悪女の雪華

眠れぬ森のゴリ子

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Butterfly bush

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side リジー



ああ、雪がこんなに降って。きっとわたくしを呑み込んでしまうつもりなのね。悪女わたくしの最後にふさわしい日だこと。

______さて、最後の仕事をしなければ。これが終わればやっとわたくしは解放される。悪女わたくしの役目は終わる。そう思えば今までの人生も悪くないかも。クスッと笑い、静かに目を閉じるその様子は人々から恨まれる悪女そのものだった。



エリザベス・キリルシアは今はなき小国、ケルシス国の姫であった。姫といっても妾の子つまり庶子であるが。人々はエリザベスのことを漆黒に染まった不吉な黒髪に妖しく光るヴァイオレット色の瞳、血も滴る様な真っ赤な唇をもつ魔女の子と称した。そんなエリザベスはエバダリア帝国とケルシス国の和平協定のためにエバダリア帝国に送られた。一応一国の姫という立場であることには変わらないため和平協定人質にはうってつけだろう。もちろんエリザベスは姫であるため表向きは丁重に扱われたがそれと同時にエバダリア帝国から見れば小国の、しかも庶子であるため裏では散々な扱いをされていた。ケルシス国が反逆した後なんてさらに酷かった。だがケルシス国での扱いも同等かそれ以下だったためエリザベスには辛く悲しいことではなかった。むしろ立派な悪女として帝国中から嫌われている今の方がいっそ清々しているだろう。




欝蒼うっそうとした森の近くに建てられている小屋の暖炉はパチパチと音を立てて燃えている。

エリザベスはゆっくり目を開け優雅に椅子に腰掛けると震える声を押し殺し、後ろに控えている専属騎士に向かって言った。


「クロウ。今日をもって貴方をクビにします。もう貴方は用無しなの。安心してちょうだい、今までの報酬は後日きちんと貴方に振り込まれるようにしてあるから。」


その声は冷え切っており一切の温度を感じさせない冷淡な声色だった。エリザベスはいつも即座に返事を返す専属騎士からの応答を待った。

騎士は応答もぜず微動だにしない。
今度は少し苛立った声色で言ってみる。


「何をしているの。早く行きなさい。貴方はクビだと言ったでしょう。役に立たないコマは要らない。これは命令よ。貴方は命令に従うだけのわたくしの奴隷でしょ?」


嘘、嘘、嘘、嘘、嘘。本当は最後の瞬間までわたしのそばにいて欲しい。
コマだなんて、奴隷だなんて、貴方をそんな風に思ったことは小さい頃から今の一度もなかったわ。

でも貴方にだけは幸せに生きていてほしいの。
貴方には普通に恋愛して結婚して奥さんと子供と幸せに笑っていてほしいの。

それでも一向に動こうとしない騎士にエリザベスはイラっときた。


「返事をしなさい!クロウ。」


あら、淑女に相応しくない声をあげてしまったわ。昔であれば見かけだけでも姫らしくしなさいとすぐに鞭が飛んでくるけれど今はわたしとクロウしかこの小屋にはいない。
そんなことを気にしている場合ではないのだ。もうすぐエバダリア帝国の兵士がやってくるだろう。
そうなって仕舞えば悪女の結末は……。
その前にどうにか彼を逃さねば。


「クロウ、わたくしの手をこれ以上煩わさせないでちょうだい。」


冷たく言い放てば彼もきっと踵を返しわたしに背を向けるだろう。
あれだけ尽くしたのに、この悪女はやっぱり血も涙もない魔女であると。

冷たく言い放てばみんなわたしのそばを離れて行ってくれた。
もしも、万が一エバダリア帝国に捕まったとしても全てあの魔女の子の策略だった、自分は命じられてやっていた、何も関係がない、と言ってくれるだろう。まあ彼らがエバダリア帝国の兵に捕ることはないが。彼らの逃げ道と安全は既に確保してある。
計画は完璧だ。

さあ、早く行って。振り向かないで。

震える手をぎゅっと握りしめその時を待った。
しかし騎士は一歩一歩ゆっくりエリザベスに近づいてくると、エリザベスが座っている椅子の真後ろに立つと静かに答えた。


「私はいつまでも姫様の騎士です。どうか最後までお供させてもらうことをお許しください。」


クロウの声は低く落ち着いていて心地が良いい。けれど今聞きたいのはその言葉じゃないのよ。

エリザベスは椅子からふわりと立ち上がった。そして柔らかなハニーブランの髪と穏やかな黄金色の瞳、形の整った唇をもつ見目麗しい騎士、クロウに向き合い思いっきり睨む。


「クロウ・リンベル!わたくしの命令が聞けないの?貴方はわたくしのコマよ。それ以下でもそれ以上でもない。わたくしの命令に従わないならそもそもわたくしの騎士ではないわ!さっさとどこかに行ってしまいなさい!」


エリザベスはこれまでで一番強い口調で言い放った。

お願いよ。貴方はわたしの唯一の光なの。時間がないわ。優しい貴方はわたしのそばにいると言ってくれるけれど今まで助けてくれただけでもう十分よ。

それでも騎士は動かない。無表情の顔からはなにも読み取ることができない。


「私は、姫様の騎士です。それは誰にも変えることはできません。たとえ姫様であっても。」


揺るぎない瞳でゆっくりと答えたその言葉からは強い確固たる意志を感じた。

でも、わたしも譲ったりはしなくてよ。他でもない貴方のことなのだから。

気づかれない様に深呼吸をしてから再び強い口調で騎士に命じようとする。しかし騎士のほうが先に言葉を発した。


「姫様、私に許可をしてください。今すぐここから姫様を連れ出す許可を。罰は後でいくらでも受けます。」


その言葉にエリザベスは言葉を失った。騎士がどうやったらエリザベスの元を離れてくれるのかを必死で考えていたがその言葉で全てが弾けて飛んでしまった。

喉の奥からヒュッと音がした。

平然としなければ。いかなるときも動じてはいけない。でも、でも、もしも、そんなことができたならどんなに良いだろうか。
ここから逃げ出して誰もわたしたちを知らないところに行くのはなんと素晴らしい提案だろうか。

でもそれはできない。わたしが逃げてしまったら貧しいエバダリアの民たちはどうなってしまうだろうか。彼らはわたしに必死の思いで助けを求めて来たではないか。そんな彼らを助けるために今まで悪女と呼ばれても、傲慢な女と罵られても、エバダリア帝国の王太子に嘲笑われても様々な貴族の汚職の罪をなすり付けられてもずっと耐えてきた。

今日、わたしが新エバダリア帝国の兵に殺されることで平和が訪れる計画なのだ。なのに逃げ出してしまっては全てが水の泡だ。それに既に新エバダリア帝国の兵士が悪女わたくしの首を取りに向かっている筈だ。彼は兎も角わたしでは逃げ切れはしないだろう。彼の足手まといになってしまう。

エリザベスは小さく息を吐くとそっと冷たい騎士の手を握った。一瞬びくっと騎士の手は揺れたが気のせいだったのだろうか。


「そう言ってくれてありがとう。でもそんなことをしなくてもよくってよ。貴方は十分わたくしの期待に応えてくれたわ。わたくしは一国の姫です。庶子だけれど誇りは人並みに持っているわ。今日という日はわたくしの初めての晴れ舞台なの。だから、ね?」


自信に満ちたりた顔を作ってみる。そして震える手を誤魔化す様にぎゅっと握りしめる。


「どうか"わたし"の最後の願いを聞いてくれないかしら?」 


最後の方は声が小さくなってしまったがちゃんと聞こえただろうか。彼ならきっと聞こえている筈だ。視界がぼやけてきた。なぜ視界がぼやけるのかわからなかった。

わたし、泣いているのね。

なぜ涙が出るのか分からなかった。止めようとしても止まらない。

なぜ今になって出てきたの?どんなことがあってもお母様が亡くなって以来今まで一度も出てこなかったのに。わたしの顔は今ひどいことになっているでしょうね。クロウには最後までこんな弱いわたしの姿を見せたくなかったのに。


「許してくれ。リジー」


そんな声が聞こえた直後、視界が暗くなった。エリザベスは一瞬何が起こったのか理解が出来なかった。だがこの爽やかな柑橘系の匂いは彼の匂いだ。

騎士はエリザベスを抱きしめていた。

クロウが触れている部分からじわりと熱が伝わり温まる。恥ずかしいやら嬉しいやらどうしたらいいのかわからなくなって無性に泣きたくなった。その時は一瞬にも感じたし何千年という長い時間にも感じた。


2人を見守る様にしんしんと雪は降り積もる。まるで私たちが隠してあげる、安心していいのよ、というように。優しく静かに。












どれぐらいの時間が経っただろうか。2人はどちらともなく静かに離れる。しばらくの沈黙の後、エリザベスがその沈黙を破った。


「クロウ、貴方はわたくしの最初で最後の騎士よ。……騎士として信頼しているわ。」

____クロウ、わたしは心の底から愛しているわ。


騎士も主人あるじに答える。


「姫様、貴方様は私の最初で最後の主人です。それは今までもこれからも変わりません。……敬愛しております。」


眩しいくらいの黄金色の瞳にエリザベスは目を細めながらふふっと笑う。
こんなに嬉しいことはない。クロウがわたしを敬愛してくれるなんて。あら、いけない。嬉しすぎてまた涙が出てしまったわ。でもいつのまにか体の震えも止まってる。
本当によかった。愛しい人に最後までかっこ悪いところは見せられない。その言葉が有ればわたしはどんな困難にも立ち向かっていける。
クロウ、貴方は貴方の言葉がわたしにどれほど勇気をくれたかわかっていないだろうけど。

エリザベスは騎士に気付かれない様、窓の外をちらりとみた。

そろそろもう時間ね。万が一貴方がわたしのそばを離れなかった時の"念のため"を用意しておいてよかった。
実は革命軍である新エバダリア帝国を統括している上層部に私の協力者がいるのよ。わたしのたった1人の友達なの。クロウには絶対に手を出さない約束をしている。彼女は絶対に約束を守る人だから大丈夫。もう準備が整ったようだからわたしが小屋の外に出れば弓が放たれる筈。そうしたらもうすべての争い事はおしまい。悪女わたしにしては上出来の人生だったと思うわ。

最後にもう一度クロウの手を握る。片時も離したくない、愛しい人の手を。
彼の手は外見の繊細さから想像できないであろう程ゴツゴツしている。剣を握ってきた手だ。今までわたしを何度も守ってくれた。優しい手。
わたしが貴方の手を握った時、貴方が私の手を払わなくでくれてよかった。もし払われていたら私、ずっと震えていたままだったわ。これで胸を張っていける。貴方と出会えてよかった。



「クロウ、幸せになってね。」



とびっきりの笑顔でそう言ってわたしの力の全てを込めてドンッと彼を強く突き飛ばす。
普段は基本無表情だから驚いている顔を見るのは初めてだった。
まさかわたしが突き飛ばすなんて思ってなかっただろう。その顔が面白くて愛らしくて愛しくて、笑ってしまった。
ごめんね、クロウ。でもありがとう。


"愛してる"


言わない筈だったのに。声を出さなかったとはいえ口の形でわかってしまっただろうか。くるりと向きを変えて扉の方へ全力で走っていく。
もうわたしに残っている力は僅かだ。なにか声が聞こえたがもう聞き返すことはできなかった。

わたしは素早く小屋を出た。


















気がついたら誰かがわたしを抱きしめていた。啜り泣く音が聞こえる。泣いている様だ。何で泣いているの?大丈夫よ大丈夫。貴方が泣く必要はないわ。


______愛してる。
消え入りそうな声で聞こえた。あまりにも小さくて掠れていたからわたしの幻聴だったかもしれない。もしかしたらただの風音だったかもしれない。

ふふ、そう言ってくれてたらいいな。


もう既に目は見えていない。でも幼い頃の様にぶっきらぼうにリジーと呼ぶ柔らかいハニーブラウンの髪と眩しいくらいの黄金色の瞳が確かに見えた気がした。

























Butterfly bush     貴方を慕う

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