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外伝
外伝Ⅰ もう一人の坊ちゃまの求婚
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※注意
旦那様の求婚の別の側面で勝手に起こっていた出来事です。
アリメアと旦那様は出てきません。
超展開で旦那様の世界観を壊したくない方
R指定は全くありませんが特殊嗜好(百合や偏愛)が苦手な方はご注意ください。
※※※
豪商、ソル家本宅ではもう一人「坊ちゃま」と呼ばれる人間がいる。
チェルト=ソル。
ソル家の長男だ。
両親の言いつけと、ごくごく私的な用件の一石二鳥で、遠方に新しい織物の買い付けルートを確保しに行っていたチェルト。
そんな彼が、久しぶりに帰ってきた我が家で、ソル家で最も信頼されている執事のオルティスに驚く報告をされた。
それは、弟の結婚。
「そうか! やっとあの弟はアリメアを手に入れたのか!」
弟は長年、自分の家の使用人に恋をしていた。
それは普通なら叶わぬ、身分違いの恋だが。弟は持ち前の気の長さ……といえば聞こえがいいが。執念深さと言ったほうが、ぴったり来るであろう気質で、見事無事彼女を勝ち取ったらしい。
実は傍から見ていたチェルトには、アリメアの気持ちは丸見えだったのだが。彼女の慎み深さと身分の違いと……なんといっても弟の性質を鑑みて、この恋の成就率はは五分五分だと危ぶんでいた。
少しはチェルトも弟に知られぬように結果的に手を貸していたのだが、弟は知らないだろうし、知らなくていいことだ。
「あぁ、早く兄としておめでとうと伝えに行くべきか……いや、蜜月を邪魔されたと気分を害しそうだな」
我のことのように喜ぶチェルトに、少し寂しげな表情を見せるオルティス。
ああ、そういえば。アリメアの親代わりともいえるオルティスにとっては、娘を嫁にやるようなものなのだろう。そう理解して、ちょっとだけ喜びを自重する。
オルティスはソル家の面々に、それだけ気遣いされるほどの、特別な使用人だ。
「それで、坊ちゃまのお言い付けの件で、ですが……」
そう言われて、ピンと来たチェルトは笑顔からすぐに真顔になった。オルティスから差し出された、銀の盆に乗った手紙を取る。
そこには優しげな文字で『親愛なるカサンドラへ』とかかれてあった。
「ああ、すまない。この手紙は僕が直接カサンドラに届けに行くよ」
「…………」
オルティスは、先ほどとはまた違った複雑な表情になる。が、使用人として、その心のうちを語る事はない。
「ほかに、お言いつけはありませんか?」
「いや、あったら呼ばせてもらうよ」
「では、失礼いたします」
オルティスが去った居室……で、受け取った手紙をひらひらさせながらチェルトはつぶやく。
「あー、今回の買い付け。
……無駄にならないように僕も頑張らなきゃなぁ」
手紙の受取人は、カサンドラ。
この国の名門貴族ステューミランドー伯爵家のご令嬢である。
しかし、この手紙の差出人は、宛名の人物がこんな大層な身分になっているとは全く持って知らない。
その理由は。
「ようこそおいでくださいました、チェルト=ソル様。
待ちかねておりましたのよ?」
ステューミランドー家でチェルトを待っていたのは、下にもおかない歓迎振りだった。
この家のご令嬢、カサンドラは流行のドレス、髪型を身にまとっていても、他の貴族の娘とは一線を画している。それは持ち前の美貌や気品もあるが、なんと言っても彼女の持ち前のセンスが良かったからだ。
「いつもながらお美しい」
「まぁ、チェルト様ったら。それよりも早く……ああ、いいわ、皆下がって頂戴」
早く二人きりになりたいと言うかのごとく、カサンドラは茶器の支度をしているメイド達を下がらせる。普通なら、未婚の男女……伯爵令嬢ともあろう淑女を、二人っきりにするという事はありえない。それができるのは、チェルトは伯爵にも気に入られていて特別だったし、そのような噂を広める使用人など置いてはいない。
メイド達の気配が消えた瞬間。
がらりと、カサンドラの雰囲気が変わる。
今まで優雅で貴族的だった物腰が、粗暴になり、チェルトに勢いよく手を差し出した。
「チェルト様、さあ、早く出してください!!」
「まぁまぁ、少しぐらいは、僕との会話を楽しんでくれたって良いじゃないか」
「そんな無駄な時間はありません」
「まぁ、お忙しそうではあるね」
チェルトが通されているのは、お客様用の部屋ではなく、比較的カサンドラの私室ともいえる部屋だ。窓際にある優美な文机には、さまざまな書簡が広がっていた。
カサンドラに届く書簡といえば、舞踏会の招待状や親しい内輪のお茶会ではあると推測できる。
しかしそれらは、ただの社交的な役割以外のものがあるということを、チェルトは見抜いていた。
「この手紙は、良いのかい?」
チェルトがひらりと摘み上げたのは、カサンドラに熱を上げているという、貴族の子息がいるという家の舞踏会の招待状だ。そう、この招待状の山の殆どは、カサンドラの求婚者からのものだった。
「チェルト様がもって来たお手紙に比べれば、薪の焚付けにしかなりません」
「はは、可哀想に」
「さあ、お早く!!」
チェルトは胸の内ポケットから手紙を出す。出された手紙をカサンドラはまるで宝物のように大事に受け取った。
その仕草が、チェルトにはとても愛らしく映る。『親愛なるカサンドラへ』と書いている文字をみて笑みを浮かべたが、紋章入りの銀のペーパーナイフで封を切り、中身を読み始めると、カサンドラの顔色は真っ青になった。
「結婚……する?」
手紙から勢いよく顔を上げたカサンドラの目は虚ろだった。
予想以上の悲壮な顔でさえも、チェルトには愛らしい。
「あぁ、そのようだよ」
「…………」
手紙を持つ手が、大げさではなく震えている。
「もしや、この手紙。貴方が偽造したのではないでしょうね?」
「まさか!」
「直接、質しに行きます!」
勢いよくソファーを立ち上がりかけたカサンドラの腕を、チェルトはつかむ。
テーブルを挟んで対面に座っていたにもかかわらず、凄い反射神経だった。「っ!!」と小さなうめき声を上げて、カサンドラはものすごい形相で、チェルトを睨む。
そしてそんな顔でも、やはりチェルトには愛らしい。
「あのむっつり助平が、私の……私のアリメアに手を出すなんて……」
「あのー。
一応そのむっつり助平は、僕の弟なんだけど?」
「私が……どんな思いで私が……ここまでクラスチェンジしたと……」
「おーい、聞いてよカサンドラ」
カサンドラの意識は、ここではないどこか遠くに行ってしまったらしい。眼前でチェルトが手を振っても、全く反応なしでブツブツと、チェルトの弟への呪詛をつぶやいている。
そんな姿でも……以下省略。
そう、手紙の差出人は、アリメア=ヘイトン。
チェルトの弟のお嫁さんになる人だ。
「うう、私がこの家を掌握した暁には、私付きの侍女……レディメイドとして、迎えに行くはずだったのに……。
アリメアといつも一緒……の夢が……それならいっそ早く、伯爵令嬢になったことを打ち明けて、あの魔の巣窟から救い出してあげれば」
「君はまだこの家の養女になって、一年位しか経ってないからね」
「それなのに! 結婚だなんて。あのロクデナシ!!
結婚してもろくな目にあわないかも、可哀想なアリメア……。
いいえ、そう! そうよ! 早く離婚すればいいんだわ。
ああ、いいえまだ結婚はしていないのだから……」
「……はははは、ロクデナシとか魔の巣窟とか、うちの弟は凄いね」
やっとカサンドラは、チェルトがいることを思い出したように、ぐるりと、顔ごと視線を向けた。
「そうです。何でチェルト様は、あの野獣を野放しにしてましたの?」
「なんで、と言われても。殆どいろんな国を飛び回ってて、一緒に住んでなかったしね、最近は弟も家から出て行ったし」
「家から出て行った?」
「確か、騎士団の近くに家を構える事が出来る身分になったとかで、ウチからメイド連れて行かないといけないといってたから、アリメアを“推薦”したんだけど」
「貴様のせいかーーーードアホがぁぁ!! 野放しどころかっ、同じ檻に放り込むなんて!!」
カサンドラは完璧素に戻って、下町訛りの下品な言葉でチェルトを詰る。コレは、遠くに控えているメイド達にも筒抜けだろうに……。
まぁ「幻聴ではないかしら?」とカサンドラが微笑みさえすれば、丸く収まりそうだけど。
チェルトはその心配よりも、今日はじめてカサンドラに、自分自身を見つめられたような気がするのが嬉しい。
弟への暴言については、カサンドラの怒りは、もっともな事なので特に気にならない。チェルトはチェルトで、弟自身ではないし。
カサンドラは、元ソル家のメイドだった。
小さい時に孤児院を訪問していた母が、一人だけ抜きん出た気品と美貌を持つカサンドラを気に入って、メイドとして引き取ってきたのだ。そんな彼女が同じ年頃と言ってもアリメアと仲良くなるのは、二人の性格の違いから言って、不思議でたまらなかった。
しかしカサンドラはアリメアを溺愛した。
そう、溺愛。
溺れるほど、愛してる。
そんなアリメア命のカサンドラが、その大好きなアリメアに内緒で、伯爵令嬢となった発端は、実はアリメアにあった。
アリメアはチェルトの弟の為に、お茶の入れ方の腕を磨いたのだが。その腕を数年前にウチの母親主催で開かれた、身分の高い女性達があつまるサロンで、カサンドラと共に披露した。それを気に入った貴族の一人が、お茶を入れたメイドを欲しいと、暗に含ませてきたのである。
それはメイドが欲しいというよりも、実質、忠誠心を試すようなもので、拒否権はウチにはなかった。
使用人など家具のように扱う連中にとっては、一から育ててきた使用人の価値など問題にしていなかったのだろう。
しかし困ったことに、当時からチェルトは弟が、アリメアを好きだった事は知っていたし。アリメアをそんな陰謀渦巻く、ギスギスした職場に送り込めばどうなるのか、賢いソル家の面々には目に見えていた。意外にもウチの家族は一度認めた使用人には甘いのだ。
しかも、執事のオルティスの娘とも言っていい存在である。執事の機嫌を損ねると、どんなことにでもなりかねない。
その頃からあることを狙っていたチェルトは、その事を偶然知ったというような自然な雰囲気でカサンドラに話した。案の定、カサンドラは食いついてきて、アリメアの身代わりを名乗り出る。
母も母なりの思惑があり、アリメアよりもカサンドラの方が適任だとどうにかすり替える事に成功した。カサンドラは恩義がある母には、アメリアとは別の忠誠を誓っていたので、諜報活動のようなことも命じられていたらしい。
カサンドラは私情から、この貴族を没落させてやるという気満々で、屋敷から出て行った。母親仕込みの技を使い、その家の最下層であるランクのメイドから侍女へとステップアップし、しかも恐ろしいことに、その家の殆どを掌握するのには時間が掛からなかった。
体外的には素晴らしい侍女として。
そして、その時に同時進行で、彼女は彼女なりに、自立しようと考えていたようだった。
その転機が訪れたのは、一年前。
カサンドラの瞳は黄金の斑模様が浮かび上がる。
それはとても珍しく、今は取り潰しとなってしまった、とある伯爵家の血筋によく現れる……体紋にそっくりだった。
体紋とはこの国特有の、貴族の一門独特の身体的特徴で、昔話では、精霊が祝福を与えた証と言われている。
有名なところでは、双子が多く生まれるといわれるオルファトッカータ家や、色素が氷の精かと見まがうほど薄いアウフシュタイナー家がある。
その彼女の珍しい特徴が“偶然”にも子供がいない老伯爵夫人の目に留まったのだ。
ただのメイドであれば、注目されない特徴も、侍女であれば注目を受け。
そしてただの使用人にはありえない、気品と美貌。
……そんなカサンドラが、孤児だといえば、その血筋だと思い込むのは当然で。あれよあれよというまに、彼女は伯爵令嬢へと上り詰めてしまったのである。
しかし、どんな時でも忘れないのはアリメアへの愛だけだ。
彼女は侍女までのステップアップは話せていたが、伯爵令嬢の件だけは話せていなかった。
理由は一つ。
そんな事を言ったら、アリメアが気後れしてしまうと分かっているからだ。
ただの豪商宅のメイドと友人では、カサンドラの評判が……と言って、彼女は相手のことを思って、本気で身を引けるタイプなのである。そういう娘だとカサンドラだけではなく、チェルトも理解している。
そして、そのカサンドラの努力を全て見ていたチェルト。
「でもさ、二人とも昔から両思いだったわけだし」
「の、割にはあのむっつりは、アリメアの前以外だと……」
「そ、それはほらアリメアの事、好きだと気づく前の男の性ってやつだしさ。ちゃんと名前がある関係になったのはアリメアだけだし、一筋だよ」
「不潔です!」
好きあう前の女性関係を、とやかく言われるのは、ちょっとフェアじゃないので。チェルトはフォローするが、焼け石に水だった。
いや火に油を注いで、更に水をかけただけのような……。
チェルトは切り口を変えてみる。
「じゃあ、その事アリメアに言えばいいよ」
「?」
「言える? 悲しむだろうな、アリメア。
泣いちゃうぐらいだったらいいけど、やっぱり私じゃ……とか言って姿を消すかも?」
「~~!!」
それが洒落にならないのだ、アリメアは。
カサンドラは凄く悔しそうに、目をギラギラさせている。
瞳の斑模様があでやかに万華鏡のようにくるくると変わって、チェルトには何時までも見つめていたいほど、凄く魅力的だった。たとえそれが、怒髪天を付く表情を必死で押さえ込もうとしている顔でも。
「それぐらいなら、今のまま大親友でいたほうがいいと思うなぁ。
カサンドラの地位なら、色々と融通利くだろうし」
「……………………そうね」
凄く間が空いて、ドカリとカサンドラはソファに腰掛けた。
そう、カサンドラはアリメアが好きだったのだ。
ただ、好きなだけ。
悲しい顔が見たいわけじゃない。
カサンドラは盛大に深呼吸すると、脳に新鮮な空気を送り込んだ。そして、怒りに殆どの割合を使っていたのを、少しずつ正常に戻す。
「じゃあ、更なるクラスチェンジを目指して、婿探しをするわ……貴方のお母様がいる限りはないでしょうけど、ソル家が没落しそうになった時、変わりに私が助けられるように」
むしろ、未亡人になった時に手助けできるように、といいたかっただろうに。チェルトの手前少し自重してくれたようだ。彼女には意外に、こういう優しいところもある。
「ふーん、アテはあるの?」
「そうね、とりあえず。地位も名誉も持っているのがいいけれど、将来性がないとね」
「それだけ? 人柄とかは?」
「誰でもいいわよ、そんなもの。私は人と結婚するんじゃないもの」
「じゃあ、僕は?」
さらりと言われた言葉に、カサンドラは少し目をしばたいてはっきりといった。
「却下」
「何故?」
「だって一緒に沈むわけには行かないじゃない」
前提はソル家が没落したら、なのでソル家を助ける力がある財力と権力がある家が望ましい。
はなからチェルトの事は選択肢にはなかったようで、彼女はチェルトの求婚をあっさり蹴る。
「誰でもいいというのなら、僕にはこの並みいる求婚者様たち以上に、勝るものがあると思うけどね」
「何も無いじゃ……」
養女相手といえど、求婚者は伯爵家にふさわしいそろいも揃った粒ぞろいだ。
ただの豪商の息子というだけのチェルトに、勝てる要素などない……とカサンドラが言い掛けた時。
「僕の弟にはそりゃあもう、可愛いお嫁さんがいてね?」
その一言で、理解する。
「僕と結婚すれば、君はアリメアの義姉上だ」
「…………」
弟には家を捨て去る選択肢があったけれど。長男であり、この職が天職とも思えるチェルトにはなかった。
だから彼女を誘導した、アリメアという餌で。
それを放棄しないで乗り越え、十分過ぎる身分を得たのは彼女自身。
罠に掛かったのはどちらの方か。
「僕の求婚、どうかな? カサンドラ」
「凄い、殺し文句だったわ。今日今すぐに貴方と結婚したくなるぐらい」
「そりゃあもう長年温めていた求婚ですから」
「あなた……どこから企んでいたの?」
聞かなくても分かるが、呆れながらつい口に出すカサンドラの手を取ってチェルトはその手のひらに口付けた。
チェルトは彼女がずっとアリメアだけを見つめていようが、それは何の問題もなかった。
簡単に落ちる女なんて、つまらない。
だからといって、他の男に懸想している女なんて対象外だ。
カサンドラはチェルトにとって、外見も内面も……そしてなにより、自分を簡単に好きにならないという理想的な女だった。
「と、とりあえず。早く貴方の妻になって、アリメアの為に居心地のいい実家にしてあげたいわ」
「楽しみにしてるよ」
カサンドラの声が上ずっている。
どうやら、あまり肉体的接触には慣れていないらしい。クスリ。とチェルトに笑みが漏れる。
カサンドラは完璧な妻になってくれるだろう。
自分の為ではなく、アリメアのために。
そんな妻を口説き続ける未来を楽しみにしているチェルト。
そして、買い付けで個人的に買ってきた白いラングール織が無駄にならなくて良かったと、ドレスの出来を頭の中で想像する。
それはとても彼女に似合っているようだった。
旦那様の求婚の別の側面で勝手に起こっていた出来事です。
アリメアと旦那様は出てきません。
超展開で旦那様の世界観を壊したくない方
R指定は全くありませんが特殊嗜好(百合や偏愛)が苦手な方はご注意ください。
※※※
豪商、ソル家本宅ではもう一人「坊ちゃま」と呼ばれる人間がいる。
チェルト=ソル。
ソル家の長男だ。
両親の言いつけと、ごくごく私的な用件の一石二鳥で、遠方に新しい織物の買い付けルートを確保しに行っていたチェルト。
そんな彼が、久しぶりに帰ってきた我が家で、ソル家で最も信頼されている執事のオルティスに驚く報告をされた。
それは、弟の結婚。
「そうか! やっとあの弟はアリメアを手に入れたのか!」
弟は長年、自分の家の使用人に恋をしていた。
それは普通なら叶わぬ、身分違いの恋だが。弟は持ち前の気の長さ……といえば聞こえがいいが。執念深さと言ったほうが、ぴったり来るであろう気質で、見事無事彼女を勝ち取ったらしい。
実は傍から見ていたチェルトには、アリメアの気持ちは丸見えだったのだが。彼女の慎み深さと身分の違いと……なんといっても弟の性質を鑑みて、この恋の成就率はは五分五分だと危ぶんでいた。
少しはチェルトも弟に知られぬように結果的に手を貸していたのだが、弟は知らないだろうし、知らなくていいことだ。
「あぁ、早く兄としておめでとうと伝えに行くべきか……いや、蜜月を邪魔されたと気分を害しそうだな」
我のことのように喜ぶチェルトに、少し寂しげな表情を見せるオルティス。
ああ、そういえば。アリメアの親代わりともいえるオルティスにとっては、娘を嫁にやるようなものなのだろう。そう理解して、ちょっとだけ喜びを自重する。
オルティスはソル家の面々に、それだけ気遣いされるほどの、特別な使用人だ。
「それで、坊ちゃまのお言い付けの件で、ですが……」
そう言われて、ピンと来たチェルトは笑顔からすぐに真顔になった。オルティスから差し出された、銀の盆に乗った手紙を取る。
そこには優しげな文字で『親愛なるカサンドラへ』とかかれてあった。
「ああ、すまない。この手紙は僕が直接カサンドラに届けに行くよ」
「…………」
オルティスは、先ほどとはまた違った複雑な表情になる。が、使用人として、その心のうちを語る事はない。
「ほかに、お言いつけはありませんか?」
「いや、あったら呼ばせてもらうよ」
「では、失礼いたします」
オルティスが去った居室……で、受け取った手紙をひらひらさせながらチェルトはつぶやく。
「あー、今回の買い付け。
……無駄にならないように僕も頑張らなきゃなぁ」
手紙の受取人は、カサンドラ。
この国の名門貴族ステューミランドー伯爵家のご令嬢である。
しかし、この手紙の差出人は、宛名の人物がこんな大層な身分になっているとは全く持って知らない。
その理由は。
「ようこそおいでくださいました、チェルト=ソル様。
待ちかねておりましたのよ?」
ステューミランドー家でチェルトを待っていたのは、下にもおかない歓迎振りだった。
この家のご令嬢、カサンドラは流行のドレス、髪型を身にまとっていても、他の貴族の娘とは一線を画している。それは持ち前の美貌や気品もあるが、なんと言っても彼女の持ち前のセンスが良かったからだ。
「いつもながらお美しい」
「まぁ、チェルト様ったら。それよりも早く……ああ、いいわ、皆下がって頂戴」
早く二人きりになりたいと言うかのごとく、カサンドラは茶器の支度をしているメイド達を下がらせる。普通なら、未婚の男女……伯爵令嬢ともあろう淑女を、二人っきりにするという事はありえない。それができるのは、チェルトは伯爵にも気に入られていて特別だったし、そのような噂を広める使用人など置いてはいない。
メイド達の気配が消えた瞬間。
がらりと、カサンドラの雰囲気が変わる。
今まで優雅で貴族的だった物腰が、粗暴になり、チェルトに勢いよく手を差し出した。
「チェルト様、さあ、早く出してください!!」
「まぁまぁ、少しぐらいは、僕との会話を楽しんでくれたって良いじゃないか」
「そんな無駄な時間はありません」
「まぁ、お忙しそうではあるね」
チェルトが通されているのは、お客様用の部屋ではなく、比較的カサンドラの私室ともいえる部屋だ。窓際にある優美な文机には、さまざまな書簡が広がっていた。
カサンドラに届く書簡といえば、舞踏会の招待状や親しい内輪のお茶会ではあると推測できる。
しかしそれらは、ただの社交的な役割以外のものがあるということを、チェルトは見抜いていた。
「この手紙は、良いのかい?」
チェルトがひらりと摘み上げたのは、カサンドラに熱を上げているという、貴族の子息がいるという家の舞踏会の招待状だ。そう、この招待状の山の殆どは、カサンドラの求婚者からのものだった。
「チェルト様がもって来たお手紙に比べれば、薪の焚付けにしかなりません」
「はは、可哀想に」
「さあ、お早く!!」
チェルトは胸の内ポケットから手紙を出す。出された手紙をカサンドラはまるで宝物のように大事に受け取った。
その仕草が、チェルトにはとても愛らしく映る。『親愛なるカサンドラへ』と書いている文字をみて笑みを浮かべたが、紋章入りの銀のペーパーナイフで封を切り、中身を読み始めると、カサンドラの顔色は真っ青になった。
「結婚……する?」
手紙から勢いよく顔を上げたカサンドラの目は虚ろだった。
予想以上の悲壮な顔でさえも、チェルトには愛らしい。
「あぁ、そのようだよ」
「…………」
手紙を持つ手が、大げさではなく震えている。
「もしや、この手紙。貴方が偽造したのではないでしょうね?」
「まさか!」
「直接、質しに行きます!」
勢いよくソファーを立ち上がりかけたカサンドラの腕を、チェルトはつかむ。
テーブルを挟んで対面に座っていたにもかかわらず、凄い反射神経だった。「っ!!」と小さなうめき声を上げて、カサンドラはものすごい形相で、チェルトを睨む。
そしてそんな顔でも、やはりチェルトには愛らしい。
「あのむっつり助平が、私の……私のアリメアに手を出すなんて……」
「あのー。
一応そのむっつり助平は、僕の弟なんだけど?」
「私が……どんな思いで私が……ここまでクラスチェンジしたと……」
「おーい、聞いてよカサンドラ」
カサンドラの意識は、ここではないどこか遠くに行ってしまったらしい。眼前でチェルトが手を振っても、全く反応なしでブツブツと、チェルトの弟への呪詛をつぶやいている。
そんな姿でも……以下省略。
そう、手紙の差出人は、アリメア=ヘイトン。
チェルトの弟のお嫁さんになる人だ。
「うう、私がこの家を掌握した暁には、私付きの侍女……レディメイドとして、迎えに行くはずだったのに……。
アリメアといつも一緒……の夢が……それならいっそ早く、伯爵令嬢になったことを打ち明けて、あの魔の巣窟から救い出してあげれば」
「君はまだこの家の養女になって、一年位しか経ってないからね」
「それなのに! 結婚だなんて。あのロクデナシ!!
結婚してもろくな目にあわないかも、可哀想なアリメア……。
いいえ、そう! そうよ! 早く離婚すればいいんだわ。
ああ、いいえまだ結婚はしていないのだから……」
「……はははは、ロクデナシとか魔の巣窟とか、うちの弟は凄いね」
やっとカサンドラは、チェルトがいることを思い出したように、ぐるりと、顔ごと視線を向けた。
「そうです。何でチェルト様は、あの野獣を野放しにしてましたの?」
「なんで、と言われても。殆どいろんな国を飛び回ってて、一緒に住んでなかったしね、最近は弟も家から出て行ったし」
「家から出て行った?」
「確か、騎士団の近くに家を構える事が出来る身分になったとかで、ウチからメイド連れて行かないといけないといってたから、アリメアを“推薦”したんだけど」
「貴様のせいかーーーードアホがぁぁ!! 野放しどころかっ、同じ檻に放り込むなんて!!」
カサンドラは完璧素に戻って、下町訛りの下品な言葉でチェルトを詰る。コレは、遠くに控えているメイド達にも筒抜けだろうに……。
まぁ「幻聴ではないかしら?」とカサンドラが微笑みさえすれば、丸く収まりそうだけど。
チェルトはその心配よりも、今日はじめてカサンドラに、自分自身を見つめられたような気がするのが嬉しい。
弟への暴言については、カサンドラの怒りは、もっともな事なので特に気にならない。チェルトはチェルトで、弟自身ではないし。
カサンドラは、元ソル家のメイドだった。
小さい時に孤児院を訪問していた母が、一人だけ抜きん出た気品と美貌を持つカサンドラを気に入って、メイドとして引き取ってきたのだ。そんな彼女が同じ年頃と言ってもアリメアと仲良くなるのは、二人の性格の違いから言って、不思議でたまらなかった。
しかしカサンドラはアリメアを溺愛した。
そう、溺愛。
溺れるほど、愛してる。
そんなアリメア命のカサンドラが、その大好きなアリメアに内緒で、伯爵令嬢となった発端は、実はアリメアにあった。
アリメアはチェルトの弟の為に、お茶の入れ方の腕を磨いたのだが。その腕を数年前にウチの母親主催で開かれた、身分の高い女性達があつまるサロンで、カサンドラと共に披露した。それを気に入った貴族の一人が、お茶を入れたメイドを欲しいと、暗に含ませてきたのである。
それはメイドが欲しいというよりも、実質、忠誠心を試すようなもので、拒否権はウチにはなかった。
使用人など家具のように扱う連中にとっては、一から育ててきた使用人の価値など問題にしていなかったのだろう。
しかし困ったことに、当時からチェルトは弟が、アリメアを好きだった事は知っていたし。アリメアをそんな陰謀渦巻く、ギスギスした職場に送り込めばどうなるのか、賢いソル家の面々には目に見えていた。意外にもウチの家族は一度認めた使用人には甘いのだ。
しかも、執事のオルティスの娘とも言っていい存在である。執事の機嫌を損ねると、どんなことにでもなりかねない。
その頃からあることを狙っていたチェルトは、その事を偶然知ったというような自然な雰囲気でカサンドラに話した。案の定、カサンドラは食いついてきて、アリメアの身代わりを名乗り出る。
母も母なりの思惑があり、アリメアよりもカサンドラの方が適任だとどうにかすり替える事に成功した。カサンドラは恩義がある母には、アメリアとは別の忠誠を誓っていたので、諜報活動のようなことも命じられていたらしい。
カサンドラは私情から、この貴族を没落させてやるという気満々で、屋敷から出て行った。母親仕込みの技を使い、その家の最下層であるランクのメイドから侍女へとステップアップし、しかも恐ろしいことに、その家の殆どを掌握するのには時間が掛からなかった。
体外的には素晴らしい侍女として。
そして、その時に同時進行で、彼女は彼女なりに、自立しようと考えていたようだった。
その転機が訪れたのは、一年前。
カサンドラの瞳は黄金の斑模様が浮かび上がる。
それはとても珍しく、今は取り潰しとなってしまった、とある伯爵家の血筋によく現れる……体紋にそっくりだった。
体紋とはこの国特有の、貴族の一門独特の身体的特徴で、昔話では、精霊が祝福を与えた証と言われている。
有名なところでは、双子が多く生まれるといわれるオルファトッカータ家や、色素が氷の精かと見まがうほど薄いアウフシュタイナー家がある。
その彼女の珍しい特徴が“偶然”にも子供がいない老伯爵夫人の目に留まったのだ。
ただのメイドであれば、注目されない特徴も、侍女であれば注目を受け。
そしてただの使用人にはありえない、気品と美貌。
……そんなカサンドラが、孤児だといえば、その血筋だと思い込むのは当然で。あれよあれよというまに、彼女は伯爵令嬢へと上り詰めてしまったのである。
しかし、どんな時でも忘れないのはアリメアへの愛だけだ。
彼女は侍女までのステップアップは話せていたが、伯爵令嬢の件だけは話せていなかった。
理由は一つ。
そんな事を言ったら、アリメアが気後れしてしまうと分かっているからだ。
ただの豪商宅のメイドと友人では、カサンドラの評判が……と言って、彼女は相手のことを思って、本気で身を引けるタイプなのである。そういう娘だとカサンドラだけではなく、チェルトも理解している。
そして、そのカサンドラの努力を全て見ていたチェルト。
「でもさ、二人とも昔から両思いだったわけだし」
「の、割にはあのむっつりは、アリメアの前以外だと……」
「そ、それはほらアリメアの事、好きだと気づく前の男の性ってやつだしさ。ちゃんと名前がある関係になったのはアリメアだけだし、一筋だよ」
「不潔です!」
好きあう前の女性関係を、とやかく言われるのは、ちょっとフェアじゃないので。チェルトはフォローするが、焼け石に水だった。
いや火に油を注いで、更に水をかけただけのような……。
チェルトは切り口を変えてみる。
「じゃあ、その事アリメアに言えばいいよ」
「?」
「言える? 悲しむだろうな、アリメア。
泣いちゃうぐらいだったらいいけど、やっぱり私じゃ……とか言って姿を消すかも?」
「~~!!」
それが洒落にならないのだ、アリメアは。
カサンドラは凄く悔しそうに、目をギラギラさせている。
瞳の斑模様があでやかに万華鏡のようにくるくると変わって、チェルトには何時までも見つめていたいほど、凄く魅力的だった。たとえそれが、怒髪天を付く表情を必死で押さえ込もうとしている顔でも。
「それぐらいなら、今のまま大親友でいたほうがいいと思うなぁ。
カサンドラの地位なら、色々と融通利くだろうし」
「……………………そうね」
凄く間が空いて、ドカリとカサンドラはソファに腰掛けた。
そう、カサンドラはアリメアが好きだったのだ。
ただ、好きなだけ。
悲しい顔が見たいわけじゃない。
カサンドラは盛大に深呼吸すると、脳に新鮮な空気を送り込んだ。そして、怒りに殆どの割合を使っていたのを、少しずつ正常に戻す。
「じゃあ、更なるクラスチェンジを目指して、婿探しをするわ……貴方のお母様がいる限りはないでしょうけど、ソル家が没落しそうになった時、変わりに私が助けられるように」
むしろ、未亡人になった時に手助けできるように、といいたかっただろうに。チェルトの手前少し自重してくれたようだ。彼女には意外に、こういう優しいところもある。
「ふーん、アテはあるの?」
「そうね、とりあえず。地位も名誉も持っているのがいいけれど、将来性がないとね」
「それだけ? 人柄とかは?」
「誰でもいいわよ、そんなもの。私は人と結婚するんじゃないもの」
「じゃあ、僕は?」
さらりと言われた言葉に、カサンドラは少し目をしばたいてはっきりといった。
「却下」
「何故?」
「だって一緒に沈むわけには行かないじゃない」
前提はソル家が没落したら、なのでソル家を助ける力がある財力と権力がある家が望ましい。
はなからチェルトの事は選択肢にはなかったようで、彼女はチェルトの求婚をあっさり蹴る。
「誰でもいいというのなら、僕にはこの並みいる求婚者様たち以上に、勝るものがあると思うけどね」
「何も無いじゃ……」
養女相手といえど、求婚者は伯爵家にふさわしいそろいも揃った粒ぞろいだ。
ただの豪商の息子というだけのチェルトに、勝てる要素などない……とカサンドラが言い掛けた時。
「僕の弟にはそりゃあもう、可愛いお嫁さんがいてね?」
その一言で、理解する。
「僕と結婚すれば、君はアリメアの義姉上だ」
「…………」
弟には家を捨て去る選択肢があったけれど。長男であり、この職が天職とも思えるチェルトにはなかった。
だから彼女を誘導した、アリメアという餌で。
それを放棄しないで乗り越え、十分過ぎる身分を得たのは彼女自身。
罠に掛かったのはどちらの方か。
「僕の求婚、どうかな? カサンドラ」
「凄い、殺し文句だったわ。今日今すぐに貴方と結婚したくなるぐらい」
「そりゃあもう長年温めていた求婚ですから」
「あなた……どこから企んでいたの?」
聞かなくても分かるが、呆れながらつい口に出すカサンドラの手を取ってチェルトはその手のひらに口付けた。
チェルトは彼女がずっとアリメアだけを見つめていようが、それは何の問題もなかった。
簡単に落ちる女なんて、つまらない。
だからといって、他の男に懸想している女なんて対象外だ。
カサンドラはチェルトにとって、外見も内面も……そしてなにより、自分を簡単に好きにならないという理想的な女だった。
「と、とりあえず。早く貴方の妻になって、アリメアの為に居心地のいい実家にしてあげたいわ」
「楽しみにしてるよ」
カサンドラの声が上ずっている。
どうやら、あまり肉体的接触には慣れていないらしい。クスリ。とチェルトに笑みが漏れる。
カサンドラは完璧な妻になってくれるだろう。
自分の為ではなく、アリメアのために。
そんな妻を口説き続ける未来を楽しみにしているチェルト。
そして、買い付けで個人的に買ってきた白いラングール織が無駄にならなくて良かったと、ドレスの出来を頭の中で想像する。
それはとても彼女に似合っているようだった。
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