下級兵士は皇帝陛下に寵愛される

月見里

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第8話

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 飲まず食わずで6時間。甲冑姿で王宮の門番の仕事を務めたウィリアムは、ダラダラと汗をかきながら甲冑の兜を脱ぐ。
 普段なら仕事終わりは暑い、疲れた、腹が減った、喉が渇いたの四重苦で済むが、今は早く甲冑を脱ぎ捨ててどこかでしゃがみ込みたいぐらいに体が悲鳴を上げていた。じくじくと痛む噛み跡も厄介だったが、それなりに重い甲冑姿で長時間経つというのは案外と腰に来る。40を越えた先輩兵士たちが門番だけは絶対に二度とやらないと言っていた理由が今さらながらに理解できた。

「なんだ、ウィリー。いつにも増して疲れてるな。トラブルでもあったか?」
「顔が近い、イザック。今日は平穏無事で何もなかった」

 がしっと首に腕をかけられ顔を覗き込まれたウィリアムは顔をしかめながら体を少しだけ仰け反らせる。たったそれだけで腰が痛みを訴えてくるのだから始末に負えない。はあとため息をつけば、イザックと呼ばれた男は目を瞬かせた。

「やけに色っぽいため息だな。なんだ、ついに処女喪失したか?」

 本人的には冗談なのだろう。からかうように笑いながらイザックは尋ねる。

「した」
「…………はっ?」

 顔を強ばらせたイザックは首に回していた腕を解くとウィリアムの体を無理矢理向きを変えて、両肩に手を置いた。突然のことに抵抗1つできなかったが、体に走った痛みにいつか叩きのめすとウィリアムは密かに決意する。これで4つ年上の先輩兵士でなければ一発ぶん殴っていたところだ。

「いつ!?」
「一昨日」

 誘われれば遊びの相手なら男女問わず寝ていることは広く知られている。女役は相手が誰であろうと断ることも、遊びに慣れていなそうな本気の告白も一切断っていることもあり、一時は賭けの対象にされていた。今では賭けにならないとそういった遊びはなくなったが、そういえばイザックも賭けに度々参加していたなと胡乱な目で見る。

「相手は誰だ!? って、なんだよ、その目はっ」
「誰だって良いだろう」
「いやいやいやいや」

 うるさい男だと手を振り解くと、脱いだ兜を抱えたまま歩き出す。さっさと甲冑を脱いで手入れを済まさなければ、食事を取ることも風呂に入ることもできない。イライラとしながら歩き出せば、イザックは慌てて先回りして立ち塞がる。

「待て、ウィリー」
「こっちは体の痛みと腹が減ってて気が立ってるんだ。さっさとそこをどけろ」
「俺は先輩! いや、うん、色々と悪かった。けど頼むから相手は誰なのか教えてくれっ」

 14歳以上の健康な男であれば平民だろうが孤児であろうが入隊試験を受けられる。半年に一度行われる入隊試験において14歳で兵士になれるのは少ない。合格者は15歳から16歳の少年が大半で、中には20歳を超える者もいる。ウィリアムもまた同年代の少年たちに混じって試験を受け、成績1位で試験を突破した。その時の試験官の1人がイザックでもあった。
 年齢で言えば4つ年上のイザックは14歳で試験を突破していることもあり6期先輩だ。通常ならばため口をきくことは許されないが入隊試験で試験官だったイザックを伸したせいか、以来色々と面倒を見てくれるようになり、気づけばため口をきくようになっていた。
 帝都の学園に在籍していた過去をあげつらい生意気だと先輩たちからの指導が入りそうになったときも間に入って仲介してくれたり、こそっとイザックが裏から手を回してくれていることを知っているだけに中々無下にできない。必死に懇願するイザックの怯えように、果たして裏に誰がいるのか。
 帝都の学園に在籍していた頃親しくしていた同級生か、はたまた先輩の誰かか。道が分かれたというのに、彼らも中々に諦めが悪い。そういえば後輩の中にも犬のように慕ってくれた奴がいたが、あれで次期伯爵当主だというのだから世の中というのは分からないものだ。

「どこの誰かは知らねえ」

 むしろ知りたくはない。聞けば教えてくれそうな雰囲気だったが、怖くて聞けなかった。聞いて面倒ごとに巻き込まれたくもない。

「お前あんだけ誘いを断り続けていたのに、行きずりの相手と関係を持ったのか!?」
「行きずりの相手というか、1人で酒を呑んでいたときにだけど」
「なんで!?」
「金貨を積まれたから?」

 妹であるリタの治療費ほしさに誘いに乗ったが、目の前にあれだけの金貨を積まれて拒否できる人間がいたら連れてきて欲しい。ねっとりとした視姦するような視線を向けられても不快感がほとんどなかったというのが大きかった気もするが、あれだけ金貨を積み上げられたら誰であろうと拒否していなかったはずだ。

「……もしかして相手は貴族か?」
「公爵家か侯爵家のご当主様ぽかったな。護衛も7人いた」
「ちなみに全員すぐに気づけたか?」

 段々とイザックの顔が険しくなっていく。貴族の当主の護衛に7人は何も珍しくはない。上位貴族としては少なくはあるが、帝都でのお忍びともなれば妥当な人数とも言える。

「5人まで。6人目は一瞬の気配の揺れで気づけたけど、7人目は全く」
「本物の御貴族様じゃねえか! お前が気づかない護衛がいるってなれば、公爵家か大公家か……」

 さあとイザックの顔が青ざめる。だからこそウィリアムも正体を知りたくなかった。
 幼少の頃から騎士であった亡き父に鍛えられ、帝都の学園の騎士科に在籍していただけあり、人一倍気配には敏感だ。胸がざわつくと仕掛けられた罠に真っ先に気づくのもウィリアムだった。危機管理能力もあり、常になり手が少ない門番だというのに一斉検挙などといった人手が足りない時には真っ先に借り出される。その分手当てが増えることもあり文句を言ったことはないが、休みなく働くことになり中々にキツい。
 部署異動の誘いを何度か受けたこともあるが、門番という仕事はキツくはあるが毎日自宅に帰れる上に給料がそれなりに良いと選んだこともあり、今のところウィリアムは全て誘いは断っていた。

「なんつー大物を引っかけるんだよ!」
「知らねえよ」
「えっとな、ウィリー。もしもだ。もしも他の誰かに誘われたらお前寝る気ある……?」
「同じだけの金貨を積み上げるなら」
「ちなみにいくら……?」

 ごくりとイザックは息を呑む。ふっと笑ったウィリアムは耳元に唇を寄せる。

「公爵家のご当主様だなってぐらい」

 周囲には誰もいなかったが耳元でささやいてやれば、パッとイザックは体を離した。

「お前なっ。俺だからまだ良いが、お前のことを狙ってる奴にはやるなよっ」
「やらねえよ。イザックだからやってるに決まってるだろう」
「年々お前の小悪しょうあくさに磨きがかかってきて怖い! 俺が鞍替えしたらどうするんだよ」

 胸が大きな女性が大好きで、おっぱいがない相手じゃなければ勃たないと公言してはばからないイザックだからこそ仕掛けられるイタズラでもあった。周囲もそれを分かっているからこそ、イザックがウィリアムの面倒を見ていても可愛い弟分ができたのかと微笑ましく眺められていることも知っている。

「鞍替えしたら言え」
「ウィリアム……」
「お前の半径2メートル以内には近づかないようにする」
「ウィリー!!」

 イザックをからかうのもそろそろ飽きたウィリアムは、さっさと立ち去る。用はもう済んだのか、イザックが追いかけてくることはなかった。







 窓の外の闇もより一層深まり、そろそろ寝室で休もうかと呑んでいたワインを飲み干そうとしていたサンチェス帝国皇帝アルフレード・ノエ・オクタヴィアン・サンチェスは、現れた人影に笑みを深める。

「案外と早かったな」

 ウィリアムの経歴を徹底的に調べ尽くせと命じてから1日半。兵士とはいえ相手が平民ならばもう少し時間がかかると思っていただけに、調査を命じた影が書類片手に現れ、ウィリアムにはディーノと名乗ったアルフレードは気分が良くなる。

「それで。あれの経歴は?」
「ウィリアム・エドワード19歳。本人の申告通り王宮西門の門番でした。住居は平民街の西区にある築74年ほどのアパートメント2階。家族は13歳の妹が1人です。両親は3年前に事故死。父親含め5代前まで代々騎士の家でした。両親の事故死により中途退学しておりますが、帝都の学園の騎士科に丸2年在学経歴あり。2年時最終成績は学科7位、実技3位、総合5位の中々の好成績でした」
「それだけ実力があったのなら、騎士であった父親が亡くなっても学費援助の話があったはずだ」

 優秀な人材はどこの家でも欲しがっている。総合5位の成績優秀者が中途退学するなど余程性格に問題でもない限りあり得ない。口こそ悪かったが、平民に混じって兵士をしていたならあれぐらいは普通だ。性格に問題があるように見えなかったが、3年の間に矯正でもされたか。

「本人の問題ではなく、妹であるリタ・エドワードが原因の1つだったようです。生まれた時から成人まで生きられるか分からないと診断されるほどの病弱で、成人したとしても子を望める可能性は低いこともあり引き取り手が皆無でした。ウィリアム・エドワードには養子の話が数多ありましたが、妹のリタ・エドワードも一緒にと条件に加えたところ0に。孤児院への引き取りの話もありましたが、病弱な身では成人まで生きられないとウィリアム・エドワードが全て拒否しています。兵士の入隊試験が間近に迫り、周囲からの反対を押し切って学園を中途退学し成績1位で試験を突破後、一時的に親戚に預けられていたリタ・エドワードを引き取り今の住居に越しています」

 慈善事業ではない。将来有望な人間に手は差し伸べられても、利益を出さない人間までにはその手は伸びない。病弱ながら10歳まで生きられたのは両親という無償の愛情を注いでくれる保護者がいたからだ。治療費に金がかかるだけではなく、政略結婚の駒としても使えないのでは誰も引き取りに手を挙げたりしない。子どもを産めないだけなら後妻という手もあるが、病弱ではそれも無理だ。
 それをすぐさま肌で感じ取り、妹と共に2人で生きていくためにさっさと学園と周囲に見切りを付け、兵士へと転向したウィリアムの素早い判断は賞賛に値する。周囲にしてみれば反対の意見となるだろうが、お陰でアルフレードはウィリアムを手に入れることができた。

「入隊試験1位通過で門番なのは?」
「どうやら本人の希望の様です。夜勤なし、日勤のみで毎日帰宅できる部署を希望したようですが給料の面で折り合いが付かなかったようで、週1のみの夜勤を条件に門番を選択しています。周囲から部署異動を打診されても、全て断っています」
「なるほど」

 本人の要望があろうと時に無情な命令によって部署異動が行われるが、ウィリアムの場合そんなことになればさっさと兵士を辞めてしまうだろう。あれはそういう男だ。周囲もそれを分かっているからこそ無理な部署異動を命じていない。そうでなければ門番などウィリアムの才能を無駄にしている。

「周囲があれの扱いについて手をこまねいているのが目に浮かぶ」
「セシル家、グディエ家、バジェス家の嫡男同士が睨み合い、誰も手を出せないようです」

 伯爵家2家と侯爵家の嫡男の三つ巴となれば、おいそれと誰も手も出せない状況だった。まさか横からかっ攫われることになるとは思わずに。

「あれは人たらしか? まあ良い。監視は引き続き行え」
「はっ」
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