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異変の章
第三十四話 乱入
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特務部の道場は地下一階の一番奥まった場所にあった。待機室が並ぶ廊下を突き当たりまで進むとL字型に曲がる場所だ。扉を開けば広い道場に集まっていた隊員達の視線が一気に押し寄せた。皆の興味は肩にかけた共切に注がれている。優斗は軽く息を呑むと靴を脱いで一歩足を踏み入れた。人波の中を堂々と行く優斗に道が開かれる。周りからは「小さい」だの「子供」だのといった言葉がそこかしこから聞こえてきた。それに歯噛みしながらも優斗は足を止めない。言いたいだけ言えばいい。今に見ていろと気を強く持って。その最終地点には教官らしき壮年の男性が待っていた。角刈りに長身で筋肉質な恵まれた体格。精悍な顔には覇気が漲っている。しかし物腰は柔らかかった。強者の余裕か。
「ようこそ。君が小堺優斗君かね。私は後堂欣二という。武術訓練の教官をしている。今日からよろしく頼む」
後堂は柔和に笑うと優斗に対して丁寧な対応をしてくれた。それだけでも信頼に足るというものだろう。少なくとも優斗はそう感じた。そして手近にいた隊員に更衣室に案内するよう指示する。
「まずは着替えてきてくれたまえ。運動着は準備してきているね。訓練は十二時半から開始する。遅れないように」
腕時計を見れば十二時を少し過ぎたくらいだ。着替えるくらいなら十分な時間だろう。案内役の隊員の後について更衣室へと向かう。二十歳過ぎくらいだろうその隊員はチラチラと優斗を観察していた。その目は好奇心というより侮るような視線だ。ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。そして小声で囁いた。
「お前美形だな。どうだ? この後……」
言い終わる前に共切を喉元に突きつける。竹刀袋に入ったままだが意図は十分に伝わるだろう。優斗は無言のまま睨みつける。背後で騒めきが起こったが意に介さずドスの効いた声を絞り出した。
「煩いんだよクズが。臭い息を吐き出すな」
その行動に隊員は両手を上げ降参の意を表す。それと同時に非難の声も上げた。
「お、おい。ジョークだって。それにオレは先輩で……」
だがそれも優斗にとってはどうでもよかった。何も知らない子供と侮られてたまるかと啖呵を切る。
「は? 先輩だ? ここでは序列が物を言うって聞いたぞ。なら僕が一番のはずだ。僕に触りたいならせめて五位くらいまで登ってもらわないとな」
道場の隅々にまで聞こえる様に声を張り上げる。自分に触れていいのは律だけだ。それ以外は気持ちが悪いだけ。そう言い聞かせる様に。それに自分が侮られれば律にまでその被害が及んでしまう。そう考えた優斗は周囲を威嚇しまくった。きっとここにいる誰にも力では勝てない。それでも共切の主人として、律のパートナーとして下手に出る訳にはいかなかった。
緊迫した空気を破ったのは後堂の声だ。手を打ち鳴らし豪快に笑う。
「良きかな! それでこそ共切の主人よ! 瀬下、身の程を弁えろ。お前は高々序列四十五位。十把一絡げのいくらでも替えのきく端だ。特級に手を出そうなどとは片腹痛い。小堺君の相棒はお前も知っているだろう。あの子に勝てるつもりなのかね」
瀬下と呼ばれた案内役の隊員は羞恥に顔を歪める。どうやら律も有名らしい。十代で序列五位なのだからそれも頷けた。他の隊員達も黙している。優斗はそれを一瞥すると興味を失ったように更衣室へと歩を進めた。もう案内されるまでも無く目的地はすぐ目の前だ。扉の上にもご丁寧に更衣室の文字が掲げられている。扉を開けると籠った汗の匂いが鼻を突く。さっきちらりとだが女性の姿もあったがさすがに更衣室は別だろう。優斗は鍵のかかっていないロッカーを開けると着替えに取りかかった。半袖のTシャツにスウェットのズボンという軽装だ。他の隊員達もそう変わらない格好だったから咎められる事は無いだろう。ロッカーに鍵をかけて更衣室を出ると後堂の元へ行く。後堂は教官だ。瀬下に対する態度とは真逆にきっちりと礼を取る。
「小堺優斗です。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げると後堂も礼を尽くしてくれた。
「こちらこそ、改めてよろしく頼む。共切の使い手に指導できる事は名誉だ。どうか長生きして一匹でも多くの妖魔を消してくれ。それが君の責務だ」
一見、まともに見えた後堂だが、やはりそこは陰陽寮所員。行き着く先は誰も同じか。もう慣れてしまった物言いにひとつ頷くと隊員の列に顔を向ける。優斗の一挙手一投足に皆が息を呑む。さっきは無礼な瀬下に強気で返したが、それでも優斗が新入りな事に変わりは無い。隊員達にもしっかりと頭を下げて挨拶をする。上に立つ者にはそれなりの礼節が求められるのだ。父の立ち居振る舞いはどうかと思うが、それでも班長としての仕事はしっかり熟している。優斗もこれから現場で先陣を切っていくのだ。舐められず、しかし嫌われない絶妙なラインを維持しなければならない。そのための礼儀だ。
隊員達も一様にほっと息を吐く気配が伝わってくる。優斗とて瀬下の様な態度を取られなければ普通に接するのだ。それを真っ先に見せた瀬下にはある意味感謝してもいいのかもしれない。
時間も迫り優斗も列に加わろうとした。
その時。
道場の扉を乱暴に開き三人の若者が乱入してきた。男が二人。女が一人。歳は優斗と変わらないくらいだろうか。先頭の男はこの暑い中、半袖のワイシャツにきっちりネクタイを締めている。黒髪をオールバックに撫で付け見た目からも気難しい性格が窺えた。後ろの男はネクタイも緩く着崩して髪を伸ばしたチャラそうな外見だ。その耳には無数のピアスが光っている。女も制服姿だ。丸襟のシャツに赤いボーダーのリボンを結び、揃いのスカートとボブの髪が揺れていた。皆容姿は整っているがどこか冷めた印象を受ける。後堂の様子を見ると舌打ちをしていた。どうやら招かれざる客の様だ。隊員達も騒ついている。その列を割り後堂が前に出て乱入者に恫喝した。
「何用ですかな。今日の訓練にあなた達は参加しないはずでは? 今から始める所ですので邪魔しないでいただきたい」
しかし、乱入者達は意に介した風もなく後堂を睨んでいる。そして先頭の男が口を開いた。
「今日ここに共切を抜いたヤツが来ると聞いている。出してもらおうか。俺達にはそいつを見極める義務がある。後堂さん、貴方も分かっているだろう。何処の馬の骨とも分からないヤツに共切を渡す訳にはいかない。あれは我らの切り札だ。相応しくないと判断すれば容赦はしない」
そう言いながら周囲を見回す。優斗は自分から進んでその視線に身を晒した。それを後堂が止めるが男達の目が鋭く射抜く。
「お前か。名を名乗れ」
それを優斗は鼻で笑った。
「こういう時は自分から名乗るのが礼儀じゃないのか? 随分不躾なヤツだな」
挑発する優斗にも男は余裕を持って応える。
「それは失敬。俺は共咲菖蒲。後ろの男の方が観咲蓮で女の方が獅咲茉莉花。俺達は共切の継承候補者だ」
それを聞いた優斗の顔が険しくなる。確か共切の継承候補の筆頭御三家だ。
「そうか、あんたらが……。僕は小堺優斗。共切の所有者だ。それにしても候補者? だったの間違いだろ」
その言葉に蓮が一歩前に出るが菖蒲が手で制した。茉莉花も優斗を憎々しげに睨んでいる。
「お言葉だが、俺達はまだ候補者だ。お前が死ねば俺達にもまだチャンスは残されている。今日はそれを確かめに来た。手合わせ願おう」
しかし、優斗は嫌悪感も顕に菖蒲を詰る。
「何がチャンスだ。あんたらが不甲斐ないから僕がこんな目に遭っているんだろうが。僕は望んで共切を抜いた訳じゃない。あんたらがちゃんと仕事をしていればこんな所に来る事も無かったんだ。それを上から目線で確かめる? 何様のつもりだ。そんなに欲しいなら奪えばいい。それでも共切はあんたらを認めはしないだろうけどな」
言い切る優斗に菖蒲も煽られ目を吊り上げ怒りに顔を染めた。蓮から模擬刀をかっさらうと優斗に投げて寄越す。
「そこまで言うなら見せてみろ。共切が認めたお前の力を」
止める後堂を振り切って優斗は前に出た。
候補者と言うからにはそれ相応の実力の持ち主だろう。だが優斗は引き下がらない。共切などどうでもいい。けれど、こいつに律を渡したくない。優斗の脳裏にあったのはそれだけだった。
「ようこそ。君が小堺優斗君かね。私は後堂欣二という。武術訓練の教官をしている。今日からよろしく頼む」
後堂は柔和に笑うと優斗に対して丁寧な対応をしてくれた。それだけでも信頼に足るというものだろう。少なくとも優斗はそう感じた。そして手近にいた隊員に更衣室に案内するよう指示する。
「まずは着替えてきてくれたまえ。運動着は準備してきているね。訓練は十二時半から開始する。遅れないように」
腕時計を見れば十二時を少し過ぎたくらいだ。着替えるくらいなら十分な時間だろう。案内役の隊員の後について更衣室へと向かう。二十歳過ぎくらいだろうその隊員はチラチラと優斗を観察していた。その目は好奇心というより侮るような視線だ。ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。そして小声で囁いた。
「お前美形だな。どうだ? この後……」
言い終わる前に共切を喉元に突きつける。竹刀袋に入ったままだが意図は十分に伝わるだろう。優斗は無言のまま睨みつける。背後で騒めきが起こったが意に介さずドスの効いた声を絞り出した。
「煩いんだよクズが。臭い息を吐き出すな」
その行動に隊員は両手を上げ降参の意を表す。それと同時に非難の声も上げた。
「お、おい。ジョークだって。それにオレは先輩で……」
だがそれも優斗にとってはどうでもよかった。何も知らない子供と侮られてたまるかと啖呵を切る。
「は? 先輩だ? ここでは序列が物を言うって聞いたぞ。なら僕が一番のはずだ。僕に触りたいならせめて五位くらいまで登ってもらわないとな」
道場の隅々にまで聞こえる様に声を張り上げる。自分に触れていいのは律だけだ。それ以外は気持ちが悪いだけ。そう言い聞かせる様に。それに自分が侮られれば律にまでその被害が及んでしまう。そう考えた優斗は周囲を威嚇しまくった。きっとここにいる誰にも力では勝てない。それでも共切の主人として、律のパートナーとして下手に出る訳にはいかなかった。
緊迫した空気を破ったのは後堂の声だ。手を打ち鳴らし豪快に笑う。
「良きかな! それでこそ共切の主人よ! 瀬下、身の程を弁えろ。お前は高々序列四十五位。十把一絡げのいくらでも替えのきく端だ。特級に手を出そうなどとは片腹痛い。小堺君の相棒はお前も知っているだろう。あの子に勝てるつもりなのかね」
瀬下と呼ばれた案内役の隊員は羞恥に顔を歪める。どうやら律も有名らしい。十代で序列五位なのだからそれも頷けた。他の隊員達も黙している。優斗はそれを一瞥すると興味を失ったように更衣室へと歩を進めた。もう案内されるまでも無く目的地はすぐ目の前だ。扉の上にもご丁寧に更衣室の文字が掲げられている。扉を開けると籠った汗の匂いが鼻を突く。さっきちらりとだが女性の姿もあったがさすがに更衣室は別だろう。優斗は鍵のかかっていないロッカーを開けると着替えに取りかかった。半袖のTシャツにスウェットのズボンという軽装だ。他の隊員達もそう変わらない格好だったから咎められる事は無いだろう。ロッカーに鍵をかけて更衣室を出ると後堂の元へ行く。後堂は教官だ。瀬下に対する態度とは真逆にきっちりと礼を取る。
「小堺優斗です。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げると後堂も礼を尽くしてくれた。
「こちらこそ、改めてよろしく頼む。共切の使い手に指導できる事は名誉だ。どうか長生きして一匹でも多くの妖魔を消してくれ。それが君の責務だ」
一見、まともに見えた後堂だが、やはりそこは陰陽寮所員。行き着く先は誰も同じか。もう慣れてしまった物言いにひとつ頷くと隊員の列に顔を向ける。優斗の一挙手一投足に皆が息を呑む。さっきは無礼な瀬下に強気で返したが、それでも優斗が新入りな事に変わりは無い。隊員達にもしっかりと頭を下げて挨拶をする。上に立つ者にはそれなりの礼節が求められるのだ。父の立ち居振る舞いはどうかと思うが、それでも班長としての仕事はしっかり熟している。優斗もこれから現場で先陣を切っていくのだ。舐められず、しかし嫌われない絶妙なラインを維持しなければならない。そのための礼儀だ。
隊員達も一様にほっと息を吐く気配が伝わってくる。優斗とて瀬下の様な態度を取られなければ普通に接するのだ。それを真っ先に見せた瀬下にはある意味感謝してもいいのかもしれない。
時間も迫り優斗も列に加わろうとした。
その時。
道場の扉を乱暴に開き三人の若者が乱入してきた。男が二人。女が一人。歳は優斗と変わらないくらいだろうか。先頭の男はこの暑い中、半袖のワイシャツにきっちりネクタイを締めている。黒髪をオールバックに撫で付け見た目からも気難しい性格が窺えた。後ろの男はネクタイも緩く着崩して髪を伸ばしたチャラそうな外見だ。その耳には無数のピアスが光っている。女も制服姿だ。丸襟のシャツに赤いボーダーのリボンを結び、揃いのスカートとボブの髪が揺れていた。皆容姿は整っているがどこか冷めた印象を受ける。後堂の様子を見ると舌打ちをしていた。どうやら招かれざる客の様だ。隊員達も騒ついている。その列を割り後堂が前に出て乱入者に恫喝した。
「何用ですかな。今日の訓練にあなた達は参加しないはずでは? 今から始める所ですので邪魔しないでいただきたい」
しかし、乱入者達は意に介した風もなく後堂を睨んでいる。そして先頭の男が口を開いた。
「今日ここに共切を抜いたヤツが来ると聞いている。出してもらおうか。俺達にはそいつを見極める義務がある。後堂さん、貴方も分かっているだろう。何処の馬の骨とも分からないヤツに共切を渡す訳にはいかない。あれは我らの切り札だ。相応しくないと判断すれば容赦はしない」
そう言いながら周囲を見回す。優斗は自分から進んでその視線に身を晒した。それを後堂が止めるが男達の目が鋭く射抜く。
「お前か。名を名乗れ」
それを優斗は鼻で笑った。
「こういう時は自分から名乗るのが礼儀じゃないのか? 随分不躾なヤツだな」
挑発する優斗にも男は余裕を持って応える。
「それは失敬。俺は共咲菖蒲。後ろの男の方が観咲蓮で女の方が獅咲茉莉花。俺達は共切の継承候補者だ」
それを聞いた優斗の顔が険しくなる。確か共切の継承候補の筆頭御三家だ。
「そうか、あんたらが……。僕は小堺優斗。共切の所有者だ。それにしても候補者? だったの間違いだろ」
その言葉に蓮が一歩前に出るが菖蒲が手で制した。茉莉花も優斗を憎々しげに睨んでいる。
「お言葉だが、俺達はまだ候補者だ。お前が死ねば俺達にもまだチャンスは残されている。今日はそれを確かめに来た。手合わせ願おう」
しかし、優斗は嫌悪感も顕に菖蒲を詰る。
「何がチャンスだ。あんたらが不甲斐ないから僕がこんな目に遭っているんだろうが。僕は望んで共切を抜いた訳じゃない。あんたらがちゃんと仕事をしていればこんな所に来る事も無かったんだ。それを上から目線で確かめる? 何様のつもりだ。そんなに欲しいなら奪えばいい。それでも共切はあんたらを認めはしないだろうけどな」
言い切る優斗に菖蒲も煽られ目を吊り上げ怒りに顔を染めた。蓮から模擬刀をかっさらうと優斗に投げて寄越す。
「そこまで言うなら見せてみろ。共切が認めたお前の力を」
止める後堂を振り切って優斗は前に出た。
候補者と言うからにはそれ相応の実力の持ち主だろう。だが優斗は引き下がらない。共切などどうでもいい。けれど、こいつに律を渡したくない。優斗の脳裏にあったのはそれだけだった。
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