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前篇:夢の通ひ路

第二十四話 其の二

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 夕食の膳を下げ、湯浴みまで終えた頃に、小梅の姿がないことに気が付いた。
 つい先ほどまでは、隣で私の世話をし、テキパキと仕事をしていたはずなのだが、一体どこへ行ったのだろう。

「雛菊、小梅はどうしたの?」
「はい、小梅様は客間を整えに行かれましたわ。どうも人手が足りぬようで」
「人手が足りない?」

 それは以前までの話で、ここ最近の左大臣家は十分に女房がいたはずだったと思うのだけれど。それこそ小梅が「人手不足とはおさらばですわー」とやけに喜んでいたのをよく覚えている。
 確かに、彼女は働き過ぎの傾向があったので、人手が増え負担が少なくなるのなら私も嬉しいと思ったのだが……、どういうこと?

「どうも数日ほど前から、女房の間で流行り病があったようですの。命に関わるようなものではないのですが、熱が出るようで、みな、大事をとって部屋で休んでいるのですわ」
「まあ、そうなの。それは心配ね」
「ええ。西の対の方が特にひどく、東からも人手を割いてあちらのお世話をしているのですが、こんな時に限って有明中将様が今宵こちらへお泊りになるそうでして」
「お兄様が?」
「はい。なにやら、宮中で管弦かんげんの遊びが行われるのだそうです。遅い時間になりそうだからと、今宵は宮中から近い左大臣邸にとのことで、小梅様は中将様のお泊りになるお部屋を整えに行かれました」
「そうだったの。ああ、それで客間ということね」

 数日ほど前というと、姫宮の文に急かされ五条院へ行ったり、泊まったりでばたばたとしていた頃だ。帰宅後も私の頭の中は兵部卿宮への文のことで埋め尽くされていたし、そんな私に気を遣い、小梅は何も言わなかったのだろう。
 左大臣邸が大変なことになっているなど何も知らなかった自分が情けない。

「みな大変なのに、私は何も知らずにいたのね。申し訳ないわ」
「姫様がそのように感じることはございませんわ、東の対の者たちにはそれほど影響はございませんし」
「そう…… お母様は大丈夫かしら。お父様も」

 出家騒ぎの時よりは元気になったとはいえ、随分と痩せていた母が気掛かりだ。あれ以降、父や母とは何度か会っているが、二人の健康状況はいつだって心配だった。
 三の君の大切な両親だ、私のせいでかけた負担や不安は出来る限り軽減し、健やかでいて欲しいと思っている。特に母は病がちで臥せている時間も多いので、そこに邸内で流行り病などと気が気ではない。この世界に来てから、三の君を通して「私」に優しく接してくれた二人のことを、私ももうただの他人とは思えない。

「東の方様ならば、ここ最近はお身体のご調子もよいと伺っております。ご心配なさらないでくださいませ」
「わかったわ。あなたも、どうか身体は大事にね、雛菊。決して無理をしてはだめよ」
「もちろんでございます、万が一にも病になどなれば、姫様が悲しまれますもの。それにわたくしの取柄は元気だけですわ!」
「それならいいのだけれど…… では小梅はしばらく戻ってこないのかしら」
「先にお休みになられてくださいと、言伝を預かっております」

 兄が泊まるのであれば、必然的に兄の世話役も必要になる。
 もし小梅がそちらも担当しなくてはいけないのならば、もしかしたら今夜彼女は戻ってこないかもしれない。小梅もそれが分かっているから、雛菊にそう伝えたのだろう。

「姫様こそ、お身体の方はいかがなのですか? このところ、あまりよく眠れていらっしゃらないのでしょう?」
「……ええ」

 原因は分かっている。夢のせいだ。

 小さな三の君に、有明中将が白い草花を手渡して、「幸せにおなり」と微笑む――、あの夢を皮切りに、あの日から毎日、眠っている間は何かしら見せられている。彼女の思い出なのか、記憶の断片なのか。

 身体は横になっているので多少疲れは取れるものの、意識はずっとあるような気がするので精神的に休まらない。
 同じ夢を日に三度も見ることもあれば、全く違うものを見ることもある。そして夢がぷつりと途切れると、そこで私の目は覚めてしまう。それも、必ずだ。見回すと辺りは暗く、まだ夜中だということが、このところ、ずっと続いていた。
 どうも一日に見る頻度が、日に日に増えているようなのだ。昼間にうたた寝をしても見るので、本当に休めた気がしない。

 熟睡できないことがこんなに辛いなんて知らなかった。
 朝は起きられないし、昼間は頭にもやがかかったように思考がぼんやりとし、夜は夜で、昼のうたた寝のせいかなかなか寝付けない。悪循環だと分かっているのだが、肝心の原因である夢を取り除こうにも、その方法が分からないのでお手上げ状態である。夢を見ずに眠るにはどうしたらいいのだろう。

 最近は目の下に隈までできてしまっているらしい。小梅がお化粧を少し濃くしてくれているらしいのだが、どうにも隠しきれないようで、曇った鏡でさえそれがはっきりと分かる。とにかく邪魔せずに眠らせて!、というのが最近私の一番の望みだった。

 内容だけでいえば、悪夢では決してない。
 でも、こうも毎日見せられるとそれに近いものに感じる。何かのメッセージなのか。そうだとするなら、三の君が私に訴えているのだろうか。あんな幼い頃の思い出のようなシーンだけ見せられたとしても、正直なところ何も分からない。

 今日もきっと、何かを見せられるのだろう。そう思うと、眠ることが怖くさえあるのだが、睡魔は私の拒否など簡単に呑み込んでしまう。そうして、抗えない私は夢の世界へ連れて行かれるのだ。
 もう、うんざりしていた。


「姫様、お休みになられますか」
「ええ、そうね。そうするわ」

 誰に言ったって、この不可解な出来事は分からないだろう。
 唯一相談できる相手がいるとすれば、それは天狗のおじいちゃんだが、気安く会えるわけでもない。試しにちらりと外に目をやってみたが、この前の鳶の姿など一切見えなかった。

 お願いだから、今日こそ、眠らせて。
 三の君、この身体は貴女のものでもあるの。休まなければ、いい加減倒れるわよ。だから貴女のためにも眠らせて。

 そう願いながら瞼を閉じたのだけど、やはりいつもと変わることはなく、私はすぐに目を覚ましてしまったのである。
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