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6.挑発
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一週間後……サンライズ王家の馬車が三台も来てアイリスを迎えに来た。
「行きたくない! 行きたくない! 行きたくなぁぁぁーい!!」
「アイリス様……。いい加減になさってください……」
「エレンはいいわよね! 私が登城すれば最愛の夫との時間が増えるのだから!」
「私の夫は現在、国王陛下付きの護衛騎士の為、例え同じ城内にいても会う時間は、そこまで得られませんよ?」
「でも一緒の部屋で寝泊まり出来るんだから、今よりかは増えるじゃない!」
「いくら登城がお嫌とは言え、私に八つ当たりなさらないでください……」
一台目の馬車に乗り込んで、ブーブーと文句を言うアイリス。
残りの馬車には、アイリスの身の回り品等が次々と積み込まれている。
すると、見知った顔の護衛騎士がアイリスに声を掛けてきた。
「アイリス様、私はこの度の護衛責任を仰せつかったヒース・デュライスと申します! 通常の私はアレクシス様の護衛をメインで行っているので、お見知りおきかとは存じますが、今回は我々が安全にサンライズ城までお送り致しますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「ええ。こちらこそ、よろしくね」
キリっとしながらハキハキと話すこの若者は、いつもアレクシスの従者としてスコール家にやってくる側近の青年だ。年は二十歳前後くらいだろうか。
確かこの間の訪問では、クッキーの箱を5つも運ばされていた気がする……。
「エレンの姐さん! 外の護衛は俺らがやるんで、姐さんはアイリス様とご一緒にご乗車なさってください」
「ヒース、大丈夫なの? 今回やけに護衛が少ないようだけれど……」
「ご心配なく! 全員、レスター元中隊長の鬼のシゴキに耐え抜いた猛者ばかりなんで。今回はアレクシス様のご希望で少数精鋭で護衛陣を組んでおります」
「そう。それはともかく、私の夫を鬼扱いしないで欲しいのだけれど……」
「すみません……。あまりにも昔のトラウマが根強くって……」
そんな会話を済ませると、エレンがアイリスの馬車に乗り込んで来た。
「エレン……あのいつもアレクの従者をしているヒースとは知り合いなの?」
「はい。以前夫が近衛騎士団で中隊長を任されていた頃の部下なのですが、その際、一瞬ですが私も共にその騎士団に所属していたので、私にとっても後輩の様な存在です。ですが彼は、若輩ながらもその頃から、とても優秀な部下でした」
「でももうかなり若い頃から、アレクの側近をやっているわよね? 無茶な命令などされていないのかしら……」
「よく胃が痛いと言っておりますが……大丈夫ではありませんか?」
「それは大丈夫ではないでしょうがっ!!」
そう言って馬車の中から不憫な目をヒースに向けるアイリス。
何度かはアレクシスの付き添いで顔を合わせてはいるが、絶世の美女と名高い眼力の強いアイリスにじっと見つめられ、ドギマギしてしまうヒース……。
「あのぉ~、アイリス様? 私に何かご用でも……?」
「あなたも相当、苦労しているのね……」
「はい?」
「ヒース、気にしなくていいから、仕事に戻りなさい」
「はぁ……」
アイリスの呟きに困惑しているヒースに仕事に専念するよう促すエレン。
そんな事をしていると、ついに馬車がサンライズ城に向かって出発を始めた。
その静かに揺れる馬車の中で、アイリスがおもむろに口を開く。
「ねぇ、エレン。あなた、よく業務報告等で登城していたわよね? 覚悟はしているのだけれど……やはり城内では、私の事をアレクに嫌がらせをしている嫌な女っていう印象が強いのかしら……」
「何だかんだおっしゃってもアイリス様もそういう部分は気になさるのですね?」
「当たり前でしょ! 私だって一応人間なのだから……。自業自得とは言え、これから自分の事をあまり良く思っていない人が多い場所に突入するのよっ!?」
「ご安心なさってください。少なくとも城内の使用人に関しては、その様な事はございませんので」
そう穏やかな口調で返して来たエレンにアイリスが怪訝そうな顔をする。
「どうしてそう言い切れるの?」
「アイリス様、王妃教育行っている教育指導の方々は、アイリス様に対して冷たい対応をなさる方はおりましたか?」
「とんでもない! 先生方は、いつも誠実で丁寧にご指導してくださるわ!」
「その方々は、アイリス様のご指導をされていない時は、城内に滞在し、登城して来られた伯爵令嬢や向上心のある男爵令嬢の方達をご指導なさっております」
「それが……私の印象が悪くなっていない事と、どう関係があるの?」
更に怪訝そうな表情で聞いてくるアイリスにエレンが苦笑する。
「城内の使用人達は皆、噂好きです。王太子殿下に辛辣で鼻持ちならない傲慢な雨巫女様が、噂通りの人物なのか興味津々なのですよ。そうなると、どうしても教育指導をなさっている方々にアイリス様の事を聞きたくなってしまいます。ですが、あの方達はアイリス様の事を大絶賛なさっておいでですよね?」
「それは分からないけれど……少なくとも私自身に対しては、とても友好的だわ」
「そこから皆、本来のアイリス様がどのような人物なのか、すでに広まってしまっているのです。もちろん、その拡散に私も一役買ってしまっておりますが……」
「エレンにも聞いてくるのっ!?」
あまりにも驚いたのかアイリスは半分腰を浮かして、つい叫んでしまった。
その反応にエレンが更に苦笑する。
「ええ。そういう意味だと今、外で護衛をしているヒースも同類です」
すると馬車の外からヒースが会話に入って来た。
「私は主にアイリス様が、あの腹黒王太子様と口論で対等にやり合っている武勇伝を広めております!」
「ヒース……それは広めない方がいいのでは……」
「姐さんは、アレクシス様の側近をなさった事がないから、そんな事が言えるんです! あのまるで口からお生まれになったかの様な減らず口と毎日向き合うのが、どんなに辛く大変か……」
「分かるわぁ……。ただでさえあの矢継ぎ早に返される屁理屈に腹立たしい思いをさせられるのにその全てが、人の神経を逆撫でする言葉で返されるのよね……」
「ア、アイリス様ぁ……。お分かり頂けるのですね……」
「変な所で被害者意識を同調させないでください! ヒースも不敬になるわよ!」
「だってぇ……」
現在、二十歳のヒースが年不相応な情けない声を出す。
しかしそんなやり取りのお陰でアイリスの緊張は、かなり軽減された。
しかし、いざ城内の敷地に馬車が入ると、流石のアイリスも再び緊張し出す。
正直なところ、セラフィナの別邸にはよく訪れているアイリスだが、城の方にはここ10年近く登城していないのだ。恐らく城内の入り口に馬車が着いて扉が開かれれば、ズラリと並んだ使用人達がアイリスを出迎えるはずだ……。その時、アイリスに冷たい目線が一斉に降り注ぐ可能性が無いとも言い切れない。
そんな事を考えてしまったアイリスは、無意識にドレスの膝部分を握りしめる。
その事に気が付いたエレンが、心配そうに声を掛けた。
「アイリス様……」
「大丈夫。例え拒絶される事があっても、それは私自身が選らんだ事なのだから」
そして、ついに城内の入り口に着いた馬車の扉が開かれる。扉を開けたのは、婚約者であるアレクシスだ。エスコートする為にアイリスに手を差し出しながら、ニッコリと優雅に微笑む。
「アイリス。最初が肝心だよ? しっかりと猫を被ってね?」
「それくらい分かっているわよ……。バカにしないで……」
そう小言で返し、アレクシスに手を取られながら馬車から降りる。
その瞬間、ズラリと並んだ使用人達の空気が、一斉に固まるのを感じた。
通常ならここで一言、声を合わせて出迎えの言葉が出るはずなのだが……何故か誰も発しようとしない。
一瞬、自分が拒絶されているのではないかという不安に負けそうになり、やや俯き気味で唇を噛みしめたのだが、そこは度胸のアイリスだ。すぐに真っ直ぐ顔を上げ、これでもかというくらい優雅に微笑んでみせた。
すると、ズラリと並んだ使用人達がやっと我に返る。どうやら、予想以上のアイリスの容姿に皆、言葉を失っていただけのようだ。
「「「「雨巫女アイリス様、ようこそお越しくださいました!」」」」
出落ちしたとは思えない程、キレイに重なる歓迎の挨拶にアイリスも更に綺麗な笑みを作り出して優雅に答える。
「ええ。お出迎え、どうもありがとう!」
そしてドレスの裾をチョコンと摘まんで小さく礼をし、再びアレクシスに手を取られてエスコ―トされながら、城内へと誘導されて行く。
「流石、アイリス! あのまま固まったままだったら、助けてあげようかと思っていたのだけれど……無用な心配だったね!」
「あなたに助けられるくらいなら、舌を噛み切って死を選ぶわ」
「その場合、実家に戻ってから噛み切ってね? ここだと問題になるから」
「本っ当、あなたって嫌な性格してるわよね……。聞き流す事は出来ないの?」
「うん。君の発する言葉に対しては、ほぼ無理だ」
笑顔をキープしたまま、二人が小言を言い合っていると王広間に着く。
二人が近づく絶妙のタイミングで警備の騎士が扉を開け、中には国王であるエクリプスと王妃セラフィナが玉座に座って、アイリス達を出迎えてくれた。
中に入り、二人に対して最上級の礼を取るアイリス。
「アイリス、やっと登城してくれたね。ずっと君を待っていたのだよ?」
そう優しく声を掛けてきたのは、アレクシスの父である国王エクリプスだ。見た目はアレクシスによく似てるが、黒さは一切感じられない。アイリスにとっては、幼少期からよくこっそりセラフィナの別邸に来ては、アイリスの歌を鑑賞しに来てくれていたので、あまり緊張する間柄でもないのだ。
「恐れながら両陛下を大変お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。今日まで、この我儘な雨巫女の要望をお聞き入れ下さり、本当にありがとうございます。今後はこちらにて誠心誠意、次期王妃に相応しい人間になれますよう精進致しますので、どうかご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します」
普段は砕けた口調で話すアイリスだが、咄嗟に状況や相手の立場に合わせた言葉遣いには、すぐに切り替える事が出来る。その辺りの特技は犬猿の仲であるアレクシスと、かなり似ている。
「アイリス、こちらに来る準備で色々疲れたでしょ? 今日はゆっくり休んで明日から色々お話しましょうね」
週に一度は会っていた王妃セラフィナだが、今日からは毎日好きな時にアイリスに会う事が出来るのが、余程嬉しいらしい。先程からニコニコしながら王妃専用の玉座に座っている。
「お気遣いくださいまして、大変痛み入ります。セラフィナ様」
「それでは父上、母上、お言葉に甘えましてアイリスを早々に休ませたいので、本日はこれにて失礼いたしますね?」
そうして二人で両陛下に礼を取る。
今回は形式上の挨拶だけなので、アレクシスはアイリスをエスコートしながら、早々に王広間を後にした。
「さてと……これから君の部屋に案内をするのだけれども……。そのまま今後の予定と僕が出した課題の詳細についての話をしてもいいかな?」
「課題って言い方は癇に触るのだけれど……」
「だって君の改善しなければならない点なのだから、立派な課題じゃないか……。君、どこまで自分は完璧に王妃教育をマスターしたと思い込んでるの? 正直、対人スキルが低いだけで、どんなに知識や教養を身に付けても意味ないからね?」
アレクシスのその言い様にアイリスがピクリと反応する。
「左様でございましたかー。では病的な二面性をお持ちのアレクシス殿下ならば、さぞ素晴らしい対人スキルをお持ちなのでしょうねー」
「君にもその病的な素質があるから、すぐに身に付けられるスキルだと思うよ?」
「どうして嫌味を返しきらないと気が済まない訳!?」
「アイリス、その言葉そっくりそのまま君に返すよ」
そんな言い合いをしていたら、扉の前に侍女が二人立っている姿が見えた。二人共、アイリスよりもやや年下の様だ。
「彼女達が君付きの侍女だ。基本的な身の周りの事はエレンがやるとは言っていたけれど……着替えや入浴等は彼女達の方が慣れていると思うから任せて欲しい」
「パールと申します。若輩者ですが精一杯お仕えさせて頂きます」
「カルミアと申します。どうぞご遠慮なくお声がけくださいませ」
「アイリス・レイン・スコールよ。こちらこそ、よろしくね?」
自身が威圧的な人間と勘違いされやすい事を十分理解しているアイリスは、大人しそうな二人の少女達を怯えさせない様に精一杯優しく微笑みながら声を掛ける。
すると少女達が、ぽわぁ~っと顔を赤らめた。
「「よ、よろしくお願いします!」」
そうしてガバっと双子のようにシンクロしたお辞儀をする二人。
明るめの優しい色相の茶色の髪の少女がパール、淡いクリーム色の様な見事なブロンドの少女がカルミアと覚えたアイリス。
「とりあえず中に入ろうか? 二人共、お茶の準備をお願い出来るかい?」
「「かしこまりました!」」
ややあどけなさの残る顔を一生懸命キリっとさせた二人が、お茶の準備をしに一端下がって行った。そしてアレクシスが扉を開け、中に入る様にアイリスを促す。部屋に入ると、エレンがすでに荷ほどきをしていた。
「アレクシス殿下、アイリス様、お疲れ様でございます」
「やぁ、エレン。アイリス付きの侍女の子達には会ったかい?」
「ええ。二人共、素直でよく気が利く子達なので安心いたしました」
「それは良かった。なるべくアイリスにいびられなさそうな子達を選んだのだけれど……彼女達なら大丈夫そうだね?」
「いびったりしないわよ!」
「えー? 気が強いタイプの年上の侍女だったら君、絶対いびりそうだよ?」
「いいから早く本題に入って!」
「はいはい」
テーブルを挟んで向かい合わせで座ると、アレクシスがひと呼吸付く。
「それじゃ、今後の君がこなして欲しい事を話すね。とりあえず今月に関しては、僕と一緒に最低でも4回は夜会に参加してもらう」
「夜会の参加? それは私の知名度上げや誤解されてる部分を解く為って事?」
「まぁ、それもあるけど……。一番の目的は僕らの不仲説を覆す事かな?」
「はぁ!?」
「うわぁ~、いい反応するね? でもこれが一番手っ取り早い君の名誉挽回方法だと思うんだけど? 王太子に辛辣な態度していた事は誤解だったと訂正しやすいし、おまけに王家のイメージアップにもなる」
「確かにあなたに辛辣な態度を取っていた事は誤魔化せるけど……。何故イメージアップになるのよ?」
「だって社交界のご婦人方は、年齢問わずロマンス小説に出てきそうな僕らの様な美男美女カップルの仲睦まじい光景を見るのが好きだろ?」
「仲睦まじい……」
心底嫌そうな顔をして呟くアイリスに物凄くいい笑顔を向けるアレクシス。
すると扉がノックされ、パールとカルミアがお茶を持ってきてくれた。
「二人共、ありがとう!」
そう言ってにっこりアレクシスが微笑むと、二人は真っ赤になってしまう。
アレクシスは、まるでお手本でも見せるかの様に自分の恵まれた容姿を最大限に利用して、自身のイメージアップを上手くやっている事を見せつけてきた。
「ねぇ、アイリス。君には僕に対してこういう事、出来なさそう?」
微笑みながら挑発してきたアレクシスの態度にアイリスが目を据わらせた。
その様子に今度は、侍女二人が怯え出す。
それに気付いたアイリスは、慌ててその据わった目を解除した。
そして若干、引きつった表情で笑みを浮かべながらアレクシスに確認する。
「要するに……今月最低4回は、あなたの隣で幸せそうな表情の仮面を張り付けて、夜会に参加しろって事かしら?」
「ご明察! 僕にでも出来るのだから当然、君でも簡単にこなせる事だよね?」
「そうね……。それぐらいだったら問題ないわ!」
「ちなみに申し訳ないけど、僕の方からは君に対して過剰に愛情表現している様な行動を取らせて貰うけど……それも別に問題ないよね?」
その瞬間、アイリスの瞳がカッと見開かれる。
「問題あるに決まってるでしょっ!? 何を思って、さらりといかがわしい行為をする事を堂々と宣言してんのよ!!」
「えー? でも手の甲や頬に挨拶程度の軽い口づけをするだけだよ?」
「嫌っ! それだけは絶っ対に嫌っ! 死んでも無理だわ!」
頑なに拒絶の返答を繰り返すアイリスにアレクシスが、白い目を向ける。
「君さー、そんな事で本当に大丈夫なの……? だって社交界では生理的に無理そうな相手からも挨拶と称して、手の甲に口づけされるじゃないか……。今のその返答内容だと、今後も僕が納得出来る成果を君が出す事は無理だと思うから、婚礼までの二年間ずっと、この城に滞在する羽目になるよ?」
その言葉に忌々し気にアイリスが唇を噛みしめる。
「…………手だけでいいと言うのであれば譲歩するわ……」
「ありがとう! 君が協力的で本当に助かるよ~」
そう満面の笑みを浮かべて、にっこりするアレクシスをアイリスが刺し殺さんばかりの勢いで鋭く睨みつける。その様子にパールとカルミアが思わず手を取り合って怯えているのをエレンが、そっと宥めた。
「大丈夫。あのお二人は、いつもああだから……」
そう力なく言うエレンだが、この先の事を考えると頭が痛くなってきた……。
「行きたくない! 行きたくない! 行きたくなぁぁぁーい!!」
「アイリス様……。いい加減になさってください……」
「エレンはいいわよね! 私が登城すれば最愛の夫との時間が増えるのだから!」
「私の夫は現在、国王陛下付きの護衛騎士の為、例え同じ城内にいても会う時間は、そこまで得られませんよ?」
「でも一緒の部屋で寝泊まり出来るんだから、今よりかは増えるじゃない!」
「いくら登城がお嫌とは言え、私に八つ当たりなさらないでください……」
一台目の馬車に乗り込んで、ブーブーと文句を言うアイリス。
残りの馬車には、アイリスの身の回り品等が次々と積み込まれている。
すると、見知った顔の護衛騎士がアイリスに声を掛けてきた。
「アイリス様、私はこの度の護衛責任を仰せつかったヒース・デュライスと申します! 通常の私はアレクシス様の護衛をメインで行っているので、お見知りおきかとは存じますが、今回は我々が安全にサンライズ城までお送り致しますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「ええ。こちらこそ、よろしくね」
キリっとしながらハキハキと話すこの若者は、いつもアレクシスの従者としてスコール家にやってくる側近の青年だ。年は二十歳前後くらいだろうか。
確かこの間の訪問では、クッキーの箱を5つも運ばされていた気がする……。
「エレンの姐さん! 外の護衛は俺らがやるんで、姐さんはアイリス様とご一緒にご乗車なさってください」
「ヒース、大丈夫なの? 今回やけに護衛が少ないようだけれど……」
「ご心配なく! 全員、レスター元中隊長の鬼のシゴキに耐え抜いた猛者ばかりなんで。今回はアレクシス様のご希望で少数精鋭で護衛陣を組んでおります」
「そう。それはともかく、私の夫を鬼扱いしないで欲しいのだけれど……」
「すみません……。あまりにも昔のトラウマが根強くって……」
そんな会話を済ませると、エレンがアイリスの馬車に乗り込んで来た。
「エレン……あのいつもアレクの従者をしているヒースとは知り合いなの?」
「はい。以前夫が近衛騎士団で中隊長を任されていた頃の部下なのですが、その際、一瞬ですが私も共にその騎士団に所属していたので、私にとっても後輩の様な存在です。ですが彼は、若輩ながらもその頃から、とても優秀な部下でした」
「でももうかなり若い頃から、アレクの側近をやっているわよね? 無茶な命令などされていないのかしら……」
「よく胃が痛いと言っておりますが……大丈夫ではありませんか?」
「それは大丈夫ではないでしょうがっ!!」
そう言って馬車の中から不憫な目をヒースに向けるアイリス。
何度かはアレクシスの付き添いで顔を合わせてはいるが、絶世の美女と名高い眼力の強いアイリスにじっと見つめられ、ドギマギしてしまうヒース……。
「あのぉ~、アイリス様? 私に何かご用でも……?」
「あなたも相当、苦労しているのね……」
「はい?」
「ヒース、気にしなくていいから、仕事に戻りなさい」
「はぁ……」
アイリスの呟きに困惑しているヒースに仕事に専念するよう促すエレン。
そんな事をしていると、ついに馬車がサンライズ城に向かって出発を始めた。
その静かに揺れる馬車の中で、アイリスがおもむろに口を開く。
「ねぇ、エレン。あなた、よく業務報告等で登城していたわよね? 覚悟はしているのだけれど……やはり城内では、私の事をアレクに嫌がらせをしている嫌な女っていう印象が強いのかしら……」
「何だかんだおっしゃってもアイリス様もそういう部分は気になさるのですね?」
「当たり前でしょ! 私だって一応人間なのだから……。自業自得とは言え、これから自分の事をあまり良く思っていない人が多い場所に突入するのよっ!?」
「ご安心なさってください。少なくとも城内の使用人に関しては、その様な事はございませんので」
そう穏やかな口調で返して来たエレンにアイリスが怪訝そうな顔をする。
「どうしてそう言い切れるの?」
「アイリス様、王妃教育行っている教育指導の方々は、アイリス様に対して冷たい対応をなさる方はおりましたか?」
「とんでもない! 先生方は、いつも誠実で丁寧にご指導してくださるわ!」
「その方々は、アイリス様のご指導をされていない時は、城内に滞在し、登城して来られた伯爵令嬢や向上心のある男爵令嬢の方達をご指導なさっております」
「それが……私の印象が悪くなっていない事と、どう関係があるの?」
更に怪訝そうな表情で聞いてくるアイリスにエレンが苦笑する。
「城内の使用人達は皆、噂好きです。王太子殿下に辛辣で鼻持ちならない傲慢な雨巫女様が、噂通りの人物なのか興味津々なのですよ。そうなると、どうしても教育指導をなさっている方々にアイリス様の事を聞きたくなってしまいます。ですが、あの方達はアイリス様の事を大絶賛なさっておいでですよね?」
「それは分からないけれど……少なくとも私自身に対しては、とても友好的だわ」
「そこから皆、本来のアイリス様がどのような人物なのか、すでに広まってしまっているのです。もちろん、その拡散に私も一役買ってしまっておりますが……」
「エレンにも聞いてくるのっ!?」
あまりにも驚いたのかアイリスは半分腰を浮かして、つい叫んでしまった。
その反応にエレンが更に苦笑する。
「ええ。そういう意味だと今、外で護衛をしているヒースも同類です」
すると馬車の外からヒースが会話に入って来た。
「私は主にアイリス様が、あの腹黒王太子様と口論で対等にやり合っている武勇伝を広めております!」
「ヒース……それは広めない方がいいのでは……」
「姐さんは、アレクシス様の側近をなさった事がないから、そんな事が言えるんです! あのまるで口からお生まれになったかの様な減らず口と毎日向き合うのが、どんなに辛く大変か……」
「分かるわぁ……。ただでさえあの矢継ぎ早に返される屁理屈に腹立たしい思いをさせられるのにその全てが、人の神経を逆撫でする言葉で返されるのよね……」
「ア、アイリス様ぁ……。お分かり頂けるのですね……」
「変な所で被害者意識を同調させないでください! ヒースも不敬になるわよ!」
「だってぇ……」
現在、二十歳のヒースが年不相応な情けない声を出す。
しかしそんなやり取りのお陰でアイリスの緊張は、かなり軽減された。
しかし、いざ城内の敷地に馬車が入ると、流石のアイリスも再び緊張し出す。
正直なところ、セラフィナの別邸にはよく訪れているアイリスだが、城の方にはここ10年近く登城していないのだ。恐らく城内の入り口に馬車が着いて扉が開かれれば、ズラリと並んだ使用人達がアイリスを出迎えるはずだ……。その時、アイリスに冷たい目線が一斉に降り注ぐ可能性が無いとも言い切れない。
そんな事を考えてしまったアイリスは、無意識にドレスの膝部分を握りしめる。
その事に気が付いたエレンが、心配そうに声を掛けた。
「アイリス様……」
「大丈夫。例え拒絶される事があっても、それは私自身が選らんだ事なのだから」
そして、ついに城内の入り口に着いた馬車の扉が開かれる。扉を開けたのは、婚約者であるアレクシスだ。エスコートする為にアイリスに手を差し出しながら、ニッコリと優雅に微笑む。
「アイリス。最初が肝心だよ? しっかりと猫を被ってね?」
「それくらい分かっているわよ……。バカにしないで……」
そう小言で返し、アレクシスに手を取られながら馬車から降りる。
その瞬間、ズラリと並んだ使用人達の空気が、一斉に固まるのを感じた。
通常ならここで一言、声を合わせて出迎えの言葉が出るはずなのだが……何故か誰も発しようとしない。
一瞬、自分が拒絶されているのではないかという不安に負けそうになり、やや俯き気味で唇を噛みしめたのだが、そこは度胸のアイリスだ。すぐに真っ直ぐ顔を上げ、これでもかというくらい優雅に微笑んでみせた。
すると、ズラリと並んだ使用人達がやっと我に返る。どうやら、予想以上のアイリスの容姿に皆、言葉を失っていただけのようだ。
「「「「雨巫女アイリス様、ようこそお越しくださいました!」」」」
出落ちしたとは思えない程、キレイに重なる歓迎の挨拶にアイリスも更に綺麗な笑みを作り出して優雅に答える。
「ええ。お出迎え、どうもありがとう!」
そしてドレスの裾をチョコンと摘まんで小さく礼をし、再びアレクシスに手を取られてエスコ―トされながら、城内へと誘導されて行く。
「流石、アイリス! あのまま固まったままだったら、助けてあげようかと思っていたのだけれど……無用な心配だったね!」
「あなたに助けられるくらいなら、舌を噛み切って死を選ぶわ」
「その場合、実家に戻ってから噛み切ってね? ここだと問題になるから」
「本っ当、あなたって嫌な性格してるわよね……。聞き流す事は出来ないの?」
「うん。君の発する言葉に対しては、ほぼ無理だ」
笑顔をキープしたまま、二人が小言を言い合っていると王広間に着く。
二人が近づく絶妙のタイミングで警備の騎士が扉を開け、中には国王であるエクリプスと王妃セラフィナが玉座に座って、アイリス達を出迎えてくれた。
中に入り、二人に対して最上級の礼を取るアイリス。
「アイリス、やっと登城してくれたね。ずっと君を待っていたのだよ?」
そう優しく声を掛けてきたのは、アレクシスの父である国王エクリプスだ。見た目はアレクシスによく似てるが、黒さは一切感じられない。アイリスにとっては、幼少期からよくこっそりセラフィナの別邸に来ては、アイリスの歌を鑑賞しに来てくれていたので、あまり緊張する間柄でもないのだ。
「恐れながら両陛下を大変お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。今日まで、この我儘な雨巫女の要望をお聞き入れ下さり、本当にありがとうございます。今後はこちらにて誠心誠意、次期王妃に相応しい人間になれますよう精進致しますので、どうかご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します」
普段は砕けた口調で話すアイリスだが、咄嗟に状況や相手の立場に合わせた言葉遣いには、すぐに切り替える事が出来る。その辺りの特技は犬猿の仲であるアレクシスと、かなり似ている。
「アイリス、こちらに来る準備で色々疲れたでしょ? 今日はゆっくり休んで明日から色々お話しましょうね」
週に一度は会っていた王妃セラフィナだが、今日からは毎日好きな時にアイリスに会う事が出来るのが、余程嬉しいらしい。先程からニコニコしながら王妃専用の玉座に座っている。
「お気遣いくださいまして、大変痛み入ります。セラフィナ様」
「それでは父上、母上、お言葉に甘えましてアイリスを早々に休ませたいので、本日はこれにて失礼いたしますね?」
そうして二人で両陛下に礼を取る。
今回は形式上の挨拶だけなので、アレクシスはアイリスをエスコートしながら、早々に王広間を後にした。
「さてと……これから君の部屋に案内をするのだけれども……。そのまま今後の予定と僕が出した課題の詳細についての話をしてもいいかな?」
「課題って言い方は癇に触るのだけれど……」
「だって君の改善しなければならない点なのだから、立派な課題じゃないか……。君、どこまで自分は完璧に王妃教育をマスターしたと思い込んでるの? 正直、対人スキルが低いだけで、どんなに知識や教養を身に付けても意味ないからね?」
アレクシスのその言い様にアイリスがピクリと反応する。
「左様でございましたかー。では病的な二面性をお持ちのアレクシス殿下ならば、さぞ素晴らしい対人スキルをお持ちなのでしょうねー」
「君にもその病的な素質があるから、すぐに身に付けられるスキルだと思うよ?」
「どうして嫌味を返しきらないと気が済まない訳!?」
「アイリス、その言葉そっくりそのまま君に返すよ」
そんな言い合いをしていたら、扉の前に侍女が二人立っている姿が見えた。二人共、アイリスよりもやや年下の様だ。
「彼女達が君付きの侍女だ。基本的な身の周りの事はエレンがやるとは言っていたけれど……着替えや入浴等は彼女達の方が慣れていると思うから任せて欲しい」
「パールと申します。若輩者ですが精一杯お仕えさせて頂きます」
「カルミアと申します。どうぞご遠慮なくお声がけくださいませ」
「アイリス・レイン・スコールよ。こちらこそ、よろしくね?」
自身が威圧的な人間と勘違いされやすい事を十分理解しているアイリスは、大人しそうな二人の少女達を怯えさせない様に精一杯優しく微笑みながら声を掛ける。
すると少女達が、ぽわぁ~っと顔を赤らめた。
「「よ、よろしくお願いします!」」
そうしてガバっと双子のようにシンクロしたお辞儀をする二人。
明るめの優しい色相の茶色の髪の少女がパール、淡いクリーム色の様な見事なブロンドの少女がカルミアと覚えたアイリス。
「とりあえず中に入ろうか? 二人共、お茶の準備をお願い出来るかい?」
「「かしこまりました!」」
ややあどけなさの残る顔を一生懸命キリっとさせた二人が、お茶の準備をしに一端下がって行った。そしてアレクシスが扉を開け、中に入る様にアイリスを促す。部屋に入ると、エレンがすでに荷ほどきをしていた。
「アレクシス殿下、アイリス様、お疲れ様でございます」
「やぁ、エレン。アイリス付きの侍女の子達には会ったかい?」
「ええ。二人共、素直でよく気が利く子達なので安心いたしました」
「それは良かった。なるべくアイリスにいびられなさそうな子達を選んだのだけれど……彼女達なら大丈夫そうだね?」
「いびったりしないわよ!」
「えー? 気が強いタイプの年上の侍女だったら君、絶対いびりそうだよ?」
「いいから早く本題に入って!」
「はいはい」
テーブルを挟んで向かい合わせで座ると、アレクシスがひと呼吸付く。
「それじゃ、今後の君がこなして欲しい事を話すね。とりあえず今月に関しては、僕と一緒に最低でも4回は夜会に参加してもらう」
「夜会の参加? それは私の知名度上げや誤解されてる部分を解く為って事?」
「まぁ、それもあるけど……。一番の目的は僕らの不仲説を覆す事かな?」
「はぁ!?」
「うわぁ~、いい反応するね? でもこれが一番手っ取り早い君の名誉挽回方法だと思うんだけど? 王太子に辛辣な態度していた事は誤解だったと訂正しやすいし、おまけに王家のイメージアップにもなる」
「確かにあなたに辛辣な態度を取っていた事は誤魔化せるけど……。何故イメージアップになるのよ?」
「だって社交界のご婦人方は、年齢問わずロマンス小説に出てきそうな僕らの様な美男美女カップルの仲睦まじい光景を見るのが好きだろ?」
「仲睦まじい……」
心底嫌そうな顔をして呟くアイリスに物凄くいい笑顔を向けるアレクシス。
すると扉がノックされ、パールとカルミアがお茶を持ってきてくれた。
「二人共、ありがとう!」
そう言ってにっこりアレクシスが微笑むと、二人は真っ赤になってしまう。
アレクシスは、まるでお手本でも見せるかの様に自分の恵まれた容姿を最大限に利用して、自身のイメージアップを上手くやっている事を見せつけてきた。
「ねぇ、アイリス。君には僕に対してこういう事、出来なさそう?」
微笑みながら挑発してきたアレクシスの態度にアイリスが目を据わらせた。
その様子に今度は、侍女二人が怯え出す。
それに気付いたアイリスは、慌ててその据わった目を解除した。
そして若干、引きつった表情で笑みを浮かべながらアレクシスに確認する。
「要するに……今月最低4回は、あなたの隣で幸せそうな表情の仮面を張り付けて、夜会に参加しろって事かしら?」
「ご明察! 僕にでも出来るのだから当然、君でも簡単にこなせる事だよね?」
「そうね……。それぐらいだったら問題ないわ!」
「ちなみに申し訳ないけど、僕の方からは君に対して過剰に愛情表現している様な行動を取らせて貰うけど……それも別に問題ないよね?」
その瞬間、アイリスの瞳がカッと見開かれる。
「問題あるに決まってるでしょっ!? 何を思って、さらりといかがわしい行為をする事を堂々と宣言してんのよ!!」
「えー? でも手の甲や頬に挨拶程度の軽い口づけをするだけだよ?」
「嫌っ! それだけは絶っ対に嫌っ! 死んでも無理だわ!」
頑なに拒絶の返答を繰り返すアイリスにアレクシスが、白い目を向ける。
「君さー、そんな事で本当に大丈夫なの……? だって社交界では生理的に無理そうな相手からも挨拶と称して、手の甲に口づけされるじゃないか……。今のその返答内容だと、今後も僕が納得出来る成果を君が出す事は無理だと思うから、婚礼までの二年間ずっと、この城に滞在する羽目になるよ?」
その言葉に忌々し気にアイリスが唇を噛みしめる。
「…………手だけでいいと言うのであれば譲歩するわ……」
「ありがとう! 君が協力的で本当に助かるよ~」
そう満面の笑みを浮かべて、にっこりするアレクシスをアイリスが刺し殺さんばかりの勢いで鋭く睨みつける。その様子にパールとカルミアが思わず手を取り合って怯えているのをエレンが、そっと宥めた。
「大丈夫。あのお二人は、いつもああだから……」
そう力なく言うエレンだが、この先の事を考えると頭が痛くなってきた……。
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