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1巻

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 プロローグ


「おい、ミラ、大人しくしてろ。じゃないと看守かんしゅに見つかるぞ!」

 ジョンさんの怒る声に私はへらへらっと笑う。

「大丈夫、そんなヘマしないよ! 早く行こうよジョンさん!」

 早く早くとジョンさんの手を引く私。
 ジョンさんは苦笑しながらも私の思うように手を引かせてくれた。
 しかし、看守からこっちが見える位置に来ると、ジョンさんは私を軽々と抱きかかえる。

「ほら、ここからは駄目だめだ。早くここに入るんだ」

 ジョンさんが後ろで引いていた、私の移動用カートを前に出した。
 そこに入り込み、看守に見つからないよう静かに隠れる。これが収容所しゅうようじょでの私の日課にっかだった。
 こうやって楽に移動出来るのも、親のいない私を育ててくれたみんなのおかげなんだよね……。


 一 誕生たんじょう


 五年前、薄暗うすぐらくジメジメとした独房どくぼうの中で、メアリーという一人の女性が苦しそうにうなごえを上げていた。
 ここは異世界の凶悪犯が収容される、サンサギョウ収容所である。

「うっ……うう」

 長い間続くうめき声にイラつき、看守が怒鳴どなり声を上げる。

「うるせぇぞ! 静かにしないとまた叩くぞ!」

 看守はガンッと牢屋ろうやおりりつけると、つばいて他の牢屋の見回りへと向かったのだった。


   ◆


 看守の足音が遠ざかったのと同時に、俺――ジョンは声をかける。

「メアリー、大丈夫か?」

 しかしその問いに返事が戻って来る事はなかった。
 そのまま、周囲に沈黙が広がる。
 しばらくすると突如とつじょとして牢屋に赤子の泣き声がひびいた。

「お、おぎぁー!」
「な、なんだ?」
「赤子の声だと?」

 俺を始めとした囚人達は牢屋の檻から身を乗り出し、顔を近づけて周囲を確認する。

「この声はメアリーの牢からか! メアリー! おい! メアリー、大丈夫か?」

 隣の牢にいるメアリーに、俺は何度も声をかけた。
 しかし、彼女からの返事はない。
 数時間前からメアリーはずっと声を殺して唸っていた。
 だが、今はパタリと声が止まっており、赤子の声しか聞こえてこない。
 きっとメアリーは気を失ったか……最悪息をしていない可能性もある。

「クソッ!」

 俺はブルブルと首を振って嫌な考えを頭からばす。
 メアリーはこの収容所のいやしだった。ひどい環境の中、少しでもここをよくしようと言って、俺達をはげまし続けてくれた。
 しかも、貴族の女であるのにもかかわらずだ。
 俺達のようなはぐれ者に偏見へんけんの目を向けず、対等に話してくれる貴族の女など見た事がない。
 みんなメアリーの前でだけは普通の人間になれた気がしていた。
 俺もその一人だった。
 そんなメアリーは、数ヶ月前に体調をくずしたのをきっかけに、どんどん顔色が悪くなっていった。
 しかし彼女の目には生きようとする意志のようなものが宿っていたのを覚えている。
 ここの不味まずい飯も残さず食べて、吐きそうになるのを必死で両手で押さえて飲み込んでいた。
 そして、口癖くちぐせのように「体力をつけなくちゃね」とつぶやいていた。
 そうか! いつ何が起きたのかは分からないが、メアリーは子を宿やどしていたのか!
 そういえばメアリーは、いつからか大きい服ばかり着て、お腹を隠していたように思える。
 となると、あの悪阻つわりだったんだ。そして今、最後の力をしぼり、メアリーは看守に見つからないように声を抑えてんだのだ。

「看守が来る、泣くな! 泣きやんでくれ!」

 赤子に言っても分からないだろうが、言わずにはいられない。
 このまま泣き続けていては、すぐに看守に見つかり捨てられるか、最悪の場合殺される。
 メアリーが命をかけて産んだ赤子には生きてもらわないといけない。
 そう思い俺が必死で声をかけ続けると、まるで俺の言う事を理解しているかのように赤子の声がピタッとやんだ。
 そして、それから少しった後に、再びやってきた看守がメアリーの牢屋の前を通る。
 俺は息を止めてその成り行きを見守った。

「ん? おいどうした。なぜ倒れている?」

 看守が様子のおかしいメアリーに気づいてしまったのか⁉
 俺はあわてて看守に声をかける。

「すまん! ちょっとこっちだ! こっちこい!」

 大声で声をかけて看守の意識をこちらにらした。
 看守はこちらを見てさけぶ。

「うるさいぞ!」

 看守の持つ警棒けいぼうを投げつけられると、それは檻に当たって地面に落ちた。

「おい! 当たってないぞ!」

 あおるように馬鹿にする。

「この野郎!」

 俺の思惑おもわく通り、看守はメアリーの牢屋から離れてこちらに向かってきた。
 ゴソッ……
 しかし何かが動く音がひびき、看守がメアリーの牢屋の方を見てしまった。

「待ってろ、こいつを確認したら次はお前だ」

 看守は俺ににらみをきかせると、メアリーの牢屋に入る。

「し、死んでる⁉ 血が流れてるぞ⁉ しかも、ガ、ガキがいる! こいつこんなところでガキを産みやがった」

 汚い物でも見たかのように、看守は声を上げた。

「どうすんだこりゃ……おえっ、俺は掃除そうじなんて嫌だぞ」

 牢屋から出てきた看守はブルッと体をふるわせて困っていた。

「それなら俺がやります! ですから先程の行いを許していただけませんか?」

 俺がそう言ってしおらしく頭を下げると、看守は思案顔をして言う。

「ちっ、しょうがないな。綺麗きれいに掃除しておけよ、そしたら飯抜きで勘弁かんべんしてやる」
「ありがとうございます!」

 ここに来て初めて心からお礼を言った。
 俺は牢屋から出してもらうと掃除道具を受け取った。

「じゃあ片付けたら知らせろ、俺は看守室で寝てる。もしなんかしたら分かってるな」

 看守が俺に警棒を押しつけて圧をかけてきた。

「もちろんです。ここから逃げるなんて出来ませんし、抵抗はしません。終わりましたら声をかけますのでゆっくり休んでいてください」

 びるように笑うと看守はフンッと馬鹿にしたように鼻をらす。

「まぁとりあえず足枷あしかせだけはつけておく。いいな、これがついてるという事は……」
「はい、逃げ出したら足が吹き飛ぶんですよね」

 俺は看守が皆まで言う前に先に答えた。

「分かっているならいい。次の巡回が来る前に終わらせておけよ」
「はい」
「あー、あとその囚人の死体は処分しょぶんするから袋に詰めておけ」
「はい」

 俺は倒れているメアリーを見てコクッと頷いた。
 看守が離れていくのを見届けると、急いでメアリーの牢屋に入った。
 足枷が重りになり、ガチャガチャと足に当たって邪魔じゃまだ!
 急ぐと足に負荷ふかがかかるが構わずに走り、メアリーに声をかける。

「メアリー! メアリー!」

 彼女は青白い顔のまま目を開かない。そっと手を触れるとその肌は冷たく、生きているとは思えなかった。
 それはメアリーのあの笑顔がもう見られない事を物語っていた。

「メアリー……」

 俺はくやしさを押し殺しつつ目をつぶる。
 そしてそっと彼女の顔に布を被せると、その近くで目を瞑っている赤子を見つけた。
 泣き声がやんだ今、この子も……
 そう思っていると赤子は目を開け、俺とバッチリと目を合わせた。
 生まれたばかりの赤子と目が合うなどあるのか⁉
 驚いて赤子を見ていると、その小さな体にはまだへそがくっついたままになっている事に気がついた。
 しかし刃物などここにはない。どうしようかと思っていると足枷のくさりが目に入る。

「このままよりましか」

 俺は覚悟を決めて赤子の臍の緒に鎖を巻きつけて引きちぎった。
 そしてお腹を布で押さえる。
 きんが入りそうだがこんな場所では何も用意出来ない、あとは赤子の運を信じるだけだった。

「しかし泣かない子だな」

 動かしたり体をいたりしてやるが一向に泣かない。
 目は開いているので死んでいる訳でもなさそうだ。ただじっと我慢するかのように丸まっている。
 俺は一番清潔せいけつそうな布を持ってきて赤子の全身に巻きつけると、そのまま抱え、サッと自分の牢屋に隠した。

「いいか、大人しくいい子にしてるんだ」

 言っても無駄だが思わず声が出た。
 そして赤子を隠してすぐにメアリーの牢屋に戻ると、彼女の体を丁寧ていねいに布でおおい、そっと袋に詰める。

「せめて寒くないようにな」

 メアリーに声をかけて袋をしばると、牢屋の床を綺麗に拭き始める。
 そして三十分ほど経ち、あらかた綺麗になると看守の部屋へ向かった。

「すみません、終わりました」

 コンコンとドアをノックして声をかけると、看守がゆっくりと部屋から出てきた。

「ふぁぁ……ん? 終わったか」

 眠そうに目をこすりながら、看守は牢屋に確認に向かった。
 そして囚人達のエリアに来た看守は、綺麗になった牢屋を見て頷く。

「まぁいいだろ、それで赤子は?」

 看守が周りをキョロキョロと確認する。

「死んでいましたので別の小さな袋に入れました。見るも無惨むざんな感じでしたが、確認しますか? 朝食の肉入りスープが飲めなくなりそうですよ」

 そう言って説明すると、看守は顔をしかめた。

「見なくていい、じゃあ死体は安置所あんちじょに運ぶぞ。ついてこい」
「はい」

 俺は袋をそっと持ち上げた。
 袋を担いだまま看守の後に続き死体安置所に行く。

「ここに置いておけ、そのうちに当番の奴が燃やすだろう」
「はい」

 俺はそっと袋を下ろすが、メアリーの事を思い出すと、手を離す事が出来なかった。

「ほら行くぞ!」

 看守はモタモタする俺をガシッと蹴る。
 それにより俺はようやく手を離し、牢屋のあるエリアへと戻った。
 牢屋へと戻されると足枷を外され、部屋にかぎをかけられる。
 看守がいなくなるのを確認して赤子を隠した場所をのぞんだ。
 赤子はじっと目を閉じて大人しくしていたかと思うと、急にパチッ! とまぶたを開いた。

「大丈夫か?」

 小さい声で話しかけるとじーっと俺を見つめてくる。
 そして手を伸ばすとペタッと俺のほおれた。その小さな手は温かく、先程メアリーを触った時とは違い、なんというか、生命のようなものを感じた。

「うーうー」

 ぺチャぺチャと俺を叩く赤子の手はれている。
 なぜだろうと赤子の手を確認すると、俺の涙がその手を濡らしていた。

「俺は……メアリーが好きだったんだな」

 もう会えない彼女を思い、俺は赤子を抱きしめ、声を押し殺し涙を流し続けた。
 赤子はそんな俺に構う事なくペチャッと触ると濡れた手を今度は口に運ぶ。
 その様子を見て、俺は思わずハッとし涙をぬぐった。

「お前、俺の涙を飲んでるのか」

 赤子の行動を不思議に思っていると、赤子は泣きそうな顔になる。

「腹が減ってるのか? だが悪いな、ここにはミルクなんて高価な物はないんだよ」

 チューチューと自分の指を吸っている赤子に申し訳なさそうに謝ると、赤子の目に涙がまってきた。

「お、おい! 泣くなよ!」

 慌てる俺を無視して赤子の顔はみるみると赤くなっていく。
 まるで泣き出すまでのカウントダウンのようだった!
 そして……

「あー!」

 赤子がたまらずに泣きだしてしまった。
 マズい⁉ さっきの看守が戻って来るぞ!
 俺がそう思った瞬間、近くの牢屋にいた囚人達が一斉にわざとらしいいびきをかきだした。

「ぐぉー!」
「むにゃむにゃ!」
「ガーガー!」

 その大きな音に、赤子の泣き声はかき消される。

「お前ら、うるさいぞ!」

 看守が騒ぎに駆けつけてきたが、囚人達は起きる事なくいびきをかき続ける。

「なんだってこんな一斉いっせいにいびきをかくんだよ! くそ、絶対起きてるよな!」

 看守はガンガンと檻を叩くが、囚人達の声はやまない。
 すると看守はあきらめたようで、ポケットから耳栓みみせんを取り出し耳につけると部屋を後にした。
 看守の姿が無くなるといびきが止まる。

「お前ら……助かった」

 俺は周りに礼を言った。
 すると、囚人達が声を上げる。

「さっきの子はメアリーさんの子だろ、俺だって守りたいんだ!」
「そうだ! メアリーが残した子なんだろ? みんなでここで大切に守ってやろう!」
「そうだな、どうにか隠しつつ育ててここから逃がしてやろう」

 俺の言葉に囚人達は頷く。
 ここにいる奴は、どいつもこいつも自分勝手に生きてきた男達だ。
 そんな連中が、一つの小さな命をつなぐために、手を取りあう事をちかった。
 メアリーの子はそんな騒ぎの中、泣き疲れたのか眠りについている。
 その顔はどこかメアリーに似ていて可愛らしかった。


   ◆


 俺は孤児こじとして生まれた。
 しかし運良く丈夫じょうぶな体を持って生まれた俺は、過酷な環境にいながらもなんとか成長する事が出来た。
 俺は弱い人を助ける騎士きしを夢見て、働きつつも体をきたえ、勉強し続けた。
 そして、いざ騎士の試験に挑む事に。
 しかし、明らかに自分より能力がおとっている貴族が合格して、俺は何度も試験に落ち続けた。
 理由は明らかだ、俺が孤児だからである。
 主に貴族を守護する騎士は、実力だけでなく生まれも重視されるのだ。
 だがそれでも諦めなかった俺は、何度目かの試験で好成績をおさめ、ようやく騎士になれた。
 しかし俺のやとぬしは口は達者たっしゃだが、それ以外には何の取り柄もない貴族で、自分よりも弱い奴をいじめるクソみたいな男だった。
 俺も何度、理不尽な命令をされたか分からない。
 それでもようやくなれた騎士でいるために、俺はどんな事にもえていた。
 しかしある時、雇い主の男は酒にって庶民しょみんの女性をおそったのだ。
 気がつくと、俺は雇い主をぶちのめしていた。
 雇い主が死ぬ事はなかったが、その事件のせいで俺はつかまり、この収容所へと入れられる事になる。
 ここに来てすぐの間は、俺は貴族などクソ食らえと思っていた。
 だが、俺が捕まってしばらくした後、メアリーがやってきた。
 事情は分からないが、よっほどのことをしたのだろう。彼女は男ばかりいるエリアに収監しゅうかんされた。
 メアリーは女でしかも貴族という事もあり、最初は囚人の間でも浮いている存在だった。
 しかし、気がつけば彼女はすっかりここに馴染なじんでいた。
 貴族という存在自体を嫌っていた俺は最初、メアリーとは極力関わらないでいた。
 だが仲間の囚人の一人が機嫌の悪い看守に目をつけられて、理不尽な暴力を受けていた時の事だ。
 他の囚人達が無視を決め込む中、俺は我慢出来ずに看守を止めに入った。
 騒ぎになり、俺が看守に目をつけられる中、メアリーも俺と同じように看守に歯向はむかったのだ。
 その後、俺とメアリーは懲罰房ちょうばつぼうに入れられる事になり、その時初めて彼女と話す事になった。

「あなたがなぐられそうになっている方をかばっているのを見てました。あなたは正義感のある優しい人ですね」

 穏やかな口調でそう言ったメアリー。
 その言葉だけで彼女が俺のイメージする貴族とは違うのだと分かった。
 そして自分が純粋に騎士を目指していた時の事を思い出し、フッと笑った。

「俺は……ジョンだ」
「私はメアリーです」

 それが俺とメアリーの初めての出会いだった。


   ◆


 メアリーの子供を保護ほごした翌日。早朝になると、いつも通り看守が牢屋の鍵を開けにやってきた。
 牢屋から出された俺を始めとする囚人達は、まず食堂に向かった。
 ここでの飯は囚人達が持ち回りで作るのだ。
 というか、飯に限らず掃除から洗濯せんたく、身の回りの事のほとんどを看守の手をわずらわせないように囚人達が自分達で担当するルールになっている。
 とはいえ食事事情に関してはきびしく、与えられる食材ではろくな物は作れないため、いつも同じような安っぽいメニューばかり食べているがな。
 一応収容所のうらには畑があり、そこで作物さくもつを育てているのだが、日当たりが悪く大した物は育たない。
 そのせいで畑を気にかける囚人も少なく、仕事が休みの奴がたまに世話をする程度だった。
 そんな事を思いつつ、食堂についた俺は、当番から食事を受け取り、席にすわった。
 まず食事をしてその後に、各々おのおのごとの仕事に向かうという流れだ。
 ここでの仕事は大きく分けて三つの部に分かれて行われている。
 まずは収容所の裏にある鉱山こうざんで採石を行う採掘部さいくつぶだ。俺もここに所属している。
 ここで採れる鉱石は、この収容所の収入源の一つになっている。
 採掘で高価な金や魔石が出ると看守の羽振はぶりが良くなり、たまに俺達にボーナスが出る事もあるのだ。
 ただボーナスといっても、もらえるものは金ではなく食い物や娯楽品ごらくひんである。
 続いての部は洋裁部ようさいぶ、体力に自信のない奴や手先が器用きような奴、あとは女達がここでの仕事につく。
 看守達の服や収容所で使っている布の修理をしたり、刺繍ししゅうのついたハンカチなんかを作ったりするのだ。
 出来の良いものは看守が物で買い取り、どこかに横流しして金に換えているらしい。
 そして最後の一つが書簡部しょかんぶ、ここは看守達に関する書類の整理や、看守の給料などの会計管理をするところだ。
 ここにはかなり頭が良くないと入れない。
 字が完璧に書ける事と複雑な計算が出来る事が絶対条件で、外の世界にもそんな奴はそうそういないのだ。
 だが、そのかわりここで働く事が出来れば、この収容所ではかなりの高待遇こうたいぐうを受けられる。
 看守達に帳簿ちょうぼ裏工作うらこうさくや、給料の水増みずましを依頼され、その対価たいかを得られるからだ。
 なので人によってはその際に看守達の秘密をつかみ、看守よりもえらそうにしている奴もいる。
 今、俺の隣に座ってきたローガンも、その書簡部にいる人間の一人だ。

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