想いが何度も繰り返させる

ハチ助

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1.目覚めの悪い夢

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 視線を落とすと、血まみれになった自分の両手が視界に入る。
 それを茫然としながら見つめていると、同じく血まみれになった白く美しい手が前方から伸びてきた。
 その手の持ち主は、アスターの両手を震えながら掴む。
 そしてそのまま前方にアスターの両手を引きながら誘導し始めた。

 アスターは、その誘導に抗う事が一切出来ない……。
 その美しい手はアスターに短剣の柄を握らせた後、上から包み込む様にして更に強く握らせようとする。
 その掌に付いていた血が、アスターの両手の甲にもべっとりと付いた。

 茫然としたままアスターは握らされた短剣の柄から、ゆっくりと視線を上げ、その血まみれの美しい手の持ち主の顔を確認する。
 すると、息遣いの荒い婚約者の美しい顔が視界に入って来た。
 ふわりとした緩いウェーブの金と銀の間の様な色合いのアッシュブロンドの彼女の髪が肩から零れ落ち、光を失いそうな深いブルーの瞳がジッとアスターを見つめてくる。
 口元には妖艶な笑みを浮かべている彼女だが……今にも息絶えそうな状態だ。

「リア……」

 アスターが苦痛に顔を歪ませ、婚約者であるリアトリスを愛称で呼ぶ。
 するとリアトリスは、喉をヒューヒュー鳴らしながら、更に口元の妖艶な笑みを深めた。

「アス……ター……様……」

 もはや虫の息な状態のリアトリスは、ゆっくりと腰を落し、床にひざまづく……。
 アスターも反射的にそれに合わせる様にしゃがみ込んだ。
 そんな彼女の右上腹部には何故か短剣が深く刺さっており、鮮やかで真っ赤な血をポタポタと床へと滴らせている……。
 同時に無理矢理その短剣の柄を握らされたアスターの両手にも彼女の生温かい血が、短剣から伝ってきた……。

 それを更に促すようにアスターの手をギュッと、両手で包み込むリアトリス。
 彼女はどこか恍惚とした表情をしながら、口元に綺麗な笑みを浮かべていた。
 その婚約者の深いブルーの瞳には、軽蔑するような表情の自分が映っている。
 そんなアスターにリアトリスが、満足そうに更に美しい笑みを深め、荒い息遣いのまま絞り出す様に言葉を紡ぐ。

「これで、あな……たは、私を、忘れ……ない。ずっと、私の、も、の……」

 まるで呪いのような言葉を絞り出したリアトリスは、最後に綺麗過ぎる程のなまめかしい笑みを浮かべ、アスターの肩にもたれ掛りながら崩れ落ちた。
 そのあまりにも不快な婚約者の言葉で、アスターの中に苛立ちがこみ上げる。
 自分にもたれ掛ったまま事切れたリアトリスをアスターは、憎々し気に睨みつけるが、それでも無理矢理握らされた短剣の柄を手放せないでいた……。
 そんなアスターが動かなくなった婚約者に向かって、ゆっくりと口を開く。


 しかし言葉を発しようとした瞬間、いきなり視界が自室の天井に切り替わる。
 一瞬、何が起こったのか分からないその状況にアスターが混乱した。
 数秒後、自分が眠りから目覚めたのだと気付き、ドッと疲れが襲って来る。
 全身に汗をビッシリかいた所為か、体が冷えてしまったようで寒気もする。

「夢……か……」

 そのあまりにも酷い夢見に自分の顔から、血の気が引いている事に気付く。
 同時に夢の中で感じた理由の分からないリアトリスに対しての苛立ちが、未だに残っている事にも違和感を覚えた。
 そもそも夢の中では、どう考えてもリアトリスを短剣で刺したのは、自分自身としか思えない状況だったのだが……。

 それなのにアスターはリアトリスの命を奪った立場で、まるで自分の方が被害者だとでも言いたげな表情をし、彼女に忌々しげな感情を向けていた。
 現実ではないとはいえ、全く状況にそぐわない感情を抱いていた夢の中の自分は、まるで狂人ではないかと思う程、その様子は異常だった……。
 そして夢の中の自分はあの後、何を言おうとしたのだろうか……。

 その事を考えた瞬間、自分の知らなかった残忍さを垣間見ってしまった様な感覚を抱いたアスターはベッドから体を起こし、汗で額にくっ付いてしまった癖のある薄茶色の前髪を後ろに流そうと、握りしめていた右手を開く。
 すると何故か手には、痺れが残っていた。
 どうやら夢を見ている間、ずっと拳を握りしめていたらしい……。
 両手を開くと真ん中に爪の食い込んだ後があり、やや白くなっている。
 その手の状態を見て、アスターは長いため息をついた。

「誕生日の朝だと言うのに……最悪な夢見だな……」

 吐き捨てる様にそう呟くと、ベッドから出て着替えを始める。
 いくら夢とは言え、自分の婚約者を手に掛けるとは……。
 そう思いつつも、確かに最近の自分は婚約者であるリアトリスの行動に苛立っている事が多いのが現状だ……。
 だからと言って、殺したい等とは微塵も思った事はない。

 それなのにあのような夢を見るなんて……。

 先程の不吉な夢の記憶を追いやりながら、アスターは落ち着いた色相のベストを羽織って、ボタンを留めた後、あっさりとしたデザインのタイを襟元に撒く。
 本日はアスターが18歳になった誕生パーティーが開かれる。
 その為、この後に誕生パーティー用の衣裳に着替えるので、朝はあまりかしこまっていないこの服を用意させた。

 そんなアスターは、このルリジアの国の第三王子だ。
 ルリジアはこの大陸内では、どちらかというと小国扱いになる。
 だが国内に銀鉱山をそれなりに持っている為、銀細工……特に装飾品などを特産にして収益を得ている。その為、技術の高い彫金職人も多い。
 小国ではあるが、豊かな資源に恵まれた国だ。
 しかし鉱山を多く持っている為、盗掘などの犯罪も多い……。
 中には新たに発見された鉱山を申告せず、私腹を肥やす領主などもいる。

 この大陸にはルリジアの他に4つの国があるが、300年程前にあった大戦で大きな傷跡を残した為、平和条約が結ばれ各国とも戦争を好まない考えが強い。
 その為、兵士は国内の治安維持の存在として扱われ、もし過剰に国防としての兵力を上げようとする国が出ると、他各国から非難の声が上がる。
 しかしルリジアに関しては、その治安維持として兵の需要が高い為、他各国よりある程度の規模を持つ事を許されていた。
 それだけ鉱山からの盗掘や不正行為に走る領主が多いのだ……。
 それらの監視と取り締まりを王家が管理する為、国の兵士達を従えた騎士達は、王家の指示のもと国内の治安維持に力を注いでいる。

  そんな小国ながらも資源に恵まれたルリジアには、3人の王子がいる。
  第一王子で神童とも呼ばれている王太子のディアンツ。
  第二王子でカリスマ性が高い武芸に秀でたホリホック。
  そしてあまりパッとしないが、三兄弟では一番温厚だと言われやすい本日18歳の誕生日を迎える第三王子のアスターだ。

 そのアスターだが、すでに長兄が立太子の式典を済ませている為、近々自分の領地を貰い臣籍降下も決まっている。だが成人し、婚約者のリアトリスと挙式するまでは、現状の第三王子という立場である。
 本日はそのアスターが成人する18歳の誕生日なのだが……挙式の方は婚約者のリアトリスが三か月後に成人するまでは待つ方向になっていた。
 そんなアスターの兄二人は、非常に目立つ存在だった。

 王太子でもある第一王子ディアンツはアスターより4歳年上で既婚者だ。
 そんな長兄ディアンツは、さっさと王位を譲り隠居したがっている父に世継ぎを早く儲ける様に煽られている……。
 しかし長兄の方は、新妻との新婚生活を楽しみたいが為、子を儲ける事を先延ばしにし、王太子としての立場に甘んじている状態だ……。
 そんな長兄は幼少期より神童と言われており、次期国王としてかなり期待が出来る有能な人物だ。

 だから父は、有能な長兄に国王の座を押し付けたがっている……。
 しかし優秀な長兄は、笑顔で策略を巡らすかなり腹黒い性格をしていた。
 その為、さっさと王位を譲り自由になりたい父と、まだ王太子として甘んじたい長兄の間で、継承権争いとは真逆な意味での水面下の攻防が行われている……。
 そんな長兄はアスターにとっては頼りになる兄だが、もし王位を継いだ場合は各国にとって交渉相手として向き合う事は、避けたいと思う人物だ……。

 逆にアスターより二つ年上の第二王子ホリホックは、豪快で情熱的な性格をした武芸に秀でた人物だ。多少自信過剰なところもあるが……それゆえに人を惹きつけ引っ張るカリスマ性を持っている。
 そんな次兄は女性からはもちろん、城内の騎士や警備兵達から羨望の眼差しを向けられる程、人気がある。
 ただその男らしい性格が裏目に出る事もあり、思い込んだら暴走しやすい。
 アスターにとって頭脳派の長兄と比べると、感情的に動く次兄は突っ走り過ぎて、何かをやらかすか分からない冷や冷やさせられる面倒な存在だった……。

 その為、国王である父は次兄に関しては、執務室で公務をさせるよりも国内の治安維持関係の表立った公務をメインでやらせる方向で考えている。
 その指揮する決定権を長兄に持たせ、その指示のもと全体を先導する役割を次兄にさせる。要するに次兄の持つカリスマ性を活用し、兵士や騎士達の仕事意欲を上げるマスコット的存在として表立たせる考えだ……。
 次兄は派手好きな上に行動派な為、アスターのようにコツコツこなす内勤公務は向いていない。その辺りの性格を父と長兄が考慮した結果だろう……。

 そんな行動的な次兄の宥め役やブレーキ役を長兄から丸投げされる事が多いアスターだが、この武芸に秀でた部分と面倒見の良い兄貴分なところは認めている。
 幼少期の頃に護身術に興味を持ったアスターは、この次兄から熱心に学び、いざ護衛のいない状態になっても自分の身を守れるくらいにはなれた。
 そんな兄貴肌な次兄だが……現在は、かなり問題視しなければいけない行動が多く、その部分は未だに次兄が婚約者を得ていない事にも関係している。

 そんな個性的な二人の兄を持つアスターだが……残念な事に弟のアスターには、特に目立つ特徴がない……。
 ただ公務関係は長兄より指導を受け、武芸の方は自分から希望し次兄に指導して貰っていたので、三兄弟の中では一番能力バランスが取れている。
 しかしそれは裏を返せば、三兄弟の中では一番特徴がないという事にもなる。
 そんなアスターは、国民からは特徴のない第三王子として認識されているが、その反面三兄弟中で一番温厚で癖のない王子という印象も抱かれていた。

 実際、アスターも自分はあまり感情的になる方ではないと思っている。
 しかし、今朝見た夢では自分とは思えない程、婚約者のリアトリスに対しての苛立ちと嫌悪感を露わにしていた……。
 確かに三年前からリアトリスは、アスターを頻繁に呆れさせ、最近では落胆させられる行動が目立つが……だからと言ってあの様な夢を見る程ではない。

 夢の中とは言え、婚約者に対してあまりにも非情な感情をむき出しにしていた自分自身に嫌悪感を……そしてリアトリスにはやや罪悪感を抱く……。
 自分が認識している以上に今のリアトリスは、自身の中では鬱陶しい存在となっているのだろうか……と。

 そう思ってしまうのは、三年前まで真面目で責任感が強く、努力家だったその婚約者に現在では、幻滅させられる事があまりにも多いからだ……。
 それだけ婚約者のリアトリスは、この三年間で豹変した……。
 だから深層心理から、あのような夢を自分は見てしまったのかもしれない。

 そう思うと、アスターは自分の器の小ささに少々情けない気持ちになる。
 同時にリアトリスが急に変わってしまった原因を解決出来ない自分自身にも歯がゆい気持ちを抱いてしまう……。
 何よりもこの三年間、その婚約者の暴走を上手く制止出来ない自分に対しての苛立ちが、かなり強い……。

 そんな自分自身の不甲斐なさを痛感しながら着替え終わったアスターは、朝食を取りに部屋を出ようとした。
 すると、その絶妙なタイミングで目の前の扉がノックされる。
 そのまますぐにドアノブに手を掛けると、護衛の騎士を伴った王妃でもある母が、にっこりしながら立っていた。

「母上? このような早朝から、どうされたのです?」

 すると、いたずらっぽい笑みを浮かべた母がその質問に答える。

「実はね、あなたに10年越しの誕生日プレゼントを届けにきたのよ?」
「10年越し……? それはまた随分、気の長い準備期間ですね……」

 驚きの後、やや呆れた表情を浮かべたアスターの反応に何故か母が、抗議するよう視線を向けてきた。
 そして護衛の騎士に運ばせた箱をテーブルの上に置く様に指示する。
 護衛の騎士は箱をテーブルの上に置くと一礼し、部屋を出て行った。

「その気の長い準備期間を設けさせたのは、あなたなのよ? アスター、あなた5歳のお誕生日の時にベストタイプのチェインメイルを欲しがって、18歳になったら自分にプレゼントして欲しいと、かなりしつこくねだった事を覚えていないの?」
「僕自身がそのような事を? すみません……全く覚えていないのですが……」
「もう! あれだけ大騒ぎしておねだりしてきたのに!」
「大騒ぎ?」
「わたくしと陛下が『5歳のあなたには、まだ早いから大人になってからにしなさい』と言っても『どうしても欲しい!』と言い張って、あなたは全く折れなかったのよ? 当時のあなたは何故かホリホックの様に強くなる事に憧れていて……。よくお兄様と一緒になって短剣すら持てないのに鍛錬に参加していたでしょう?」
「流石に5歳前後の思い出は、余程印象深くないと記憶には……」

 アスターが申し訳なさそうな顔をしながら、肩をすくめる。
 すると母は、呆れながらも懐かしそうな笑みを浮かべた。

「本当に覚えてないの? その頃のあなたは、いつもリアにくっ付いてばかりだったのだけれど……それも?」
「申し訳ありません……。それも記憶に無いですね……」

 すると母が盛大なため息をついて、残念そうな顔をする。

「当時のあなたはリアがお城へ遊びに来るとまとわりついて、あの子が帰る時間になると、駄々をこねてその手をなかなか離さなかったのよ?」
「そ、そのような恥ずかしい事を僕はしていたのですか?」
「ええ! もう本当に微笑ましいくらいあなたとリアは、とっても仲良しで二人で寄り添っている姿が、とても愛らしかったのよ?」

 昔を思い出しながら嬉しそうな笑みを浮かべていた母だが……しかしその表情は、小さなため息と共に暗い物へと変わった。

「リアも昔は、もっと周りに対して余裕のある気持ちで振る舞っていたのだけれど……三年前から急に視野が狭まってしまったわね……」

 母がポロリと溢した言葉にアスターの表情にも影が差す。
 三年前に急に豹変してしまったリアトリスの変化はアスターだけでなく、周りの人間も戸惑いを感じているのだ……。
 それだけ三年前を境に変わってしまったリアトリスへの落胆の声は多い……。
 そしてその切っ掛けを知っているアスターは、盛大にため息をついた。
 その様子に母が困った様な笑みを浮かべる。

 母のその反応に気付き、アスターは空気を変えようと5歳の頃に自分が欲しがったチェインメイルの入った箱に手を伸ばす。
 すると箱の中には、見事なチェインメイルと一緒に一枚のメモが入っていた。

「これは……」
「そういえば……当時あなたは10年後まで待てないから、どんなチェインメイルが貰えるのか見たいと大騒ぎして、箱の中身を確認していたわね……。何か入っていたの?」

 箱の中から取り出したメモに釘付けになっているアスターに母が尋ねると、再び苦笑しながら、アスターがその手にしたメモを母の方に見せる。

『りあをぜったいにまもる』

 そのメモにはまだ覚えたての幼い子供の字で、そう大きく書かれていた。

「どうやら5歳の僕は、相当リアの事が大好きだったようですね……」
「ふふっ! 本当に覚えていないのね。そうよ。あの頃のあなたはリアの事が大好き過ぎて、姿が見えないと不安そうな顔で探し回っていたのだから!」

 そう楽しそうに語る母だったが……。

「あの頃の一緒に過ごすあなた達は、本当に微笑ましかったのよ……」

 その後に続いた言葉は、落胆と寂しさの入り混じった声で紡がれた。
 それは今のリアトリスが昔の様な穏やかな性格ではなく、かなり感情的な人間になってしまったからだ……。

 幼少期、自分と対の天使の様だと言われていた婚約者のリアトリス。
 そして三年前までは、社交界では指折りの淑女と囁かれる程、聡明で素晴らしい侯爵令嬢と囁かれていたリアトリス。
 しかし……今の彼女は、三年前のある子爵令嬢との出会いを切っ掛けに深い嫉妬に狂った傲慢な侯爵令嬢の印象を周りから抱かれている……。

 美しい思い出と共にその事を嘆く母と、現状その事への改善策が全く見出せないアスター達は、同時に深いため息を吐いてしまった……。
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