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魔法への邂逅
第20話 ︎︎心惑う ※sideキーナ
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なんなのあいつ!
本当に腹が立つ!
何も知らないくせに!
私がどんな風に生きてきたかなんて、知らないくせに。思い出したくもない記憶が溢れてきて視界が滲む。
袖で乱暴に拭うとカンパニーハウスを振り返った。
勢いに任せて出てきてしまったけれど、ディア困ってないかしら。ディアは私を気にかけてくれる。中々素直になれないけれど、それでも妹のように可愛がって、何それとなく世話を焼いてくれた。
それはまるで生き別れた姉たちのようで擽ったい。
ふぅっと息を吐き、踵を返す。ディアは心配だけど、このまま戻るのも癪だわ。神殿に行って心を落ち着けよう。
中流階級の控えめな邸宅が並ぶ道を歩きながら、私は過去に思いを馳せた。
私が『青猫』に加入したのは1年前。
15歳で修道女になり、19歳でやっと聖女候補まで登り詰めた。生涯修道女で終わる人もいるんだ。私は恵まれている方だと思う。
聖女候補になって初めて触れた聖術は、神秘の真髄だった。この世には本当に神が存在する。そう実感できるだけの暖かな力。それでもまだ初歩の初歩。これからどんどん神に近付いていく。
やっと私にも愛が巡ってきたと感じた。
それまでの生活は苦痛しか無かったから。
私は男爵家の6女として産まれた。女ばかりの6人姉妹の末っ子。
父は嫡男を欲しがったから、母の体調など気にも止めず、次々に産ませたそうだ。けれど産まれるのは皆女の子。母は日常的に父の暴力を受けていた。
そして、最後に母の命と引き換えに産まれたのが私。父は激怒し、母の遺体を鞭打ったと乳母に聞いている。
その後、喪も開けぬ内に後妻を娶った父は、あまりの身勝手さに非難を浴びたらしいけれど、そんな言葉を無視して上機嫌で夜会に後妻を連れて行き、見せびらかしていたそうだ。
元劇女優だったという後妻は大層美しく、社交界の噂の的だったというけれど、私は会った事が無い。私達姉妹は離れを出る事が禁じられていたから。よく通る声。豊満な体。妻を亡くしたばかりの男に嫁入りするぐらいの度胸と過剰な自信は、人々の非難に打ち勝った。
その人との間にはすぐに男の子が産まれ、私達姉妹は父から見放され、離れで肩を寄せあって生きてきたのよ。
そんな私達に利用価値があると分ったのは、長女が13歳の時。とある伯爵から求婚の申し出が舞い込んだわ。父は飛び上がって喜んでいた。姉を通してお金を集る気でいたみたい。その頃私は5歳。まだ意味も分からず、ただ姉がいなくなる事に泣いていたっけ。
後で聞いた話によると、それは好色で、幼女趣味と名高い伯爵であったらしい。40も年上のその伯爵は、幾人もの幼い令嬢を手篭めにして楽しんでいる、悪趣味な人物だったわ。その餌食になった子達のその後は不明。姉も例に漏れず、連絡が途絶えた。
それから父は私達を売りに出すようになったのよ。高位の貴族に見初められるように、夜会で噂を流して、それは主に愛人を欲しがる貴族に広まっていった。いいえ、愛人っていうのは建前だけね。実際には正妻だけでは物足りず、欲を吐き出すための玩具でしかないわ。
姉達はそんな貴族に嫁いでいった。多額の結納金と引き換えに。その後はなんの連絡も無い。どこにいるのか、どう暮らしているのかさえ分からず、最後に残った私は毎日怯えていた。
次はきっと私の番。
その恐怖は心身を蝕んでいった。食事が喉を通らなくなり、どんどん痩せていく。ついには起きれなくなり、寝たきりの生活が続いた。世話をしてくれた乳母には頭が上がらない。
そして14を迎えたある日、父が貴族を連れてやってきた。きっと私を売りつけるつもりだったんだろうと思う。
でも骨と皮だけになっていた私を見て、貴族が怒りだしたの。こんな死にかけのゴミは要らないって。
金づるを逃した父は激怒して、私をスラムに捨てた。普通なら悲観するんだろうけれど、私は嬉しかった。やっとあの父から逃げられたんだもの。
スラムはそりゃ辛い場所だったわ。でも、皆が優しかった。自分達だってひもじい思いをしているのに、食べ物を分けてくれるの。それも腐りかけだったりしたけれど、何より気持ちが嬉しかったのよ。
そうやって少しずつ体力を取り戻した私は、スラムで説法を説く女性に出会った。その周りには多くの人が集まっていて、私も引き寄せられるようにその輪に加わって耳を傾ける。
ファナタス教の事はもちろん知ってた。でも、父に閉じ込められた生活では聖書に触れる事も、神殿へ行く事もできず知識は乏しい。
その女性の口から紡がれる物語は、私を虜にし魅了した。この大地が作られた創世神話。それに纏わる神や天使の御業。
そして、衆生を導く救いの手。
神は天上から私達を見守ってくださる。良き者には慈悲深き恩寵を、悪しき者には厳しき粛清を。
神の目は世界を見渡し、祈る者を見落としはしない。だから信者は心を込めて祈り、恵まれない人達に施す。そうして徳を積んでいけば魂は磨かれていく。
ファナタスの教義は融和。
1は多となり、多は1となる。
人も動物も、植物や魔物でさえも、精神の根幹でひとつに繋がり、その中心に神が在らせられる。祈り、研鑽し、神の御許に侍り、融和する事がファナタスの本懐。
神の御心は無限の慈愛だわ。
それをあいつはみみっちいだなんて!
在家信者が神像に祈れないのだって、差別じゃなくて区分けよ。魂の研鑽を第1に考えない人達が、神像に近付くなんて恐れ多い事だわ。神へは純粋な祈りだけ届けば良いのよ。
そこで、私ははたと足を止めた。
……純粋な、祈り……?
あれ、なんか変。
神の慈愛は無限で平等。それなのに、純粋な祈りって……?
――自分で考えろよ。
不意に、あいつの声が聞こえた。
考える?
何を?
神は至上の存在で、私達の救世主で、勇者を選ぶ。等しく愛を恵み、慈しむ尊き導き手……じゃあ、落とし子は?
神は無償の愛で罪を許してくださる。そんな神が、身勝手に勇者を選び、拒否したら捨てるの?
あいつは、天使に捨てられたと言っていた。
神じゃ無く、天使?
ぞわりと背中が粟立つ。
何?
何か、見落としている?
そんなはず無いわ……聖書。そうよ、聖書を読めばこんな不安なんて消える。
私は堪らず駆け出した。
本当に腹が立つ!
何も知らないくせに!
私がどんな風に生きてきたかなんて、知らないくせに。思い出したくもない記憶が溢れてきて視界が滲む。
袖で乱暴に拭うとカンパニーハウスを振り返った。
勢いに任せて出てきてしまったけれど、ディア困ってないかしら。ディアは私を気にかけてくれる。中々素直になれないけれど、それでも妹のように可愛がって、何それとなく世話を焼いてくれた。
それはまるで生き別れた姉たちのようで擽ったい。
ふぅっと息を吐き、踵を返す。ディアは心配だけど、このまま戻るのも癪だわ。神殿に行って心を落ち着けよう。
中流階級の控えめな邸宅が並ぶ道を歩きながら、私は過去に思いを馳せた。
私が『青猫』に加入したのは1年前。
15歳で修道女になり、19歳でやっと聖女候補まで登り詰めた。生涯修道女で終わる人もいるんだ。私は恵まれている方だと思う。
聖女候補になって初めて触れた聖術は、神秘の真髄だった。この世には本当に神が存在する。そう実感できるだけの暖かな力。それでもまだ初歩の初歩。これからどんどん神に近付いていく。
やっと私にも愛が巡ってきたと感じた。
それまでの生活は苦痛しか無かったから。
私は男爵家の6女として産まれた。女ばかりの6人姉妹の末っ子。
父は嫡男を欲しがったから、母の体調など気にも止めず、次々に産ませたそうだ。けれど産まれるのは皆女の子。母は日常的に父の暴力を受けていた。
そして、最後に母の命と引き換えに産まれたのが私。父は激怒し、母の遺体を鞭打ったと乳母に聞いている。
その後、喪も開けぬ内に後妻を娶った父は、あまりの身勝手さに非難を浴びたらしいけれど、そんな言葉を無視して上機嫌で夜会に後妻を連れて行き、見せびらかしていたそうだ。
元劇女優だったという後妻は大層美しく、社交界の噂の的だったというけれど、私は会った事が無い。私達姉妹は離れを出る事が禁じられていたから。よく通る声。豊満な体。妻を亡くしたばかりの男に嫁入りするぐらいの度胸と過剰な自信は、人々の非難に打ち勝った。
その人との間にはすぐに男の子が産まれ、私達姉妹は父から見放され、離れで肩を寄せあって生きてきたのよ。
そんな私達に利用価値があると分ったのは、長女が13歳の時。とある伯爵から求婚の申し出が舞い込んだわ。父は飛び上がって喜んでいた。姉を通してお金を集る気でいたみたい。その頃私は5歳。まだ意味も分からず、ただ姉がいなくなる事に泣いていたっけ。
後で聞いた話によると、それは好色で、幼女趣味と名高い伯爵であったらしい。40も年上のその伯爵は、幾人もの幼い令嬢を手篭めにして楽しんでいる、悪趣味な人物だったわ。その餌食になった子達のその後は不明。姉も例に漏れず、連絡が途絶えた。
それから父は私達を売りに出すようになったのよ。高位の貴族に見初められるように、夜会で噂を流して、それは主に愛人を欲しがる貴族に広まっていった。いいえ、愛人っていうのは建前だけね。実際には正妻だけでは物足りず、欲を吐き出すための玩具でしかないわ。
姉達はそんな貴族に嫁いでいった。多額の結納金と引き換えに。その後はなんの連絡も無い。どこにいるのか、どう暮らしているのかさえ分からず、最後に残った私は毎日怯えていた。
次はきっと私の番。
その恐怖は心身を蝕んでいった。食事が喉を通らなくなり、どんどん痩せていく。ついには起きれなくなり、寝たきりの生活が続いた。世話をしてくれた乳母には頭が上がらない。
そして14を迎えたある日、父が貴族を連れてやってきた。きっと私を売りつけるつもりだったんだろうと思う。
でも骨と皮だけになっていた私を見て、貴族が怒りだしたの。こんな死にかけのゴミは要らないって。
金づるを逃した父は激怒して、私をスラムに捨てた。普通なら悲観するんだろうけれど、私は嬉しかった。やっとあの父から逃げられたんだもの。
スラムはそりゃ辛い場所だったわ。でも、皆が優しかった。自分達だってひもじい思いをしているのに、食べ物を分けてくれるの。それも腐りかけだったりしたけれど、何より気持ちが嬉しかったのよ。
そうやって少しずつ体力を取り戻した私は、スラムで説法を説く女性に出会った。その周りには多くの人が集まっていて、私も引き寄せられるようにその輪に加わって耳を傾ける。
ファナタス教の事はもちろん知ってた。でも、父に閉じ込められた生活では聖書に触れる事も、神殿へ行く事もできず知識は乏しい。
その女性の口から紡がれる物語は、私を虜にし魅了した。この大地が作られた創世神話。それに纏わる神や天使の御業。
そして、衆生を導く救いの手。
神は天上から私達を見守ってくださる。良き者には慈悲深き恩寵を、悪しき者には厳しき粛清を。
神の目は世界を見渡し、祈る者を見落としはしない。だから信者は心を込めて祈り、恵まれない人達に施す。そうして徳を積んでいけば魂は磨かれていく。
ファナタスの教義は融和。
1は多となり、多は1となる。
人も動物も、植物や魔物でさえも、精神の根幹でひとつに繋がり、その中心に神が在らせられる。祈り、研鑽し、神の御許に侍り、融和する事がファナタスの本懐。
神の御心は無限の慈愛だわ。
それをあいつはみみっちいだなんて!
在家信者が神像に祈れないのだって、差別じゃなくて区分けよ。魂の研鑽を第1に考えない人達が、神像に近付くなんて恐れ多い事だわ。神へは純粋な祈りだけ届けば良いのよ。
そこで、私ははたと足を止めた。
……純粋な、祈り……?
あれ、なんか変。
神の慈愛は無限で平等。それなのに、純粋な祈りって……?
――自分で考えろよ。
不意に、あいつの声が聞こえた。
考える?
何を?
神は至上の存在で、私達の救世主で、勇者を選ぶ。等しく愛を恵み、慈しむ尊き導き手……じゃあ、落とし子は?
神は無償の愛で罪を許してくださる。そんな神が、身勝手に勇者を選び、拒否したら捨てるの?
あいつは、天使に捨てられたと言っていた。
神じゃ無く、天使?
ぞわりと背中が粟立つ。
何?
何か、見落としている?
そんなはず無いわ……聖書。そうよ、聖書を読めばこんな不安なんて消える。
私は堪らず駆け出した。
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