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【我が家の元愛犬】
69.我が家の元愛犬は過去を語る
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暗殺者であった侍従の青年に対するアルスの考察を聞いたフィリアナ達が驚き、一瞬だけ言葉を失う。
すると、その沈黙を破るようにロアルドが、恐る恐る口を開いた。
「アルス……お前もしかして、ずっとその事に気付いていたのか……?」
「いや。つい最近までの俺は事切れる寸前にルインに言われた言葉を鵜呑みにしていた。だから、ずっとルインは俺の事を殺したくて仕方なかったと思っていた……」
そう口にしたアルスがあまりにも悲痛そうだった為、少しでもその心の痛みを和らげようと、フィリアナがそっと手を繋ぎ始める。そんな風に自身を心配してくれているフィリアナの労いを受け取るようにアルスは、その手を強く握り返した。
「フィーは、本当に俺に甘いな……。もう大丈夫だと言っただろう? だが、当時の俺がこの言葉をルインから告げられた時は、ショックで誰も信じられなくなっていたのは事実だ。まぁ、その時は犬の姿だったから誰も気付いてはいなかったと思うが……」
そう言って自嘲気味に苦笑するアルスだが……。
少なくともフィリアナ達の父であるフィリックスは、そんなアルスの状態に気が付いていた事を二人は知っている。だからこそ、当時ラテール邸にアルスが来たばかりの頃、フィリックスは二人に『アルスとたくさん遊んで、楽しい事を教えてあげて欲しい』と言っていたのだろう。
同時に打たれ強いメンタルを持つアルスが、それほどまでに傷ついたという事だ。それだけルインという青年は、当時のアルスにとってかけがえのない存在だったのだろう。
そんな慕っていた青年に7歳の少年が、いきなり呪術で子犬の姿にされ、あのような言葉を告げられながら目の前で自害などされれば、相当なトラウマになる。
その証拠にアルスはこの7年間、ルインが事切れる寸前に残した言葉にずっと囚われ続けていた。
だが、今はその言葉の本当の意味が分かっている様子だ。
その事も含め、当時自分がルインから呪術を受けた状況をアルスが語り出す。
「ルインは、俺が3歳の頃に当時副料理長だった男の紹介で雇った侍従だった。その副料理長は、昔仕えていた子爵から、息子が王族付きの侍従として働きたがっているという相談を手紙でされたそうだ。そこで当時誰もやり手がいなかった俺の側使いとしてルインを雇ったんだ。一応、身元も子爵令息と言う事でしっかりしていたし、その紹介元の副料理長の事も勤続年数が長かった為、俺達王家は信頼していた。後は俺とルインの相性などを父上と母上も交えて査定し、最終的にルインは俺の侍従として採用されたんだ」
そのアルスの説明にロアルドが怪訝そうに片眉をあげる。
「ちょっと待て。国王夫妻を交えてまで採用を検討したのに……誰もそいつが刺客だと見抜けなかったのか? そもそもその子爵家は本当に存在していたのか?」
「ああ。子爵家自体はちゃんと存在していた。しかも息子が三人もいたそうだ。だが、ルインが俺のもとへ来た時には、本来の子爵家の人間は、誰一人残っていなかったと思う……」
「残っていなかった?」
アルスのその訳の分からない言い回しにロアルドが更に怪訝そうな表情を深める。
「その子爵家自体が乗っ取られていたんだ。ルインが所属していた暗殺組織に……。その子爵家は、当主が非常に真面目な性格で人柄も良かったのだが……。そこに付け込まれて、やり手の貴族達にいい様に利用されていたらしい。その所為で、領地運営が逼迫していた部分をその組織に目を付けられ、夜逃げの手引きをしてもらう代償として子爵家を奴らに丸々受け渡したようだ。その時には既に使用人は全員解雇されていたので、奴らは子爵家一家だけでなく使用人達にも人間になり代わり、ルインをその子爵家の息子の一人という設定で城に送り込んできたんだ……」
そのアルスの話にロアルドが更に顔を顰め、呆れた様子を見せる。
「そんな事が出来るのか……? いくら何でもその子爵家と交流があった人間には、別人が成りすましていると、すぐに気付かれたんじゃないか?」
「暗殺を生業としている連中だぞ? 気配を消す事はもちろん、他人に成りすますなどお家芸だろう?」
「なる、ほど……」
「ただ、その子爵家一家は結局、奴らに消されてしまったようだが……」
「だろうな……。生かしておけば、そこから嘘の綻びが生じるし……」
そう語ったアルスは眉間に深く皺を刻む。
自分のもとへ刺客を確実に送りこむ為、その暗殺集団は何の関係もない子爵家一家を皆殺しにしたのだ……。その状況にアルスが罪悪感を抱いてしまうのも当然である。
だが、ここで不可解なのが何故逼迫していた子爵領は、その後4年間も存在し続けられたかという部分だ。その事をロアルドがつっこむとアルスが呆れながら、その辺りの事も語り出す。
「子爵領に関しては、ルインが俺のところに来る少し前に貧困な状態は改善されていたそうだ。そこから4年間もその状態を維持出来たという事は……今回の黒幕は、子爵領程度の傾きなら簡単に建て直す事が出来る財力と、領地管理能力を持っているという事だな」
「それは……なかなか複雑な気持ちになるな……」
「まぁ、ルインの件で子爵邸に押し入った時には、すでに邸はもぬけの殻になっていたので、その組織の尻尾は掴めなかったんだが……。その子爵領も一度王家預かりになった後、現在はその一帯を治めている伯爵家が管理してくれているそうだ」
そのアルスの話にロアルドが更に今回の黒幕の人間性部分の考察を深める。
「ある意味……領民にとっては、その4年間は路頭に迷わずに済んだって事か……。そうなると、今回の黒幕は、ただ権力を欲しているというだけではなく、身分が低い立場の人間の事も考えられる人間性も持っているという事か?」
「ますますラッセルが怪しいな……」
ロアルドの考察でアルスの中での宰相犯人説が濃くなる。
すると、いつの間にかジーナが室内のテーブルに三人分のお茶の用意をしてくれており、三人は促されるようにテーブル席に着いた。恐らくこの話が長くなると察し、配慮してくれたのだろう。
もちろん、アルスは早々にフィリアナの隣を陣取る。
そんなアルスの動きに苦笑しつつも、ロアルドは話の続きを再開する。
「そもそも何故ルインという奴は、4年間もアルスの侍従に徹していたんだ? 子爵家を乗っ取ってまで準備していた事を考えると、何としてでもアルスを仕留める為、かなり慎重に動いていたって事だよね?」
「いや……。父と兄の考えでは、ルインは俺の暗殺を敢えてギリギリまで引き延ばしていたのではないかと言っていた……」
そう口にしたアルスは、何故か悔しそうに口を結び、俯き始める。
「それは……ルインと言う奴がアルスに対して情が芽生えてしまい、殺せなくなったという事か?」
「兄上達はそう考えたそうだが……実際は分からない。だが確かにあの4年間には、殺そうと思えばいつでも殺せる機会が多々あった。今思い返すと、さっさと俺を殺さないルインに組織側が業を煮やし、別の刺客を差し向けていた可能性もある。あの時だって……」
「あの時?」
ロアルドの問いに一瞬だけアルスが動きを止めるが、すぐに何かを決意したように口を開く。
「俺が犬になる呪いを掛けられた時だ……」
アルスの返答に今度はロアルドの方が動きを止める。
アルスが犬の姿になる呪いを掛けられた時というのは、ルインと言う青年が自ら命を絶った時でもある。
「アルス、話したくなければ放さなくてもいいが……。その時、一体どういう状況だったんだ?」
すると、アルスが一度小さく息を吐いた後、語り始める。
「俺が犬の姿にされたのは7歳の頃で……ラテール邸に連れていかれる二週間前だった。その日、俺は王子教育が嫌で、護衛のシークとフィリックスを振り切って部屋を抜け出し、ルインと一緒に城下町に行こうとしていたんだ。その際、たまたま城内で兄上に出くわして、面白がった兄上も一緒に付いてきてくれたんだ」
かなり深刻な話を聞かされると身構えていたロアルドが、その話の流れに盛大に呆れる。
「お前……ただでさえ、自分が命を狙われている状態なのに城下町に繰り出すなんて……。しかもセルクレイス殿下まで巻き込んだのか!?」
「城下町にはよくこっそりと行っていたし、護衛も出来るルインもいた。兄上も何回か一緒に回った事があるから大丈夫だと思っていたんだ! それに……当時まだ7歳だった俺にそこまで危機感は持てなかった……」
「それで? 案の定、襲撃されたんだろう?」
「ああ……。だがその時は、いつもと違っていて襲撃者達は、何故か俺ではなく全員兄上だけを狙って来たんだ……。その予想外の相手の動きに俺は、咄嗟に兄上を庇おうと相手の前に躍り出てしまった」
その話にロアルドだけでなく、フィリアナも盛大に呆れ気味な表情をアルスに向ける。
「そんな幼い頃から、お前は自分の事を蔑ろにしていたのか?」
「そんなつもりはなかった! 条件反射だったんだ! だが、その時はルインが間に入って対処してくれたんだが……相手が手練れだった為、加減が出来ずに仕留めてしまったんだ。その瞬間、刺客の一人がルインに向って『貴様っ!』と叫んだ事でルインの顔つきが変わって……。自嘲気味な顔をしながら『ここまでか』と呟いた後、刺客を何人か始末した後、いきなり俺を羽交い絞めにして、顔面を鷲掴みにしながら変な呪文を唱え始めたんだ……」
どうやらその『変な呪文』というのが、アルスを犬の姿にする呪術だったようだ。だが、そのアルスの話を聞いていたフィリアナ達は一部理解出来ない部分があった為、三人とも眉を顰めて首を傾げる。
「待て。何故、その流れでルインとかいう奴は、急に正体を明かしたんだ? 4年間もアルスの信用を得る為に仕えて、今まで上手く隠せていたはずなのに……」
すると、今度はアルスのほうが不可解そうに片眉をあげる。
「何故って……。普通の侍従であれば、自身の主人が襲われていたら真っ先に庇い、撃退する行動を取るのが当たり前だろう? そんな当たり前の動きをしたルインに何故か刺客は激昂した。それはそいつの中でターゲットである俺を庇い、仲間を殺したルインの行動が有り得ないものに映ったから出た言葉だ。その状況から俺と兄上は、すぐにルインがそいつらの仲間だと察してしまったんだ……。同時にルインの方も自分の正体が俺達に気付かれてしまった事を察したのだと思う」
アルスの言い分に三人が唖然とする。
特にロアルドは、その驚異的なリートフラム王家兄弟の状況判断能力に一瞬、言葉を失っていた。
「まだ成人もしていない人生経験の浅い子供が、そんな緊迫した状況でそこまでの状況判断を普通に出来るものなのか……?」
「ロアの言う『普通』の基準が分からないが……俺達にとっては、これが『普通』だ」
「優秀過ぎて恐ろしいな……。王家の血筋って……」
「そうなのか? 父上や兄上、クリスもこんな感じだから俺にはよく分からないが……」
そう言って難しい顔をしたアルスだが、すぐに話の続きを再開する。
「そんな流れで俺達に正体を気付かれてしまったルインは、何故か俺に犬の姿になる呪いを掛け始めた。それと同時にフィリックスとシークが俺達の元へ駆けつけて来たので、生き残っていた襲撃者達は一瞬で引いたが、ルインは俺に呪いを掛ける事を中断しなかった。もちろん、俺も抵抗したし、すぐ近くにいた兄上も必死でルインの呪術を妨害しようとしてくれたが、人目を引いてしまう為、魔法では抵抗出来ず……かと言って力では俺達兄弟は歯が立たなかった……」
そこまで語ると、アルスは一度喉を潤させる為に用意されたお茶を一口だけ含んだ後、再び話の続きを語り始めた。
「しかも、ルインの呪術は俺達が使っている魔法とは違う類のものらしく、光属性魔法では打ち消せなかったんだ。そんなルインの特殊な呪術能力で、兄上と駆けつけたフィリックス達は動きを拘束されてしまい、その間に俺は子犬の姿にされて……」
「その時に言われたのか? 『もっと早く殺せば良かった』と……」
すると、アルスが無表情のまま、こくりと頷く。
「その際、俺を片手で抱きあげているルインを肩越しに見上げたら……今にも泣き出しそうな笑みを浮かべながら、そう言われた……。だが次の瞬間、呪術から解放されたフィリックスとシークが、ルインに飛び掛かって地面に押さえつけた。その直後、地面に突っ伏しているルインの口の端から血が流れだして……」
そこまで語ると、アルスは悔しそうに唇を噛みながら、俯いてしまう。
少し前までルインから受けた呪いは、自分を簡単に殺す為に掛けられたものだと思い込んでいたアルスだが、城内に暗殺の首謀者が潜伏していた事がここ最近で判明した。その事で、自害する直前に発したルインの言葉の意味が別の意味合いに変わったのだ。
ルインは城内で常に暗殺首謀者に監視されている中、何とか気付かれないようにアルスを安全な場所へと追いやろうとした苦肉の策で、あのような呪いをかけたのだろう。更にその呪いは闇属性魔法と違い、術者が命を落としても持続されるものだったらしい。アルスを安全な場所へ誘導させる為に掛けられたその呪いは、ルインが死んだ後も、アルスを守るように7年間も効果を発動させ続けた。
現状、そのルインが呪いを掛けた意図を理解してしまったアルスは、やるせない気持ちでいっぱいなはずだ。そう思ったフィリアナは、アルスとずっと手を繋いでいたその手に自身のもう片方の手も重ねる。すると、アルスが力ない笑みをフィリアナに返してきた。
そんなアルスの様子にフィリアナは、何事にもあまり動じないアルスが、以前犬にされた時の話を少ししてくれた際、珍しく身構えているような様子だった事を思い出す。
そして、その原因が何なのか気付いてしまったフィリアナは、その時と同じように何かを警戒しているアルスに柔らかな口調である事を優しく尋ね始める。
「ねぇ、アルス。ルインさんという人は、どういう人だったの?」
いきなりそんな質問をしてきたフィリアナに対して、驚くようにアルスが目を見開いた。
すると、その沈黙を破るようにロアルドが、恐る恐る口を開いた。
「アルス……お前もしかして、ずっとその事に気付いていたのか……?」
「いや。つい最近までの俺は事切れる寸前にルインに言われた言葉を鵜呑みにしていた。だから、ずっとルインは俺の事を殺したくて仕方なかったと思っていた……」
そう口にしたアルスがあまりにも悲痛そうだった為、少しでもその心の痛みを和らげようと、フィリアナがそっと手を繋ぎ始める。そんな風に自身を心配してくれているフィリアナの労いを受け取るようにアルスは、その手を強く握り返した。
「フィーは、本当に俺に甘いな……。もう大丈夫だと言っただろう? だが、当時の俺がこの言葉をルインから告げられた時は、ショックで誰も信じられなくなっていたのは事実だ。まぁ、その時は犬の姿だったから誰も気付いてはいなかったと思うが……」
そう言って自嘲気味に苦笑するアルスだが……。
少なくともフィリアナ達の父であるフィリックスは、そんなアルスの状態に気が付いていた事を二人は知っている。だからこそ、当時ラテール邸にアルスが来たばかりの頃、フィリックスは二人に『アルスとたくさん遊んで、楽しい事を教えてあげて欲しい』と言っていたのだろう。
同時に打たれ強いメンタルを持つアルスが、それほどまでに傷ついたという事だ。それだけルインという青年は、当時のアルスにとってかけがえのない存在だったのだろう。
そんな慕っていた青年に7歳の少年が、いきなり呪術で子犬の姿にされ、あのような言葉を告げられながら目の前で自害などされれば、相当なトラウマになる。
その証拠にアルスはこの7年間、ルインが事切れる寸前に残した言葉にずっと囚われ続けていた。
だが、今はその言葉の本当の意味が分かっている様子だ。
その事も含め、当時自分がルインから呪術を受けた状況をアルスが語り出す。
「ルインは、俺が3歳の頃に当時副料理長だった男の紹介で雇った侍従だった。その副料理長は、昔仕えていた子爵から、息子が王族付きの侍従として働きたがっているという相談を手紙でされたそうだ。そこで当時誰もやり手がいなかった俺の側使いとしてルインを雇ったんだ。一応、身元も子爵令息と言う事でしっかりしていたし、その紹介元の副料理長の事も勤続年数が長かった為、俺達王家は信頼していた。後は俺とルインの相性などを父上と母上も交えて査定し、最終的にルインは俺の侍従として採用されたんだ」
そのアルスの説明にロアルドが怪訝そうに片眉をあげる。
「ちょっと待て。国王夫妻を交えてまで採用を検討したのに……誰もそいつが刺客だと見抜けなかったのか? そもそもその子爵家は本当に存在していたのか?」
「ああ。子爵家自体はちゃんと存在していた。しかも息子が三人もいたそうだ。だが、ルインが俺のもとへ来た時には、本来の子爵家の人間は、誰一人残っていなかったと思う……」
「残っていなかった?」
アルスのその訳の分からない言い回しにロアルドが更に怪訝そうな表情を深める。
「その子爵家自体が乗っ取られていたんだ。ルインが所属していた暗殺組織に……。その子爵家は、当主が非常に真面目な性格で人柄も良かったのだが……。そこに付け込まれて、やり手の貴族達にいい様に利用されていたらしい。その所為で、領地運営が逼迫していた部分をその組織に目を付けられ、夜逃げの手引きをしてもらう代償として子爵家を奴らに丸々受け渡したようだ。その時には既に使用人は全員解雇されていたので、奴らは子爵家一家だけでなく使用人達にも人間になり代わり、ルインをその子爵家の息子の一人という設定で城に送り込んできたんだ……」
そのアルスの話にロアルドが更に顔を顰め、呆れた様子を見せる。
「そんな事が出来るのか……? いくら何でもその子爵家と交流があった人間には、別人が成りすましていると、すぐに気付かれたんじゃないか?」
「暗殺を生業としている連中だぞ? 気配を消す事はもちろん、他人に成りすますなどお家芸だろう?」
「なる、ほど……」
「ただ、その子爵家一家は結局、奴らに消されてしまったようだが……」
「だろうな……。生かしておけば、そこから嘘の綻びが生じるし……」
そう語ったアルスは眉間に深く皺を刻む。
自分のもとへ刺客を確実に送りこむ為、その暗殺集団は何の関係もない子爵家一家を皆殺しにしたのだ……。その状況にアルスが罪悪感を抱いてしまうのも当然である。
だが、ここで不可解なのが何故逼迫していた子爵領は、その後4年間も存在し続けられたかという部分だ。その事をロアルドがつっこむとアルスが呆れながら、その辺りの事も語り出す。
「子爵領に関しては、ルインが俺のところに来る少し前に貧困な状態は改善されていたそうだ。そこから4年間もその状態を維持出来たという事は……今回の黒幕は、子爵領程度の傾きなら簡単に建て直す事が出来る財力と、領地管理能力を持っているという事だな」
「それは……なかなか複雑な気持ちになるな……」
「まぁ、ルインの件で子爵邸に押し入った時には、すでに邸はもぬけの殻になっていたので、その組織の尻尾は掴めなかったんだが……。その子爵領も一度王家預かりになった後、現在はその一帯を治めている伯爵家が管理してくれているそうだ」
そのアルスの話にロアルドが更に今回の黒幕の人間性部分の考察を深める。
「ある意味……領民にとっては、その4年間は路頭に迷わずに済んだって事か……。そうなると、今回の黒幕は、ただ権力を欲しているというだけではなく、身分が低い立場の人間の事も考えられる人間性も持っているという事か?」
「ますますラッセルが怪しいな……」
ロアルドの考察でアルスの中での宰相犯人説が濃くなる。
すると、いつの間にかジーナが室内のテーブルに三人分のお茶の用意をしてくれており、三人は促されるようにテーブル席に着いた。恐らくこの話が長くなると察し、配慮してくれたのだろう。
もちろん、アルスは早々にフィリアナの隣を陣取る。
そんなアルスの動きに苦笑しつつも、ロアルドは話の続きを再開する。
「そもそも何故ルインという奴は、4年間もアルスの侍従に徹していたんだ? 子爵家を乗っ取ってまで準備していた事を考えると、何としてでもアルスを仕留める為、かなり慎重に動いていたって事だよね?」
「いや……。父と兄の考えでは、ルインは俺の暗殺を敢えてギリギリまで引き延ばしていたのではないかと言っていた……」
そう口にしたアルスは、何故か悔しそうに口を結び、俯き始める。
「それは……ルインと言う奴がアルスに対して情が芽生えてしまい、殺せなくなったという事か?」
「兄上達はそう考えたそうだが……実際は分からない。だが確かにあの4年間には、殺そうと思えばいつでも殺せる機会が多々あった。今思い返すと、さっさと俺を殺さないルインに組織側が業を煮やし、別の刺客を差し向けていた可能性もある。あの時だって……」
「あの時?」
ロアルドの問いに一瞬だけアルスが動きを止めるが、すぐに何かを決意したように口を開く。
「俺が犬になる呪いを掛けられた時だ……」
アルスの返答に今度はロアルドの方が動きを止める。
アルスが犬の姿になる呪いを掛けられた時というのは、ルインと言う青年が自ら命を絶った時でもある。
「アルス、話したくなければ放さなくてもいいが……。その時、一体どういう状況だったんだ?」
すると、アルスが一度小さく息を吐いた後、語り始める。
「俺が犬の姿にされたのは7歳の頃で……ラテール邸に連れていかれる二週間前だった。その日、俺は王子教育が嫌で、護衛のシークとフィリックスを振り切って部屋を抜け出し、ルインと一緒に城下町に行こうとしていたんだ。その際、たまたま城内で兄上に出くわして、面白がった兄上も一緒に付いてきてくれたんだ」
かなり深刻な話を聞かされると身構えていたロアルドが、その話の流れに盛大に呆れる。
「お前……ただでさえ、自分が命を狙われている状態なのに城下町に繰り出すなんて……。しかもセルクレイス殿下まで巻き込んだのか!?」
「城下町にはよくこっそりと行っていたし、護衛も出来るルインもいた。兄上も何回か一緒に回った事があるから大丈夫だと思っていたんだ! それに……当時まだ7歳だった俺にそこまで危機感は持てなかった……」
「それで? 案の定、襲撃されたんだろう?」
「ああ……。だがその時は、いつもと違っていて襲撃者達は、何故か俺ではなく全員兄上だけを狙って来たんだ……。その予想外の相手の動きに俺は、咄嗟に兄上を庇おうと相手の前に躍り出てしまった」
その話にロアルドだけでなく、フィリアナも盛大に呆れ気味な表情をアルスに向ける。
「そんな幼い頃から、お前は自分の事を蔑ろにしていたのか?」
「そんなつもりはなかった! 条件反射だったんだ! だが、その時はルインが間に入って対処してくれたんだが……相手が手練れだった為、加減が出来ずに仕留めてしまったんだ。その瞬間、刺客の一人がルインに向って『貴様っ!』と叫んだ事でルインの顔つきが変わって……。自嘲気味な顔をしながら『ここまでか』と呟いた後、刺客を何人か始末した後、いきなり俺を羽交い絞めにして、顔面を鷲掴みにしながら変な呪文を唱え始めたんだ……」
どうやらその『変な呪文』というのが、アルスを犬の姿にする呪術だったようだ。だが、そのアルスの話を聞いていたフィリアナ達は一部理解出来ない部分があった為、三人とも眉を顰めて首を傾げる。
「待て。何故、その流れでルインとかいう奴は、急に正体を明かしたんだ? 4年間もアルスの信用を得る為に仕えて、今まで上手く隠せていたはずなのに……」
すると、今度はアルスのほうが不可解そうに片眉をあげる。
「何故って……。普通の侍従であれば、自身の主人が襲われていたら真っ先に庇い、撃退する行動を取るのが当たり前だろう? そんな当たり前の動きをしたルインに何故か刺客は激昂した。それはそいつの中でターゲットである俺を庇い、仲間を殺したルインの行動が有り得ないものに映ったから出た言葉だ。その状況から俺と兄上は、すぐにルインがそいつらの仲間だと察してしまったんだ……。同時にルインの方も自分の正体が俺達に気付かれてしまった事を察したのだと思う」
アルスの言い分に三人が唖然とする。
特にロアルドは、その驚異的なリートフラム王家兄弟の状況判断能力に一瞬、言葉を失っていた。
「まだ成人もしていない人生経験の浅い子供が、そんな緊迫した状況でそこまでの状況判断を普通に出来るものなのか……?」
「ロアの言う『普通』の基準が分からないが……俺達にとっては、これが『普通』だ」
「優秀過ぎて恐ろしいな……。王家の血筋って……」
「そうなのか? 父上や兄上、クリスもこんな感じだから俺にはよく分からないが……」
そう言って難しい顔をしたアルスだが、すぐに話の続きを再開する。
「そんな流れで俺達に正体を気付かれてしまったルインは、何故か俺に犬の姿になる呪いを掛け始めた。それと同時にフィリックスとシークが俺達の元へ駆けつけて来たので、生き残っていた襲撃者達は一瞬で引いたが、ルインは俺に呪いを掛ける事を中断しなかった。もちろん、俺も抵抗したし、すぐ近くにいた兄上も必死でルインの呪術を妨害しようとしてくれたが、人目を引いてしまう為、魔法では抵抗出来ず……かと言って力では俺達兄弟は歯が立たなかった……」
そこまで語ると、アルスは一度喉を潤させる為に用意されたお茶を一口だけ含んだ後、再び話の続きを語り始めた。
「しかも、ルインの呪術は俺達が使っている魔法とは違う類のものらしく、光属性魔法では打ち消せなかったんだ。そんなルインの特殊な呪術能力で、兄上と駆けつけたフィリックス達は動きを拘束されてしまい、その間に俺は子犬の姿にされて……」
「その時に言われたのか? 『もっと早く殺せば良かった』と……」
すると、アルスが無表情のまま、こくりと頷く。
「その際、俺を片手で抱きあげているルインを肩越しに見上げたら……今にも泣き出しそうな笑みを浮かべながら、そう言われた……。だが次の瞬間、呪術から解放されたフィリックスとシークが、ルインに飛び掛かって地面に押さえつけた。その直後、地面に突っ伏しているルインの口の端から血が流れだして……」
そこまで語ると、アルスは悔しそうに唇を噛みながら、俯いてしまう。
少し前までルインから受けた呪いは、自分を簡単に殺す為に掛けられたものだと思い込んでいたアルスだが、城内に暗殺の首謀者が潜伏していた事がここ最近で判明した。その事で、自害する直前に発したルインの言葉の意味が別の意味合いに変わったのだ。
ルインは城内で常に暗殺首謀者に監視されている中、何とか気付かれないようにアルスを安全な場所へと追いやろうとした苦肉の策で、あのような呪いをかけたのだろう。更にその呪いは闇属性魔法と違い、術者が命を落としても持続されるものだったらしい。アルスを安全な場所へ誘導させる為に掛けられたその呪いは、ルインが死んだ後も、アルスを守るように7年間も効果を発動させ続けた。
現状、そのルインが呪いを掛けた意図を理解してしまったアルスは、やるせない気持ちでいっぱいなはずだ。そう思ったフィリアナは、アルスとずっと手を繋いでいたその手に自身のもう片方の手も重ねる。すると、アルスが力ない笑みをフィリアナに返してきた。
そんなアルスの様子にフィリアナは、何事にもあまり動じないアルスが、以前犬にされた時の話を少ししてくれた際、珍しく身構えているような様子だった事を思い出す。
そして、その原因が何なのか気付いてしまったフィリアナは、その時と同じように何かを警戒しているアルスに柔らかな口調である事を優しく尋ね始める。
「ねぇ、アルス。ルインさんという人は、どういう人だったの?」
いきなりそんな質問をしてきたフィリアナに対して、驚くようにアルスが目を見開いた。
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世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
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俺しか使えない『アイテムボックス』がバグってる
十本スイ
ファンタジー
俗にいう神様転生とやらを経験することになった主人公――札月沖長。ただしよくあるような最強でチートな能力をもらい、異世界ではしゃぐつもりなど到底なかった沖長は、丈夫な身体と便利なアイテムボックスだけを望んだ。しかしこの二つ、神がどういう解釈をしていたのか、特にアイテムボックスについてはバグっているのではと思うほどの能力を有していた。これはこれで便利に使えばいいかと思っていたが、どうも自分だけが転生者ではなく、一緒に同世界へ転生した者たちがいるようで……。しかもそいつらは自分が主人公で、沖長をイレギュラーだの踏み台だなどと言ってくる。これは異世界ではなく現代ファンタジーの世界に転生することになった男が、その世界の真実を知りながらもマイペースに生きる物語である。
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巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
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子爵家の長男ですが魔法適性が皆無だったので孤児院に預けられました。変化魔法があれば魔法適性なんて無くても無問題!
八神
ファンタジー
主人公『リデック・ゼルハイト』は子爵家の長男として産まれたが、検査によって『魔法適性が一切無い』と判明したため父親である当主の判断で孤児院に預けられた。
『魔法適性』とは読んで字のごとく魔法を扱う適性である。
魔力を持つ人間には差はあれど基本的にみんな生まれつき様々な属性の魔法適性が備わっている。
しかし例外というのはどの世界にも存在し、魔力を持つ人間の中にもごく稀に魔法適性が全くない状態で産まれてくる人も…
そんな主人公、リデックが5歳になったある日…ふと前世の記憶を思い出し、魔法適性に関係の無い変化魔法に目をつける。
しかしその魔法は『魔物に変身する』というもので人々からはあまり好意的に思われていない魔法だった。
…はたして主人公の運命やいかに…
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ペット(老猫)と異世界転生
童貞騎士
ファンタジー
老いた飼猫と暮らす独りの会社員が神の手違いで…なんて事はなく災害に巻き込まれてこの世を去る。そして天界で神様と会い、世知辛い神様事情を聞かされて、なんとなく飼猫と共に異世界転生。使命もなく、ノルマの無い異世界転生に平凡を望む彼はほのぼののんびりと異世界を飼猫と共に楽しんでいく。なお、ペットの猫が龍とタメ張れる程のバケモノになっていることは知らない模様。
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