫌がらせを受けたと言っているんだ!」
「そ、そんな! わたくしは何も……」

 すると、ユリオプスが気を落ち着かせる様に大きく息を吸い込む。

「セレ……。四日前にブローディアが君に会いに来ていたよね?」
「ええ……。来ておりましたが、それが何か……」
「その際、リナリスの事を何か話さなかったかい?」

 ユリオプスのその問いにセレティーナの瞳が揺れ動く。
 その小さな動揺をユリオプスは、見逃さなかった。

「やはり何か話したんだね……」
「お、お待ちください! 確かにブローディアにはリナリス様の事を相談致しましたが、けしてリナリス様を貶す様な事など……」
「でもリナリスの事を僕の相手には相応しくないと言ったんだよね?」
「そ、それは……」

 それは確かに言ってしまっていたので、後ろめたさからセレティーナが俯く。

「セレ、君は何となくそれをブローディアに言っただけかもしれないけれど、それを聞いた人間が、吹聴するとは思わなかったの?」
「で、ですが! あの部屋にはわたくしとブローディア以外は……」
「でも君らにお茶を出した侍女達がいたはずだ」
「まさか……わたくし付きの侍女がそのような行動をするとでも!?」
「その侍女もそこまで噂が広まるとは、思ってはいなかったのだろう……。君がブローディアに相談したようにその侍女も軽い気持ちで、侍女仲間に話してしまったのかもしれない……」
「そんな! わたくし付きの侍女にそのような口の軽い者などおりません!」

 そう必死で訴えるセレティーナだが、ユリオプスの視線は冷たい。

「城内の者は皆、君の味方だ。君がリナリスを攻撃する気がなくても君が良く思っていない事が知れ渡れば、城内の者達は彼女にいい印象は抱かない……。君程の優秀な人がその事に気付かなかったのかい?」

 ユリオプスは、ここ数年極稀にする様になった意地の悪い笑みを浮かべた。

「も、申し訳ございません……」
「それにね、この間のお茶会での君の態度をリナリスが、かなり気にしているんだ……。君はあの時、フリージア嬢ばかりに話題を振って、リナリスをのけ者にするような会話の振り方をしていたって。それは本当なの……?」

 その言い分にセレティーナの顔が真っ青になる。
 あの時、話題を振るも何もリナリスが一人でしゃべり尽くす独壇場と化していたので、セレティーナがそんな嫌がらせをする機会等なかったのだ。
 そもそもその状況だった事は、一緒にいたユリオプスも知っているはず……。
 それなのにユリオプスは、リナリスの話を信じ込んでいたのだ。

「セレ、君は昔から誰に対しても優しい人だったね……。でもまさかリナリスにそんな事をしていたなんて……失望したよ……」

 そう告げてユリオプスは、悲しそうな顔をして部屋を出て行こうとする。

「殿下! お待ちください! わたくしは本当にそのような事は……!!」
「セレ……。僕の婚約者にふさわしくないのは、本当にリナリスなのかな? 幼かった僕は姉の様な君が好き過ぎて、君を婚約者にしておく事に執着してしまっていたけれど……。10年近く経った今、考え直さないといけないみたいだ」
「殿下……」
「すまないけれど……今日一日よく考えさせてもらうよ?」

 その言葉にセレティーナは凍り付いて動けなくなってしまう。
 そんなセレティーナを一瞥し、ユリオプスは部屋を出て行った。

「どうして……こんな事に……」

 あまりの事の展開にセレティーナは、その場にへたり込んでしまった。
 今の話からすると、リナリスが相当話を盛ってユリオプスにセレティーナから嫌がらせを受けていると訴えたらしい……。それに関しては、ブローディアが警戒する様に忠告してくれていたので左程、驚きはしなかった。それよりもショックなのが、ユリオプスの態度だ……。

 幼少期からずっと親愛の情しか向けられた事がなかったセレティーナにとって、先程のユリオプスの視線は、まるで剣で心臓を突かれる様に突き刺さった。
 それは10年間、ずっと見守り続けてきた想いが、崩れ去る瞬間だった……。

 もう昔の様にユリオプスは天使の様な笑みをセレティーナには、二度と向けてくれないと思うと、とてつもない絶望感が襲ってくる。その絶望感は、ユリオプスから信じて貰えなかった事から湧き起こったのか、それともリナリスの計画にあっさり落ちてしまったユリオプスを自分が守れなかった事でなのか、セレティーナにはよく分からない……。
 だが、深い喪失感がセレティーナの心の中を一瞬で染め上げて行く。

 恐らく明日辺りにセレティーナとの婚約破棄の話をユリオプスは打診してくる。
 そうなれば宰相である父の立場が苦しくなる事を考えたセレティーナは、今日中に自分から申し出た方がいいのではと考えた。

 遠からず来るべき事だったユリオプスとの婚約解消……。
 それをしっかりと認識しているつもりだったセレティーナだが、実際に訪れてしまうと自分でも気づかないくらいユリオプスに注いでいた愛情の大きさが、浮き彫りになってくる。

 セレティーナにとってユリオプスは、ただ愛らしい存在というだけではなかった。全力で愛情を注ぎ、大事に大事に守り続けたいという大きな存在だった。
 その愛情が母性かと言われれば、それは少し違う。
 かと言って異性に抱くような恋愛的な愛情なのかと言えば、それも違う。
 セレティーナがユリオプスに抱いていた愛情は、そういう枠には収まり切らないのだ。
 もっと広範囲の括りで、ただひたすらに愛おしい存在という愛情なのだろう。

 しかしそのユリオプスは、もうセレティーナに守られる必要が無いほど、大きく成長してしまった。それどころか自身の大切な人をセレティーナから、守ろうとしている。
 ユリオプスが自分の手から離れてしまった事が悲しいのか、自分がユリオプスに大切な人を傷付ける脅威的存在と見なされてしまった事が悲しいのか、あるいはその両方なのかは分からないが……。
 深い悲しみに襲われたセレティーナの瞳からは、止め処もなく涙が溢れる。

 早くユリオプスのもとへ行き、早々に婚約解消の話を自分から言い出さなくてはならないのに……セレティーナの瞳からは湧き水の様に涙が溢れて止まらない。

 結局、セレティーナの瞳からは涙が引いたのは、それから30分後だった。
 やっと引いた涙で瞳が腫れあがる前に急いでユリオプスのもとへと向かおうと考えたセレティーナ。ユリオプスの方も30分も経てば、先程よりも少し冷静になっているはずだ。
 さっと鏡で泣きはらした顔が目立たなくなっている事を確認すると、セレティーナは急いで部屋を出る。

 しかしユリオプスの部屋の前まで来ると、何やら楽しげな男女の声が聞こえてきたので、セレティーナはサッと身を隠し、その二人の様子をうかがう。
 するとユリオプスの部屋の前でユリオプスとリナリスが、はしゃいでいた。
 そして信じられない事に二人は、そのままユリオプスの部屋へと入って行ったのだ。

 その光景を目撃してしまったセレティーナは、再び愕然とする。
 ユリオプスは今まで自室には、家族と侍女とセレティーナ以外の女性を招き入れた事などなかった。それは幼少期からずっとで、その際にユリオプスは……。

「僕が自分から部屋に招き入れる女性は、一番大切な人だけなんだ。だからセレは特別だよ?」

 と、何とも愛くるしい事を言っていた時期がある。
 しかし今さっき目の前で、ユリオプスはリナリスを笑顔で自室に招き入れた。
 セレティーナでさえ、ここ二年程、招き入れて貰っていない自室に……。
 あまりにも受け入れ難いその状況にセレティーナは、茫然としながらフラフラと、その場を離れ始める。

 そして気が付いた時には、宰相である父の執務室の前に佇んでいた……。
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