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1巻

1-2

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「メアリーが死んだというのは本当ですか?」

 いつもならよく人を見下みくだすこいつに食ってかかる事もあるのだが、今はそんな元気もないため、力なく頷いた。

「昨夜、息を引き取った」

 そう呟くと「そうですか……」という力ない返事と共に、ローガンは肩を落とした。
 やはりメアリーは色んな囚人達に好かれていたのだと改めて思い知らされた。
 悲しそうな顔をしているローガンを横目に、俺は出された食事のうち、パンなどの持ち運びが出来そうなものをこっそりと隠し持っていた袋に入れる。
 すると、俺の行動の意図いとが分からないようで、ローガンは眉間みけんしわを寄せた。

「何してるんですか? 部屋に持ち帰って食べる気ですか?」

 そう言われ、俺はとある事を思いついた。
 書簡部にいて権力を持っているこいつに、メアリーの子供の事を相談するのはどうだろうか。
 こいつはいけ好かない奴だが、この収容所内で権力は持っている。その協力を得られたら……
 少し考え、俺は口を開く。

「これは俺が食うんじゃない。実はな、メアリーだが、子を身ごもっていた」
「何⁉ 誰の子ですか⁉」

 大声を出して立ち上がったローガンを睨むと急いで座らせる。

「静かにしろ!」
「す、すみません……」

 珍しく謝り、ローガンは椅子に座り直した。
 俺は続ける。

「誰の子か分からんが、とりあえずメアリーが子を産んだのは確かだ」
「まさか、それが原因で死んだんですか?」
「それだけが原因ではないと思うが、要因の一つにはなっているだろう」
「なんて事だ……だから書簡部に来ないかと何度も誘ったんだ。あそこなら酷い仕打ちはそうは受けないのに」

 ローガンが悔しそうに声を漏らすが、俺は答える。

「メアリーは裁縫さいほうが好きだったんだ。彼女が洋裁部を気に入っていたのは、お前だって知ってるだろ」

 そう言って、俺はポケットにあるメアリーからもらったハンカチを掴む。
 彼女は仲良くなったり親切にしてくれたりした囚人達に、「これくらいしかお礼が出来ないから」と言い、よくそいつのイニシャルつきのハンカチを渡していた。
 どこで布を仕入れたのかは知らないが、そのハンカチはとても上質な生地きじでいい香りがした。
 囚人達はそれを肌身離さず汚さないように持っていたものだ。もちろん俺も肌身離さず持っている。
 ローガンも同じようで胸ポケットに手を置いてメアリーの事を思い出しているようだった。
 その後、ローガンは言う。

「……いくら裁縫が好きでも、死んでしまったらそれで終わりですよ」

 俺はローガンの言葉を聞き、その顔をジッと見つめた。
 すると、奴は言う。

「……何か言いたそうですね」
「終わりじゃないって言ったらどうする?」

 俺の言葉にローガンはいぶかしげな顔をした。

「どういう事ですか?」

 ローガンは詳しく話せと言わんばかりに俺を睨みつけ、顔を近付けてきた。
 周りに聞こえないように注意を払い、話をきり出す。
 メアリーが子を産んでその子がまだ俺の部屋で生きている事、どうにかメアリーの子を育ててここから出してやりたい事、そのために協力して欲しい事を伝えた。
 俺は話し終えるとローガンの様子をうかがった。こいつの気分次第では赤子の存在が看守にバレるかもしれないのだ。
 もし俺の考えに反対する素振そぶりがあれば、こいつを殴ってでも口止めしなければ……
 俺は覚悟を決めて拳を握りしめ力を込める。

「まずはその赤子に会わせてください。それからどうするか考えます」

 ローガンの答えは慎重しんちょうだった。
 しかしすぐにバラすような事をしないところをみると、迷っているように感じる。

「分かった」

 俺は頷き、ローガンを赤子に会わせる事を了承りょうしょうした。

「あとであなたの牢屋に向かいます。今日は適当な理由でもつけて仕事は休んでください」

 ローガンの言葉に俺は力が抜けコクリと頷いた。
 手のひらを見るとそこには汗がにじんでいた。


 ローガンとの話を終えた俺は看守に、体調が悪いので牢屋で待機したいと話し、そっと看守のポケットに金を差し込む。
 ここでは直接金を使う事はないが、看守は金を渡せばある程度融通ゆうずうかせてくれる。
 そのため囚人達は色々とグレーな手段を使って、こういう時のために現金を手に入れていた。
 看守はポケットの中を軽く見ると、ニヤッと笑った。

「分かった、だが一晩で必ず治せよ」

 そう言った看守に連れられ、牢屋へと戻っていった。
 すると、その直後にローガンがやって来る。

「こんにちは」

 ローガンはそう言って、俺を連れてきた看守に声をかける。
 看守はローガンが来た事に驚いていたが、何やら言葉を二つ三つ交わすと俺の牢屋の鍵を開け、笑顔で持ち場を離れて行った。

「何を言ったんだ?」

 訝しげにローガンを見つめる。

「一時間ほどここを自由に使わせて欲しいとお願いしただけです。帳簿に書かれたあなたの給料を水増ししてやると言えば、楽勝です」

 ニヤリと笑うローガン。
 その様子を見て、俺は答える。

「やはり書簡部にいる奴は違うな……だが他の看守にバレないのか?」
「あんな馬鹿共に帳簿の細かい見方なんて分かりませんからね。それにもし給料が水増しされている事に他の奴が気づいたとしても、私は証拠しょうこを残していない。それなら、ばっせられるのは看守本人です」

 悪人のように笑うローガンの姿は絵になっていた。
 まぁこいつも囚人だから悪人なのだろう。
 すると、ローガンは思い出したように言う。

「それより赤子はどこですか? 泣き声の一つも聞こえませんよ、死んでいる……なんて事はありませんよね?」

 ローガンは俺の牢屋の中を見回した後で睨んでくる。

「だ、大丈夫だ、朝はまだ生きていた」

 その言葉に急に不安になると牢屋の奥へと急いだ。
 赤子は俺のベッドの影に作っておいた、布製の簡易ベッドの上に寝かせている。
 そこを覗いて、俺は思わず叫ぶ。

「あ!」

 赤子が力なくぐったりとしていた。

「お、おい!」

 急いで抱きかかえるとローガンに見せた。

「貸しなさい!」

 ローガンは赤子を奪い取るとベッドに横たえてじっくりと観察する。

「これは……臍の緒もついたままだし、こんな劣悪れつあくな環境に赤子をなぜ放置したままにした⁉ 産まれてからこの子に何か与えたのか!」
「食べ物がないからこれをやろうと」

 先程の飯を取り出すとローガンの顔が怒りに染まった。

「そんなもの赤子が食べられるか!」

 ローガンは俺の手を叩いて飯を地面に叩き落とした。
 そして赤子を布で包むと抱きかかえて走り出す。
 俺は急いでその背中を追いかけながら尋ねる。

「おい! どこへ行くんだ⁉」
「私の牢屋だ! ここからなら看守のいる場所を通らずに行ける! それよりお前は二棟にとうのメイソンと四棟よんとうのハーパーを呼んで来い! 私の名前を出せばすぐ来るはずだ!」

 早口でまくし立てるローガン。

「な、なんでそいつらを呼ぶんだ? 赤子は大丈夫なのか?」

 俺は質問をするが答えは返ってこなかった。

「この子が死んでもいいのか! 早く行け!」

 ローガンの必死な様子を見て赤子が死ぬのかもしれないと思った俺は、小間使こまづかいでもなんでもしてやると思い、隣の二棟に走った。
 棟を移動するたびに、そこを管理している看守に金を渡す。
 いつもなら交渉して少しでも安く通してもらうが今は構ってはいられない。今まで貯めた金を半分使い二棟に入った。

「メイソンはいるか!」

 二棟の共有スペースで大声を上げると一人の男が軽く手を挙げた。

「私だが?」

 立ち上がったその人はスラッと高身長で白衣のような服を着ていた。

「ローガンが至急しきゅう来て欲しいと言っている! お願いだ、ついて来てくれ!」
「ローガンが私に用……ならそっちの頼みって事だな」

 メイソンは立ち上がると床に置いていた大きな手提てさげカバンを手に取り俺のそばに来た。

「そっちの頼みってなんなんだ?」

 俺はそう言いながら、メイソンに目を向ける。

「私はここに来る前は医者をしていたんだ。ローガンが私を呼ぶ時は怪我人けがにん治療ちりょうを頼む時だからな」

 メイソンはそう言うと口のはしをクイッと上げる。

「今回はどんな怪我かな」

 クックックと楽しそうに笑った。
 大丈夫か、こいつ?
 不安になりながらもメイソンをローガンの牢屋に向かわせ、今度は四棟を目指す。
 貯めていた金の残りを全部使って四棟に入れてもらい、今度はハーパーを探した。

「ハーパー、ハーパーはどこだ! ローガンが呼んでいるぞ」

 俺は声をかけながら四棟を走った。

「ローガン?」

 声が聞こえた牢屋へと向かうと、十五歳くらいの少年がムクッとベッドから起き上がった。

「お前がハーパーか?」
「そうだよ」

 ハーパーは大あくびをすると目をゴシゴシとこすった。

「で、用はなぁに?」

 その姿は小さな子供のようにしか見えず固まってしまう。

「ねぇ、用があるんじゃないの?」

 ハーパーが不機嫌そうに声をかけてきて俺は慌ててローガンの事を話した。

「す、すまん。ローガンが至急来て欲しいと言っている。実は体調がよくない奴がいて……」

 赤子の事を言う訳にもいかずに言葉をにごす。

「ふーん、なら栄養を取らせたいって事かな? まぁいいや、ノア行くよ」

 ハーパーは誰かに向かって声をかけると、どこからか小鳥がパタパタと飛んできて、ハーパーの肩に止まった。

「ほら、早く行くんでしょ」

 ハーパーの言葉に再びハッとすると急いでローガンの元に走り出した。
 しかしその途中、ハーパーの事が気になり、チラ見する。
 結構な速度で移動しているつもりだが余裕な様子だ。
 小鳥もハーパーの肩に止まったまま動く事なくついて来ていた。

「お前いくつだ?」

 思わず歳を聞いてしまう。

「それ聞いてどうするの?」
「いや、子供がこんな所に入ってるなんて知らなくてな」
「はぁーヤダヤダ。これだからすぐ見た目で判断する奴は」

 ハーパーはため息をつきながら呆れている。

「子供じゃないって事か?」

 しかしどう見ても子供にしか見えない。

「こう見えても成人してるからね、僕」
「えっ!」

 俺は思わず驚いて立ち止まった。

「あぶなっ!」

 ハーパーが俺の背中にぶつかりそうになる。

「その容姿で成人だと⁉」
「まぁね」

 ハーパーは不機嫌になるとそれっきり口を閉ざしてしまった。
 それでもついてくるハーパーと走り続け、ローガンの牢屋に着く。
 すると、目の前にある光景を見て目をうたがった。
 そこは自分の牢屋とはまるで違い、普通の部屋のように見えた。
 俺はローガンに尋ねる。

「ここがお前の牢屋なのか?」
「ええ、ちゃんと皆さんと同じ牢屋ですよ」

 確かに出入りする扉は俺達と同じで檻になっている。
 しかし床は綺麗に木製の板がかれていて、小綺麗な印象だ。広さもかなりある。
 牢屋の奥には本格的なベッドもあり、そこで赤子が横になっていた。
 さらに出入りする檻の前にはカーテンのようなものがあり、中を隠せるようになっていた。

「それよりも、この赤子の処理をお願いします」

 ローガンが切り替えるように言うと、既に部屋にいたメイソンが答える。

「なぜ、赤子がここにいるかは気になるが、とりあえずはいいだろう」

 そう言って、メイソンはカバンから刃物を取り出した。

「何してる!」

 俺はそう叫び、メイソンを止めようと駆け寄った。

「やめなさい!」

 するとローガンに止められてしまう。

「離せ! あいつ赤子をきざむ気だ!」

 暴れているとバシッ! と頬を思いっきりはたかれた。

「落ち着きなさい! メイソンは今お前が雑に切った臍の緒の処置をしてくれているのです。あのままでは雑菌が入り赤子は数日と持ちません」
「えっ?」

 よく見るとメイソンは赤子のお腹に薬のようなものをって布を巻いていた。
 それを見て、少し頭が落ち着いたのと同時に、今度はハーパーがローガンを見て言う。

「赤子の元に僕が呼ばれたって事はミルクでも用意すればいいのかな?」
「お願いいたします。早く栄養価の高い物を飲ませないといけません。生まれてから何も口にしていないそうなのです」
「そうなんだ。ならラクダあたりのミルクでも飲ませてみるかな」

 そう言うとハーパーは肩に乗った小鳥のノアを見つめて声をかけた。

「ノア、ラクダのめすになってちちしぼらせて。殺菌もよろしく」

 ノアは頷くとその姿を変えていき、小ぶりのラクダになった。
 俺は驚愕しつつ口を開く。

「その小鳥……魔獣まじゅうか?」

 そう言って、小鳥からラクダに変わった謎の生物を凝視ぎょうしした。

「魔獣って一くくりにしないで欲しいな。ノアはノアだよ。僕の唯一の友達」

 ハーパーはラクダのノアをいとおしそうに優しくでた。

「なんだってそんな奴がこんな所に入ってるんだよ」

 ハーパーは俺の問いには答えずノアを撫でている。

「ほら、それよりもあんた、手が空いているなら乳搾ちちしぼりをやってよ!」

 ハーパーの言葉を聞き、俺は恐る恐るノアに近づく。

「あの子にミルクやるんでしょ? 早く搾ってあげなよ」
「そうだった。ありがとう、感謝する」

 赤子に何かやれるならこの際なんでもいい、そう思い、俺は周囲を見て乳を受け止めるコップを探した。
 すると、ローガンが哺乳瓶ほにゅうびんを差し出してくる。

「お、お前それ、どうしたんだ?」

 俺はローガンの姿に目を見開いた。

「看守に特殊な趣味しゅみをお持ちの方がいましてね、ちょっとお借りしてきました。声をかけたらこころよく貸してくださいましたよ」

 ニコッと笑い、当たり前のように答えた。

「ああ、ちゃんと洗って熱湯ねっとうで消毒しましたからご安心ください」

 俺は動揺しつつも、ふたのはずれた哺乳瓶を受け取る。
 そしてノアにお礼を言ってミルクを搾らせてもらった。
 それと同時に、メイソンも処置が無事終わったようで刃物をしまった。
 その様子を見てホッとする。

「どうやら雑菌は体内に入っていなかったようだな。運がいい子だ」

 メイソンがそう言って、少し傷の残る赤子の臍をそっとさする。
 その姿は先程の狂気めいた姿とは反対に優しく見えた。
 パシッ……
 すると赤子の小さな手が撫でていたメイソンの指を掴んだ。しかしどこか弱々しく見える。
 メイソンは赤子の小さな手をそっと離すと俺の方を見た。

「早くそれを飲ませてやれ」
「そうですね」

 そう言ったローガンに、俺は哺乳瓶を渡す。
 ローガンは哺乳瓶にふたをすると、赤子を抱き椅子に座った。
 その後、哺乳瓶の先を口に近づける。赤子は力がないのか口が半分ほどしか開かない。

「ほら、頑張ってください」

 ローガンが優しく声をかけると赤子の目がうっすらと開いた。

「そうです、あなたはまだ死んではいけませんよ」

 ローガンの言葉に答えるように赤子は口を開くと哺乳瓶の先をくわえる。

「よく出来ました」

 ローガンが満足そうに微笑むと赤子はゆっくりと少しずつミルクを飲んでいった。
 少し飲むともういらないのか舌を使ってべぇと哺乳瓶の先を吐き出した。
 そして、すぐに目を閉じる。

「どうやら満足したようですね」

 ローガンがスヤスヤと眠る赤子の様子にホッとしている。

「ちょっと貸してみろ」

 メイソンが赤子を渡せと手を出すと、ローガンはまだ首のすわっていない赤子を大切に渡した。

「いいか? ミルクを飲んだら必ずゲップをさせないといけない。じゃないとミルクを吐き出してのどに詰まってしまう事があるからな」

 そう言うと赤子を自分の肩に寄りかからせて優しく背中をさする。
 すると程なくしてケップ! と可愛らしい音が赤子の口から飛び出した。

「あと、ミルクは三時間置きにやる事。今日は緊急事態で栄養価の高いラクダのミルクをあげたが、次からは別のミルクで大丈夫だ。あまり栄養価が高すぎると腹を壊すかもしれん」
「なら牛とか羊でいいかな」

 ハーパーが聞くとメイソンが「それでいい」と言って頷く。
 しかし、問題はそれだけではないと思い、俺は言う。

「俺は明日以降、朝から採掘場で仕事なんだ。そんなにつきっきりではいられないぞ。明日からどうしたらいい⁉」

 すると、ローガンは口を開く。

「では面倒を見るのは当番制にしましょう。当番の方はお休みをとって一日赤子につき添います。それに休みに関しては、私の方からも看守に手を回します」
「分かった。赤子の様子は俺も気になるからな」

 メイソンはすぐに承諾して頷いたが、ハーパーはどこか不満そうだった。

「その当番って僕も入ってるの? 僕はミルクを用意してるんだけど」
「この子はメアリーの子ですよ」

 ローガンがそう言って赤子の頬をつつく。すると赤子が笑ったように見えた。

「はっ? メアリー?」

 状況が分かっていないハーパーに、赤子に関する情報を伝える。
 すると、ハーパーだけでなく、メイソンも驚いた様子で話を聞いていた。
 そして話を終えた後、ハーパーはどこかさびしそうに呟く。

「メアリーが死んだっていうのは聞いてたけど……そうか……その子を産んだんだ」

 この口ぶりからするに、ハーパーもメアリーの事を知っているようだった。
 すると、ローガンは納得したように言う。

「この子の面倒を見たい方は大勢いるでしょう。他にも協力してくれる人を探します」

 その言葉を聞き、俺はふと思い出した。

「ローガン、そこまでしてくれるって事は、この子を育てるのに協力してくれるんだな!」
「これもメアリーのためです」

 そう言ったローガンの赤子を見つめる瞳はどこか悲しそうだった。
 やはり、ローガンもメアリーとは何かあるようだ。
 こうして、俺達は共同で赤子を育て始めたのだった。

   
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