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24.落第点
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「ちゃんと説明するって言っていたのに……」
そう言ってアイリスは、ブスブスと自分の目の前にあるガトーショコラに容赦なく、フォークを何度も突き刺していた。
もうお馴染みなその光景をクラリスが、涙目で見つめている。
「アイリス~。そのケーキに八つ当たりするのやめなって……。行儀が悪し、毎回クラリスが可哀想だよ?」
「だって! 説明するって言ったのにもう3日も執務室に籠って出て来ないのよ!? 大体、建国記念日は終わったのだから、忙しくなんてないはずなのに……」
「あー。仕事にかまけ過ぎな夫に蔑ろにされてる妻みたいな事、言ってるー」
「何でそうなるのよっ!」
今日は久しぶりに三人でお茶会をしていたアイリス達。
久しぶりの所為か、それとも元気になったアイリスに安心したのか、今日はやけにリデルシアが絡んでくる。
そんな二人のやり取りを苦笑しながら眺めていたクラリスだが……ずっと気になっていた事をやや遠慮がちにアイリスに質問した。
「あの、アイリス様。気になっていたのですが……建国記念日の式典の際、何故あの様な歌詞の歌をご披露されたのですか?」
クラリスのその問いにアイリスが、大きく目を見開いた。
「クラリス……あなた古代語が分かるのっ!?」
「古代語? あの歌の歌詞って古代語だったの?」
「ええ。昔、ジェダイト王弟殿下の意向でフィーネが学んでいたのですが……どうも難しかった様で。その際、私も一緒に学ばせて頂き、それを私からフィーネに更にかみ砕いて教えていた時期があったので……」
どうやらクラリスの慈愛の精神は実の妹達だけに留まらず、雨巫女としての弟子でもある妹分のフィーネリアにまで及ぶらしい。
「ねぇ、クラリス。あの時アイリスが歌っていた歌の歌詞って、どういう意味の歌だったの?」
「ええと……」
興味津々という様子のリデルシアが極上の笑みでクラリスに質問する。
しかし対するクラリスは、内容的に説明し難いその歌詞に困惑し、かなり返答を渋った。その様子を見るに見かねたアイリスが、代わりに答える。
「拒絶よ。拒絶を彷彿させる意味の歌詞」
そのアイリスの返答にリデルシアが大きく目を見開く。
そして次の瞬間、盛大に声を上げて笑い出した。
「さ、流石、アイリス! アレク様、完全にやられたね!」
「そのような歌を大事な式典で歌い上げても平気だったのでしょうか……。あれでは明らかにアイリス様達の不仲説を彷彿させる様な内容に……」
「平気よ。大体、あの会場に古代語が分かる人間なんて一握りくらいでしょ?」
「でもクラリスは、歌詞の意味を理解出来たのだよね?」
「はい」
「アイリス~? これはちょっと、まずいのではないのかな?」
「何でよ?」
するとリデルシアが、意地の悪い笑みを浮かべた。
「だって、あの歌詞の意味を理解出来る人間が会場にいたら、今の私の様に皆その人に歌の意味を聞いてしまうじゃないか」
「でもそれくらいでは、あの歌の意味なんてそこまで広がらないでしょ?」
「どうかな~。だってあなたのあの素晴らしい歌声に観客全員が聴き惚れていたのだから、皆どんな意味の歌詞なのか、凄く気になると思うけれど?」
「大袈裟よ! 皆、歌声には関心を抱いても歌詞までは気にしないと思うわ。その為にわざわざアレクにだけ伝わる様に古代語で歌ったのだから」
そう自信満々に答えていたアイリスだが……。
それはすぐに大きな間違いだったと思い知らされる事となる……。
翌日、やっとアレクシスからの呼び出しがあり、アイリスはアレクシスの執務室を訪れ、扉をノックした。
「どうぞ」
アレクシスの合図で入室すると、アイリスはやや不機嫌そうな表情を浮かべる。
「アレク……この間、あなたの晴天の力の使い方について、きちんと説明してくれると伺っていたのだけれど……。かれこれもう4日経っているのにその説明が未だにないのは、どういう事なのかしら?」
「ごめんねー。でも今はそれよりもかなり大変な事になっているんだよね……。とりあえず、そこのソファーにでも座ってくれるかな?」
そう言ってアレクシスは、普段ヒース達が使っている机の方に目を向ける。
「ところで、アイリス。あそこの机の上に置いてある書類箱の中に入ってる物って、何だか分かるかい?」
「何って……どう見ても大量の手紙にしか見えないのだけれど……違うの?」
「うん。大量の手紙だ。しかも国内だけでなく、国外……それだけじゃなくて大陸外の有力貴族や下手したら王族から送られて来た手紙だね」
その答えにアイリスが目を見張る。
「どうしてそんな大陸外の大物の方々が、この小国サンライズにわざわざ手紙なんて寄越してくるのよ?」
「何故だと思う?」
そうニコニコしながら聞いてきたアレクシスだが……目が一切笑っていない。
それをすぐに怒りだと読み取ったアイリスが、一瞬だけ怯んだ。
「な、何よ! 私には関係ないでしょ!?」
「それが大有りなんだよね……」
そう言ってアレクシスが盛大にタメ息をついた。
「この全部が、もし僕と君が婚約破棄した場合、君と婚約したいという申入れの手紙なんだよね……」
そのアレクシスの返答にアイリスが愕然とする。
「な、何でそんな事になってるのっ!?」
「何でだと思う? そもそも君は、最近心当りのある事をしでかしたよね?」
優し過ぎる笑顔を張り付けているアレクシスだが……やはり目が笑っていない。
「それって私が建国記念式典で歌った歌の事を言っているの? でもあれは古代語で歌ったのよ!? だからあの歌の意味を理解出来る人は、そうそういないはずでしょ!? 仮にそれで私達の不仲を疑う人間がいたとしても何故、国内外どころか大陸外の高貴な方々にまで、それが広まってしまっているのよ!?」
するとアレクシスが、盛大に肩を落す。
「君もエリア同様、自分に対する周りからの称賛の声に無自覚なのだね……。何故なんだろう? もしかして歌巫女って皆、そういうものなのかな?」
「それ、嫌味のつもり……? ちゃんと私にも分かる様に説明して!」
遠回しの言い方ばかりするアレクシスに段々と苛立ってきたアイリスが、捲し立てる。するとアレクシスが、今日二度目の盛大なため息をつく。
「確かに君の歌い上げた歌詞の意味は、会場にいた古代語の分かる人間の知人関係ぐらいにしか広まらないずだった……。でもね、もしその人間が、君の歌い上げた歌をお金を貰って翻訳する商売をしていたら、どうなると思う?」
そうにっこり微笑むアレクシスの笑みは、どんどん濃くなってゆく。
「で、でも! そんなお金まで出して私が歌った歌の意味を知りたい人なんて、そんなにいないでしょ!? しかも国外の有力貴族や王族までもだなんて……」
「はぁ……。君は、本当に自分の価値を分かっていないのだね……。10年間も雲隠れしてた伝説の歌巫女が、あれだけの圧巻な歌声を久しぶりに披露したんだよ? 皆、君の事に興味津々になるのは当たり前だろ? ましてや君は歌声だけでなく、容姿にも恵まれ過ぎている……。そんな君の情報を得たいと皆、躍起になるのは当然じゃないか……」
「でも……だからと言って……」
するとアレクシスが、珍しく凄むような表情を浮かべる。
「はっきり言って、君の情報はどんな些細な事でもお金になるんだ!」
その言葉にアイリスが、ビクリと体を強張らせた。
「だから正直、君が僕を拒絶してた10年間は、僕にとっては辛い時期ではあったけれど、それとは別に君を表舞台に出さずに済んでいたから、そこそこのメリットがあったんだ……。でもここ最近は、もう僕自身の限界も近かったし、今から公の場に連れ出しても最悪、僕との挙式を早めてしまえば君に異様な執着を抱く輩が出て来ても平気だろうと踏んでいた……。それなのに……最後の最後で君がとんでもない動きをしてくれたお陰で、僕は一気にライバルを増やしてしまった! アイリス……この責任はかなり重大だよ?」
そう恨みがましそうに自分を見やるアレクシスにアイリスが抗議する。
「責任重大って……私、別にあなたに迷惑かけてないじゃない!!」
「いいや? 掛けてるよ。今まさに4日前から僕に迷惑を掛けている!」
そう言ってアレクシスは、たった今まで自分が書いていた便箋をアイリスに突き付けてきた。
「これ、何だと思う? これは今そこの書類箱に入っている手紙の返事だ。内容的には、君との婚約解消は一切予定していないという事と、勘違いさせるような歌を建国記念式典で披露してしまった事への詫び状ってやつだ! これが国内外の中級層の貴族相手なら、部下に代筆させても構わないのだけれど……。残念ながら、この箱に入っている全ての手紙は、国内外もとい大陸外の有力貴族や公爵家、そして王家関係者からの手紙だ! 流石にそれだけ身分の高い相手に部下の代筆で返事を書くわけにはいかない……。僕がこの4日間、執務室に籠っているのは、これらの詫び状を書いていたからだ!」
珍しく声を荒げながら訴えてきたアレクシスの言葉にアイリスが唖然とする。
「そ、そんな……。まさか……こんな事になるなんて私は……」
「そうだよねー。まさかアイリスもこんな事になるなんて、ちぃ~っとも思っていなかったよねー。でもね? 実際にこうなったんだよ?」
そう言って今日一番の目が笑っていない素晴らしい笑顔を向けるアレクシス。
その表情から怒りだけでなく、アレクシスの機嫌が相当悪い事が伺える。
一瞬、その気迫に呑まれそうになったアイリスだが……ふと大事な事に気が付き、今度は反旗を翻した。
「ちょっと、待って! それって私だけの所為じゃないわよね!? そもそもあなたが、私にあんな歌を披露したくなるまで、追いつめてきた事が原因じゃない! それで何で私だけ責められなきゃならないのよ!」
「そうだね……。確かにその部分では僕にも非がある……。だからこうしてこの4日間、責任を感じて僕一人で詫び状を書いていたんだ……。だけどね、アイリス。書いても書いても次から次へと新しい婚約の申入れの手紙が来るんだよ……。正直これでは、通常公務すら出来ない程に!」
その事を聞かされたアイリスが、言葉を失う。
すると、アレクシスが慈愛に満ちたような優しい微笑みをアイリスに向けた。
「だからね……君にもこの詫び状を書く事を手伝って欲しいのだけれど」
アレクシスのその言い分にアイリスの顔色が青くなる。
「待って! 私まだ嫁いでいないのだから、王家の人間でもないただの中流階級の伯爵令嬢よ!? それなのに各国の王家並びに大陸内外の有力貴族の方々宛に手紙を書くだなんて……そんな恐れ多い事出来る訳ないでしょ!?」
「大丈夫だよ。手紙の文言はこちらで用意してあるから、それをそのまま君の字で写せばいい。あっ、ちなみに君に書いて貰う文面は、君がいかに僕を愛してやまないか的な内容になるから、勝手に文章変えないでね?」
「何でそんな恥ずかしい文面なのよ!!」
「だって……君に書いて貰う送り先は、粘着性が強そうな文面で求婚してきた相手だから……。それぐらいの文面を君本人の字で書いて貰わないと、諦めなさそうなんだ……。悪いけれど、僕は害虫駆除は徹底的にやるタイプだから、君も協力してね? なんせ今回の件は、君にもかなり責任があるのだし!」
そう言ってアレクシスは、ヒース達の机とは逆にある机をアイリスに勧める。
よく見ると、その机の上にはすでに作業に適した準備がしっかりなされており、座ればすぐに開始出来る状態になっていた。
そんな机の状態を見たアイリスは、諦めた表情を浮かべ、その机の席に着く。
「そうだ! もう一つ君に伝えなきゃならない大事な事があったんだ!」
「何よ……。もうこれだけでお腹いっぱいなのだけれど……」
「君、2年後の僕との婚礼まで、ずっとこの城に滞在する事が決まったから」
それを聞いたアイリスは、持っていた羽ペンを取り落した。
「はぁっ!? 何でそうなるのよ!!」
「何でって……君は僕の最終課題に対してあんな歌を披露したんだから、当たり前だろ? 不仲説の払拭どころか悪化させた挙句、現状では僕の公務に支障をきたすまで発展するような事をやらかしたのだから……完全に落第点だ」
「で、でも! その前の夜会参加は完璧にこなしていたじゃない!」
「それも微妙だよね……。だって、いくら具合が悪そうだったからと言って、見ず知らずの男のゲストルームにそのまま一緒に入ってしまうなんて……かなり危機感無さ過ぎだろ? そういう意味でも減点対象だね!」
そう言って、珍しく厳しめの口調で言い放つアレクシス。
しかし、アイリスの方は反省どころか恨みがましそうな態度でアレクシスを睨みつけている。
「言いがかりでしょ……?」
「え? 何が?」
「単に私を実家に帰したくないだけのただの言いがかりでしょ!」
「うわ~。アイリス……自分がやった失態を棚に上げて、そういう事言うの?」
「だって絶対にそうじゃないっ!!」
キィーっとしながら叫ぶアイリスにアレクシスが、苦笑する。
「当たり前じゃないか。今君を実家に戻したら、また変な輩が君の家周辺をうろつくかもしれないのだから。悪いけど、君は僕との挙式まで、この城で完全に保護するよ。あー、楽しみだな~。これから一生、毎日毎日アイリスに絡む事が出来るなんて! その為にも早くこの仕事を終わらせないとね!」
そうにっこり返して来たアレクシスは、いつの間にか上機嫌になっている。
そのアレクシスの様子にアイリスは盛大に肩を落とし、詫び状を書き始めた。
そう言ってアイリスは、ブスブスと自分の目の前にあるガトーショコラに容赦なく、フォークを何度も突き刺していた。
もうお馴染みなその光景をクラリスが、涙目で見つめている。
「アイリス~。そのケーキに八つ当たりするのやめなって……。行儀が悪し、毎回クラリスが可哀想だよ?」
「だって! 説明するって言ったのにもう3日も執務室に籠って出て来ないのよ!? 大体、建国記念日は終わったのだから、忙しくなんてないはずなのに……」
「あー。仕事にかまけ過ぎな夫に蔑ろにされてる妻みたいな事、言ってるー」
「何でそうなるのよっ!」
今日は久しぶりに三人でお茶会をしていたアイリス達。
久しぶりの所為か、それとも元気になったアイリスに安心したのか、今日はやけにリデルシアが絡んでくる。
そんな二人のやり取りを苦笑しながら眺めていたクラリスだが……ずっと気になっていた事をやや遠慮がちにアイリスに質問した。
「あの、アイリス様。気になっていたのですが……建国記念日の式典の際、何故あの様な歌詞の歌をご披露されたのですか?」
クラリスのその問いにアイリスが、大きく目を見開いた。
「クラリス……あなた古代語が分かるのっ!?」
「古代語? あの歌の歌詞って古代語だったの?」
「ええ。昔、ジェダイト王弟殿下の意向でフィーネが学んでいたのですが……どうも難しかった様で。その際、私も一緒に学ばせて頂き、それを私からフィーネに更にかみ砕いて教えていた時期があったので……」
どうやらクラリスの慈愛の精神は実の妹達だけに留まらず、雨巫女としての弟子でもある妹分のフィーネリアにまで及ぶらしい。
「ねぇ、クラリス。あの時アイリスが歌っていた歌の歌詞って、どういう意味の歌だったの?」
「ええと……」
興味津々という様子のリデルシアが極上の笑みでクラリスに質問する。
しかし対するクラリスは、内容的に説明し難いその歌詞に困惑し、かなり返答を渋った。その様子を見るに見かねたアイリスが、代わりに答える。
「拒絶よ。拒絶を彷彿させる意味の歌詞」
そのアイリスの返答にリデルシアが大きく目を見開く。
そして次の瞬間、盛大に声を上げて笑い出した。
「さ、流石、アイリス! アレク様、完全にやられたね!」
「そのような歌を大事な式典で歌い上げても平気だったのでしょうか……。あれでは明らかにアイリス様達の不仲説を彷彿させる様な内容に……」
「平気よ。大体、あの会場に古代語が分かる人間なんて一握りくらいでしょ?」
「でもクラリスは、歌詞の意味を理解出来たのだよね?」
「はい」
「アイリス~? これはちょっと、まずいのではないのかな?」
「何でよ?」
するとリデルシアが、意地の悪い笑みを浮かべた。
「だって、あの歌詞の意味を理解出来る人間が会場にいたら、今の私の様に皆その人に歌の意味を聞いてしまうじゃないか」
「でもそれくらいでは、あの歌の意味なんてそこまで広がらないでしょ?」
「どうかな~。だってあなたのあの素晴らしい歌声に観客全員が聴き惚れていたのだから、皆どんな意味の歌詞なのか、凄く気になると思うけれど?」
「大袈裟よ! 皆、歌声には関心を抱いても歌詞までは気にしないと思うわ。その為にわざわざアレクにだけ伝わる様に古代語で歌ったのだから」
そう自信満々に答えていたアイリスだが……。
それはすぐに大きな間違いだったと思い知らされる事となる……。
翌日、やっとアレクシスからの呼び出しがあり、アイリスはアレクシスの執務室を訪れ、扉をノックした。
「どうぞ」
アレクシスの合図で入室すると、アイリスはやや不機嫌そうな表情を浮かべる。
「アレク……この間、あなたの晴天の力の使い方について、きちんと説明してくれると伺っていたのだけれど……。かれこれもう4日経っているのにその説明が未だにないのは、どういう事なのかしら?」
「ごめんねー。でも今はそれよりもかなり大変な事になっているんだよね……。とりあえず、そこのソファーにでも座ってくれるかな?」
そう言ってアレクシスは、普段ヒース達が使っている机の方に目を向ける。
「ところで、アイリス。あそこの机の上に置いてある書類箱の中に入ってる物って、何だか分かるかい?」
「何って……どう見ても大量の手紙にしか見えないのだけれど……違うの?」
「うん。大量の手紙だ。しかも国内だけでなく、国外……それだけじゃなくて大陸外の有力貴族や下手したら王族から送られて来た手紙だね」
その答えにアイリスが目を見張る。
「どうしてそんな大陸外の大物の方々が、この小国サンライズにわざわざ手紙なんて寄越してくるのよ?」
「何故だと思う?」
そうニコニコしながら聞いてきたアレクシスだが……目が一切笑っていない。
それをすぐに怒りだと読み取ったアイリスが、一瞬だけ怯んだ。
「な、何よ! 私には関係ないでしょ!?」
「それが大有りなんだよね……」
そう言ってアレクシスが盛大にタメ息をついた。
「この全部が、もし僕と君が婚約破棄した場合、君と婚約したいという申入れの手紙なんだよね……」
そのアレクシスの返答にアイリスが愕然とする。
「な、何でそんな事になってるのっ!?」
「何でだと思う? そもそも君は、最近心当りのある事をしでかしたよね?」
優し過ぎる笑顔を張り付けているアレクシスだが……やはり目が笑っていない。
「それって私が建国記念式典で歌った歌の事を言っているの? でもあれは古代語で歌ったのよ!? だからあの歌の意味を理解出来る人は、そうそういないはずでしょ!? 仮にそれで私達の不仲を疑う人間がいたとしても何故、国内外どころか大陸外の高貴な方々にまで、それが広まってしまっているのよ!?」
するとアレクシスが、盛大に肩を落す。
「君もエリア同様、自分に対する周りからの称賛の声に無自覚なのだね……。何故なんだろう? もしかして歌巫女って皆、そういうものなのかな?」
「それ、嫌味のつもり……? ちゃんと私にも分かる様に説明して!」
遠回しの言い方ばかりするアレクシスに段々と苛立ってきたアイリスが、捲し立てる。するとアレクシスが、今日二度目の盛大なため息をつく。
「確かに君の歌い上げた歌詞の意味は、会場にいた古代語の分かる人間の知人関係ぐらいにしか広まらないずだった……。でもね、もしその人間が、君の歌い上げた歌をお金を貰って翻訳する商売をしていたら、どうなると思う?」
そうにっこり微笑むアレクシスの笑みは、どんどん濃くなってゆく。
「で、でも! そんなお金まで出して私が歌った歌の意味を知りたい人なんて、そんなにいないでしょ!? しかも国外の有力貴族や王族までもだなんて……」
「はぁ……。君は、本当に自分の価値を分かっていないのだね……。10年間も雲隠れしてた伝説の歌巫女が、あれだけの圧巻な歌声を久しぶりに披露したんだよ? 皆、君の事に興味津々になるのは当たり前だろ? ましてや君は歌声だけでなく、容姿にも恵まれ過ぎている……。そんな君の情報を得たいと皆、躍起になるのは当然じゃないか……」
「でも……だからと言って……」
するとアレクシスが、珍しく凄むような表情を浮かべる。
「はっきり言って、君の情報はどんな些細な事でもお金になるんだ!」
その言葉にアイリスが、ビクリと体を強張らせた。
「だから正直、君が僕を拒絶してた10年間は、僕にとっては辛い時期ではあったけれど、それとは別に君を表舞台に出さずに済んでいたから、そこそこのメリットがあったんだ……。でもここ最近は、もう僕自身の限界も近かったし、今から公の場に連れ出しても最悪、僕との挙式を早めてしまえば君に異様な執着を抱く輩が出て来ても平気だろうと踏んでいた……。それなのに……最後の最後で君がとんでもない動きをしてくれたお陰で、僕は一気にライバルを増やしてしまった! アイリス……この責任はかなり重大だよ?」
そう恨みがましそうに自分を見やるアレクシスにアイリスが抗議する。
「責任重大って……私、別にあなたに迷惑かけてないじゃない!!」
「いいや? 掛けてるよ。今まさに4日前から僕に迷惑を掛けている!」
そう言ってアレクシスは、たった今まで自分が書いていた便箋をアイリスに突き付けてきた。
「これ、何だと思う? これは今そこの書類箱に入っている手紙の返事だ。内容的には、君との婚約解消は一切予定していないという事と、勘違いさせるような歌を建国記念式典で披露してしまった事への詫び状ってやつだ! これが国内外の中級層の貴族相手なら、部下に代筆させても構わないのだけれど……。残念ながら、この箱に入っている全ての手紙は、国内外もとい大陸外の有力貴族や公爵家、そして王家関係者からの手紙だ! 流石にそれだけ身分の高い相手に部下の代筆で返事を書くわけにはいかない……。僕がこの4日間、執務室に籠っているのは、これらの詫び状を書いていたからだ!」
珍しく声を荒げながら訴えてきたアレクシスの言葉にアイリスが唖然とする。
「そ、そんな……。まさか……こんな事になるなんて私は……」
「そうだよねー。まさかアイリスもこんな事になるなんて、ちぃ~っとも思っていなかったよねー。でもね? 実際にこうなったんだよ?」
そう言って今日一番の目が笑っていない素晴らしい笑顔を向けるアレクシス。
その表情から怒りだけでなく、アレクシスの機嫌が相当悪い事が伺える。
一瞬、その気迫に呑まれそうになったアイリスだが……ふと大事な事に気が付き、今度は反旗を翻した。
「ちょっと、待って! それって私だけの所為じゃないわよね!? そもそもあなたが、私にあんな歌を披露したくなるまで、追いつめてきた事が原因じゃない! それで何で私だけ責められなきゃならないのよ!」
「そうだね……。確かにその部分では僕にも非がある……。だからこうしてこの4日間、責任を感じて僕一人で詫び状を書いていたんだ……。だけどね、アイリス。書いても書いても次から次へと新しい婚約の申入れの手紙が来るんだよ……。正直これでは、通常公務すら出来ない程に!」
その事を聞かされたアイリスが、言葉を失う。
すると、アレクシスが慈愛に満ちたような優しい微笑みをアイリスに向けた。
「だからね……君にもこの詫び状を書く事を手伝って欲しいのだけれど」
アレクシスのその言い分にアイリスの顔色が青くなる。
「待って! 私まだ嫁いでいないのだから、王家の人間でもないただの中流階級の伯爵令嬢よ!? それなのに各国の王家並びに大陸内外の有力貴族の方々宛に手紙を書くだなんて……そんな恐れ多い事出来る訳ないでしょ!?」
「大丈夫だよ。手紙の文言はこちらで用意してあるから、それをそのまま君の字で写せばいい。あっ、ちなみに君に書いて貰う文面は、君がいかに僕を愛してやまないか的な内容になるから、勝手に文章変えないでね?」
「何でそんな恥ずかしい文面なのよ!!」
「だって……君に書いて貰う送り先は、粘着性が強そうな文面で求婚してきた相手だから……。それぐらいの文面を君本人の字で書いて貰わないと、諦めなさそうなんだ……。悪いけれど、僕は害虫駆除は徹底的にやるタイプだから、君も協力してね? なんせ今回の件は、君にもかなり責任があるのだし!」
そう言ってアレクシスは、ヒース達の机とは逆にある机をアイリスに勧める。
よく見ると、その机の上にはすでに作業に適した準備がしっかりなされており、座ればすぐに開始出来る状態になっていた。
そんな机の状態を見たアイリスは、諦めた表情を浮かべ、その机の席に着く。
「そうだ! もう一つ君に伝えなきゃならない大事な事があったんだ!」
「何よ……。もうこれだけでお腹いっぱいなのだけれど……」
「君、2年後の僕との婚礼まで、ずっとこの城に滞在する事が決まったから」
それを聞いたアイリスは、持っていた羽ペンを取り落した。
「はぁっ!? 何でそうなるのよ!!」
「何でって……君は僕の最終課題に対してあんな歌を披露したんだから、当たり前だろ? 不仲説の払拭どころか悪化させた挙句、現状では僕の公務に支障をきたすまで発展するような事をやらかしたのだから……完全に落第点だ」
「で、でも! その前の夜会参加は完璧にこなしていたじゃない!」
「それも微妙だよね……。だって、いくら具合が悪そうだったからと言って、見ず知らずの男のゲストルームにそのまま一緒に入ってしまうなんて……かなり危機感無さ過ぎだろ? そういう意味でも減点対象だね!」
そう言って、珍しく厳しめの口調で言い放つアレクシス。
しかし、アイリスの方は反省どころか恨みがましそうな態度でアレクシスを睨みつけている。
「言いがかりでしょ……?」
「え? 何が?」
「単に私を実家に帰したくないだけのただの言いがかりでしょ!」
「うわ~。アイリス……自分がやった失態を棚に上げて、そういう事言うの?」
「だって絶対にそうじゃないっ!!」
キィーっとしながら叫ぶアイリスにアレクシスが、苦笑する。
「当たり前じゃないか。今君を実家に戻したら、また変な輩が君の家周辺をうろつくかもしれないのだから。悪いけど、君は僕との挙式まで、この城で完全に保護するよ。あー、楽しみだな~。これから一生、毎日毎日アイリスに絡む事が出来るなんて! その為にも早くこの仕事を終わらせないとね!」
そうにっこり返して来たアレクシスは、いつの間にか上機嫌になっている。
そのアレクシスの様子にアイリスは盛大に肩を落とし、詫び状を書き始めた。
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