雨巫女と天候の国

もも野はち助

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3.巫女封じ

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 そもそも何故、アイリスがここまでアレクシスの事を毛嫌いするのか……。
 それは今から10年前、二人が初めて対面した時のある出来事が原因だ。

 アイリスが初めてアレクシスと出会ったのは、サンライズ王家所有の野外劇場で行われた自分の雨巫女デビューのお披露目式の時だ。
 サンライズ城の隣には、屋根付きの野外劇場が併設されている。
 その野外劇場は、国の式典用にだけでなく、舞や楽器演奏等で力を発動させる自国の自慢の巫女達を、国民及び、国外からの観光客達に披露する目的で作られた。

 そして今から10年前、アイリスは6歳で行うその雨巫女のお披露目式を王太子の婚約者という名目で、王家が所有しているその野外劇場で行う事になったのだ。

 そもそも何故、アイリスはアレクシスの婚約者になったのか……。
 それは生まれつき持っていたアイリスの驚異的な巫女力が決定打だった。

 サンライズの巫女達の中には家柄等とは関係なく、稀に桁違いの力を持った巫女が生まれる事がある。
 その場合、有無を言わさずサンライズの王家の人間と婚約させられる。
 もし万が一、その巫女が力を暴走させてしまっても王家の人間が常に近くにいる状態ならば、一瞬で晴天に変え、すぐに対処出来るという理由からだ。
 特に雨巫女の場合、水害の原因の可能性にもなるのでその対応が必然となる。
 この驚異的な力を持つ巫女が、強制的にサンライズ王家の人間と婚約させられる事を通称『巫女封じ』と呼ばれている。
 アイリスの場合、まさにそれに該当するケースだった。

 その為、僅か5歳でアイリスは二つ年上のアレクシスとの婚約が決まる。
 そしてたまたま、アイリスが雨巫女としてデビュー前だったので、それならばサンライズ城で盛大に行いたいという提案が、王妃セラフィナから出たのだ。

 セラフィナは国王に見初められる前は、上位の伯爵令嬢であるにも関わらず優秀なピアニストであり、この劇場で行われた音楽関連で力を発動させるサンライズの巫女達のパフォーマンス性をピアノを使って高める事に大いに貢献した人物だ。
 そんな音楽をこよなく愛するセラフィナは、まだ息子の婚約者になる事が決まっていなかったアイリスと、現在コーリングスターに嫁ぎかけている風巫女エリアテールの歌声をサンライズの二大歌巫女として大絶賛していた。
 今回のお披露目式は、そんな歌巫女の一人であるアイリスが、桁違いの巫女力によって自分の息子の婚約者となった事に相当浮かれていた故の提案である。

 しかし当のアレクシスは、二大歌巫女の一人エリアテールとは面識はあっても巫女デビュー前のアイリスとは、一度も会った事がなかった。

 そんな二人が、この雨巫女デビューのお披露目式で初めて出会う。
 その時から腹黒さと猫かぶりを発動させていたアレクシスは、当時まだ6歳だった純粋無垢なアイリスには、まるで物語に出てくるような理想的な王子様にしか見えておらず、アイリスはこの素敵な王太子が自分の婚約者である事にかなり舞い上がっていた。
 そんな夢のような王太子像を纏ったアレクシスは、雨乞いの儀を行う前の緊張気味なアイリスに柔らかい物腰で、たくさんの優しい言葉をかけてくれた。
 恐らく不覚にもこの時が、アイリスの初恋だ……。

 しかし、そんなアレクシスの接し方に舞い上がっていたアイリスだったが……。
 この後、雨乞いの儀を終えた直後に奈落に落とされる事となる……。

 その大きな原因となった部分が、アイリスの歌い方だった。
 アイリスの歌い方は、もう一人の歌巫女であるエリアテールとは、真逆だ。
 透き通るような高く優しい声で歌を紡ぎ出すエリアテールは、サインライズ国内では通称『エンジェル・ボイス』と呼ばれる程、心癒される歌声をしていた。

 対してアイリスの場合、低音から高音の広い音域を満遍なく歌いこなせる太く、力強い歌声である。通称『ゴッド・ボイス』と言われるアイリスの歌声は、まるで魂を揺さぶられる様な、そんな勇ましい歌声なのだ。
 よく言われる称賛の声として『まるで心が解放される様な歌声』と言われ、アイリスの歌声を聴くと、胸に秘めている負の感情と向き合う事が出来て、心がスッと軽くなるそうなのだが……。歌っているアイリスは、まるでその歌の世界にトリップしている様な感覚で歌っている為、周りのその反応がよく分からない。

 周りを包み込むように歌い上げるエリアテールとは違い、アイリスの場合は自分の世界に没頭して歌い上げる感じだ。
 聴き手側は、まるでアイリスの生み出した世界に引き込まれるような感覚になるらしい。

 その為、同じ歌巫女でも二人の歌声は、聴き手の反応が全く違う。
 エリアテールの歌声を聴くと、穏やかで優しい気持ちになれるという人間が多く、逆にアイリスの歌声を聴くと、魂を揺さぶられ号泣する人間が続出する。

 自分の歌を聴いた人間が一斉に号泣するその様は、幼いアイリスにとっては異様な光景に映る事もあったが、歌を聴いた誰もがアイリスに泣きながら感謝の言葉を伝えてくるので、アイリス自身この時までは自分の歌声を誇りに思っていた。

 だから雨巫女としての初のこのお披露目式では、特に全力で歌った。
 まだ6歳になったばかりのあどけない美少女の歌声に会場は一瞬で息を呑み、歌の後半では老若男女問わず、多くの人間がその圧巻な歌声に号泣した。

 それと同時に異例の巫女力で起こされた大雨が、見事に劇場全体に降り注ぐ。
 客席には、全て屋根が付いているが、巫女が立つ舞台には屋根がない。
 その為、アイリスは雨乞いの儀を行う時は、必ず裸足でびしょ濡れになってもいい服装で行う。
 まるでお人形の様な6歳の美少女が、ずぶ濡れになりながら全身全霊で圧巻の歌声と見事過ぎる大雨を起こし、最後は虹まで発生させた状況は、この劇場で行われた歴代の巫女達の中では伝説と称される程、見事な雨乞いの儀と言われている。

 そんな華々しい雨巫女デビューを果たしたアイリスは、自分の婚約者の称賛の声を聞きたくて、ずぶ濡れのまま嬉々として王族専用のボックス席に向かった。
 そしてアレクシスを驚かせようと、護衛の騎士に見つからない様に王妃セラフィナとアレクシスの座っている席に張り付くと、声を掛けるタイミングを見計らう。
 しかしこのすぐ後にアイリスは、この行動を大いに後悔する事となる。

 アイリスが声を掛けるタイミングを伺っていると、二人が先程の雨乞いの儀の感想を語り出したのだ。

「アレク! 先程のアイリスの素晴らしい歌声を聴いた!? ね? 母様の言った通り、彼女は素晴らしい歌巫女だと思わない!?」

 元々アイリスの歌声を大絶賛していた王妃セラフィナは、ハンカチで涙を拭いながら、興奮状態でアレクシスに話しかけた。
 しかし対するアレクシスは、先程とはまるで別人の様な冷ややかな返答をする。

「確かに圧巻な歌声ではありましたが……少々、厚かましい歌の様に思えます」
「厚かましい? そんな事はないでしょう? こう……何というか魂を揺さぶられる様な……自身と向き合える勇気を貰える、そんな素晴らしい歌声でしょ?」
「僕には、人の心に無断でヅカヅカ入ってくる図々しい歌の様に聴こえました」
「ま、まぁ、心の中を見透かされるような感じは、確かにするけれども……」
「全てを包み込む様な歌声のエリアの歌と比べると、彼女の歌は、聴き手の心を強引に暴き、全てをさらけ出させる様な……少々気分が悪くなる歌です」

 その瞬間、アイリスの中で何かが壊れて行く感じがした。
 先程、歌う前の自分に優しく声を掛けてくれた小さな白馬の王子様が、アイリスの頭の中で見る見ると、どす黒い存在に変わってゆく……。

 この子は本当にさっきまで、自分に優しく笑いかけてくれたあの男の子?
 この男の子が自分の婚約者なの……?
 今、自分の歌を『気分が悪くなる歌』と言ったこの男の子がっ!?

 その現実を理解した瞬間、アイリスの琥珀色の大きな瞳に涙が溜まり出す。
 あまりにもショックで、どうやってその場所から離れたか分からないまま、アイリスは家族達の所へ戻り、いつの間にか母の手によって着替えさせられていた。
 そしてやっと我に返ると、急に母マグノリアに抱き付いた。

「まぁまぁ、アイリス。急に甘え出して、どうしたの?」
「お母様……。私、歌うのを失敗してしまいました……」
「何を言っているの? ほら、会場にいる皆があなたの歌に感動してるじゃない」
「でも……」
「ほら! アレクシス殿下もこちらに来てくださったわよ?」

 その言葉にアイリスは体を強張らせ、母の後ろに廻って身を隠そうとした。

「もう! 何をそんなに恥ずかしがっているの! きちんとご挨拶しなさい!」

 イヤイヤをしながら母にしがみついていたアイリスだが……。
 そんなアイリスを母は容赦なくアレクシスの前に突き出した。
 先程の会話を思い出すと、アレクシスの顔を見るのが怖くてたまらないアイリスは、ぎゅっと目を閉じる。
 すると最初の頃と同じ優しい声で、アレクシスが言葉を発する。

「とっても素敵な歌声だったね! あんなに素晴らしい歌は、今まで一度も聴いた事がないよ! まるで心が洗われるようだった!」

 その瞬間、アイリスはカッと目を見開いた。
 アレクシスは、先程セラフィナと話していたアイリスの歌の感想とは全く真逆な感想を平然と、優しい笑顔を向けながらアイリスに伝えてきたのだ。
 この時、アイリスは初めて体が震える程の怒りと悔しさを覚えた。
 そして怒りの所為なのか、それとも涙の所為なのか分からないまま、アイリスの視界は歪み、同時に自分の目の前にいるアレクシスの顔も歪み出す。

「嫌い……」
「え……?」
「あなたなんて大っ嫌い!! もう二度と私に話しかけないで!!」

 そう叫んだアイリスは物凄い勢いで、その場から走り去った。

 会ったばかりだが、好きになりかけていた自分の婚約者は、自分が誇っていた歌声をもう一人の歌巫女と比べ、否定した……。
 でもそれは好みがあるのだから、仕方のない事だ。

 だが絶対に許せないのは、その後に平然とした優しい顔で、微塵も思ってもいない歌声の感想をアイリスに伝えてきた事だ。
 それならハッキリと「凄い歌声だけど、気分が悪くなる歌だった」と正直に言って貰った方が、まだマシだ……。

 それ以降、優しい顔で平然と嘘を付くアレクシスの言葉が、全て信じられなくなったアイリスは、アレクシスからの呼びかけを全て拒絶する様になる。
 アレクシスが会いにくれば、自室に閉じこもり絶対に顔を合わせない。
 毎週届く手紙も全て破り捨てていた。

 そんな事を4年間も続けていたアイリスだが……。
 それでも懲りずにアレクシスが毎週手紙を寄越すので、毎回同じ文面で書いているのではないかと疑い、何となく手紙を開いてみた。
 すると、サンライズの紋章の入った便箋には一言だけ大きくこう書かれていた。

『逃げるの?』

 その瞬間、アイリスはカッと頭に血が上る。
 しかし、毎週同じ文面で送っている可能性もある……。
 念の為、しばらく様子を見ようと懲りずに届くその手紙を開けてみる事にした。
 すると……

『君、意外と打たれ弱いんだね』

『そんな事で僕の婚約者なんて務まるの?』

『強そうなのは見た目だけ?』

『もう少し張り合いがあると思ってたのにガッカリだ』

 4週間様子を見た結果、何一つ謝罪の言葉はなく……。
 それどころか尻尾を巻いて逃げたような言い方をされていた事に10歳のアイリスの怒りは、頂点に達する。
 そして怒りのままペンを走らせ、便箋5枚にも及ぶ抗議内容で、びっしり手紙を書いたアイリスに対して、アレクシスが返して来た返事は……

『言いたい事は、それだけ?』

 たった一言……。
 5枚も便箋を使って書いた抗議内容に対して、このたった一言のみである……。
 これを切っ掛けに壮絶な嫌味の飛び交う手紙の攻防が、二人の間で開戦された。

 そしてこの手紙のやり取りを通し、この王太子の人間性が少しづつ見えてくる。
 どうやらアイリスが認識していた以上にこの王太子は、性格が悪いらしい……。
 そんな嫌味が飛び交う手紙のやり取りの集大成が、昨日受け取った手紙である。

「ああ~!! もう!! あの男の記憶は何を思い出しても怒りしかないわ!」
「アイリス様、どうかなされましたか?」

 あまりにもアイリスの大きな独り言にエレンが馬車の外から声を掛けてきた。

「ねぇ、エレン。あなたの魔法って、人とか殺せるの?」
「アイリス様……。まるで挨拶でもなさるような軽快な口調で、王太子殿下の暗殺を示唆なさる様な事をおっしゃらないでください……」
「あら、よくアレクの事だって分かったわね?」
「アイリス様が『あの男』と称されるのは、アレクシス様のみですからね……」

 そう答えながらエレンは、大きなため息をついた。
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