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不眠症の王子様(後編)
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そしてそんな状態で今は30分以上経っている……。
正直、膝が痺れて来たし、腰に抱き付いているロインの体温で膝とお腹辺りに熱がこもって来て、やや汗ばんできた。
そして何よりも不味い状況なのが、もうそろそろ侍女達が出されたお茶を取り替える為、この部屋に入ってくるタイミングなのだ……。
もしこの状況を見られてしまえば、フィアレアだけでなく第二王子としてのロインの醜聞が広がってしまうかもしれない。
ならば早々にロインを起こせばいいだけの事なのだが……。
自分の腰に巻き付いて眠っているロインは、あまりにも穏やかな表情を浮かべているのだ。
恐らくやっとありつけた眠りなのだろう。
この状態でロインを起こす事は、かなり憚れる……。
しかし、この状態を誰かに見られてしまっては、いくら婚約者同士と言えども「はしたない!」と白い目で見られる事は確実だ。
その考えからフィアレアは、オロオロし出してしまう。
するとそれがロインにも伝わったのか、ロインが長い金の睫毛をゆっくりと上げて目を覚ましてしまった。
「あ、あの……ロイン様……」
「フィア……? 何で……」
寝ぼけているのか、まだ虚ろな瞳で膝上からフィアレアを見上げてきたロインは、何故か今まで一度も呼んだ事がないフィアレアの愛称を口にした。
その反応にフィアレアが大きく目を見開く。
同時にロインの瞳にもゆっくり光が戻って来たのだが……次の瞬間、ガバっと上半身を起こし、口を一文字にしながら真っ青な顔色でフィアレアを凝視する。
「あ、あの……」
「何も言うな!!」
フィアレアの言葉を遮るように叫んだロインは、そのまま左手で両目を覆い、肩をがっくり落して項垂れてしまった。
「すまない……。その、酷い寝不足で……。お前と面会した直後から、あまり記憶がない……」
絞り出す様にそう謝罪を告げてきたロインだが、己の行動が信じられないらしく、酷く後悔している様子だ。
なんせ5年ぶりに再会した揶揄うだけの対象だった婚約者に対し、酷い寝不足で虚ろ状態だったとはいえ、その膝の上で爆睡してしまっていたのだから……。
そんな後悔の深い底に沈んでしまっているロインの様子から、逆にフィアレアの方が申し訳ない気持ちになる。
ロインにしてみれば、頼りたくない相手に頼ってしまった様な状態だ。
恐らくこの状態はロインにとって、一生の不覚に該当するのだろう。
「あ、あの……。この件に関しては、一切口外しないとお約束致します」
「ああ……」
「で、ですので、そのように落胆なさらずとも……」
「ああ……」
「ええと……。そ、そういえば今回登城する際に不眠改善に良いと聞いた安眠を促すお品をいくつかお持ち致しまして……」
ショックからか、上の空な返事ばかりをするロインの激しい落胆ぶりにフィアレアの方も焦り出し、無理矢理話題を変えようと思って、予め用意していたロインへの贈り物を手渡そうとした。
しかし、そんなフィアレアにロインがポツリと一言こぼす。
「必要ない……」
「えっ……?」
「そんな物では俺の不眠は改善されない……」
「ですが……一度試されてみても」
「試さなくても分かる」
「で、ですが……」
「もう不眠改善の有効手段は分った……。だからそれらは必要ない」
有効手段が分ったと言うわりには、何故か絶望的な様子のロインにフィアレアが不思議そうな表情を向けてしまう。
しかしロインの方は、先程から左手で両目を覆い、前屈みになって項垂れたままの姿勢を貫いている。
「あの、ロインさ……」
あまりにも塞ぎ込んでいる状態のロインを心配してフィアレアは、再び声を掛けようとした。
しかし、前屈みで項垂れているロインをよく見ると、耳が真っ赤になっている。
その様子にますますフィアレアが困惑する。
余程、自分の膝の上で熟睡してしまった事への羞恥心が大きいのだろうかと。
ここまで気にしてしまうのであれば、早々に起こすべきだったと、フィアレアは後悔し出した。
すると、やっとその羞恥心から立ち直ったのか、ロインが両目を覆っていた左手で自身の顔を撫でおろしながら、前屈みになっていた上体を起こす。
「悪いが、面会はまた日を改めて貰ってもいいか……?」
「は、はい。構いません」
絶望的な表情を浮かべたまま、ロインが重苦しい口調でそう告げてきたので、慌ててフィアレアはその申し出を受ける。
するとロインがスッと立ち上がり、フィアレアに手を差し出した。
「馬車まで送る」
フィアレアがおっかなびっくりしながら、その差し出された手を取ろうかと戸惑っていると、逆にグイっと手を掴まれて、立ち上がる様に促された。
そのまま手を掴まれ、部屋の出口の方まで誘導させられる。
そしてロインが扉に手を掛け、部屋の外に出た瞬間。
「ロイン? もうフィアとの面会はいいのかい?」
聞き取りやすい穏やかな口調の声が、二人に掛かる。
ロインと同じ透き通るような金の髪をサラリと揺らし、首を傾げながら声を掛けてきたのは、この国の第一王子でもあるロインの兄クラインだった。
ロインと違い、淡い水色の瞳を持つこの第一王子は、穏やかで柔らかい雰囲気をいつもまとっている。フィアレアにとっては、弟の婚約者という事もあって、小さい頃から妹のように自分を可愛がってくれる兄のような存在だ。
「ええ。その……私の不眠による体調不良の為、面会は後日改めてお願いさせて頂きました……」
昔からフィアレアに対しては、かなり粗暴な口調で会話をするが、それ以外の人物にはしっかりと王族としての振る舞いをするロイン。
しかし、兄クラインへの返答をする際は、何故かやや悔しそうな表情を浮かべ、軽く俯く。
そんな弟の様子に兄は、スッと目を細めた。
その兄の反応にますますロインが気まずそうな表情を浮かべる。
「不眠で体調不良ねぇ……。そうそう、ロイン。その不眠なのだけれど、もう心配しなくてもいいと思うよ?」
「それは……どういう事でしょうか?」
「だって、ほら!」
怪訝そうな表情を浮かべて質問してきた弟に向って、兄は大変いい笑顔を浮かべながら、後ろ手に持っていたある物を両手で掴んで差し出して来た。
それは、少し毛羽立ったクマのぬいぐるみだった。
その瞬間、ロインは時が止まったようにビシリと固まり、絶句する……。
そしてロインの後ろにいたフィアレアは、そのぬいぐるみを見て大きく目を見開いた。
「ブラ……ウン?」
「そう! ブラウン! 5年前にロインの不眠を心配してフィアが贈ってくれた安眠を誘うクマのブラウン!」
「あ、兄上!!」
「どうしてクライン様がブラウンを……」
「何故、お前は今それを聞く!? お前には関係ないだろう!!」
珍しくアワアワし出した弟の様子に兄クラインは、ニコニコしながら上機嫌で語りだす。
「実は今回ロインが不眠症を再発したのは、このクマのブラウンが原因でね」
「兄上っ!!」
「この5年間、ロインの不眠はこのブラウンが一緒に寝てくれる事で解消されていたんだよ」
「兄上!! やめてくださいっ!!」
そう言って自分からブラウンを取り返そうとする弟をクラインは華麗に躱す。
いくら身長が伸びたとはいえ、15歳のロインよりも4つ年上の兄の方が長身だ。
「ところが、滞在先の伯爵家で飼っていた猫がロインの部屋に侵入して、このブラウンをどこかに持ち出してしまってね……。それを何も知らないその屋敷のメイドが、ゴミだと判断して捨ててしまったんだ」
「兄上!! もうふざけるのも大概にしてくださいっ!!」
器用にロインからブラウン奪取を阻止しながら、クラインがおっとりした口調で語りだす。
その間、ロインはかなり焦りながら必死でブラウン奪取を試みていた。
「それからだよ。ロインがまた不眠症を再発してしまって。最終的には城に戻って療養するまで悪化してしまったから、滞在していた伯爵家でも必死にこのブラウンを探してくれてね。それが見つかって、先程城に届けられたから、すぐにロインに返してあげようかと思ったのだけれど……」
兄弟同士でブラウン奪取のもの凄い攻防を繰り広げながら、優雅な口調でそう語る第一王子の話をフィアレアは、ポカンとした表情で聞いていた。
「まさかフィアが一緒だったなんて思わなくて……。ごめんね、ロイン。確かこの事は恥ずかしいからフィアには内緒だったんだよね? だけど、ほら! 5年間も愛用していた安眠アイテムが無事に戻って来て良かったじゃないか」
「兄上ぇぇぇぇー!!」
確実に面白がって不眠再発の経緯を暴露した兄から、ロインがやっとブラウンをひったくる。
その様子をフィアレアは、まだポカンとした表情で見つめていた。
すると、非常に不機嫌な表情をしたロインが乱暴にフィアレアの前にそのクマのブラウンを押し付けてきた。
「返す! もう俺には必要ない!!」
「で、ですが……」
「あれ? いいのかい? その子がいなくなったら、また不眠に悩まされると思うけれど?」
「兄上は、もう黙っていてください!!」
ニコニコしながら会話に入って来た兄をロインが一喝する。
「あ、あの……ロイン様、そちらは差し上げた物なので、もしお役に立てていたのなら、そのように無理にお返しして頂かなくとも……」
「もう必要ないと言っただろ!?」
そう言ってロインは無理矢理フィアレアにクマのブラウンを受け取らせた。
その様子見ていた兄クラインが口元を抑えて、小刻みに震えだす。
「お前の見送りはここまでだ!! 後日また面会日をこちらから指定する!! 兄上もさっさと公務に戻ってください!!」
吐き捨てるように肩を怒らせ、ロインはさっさとその場を去っていった。
だが去り際にチラリと見えたロインの耳は、もの凄く真っ赤になっていた。
「我が弟ながら器用だね……。顔は平常心で耳だけ真っ赤にするなんて」
そう言いながら意地の悪い笑みを浮かべている第一王子を茫然としながらフィアレアは見やる。
すると、クラインがフィアレアににっこりと微笑みかけてきた。
「フィアは、これからが大変だね」
「え?」
何の事を言われているのか分からないフィアレアは、またしてもポカンとした表情を浮かべた。
「だってこれからは、君がブラウンの代わりにロインに安眠を与えるのだろう?」
「代わりって……。わ、わたくしには、そのような特技はないのですが……」
どうやらかなり無理難題を強いられそうな状況にフィアレアが慌てだした。
するとその様子を確認したクラインは、更に笑みを深める。
「大丈夫。そんなに難しい事ではないはずだから。ただちょーっと、ロインと一緒に過ごす時間が増えるだけだと思うよ?」
「一緒に過ごす時間が増える?」
「多分、その事でロインから色々打診があると思うから、出来れば前向きに検討してあげてね?」
「はぁ……。か、かしこまりました……」
二日後、改めて面会日を設けたロインにフィアレアは、何故か父同伴で城に呼び出された。
その為、婚約を解消されるのではと親子共々冷や冷やしていたのだが……実際は、フィアレアに王族向けの淑女教育を受けさせたいという内容だった。
後に臣籍に下り公爵位を賜るロインだが、一応王族ではある為、フィアレアにもしっかりとした王族向けの教育を受けて欲しいらしい。
その関係でフィアレアは淑女教育を受けやすい環境作りの為、リグルバード城に登城後、そのまま滞在する事となった。
しかしこのロインの提案にフィアレアの父であるメイスン伯爵は、少々疑問を抱いていた。
フィアレアは年に4回受けさせられる王家管轄で行う淑女試験を毎回高得点でこなしていた。そんな娘が何故、改めて王族向けの淑女教育を受けさせられるのか、その部分がやけに引っ掛かった。
しかしその疑問は、フィアレアが登城してすぐに判明する。
登城後のフィアレアは、淑女教育よりも午後のロインとのお茶の時間を過ごす事に重視される扱いだったのだ。
その間、決まってロインはフィアレアの膝を大いに利用した。
ようするにロインは、第一王子クラインの言っていた『安眠をもたらすクマのブラウンの代わり』をフィアレアに担わせる事が本当の目的だったのだ……。
正直、何故自分がクマのブラウンの代わりが出来ているのか、フィアレアには全く理解出来ない。
そもそもお茶の時間という二時間弱の短い時間で睡眠を取るよりも、夜ブラウンを傍に置いてグッスリ眠る方が、質の良い睡眠をたくさん取れるのでは……と考えてしまう。
しかしその事をロインに進言すると、もうブラウンでは安眠効果は得られないと言い切られてしまう。
「で、ですが……つい最近までブラウンはお役に立っていたのですよね?」
フィアレアの膝の上を我が物顔で占領している婚約者に控え目にそう問うと、片目だけ開いたロインが面倒そうな表情を浮かべた。
「ああ。だが今はもう効果など得られない」
「そ、そんな事はないのでは? もしよろしければ本日、ブラウンを持参して参りましたので、もう一度お確かめになった方が……」
すると、ロインの表情が面倒そうな顔から、一気に不機嫌な顔へと変化した。
「お前は今の状況がそんなに嫌なのか?」
「い、いえ! そういう訳ではないのですが……。ですが、いくら熟睡出来るとは言え、たった二時間弱しか得られない今の状況よりも夜のご就寝時にブラウンを傍らに置いた方が、良質の眠りがたくさん得られるのではと思いまして……」
「だから! もうブラウンでは熟睡効果は得られないと言っているだろう!?」
「それならば、どのようにしたらロイン様は夜グッスリお眠りになられるのでしょうか……」
困った表情を浮かべながらフィアレアが小さく呟くと、ロインは更にフィアレアの腰に抱き付き、そのままフィアレアの方へと深く顔を埋めてしまった。
そのロインの態度から「もう話しかけるな! 眠らせろ!」と言われているような気がして、フィアレアは今日はもう口を噤んだ方がいいと判断した。
すると……。
「そんなに俺に夜中熟睡して欲しいのであれば、お前がさっさと妻になり、添い寝すればいいだけの事だ……」
聞こえるか聞こえないかの呟くようなそのロインの言葉を聞いたフィアレアが、大きく目を見開く。
「あ、あの……ロイン様……」
「………………」
聞き間違いかと思って、もう一度確認しようとしたが、ロインはそのままピクリとも反応しなくなる。
しかし……よく見ると、耳が真っ赤になっていた。
そんなロインの様子を見たフィアレアは、何故か笑みが零れる。
どうやら自分はクマのブラウン以上にロインに安眠を提供出来る存在らしい。
その理由はよく分からないが、それでもロインの不眠解消に自分が役立っているという事が嬉しかったので、フィアレアはその理由を追求する事をやめた。
それから4年後、夫婦となった二人の住む公爵邸では、毎朝愛妻に抱き付くようにして眠りこけるロインの姿が、朝起こしに来るメイド達に多々目撃されるようになる。
不眠で苦しんでいた元第二王子は、なかなか妻を解放しない非常に寝起きの悪い夫となってしまったそうだ……。
正直、膝が痺れて来たし、腰に抱き付いているロインの体温で膝とお腹辺りに熱がこもって来て、やや汗ばんできた。
そして何よりも不味い状況なのが、もうそろそろ侍女達が出されたお茶を取り替える為、この部屋に入ってくるタイミングなのだ……。
もしこの状況を見られてしまえば、フィアレアだけでなく第二王子としてのロインの醜聞が広がってしまうかもしれない。
ならば早々にロインを起こせばいいだけの事なのだが……。
自分の腰に巻き付いて眠っているロインは、あまりにも穏やかな表情を浮かべているのだ。
恐らくやっとありつけた眠りなのだろう。
この状態でロインを起こす事は、かなり憚れる……。
しかし、この状態を誰かに見られてしまっては、いくら婚約者同士と言えども「はしたない!」と白い目で見られる事は確実だ。
その考えからフィアレアは、オロオロし出してしまう。
するとそれがロインにも伝わったのか、ロインが長い金の睫毛をゆっくりと上げて目を覚ましてしまった。
「あ、あの……ロイン様……」
「フィア……? 何で……」
寝ぼけているのか、まだ虚ろな瞳で膝上からフィアレアを見上げてきたロインは、何故か今まで一度も呼んだ事がないフィアレアの愛称を口にした。
その反応にフィアレアが大きく目を見開く。
同時にロインの瞳にもゆっくり光が戻って来たのだが……次の瞬間、ガバっと上半身を起こし、口を一文字にしながら真っ青な顔色でフィアレアを凝視する。
「あ、あの……」
「何も言うな!!」
フィアレアの言葉を遮るように叫んだロインは、そのまま左手で両目を覆い、肩をがっくり落して項垂れてしまった。
「すまない……。その、酷い寝不足で……。お前と面会した直後から、あまり記憶がない……」
絞り出す様にそう謝罪を告げてきたロインだが、己の行動が信じられないらしく、酷く後悔している様子だ。
なんせ5年ぶりに再会した揶揄うだけの対象だった婚約者に対し、酷い寝不足で虚ろ状態だったとはいえ、その膝の上で爆睡してしまっていたのだから……。
そんな後悔の深い底に沈んでしまっているロインの様子から、逆にフィアレアの方が申し訳ない気持ちになる。
ロインにしてみれば、頼りたくない相手に頼ってしまった様な状態だ。
恐らくこの状態はロインにとって、一生の不覚に該当するのだろう。
「あ、あの……。この件に関しては、一切口外しないとお約束致します」
「ああ……」
「で、ですので、そのように落胆なさらずとも……」
「ああ……」
「ええと……。そ、そういえば今回登城する際に不眠改善に良いと聞いた安眠を促すお品をいくつかお持ち致しまして……」
ショックからか、上の空な返事ばかりをするロインの激しい落胆ぶりにフィアレアの方も焦り出し、無理矢理話題を変えようと思って、予め用意していたロインへの贈り物を手渡そうとした。
しかし、そんなフィアレアにロインがポツリと一言こぼす。
「必要ない……」
「えっ……?」
「そんな物では俺の不眠は改善されない……」
「ですが……一度試されてみても」
「試さなくても分かる」
「で、ですが……」
「もう不眠改善の有効手段は分った……。だからそれらは必要ない」
有効手段が分ったと言うわりには、何故か絶望的な様子のロインにフィアレアが不思議そうな表情を向けてしまう。
しかしロインの方は、先程から左手で両目を覆い、前屈みになって項垂れたままの姿勢を貫いている。
「あの、ロインさ……」
あまりにも塞ぎ込んでいる状態のロインを心配してフィアレアは、再び声を掛けようとした。
しかし、前屈みで項垂れているロインをよく見ると、耳が真っ赤になっている。
その様子にますますフィアレアが困惑する。
余程、自分の膝の上で熟睡してしまった事への羞恥心が大きいのだろうかと。
ここまで気にしてしまうのであれば、早々に起こすべきだったと、フィアレアは後悔し出した。
すると、やっとその羞恥心から立ち直ったのか、ロインが両目を覆っていた左手で自身の顔を撫でおろしながら、前屈みになっていた上体を起こす。
「悪いが、面会はまた日を改めて貰ってもいいか……?」
「は、はい。構いません」
絶望的な表情を浮かべたまま、ロインが重苦しい口調でそう告げてきたので、慌ててフィアレアはその申し出を受ける。
するとロインがスッと立ち上がり、フィアレアに手を差し出した。
「馬車まで送る」
フィアレアがおっかなびっくりしながら、その差し出された手を取ろうかと戸惑っていると、逆にグイっと手を掴まれて、立ち上がる様に促された。
そのまま手を掴まれ、部屋の出口の方まで誘導させられる。
そしてロインが扉に手を掛け、部屋の外に出た瞬間。
「ロイン? もうフィアとの面会はいいのかい?」
聞き取りやすい穏やかな口調の声が、二人に掛かる。
ロインと同じ透き通るような金の髪をサラリと揺らし、首を傾げながら声を掛けてきたのは、この国の第一王子でもあるロインの兄クラインだった。
ロインと違い、淡い水色の瞳を持つこの第一王子は、穏やかで柔らかい雰囲気をいつもまとっている。フィアレアにとっては、弟の婚約者という事もあって、小さい頃から妹のように自分を可愛がってくれる兄のような存在だ。
「ええ。その……私の不眠による体調不良の為、面会は後日改めてお願いさせて頂きました……」
昔からフィアレアに対しては、かなり粗暴な口調で会話をするが、それ以外の人物にはしっかりと王族としての振る舞いをするロイン。
しかし、兄クラインへの返答をする際は、何故かやや悔しそうな表情を浮かべ、軽く俯く。
そんな弟の様子に兄は、スッと目を細めた。
その兄の反応にますますロインが気まずそうな表情を浮かべる。
「不眠で体調不良ねぇ……。そうそう、ロイン。その不眠なのだけれど、もう心配しなくてもいいと思うよ?」
「それは……どういう事でしょうか?」
「だって、ほら!」
怪訝そうな表情を浮かべて質問してきた弟に向って、兄は大変いい笑顔を浮かべながら、後ろ手に持っていたある物を両手で掴んで差し出して来た。
それは、少し毛羽立ったクマのぬいぐるみだった。
その瞬間、ロインは時が止まったようにビシリと固まり、絶句する……。
そしてロインの後ろにいたフィアレアは、そのぬいぐるみを見て大きく目を見開いた。
「ブラ……ウン?」
「そう! ブラウン! 5年前にロインの不眠を心配してフィアが贈ってくれた安眠を誘うクマのブラウン!」
「あ、兄上!!」
「どうしてクライン様がブラウンを……」
「何故、お前は今それを聞く!? お前には関係ないだろう!!」
珍しくアワアワし出した弟の様子に兄クラインは、ニコニコしながら上機嫌で語りだす。
「実は今回ロインが不眠症を再発したのは、このクマのブラウンが原因でね」
「兄上っ!!」
「この5年間、ロインの不眠はこのブラウンが一緒に寝てくれる事で解消されていたんだよ」
「兄上!! やめてくださいっ!!」
そう言って自分からブラウンを取り返そうとする弟をクラインは華麗に躱す。
いくら身長が伸びたとはいえ、15歳のロインよりも4つ年上の兄の方が長身だ。
「ところが、滞在先の伯爵家で飼っていた猫がロインの部屋に侵入して、このブラウンをどこかに持ち出してしまってね……。それを何も知らないその屋敷のメイドが、ゴミだと判断して捨ててしまったんだ」
「兄上!! もうふざけるのも大概にしてくださいっ!!」
器用にロインからブラウン奪取を阻止しながら、クラインがおっとりした口調で語りだす。
その間、ロインはかなり焦りながら必死でブラウン奪取を試みていた。
「それからだよ。ロインがまた不眠症を再発してしまって。最終的には城に戻って療養するまで悪化してしまったから、滞在していた伯爵家でも必死にこのブラウンを探してくれてね。それが見つかって、先程城に届けられたから、すぐにロインに返してあげようかと思ったのだけれど……」
兄弟同士でブラウン奪取のもの凄い攻防を繰り広げながら、優雅な口調でそう語る第一王子の話をフィアレアは、ポカンとした表情で聞いていた。
「まさかフィアが一緒だったなんて思わなくて……。ごめんね、ロイン。確かこの事は恥ずかしいからフィアには内緒だったんだよね? だけど、ほら! 5年間も愛用していた安眠アイテムが無事に戻って来て良かったじゃないか」
「兄上ぇぇぇぇー!!」
確実に面白がって不眠再発の経緯を暴露した兄から、ロインがやっとブラウンをひったくる。
その様子をフィアレアは、まだポカンとした表情で見つめていた。
すると、非常に不機嫌な表情をしたロインが乱暴にフィアレアの前にそのクマのブラウンを押し付けてきた。
「返す! もう俺には必要ない!!」
「で、ですが……」
「あれ? いいのかい? その子がいなくなったら、また不眠に悩まされると思うけれど?」
「兄上は、もう黙っていてください!!」
ニコニコしながら会話に入って来た兄をロインが一喝する。
「あ、あの……ロイン様、そちらは差し上げた物なので、もしお役に立てていたのなら、そのように無理にお返しして頂かなくとも……」
「もう必要ないと言っただろ!?」
そう言ってロインは無理矢理フィアレアにクマのブラウンを受け取らせた。
その様子見ていた兄クラインが口元を抑えて、小刻みに震えだす。
「お前の見送りはここまでだ!! 後日また面会日をこちらから指定する!! 兄上もさっさと公務に戻ってください!!」
吐き捨てるように肩を怒らせ、ロインはさっさとその場を去っていった。
だが去り際にチラリと見えたロインの耳は、もの凄く真っ赤になっていた。
「我が弟ながら器用だね……。顔は平常心で耳だけ真っ赤にするなんて」
そう言いながら意地の悪い笑みを浮かべている第一王子を茫然としながらフィアレアは見やる。
すると、クラインがフィアレアににっこりと微笑みかけてきた。
「フィアは、これからが大変だね」
「え?」
何の事を言われているのか分からないフィアレアは、またしてもポカンとした表情を浮かべた。
「だってこれからは、君がブラウンの代わりにロインに安眠を与えるのだろう?」
「代わりって……。わ、わたくしには、そのような特技はないのですが……」
どうやらかなり無理難題を強いられそうな状況にフィアレアが慌てだした。
するとその様子を確認したクラインは、更に笑みを深める。
「大丈夫。そんなに難しい事ではないはずだから。ただちょーっと、ロインと一緒に過ごす時間が増えるだけだと思うよ?」
「一緒に過ごす時間が増える?」
「多分、その事でロインから色々打診があると思うから、出来れば前向きに検討してあげてね?」
「はぁ……。か、かしこまりました……」
二日後、改めて面会日を設けたロインにフィアレアは、何故か父同伴で城に呼び出された。
その為、婚約を解消されるのではと親子共々冷や冷やしていたのだが……実際は、フィアレアに王族向けの淑女教育を受けさせたいという内容だった。
後に臣籍に下り公爵位を賜るロインだが、一応王族ではある為、フィアレアにもしっかりとした王族向けの教育を受けて欲しいらしい。
その関係でフィアレアは淑女教育を受けやすい環境作りの為、リグルバード城に登城後、そのまま滞在する事となった。
しかしこのロインの提案にフィアレアの父であるメイスン伯爵は、少々疑問を抱いていた。
フィアレアは年に4回受けさせられる王家管轄で行う淑女試験を毎回高得点でこなしていた。そんな娘が何故、改めて王族向けの淑女教育を受けさせられるのか、その部分がやけに引っ掛かった。
しかしその疑問は、フィアレアが登城してすぐに判明する。
登城後のフィアレアは、淑女教育よりも午後のロインとのお茶の時間を過ごす事に重視される扱いだったのだ。
その間、決まってロインはフィアレアの膝を大いに利用した。
ようするにロインは、第一王子クラインの言っていた『安眠をもたらすクマのブラウンの代わり』をフィアレアに担わせる事が本当の目的だったのだ……。
正直、何故自分がクマのブラウンの代わりが出来ているのか、フィアレアには全く理解出来ない。
そもそもお茶の時間という二時間弱の短い時間で睡眠を取るよりも、夜ブラウンを傍に置いてグッスリ眠る方が、質の良い睡眠をたくさん取れるのでは……と考えてしまう。
しかしその事をロインに進言すると、もうブラウンでは安眠効果は得られないと言い切られてしまう。
「で、ですが……つい最近までブラウンはお役に立っていたのですよね?」
フィアレアの膝の上を我が物顔で占領している婚約者に控え目にそう問うと、片目だけ開いたロインが面倒そうな表情を浮かべた。
「ああ。だが今はもう効果など得られない」
「そ、そんな事はないのでは? もしよろしければ本日、ブラウンを持参して参りましたので、もう一度お確かめになった方が……」
すると、ロインの表情が面倒そうな顔から、一気に不機嫌な顔へと変化した。
「お前は今の状況がそんなに嫌なのか?」
「い、いえ! そういう訳ではないのですが……。ですが、いくら熟睡出来るとは言え、たった二時間弱しか得られない今の状況よりも夜のご就寝時にブラウンを傍らに置いた方が、良質の眠りがたくさん得られるのではと思いまして……」
「だから! もうブラウンでは熟睡効果は得られないと言っているだろう!?」
「それならば、どのようにしたらロイン様は夜グッスリお眠りになられるのでしょうか……」
困った表情を浮かべながらフィアレアが小さく呟くと、ロインは更にフィアレアの腰に抱き付き、そのままフィアレアの方へと深く顔を埋めてしまった。
そのロインの態度から「もう話しかけるな! 眠らせろ!」と言われているような気がして、フィアレアは今日はもう口を噤んだ方がいいと判断した。
すると……。
「そんなに俺に夜中熟睡して欲しいのであれば、お前がさっさと妻になり、添い寝すればいいだけの事だ……」
聞こえるか聞こえないかの呟くようなそのロインの言葉を聞いたフィアレアが、大きく目を見開く。
「あ、あの……ロイン様……」
「………………」
聞き間違いかと思って、もう一度確認しようとしたが、ロインはそのままピクリとも反応しなくなる。
しかし……よく見ると、耳が真っ赤になっていた。
そんなロインの様子を見たフィアレアは、何故か笑みが零れる。
どうやら自分はクマのブラウン以上にロインに安眠を提供出来る存在らしい。
その理由はよく分からないが、それでもロインの不眠解消に自分が役立っているという事が嬉しかったので、フィアレアはその理由を追求する事をやめた。
それから4年後、夫婦となった二人の住む公爵邸では、毎朝愛妻に抱き付くようにして眠りこけるロインの姿が、朝起こしに来るメイド達に多々目撃されるようになる。
不眠で苦しんでいた元第二王子は、なかなか妻を解放しない非常に寝起きの悪い夫となってしまったそうだ……。
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扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
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あさぎ様
こちらの短いお話もお手に取って頂き、ありがとうございます!
投稿作品、殆ど読んでくさってるw 大感謝です!
サヴァン症候群みたいなのは、もうこの王家はこういう何かしらの特化能力を持った子供が必ず生まれるというファンタジー要素っぽい設定ですかね。
でも三兄弟全員にその設定を適用してしまうと、特化能力持ちの子供ばかり増えてしまうので、長男の子供しかその特徴は出ないとかにしておいた方が良さそうですね…。(^^;)
ニヤニヤ、くすっ❤️
素直じゃないねぇ
くまきち様
ご感想頂き、ありがとうございます!
そうなんですよ!(笑)
完全に思春期拗らせな第二王子です。( *´艸`)
夢梨(ゆめり)様
こちらの作品にもご感想頂き、ありがとうございます。
ツンデレ俺様ヒーロー書くの好きなのですが、読まれる方の好みが分かれる事が多いので少し心配してました。
楽しんで頂けて良かったです。
機会があれば、兄がメインの話も書きたいと思っているので、その際はまたお手に取って頂けると嬉しいです。
ご感想、本当にありがとうございます!