年下王子の重すぎる溺愛

文月 澪

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第1章 開花

第3話 責務と呵責

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 お昼を過ぎて、午後一番に王宮からの迎えの馬車が到着した。汚れひとつ無い真っ白な車体は、金の縁どりが施され、国旗の御印みしるしである双頭の獅子が燦然と輝いている。二頭立ての馬も、毛並みが艶やかで、馬具も細かな部品ひとつまで洗練されていた。

 馭者ぎょしゃの衣装も、うちの執事より上等だ。深緑のテールコートに揃いのベスト。ブラウスにはフリルがあしらわれている。ともすれば可愛くなってしまう装いも、壮年の男性なのに落ち着いた雰囲気でとても似合っていた。

「お迎えに参りました。どうぞお手を」

 屋敷の門の前に馬車を停めると、ひらりと降り立ち扉を開けて、恭しく私の手を取りエスコートしてくれる。その所作も美しく、さすが王宮勤め。馭者でさえこれだけ訓練の行き届いた人員がいるとは。

 ネフィと共に馬車に乗り込むと、扉が閉じられる。椅子に腰かければ、その柔らかさに驚いた。我が家の最高級品であるサロンのソファより座り心地が良い。これなら屋敷から王宮までの道中も、お尻が痛くなる事は無いだろう。

 ネフィも向かいに座り、落ち着くと馬車が走り出す。ここから王宮までは数十分の道のりだ。

 我がフェリット家の王都での住居は、貴族街の片隅のある。今は伯爵家を名乗っているけれど、元子爵家。宛てがわれた区画が、市井の居住区に近かったのだ。陞爵しょうしゃくされた時に新居を構える事も提案されたらしいけれど、曽祖父や祖父は新しく屋敷を建てる事はしなかった。ここには思い出が詰まっているからと言って。領地にも屋敷はあるけれど、そちらは後継ぎである従兄弟が使っている。

 貴族街は円形に王宮を取り囲み、中心部に近付くほど高位貴族の屋敷が連なっていた。我が家のその外周は男爵家が多く、屋敷も伯爵家には少し見劣りする佇まいだ。それでも私は気に入っていた。

 遠ざかっていく屋敷を、ぼんやり見ながら馬車に揺られる。向かうはカイザークが誇る白亜の王宮。その美しさは世界でも指折りの荘厳さで、かつてはこの城を欲して、戦争を仕掛けてきた国もあった程だと言う。

 それが曽祖父が戦功を上げたデウアスタ戦役。約七十年前に起こったこの戦争は五年に及んだ。

 隣国ゲンジェードの当代国王ハミュット三世が進軍し、国境のデウアスタ草原での睨み合いが続いたのだ。

 しかし、先に音を上げたのは戦争を吹っかけてきたゲンジェード。曽祖父が少数の部隊を引き連れ、物資補給路を襲撃し孤立させる事に成功。そのままゲンジェード軍の背後に陣取り、戦場に取り残された兵士達は戦うまでも無く餓死していった。

 ハミュット三世は兵士達を置き去りにして逃げ延びたそうだけれど、戦犯として全ての罪を背負わされ、息子に首を刎ねられたとか。

 その戦功が認められて、曽祖父は陞爵されたという訳だ。

 今では、そんな戦争があった事さえ忘れかけられている。王都も戦禍に巻き込まれる事も無く終わり、国民に被害は出なかった。自国の戦争と言っても離れた国境で起こった出来事だ。関心も薄れるのが早い。我が家は曽祖父の恩恵にあずかっているから語り継いでいるけれど。

 そんな曽祖父が、妻である曾祖母そうそぼと出会ったのが現フェリット伯爵邸。旧友の妹として訪れた曾祖母に一目惚れした曽祖父はその場で求婚。妹を溺愛していた旧友と一悶着あったものの、無事に結婚できたと聞いている。

 屋敷はレンガ造りの二階建て。蔦の絡まる古い母屋はそう広くはないけれど、庭にバラ園があり今は花の盛りを前に蕾が膨らんできている。私はそのバラ園が大好きだった。代々フェリット家の女主人が大事にしてきた場所。十三歳で王都に移住した私の成長は、このバラ園と共にあった。

 殿下との結婚が実現したら、この屋敷とも別れなければならない。王宮と比べるなんて不敬かもしれないけれど、私にとってはかけがえのばい場所だ。帰って来れないなんて事はないと思うけれど不安は募る。

 王妃としての仕事も多忙を極めるだろう。私は淑女教育を受けたとはいえ、それは貴族としての教育だ。王妃となるとまた勝手が違う。

 溜息を吐く私に、ネフィが控えめに声をかけてきた。

「リージュ様、殿下との婚姻はお嫌ですか? ︎︎貴族の令嬢ならば誰しもその地位を望みます。国母ともなればその権力は絶大です。何かお気になる事でも? ︎︎意中の殿方がいらっしゃる訳でも無いのでしょう? ︎︎この気を逃しては、ご結婚も難しくなってしまいます。それは私共としましても、あまりに不本意です。殿下は誠実な為人ひととなりとお聞きしております。お歳は離れておいでですが、それも五つ差。きっと大事にしてくださいます。何より、殿下のご所望なのですら」

 その口ぶりに、私は苦笑いを浮かべる。

 私は別に、殿下を嫌っている訳では無いのだ。お会いした事もないのに、勝手な憶測で判断するのは無礼だろう。

 ただ、戸惑っているのは確か。十三歳になられたといっても、まだ幼い殿下の求婚はまさに青天の霹靂だった。しかも父の口振りでは、殿下御自おんみずからの申し出だと言う。

 実の所、この「十三歳から婚約解禁」というのも、建前に過ぎなかったりする。実際には幼い頃から、両家の関係如何によっては生まれた時から、婚約の約束を取り付けるのだ。そして十三歳のお披露目パーティーを経て、正式に書面で契約を交わす。

 これは二百年ほど昔、規約が無いのをいい事に、金に物を言わせ、多くの幼い少年少女を手篭めにしていた高位貴族がいたからだそうな。その被害者は貴族を始め、国民にまで広がった。

 それを重く見た当時の国王陛下が、この規約を作ったのだ。それと同時に一夫多妻制も廃された。国王陛下も、その御身おんみを持って誠意を示され、諸侯もそれに倣い、この規約は今なお続いている。

 私にも、かつては婚約候補がいた。父の幼馴染の伯爵家次男で、我が家に婿入りして跡取りにと決まっていた方だ。それが何故か突如として白紙になった。父は勿論問いただしたそうだ。でも、しどろもどろに言い逃れられてしまった。その理由は、今でも分かっていない。その後も、他の諸侯に婚約を持ちかけるも皆口を揃えて否と応える。

 父は隠していたつもりみたいだけれど、私は苦心している様子をこっそり見ていた。そしていつからか、自分に欠陥があるのだと気付く。きっとこの容姿も、そのひとつだろう。貧相な体つきに、可もなく不可もない相貌。

 勉強ができるのも嫌われる要因かもしれない。本来なら婿を迎える予定だったのだから、領地経営の助けになればと頑張ったのが裏目に出てしまった。

 さとい女は嫌われる。

 しかし馬鹿でも困る。

 ひっそりと裏方に回り、陰ながら夫を支える良妻賢母。貴族界ではそれが理想とされている。子供だった私はそれに気付けず、同じ年頃の男の子達を負かす事を楽しんでさえいた。そんな都合のいい事、なんて馬鹿馬鹿しいんだと。

 でも、その結果が今の私。

 誰にも相手にされず、家のために結婚することさえできずにいる。夜会ではいつも壁の花。友人達が婚約者と踊る姿を遠目に見ているだけだった。

 その友人達も、既に結婚して子供がいる。それなのに私は父の役にも立てず、すねをかじる生活だ。仕事を手伝おうにも、領地は従兄弟が回している。その従兄弟にも婚約者がいるから、私の出る幕は無い。

 従兄弟とは近い内に養子縁組をする事になっていた。従兄弟は年上だから兄になる。仲も良好だから、邪険には扱われないだろう。それでも邪魔者な事には変わらない。領地経営を順当にこなしたら、この王都の屋敷に移り住んで、騎士団に入る予定だ。領地の自警団にも所属して、しっかり鍛錬を続けていて実力も折り紙付きだという。

 領地は管理人ランドに任せ、実務を王都で処理する。王宮に出仕する貴族は、基本この形を取っていた。たまに管理人が領地を乗っ取る話も聞くけれど、それは本当に稀だ。フェリット家の管理人は、何代にも渡り仕えてくれている信頼出来る人物で、私も幼い頃遊んでもらった。

 思い出したら思わず笑ってしまい、ネフィが怪訝な顔をする。

 あの頃は楽しかったな。婚約だとか、そんな事気にも止めないで、領地の山を走り回っていた。勉強も楽しくて、家庭教師の先生を質問攻めにして困らせたっけ。裁縫や料理も、少しずつ上達するのが嬉しかった。メイド達に手作りのお菓子や刺繍した小物を贈ると喜んでくれて。お世辞も混じっていたとは思うけど。

 でも、それもお披露目パーティーを境に徐々に減っていった。十三歳で王都に来てから習ったのは、主にお茶会の作法。そこで手作りのお菓子を出すのは失礼だと言われた。刺繍は許されたけれど、それ以外の小物作りは淑女らしくないと止められ、その代わりにダンスを叩き込まれる。

 正直、ダンスの練習は苦痛だった。友達でもない男性にくっつき、複雑なステップを練習させられ、靴も踵が高くてすぐに痛くなる。今はそれにも慣れたけれど、せっかく習得したダンスは披露する機会も無い。

 小さく溜息を吐き、窓の外を見ると城門前の広場に差し掛かっていた。

 大きな門と、そびえる城壁は圧巻だ。何度見ても威圧されるそれは、王家の権威を表している。このカイザークは海を擁する事から貿易が盛んで、その分税収も多い。夏には避暑地にもなるから、観光客にも好評だ。その上、この城の美しさ。国王も人徳者とあって、移住希望者も多いと聞いた事がある。城下町も栄え、いつも賑わって盛況だ。

 ――そんな国の王妃に、私が?

 不意に頭を過ぎった考えに、私は震えた。

 それはあまりに重い責務。一介の伯爵令嬢に過ぎない私に務まるのか。王妃ともなれば、幼い頃からの教育が求められる。お茶会にしたって、ただの世間話とは訳が違うのだから。相手は他国の王妃や姫君だろう。そこでの失態は国の威信に関わる。ひいては、私を望んでくださった殿下の失墜。

 ――それだけは嫌!

 ここに来て、私は自分の考えの甘さに気が付いた。この婚約も殿下の気の迷いだと高を括り、貧相ななりを見れば、すんなり開放されると思い込んで。

 でもそれは、殿下の進退に関わる事だ。こんな私を見初めてくださった殿下にご迷惑をおかけするなんて、そんな事あってはならない。この婚約は破棄してもらおう。父にも責め苦が行かぬようにして。

 私が全てを背負う。

 例え打首になっても、それが殿下の、この国のためだ。

 そう心に決めて、開かれた扉から一歩、足を踏み出した。
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