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8.間抜けな第三王子
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長兄に相談後、自室に戻ったアスターは、リアトリス宛に手紙を書き出す。
『本当は自分がどうしたいのか、その理由を彼女にしっかり伝えるべきだ』
ディアンツに言われるまで、アスターはその重要性に気付けなかった……。
というよりも……何故自分がリアトリスとの婚約解消をこれ程までに受け入れられないのか、その理由をアスター自身が理解していなかったのだ。
自分達は王家とプルメリア家との架け橋になる為に結婚する。
そして13年間も婚約期間を過ごしたのだから、夫婦にならなくてはならない。
政略的な部分から始まった婚約だったからなのか、アスターの中ではリアトリスとの結婚は王族としての務めだと認識していた……つもりだった。
そして今回初めて婚約解消を考えた時、その事を受け入れられない状態なのは、この二つから来るものだと、つい先程まで本気でそう思っていた……。
しかし先程の長兄との会話で、それが違っていた事がよく分かった。
婚約が決まってからのリアトリスに対しての自分の接し方は、今思い返すとそんな王族としての務めという思いからではなかったのだ……。
婚約が決まった直後の5歳の頃のアスターは、記憶にはないが周りの話では、相当リアトリスにベッタリだったらしい……。
その後のアスター自身が記憶に残っているリアトリスと過ごした婚約期間中の思い出は、第三王子の婚約者としての教育を受ける為に登城して来た彼女と頻繁にお茶をし、夜会等のパーティーには必ず連れ立っていた事だ。
しかも自分から、プルメリア家の方に彼女に会いに赴く事も多々あった。
それをずっとアスターは、婚約者への当たり前の対応だと思っていた。
だが、今その時の自分の行動を思い返すと全く違っていたようだ。
王族の婚約者として淑女教育を受けに登城していたリアトリスと一緒に遊びたがり、頻繁に城へ引き留めていたのは自分だ。
年頃になってからは、自分からお茶に誘って無意識に彼女を引き留めていた。
第三王子として参加しなければならなかった夜会等で、必要以上にリアトリスを連れ立ったのも自分がそうしたかったからだ。
幼少期は婚約者なのだから、仲良くしなくてはならないという考えがあったのかもしれないが……その後は違う。
アスターにとってリアトリスと過ごす時間は、楽しいものだったのだ。
夜会等に率先して連れ立ったのもアスターが、美しく優秀な自分の婚約者を周囲に見せびらかしたいという気持ちが、少なからずあった。
三年前に豹変し暴走しがちのリアトリスを何とかしようと奮闘していたのは、婚約者の急落する評判を気にしてではなく、周りから彼女へ向けられる厳しい視線で彼女が傷つくかもしれない状況を何とかしたかったからだ……。
それをずっとリアトリスに対する愛情から自分が行っていた事に気付かず、婚約者に対する義務と礼儀で行っていたと思っていたアスター。
だが先程ディアンツとの会話から、過去の自分の行動を思い返してみると……そのリアトリスに対する自分の行動動機は、ビオラに好意を抱く次兄ホリホックの行動動機と一緒なのだ。
これでは先程、長兄に言われた『鈍感愚弟』の嫌味に反論など出来ない。
アスターは周りの人間の気持ちを察する事にはそれなりに長けてはいるが、自分の気持ちを察する事に関しては、救いようがない程、鈍かったのだ……。
書き終わったリアトリス宛ての手紙を今日中に届けるようパルドーに頼み、部屋で一人きりになったアスターは、執務机の上で組んだ両手に自分の額を押しつけ、盛大に項垂れた。
散々、相手の気持ちを考えず、自分の気持ちばかりをビオラに押し付けている次兄ホリホックに白い目を向けてきた自分だが……。
相手に受け入れらえれていたとはいえ、アスターはそれと同じ行為を無意識でこの13年間、婚約者のリアトリスに行っていたのだ。
「確かにその状態なら、周りからも微笑ましい目で見られるよな……」
5歳だった自分が、過剰にリアトリスにベッタリだった事を話していた母の表情を思い出し、アスターはポツリと独り言を呟いた後、更に項垂れる。
自分が13年間、リアトリスに好意を持っていた事に気付かないまま、アスターは今まで来てしまっていたのだ……。
だからリアトリスに婚約解消の話を今回初めて切り出した時、自分でも信じられない程、受け入れられない状態に陥ってしまった。
自分の認識ではリアトリスは政略的な理由で婚約した相手なのだから、王族に不敬行為を働けば婚約解消は妥当な判断だ。
だがそれが自分の意中の相手だった事を理解した瞬間、状況は変わる。
リアトリスが犯した不敬行為を知っているのは自分だけなのだから、しばらく謹慎処分等にして、婚約解消まで話を大きく発展させる必要はない。
王族としては少々私欲に走る対応だが……自分が全く望んでいない選択肢の方を回避出来るのであれば、誰だってその逆の選択肢を選ぶ。
だが先程のアスターは、まだ自分がリアトリスに好意を抱いている自覚が全くなかった。だから正当な判断である婚約解消を言い出してしまったのだが……。
まさか長兄に指摘されるまで、自分の気持ちに気付かなかったという間抜けな状況下でしてしまったその判断をそのまま継続する程、アスターもバカではない。
だから明日、もう一度リアトリスと話し合い、やっと気付いた自分の気持ちをしっかり伝えた上で、婚約解消を撤回する方向で話を進めようと思ったのだ。
そんなあまりにもポンコツな自分自身に項垂れながら、明日リアトリスにその事をどう伝えて、婚約解消の撤回を言い出そうかと考えていると、あっという間に一時間が過ぎてしまう……。
すると手紙を届けに行ったパルドーが戻り、リアトリスからの返事を渡して来た。内容は明日、話し合いに応じる為、登城してくれるというものだった。
それを確認し、アスターは少し安堵するが……同時に明日、自分のこの間抜けな状態をどう婚約者に説明するかで、頭を抱え出す。
自分の気持ちを伝える事は左程抵抗はないが、その事にずっと自身が気付いていなかったこの状況を面と向かって説明する事は、かなり恥ずかしい……。
「パルドー……君から見て僕のリアへの今までの接し方は、どう見えてた?」
やや途方に暮れた表情をしながら、力のない声でそう問い掛けると、パルドーが少し困ったような表情を浮かべる。
「どう……と言われましても……。幼少期から現在までアスター様は、リアトリス様をとても大切そうに扱っていらっしゃったと思いますが……」
「大切って、例えばどんな風に?」
「例えば……幼少期ではまるで護衛のようにリアトリス様と片時も離れぬよう過ごされていたところや、社交界デビューなさった後は、リアトリス様が個人的にご参加される夜会等にもアスター様は、率先してエスコートを申し出てご一緒されていたりとか……。急に始まってしまったビオラ様への辛辣な行動に対して、通常なら早々に婚約破棄のお話に発展してしまうケースでも根気強くリアトリス様を諭され、周囲の下がってしまったリアトリス様の評価を必死に回復させようと、奮闘なさっていた所などでしょうか……」
そのパルドーの返答にアスターが、勢いよく執務机に突っ伏す。
ちなみにアスターが、リアトリス個人が参加する夜会にも率先して同行していたのは、今思うと彼女に群がる他令息達を無意識に牽制する為だった……。
「パルドーはそんな僕の行動を見て、僕とリアの関係をどう思った?」
「そうですね……。アスター様は余程リアトリス様を好いていらっしゃるのだなと思っておりましたが……違うのですか?」
「そうなのだけれど。自分がそんな分かりやすい行動をしていたとは思わなかったし、つい先程までリアに好意を抱いていた事に全く気付かなかった……」
更に力のない声で執務机に突っ伏したままアスターが呟くと、その瞬間、パルドーから吹き出すような声が聞こえた。
「し、失礼致しました。その、まさかご自覚がなかったとは……」
必死で笑いを堪えているパルドーの様子から、ますますアスターが自分のポンコツぶりに落胆する。
「僕は傍から見たら、そんなに分かりやすい程、リアへの好意を全開にしていたのかなぁ……。自分では、それは婚約者に対する当たり前の振る舞いをしていただけだと、ずっと思っていたのだけれど……」
「長年お二人を見守って来た私には、分かりやすかったですが……他の方々はどうでしょうかね? アスター様は見た目が温厚そうなお人柄という印象が強いですし、あまり交流のない方では、ただ婚約者への紳士的な振る舞いとして映っていたかもしれません。ですが……リアトリス様が豹変されてしまった三年前からは、私と同じように感じていた方は多いのでは?」
「三年前って……ビオラが社交界デビューした時だよね? 何故それが?」
「ビオラ様が社交界デビューをされた際、殆どの男性がビオラ様に心奪われておりました……。ですが、ホリホック様の関係で一番ビオラ様と接する機会が多いはずのアスター様は、何故か一切その気配がなかったので……」
「なるほど、確かに……」
いくらビオラが素敵な女性だとは言え、すでに意中の女性がいる状態では心を奪われたりしないという事なのだろう……。
しかしその時、何故かアスターはふっと思った事をパルドーに確認してみる。
「パルドーは、ビオラに惹かれなかったのかい?」
次兄と同じ年齢のこの側近は、主人であるアスター以上にリアトリスの嫉妬を受けるビオラの事を気にしていたので、何となくそう思ったのだ。
するとパルドーが大きく目を見開いた後、盛大にため息をついた。
「アスター様は、本当にご自身のお気持ちにはお気づきにはなれないのに周りの人間の感情に対しては、恐ろしい程の洞察力を発揮されますね……」
「あっ、やっぱりそうなんだ」
「確かに初めてビオラ様をお見かけした際は、不覚にも心奪われましたが……。その数分後、その想いはホリホック様のお陰で消し飛びましたね」
「そういえば……兄上はあの瞬間からビオラ狂いになってしまったからね……」
「その後はむしろ……アスター様とリアトリス様の不仲になる原因になられそうだったので、そちらの方でビオラ様の存在を警戒しておりましたが……」
「でもそれ以上にリアからは嫌がらせを受け、ホリホック兄上からは過剰なアピールをされて追い込まれているビオラに同情心が芽生え、今では保護者的目線になってしまった……とか?」
「その洞察力を何故ご自身に活用出来なかったのか、甚だ疑問です……」
「仕方ないじゃないか……。そもそもあんなに長く一緒にいたら、恋愛感情というよりも家族愛の方が深まるよ!」
苦しい言い訳をするアスターにパルドーが、呆れた表情を浮かべた。
「ですが……普通は気付かれませんか……?」
「幼い頃に婚約者になった相手を好きになったのだから、もう将来的に自分の妻になる事が確定してるだろ? そんな安心感しかない状態でずっと来たら、いつリアに対しての好意が恋愛感情になったかなんて、分からないよ……」
「ではリアトリス様がご成長なさる過程で、お綺麗になられていくご様子にこう……ドキリとするような事はなかったのですか?」
「リアは昔から可愛かったから綺麗になるのは当然だし、そういう感情は僕だけではなく、殆どの男性が抱く物と思って恋愛感情に結び付かなかった……」
「どうやらアスター様は、恋愛が向かないタイプのようですね……」
「ディアンツ兄上にもその辺は、ホリホック兄上を見習えと言われた……」
アスターのその言葉にパルドーが、何とも言えない複雑な表情で返す。
そんな憐れむ様な視線を側近から向けられ、アスターは更に肩を落した……。
「でも気付かないまま失って、後悔してしまう前にその気持ちに気付けて良かったよ……。そもそも僕がもっと早くリアに自分の気持ちを伝えていれば、リアも不安を抱く事もなかったのだから、あんなにビオラに対して嫉妬心なんて抱かなかったと思う……」
そう口にしたアスターだったが……内心ではその考えに対して、何故か腑に落ちないという思いが強かった……。
そもそもリアトリスが誰かに深く嫉妬心を抱くと言う状況が、未だにしっくりこない。
その所為なのか、もしアスターの心が自分にある事をリアトリスが理解していてもビオラへの嫌がらせをしていたのでは……と考えてしまう。
それだけビオラに嫌がらせ行為を行うリアトリスには、不自然さがあった。
「アスター様……もしビオラ様との接触を控える事で、リアトリス様の嫌がらせ行為が収まった場合は……どうなさるおつもりですか?」
「状況によっては、あの金のナイフはビオラに返す可能性も出てくる……。僕は自惚れてるつもりはないけれど……どうやらあのビオラの贈り物には、何か特別な想いが込められているという事に受け取った後、気付いたから……」
そう答えたアスターが、後悔するような表情を浮かべた。
「思わせぶりな接し方をした事は、確かに僕にも責任はある。でもだからと言ってビオラの気持ちには応えられない……。ならば早くそれを伝えて、ビオラにも前に進んで欲しいと思うし、何よりもその事でリアに不安を感じさせてしまう事は、極力避けたい……」
その場合、今後次兄ホリホックからビオラを庇う事もどうするか、考えなくてはならない。
その事を思うと、どうして自分はもっと早くリアトリスへの気持ちに気付かなかったのか、その部分が大いに悔やまれる。
そして同時に先程、長兄に言われたある言葉も蘇ってくる。
『そもそも私なら、今のお前の様な状況になる前に早々に手を打つがな』
だが、もう過ぎてしまった事を後悔しても何も始まらない……。
とりあえず今は、明日のリアトリスとの話し合いに集中する事を考えようと、アスターは優先順位を絞り込む。
しかし、その前に予想もしていなかった事態が起こるとは、この時のアスターは知る余地も無かった。
『本当は自分がどうしたいのか、その理由を彼女にしっかり伝えるべきだ』
ディアンツに言われるまで、アスターはその重要性に気付けなかった……。
というよりも……何故自分がリアトリスとの婚約解消をこれ程までに受け入れられないのか、その理由をアスター自身が理解していなかったのだ。
自分達は王家とプルメリア家との架け橋になる為に結婚する。
そして13年間も婚約期間を過ごしたのだから、夫婦にならなくてはならない。
政略的な部分から始まった婚約だったからなのか、アスターの中ではリアトリスとの結婚は王族としての務めだと認識していた……つもりだった。
そして今回初めて婚約解消を考えた時、その事を受け入れられない状態なのは、この二つから来るものだと、つい先程まで本気でそう思っていた……。
しかし先程の長兄との会話で、それが違っていた事がよく分かった。
婚約が決まってからのリアトリスに対しての自分の接し方は、今思い返すとそんな王族としての務めという思いからではなかったのだ……。
婚約が決まった直後の5歳の頃のアスターは、記憶にはないが周りの話では、相当リアトリスにベッタリだったらしい……。
その後のアスター自身が記憶に残っているリアトリスと過ごした婚約期間中の思い出は、第三王子の婚約者としての教育を受ける為に登城して来た彼女と頻繁にお茶をし、夜会等のパーティーには必ず連れ立っていた事だ。
しかも自分から、プルメリア家の方に彼女に会いに赴く事も多々あった。
それをずっとアスターは、婚約者への当たり前の対応だと思っていた。
だが、今その時の自分の行動を思い返すと全く違っていたようだ。
王族の婚約者として淑女教育を受けに登城していたリアトリスと一緒に遊びたがり、頻繁に城へ引き留めていたのは自分だ。
年頃になってからは、自分からお茶に誘って無意識に彼女を引き留めていた。
第三王子として参加しなければならなかった夜会等で、必要以上にリアトリスを連れ立ったのも自分がそうしたかったからだ。
幼少期は婚約者なのだから、仲良くしなくてはならないという考えがあったのかもしれないが……その後は違う。
アスターにとってリアトリスと過ごす時間は、楽しいものだったのだ。
夜会等に率先して連れ立ったのもアスターが、美しく優秀な自分の婚約者を周囲に見せびらかしたいという気持ちが、少なからずあった。
三年前に豹変し暴走しがちのリアトリスを何とかしようと奮闘していたのは、婚約者の急落する評判を気にしてではなく、周りから彼女へ向けられる厳しい視線で彼女が傷つくかもしれない状況を何とかしたかったからだ……。
それをずっとリアトリスに対する愛情から自分が行っていた事に気付かず、婚約者に対する義務と礼儀で行っていたと思っていたアスター。
だが先程ディアンツとの会話から、過去の自分の行動を思い返してみると……そのリアトリスに対する自分の行動動機は、ビオラに好意を抱く次兄ホリホックの行動動機と一緒なのだ。
これでは先程、長兄に言われた『鈍感愚弟』の嫌味に反論など出来ない。
アスターは周りの人間の気持ちを察する事にはそれなりに長けてはいるが、自分の気持ちを察する事に関しては、救いようがない程、鈍かったのだ……。
書き終わったリアトリス宛ての手紙を今日中に届けるようパルドーに頼み、部屋で一人きりになったアスターは、執務机の上で組んだ両手に自分の額を押しつけ、盛大に項垂れた。
散々、相手の気持ちを考えず、自分の気持ちばかりをビオラに押し付けている次兄ホリホックに白い目を向けてきた自分だが……。
相手に受け入れらえれていたとはいえ、アスターはそれと同じ行為を無意識でこの13年間、婚約者のリアトリスに行っていたのだ。
「確かにその状態なら、周りからも微笑ましい目で見られるよな……」
5歳だった自分が、過剰にリアトリスにベッタリだった事を話していた母の表情を思い出し、アスターはポツリと独り言を呟いた後、更に項垂れる。
自分が13年間、リアトリスに好意を持っていた事に気付かないまま、アスターは今まで来てしまっていたのだ……。
だからリアトリスに婚約解消の話を今回初めて切り出した時、自分でも信じられない程、受け入れられない状態に陥ってしまった。
自分の認識ではリアトリスは政略的な理由で婚約した相手なのだから、王族に不敬行為を働けば婚約解消は妥当な判断だ。
だがそれが自分の意中の相手だった事を理解した瞬間、状況は変わる。
リアトリスが犯した不敬行為を知っているのは自分だけなのだから、しばらく謹慎処分等にして、婚約解消まで話を大きく発展させる必要はない。
王族としては少々私欲に走る対応だが……自分が全く望んでいない選択肢の方を回避出来るのであれば、誰だってその逆の選択肢を選ぶ。
だが先程のアスターは、まだ自分がリアトリスに好意を抱いている自覚が全くなかった。だから正当な判断である婚約解消を言い出してしまったのだが……。
まさか長兄に指摘されるまで、自分の気持ちに気付かなかったという間抜けな状況下でしてしまったその判断をそのまま継続する程、アスターもバカではない。
だから明日、もう一度リアトリスと話し合い、やっと気付いた自分の気持ちをしっかり伝えた上で、婚約解消を撤回する方向で話を進めようと思ったのだ。
そんなあまりにもポンコツな自分自身に項垂れながら、明日リアトリスにその事をどう伝えて、婚約解消の撤回を言い出そうかと考えていると、あっという間に一時間が過ぎてしまう……。
すると手紙を届けに行ったパルドーが戻り、リアトリスからの返事を渡して来た。内容は明日、話し合いに応じる為、登城してくれるというものだった。
それを確認し、アスターは少し安堵するが……同時に明日、自分のこの間抜けな状態をどう婚約者に説明するかで、頭を抱え出す。
自分の気持ちを伝える事は左程抵抗はないが、その事にずっと自身が気付いていなかったこの状況を面と向かって説明する事は、かなり恥ずかしい……。
「パルドー……君から見て僕のリアへの今までの接し方は、どう見えてた?」
やや途方に暮れた表情をしながら、力のない声でそう問い掛けると、パルドーが少し困ったような表情を浮かべる。
「どう……と言われましても……。幼少期から現在までアスター様は、リアトリス様をとても大切そうに扱っていらっしゃったと思いますが……」
「大切って、例えばどんな風に?」
「例えば……幼少期ではまるで護衛のようにリアトリス様と片時も離れぬよう過ごされていたところや、社交界デビューなさった後は、リアトリス様が個人的にご参加される夜会等にもアスター様は、率先してエスコートを申し出てご一緒されていたりとか……。急に始まってしまったビオラ様への辛辣な行動に対して、通常なら早々に婚約破棄のお話に発展してしまうケースでも根気強くリアトリス様を諭され、周囲の下がってしまったリアトリス様の評価を必死に回復させようと、奮闘なさっていた所などでしょうか……」
そのパルドーの返答にアスターが、勢いよく執務机に突っ伏す。
ちなみにアスターが、リアトリス個人が参加する夜会にも率先して同行していたのは、今思うと彼女に群がる他令息達を無意識に牽制する為だった……。
「パルドーはそんな僕の行動を見て、僕とリアの関係をどう思った?」
「そうですね……。アスター様は余程リアトリス様を好いていらっしゃるのだなと思っておりましたが……違うのですか?」
「そうなのだけれど。自分がそんな分かりやすい行動をしていたとは思わなかったし、つい先程までリアに好意を抱いていた事に全く気付かなかった……」
更に力のない声で執務机に突っ伏したままアスターが呟くと、その瞬間、パルドーから吹き出すような声が聞こえた。
「し、失礼致しました。その、まさかご自覚がなかったとは……」
必死で笑いを堪えているパルドーの様子から、ますますアスターが自分のポンコツぶりに落胆する。
「僕は傍から見たら、そんなに分かりやすい程、リアへの好意を全開にしていたのかなぁ……。自分では、それは婚約者に対する当たり前の振る舞いをしていただけだと、ずっと思っていたのだけれど……」
「長年お二人を見守って来た私には、分かりやすかったですが……他の方々はどうでしょうかね? アスター様は見た目が温厚そうなお人柄という印象が強いですし、あまり交流のない方では、ただ婚約者への紳士的な振る舞いとして映っていたかもしれません。ですが……リアトリス様が豹変されてしまった三年前からは、私と同じように感じていた方は多いのでは?」
「三年前って……ビオラが社交界デビューした時だよね? 何故それが?」
「ビオラ様が社交界デビューをされた際、殆どの男性がビオラ様に心奪われておりました……。ですが、ホリホック様の関係で一番ビオラ様と接する機会が多いはずのアスター様は、何故か一切その気配がなかったので……」
「なるほど、確かに……」
いくらビオラが素敵な女性だとは言え、すでに意中の女性がいる状態では心を奪われたりしないという事なのだろう……。
しかしその時、何故かアスターはふっと思った事をパルドーに確認してみる。
「パルドーは、ビオラに惹かれなかったのかい?」
次兄と同じ年齢のこの側近は、主人であるアスター以上にリアトリスの嫉妬を受けるビオラの事を気にしていたので、何となくそう思ったのだ。
するとパルドーが大きく目を見開いた後、盛大にため息をついた。
「アスター様は、本当にご自身のお気持ちにはお気づきにはなれないのに周りの人間の感情に対しては、恐ろしい程の洞察力を発揮されますね……」
「あっ、やっぱりそうなんだ」
「確かに初めてビオラ様をお見かけした際は、不覚にも心奪われましたが……。その数分後、その想いはホリホック様のお陰で消し飛びましたね」
「そういえば……兄上はあの瞬間からビオラ狂いになってしまったからね……」
「その後はむしろ……アスター様とリアトリス様の不仲になる原因になられそうだったので、そちらの方でビオラ様の存在を警戒しておりましたが……」
「でもそれ以上にリアからは嫌がらせを受け、ホリホック兄上からは過剰なアピールをされて追い込まれているビオラに同情心が芽生え、今では保護者的目線になってしまった……とか?」
「その洞察力を何故ご自身に活用出来なかったのか、甚だ疑問です……」
「仕方ないじゃないか……。そもそもあんなに長く一緒にいたら、恋愛感情というよりも家族愛の方が深まるよ!」
苦しい言い訳をするアスターにパルドーが、呆れた表情を浮かべた。
「ですが……普通は気付かれませんか……?」
「幼い頃に婚約者になった相手を好きになったのだから、もう将来的に自分の妻になる事が確定してるだろ? そんな安心感しかない状態でずっと来たら、いつリアに対しての好意が恋愛感情になったかなんて、分からないよ……」
「ではリアトリス様がご成長なさる過程で、お綺麗になられていくご様子にこう……ドキリとするような事はなかったのですか?」
「リアは昔から可愛かったから綺麗になるのは当然だし、そういう感情は僕だけではなく、殆どの男性が抱く物と思って恋愛感情に結び付かなかった……」
「どうやらアスター様は、恋愛が向かないタイプのようですね……」
「ディアンツ兄上にもその辺は、ホリホック兄上を見習えと言われた……」
アスターのその言葉にパルドーが、何とも言えない複雑な表情で返す。
そんな憐れむ様な視線を側近から向けられ、アスターは更に肩を落した……。
「でも気付かないまま失って、後悔してしまう前にその気持ちに気付けて良かったよ……。そもそも僕がもっと早くリアに自分の気持ちを伝えていれば、リアも不安を抱く事もなかったのだから、あんなにビオラに対して嫉妬心なんて抱かなかったと思う……」
そう口にしたアスターだったが……内心ではその考えに対して、何故か腑に落ちないという思いが強かった……。
そもそもリアトリスが誰かに深く嫉妬心を抱くと言う状況が、未だにしっくりこない。
その所為なのか、もしアスターの心が自分にある事をリアトリスが理解していてもビオラへの嫌がらせをしていたのでは……と考えてしまう。
それだけビオラに嫌がらせ行為を行うリアトリスには、不自然さがあった。
「アスター様……もしビオラ様との接触を控える事で、リアトリス様の嫌がらせ行為が収まった場合は……どうなさるおつもりですか?」
「状況によっては、あの金のナイフはビオラに返す可能性も出てくる……。僕は自惚れてるつもりはないけれど……どうやらあのビオラの贈り物には、何か特別な想いが込められているという事に受け取った後、気付いたから……」
そう答えたアスターが、後悔するような表情を浮かべた。
「思わせぶりな接し方をした事は、確かに僕にも責任はある。でもだからと言ってビオラの気持ちには応えられない……。ならば早くそれを伝えて、ビオラにも前に進んで欲しいと思うし、何よりもその事でリアに不安を感じさせてしまう事は、極力避けたい……」
その場合、今後次兄ホリホックからビオラを庇う事もどうするか、考えなくてはならない。
その事を思うと、どうして自分はもっと早くリアトリスへの気持ちに気付かなかったのか、その部分が大いに悔やまれる。
そして同時に先程、長兄に言われたある言葉も蘇ってくる。
『そもそも私なら、今のお前の様な状況になる前に早々に手を打つがな』
だが、もう過ぎてしまった事を後悔しても何も始まらない……。
とりあえず今は、明日のリアトリスとの話し合いに集中する事を考えようと、アスターは優先順位を絞り込む。
しかし、その前に予想もしていなかった事態が起こるとは、この時のアスターは知る余地も無かった。
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