彼方の星の紅月妃

文月 澪

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第5章 戦禍に咲く花

71.相応しくあるために ※ベル視点

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 三時の休憩に合わせて訓練を切り上げたセトアは、身支度のためにメイド達に浴場へと連れて行かれた。ツェティもせっかくだからと一緒について行っている。着替えのための衣装を選ぶのだと張り切っていた。

 そうして残されたベルとヨウは客間のサロンで二人の帰りを待つ。
 しかし、女の風呂は総じて長い。特に今回のセトアは訓練で泥だらけだったせいもあり余計に時間がかかるだろう。あちこち怪我もしていたのでその手当てもある。ツェティが治癒晶術はかけたものの完璧に治すには薬も併用しつつ時間をかける必要があるからだ。

 だがベル達は文句のひとつも無くおとなしく待つ。
 机を挟み向かい合ってソファーに座り、紅茶を飲んでいると不意にヨウが切り出した。

「なぁ、ベル。今日の訓練は嬢ちゃんにはまだ早かったんじゃねぇか? 手始めはもっと見習い連中相手でも良かったはずだ。それをすっ飛ばして兵団相手とか。嬢ちゃんボロボロだったじゃねぇかよ。兵団の中から対戦相手を指定したのもお前だって言うし。ルー兄の推薦があっただけにまともな連中だったから良かったものの、下手したら取り返しのつかない大怪我を負う事だってあったかもしれねぇ」

 その叱責にも似た言葉にベルは静かにヨウを見つめる。
 そして、ゆっくりと口を開いた。

「確かに、そうかもしれない。だがそれはあいつに、ハナに対して侮辱にもなる。お前だってハナが日頃どれほど努力しているかは知っているだろう? 今のあいつの実力を分からせるには今日の相手は申し分なかった。ただ負けただけじゃない。俺はそれも糧にできる奴だと思ってるよ。お前も応援していたじゃないか」

 そう言われてヨウは頭をガシガシと掻いた。

「そりゃそうだけどよ。嬢ちゃんがお前と一緒にいるために頑張ってるのは分かってる。でもお前は嬢ちゃんが転ばされて傷つくのを見て、嫌じゃなかったのか? オレはお前の心配もしてんだよ」

 ありがたい親友の言葉に薄く笑う。

「そうだな。正直、ハナを傷付けた奴らは殺してやろうかと思ったが、当の本人であるハナが頑張ってるんだ。俺が邪魔をしていい訳がない。それも、俺と共にあろうとしてくれているが故の事なのに……」

 ヨウは深い溜息を吐くと「やれやれ」といった風情で肩をすくめる。
 そして掌を差し出した。

「んじゃ、手。見せてみろよ」

 その行動にベルは一瞬息を呑み、サッと自身の手を背中に隠した。
 それを見たヨウは素早く動き、机越しにベルの腕を掴み引っ張り出す。
 そして、きつく結ばれた手を見下ろし笑いを零した。

「ははっ。随分物分かりの良い事言ってるが、この手は何だ~? 血塗れじゃねぇかよ。嬢ちゃんの試合、我慢して見てたんだな。あ~あ、こんなに切れちまって。戦場いくさばでもこんなに傷付いたお前なんざ見た事ねぇっつうの。治さねぇのか? お前なら一瞬だろ」

 そこにあったのはずっと強く握りしめていたのであろう深い爪痕。
 傷口からは未だに血が滲んでいた。

 ベルは恥ずかしそうに目線を逸らすとぽつりと呟く。

「これは……戒めだ」

 ヨウはその言葉に首を傾げた。

「戒め?」

 ベルは頷く。

「ああ。ハナが努力している様に、俺もあいつに相応しい男でありたい。龍人リュスティニオの力に胡座あぐらをかくだけじゃなく、一人の人間として、男として、ハナの隣に立ち続けられる様に」

 自身の掌を見つめながらベルは続ける。

「あいつは努力家だ。馬車の中でもずっと本を読んでいるとツェティが言っていた。それに朝夕の鍛錬、俺達との手合わせ。飯以外の時間を費やして日々成長している。……俺が倒れれば、徹夜で看病するしな」
 
 ベルは自嘲気味に笑うと痛々しい傷の残る手を握りしめた。

「それに比べて、俺は何だ? 龍人リュスティニオとして生まれて、ただ請われるがままに力を奮い、周りに疎まれたというだけで人と関わる事に怖気付いている。それで堂々とハナの隣に立てるのか? 俺は変わらなきゃいけない。お前達に甘えるだけじゃなく、自分の足で立つために。この傷はその戒めだ。……今はまだどうすればいいのか分からない。でも、俺はやる。だから、ヨウ。どうか力を貸してくれ」

 そう言って頭を下げると、ヨウはベルの頭に手を置き、整えていた髪を無遠慮にぐしゃぐしゃと掻き乱すと嬉しそうに笑う。

「当たり前だろ! オレはお前の親友だぜ!? 少し寂しい気もするけどよ、お前が望むならいくらでも協力するさ。これからも長い付き合いになるんだしな」

 ヨウの言葉にベルは感極まり声を詰まらせる。

「っ、ありがとう。お前がいてくれて本当に良かった」

 震える声に、ヨウはわざと茶々を入れた。

「お? 何だよ。感動しちゃったか? 心配しなくてもオレはお前の義弟おとうとになるんだからな。嫌でもお前の傍にいるさ」

 これではどちらが兄か分からないなと笑い合い、ベルは一人ではない事に心から感謝した。もし、一人だったら、セトアと恋仲になる事さえできなかっただろう。今でもくすぶる心を持て余して、最悪な事態に陥っていたかもしれない。

 ベルはもう一度頭を下げて礼を言うと、表情を引き締めヨウに問う。

「俺はどうしたら良いだろうか。ハナの隣に立てる男になるには……」

 ヨウは、ふむと顎を摩り思案する。
 そして、ひとつの提案をした。

「まずはその仏頂面をどうにかした方が良いんじゃないか? 嬢ちゃんと同じとまではいかなくても、せめてオレ達に見せる顔ぐらいは他の連中にも見せて良いだろ。お前、他人がいるとほんと愛想ないからな~」

 ヨウもベルと距離を置く周りに対して良い感情は持っていなかったが、ベルが踏み出そうと決意をした心意気を汲んでくれたのだろう。周りとの関係改善から進めてくれた。
 
 ベルは自身の頬に触れる。

「そんなにか? 俺は変わらないつもりだったが」

 ヨウは自覚の無いベルに真摯な口調で応える。

「ああ、いつも硬い顔してる。あいつらの態度を見りゃそうなるのも分かるけどよ、もう少し柔らかい顔ができれば変わるんじゃねぇか? あとは、ちょっとした事でも礼を言ったり、とか? お前の立場上、あんまり気安いのも問題だが時にはねぎらいも必要だろ」

 ヨウの言葉に俯きながら、ベルは小さく頷いている。

「そう……だな。それに、俺は今まで家族意外とみずから交流を持ったことも無い。身分の事でも、力の事でも、恐れられていたから。でも、ハナとの事は国民にも祝福してもらいたい。あいつが疎まれるのは嫌だ」

 ベルにとって最優先はセトアだ。
 そのセトアのためならば自分が傷付く事もいとわわない。

 今まで避けてきた周囲との関わりにベルは今やっと向き合う決意ができた。
 ヨウは微笑みながらベルの肩を叩く。

「オレも今までは他人の戯言なんざ無視してたけどよ、お前が決めたならとことん付き合う。お前は国を護った英雄なんだ。堂々と行こうぜ」

 ヨウの励ましにベルはぎこちなく笑い、傷付いた手を見下ろした。
 二十五年生きてきて、初めての挑戦。
 この傷はその証でもある。

 じっと見つめ感傷に浸っているとヨウが声を上げた。

「あ、そういやその傷。取り敢えず止血だけはしといた方がいいぞ? じゃないと嬢ちゃんが心配する」

 掌の傷を指差しながら指摘され、そんな些細な事にも気付かない自分が嫌になる。
 ベルは言われた通り跡が残る程度に傷を塞ぎ、どうだと言わんばかりに両手を突き出して見せると、その何処か子供っぽい行動にヨウは腹を抱えて笑った。
 
 あまりに笑うものだからベルはムクれて口を尖らせる。

「何故そんなに笑うんだ。お前が言うからその通りにしただけだろう。失敬だな」

 涙を拭いながら、それでも止まらない笑いをこらえてヨウは言う。

「いや、悪りぃ悪りぃ。お前が可愛かったもんでついな。うんうん。上手にできました」

 そう言いながら、また頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
 ベルはたまらず抗議の声を上げた。

「おい! やめろ! ボサボサになるだろうが!」

 ベルの髪は案の定、あちこちに飛び跳ねまるで爆発したかの様な有様だ。
 それにまたヨウが笑う。

 ヨウは元から明るい方だが今日は輪をかけて笑っている。
 ベルにはその意味もよく分からず、ただ不貞腐れた。

 そんな、少し混沌とした部屋にセトア達が戻ってくると、ベルの惨状に目を丸くする。
 セトアにだらしない所を見られたと慌てたベルは手櫛で髪を梳かすとどうにか体裁を整え、気を取り直してゆっくりできたかと問いかけた。

 セトアもそんなベルに笑みを零しながら応える。

「はい。気持ちよかったです。この服もツェティさんが見立ててくれたんですよ」

 そう言ってくるりと回る。

 それはセトアにしては少し大人っぽい服装だった。
 白いパフスリーブのブラウスには胸元に黒い糸で蔦の絡まる刺繍が施され、天鵞絨ビロードのリボンタイを結んでいる。ハイウエストのフレアスカートは濃緑。コルセットの様に締められたそれは細い腰を強調して、揺れる裾から膝が見え隠れしていた。足元は白いハイソックスに黒いパンプスだ。

 晒された腕や膝にうっすらと傷や青い痣ができているのが痛々しいが。

「あの、似合いますか?」

 頬を染め、控えめに聞くセトアは初々しくて、ベルは卒倒しそうになるのをこらえ口を開く。

「あ、ああ。よく似合っている。その、なんと言うか……」

 可愛い、と言う言葉を中々言い出せずにいるベルにツェティが横から口を挟む。

「もう。ベル兄様ったら、こういう時は素直に仰ってくださいませ。それともわたくし達がいるから恥ずかしいのでしょうか」

 揶揄からかう様に言うツェティを睨みながら、ベルはひとつ息を吐くとしっかりとセトアの目を見て言い切った。

「ハナ。とても可愛い。どんな服でも似合うな」

 その言葉に今度はセトアが真っ赤になる番だ。
 煙が出そうな程に赤く染まった顔で照れながら礼を言う。

「あ、ありがとうございます……」

 そんな二人のやり取りにヨウとツェティも微笑む。
 外野の生暖かい視線にベルは居心地悪そうにして咳払いをすると午後の予定をセトアに伝える。

「今日はもう疲れただろう。明日からはまた馬車の旅になる。少しでも体を休めておけよ」

 そう言って自分の隣をぽんぽんと叩いて座る様に促す。
 セトアは少し思案した後、おとなしく座った。

 そこにノックが響き、ベルが招き入れると新しいお茶と菓子を乗せたワゴンを押してメイドが入ってくる。手早く配膳を済ませメイドが一礼するとヨウが目配せをしてきた。

――そ、そうか。ここで一声かけるべきなんだな。

 ごくりと息を呑み緊張しながらベルが声をかける。

「ご、ご苦労」

 メイドはびくりと肩を揺らしたが、深く頭を下げるとそそくさと退出して行った。
 これで良かったのかとヨウを見ると小さく肩を竦めている。
 まぁ、初めてにしては及第点と言ったところか。

 ベルはほっと溜息を吐くと、隣に目をやり並べられた菓子に目を輝かせるセトアを柔らかい笑みで見つめながら、触れる肩の暖かさに酔いしれた。
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