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前篇:夢の通ひ路

第二十話 其の二

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「姫様は嫌がるのではないかと思いますが」
「そんな言い方をして止められると余計気になるわ」
「では…… 姫様には黙っていたのですが、宮中では姫様のお噂も増えたようですの」
「え? なぜ? 私は関係ないでしょう。姫宮様との双六話だけではないの?」
「それもありますが、宮様の意中のお方だからですわ。左大臣家の姫君は、どのようにしてあの宮様のお心を動かしたのかと。既に誰もが宮様の求婚を知っておりますので、そこへ新たに姫様に文を渡そうなどと思う公達きんだちはおりませんが、よほど美しい姫君なのであろう、一目お目にかかりたい、などなど」
「………」

 言葉が……言葉が出ない。
 なにやらおかしな方向に話がいっているような気がする。なぜ私の噂はいつも尾ひれだけではなく背びれまでついてくるのだ。そんなにひれをつけてどこへ行くつもりなのか。

「加えて、あの幻姫宮まぼろしのひめみや様にも気に入られていらっしゃると評判でございますわ。有明中将様を兄に持ち、兵部卿宮様からの熱い想いを受け止め、幻姫宮様の懐に唯一入られた稀有な姫君と」
「懐に入るだなんて! 姫宮様がそれをお聞きになったらどう思われるか…… 私はそんなつもりで姫宮様の元へ伺っているのではないわ」
「はい、もちろんわたくし達は分かっておりますわ。しかし、姫様は物の怪の件ですでに名が知れていらっしゃるのです。ちょっとしたことですぐにお噂が出てしまうのは、仕方ないことなのですわ」
「わ、私は……できる限り、目立ちたくないのだけど……」

 ……三の君に、なんと謝ればよいのだろう。
 これまでの彼女はきっとひっそりと大人しく生きてきたはずなのに、私がこの身体を借りてからは、むしろスポットライトしかあたってないような気がする。
 死にたがりの姫のことだ、この現状を知れば「極楽浄土まっしぐらです」とか言いそう…… うわ、言われたらどうしよう。そんなことはないと言い切れないのが悲しい。彼女の魂は今どこにいるのだろう、この会話だけは絶対に聞かれたくない。

「姫様、落ち込まれているところ、申し訳ないのですが…… 宰相中将様からのお文ですわ」
「また来たの……」

 ええと、確か、宰相中将からも「他の人に心を奪われているのか」と言われて、こちらは諦めてくれることを期待し、「そうだ」と肯定の返歌したはずだ。
 それに対しての歌となると、もしかして、もしかするかも!
 お別れを告げる文に違いない!! ――そう期待を膨らませたのだが、一瞬でしぼんでしまった。

 “他に想い人がいるなど貴女の一時の気の迷いでしょう
 私の気を引こうとつれない態度の貴女がこの上なく憎く
 しかし同時にこの上なく愛おしくもあります“

「更に落ち込むわ……」

 はい、と雛菊が申し訳なさそうに縮こまる。

「あなたのせいじゃないのだから気にしないで」

 兵部卿宮ほどではないが、軟派な性格からは想像もできないほど整った文字が並んだ文に、もう一度目を落とした。
 宰相中将の文だって、別に下手ではないし、むしろちゃんと教養のある人が書いたものだとはっきりわかる。彼は右大臣家の人間であるし、英才教育は受けているだろうから当然だ。

 ただ、兵部卿宮の文の後だと、それは少し霞んで見えた。彼の文と比べてしまうのは、少し酷かもしれない。人には人の好みがあるし、単に私が(色眼鏡もあって)宰相中将の文が好きではないだけで、これが一番いいという女性ももちろんいるだろう。
 要は、気持ちの問題ということだ。

 しかし、この人はいつになったら私を諦めてくれるのだろう……
 もう同じ人間とは思わない方がいいのかもしれない。ある意味、異世界の住人である。
 だって、一時の気の迷いって! 宰相中将の気を引くためって! ……はぁ、やっぱりどこまでもポジティブマイウェイだ。
 私が求婚されていることも知っているはずなのに。

 そう声には出さず嘆いていたら、聞かずとも小梅が教えてくれた。

「先ほども申し上げましたが、姫様は宮中では有名なのですわ。宰相中将様は、その姫様をやはり我が物にしたいと一層強く思っているようですの。先に姫様に求婚していたのは自分なのだからと、兵部卿宮様のことも気にしていらっしゃらないようでして」
「諦めるどころか、また燃えているのね…… なぜ私にそこまで執着できるのか理解しがたいわ」
「何をおっしゃっているのです! 姫様に心奪われない公達などおりませんわ」
「ええ小梅様、そこはわたくしも強く賛同いたしますわ! だって、姫様はこんなにお美しく、お優しく、」
「わかった、わかったわ、だから二人で私をひたすら褒め称えるのだけはやめて……」

 もうそんな気力残ってない……
 ただでさえ、兵部卿宮の誤解を解くのに労力を使い、美化された宮中の噂に疲れているのに、ダメ押しの宰相中将。
 この上、小梅と雛菊のダブルタッグで「三の君がいかに素敵か」を延々と語られるだなんて罰をなぜ受けなきゃいけないんだ。三の君同盟の出番は今日はなしにしておいてくれると有り難い。

 途中で遮られたことが不満なのか、雛菊がぷくっと頬を膨らませている。
 出会ったばかりのあの夜は小さく震えているだけだった彼女が、今はこんな表情を見せてくれるくらいには私に気を許してくれているのだと思うと嬉しかった。前のお邸で虐げられ、クビを言い渡されてしまったという彼女のトラウマが少しでも消えているならいい。
 と、その雛菊が、突然はっとした表情をした。

「そういえば姫様、わたくし、急ぎ姫様にお伝えしなくてはならないことがあるのです」
「どうしたの?」
「わたくしの友人が右大臣家の女房で、つい先日彼女から聞いたお話しなのですが…… 姫様、以前、宰相中将様がこちらにお見えになったときに、なぜ警備をすり抜けて、姫様の元へたどり着けたのだろうと疑問に思っていらっしゃいましたでしょう」
「ええ。だってそうでしょう、中将様はあの日が初めてだったのに、迷わずいらしたようだったし……」
「どうも、以前こちらでお世話になっていた女房の一人が今は右大臣家にいるらしく、彼女に聞いたようなのですわ。彼女が、お邸の間取りや警備が薄い抜け道などを、詳細に教えたそうなのです」
「なんですって!?」

 叫んだのは私ではない、小梅だ。
 扇をバッと置いて雛菊に詰め寄っている。雛菊はというと、別に彼女が悪いわけでもなにのに、なぜか叱られた子供のように怯えているではないか。
 小梅、怖がられてるわよ……

「小梅、落ち着きなさい」
「落ち着けるわけがございませんわ! 仮にも左大臣家の女房だったものが、このような形でご恩を仇で返すなど…… そのせいで姫様がどれほど怖い思いをなさったか! 誰ですの、一体!」
「ここ、小梅様、わたくしは、名前までは存じ上げないのですぅ……」

 ああ、雛菊が雛鳥になってしまっている。
 ぷるぷると震えながら、私に助けを求める視線を送っている。

「仕方ないわよ、小梅。右大臣家に雇われたのならば、新しい主の言うことは聞かなくてはいけないでしょう。宰相中将様に強く言われたら、女房の立場で断ることはきっとできないわ。彼女を責めてはだめよ。何事もなかったのだし、よしとしましょう」
「姫様は甘すぎます!」
「もう終わったことよ。それに、これですっきりとしたのだからいいじゃない。あれ以来警備の者の仕事が増えたような気がして実は気になっていたの。彼らに落ち度があったわけではないならよかったわ、これで多少なりとも負担が減るといいのだけれど…… とにかく、原因がわかったのだから今後同じことが起こらないようにすればいいわ」
「……姫様が、そうおっしゃるのならば」

 納得がいかない――小梅の顔には明らかにそう書かれていた。が、犯人捜しをしたところで、どうにもならない。
 すでに宰相中将の頭の中には、お邸の間取りと私の居場所はインプットされてしまっているだろうし、できることといえば、その彼が通ったであろう「抜け道」とやらを塞ぐことくらいだ。とはいえ、あの宰相中将の夜這い事件のあと、小梅が何度も徹底して邸周りを確認させたそうなので、既にそういったものはないだろうが。
 小梅のことだ、どうせこの話を聞いて、神経質なくらい念入りにチェックをするに違いないので、私からは特にいうこともない。もしも宰相中将がこのお邸に入ろうとしても、同じ手は通用しないはずだ。優秀な女房がいると主は楽でいい。

 思えば、私に「物の怪姫」の二つ名がついたころ、左大臣家の女房は「物の怪に取り憑かれた三の君」を恐れ、次々と辞めていってしまった。その中には三の君付き女房も何人かいたらしい。大方、そのうちの誰かが右大臣家に入り、宰相中将へ情報を与えたのだろう。
 彼女たちを無駄に怖がらせてしまった私自身にも責任がないとはいえないので、この件について怒ったり、恨んだりするような気持ちは生まれなかった。むしろ、宰相中将に押されたら何でも吐いてしまうよね、という同情があるくらい。
 あの男は本当に本当に本当に、しつこいのだ。

「雛菊、宰相中将様に返歌を……いえ、やっぱりいいわ。もう、無視でいいわ」
「よろしいのでございますか?」
「ええ、いいわ。何を伝えても、余計燃え上がりそうなだけな気がするの…… もう、そっと無視するのがいいんだわ、きっと」
「さようでございますね……」

 小梅も横でうんうんと頷いている。宰相中将への返歌の嵐でげっそりした経験がある彼女だ、私の気持ちも痛いほどわかるのだろう。
 妙な空気になってしまった。微妙な面持ちの二人に、私はわざと明るく声を掛けた。

「先日、お兄様が持ってきた珍しい唐菓子があったわね、みなでいただきましょう。ええと、どこにあったかしら」
「姫様は座っていらして下さい、わたくしが準備いたしますから。雛菊、あなたはお茶をお願いできるかしら」
「かしこまりました、お待ちください」
「ありがとう、二人とも」

 お菓子ってやっぱり女性を一瞬で笑顔にさせるからすごい。現に二人はどこかルンルンとして楽しげだ。「兄の持ってきた珍しい菓子」というのが、希少価値がある分、気を引いてよかったのかもしれない。
 私の方は、もちろんお菓子は好きだけれど、そこまで心が躍るはずもなかった。考えようと思っていた天狗の言葉の意味を思い出す暇さえなかったからだ。
 全く、一ミリも、「現代に帰る」という目標に近付いていないじゃないか……

「姫様、準備が整いました!」

 満面の笑みで嬉しそうに私を呼ぶ雛菊に、今日はもういいか、と思った。
 そうだ、今日くらい、今くらい、この時間を私が楽しんだって罰なんか当たらない。

 口の中で広がる唐菓子の甘さにどこか罪悪感を感じつつも、この日私は、小梅と雛菊との楽しいお喋りを花を咲かせたのだった。
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