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逃げられない
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今日も憂鬱な一日が終わった。
外はまだ残暑が厳しく、眩しい太陽が眩い。
それでも秋の気配は感じられる。
カーテンを揺らす風は、少しの冷気を含んでいた。
――明日は晴れるかしら。
帰りのHRで先生の連絡事項をぼんやりと聞きながら、私の思考は既にここには無かった。
私は自他ともに認める、クラスカースト最底辺の陰キャだ。制服はデフォルトのまま、長い髪を三つ編みにして、分厚い眼鏡をかけた姿は芋臭い。
友人達も似たりよったりだ。このクラスはありがたい事に、陽キャによるイジメが無い。ギャーギャーと煩いDQNとは違う、本物の陽キャ達だからだ。
その中心人物に、そっと視線を向ける。
そこには、欠伸を噛み殺している黒髪の少年がいた。
岬涼。
陽キャのわりに髪を染めたりしていない。制服もきちんと着ているし、ピアスなんかも見当たらなかった。
それも偏見かと、ひとつ溜息を吐く。
岬君は身長も高く、スポーツ万能、成績も良い。根っからのカースト上位男子。私とは真逆もいい所だ。
別に好きだとか、そういう訳じゃない。
ただ、推しに似ているのだ。
私は陰キャの例に漏れず、オタク趣味を嗜んでいる。昨今、アニメや漫画は日本の文化とも言われるようになってきた。それでも、オタクには中々に厳しい世の中だ。
既に飽和状態にあると言ってもいい、数あるアニメの中のひとつに、私は沼っていた。
小説を原作とするそのアニメはゲームにもなり、今話題の人気作だ。勿論小説もチェック済み。コミカライズもされ、一気に人気は広がった。
作風としてはありがちな無双モノ。
私も最初は忌避していた。こういった作品は得てして男子向けで、ハーレムやラッキースケベが多い。
しかし、たまたま観た物語をまとめた動画で、出会ったのだ。黒髪を靡かせ、颯爽と現れる、そのキャラクターに。
彼の名はヒュディ・ミューゼ。
物語のラスボスだった。
かませ犬的な存在で、何度も負けては逃げ帰る。その度に主人公は嫁が増えていく謎仕様。
それでも好きになったのは、キャラクターデザインの良さと、その声。
おそらく、アニメにならなかったら沼らなかった。
艶やかな黒髪に、鋭い瞳、皮肉を込めて笑う口元。そして、低く響くテノール。
アニメになった事で、その全てが活きた。制作会社も大当たりで、作画崩壊は全く無く、動きが滑らかで色気がある。
私は一目でヒュディ様に沼り、原作からコミック、声優さんまで調べあげ、現在に至る。
そんな中、二年になって同じクラスになった岬君を見て驚いた。まるで画面からヒュディ様が飛び出してきたかのようだ。
その日から、岬君は少し気になる存在になった。まぁ、所詮陰キャと陽キャ。どうこうなるはずが無い。
そんな燻る想い吐き出す場はあった。
沼ったオタクの行き着く先はひとつ。
そう、創作だ。
これは二次創作と呼ばれ、既存のキャラクターを使い、小説や漫画で妄想を爆発させるというもの。私はヒュディ様を主人公にした小説を書いている。勿論、原作遵守。非公式のカップルには興味が無い。ヒュディ様を支えるのはたった一人。最愛のシェリア姫だけ。
私はこの二人にぞっこんだ。不器用なヒュディ様、それを影から支えるシェリア姫。
――ああ、素敵。
妄想はとめどなく溢れてくる。それを形にする事が、目下私の原動力になっている。
そして、明日は待ちに待った同人誌即売会。新刊を携え、私もサークルとして参加する。その時に着る服も準備済み。
先生の話が終わって、号令がかかると、私は足早に教室を出た。
早く帰って、明日の準備をしなくては。
☆
翌日は雲ひとつ無い快晴だった。
朝は少し冷えるようになってきたけれど、今日は気持ちのいい日になりそうだ。
私は、キャリーバックを引きながら、バス停に向かう。サークル入場は9時からだから、早めに現地入りしよう。
本はスペースに搬入してもらう手筈になっていた。ヒュディ様に沼る前から活動自体はしてきているお陰か、今ではそれなりの数を売れるサークルになっている。
今日しか会えない人もいるし、今から楽しみで、自然と口元が緩む。
バスは目的地が同じであろう人が、幾人か見受けられた。ある種の共鳴とでも言おうか。同じ匂いがするのである。
ふと目が合えば、お互いぎこちなく頭を下げる。ここで特攻は禁物。同人活動には地雷も多いのだ。
私は車窓から外を眺める。会場に近付くにつれ、人が多くなっていく。皆この日を待っていたのだろう。どこを見ても笑顔ばかりだった。
バスを降りると、サークル入場口へと急いだ。今日のお品書きは、ヒュディ様×シェリア姫の新刊と、再販が三種。どれも五十冊用意した。
――楽しんでもらえるといいな。
その時の私は、浮かれていた。
☆
「シェリア姫のコスプレはしないの? ︎︎笹塚さん」
そう言うのはここにいてはならない人物。
「み、岬君……?」
いつもはキレイにセットされている黒髪は、無造作に揺れ、黒縁の眼鏡が目元を覆っている。最初は気付かなかった。だって、どう見てもモサい陰キャだったのに。
オタクだと思っていたこの人とは、面識があった。いつも来てくれるお得意様だったから。でも、話したのは今日が初めてだった。今までは、買ったら直ぐにスペースを離れていたのに、何故か今日はグイグイ来る。
開場直後、一番最初に新刊を手に取ってくれたのが、まさか岬君だなんて。
新刊を手渡した時、じっと見るから何かと思ったら、さっきのセリフだ。
岬君は更に続ける。
「いつものコスプレはしないの? ︎︎俺、好きなんだけどな。眼鏡無しの笹塚さん。眼鏡してても可愛いけど、外してる所って特別感あるじゃない? ︎︎楽しみにしてたのに。コスプレ姿も色っぽいしさ。でも今日みたいに髪、下ろしてるのも可愛い」
私の頭は大混乱だ。
「み、岬君? ︎︎何を言って……その格好は」
やっと絞り出した声に、岬君は首を傾げる。そして萌えキャラがプリントされたTシャツを摘むと満面の笑みを浮かべた。
「ああ、これ? ︎︎俺、こっちが素なんだ。めっちゃオタクだよ~。君が書くヒュディ×シェリアが好きで常連になったけど、いつの間にか君自身が目当てになってた。でも学校で声かけても素っ気ないから、今日は思い切って話しかけてみたんだ」
は?
確かに学校で何度か話しかけられた事はあった。でもそれは日直とかの事務的なもので、オタクトークでは無かったはず。岬君がそういった物を好むという話も聞いた事が無い。
「で、でも。岬君は学校では人気者で、オタクとは無縁で、かっこよくて。え、何。意味分かんない」
混乱した頭は爆発寸前だ。
だって、可愛いとか好きって何!?
本とかコスプレの事だよね!?
うん、岬君が私を好きとか有り得ない。
目を白黒させる私を面白そうに見ながら、岬君は言う。
「学校は社会に出るための予行練習だと思ってるから、身なりには気をつけてオンオフを切り替えてるんだ。笹塚さんはオタクなの隠してるみたいだったし、あまり話しかけるのも嫌がるかなって。でも、ここなら気にせず話せるでしょ? ︎︎ね、アフターどうかな。俺、ずっと君と話したいと思ってた。好きなんだ。笹塚さんの事。俺の彼女になってくれませんか?」
今度ははっきりと告げられた言葉。
私はぽかんと口を半開きにして呆けてしまう。
しかし、それを聞いてしまった周りの人達がキャーキャーと騒ぎ出した。そりゃそうだ。ここは同人誌即売会の会場。両隣には同ジャンルのサークルさんや、同人誌を買い求める人が大勢いる。
そんな中での公開告白。
岬君はそんなギャラリーも気にならないのか、ふんわりと微笑んでいた。
私はどんどん体が熱くなってくる。告白なんてされたのは初めてなのに、こんな公衆の面前だなんて。
少しの恨みを込めて睨んでも、岬君は涼しい顔だ。それどころか眼鏡の奥の瞳は肉食獣めいている。
「その様子じゃOKって事で良いんだよね。今日から君は俺のもの。俺は君のもの。もう逃がさないよ」
そう言って、頬にキスをした。
辺りは騒然とする。
あまりの衝撃に私は固まってしまった。岬君はそれすらも嬉しそうに笑う。
「ほんと、可愛い。これからよろしくね、笹塚さん」
わなわなと震えながら、私は叫んだ。
「なんなのよ! ︎︎学校とキャラ全然違うじゃない! ︎︎ヒュディ様に似てると思ってたのに、騙された!」
岬君は柔らかく微笑みながら、獲物を追い詰めていく。
「あ、やっぱりそう思った? ︎︎君の好みに合わせたんだよ。俺、化けるの得意なんだ」
私はその一言に、既に罠にかかっていた事を思い知らされた。
外はまだ残暑が厳しく、眩しい太陽が眩い。
それでも秋の気配は感じられる。
カーテンを揺らす風は、少しの冷気を含んでいた。
――明日は晴れるかしら。
帰りのHRで先生の連絡事項をぼんやりと聞きながら、私の思考は既にここには無かった。
私は自他ともに認める、クラスカースト最底辺の陰キャだ。制服はデフォルトのまま、長い髪を三つ編みにして、分厚い眼鏡をかけた姿は芋臭い。
友人達も似たりよったりだ。このクラスはありがたい事に、陽キャによるイジメが無い。ギャーギャーと煩いDQNとは違う、本物の陽キャ達だからだ。
その中心人物に、そっと視線を向ける。
そこには、欠伸を噛み殺している黒髪の少年がいた。
岬涼。
陽キャのわりに髪を染めたりしていない。制服もきちんと着ているし、ピアスなんかも見当たらなかった。
それも偏見かと、ひとつ溜息を吐く。
岬君は身長も高く、スポーツ万能、成績も良い。根っからのカースト上位男子。私とは真逆もいい所だ。
別に好きだとか、そういう訳じゃない。
ただ、推しに似ているのだ。
私は陰キャの例に漏れず、オタク趣味を嗜んでいる。昨今、アニメや漫画は日本の文化とも言われるようになってきた。それでも、オタクには中々に厳しい世の中だ。
既に飽和状態にあると言ってもいい、数あるアニメの中のひとつに、私は沼っていた。
小説を原作とするそのアニメはゲームにもなり、今話題の人気作だ。勿論小説もチェック済み。コミカライズもされ、一気に人気は広がった。
作風としてはありがちな無双モノ。
私も最初は忌避していた。こういった作品は得てして男子向けで、ハーレムやラッキースケベが多い。
しかし、たまたま観た物語をまとめた動画で、出会ったのだ。黒髪を靡かせ、颯爽と現れる、そのキャラクターに。
彼の名はヒュディ・ミューゼ。
物語のラスボスだった。
かませ犬的な存在で、何度も負けては逃げ帰る。その度に主人公は嫁が増えていく謎仕様。
それでも好きになったのは、キャラクターデザインの良さと、その声。
おそらく、アニメにならなかったら沼らなかった。
艶やかな黒髪に、鋭い瞳、皮肉を込めて笑う口元。そして、低く響くテノール。
アニメになった事で、その全てが活きた。制作会社も大当たりで、作画崩壊は全く無く、動きが滑らかで色気がある。
私は一目でヒュディ様に沼り、原作からコミック、声優さんまで調べあげ、現在に至る。
そんな中、二年になって同じクラスになった岬君を見て驚いた。まるで画面からヒュディ様が飛び出してきたかのようだ。
その日から、岬君は少し気になる存在になった。まぁ、所詮陰キャと陽キャ。どうこうなるはずが無い。
そんな燻る想い吐き出す場はあった。
沼ったオタクの行き着く先はひとつ。
そう、創作だ。
これは二次創作と呼ばれ、既存のキャラクターを使い、小説や漫画で妄想を爆発させるというもの。私はヒュディ様を主人公にした小説を書いている。勿論、原作遵守。非公式のカップルには興味が無い。ヒュディ様を支えるのはたった一人。最愛のシェリア姫だけ。
私はこの二人にぞっこんだ。不器用なヒュディ様、それを影から支えるシェリア姫。
――ああ、素敵。
妄想はとめどなく溢れてくる。それを形にする事が、目下私の原動力になっている。
そして、明日は待ちに待った同人誌即売会。新刊を携え、私もサークルとして参加する。その時に着る服も準備済み。
先生の話が終わって、号令がかかると、私は足早に教室を出た。
早く帰って、明日の準備をしなくては。
☆
翌日は雲ひとつ無い快晴だった。
朝は少し冷えるようになってきたけれど、今日は気持ちのいい日になりそうだ。
私は、キャリーバックを引きながら、バス停に向かう。サークル入場は9時からだから、早めに現地入りしよう。
本はスペースに搬入してもらう手筈になっていた。ヒュディ様に沼る前から活動自体はしてきているお陰か、今ではそれなりの数を売れるサークルになっている。
今日しか会えない人もいるし、今から楽しみで、自然と口元が緩む。
バスは目的地が同じであろう人が、幾人か見受けられた。ある種の共鳴とでも言おうか。同じ匂いがするのである。
ふと目が合えば、お互いぎこちなく頭を下げる。ここで特攻は禁物。同人活動には地雷も多いのだ。
私は車窓から外を眺める。会場に近付くにつれ、人が多くなっていく。皆この日を待っていたのだろう。どこを見ても笑顔ばかりだった。
バスを降りると、サークル入場口へと急いだ。今日のお品書きは、ヒュディ様×シェリア姫の新刊と、再販が三種。どれも五十冊用意した。
――楽しんでもらえるといいな。
その時の私は、浮かれていた。
☆
「シェリア姫のコスプレはしないの? ︎︎笹塚さん」
そう言うのはここにいてはならない人物。
「み、岬君……?」
いつもはキレイにセットされている黒髪は、無造作に揺れ、黒縁の眼鏡が目元を覆っている。最初は気付かなかった。だって、どう見てもモサい陰キャだったのに。
オタクだと思っていたこの人とは、面識があった。いつも来てくれるお得意様だったから。でも、話したのは今日が初めてだった。今までは、買ったら直ぐにスペースを離れていたのに、何故か今日はグイグイ来る。
開場直後、一番最初に新刊を手に取ってくれたのが、まさか岬君だなんて。
新刊を手渡した時、じっと見るから何かと思ったら、さっきのセリフだ。
岬君は更に続ける。
「いつものコスプレはしないの? ︎︎俺、好きなんだけどな。眼鏡無しの笹塚さん。眼鏡してても可愛いけど、外してる所って特別感あるじゃない? ︎︎楽しみにしてたのに。コスプレ姿も色っぽいしさ。でも今日みたいに髪、下ろしてるのも可愛い」
私の頭は大混乱だ。
「み、岬君? ︎︎何を言って……その格好は」
やっと絞り出した声に、岬君は首を傾げる。そして萌えキャラがプリントされたTシャツを摘むと満面の笑みを浮かべた。
「ああ、これ? ︎︎俺、こっちが素なんだ。めっちゃオタクだよ~。君が書くヒュディ×シェリアが好きで常連になったけど、いつの間にか君自身が目当てになってた。でも学校で声かけても素っ気ないから、今日は思い切って話しかけてみたんだ」
は?
確かに学校で何度か話しかけられた事はあった。でもそれは日直とかの事務的なもので、オタクトークでは無かったはず。岬君がそういった物を好むという話も聞いた事が無い。
「で、でも。岬君は学校では人気者で、オタクとは無縁で、かっこよくて。え、何。意味分かんない」
混乱した頭は爆発寸前だ。
だって、可愛いとか好きって何!?
本とかコスプレの事だよね!?
うん、岬君が私を好きとか有り得ない。
目を白黒させる私を面白そうに見ながら、岬君は言う。
「学校は社会に出るための予行練習だと思ってるから、身なりには気をつけてオンオフを切り替えてるんだ。笹塚さんはオタクなの隠してるみたいだったし、あまり話しかけるのも嫌がるかなって。でも、ここなら気にせず話せるでしょ? ︎︎ね、アフターどうかな。俺、ずっと君と話したいと思ってた。好きなんだ。笹塚さんの事。俺の彼女になってくれませんか?」
今度ははっきりと告げられた言葉。
私はぽかんと口を半開きにして呆けてしまう。
しかし、それを聞いてしまった周りの人達がキャーキャーと騒ぎ出した。そりゃそうだ。ここは同人誌即売会の会場。両隣には同ジャンルのサークルさんや、同人誌を買い求める人が大勢いる。
そんな中での公開告白。
岬君はそんなギャラリーも気にならないのか、ふんわりと微笑んでいた。
私はどんどん体が熱くなってくる。告白なんてされたのは初めてなのに、こんな公衆の面前だなんて。
少しの恨みを込めて睨んでも、岬君は涼しい顔だ。それどころか眼鏡の奥の瞳は肉食獣めいている。
「その様子じゃOKって事で良いんだよね。今日から君は俺のもの。俺は君のもの。もう逃がさないよ」
そう言って、頬にキスをした。
辺りは騒然とする。
あまりの衝撃に私は固まってしまった。岬君はそれすらも嬉しそうに笑う。
「ほんと、可愛い。これからよろしくね、笹塚さん」
わなわなと震えながら、私は叫んだ。
「なんなのよ! ︎︎学校とキャラ全然違うじゃない! ︎︎ヒュディ様に似てると思ってたのに、騙された!」
岬君は柔らかく微笑みながら、獲物を追い詰めていく。
「あ、やっぱりそう思った? ︎︎君の好みに合わせたんだよ。俺、化けるの得意なんだ」
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