63 / 103
第四幕 愉比拿蛇
第二話
しおりを挟むちくしょ、悔しい。
一度好きだと認めたら、すべてが虚しくなる。
どうせこんな風にキスをしても、どんなに想いを募らせても、1年で終わるのだ。いや、自称ストーカー製造機のこの男のことだ、好きだと伝えようものなら絶対斬り捨てられる。
>お前も他の女と同じなんだな。
>なんだかガッカリだよ。
とかなんとか言われて、距離を置かれるに違いない。きゅうううん…可哀想な私の恋心。
ようやく唇が離され、『ウォーター』の言葉を言わせようとヘレン・ケラーの頬をピタピタと触ったサリバン先生みたく、課長は私を撫でた。
え?例えが古いうえに長すぎるですって?それはもう、慣れてくださいとしか言い様が…。えと、とにかく課長はそんな私に問うのだ。
「ったく、お前、俺のことが大好きだよな」
「好きじゃないです」
いやいや、そんなに動揺しなくても。
「え、でも、以前、言っただろ?零のお兄さんの前でさ、俺のこと、ほら」
「何か言いましたっけ」
本当はガッツリ覚えていますけどね。
「『愛しまくってます』って言っただろ?」
「ああ、あれ。だって兄の前ですよ?そう言わないと納得してくれなかったでしょ?安心してください、課長のことは何とも思っていませんから」
「そ、それじゃあなんでお前、わざわざ会いに来てキスまでしてんだよっ?!」
「それは…サ、サービスです」
冷や汗タラタラ状態の私に、課長は言う。
「零、何を怖がっているんだ?俺のことが本当は好きだよな?いいから正直に答えろよ」
「す、好き…じゃないです」
「バカだなあ。『好きじゃない』って、そんな顔して言ったらすぐに嘘だとバレるぞ?」
「本当に本当に好きにはなりませんッ」
だからお役御免にしないでください。そう願いながら私はオウムのように繰り返す。
>好きじゃない、好きじゃない…。
なぜか課長は嬉しそうにウンウンと頷き、優しく私の頭を撫で続けていた。
貧乏なのも、両親がいないのも、それを糧に強く生きてきたつもりだが。結局、ことあるごとに思い知らされてしまう。
私には“自信”というものがキレイサッパリ無いのである。
嵐の中、荒野にポツンと取り残されているような、そんな心細さがいつでも付き纏い。シッカリした両親の元で育った課長や茉莉子さん、極端な例を挙げると同じ貧乏なのに高久さんにすら劣等感を抱いている。
向こう側とこちら側の境界線は存在し、絶対に分かり合えることは無いと思ってしまうのだ。だから肝心なことはいつでも口にしないまま心を押し殺し、傍観者のようにして生きて来た。
きっと今回の結婚も、このまま本当の想いを告げずに終わるのだろう。…そんなことをボンヤリ考えていたら、課長が餅でも捏ねるみたいに私の頬を揉み出す。
「ったくもう、分かった。今晩は頑張って早目に帰るから、俺んちに来い」
「じょんなに、む、…り…にゃくても」
正しい日本語を話せないのは、課長が頬をコネコネしているせいだ。
「はあ?そのくらいの無理はさせろよ。と言っても早くて21時くらいになるかもな。どうせ今日は料理教室の日だろ?茉莉子さんに車で零を送るよう頼んでおくから」
『そんなに無理しなくても』と言ったのが伝わっていることに驚きつつ、私は無言で頷く。そして、昼休憩が残り3分になったところで慌てて営業部へと戻った。
…面倒臭い女にだけはなるまい。
何故かそのことを右人差し指で左手の平に書き、ひたすら呑み込む私。そう、落ち着くための儀式である『人』という文字を書いてエア食いするアレと同じ要領だ。
「め、ん、ど、う、く、さ…」
隣席に座っている茉莉子さんが、憐みの表情で私の肩を叩きながらこう言った。
「いや、そんなことしてる時点で既に面倒臭い女になっちゃってるけどね。もう昼休憩も終わるからその辺でヤメたら?」
す、すごいね!どうして私のやっていることが分かったんだろう?帯刀家の人たちってもしやエスパーなんじゃ?
「いやいや、アナタ思いっきり呟いてたし。普段大人しい人ほどキレると怖いって言うから、座席替えを要求しようかと思ったほどだし」
「あ…そ…でしたか。ご心配お掛けして申し訳ございませんでした」
本当にもう、どうしよう。
これがストーカー製造機の底力なの?!
あんなにサッパリスッキリしていた私が、こんなに思い詰めているんですけどっ。しかも、課長に好かれるには理想のタイプである『俺に興味を持たず、仕事の邪魔をしない女』を目指さなくてはいけないんですけどっ。
難易度高すぎるよ…。
とにかく、その晩、思い詰めている私は料理教室の試食をフード・ファイター並みの勢いで済ませ。一心不乱に課長宅を目指したところ、予定より1時間も早く到着してしまう。いつもの如く合鍵で中へと入ると、誰もいないはずの台所から声が聞こえてきた。
それも、明らかに女性の声である。
「…で、…の、……じゃない?」
何となく嫌な予感がして、身を隠しながら話がよく聞こえる食糧庫へと移動した。そこは玄関から直接入ることが出来る、一畳ほどの狭いスペースだ。
「うわっ、それは契約違反だわ。いざとなれば期間を縮めて放り出しましょう」
「こんな時に面倒を起こさないで欲しいのに、正直とても困っているんだよ」
声の主は課長と…元カノの公子さんだった。よく通る声で公子さんは続ける。
「大丈夫よ、私たち2人なら絶対に上手く行く。まだ道のりは遠いけど、一緒に頑張りましょう」
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる