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連載
罰
しおりを挟む「ぎゃぅっ!?」
「すんません!お騒がせしましたー!おら、こっち来い!」
ホールでの騒動に割り込み、パーラの頭に拳骨を落としてエメラ達に頭を下げつつ、借りていた部屋へ続く階段を駆け上がっていく。
その途中、廊下の隅で潜むようにして佇む獣人の男と目が合う。
俺が目配せをすると、獣人の男は頷きを返してその場を離れていく。
あれは俺がパーラの護衛として雇った人間で、ああしてパーラを見守ってくれていたのだろう。
獣人の鋭い探知能力を期待して雇ったのだが、みすみすパーラが窓から抜け出すのを見過ごしているのはいただけない。
もっとも、俺が依頼した内容からは外の襲撃を警戒はしても、まさか病人が脱走するとは思わないので、あまり責めることも出来ない。
ただ、ああしてパーラが何かをしていても離れて見張っているあたり、脱走を見過ごしたことを根には持っていそうだ。
この場から離れはしたが、恐らく今も警戒が疎かにはならない位置にいるはずだ。
「ふぉぉ…アンディ、私のこと気軽に殴りすぎじゃない?頭が悪くなったらどうすんのさ」
道中、俺に首根っこを掴まれたパーラが、涙目で頭頂部を撫でさすりながら文句を口にする。
あのなんとも言えない空気から救出し、居合わせた人達へ代わりに頭まで下げてやったというのに何たる言い草か。
「安心しろ。それ以上悪くなることはない。あと、気軽には殴ってねぇ。お前がそれだけのことをしてるんだよ」
「どういう意味さ。私はアンディを見倣って、店の用心棒をやってたんだけど?」
「それであの話し方か?よりにもよってあんなのを見倣うなよ」
一体あれの何にインスピレーションがあったのか、異世界では浮きまくっていたとしか言えず、深い溜息が零れる。
「ああすれば普通より凄味があるじゃん。アンディだってそう思ってたから、あの時の話し合いで使ってたんでしょ」
意外というべきか、あの短い時間にもかかわらず、パーラは俺の狙いを察することができたらしい。
相手になめられないようにとした狙いを汲み、自分もとそれを取り入れる度量は大したものだが、その決断力にはもう少し冷静さも伴ってほしかったと思うのは贅沢だろうか。
「だからってお前、あれはないだろ。エメラさんが困ってたじゃねぇか」
「仕方ないじゃん。最初にあの話し方で始めちゃったから、引くに引けなくなったの」
「お前のその勢い先行の気はたまにいい結果を齎すが、今回はダメだったほうのやつだな」
「なにその言い方ぁ。まぁエメラさんは店に相応しくない対応だって怒ってたけど、他の人達には結構評判よかったよ」
この手の店では、質の悪い客であろうといきなり暴力で排除しようとはしない。
まずは言葉で警告をした上で、なるべく穏便に店の外へと摘み出す。
そして、仮に脅しのためにちょいと怪我の一つをと考えても、人目につかない裏路地などで事は行われる。
それほどに、用心棒の仕事というのは血生臭さをいかに感じさせないかを求められるのだ。
しかるに、先程のパーラのようなホールで大々的に客へ啖呵を切るというのは、エメラからすれば店のイメージに関わる頭の痛い場面だったはず。
「ほう、そうなのか。ここの護衛の人らにもか?」
「…そう言えばさ、ガリーさんのことって聞いてる?」
こいつはまた露骨に話を変えたな。
こういう反応をするということは、他の用心棒達からは注意レベルでは済まない叱られ方をしたに違いない。
それでもやめなかったあたり、パーラを動かしていたおかしな度胸とくだらないこだわりが多方面へ迷惑をかけていたと申し訳なさを覚える。
これは後で改めてエメラを含めた関係者へ、俺からもしっかりと謝罪をする必要があるな。
とはいえ、今は一応パーラの思惑に乗ってやるとするか。
なにやらガリーに関する面白い話でもありそうな気配だ。
「ガリーさんがどうかしたのか」
「あれ?アンディからエメラさんに推薦したんじゃないの?」
「推薦ってなんだ?何の話だか分からんが」
「ガリーさんさ、今ここの厨房で料理人やってるんだよ」
「へぇ、あの人料理できんのか。意外だな」
「うん、なんか私が眠ってた間に、エメラさんから誘われたみたい。今日も店が開いてからは厨房の方に行ってるよ。結構楽しそうな感じで」
事情があってか娼館には属さず、街娼に立っていたぐらいだ。
他に生活の糧と出来る技能に乏しいとばかり思いこんでいたが、ここの厨房に入れるだけの腕がガリーにあるとは素直に驚いてしまう。
俺が来るまでは質素な料理しか作れなかったここの料理人連中も、場所柄のおかげか衛生観念だけは一端の料理人に相応しいものがあった。
そこへ加われるとなれば、少なくともちゃんとした料理人としての意識を持ち合わせた人間でなくてはならない。
街娼になるのは大概が他の仕事への選択肢がない人間なのだが、ガリーが料理人として普通に働けるとなれば、前職か家庭環境が食関連に深い関りがあったという可能性もある。
娼館詰めとはいえ、まだ普通の職業と呼べる料理人として働けるのは、ガリーにとっても悪いことではないはず。
今日も楽しそうに厨房に行ったらしいし、本人もその道を望んではいると思ってよさそうだ。
正直、俺達はいつまでもこの街にいるとは限らないので、仲間の命を救ってくれた恩人がちゃんと日常に戻ったのを見届けてから旅立ちたかった。
そのため、エメラがガリーを娼婦として以外で雇ってくれたことは、俺の心配を一つ解消してくれたと言ってもいい。
「あぁそうそう、これがそのガリーさんが作ってくれてる夕食でさ。私の分はわざわざこうやって、毎回部屋に運んでくれてんの」
借りている部屋に到着すると、扉を開けた途端に美味そうな匂いが俺の鼻をくすぐった。
室内のテーブルには出来たての料理が湯気を立てて置かれており、それを指さしたパーラによってガリー作であることを知る。
ここではよく食べられているカチカチのパンに、豆をスパイスで煮こんだもの、一握り分ほどの木の実を添えたそれは、夕食にしては軽めだが栄養バランスはよさそうだ。
「お、ダルセグじゃん。これ、ガリーさんの得意料理らしいんだ。ちょっと前に初めて食べたんだけど、結構美味しくてさ」
流れるような動きでテーブルに着いたパーラは、用意されていた皿を引き寄せるようにして食べ始めた。
左手が使えないため、器用にも右手だけで皿とスプーンを巧みに動かしながら、ダルセグと呼んだ豆料理を嬉しそうに頬張る姿で、本当にそれが好きなのだと分かる。
「シビュ…そう言えば、もちゃっアンディ、夕食は?まだなら厨房に頼んだら?」
パーラの食事を見守っていると、俺の視線が気になったのかそんな事を聞いてきた。
ここで自分の皿から分けようという発想がないあたり、怪我が治りかけのくせに相変わらずの食い意地を見せる。
「いや、いい。ここに来る前に適当に済ませてきた」
時間的には夕食時ということもあり、道中にはいい匂いをまき散らして誘惑する店が多く、その一つに誘われて腹は満たされている。
だからパーラよ、別に一口寄越せとか言わないので、俺を警戒して料理を庇うように抱え込む真似はしなくていい。
心外だ。
「それよりも、食べながらでいいから聞け。お前、腕の怪我の方はどんな具合だ?」
「ナポッ…どんなって、怪我ならまだ治りきってないけど」
口に加えていたスプーンを小気味よい音と共に抜き去ると、パーラは不思議そうな顔でこちらを見てきた。
怪我の具合を尋ねたのに対し、治りきっていないという答えは間違いではないのだが、俺が知りたいのは旅に出られるレベルまで回復するのにどれくらいかかるかだ。
「そりゃ分かってる。たったの十日強で傷が塞がりきるわけがないからな。今のところ、どれぐらいの回復具合かってのを知りたいんだ。あの薬師の婆さんから診察も受けてんだろ?」
「まぁ受けてるけど、ぅーん」
薬師の仕事としては、調剤以外にもある程度は医者の真似事も含まれており、パーラの経過観察もエメラ経由でちゃんと頼んでいた。
診断結果として怪我の状態ぐらいならパーラも知っているはずだが、何故か悩ましげな様子で腕を組んで唸りだす。
「なんだよその反応は。まさか、傷がよくないのか?」
「あぁ、そうじゃなくて。怪我の治りはいいよ。むしろ良すぎるくらいで、それが問題というか…」
一瞬、パーラの怪我が俺の想定よりもずっと悪いのかと焦りを覚えたが、どうやらそういうわけではなく、しかし返された言葉は首を傾げさせるものだった。
「治りが良すぎるのが問題って、どういう意味だ?」
普通の感覚なら、怪我の治りが早いに越したことはない。
それをあえて問題と言うからには、何か別の問題でもあるのだろうか。
「それがさぁ、私のこの傷だけど、普通よりもかなり早く塞がってるみたいで、それが妙だって薬師の婆ちゃんに首を傾げられたのよ」
「まぁ本当に危なかった箇所は俺が魔術で塞いだからな。それで早く治ってるように見えたんじゃないか?」
俺自身の保身のため、魔術での治療が出来るという事実はなるべく伏せておくという方針に沿って、薬師の診察で怪しまれないようにパーラの傷口はある程度残してある。
パッと見た限りでは、表層の傷はまだ塞がっていないが、重要な血管や筋肉といった部分は魔術で繋いでおいたため、薬師の婆さんがそこを見て治りが早いと判断したのかもしれない。
「私もそう思ったんだけどね。でもさ、これ見てよ」
そう言ってパーラは、左肩を固定するように巻かれていた包帯に手をかけた。
片腕では難しいようで、億劫そうに包帯が解かれると、そこにあの痛々しい傷跡が現れる…と思っていたのだが、実際は予想外のものが目につく。
「…なんだこれ」
思わず口を突いて出たのは、驚きと疑問が混ざった声である。
なにせあの痛ましい傷を見せつけられるのかと思いきや、今俺の目に映っているのはピンク色に新生した皮膚が傷跡を覆っているものだったからだ。
あの灰爪によって穴を開けられたパーラの肩の傷は、一応深い部分は水魔術で塞いではいるが、表層に近い部分だけはいきなり塞がって不自然に思われないよう、まだ傷跡として残していたのだ。
ところが今露になったパーラの肌に刻まれていたはずのあの傷は、もうほとんど塞がっていると言って差し支えない段階にある。
「ね?おかしいでしょ?あれぐらいの傷だと、十日やそこらじゃこうはならないって、診てもらった時に言われたよ」
「だろうな。潤沢な魔力を保有する人間は傷の治りも早いってのはよく聞くが、それにしたってここまでじゃないはずだ。穴が塞がったのはいつ頃か覚えてるか?」
「皮膚が出来上がってたって言う意味なら、私が目を覚ました時にはもうなってたね」
「そりゃあ早いな」
並の刃傷であれば、適切な処置を施せば塞がるのに十日もあれば十分だ。
だがパーラの怪我に関しては、傷口が歪に裂けていたこともあり、治るのにかかる時間はもっと多く見積もるレベルだった。
それに刃物の傷であれば、治癒の段階で傷口周辺の皮膚が盛り上がるようにして塞がるものだが、その形跡がないのも、治り方としては尋常ではない。
魔力には人体を保護し、新陳代謝を活発化したり治癒に必要な体内物質を肩代わりする特性があると、一説では唱えられている。
だがそれにしても、ここまでの傷をこんな短い時間で塞げるとは思えない。
個人の治癒能力が抜群に高かったのなら話は別だが……いや、もしかしたらそうなのか?
「なぁパーラ、薬師の婆さんはお前の体を診察した時、他になんか言ってなかったか?」
「他って…あぁ、そういえば例の赤芽の水のことも言われたね。なんか、本来はあるはずの副作用が私の体だと全く出てなくて、完璧に馴染み切ってるらしいよ。それも驚かれてた」
造血剤として薬効が優れている赤芽の水は、副作用から逃れることが出来ないほどに強力な薬だ。
軽度なら発熱程度だが、重篤な場合は再起も怪しくなる可能性の副作用となれば、薬師も慎重に経過を見守る必要がある。
だがパーラの場合、全く副作用が発生せず、怪我の治りも異常に早いとなれば、診察した側としては盛大に首を傾げるのも当然のことだ。
勿論、個人差で全く副作用が起きないというのも可能性としてはゼロではないが、俺は一点、このパーラの状態には心当たりを覚えている。
「…俺が聞いた話だと、赤芽の水を摂取した人間で副作用に苦しまなかった人間はいないそうだ」
「らしいね。私も診察を受けた時にそう聞いたよ」
「となると、お前の場合は普通の人間とは、何か大きく違う要因があって副作用を回避した、と俺は考えてる」
「他の要因って?」
「あくまでも俺の想像だが、お前の体が普通の人間とは絶対的に異なる点が一つだけあるだろ」
今日まで普通に暮らして来たおかげでですっかり忘れていたが、俺とパーラにはたった一つ、しかし決定的に普通とは違うものが備わっていた。
少し考えれば気付きそうなものだが、未だ首を傾げているパーラには思いつかないらしい。
「分からないか?俺達には一度だけ、普通とは違う体へと変化する機会があったろ」
「あ!無窮の座から帰って来た時!」
「そうだ。あの時に大地の精霊から教えられたろ。俺達の体はかなり普通じゃない作り方をされたってな」
無窮の座から帰って来る際、俺達の体は神お手製のスーパーボディへと勝手に作り替えられてしまった。
見た目と機能は人間のものなのに、保有魔力がアホみたいに増えたせいで散々苦労させられたこの身だ。
大地の精霊は魔力以外にも色々と前の肉体とは違いがあると言っていたため、このパーラの異常な回復力もその一つだと思えてならない。
「保有魔力が多い奴は、寿命も延びるし肉体も若々しさを保つ。これは人間の生命力に魔力も密接にかかわってるからだ。当然、保有魔力が多ければ怪我の治りも早い…というのが定説だ」
「それは私も聞いたことがある。私らぐらい魔力が多いと、寿命も随分延びるんだろうね。ひょっとしたら、不老不死かもしれないよ?」
「流石にそこまでじゃないだろ。ただ、お前の怪我の治りにあえて理屈をつけるなら、やっぱり俺達の今の肉体がどう作られているかってのを無視して語れん」
普人種の平均寿命は、平成の日本のそれより大分短い。
魔物や賊の脅威は勿論、栄養状態や病気への対処等の不足から、五十を迎えずに死ぬ人間も多い。
そんな中で、保有魔力の量によっては肉体の老いも遅らせることは出来るが、それでもエルフに代表される長命種よりも長く生きた普人種は今のところいないらしい。
不老不死などあり得ないと分かっているからこそ、パーラの言葉を否定はしたものの、神が手掛けたこの体に秘められた可能背を考えると、全くないと言い切れぬ怖さは残る。
まぁ寿命の方はともかくとして、治癒力に関しては保有魔力で大分底上げされているのは間違いないはず。
恐るべきは、その治癒力が人体の常識からかなり外れていることか。
魔力によるブーストがあるにしろ、ここまでとなると些か人外にも見られかねない。
流石に欠損した四肢が即座に生えてくるようなレベルではないと思うが、致命傷が数日で塞がりかけるというのは不気味ではある。
薬師の婆さんも訝しんでいたらしいし、色々と詮索されるのも面倒だ。
どうにか誤魔化して、さっさとこの街を離れるのがやはり得策かもしれない。
「とりあえず、怪我が大分治ってるってのは朗報だ。お前の怪我の治りが早いのは…なんか聞かれたら適当に誤魔化せ。説明が面倒だ。元々回復が早い体質とかなんか、そんな感じに言っとけ」
「そんな適当な…」
苦しい言い訳になるが、本人が体質だと言い張るしか他に手はない。
まさかパーラの体をかっ捌いての人体実験など、やりはしないだろう。
もしあの婆さんにそれをやるほどのマッドな気質があるのなら、俺が黙っていない。
「まぁあんまり薬師から追及が続くようなら、さっさとファルダイフを離れちまおう。いなくなれば追及のしようもないしな。お前、体調は問題はないか?」
「あぁ、うん、怪我の方はいいいんだけど…」
怪我の具合から見て旅立つのに支障はないように思えたのだが、パーラへ問いかけた言葉に返されたのは、まだ歯切れの悪いものだった。
「なんだよ?怪我以外にどこか悪いとかか?」
「悪いって言うか……なんかさ、私のこの左腕、動かないんだよね」
「動かない?それは包帯で固定してるからって意味じゃなくてか?」
「そういう意味じゃない方でだよ。指先から肩の近くまで、動かそうとしても全然動かないの」
そう言って、左肩を撫でるようにして持ち上げるパーラの顔は、もどかしさからか険しいものに変わる。
まるでそこだけが自分の体じゃないように、パーラの意思に答えず沈黙している左腕は、確かにこうして見ると力が全く入っていない印象だ。
「ちょっと触るぞ」
半ば自棄になったように左肩を擦るパーラに断りを入れ、左の前腕を強く握る。
「パーラ、左手を握ったり開いたりを繰り返してみろ」
「こう?」
俺の指示通り、きっとパーラは手を動かしているのだろうが、その手は微塵も動きを見せていない。
普通なら拳を作る動きに合わせて前腕の筋肉も動くというのに、触れている俺の手にはそれが感じられない。
指先も動かず前腕も動かないとなれば、少なくとも肘から先がダメになっているわけで、この分だとやはりパーラの言う通り、肩から先は動かせない状態であることに間違いはない。
その原因を考えてみると、パーラの肩に穿たれた傷が真っ先に目につく。
恐らく、突き刺さった剣によって、腕を動かす神経が切断された可能性が高い。
俺の治療は出血を抑えることを優先したため、動脈に相当する太い血管を優先して接合しただけで、神経や腱といったあたりはノータッチだった。
そもそも繊細な神経系を俺なんかが弄っていいのかという不安もあったし、なにより専門的な知識もなしにただ雑に神経同士をつなぐことへ抵抗も覚えていた。
その結果が、パーラの左腕一本が死ぬことへと繋がったわけだが、どのみち下手な神経接合では腕の運動に問題が出ただろうから、現状は避けえなかった問題だと思えてならない。
「…腕は完全にダメだな。このことは薬師の婆さんにちゃんと言ってあるのか?」
患者自身が申告すれば、薬師も診察でパーラの腕が動かないことにはすぐに気付くはず。
肩の傷が原因というのは誰が見ても分かるため、医療従事者なら何かアドバイスの一つでもくれていてもおかしくはない。
「いや、まだだけど」
「なんでだよ、言えよ。腕が動かない時点で、尋常のことじゃないってわかるだろ」
「だって怪我が治りきってないから動かないんだって思ったからさ」
「そんなわけないだろ。傷口がどうなっていようが、指先すら動かせない状態がかなりおかしいと気付け」
自分の体のことなのに危機感が薄いパーラに呆れてしまうが、医療知識が乏しい人間が重体を経験すればこういう思考をするものだろうか。
生憎俺は重傷や大病とは今日まで無縁だったため、その気持ちは分かってやれそうにない。
「とにかく、その腕をどうにか出来ないか聞いて見るしかないな。次に診察を受けるのはいつだ?」
「明日だね」
「そりゃいい。じゃあその時だな」
流石にこの状態のパーラと共に旅に出るのはまずいので、回復の目途はどれほどなのかを薬師に尋ねたいところだ。
地球の医療でも、神経の損傷で四肢が動かないレベルとなると、治るかどうか難しいケースに数えられる。
初期の段階で正しく処置をすれば、神経の修復というのは不可能ではないらしいが、果たしてこちらの世界だとどうなのか、薬師に意見を求めたい。
明日の薬師の診断には、許されるなら俺も同席するとしよう。
翌朝、予定通りにパーラの部屋で行われた診察に、薬師の婆さんから許可を貰って俺も立ち会うことが出来た。
問診をしながら傷口を見て、包帯を変えてとごく普通の医療行為が始まったのだが、パーラがここで初めて左腕の不随を明かしたところ、あらためて聞き取りと触診が念入りに行われ、しばしの後、深い溜息と共に鋭い目がパーラへと向けられた。
「…あんた、なんで今まで黙ってたんだい?こいつは医者に秘密にしとく状態じゃないよ」
「いや、だって今は動かなくても、治ってくれば動くと思ってたから…」
「素人はそう思うかもしれないがね、あんたの傷は死ぬかどうかってぐらい深いものだったんだ。ちょっとでも変だと思ったら、すぐに言ってほしかったもんだよ」
「うっ…ごめんなさい」
普段は傍若無人な振舞いも多いパーラだが、思いやりの籠った目上の人間からの言葉は真摯に受け止める素直な子なのだ。
叱られた子供のようにしおらしく顔を伏せるパーラに、婆さんも深くなっていた眉間の皺が和らぎ、怪我の容体について話し始めた。
「まぁいいさ。それであんたの腕だがね、残念だけどもう完全に動かせる状態には回復しないよ」
「やはりそうですか」
ある意味予想通りの婆さんの言葉に、俺は納得の声を上げてしまったが、当事者であるパーラはわかりやすく落ち込んだ様子を見せた。
覚悟はあったにしても、医者の口からはっきりと告げられては平然としてもいられないだろう。
「元に戻る見込みは全くないんですか?」
四肢が動かなくなっても、長いリハビリの果てに若干ではあるが動かせるまでに回復した例は地球にもある。
その可能性を信じて、もしかしたらと問いかけてみたが、返されたのは無言で首を横に振る仕草だった。
「長いこと生きてきて、こういう体の奴もそれなりに見てきたから言えるが、こいつは回復する見込みはまずない怪我だよ。回復訓練や補助具でもどうにもならん」
医者の見立てがそうであると言っている以上、やはりパーラの腕はこの先もこのままということになる。
それを聞いて、ガリーがそっとパーラの肩を抱くようにして寄り添う。
パーラも俯いた顔は歯を食いしばっており、かなりショックを受けていると分かる。
その様子を見て、俺もいたたまれなくなるが、それをすぐに霧散させるように気持ちを切り替える。
確かに相棒の腕がこうなったのは残念だが、しかし命はあるし他の手足は無事なのだ。
失ったものを数えるよりも、残されたものでこれからの人生をどう生きるか、それを考えるべきなのかもしれない。
慰めにもなるかどうかわからないが、何かパーラに言おうと開きかけた俺の口を遮るように、薬師の言葉が重く辺りに響き渡った。
「一つだけ、その腕を治せる可能性がある」
つい一瞬前まで回復を否定していたのと同じ口で語られたのは、微かな希望の光にも似たものだ。
流し込まれる独のように耳へと滑り込んだ薬師の言葉に、俺達は一斉に声の主へと視線を向ける。
「そう期待のこもった目を向けられるほどのもんじゃないがね、私にはそれ以外に思い当たる可能性が無いってだけだよ」
その口ぶりから限りなく可能性の低い方法であることはうかがい知れ、かなりの難題の先に治療のあてがあると言っているも同然だ。
だが他に方法がないというのなら、それに縋るしかないのが今の俺達だ。
「それでも構わない。教えてくれ。どうすればパーラの腕は元に戻る?」
薬師に掴みかかりそうな気持ちを抑え、答えを求めて薬師の目を睨むように見つめる。
するとその視線に応えるように、少しの間俺と目を合わせていた婆さんがゆっくりと瞬きを一度した後、徐に口を開いた。
「私らの薬じゃどうにもならない怪我や病気ってのは、世の中にはいくらでもある。そんなのに出会ったら、普通は諦めるしかないんだが、たった一つ、それらをどうにかできるかもしれないって技を持つ連中が存在してる」
そこまで話を聞いて、俺は目の前の薬師が何を言わんとしているのか何となく理解した。
効能は千差万別だが、時に俺が知るものよりも強力な薬がありながら、救えない命もまた多いのがこの世界だ。
外科手術もろくに発達していないこの世界で、薬師の調合する薬でも救えないとなれば、最後に頼るのはたった一つしかない。
「ヤゼス教の癒しの法術、それが現状のパーラの腕を治せる可能性が最も高い方法さね」
想像していた通りの答えを聞き、俺は思わず顔を手で覆ってしまった。
よりにもよって、ヤゼス教を頼らねばならないとは。
この世界の巡り合わせというのは、とことん俺にやさしくないらしい。
「すんません!お騒がせしましたー!おら、こっち来い!」
ホールでの騒動に割り込み、パーラの頭に拳骨を落としてエメラ達に頭を下げつつ、借りていた部屋へ続く階段を駆け上がっていく。
その途中、廊下の隅で潜むようにして佇む獣人の男と目が合う。
俺が目配せをすると、獣人の男は頷きを返してその場を離れていく。
あれは俺がパーラの護衛として雇った人間で、ああしてパーラを見守ってくれていたのだろう。
獣人の鋭い探知能力を期待して雇ったのだが、みすみすパーラが窓から抜け出すのを見過ごしているのはいただけない。
もっとも、俺が依頼した内容からは外の襲撃を警戒はしても、まさか病人が脱走するとは思わないので、あまり責めることも出来ない。
ただ、ああしてパーラが何かをしていても離れて見張っているあたり、脱走を見過ごしたことを根には持っていそうだ。
この場から離れはしたが、恐らく今も警戒が疎かにはならない位置にいるはずだ。
「ふぉぉ…アンディ、私のこと気軽に殴りすぎじゃない?頭が悪くなったらどうすんのさ」
道中、俺に首根っこを掴まれたパーラが、涙目で頭頂部を撫でさすりながら文句を口にする。
あのなんとも言えない空気から救出し、居合わせた人達へ代わりに頭まで下げてやったというのに何たる言い草か。
「安心しろ。それ以上悪くなることはない。あと、気軽には殴ってねぇ。お前がそれだけのことをしてるんだよ」
「どういう意味さ。私はアンディを見倣って、店の用心棒をやってたんだけど?」
「それであの話し方か?よりにもよってあんなのを見倣うなよ」
一体あれの何にインスピレーションがあったのか、異世界では浮きまくっていたとしか言えず、深い溜息が零れる。
「ああすれば普通より凄味があるじゃん。アンディだってそう思ってたから、あの時の話し合いで使ってたんでしょ」
意外というべきか、あの短い時間にもかかわらず、パーラは俺の狙いを察することができたらしい。
相手になめられないようにとした狙いを汲み、自分もとそれを取り入れる度量は大したものだが、その決断力にはもう少し冷静さも伴ってほしかったと思うのは贅沢だろうか。
「だからってお前、あれはないだろ。エメラさんが困ってたじゃねぇか」
「仕方ないじゃん。最初にあの話し方で始めちゃったから、引くに引けなくなったの」
「お前のその勢い先行の気はたまにいい結果を齎すが、今回はダメだったほうのやつだな」
「なにその言い方ぁ。まぁエメラさんは店に相応しくない対応だって怒ってたけど、他の人達には結構評判よかったよ」
この手の店では、質の悪い客であろうといきなり暴力で排除しようとはしない。
まずは言葉で警告をした上で、なるべく穏便に店の外へと摘み出す。
そして、仮に脅しのためにちょいと怪我の一つをと考えても、人目につかない裏路地などで事は行われる。
それほどに、用心棒の仕事というのは血生臭さをいかに感じさせないかを求められるのだ。
しかるに、先程のパーラのようなホールで大々的に客へ啖呵を切るというのは、エメラからすれば店のイメージに関わる頭の痛い場面だったはず。
「ほう、そうなのか。ここの護衛の人らにもか?」
「…そう言えばさ、ガリーさんのことって聞いてる?」
こいつはまた露骨に話を変えたな。
こういう反応をするということは、他の用心棒達からは注意レベルでは済まない叱られ方をしたに違いない。
それでもやめなかったあたり、パーラを動かしていたおかしな度胸とくだらないこだわりが多方面へ迷惑をかけていたと申し訳なさを覚える。
これは後で改めてエメラを含めた関係者へ、俺からもしっかりと謝罪をする必要があるな。
とはいえ、今は一応パーラの思惑に乗ってやるとするか。
なにやらガリーに関する面白い話でもありそうな気配だ。
「ガリーさんがどうかしたのか」
「あれ?アンディからエメラさんに推薦したんじゃないの?」
「推薦ってなんだ?何の話だか分からんが」
「ガリーさんさ、今ここの厨房で料理人やってるんだよ」
「へぇ、あの人料理できんのか。意外だな」
「うん、なんか私が眠ってた間に、エメラさんから誘われたみたい。今日も店が開いてからは厨房の方に行ってるよ。結構楽しそうな感じで」
事情があってか娼館には属さず、街娼に立っていたぐらいだ。
他に生活の糧と出来る技能に乏しいとばかり思いこんでいたが、ここの厨房に入れるだけの腕がガリーにあるとは素直に驚いてしまう。
俺が来るまでは質素な料理しか作れなかったここの料理人連中も、場所柄のおかげか衛生観念だけは一端の料理人に相応しいものがあった。
そこへ加われるとなれば、少なくともちゃんとした料理人としての意識を持ち合わせた人間でなくてはならない。
街娼になるのは大概が他の仕事への選択肢がない人間なのだが、ガリーが料理人として普通に働けるとなれば、前職か家庭環境が食関連に深い関りがあったという可能性もある。
娼館詰めとはいえ、まだ普通の職業と呼べる料理人として働けるのは、ガリーにとっても悪いことではないはず。
今日も楽しそうに厨房に行ったらしいし、本人もその道を望んではいると思ってよさそうだ。
正直、俺達はいつまでもこの街にいるとは限らないので、仲間の命を救ってくれた恩人がちゃんと日常に戻ったのを見届けてから旅立ちたかった。
そのため、エメラがガリーを娼婦として以外で雇ってくれたことは、俺の心配を一つ解消してくれたと言ってもいい。
「あぁそうそう、これがそのガリーさんが作ってくれてる夕食でさ。私の分はわざわざこうやって、毎回部屋に運んでくれてんの」
借りている部屋に到着すると、扉を開けた途端に美味そうな匂いが俺の鼻をくすぐった。
室内のテーブルには出来たての料理が湯気を立てて置かれており、それを指さしたパーラによってガリー作であることを知る。
ここではよく食べられているカチカチのパンに、豆をスパイスで煮こんだもの、一握り分ほどの木の実を添えたそれは、夕食にしては軽めだが栄養バランスはよさそうだ。
「お、ダルセグじゃん。これ、ガリーさんの得意料理らしいんだ。ちょっと前に初めて食べたんだけど、結構美味しくてさ」
流れるような動きでテーブルに着いたパーラは、用意されていた皿を引き寄せるようにして食べ始めた。
左手が使えないため、器用にも右手だけで皿とスプーンを巧みに動かしながら、ダルセグと呼んだ豆料理を嬉しそうに頬張る姿で、本当にそれが好きなのだと分かる。
「シビュ…そう言えば、もちゃっアンディ、夕食は?まだなら厨房に頼んだら?」
パーラの食事を見守っていると、俺の視線が気になったのかそんな事を聞いてきた。
ここで自分の皿から分けようという発想がないあたり、怪我が治りかけのくせに相変わらずの食い意地を見せる。
「いや、いい。ここに来る前に適当に済ませてきた」
時間的には夕食時ということもあり、道中にはいい匂いをまき散らして誘惑する店が多く、その一つに誘われて腹は満たされている。
だからパーラよ、別に一口寄越せとか言わないので、俺を警戒して料理を庇うように抱え込む真似はしなくていい。
心外だ。
「それよりも、食べながらでいいから聞け。お前、腕の怪我の方はどんな具合だ?」
「ナポッ…どんなって、怪我ならまだ治りきってないけど」
口に加えていたスプーンを小気味よい音と共に抜き去ると、パーラは不思議そうな顔でこちらを見てきた。
怪我の具合を尋ねたのに対し、治りきっていないという答えは間違いではないのだが、俺が知りたいのは旅に出られるレベルまで回復するのにどれくらいかかるかだ。
「そりゃ分かってる。たったの十日強で傷が塞がりきるわけがないからな。今のところ、どれぐらいの回復具合かってのを知りたいんだ。あの薬師の婆さんから診察も受けてんだろ?」
「まぁ受けてるけど、ぅーん」
薬師の仕事としては、調剤以外にもある程度は医者の真似事も含まれており、パーラの経過観察もエメラ経由でちゃんと頼んでいた。
診断結果として怪我の状態ぐらいならパーラも知っているはずだが、何故か悩ましげな様子で腕を組んで唸りだす。
「なんだよその反応は。まさか、傷がよくないのか?」
「あぁ、そうじゃなくて。怪我の治りはいいよ。むしろ良すぎるくらいで、それが問題というか…」
一瞬、パーラの怪我が俺の想定よりもずっと悪いのかと焦りを覚えたが、どうやらそういうわけではなく、しかし返された言葉は首を傾げさせるものだった。
「治りが良すぎるのが問題って、どういう意味だ?」
普通の感覚なら、怪我の治りが早いに越したことはない。
それをあえて問題と言うからには、何か別の問題でもあるのだろうか。
「それがさぁ、私のこの傷だけど、普通よりもかなり早く塞がってるみたいで、それが妙だって薬師の婆ちゃんに首を傾げられたのよ」
「まぁ本当に危なかった箇所は俺が魔術で塞いだからな。それで早く治ってるように見えたんじゃないか?」
俺自身の保身のため、魔術での治療が出来るという事実はなるべく伏せておくという方針に沿って、薬師の診察で怪しまれないようにパーラの傷口はある程度残してある。
パッと見た限りでは、表層の傷はまだ塞がっていないが、重要な血管や筋肉といった部分は魔術で繋いでおいたため、薬師の婆さんがそこを見て治りが早いと判断したのかもしれない。
「私もそう思ったんだけどね。でもさ、これ見てよ」
そう言ってパーラは、左肩を固定するように巻かれていた包帯に手をかけた。
片腕では難しいようで、億劫そうに包帯が解かれると、そこにあの痛々しい傷跡が現れる…と思っていたのだが、実際は予想外のものが目につく。
「…なんだこれ」
思わず口を突いて出たのは、驚きと疑問が混ざった声である。
なにせあの痛ましい傷を見せつけられるのかと思いきや、今俺の目に映っているのはピンク色に新生した皮膚が傷跡を覆っているものだったからだ。
あの灰爪によって穴を開けられたパーラの肩の傷は、一応深い部分は水魔術で塞いではいるが、表層に近い部分だけはいきなり塞がって不自然に思われないよう、まだ傷跡として残していたのだ。
ところが今露になったパーラの肌に刻まれていたはずのあの傷は、もうほとんど塞がっていると言って差し支えない段階にある。
「ね?おかしいでしょ?あれぐらいの傷だと、十日やそこらじゃこうはならないって、診てもらった時に言われたよ」
「だろうな。潤沢な魔力を保有する人間は傷の治りも早いってのはよく聞くが、それにしたってここまでじゃないはずだ。穴が塞がったのはいつ頃か覚えてるか?」
「皮膚が出来上がってたって言う意味なら、私が目を覚ました時にはもうなってたね」
「そりゃあ早いな」
並の刃傷であれば、適切な処置を施せば塞がるのに十日もあれば十分だ。
だがパーラの怪我に関しては、傷口が歪に裂けていたこともあり、治るのにかかる時間はもっと多く見積もるレベルだった。
それに刃物の傷であれば、治癒の段階で傷口周辺の皮膚が盛り上がるようにして塞がるものだが、その形跡がないのも、治り方としては尋常ではない。
魔力には人体を保護し、新陳代謝を活発化したり治癒に必要な体内物質を肩代わりする特性があると、一説では唱えられている。
だがそれにしても、ここまでの傷をこんな短い時間で塞げるとは思えない。
個人の治癒能力が抜群に高かったのなら話は別だが……いや、もしかしたらそうなのか?
「なぁパーラ、薬師の婆さんはお前の体を診察した時、他になんか言ってなかったか?」
「他って…あぁ、そういえば例の赤芽の水のことも言われたね。なんか、本来はあるはずの副作用が私の体だと全く出てなくて、完璧に馴染み切ってるらしいよ。それも驚かれてた」
造血剤として薬効が優れている赤芽の水は、副作用から逃れることが出来ないほどに強力な薬だ。
軽度なら発熱程度だが、重篤な場合は再起も怪しくなる可能性の副作用となれば、薬師も慎重に経過を見守る必要がある。
だがパーラの場合、全く副作用が発生せず、怪我の治りも異常に早いとなれば、診察した側としては盛大に首を傾げるのも当然のことだ。
勿論、個人差で全く副作用が起きないというのも可能性としてはゼロではないが、俺は一点、このパーラの状態には心当たりを覚えている。
「…俺が聞いた話だと、赤芽の水を摂取した人間で副作用に苦しまなかった人間はいないそうだ」
「らしいね。私も診察を受けた時にそう聞いたよ」
「となると、お前の場合は普通の人間とは、何か大きく違う要因があって副作用を回避した、と俺は考えてる」
「他の要因って?」
「あくまでも俺の想像だが、お前の体が普通の人間とは絶対的に異なる点が一つだけあるだろ」
今日まで普通に暮らして来たおかげでですっかり忘れていたが、俺とパーラにはたった一つ、しかし決定的に普通とは違うものが備わっていた。
少し考えれば気付きそうなものだが、未だ首を傾げているパーラには思いつかないらしい。
「分からないか?俺達には一度だけ、普通とは違う体へと変化する機会があったろ」
「あ!無窮の座から帰って来た時!」
「そうだ。あの時に大地の精霊から教えられたろ。俺達の体はかなり普通じゃない作り方をされたってな」
無窮の座から帰って来る際、俺達の体は神お手製のスーパーボディへと勝手に作り替えられてしまった。
見た目と機能は人間のものなのに、保有魔力がアホみたいに増えたせいで散々苦労させられたこの身だ。
大地の精霊は魔力以外にも色々と前の肉体とは違いがあると言っていたため、このパーラの異常な回復力もその一つだと思えてならない。
「保有魔力が多い奴は、寿命も延びるし肉体も若々しさを保つ。これは人間の生命力に魔力も密接にかかわってるからだ。当然、保有魔力が多ければ怪我の治りも早い…というのが定説だ」
「それは私も聞いたことがある。私らぐらい魔力が多いと、寿命も随分延びるんだろうね。ひょっとしたら、不老不死かもしれないよ?」
「流石にそこまでじゃないだろ。ただ、お前の怪我の治りにあえて理屈をつけるなら、やっぱり俺達の今の肉体がどう作られているかってのを無視して語れん」
普人種の平均寿命は、平成の日本のそれより大分短い。
魔物や賊の脅威は勿論、栄養状態や病気への対処等の不足から、五十を迎えずに死ぬ人間も多い。
そんな中で、保有魔力の量によっては肉体の老いも遅らせることは出来るが、それでもエルフに代表される長命種よりも長く生きた普人種は今のところいないらしい。
不老不死などあり得ないと分かっているからこそ、パーラの言葉を否定はしたものの、神が手掛けたこの体に秘められた可能背を考えると、全くないと言い切れぬ怖さは残る。
まぁ寿命の方はともかくとして、治癒力に関しては保有魔力で大分底上げされているのは間違いないはず。
恐るべきは、その治癒力が人体の常識からかなり外れていることか。
魔力によるブーストがあるにしろ、ここまでとなると些か人外にも見られかねない。
流石に欠損した四肢が即座に生えてくるようなレベルではないと思うが、致命傷が数日で塞がりかけるというのは不気味ではある。
薬師の婆さんも訝しんでいたらしいし、色々と詮索されるのも面倒だ。
どうにか誤魔化して、さっさとこの街を離れるのがやはり得策かもしれない。
「とりあえず、怪我が大分治ってるってのは朗報だ。お前の怪我の治りが早いのは…なんか聞かれたら適当に誤魔化せ。説明が面倒だ。元々回復が早い体質とかなんか、そんな感じに言っとけ」
「そんな適当な…」
苦しい言い訳になるが、本人が体質だと言い張るしか他に手はない。
まさかパーラの体をかっ捌いての人体実験など、やりはしないだろう。
もしあの婆さんにそれをやるほどのマッドな気質があるのなら、俺が黙っていない。
「まぁあんまり薬師から追及が続くようなら、さっさとファルダイフを離れちまおう。いなくなれば追及のしようもないしな。お前、体調は問題はないか?」
「あぁ、うん、怪我の方はいいいんだけど…」
怪我の具合から見て旅立つのに支障はないように思えたのだが、パーラへ問いかけた言葉に返されたのは、まだ歯切れの悪いものだった。
「なんだよ?怪我以外にどこか悪いとかか?」
「悪いって言うか……なんかさ、私のこの左腕、動かないんだよね」
「動かない?それは包帯で固定してるからって意味じゃなくてか?」
「そういう意味じゃない方でだよ。指先から肩の近くまで、動かそうとしても全然動かないの」
そう言って、左肩を撫でるようにして持ち上げるパーラの顔は、もどかしさからか険しいものに変わる。
まるでそこだけが自分の体じゃないように、パーラの意思に答えず沈黙している左腕は、確かにこうして見ると力が全く入っていない印象だ。
「ちょっと触るぞ」
半ば自棄になったように左肩を擦るパーラに断りを入れ、左の前腕を強く握る。
「パーラ、左手を握ったり開いたりを繰り返してみろ」
「こう?」
俺の指示通り、きっとパーラは手を動かしているのだろうが、その手は微塵も動きを見せていない。
普通なら拳を作る動きに合わせて前腕の筋肉も動くというのに、触れている俺の手にはそれが感じられない。
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その原因を考えてみると、パーラの肩に穿たれた傷が真っ先に目につく。
恐らく、突き刺さった剣によって、腕を動かす神経が切断された可能性が高い。
俺の治療は出血を抑えることを優先したため、動脈に相当する太い血管を優先して接合しただけで、神経や腱といったあたりはノータッチだった。
そもそも繊細な神経系を俺なんかが弄っていいのかという不安もあったし、なにより専門的な知識もなしにただ雑に神経同士をつなぐことへ抵抗も覚えていた。
その結果が、パーラの左腕一本が死ぬことへと繋がったわけだが、どのみち下手な神経接合では腕の運動に問題が出ただろうから、現状は避けえなかった問題だと思えてならない。
「…腕は完全にダメだな。このことは薬師の婆さんにちゃんと言ってあるのか?」
患者自身が申告すれば、薬師も診察でパーラの腕が動かないことにはすぐに気付くはず。
肩の傷が原因というのは誰が見ても分かるため、医療従事者なら何かアドバイスの一つでもくれていてもおかしくはない。
「いや、まだだけど」
「なんでだよ、言えよ。腕が動かない時点で、尋常のことじゃないってわかるだろ」
「だって怪我が治りきってないから動かないんだって思ったからさ」
「そんなわけないだろ。傷口がどうなっていようが、指先すら動かせない状態がかなりおかしいと気付け」
自分の体のことなのに危機感が薄いパーラに呆れてしまうが、医療知識が乏しい人間が重体を経験すればこういう思考をするものだろうか。
生憎俺は重傷や大病とは今日まで無縁だったため、その気持ちは分かってやれそうにない。
「とにかく、その腕をどうにか出来ないか聞いて見るしかないな。次に診察を受けるのはいつだ?」
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「そりゃいい。じゃあその時だな」
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明日の薬師の診断には、許されるなら俺も同席するとしよう。
翌朝、予定通りにパーラの部屋で行われた診察に、薬師の婆さんから許可を貰って俺も立ち会うことが出来た。
問診をしながら傷口を見て、包帯を変えてとごく普通の医療行為が始まったのだが、パーラがここで初めて左腕の不随を明かしたところ、あらためて聞き取りと触診が念入りに行われ、しばしの後、深い溜息と共に鋭い目がパーラへと向けられた。
「…あんた、なんで今まで黙ってたんだい?こいつは医者に秘密にしとく状態じゃないよ」
「いや、だって今は動かなくても、治ってくれば動くと思ってたから…」
「素人はそう思うかもしれないがね、あんたの傷は死ぬかどうかってぐらい深いものだったんだ。ちょっとでも変だと思ったら、すぐに言ってほしかったもんだよ」
「うっ…ごめんなさい」
普段は傍若無人な振舞いも多いパーラだが、思いやりの籠った目上の人間からの言葉は真摯に受け止める素直な子なのだ。
叱られた子供のようにしおらしく顔を伏せるパーラに、婆さんも深くなっていた眉間の皺が和らぎ、怪我の容体について話し始めた。
「まぁいいさ。それであんたの腕だがね、残念だけどもう完全に動かせる状態には回復しないよ」
「やはりそうですか」
ある意味予想通りの婆さんの言葉に、俺は納得の声を上げてしまったが、当事者であるパーラはわかりやすく落ち込んだ様子を見せた。
覚悟はあったにしても、医者の口からはっきりと告げられては平然としてもいられないだろう。
「元に戻る見込みは全くないんですか?」
四肢が動かなくなっても、長いリハビリの果てに若干ではあるが動かせるまでに回復した例は地球にもある。
その可能性を信じて、もしかしたらと問いかけてみたが、返されたのは無言で首を横に振る仕草だった。
「長いこと生きてきて、こういう体の奴もそれなりに見てきたから言えるが、こいつは回復する見込みはまずない怪我だよ。回復訓練や補助具でもどうにもならん」
医者の見立てがそうであると言っている以上、やはりパーラの腕はこの先もこのままということになる。
それを聞いて、ガリーがそっとパーラの肩を抱くようにして寄り添う。
パーラも俯いた顔は歯を食いしばっており、かなりショックを受けていると分かる。
その様子を見て、俺もいたたまれなくなるが、それをすぐに霧散させるように気持ちを切り替える。
確かに相棒の腕がこうなったのは残念だが、しかし命はあるし他の手足は無事なのだ。
失ったものを数えるよりも、残されたものでこれからの人生をどう生きるか、それを考えるべきなのかもしれない。
慰めにもなるかどうかわからないが、何かパーラに言おうと開きかけた俺の口を遮るように、薬師の言葉が重く辺りに響き渡った。
「一つだけ、その腕を治せる可能性がある」
つい一瞬前まで回復を否定していたのと同じ口で語られたのは、微かな希望の光にも似たものだ。
流し込まれる独のように耳へと滑り込んだ薬師の言葉に、俺達は一斉に声の主へと視線を向ける。
「そう期待のこもった目を向けられるほどのもんじゃないがね、私にはそれ以外に思い当たる可能性が無いってだけだよ」
その口ぶりから限りなく可能性の低い方法であることはうかがい知れ、かなりの難題の先に治療のあてがあると言っているも同然だ。
だが他に方法がないというのなら、それに縋るしかないのが今の俺達だ。
「それでも構わない。教えてくれ。どうすればパーラの腕は元に戻る?」
薬師に掴みかかりそうな気持ちを抑え、答えを求めて薬師の目を睨むように見つめる。
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「私らの薬じゃどうにもならない怪我や病気ってのは、世の中にはいくらでもある。そんなのに出会ったら、普通は諦めるしかないんだが、たった一つ、それらをどうにかできるかもしれないって技を持つ連中が存在してる」
そこまで話を聞いて、俺は目の前の薬師が何を言わんとしているのか何となく理解した。
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