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第三章 婚約者編【完】

幸せの隠れ場所 《2》

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 来訪者を告げる玄関ドアの叩き金ノッカーが鳴り響き、アリメアは旦那さまからあわてて離れた。


 我に返ると、自分の行動が凄く恥ずかしい。

 旦那さまが、自分が出ますよと言って立ち上がりかけたのを制して。ほてる顔の熱が覚めやらないままに、玄関ホールへあわてて向かった。
 身なりを整えて扉を開けると、そこには見たこともない人物が立っていた。
 しかし、その服装はアリメアもよく知っている。旦那さまとは色違いで、男爵さまと同じく蒼の騎士団の制服だった。

 ……貴族だ。

 どのような御用なんでしょうか?
 旦那さまの所属する緑ならともかく、男爵さま以外の蒼の騎士団の人間が尋ねてくるなんて、今まで無かったことだ。
 その人物は、とても不機嫌な顔をしていて、それを隠そうともしていない。尊大な態度だった。びくびくとしたアリメアの視線に気がつくと、見つめられるのも汚らわしいとばかりのさげすむような目で見る。
 アリメアは自分が相手に思われている立場――使用人であること――を思い出し。慌てて視線をそらし、軽く膝を折って挨拶すると、冷たくもいらただしげな声が聞こえてきた。

「隊長は、いるのか?」
「は、はい。今、ご案内いたしますので……」
「いい」

 その人物は、アリメアの言葉をさえぎって、勝手に居間へと向かっていく。いきなりの無作法に、アリメアはあわてて止めようと後を追った。が、追いつかず、居間のドアをノックされた。

 そして扉は開かれる。

 そこにいたのはカウチにゆったりと腰掛けて、書類を読んでいる旦那さまの姿だった。どう見てもお客を出迎える態度ではない、それほど突然の訪問。
 書類からゆっくりと目を上げて、旦那さまは少し考え込む仕草をする。

「ああ、君は……ジークロイド=レーベンハイトナー君、でしたかね?」
「ご優雅に、仕事を持ち帰りですか?」
「ええ、もうすでに帰宅しているこの私に。蒼の騎士が、どのような御用なのでしょうか?」

 旦那さまは相変わらずにこやかに対応しているが、心なしか不機嫌そうだった。
 普通なら訪問者の名前を聞き、取次ぎ、旦那さまが客人を迎え入れる準備をする。そのための時間稼ぎをしするのは、使用人としての仕事だ。
 突然の私的な空間テリトリーへの訪問者に不快になったのかもしれない。もう少しアリメアが、お客様をスマートにご案内できればと、心苦しくなっていると。その様子を伺っていたアリメアに、突然の訪問者は容赦なく告げた。

「何を、のぞき見してるんだ。これだから格下の家のメイドは……躾がなっていない」
「も、申し訳ございません……」

 旦那さまの事が心配でついこの場に留まっていたのだが、顔を上げたままだということを思いだす。
 どうやらアリメアは、旦那さまの恋人としての態度が中途半端に染み付いていたらしく。この突然の訪問者の動向が気になってしまい、会話に参加しているかのように、普通に二人のやり取りを見てしまっていた。

 貴族の使用人は、お客様ゲストと目をあわせてはならない。

 この方は私の事をメイドと思っているのだから、きちんとしなくては。
 そう、アリメアが思っているうちに、旦那さまがやんわりとアリメアを庇った。

「私の家の者の事は、私の領域です。貴方が口に出すべき領域ではありませんよ」
「はっ! 格がうかがえる」
「ええ、私の事はご自由に言っていただいても結構です。ただの成り上がりの次男坊ですからね」

 旦那さまは、微笑んでいた。
 口調も穏やかで、青年の挑発も柳の枝のように受け流している。
 貴族といっても様々で、男爵さまのように"身分の無い者"にも温和で友好的な人種もいれば。この目の前の人物のように、身分が無いというだけでそれ以下の扱いをする人達もいる。
 旦那さまのご実家でも、貴族のお客様が居たが、取り引き相手と尊重されていたので、このような扱いをされている旦那さまを見たことが無かった。
 自分のことならいくらでも我慢できる。
 だってそれは、自分自身の不甲斐なさのせいで、自業自得だ。
 けれど、今青年がアメリアの軽率な行動で非難している相手は旦那さまで、旦那さまがいわれの無い侮辱されていると思うと、アリメアは申し訳なくて歯を食いしばる。そして、泣きそうになる顔をこらえて、膝を折り、音も無く退出しようと思って扉を閉じようとした。

「ああ、アリメア。
 この方はすぐにお帰りになりますから、お茶はいれなくて結構ですよ」

 こんな時にも、旦那さまは優しくて、泣きそうなアリメアの気持ちを汲んでくれている。
 屋敷にいた時も癖の強いお客様の時はさりげなく庇ってもらっていた。

 でも。

「この家では、客にお茶も出さないというのか? まぁこのメイドの煎れるお茶など、飲む価値も無いと思うが」
「ジークロイド=レーベンハイトナー……貴方は一体、私の家に何をしにきたのですか」

 旦那さまは、どこまでも穏やかに青年に尋ねる。
 内容はともかく自身のことを話題に出されると、退出していいのか迷うアリメアに「貴女は心配せずに、自分の部屋に戻っていてくださいね」と旦那さまは微笑んで退出を促した。
 旦那さまの事を心配しながら、後ろ髪を引かれる思いで部屋の外に出る。
 言われたからには、自分の部屋に帰っているべきなのだろうけれど。アリメアは、やはりお客様にお茶も出さないままだと、旦那さまが侮辱されたままでいるのはいけないと思い、あわてて台所に行く。いつもよりより丁寧にお茶を入れ、準備をしてティーワゴンにのせて、居間の前に来る。

 退出した時と変わらず、青年は旦那さまに突っかかっているようだった。扉の向こうから荒い言葉が聞こえてくる。そして旦那さまは冷静に対応していた。
 どうやら内容は騎士団の仕事の事のようで、アリメアにはよく理解できない。

 やはり、お仕事のお話中。
 止めておいた方がいいのだろうか……と、アリメアのノックをしようとする手が震える。
 もし、お茶を青年が気に入ってくれなかったら、また旦那さまにご迷惑をおかけすることになる。
 そう思うと、手が動かない。
 旦那さまの言う通り。部屋でおとなしくしていた方がいいのだろうか。そんな葛藤をしている間に、アリメアの耳に届いたのは……。

「ふん、あの方よりも、あのメイドの方にご執心というわけか」
「もしかして、仕事よりもその事が仰りたくて家にまで来たのですか? 私とセールブリア嬢はよいお友達ですよ」

 セールブリア嬢……。
 旦那さまの口から、女性の名前が出てきてアリメアはどきりとする。
 思考が一瞬止まってしまう。

 遠くで、何か怒鳴り声が聞こえたと思うと、目の前のドアが急に開いた。
 そこには目を見開いた青年が立っていた……が、ドアの前で硬直しているアリメアを認識すると、目を細めてにらみつける。

「立ち聞きか」
「……も、申し訳……」
「階下の人間で、主人の格が見えるというものだな」

 去り際にそう言われて、アリメアは凍りついた。
 お見送りも出来ずに立ち尽くして、ようやく我に返ったのは、旦那さまの優しく暖かい声。

「す、すみません。旦那さま」
「アリメア……貴女が気にする事は無いのですよ」
「……で、でも」

 不可抗力とはいえ、盗み聞きをしてしまったのは事実だ。

「仕事を家に持ち込んだ私が悪いのですから、それに謝るのは私のほうですよ」
「え?」

 アリメアは旦那さまが謝る理由が見つからなくて、首をかしげる。

「彼はどうやら私が嫌いな様でしてね、だからあんな態度なのですよ。
 だから貴女は……すみません。
 そんな顔をさせてしまって」

 旦那さまは「だから」で、軽くアリメアを胸に抱くと、耳元で囁く。
 アリメアは自分では気づかなかったが、どうやらひどく旦那さまを心配させるような顔をしていたらしい。
 しかし旦那さまに抱擁されて、耳元で囁かれると、途端耳まで真っ赤になってしまっていた。
 それは幸せなはずなのに……何故か心にはまるで澱が溜まったような、うっすらとした不安が渦巻いていく。

 そしてその折り重なった澱みは、旦那さまが隠していた「あるもの」を、掃除中に見つけてしまったことで、溢れて誤魔化せなくなってしまう。



 それは、様々な身分の方からの……旦那さまをソル家の次男として、お招きする招待状だった。



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