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第三章「一線を越える」
第19話「一線を越える」
しおりを挟む緊張する。私の手と足はプルプルと震える。その震えが、私の席の机と椅子を他のクラスメイト達の耳には聞こえない程度に揺らす。
「青葉満君」
「はい」
満君が自分の席を立って、石井先生の前へ行く。石井先生が手元の課題テストの束から満君の解答用紙を取って満君へ渡す。石井先生は古典担当の教員だから、渡すのは古典の課題テストだ。だから私は緊張しているのだ。満君にたくさん教えてもらい、テスト本番でも全力を尽くしたものの、若干の不安が残る。
「よく頑張ったね」
「ありがとうございます」
満君と石井先生は互いに見つめ合いながら笑う。どうやらなかなかいい点だったようだ。私はさらに緊張する。石井先生は引き続き生徒を一人ずつ呼び出し、解答用紙を渡していく。渡された生徒達はそれぞれ喜怒哀楽様々な表情を顔に浮かべる。
「桐山裕介君」
「ふぁい!」
裕介君は元気よく返事し、膝を大きく上げて石井先生の前に躍り出る。石井先生がにこやかに笑う。おや?これは彼もいい点数を取った感じでは?
「はい、追試♪」
「...え?」
いや、そんなことなかった。読めないわね。このクラスでは、30点未満の点数を取った生徒は赤点とし、追試を強制されるという。恐ろしい。私も赤点だったらどうしよう...。もしそうだったら...。
「もっと頑張りたまえ」
「ちくしょぉぉぉぉ!!!」
その後も、数人の追試を強制された生徒達が続出しながらも、順調に解答用紙が返却されていった。
「神野真紀さん」
「は、はい!」
とうとう私の番だ。かくかくした足取りで石井先生の元へ向かう。横目で満君の様子を伺う。満君も心配そうに私を見つめ返してきた。冷や汗が止まらない。緊張のあまり、目を閉じてしまう。
「え、えっと...」
「そんなに身構えることはないよ。ほら」
石井先生から解答用紙を受け取る。触れた手で用紙が湿る。私はゆっくりと目を開ける。
78点、赤い字で78点と書かれていた。私が78点を取ったのだ。見事に赤点回避だ。信じられない。こんな点数今まで取ったことないわよ。
「なかなかいいスタートをきったね」
「やったぁぁぁ~!!!!!」
私は万歳した。
私は満君と一緒に家に帰り、解答用紙をママに見せつけた。
「見て!ママ!78点よ!」
「...やるじゃない」
「それじゃあママ、覚えてるわね?約束」
「覚えてるわよ。遊園地、楽しんでらっしゃい」
悔しい顔をして歯ぎしりをするママ。実は、私はママと約束をしていた。古典の課題テストでもし赤点を取らなかったら、遊園地に遊びに行ってもいいと。ドリームアイランドパークのペアチケットをもらった件をママ達に報告した際、ママにダメ出しをされた。過去の人間が大勢いる場で、もし自分の正体が未来人であることがバレたらと、余計な心配をかけてきた。それでも私は諦め切れず、何度も何度もお願いした。その結果、先程の条件を満たせば遊びにいくことを許可するという話になったのだ。
「やったね満君!遊園地だよ!」
「そうだね」
満君も一緒に喜んでくれている。優しい。ママをぎゃふんと言わせたこともあって、いい気分だ。私が古典が苦手なのをママは知っている。だからこそ、条件の課題テストの教科を古典にしたのだろう。だが、私が休みの日に満君に古典の勉強を教えてもらっていたことまでは知らない。日頃から満君の家の掃除ばかりしていて、私はそっちのけだったもの。今回は私の完全勝利だ。
「でもいいわね?くれぐれも...」
「はいはい。未来人であることを他の人に知られないように、でしょう?何度も言われなくてもわかってるわよ」
もうこの時代での生活にはいい加減慣れた。こんなところでボロなんて出すわけがない。
「満君、真紀のこと、よろしくね」
「はい...」
「ねぇ!さっそく準備しよ♪」
「あぁ」
出発は次の日曜日。実に楽しみだ。
そして、小説の世界というものは時間があっという間に過ぎていくから本当に都合がよくて助かる。もう今日は日曜日だ。私はいつもよりおしゃれな格好で出かけるのだ。クリーム色のレーストップスに薄オレンジ色のフレアスカート。遊園地というひたすら動く場所にスカートはどうかと思われるかもしれないけど、せっかくのお出かけだもの、おしゃれしたいでしょ?
「ふぅ~♪」
パパとママが寝床に使っている満君の家の物置部屋で、私はカーテンを開け、窓からの白い日差しを目一杯浴び、息を吸い込む。一日の始まりは気持ちよくいかなきゃ。そして、これからもっといいものになるといいな。なんてったって満君と遊園地だもの!満君と...
「...」
私は満君からもらったドリームアイランドパークのパンフレットを手に取って開く。細かい説明書きと共に写真がずらりと載っている。若者世代の人々がおもいっきり楽めそうなアトラクション、美味しそうなレストランの料理、綺麗で素敵なイルミネーション、楽しむイベントは盛りだくさんだ。
そして、おまけとして添えるかのように表紙の右上に「カップル必見!極上のデートスポット」と書かれてある。小さいフレーズに私は大きく反応してしまう。
「カップル必見のデートスポット...。カップル...///」
意識せずとも頬が染まるのが本当に厄介だ。私が私でないような気分だった。しかし、その気持ちに気づいた後も、満君の前ではいつも通りの姿で居続けた。そもそもの話、こんなことはあってはいけないのだ。私は未来人なのだから。しかし、あってしまった。今のこの格好だって、絶対満君のことを意識している。バカな私だ。本当に、私は満君のことを...
「真紀~、準備できたかい?」
「あ、うん!できたよ!今行く~」
私は鞄を持って部屋を出ていき、階段を下りる。この気持ちは引き続き、隠しておこう。明るみに出したら、本当にまずい。私は引き返せなくなるだろう。
「お待たせ...」
「真紀...その格好...」
厚い白シャツに黒色のジャケット、紺色のチノパンを履いた満君。満君もおしゃれをしてきたようだ。私を意識しているわけではないわよね。でも、認めるわ。すごくカッコいい。私今、軽くきゅんときてる。さて、私のこの格好、満君はなんと言うかしら?
「すごく似合ってるよ!可愛い!」
「あ、ありがとう...///」
まぁ満君だし、誉めるわよね。そして案の定照れる私。なんのシナリオよ。
「満君もカッコいいよ」
「ありがとう...///」
満君も照れる。何よ、カッコいいのか可愛いのかはっきりしなさいよ!まぁいいけど。満君のはっきりしないそんなところがすk...結構気に入ってるから。
「ただ...真紀。可愛いけど、遊園地行くのにスカートはどうかと思うよ」
あぁ、惜しいわね満君。服装に文句は言っちゃダメよ。女の子相手だと特にね。
「二人ともすごく似合ってるわ♪青春ね~♪」
お母さん...なんか僕らより楽しんでないか?ともかく、僕らは靴を履く。
「真紀、あんまり羽目を外さないでよね」
「わかってるってば~」
「満君も、真紀をしっかり見張っててね」
「は、はい」
「私は問題児かっての!」
ひたすら念を押す愛さん。確かに遊園地は学校より遥かに人が多く集まる場所だ。心配になる気持ちはわかる。だけど、やっぱり純粋に楽しませてあげてもいいんじゃないかと思う。せっかくの遊園地なんだから。
「二人とも、楽しんできてね♪」
その反面、僕のお母さんは完全に僕達を見て楽しんでいる。「これから遊園地デートね♪あなた達、男女カップルみたいで素敵よ💕」みたいなことを思っているのだろう。カップル...か...。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってきま~す!」
「行ってらっしゃい♪」
「行ってらっしゃい」
僕は真紀を先に外へ出させ、玄関のドアを閉める。
「...」
そういえば先程からアレイさんがやけに静かだ。何か考えこんでいる。顔の表情が何か...いやな予感を察知しているかのような...。どうしたのだろうか。だが、その顔が見えたのは一瞬だけで、すぐに玄関のドアが閉まって見えなくなった。
「ふぅ...ん?アナタ?どうかした?」
「え?あ、いや、何でもないよ」
「わぁ~!海綺麗~♪」
「そうだね」
真紀が電車の窓ガラスに鼻がつくまで顔を近づけて、流れる外の景色を眺めている。太陽に照らされた青い海が水平線の遥か彼方へと広がっている。この光景を見ただけで、たちまち心が癒される。電車のガタゴトという音とうまいくらいにマッチして、雰囲気も心地よい。
「綾葉ちゃん達に感謝だね!」
「そうだ、お礼言うのすっかり忘れてた!」
いけないいけない。僕は鞄から携帯を取り出してLINEのアプリを開く。いつものメンバー5人のグループにメッセージを送る。
“今電車に乗って向かってるところ。チケット本当にありがとね。真紀と楽しんでくるよ”
* * * * * * *
「メッセージ受信。おぉ!よっしゃあ!」
「どうだって?」
「今電車で向かってるところだとよ。真紀ちゃんと一緒にな」
「やった~!作戦成功♪」
裕介の家で、96回の福引きで当てた商品や、七海商店街で購入した菓子類を堪能しながら、満とメッセージのやり取りをする四人。
「まぁ、進展するかどうかは満の努力次第だがな」
「もう...すぐそういうこと言うんだから~」
「事実だろ」
ゲーム屋で購入したゲームソフトで遊びつつ、軽く横槍を入れる広樹。
「俺にもおはぎくれよ」
「だ~め!あげな~い」
「酷ぇ!俺が福引き全部回したのに!」
「私も福引き券のお金出したし~」
七海商店街の和菓子屋で購入した和菓子を取り合う四人。
「俺だって出したよ!」
「だ~め~」
「なんか...エロいな」
「おい」
今日も裕介の変態っぷりが炸裂する。メンバー内が平和な証拠だ。
「それにしても、やっぱり心配だわ。あの二人...ちゃんとうまくいくのかしら...」
「大丈夫だよ。私達が思ってるよりもあの二人、結構進んでたから」
「え?」
いつになく自慢気な美咲。
美咲はあの時気づいていた。満と真紀にドリームアイランドパークのペアチケットを
渡しに行ったあの日。満の家の玄関に、真紀の靴が置いてあった。美咲だけが気づいていた。同居している、とまでは考えは及ばなかったが、せめて家に誘えるくらいの勇気を満は持ち合わせていた。美咲はそう解釈した。あの時、たまたま真紀が満の家にいたのは謎だが、二人が良好な関係を築けていたことだけで何よりだった。
「だから、祈ろう」
「...そうね」
“頑張れよ、満”
広樹がメッセージを送信した。他の三人も、満と真紀の間に新たな進展があることを心から願って、おはぎを頬張った。
「うま~い!」
* * * * * * *
最寄り駅に近づくにつれて、車内は遊園地目当ての乗客で溢れかえって混雑する。
「く、苦しい...」
「真紀、我慢だよ。次で降りれるから」
中にはドリームアイランドパークのマスコットキャラクターのアクセサリーを身につけた女子高生達や、子どもを連れた家族、老夫婦まで、たくさんの乗客がいた。こんなにたくさんの人が来るのか。眺めているうちに電車のスピードが遅くなり始め、僕達が降りる駅のホームが窓の外に流れてきた。
「あっ、ここで降りるのよね!?」
「あぁ」
「うわぁぁぁぁぁぁ~!!!!!!!!」
入り口のクルーにチケットを見せ、ゲートを通り抜ける僕達。その先はもう夢の世界だ。真紀は僕を置いて走りだし、離れたところで一人園内をぐるっと見渡す。周りはジェットコースターに乗った客の絶叫や、道行く人達の和気あいあいとした話し声、各地にまばらに設置されたスピーカーからの爽快なBGMなど、様々な楽しい音でいっぱいだ。遊園地のこの賑やかさが、僕は結構好きだ。そして...
「満君~!早く行こ~!」
「待ってよ真紀~」
真紀のことが...いや、今は一旦忘れよう。ただ純粋に遊園地を楽しむとしようじゃないか。
「満君!まずはアレね」
「ん?」
キャアァァァァァァァ~!!!!!!!!
そのアトラクションを見ずとも、客の絶叫が聞こえてきた時点で察することができた。
カタカタカタカタ
ゆっくりとコースターが急なレール上を登っていく。ジェットコースターのこの音が嫌な人もいるだろう。僕も嫌というわけではないが、この音は心臓に悪いと思う。ぶっちゃけ言うと怖い。
「わぁ~!いい眺め!遊園地全体が見渡せるわ♪」
真紀は心の底から楽しいと思い込んで、自分で自分の中の怖さを紛らわすタイプらしい。たくましいなぁ。って、真紀を見ていたらあっという間に一番上までコースターが到達していた。ここから猛スピードで一気にかけ降りるのだ。
「落ちるよ...!」
真紀が目を細め、僕の着ているジャケットの袖を指先で掴んできた。
「え?あっ...」
真紀の怖がる姿を見て、一瞬きゅんときた。可愛い女の子に袖を掴まれたら、男は
誰だってきゅんとくるものだと裕介君が言っていた。それが今のこの気持ちなのかな。なんて思っていたのもつかの間、コースターは乗客の絶叫と共にレール上を猛スピードで降りていった。
ガガガガガガガガガガ
落ちる瞬間、体がふわんとした。この感覚が少し苦手だ。軽くGを感じるこの感覚が。ジェットコースターが苦手だという人の大半はこの感覚が原因だろう。
「キャアァァァァァァァ~!!!!!!」
真紀も大絶叫をあげる。猛スピードで体が風を切る中、横目で真紀を見る。目をつむって左手で安全バーにしがみつき、右手は僕のジャケットの袖を掴んでいる。なんか...器用だな...。楽しんでいて何よりだ。
終わった。結構体にくるな...。一発目からジェットコースターはちょっときついかも。それでも真紀はさっきまでの絶叫が嘘のように、楽しそうに次のアトラクションを選ぶ。さっきの衝撃があったにも関わらず、全然疲れてないんだなぁ。
周りを見てみると、男女のカップルでいっぱいだった。さっきのジェットコースターの感想を言い合ってる。仲良く腕を組ながら。
「次はアレよ!早く行こう!」
真紀が僕の右腕を両腕で掴んで引っ張る。本当に楽しそうだ。僕も楽しい。
僕達も、端から見ればカップルみたいに見えるのかな?
* * * * * * *
「...繋がらないわね」
「相変わらず今日もダメか」
満の家に残った愛とアレイは、タイム・テレフォン片手に必死に時間監理局に連絡を取ろうとしていた。この時代に来てからの日々の日課となっていた。もはや自力でのタイムマシンの修理は不可能と見なし、時間監理局の方から救助を要求しようという判断に至ったのだ。しかし、ワームホールの乱れは今もなお続いているらしく、毎度毎度雑音が聞こえるばかりで繋がらない。
「もう一回やってみる」
「あぁ...」
何度も電話をかける愛を、アレイは静かに見守っている。
ザザザザザザザ
うるさい雑音が耳を傷めつける。今回もダメかと思い、通話を切ろうとしたその時...
「...も...もし..し...もしもし?こち...ら...じ...んり...くです!」
声が聞こえた。雑音と混ざってはいるが、初めてタイム・テレフォンから聞こえた人間の声だ。雑音は次第に弱まっていく。
「もしもし?もしもし?」
愛も必死に呼びかける。未来と繋がったのだ。小さな藁をつかむ勢いで、愛は何度も応答する。
「もしもし?こちら神野愛です!時間監理局の局員さんですか?」
「はい...こち...ら、時間監理局時空災害対策課の者です。緊急事態ですか?」
愛の電話でのやり取りを見て、アレイも時間監理局に繋がったことに気づく。
「はい!今、過去の時代から呼びかけています!私達、時空難破に遭ってしまって。救助を要請します!年代は...」
愛は、自分達が今いる時代と状況を詳しく説明する。時間監理局の局員も必死に聞き取る。
未来との連絡がついた。だが、そのことを真紀は知らない。
* * * * * * *
「ん~!たくさん遊んだ~♪」
「ちょっと疲れちゃったよ」
園内のレストランで僕達は休憩している。お昼ご飯を食べ終えたところだ。ドリームアイランドパークのマスコットキャラクター、アイラ君というアザラシをモチーフとしたキャラクターがいるのだが、そのアイラ君の顔に似せたオムライスを食べた。食べ進めていく度にアイラ君の顔がケチャップと共に崩れていき、グロテスクだった。まぁ、そんなことはどうでもいいか。
今は次のアトラクションは何に乗ろうかを検討しているところだ。お化け屋敷、コーヒーカップ、メリーゴーランド、色々乗った。最新鋭のVR技術を搭載した近未来コースターなんかもあったなぁ。真紀のいた未来にもこういうのがあるのかな?それかもっとすごいやつが。とにかく楽しかった。疲れたけど...。
「何よ~、まだ全部乗ってないでしょ?」
「全部のアトラクション乗る気でいるの!?」
「当たり前じゃない!せっかく来たんだし。次もいつ来られるかわからないじゃない。全部制覇するわよ~!」
すごい気力だなぁ。でも、言う通りかも。アトラクションを全部制覇する勢いで楽しもうか。
「次行くわよ!」
僕らは今、観覧車に乗る客の列並んでいる。これが最後のアトラクションのはずだ。本当に全部廻ってしまうとは思わなかった。まぁ、長者の列に毎度並んでいては不可能なので、別売りをしていた時間短縮できるチケットを買っておいて正解だった。おかげで長時間並ばずに進むことができ、パレードなどを除く全てのアトラクションを制覇することができた。その分限りあるおこづかいがだいぶ飛んでいったが...。だが、僕自身もまだ乗ったことがないアトラクションに真紀と一緒に乗ることができた。初めての経験がいっぱいあった。これも真紀のおかげか。
「お待たせしました。ゆっくりお乗りください」
「行こ♪」
「うん」
時刻は午後6時40分、園内は夕日に照らされて赤く燃えていた。ゴンドラの中からそれを眺める。
「わぁ...夕日綺麗♪」
「そうだね」
真紀はずっと窓の外を眺める。景色に見とれるのは仕方ない。だが、僕は何か物足りなさを感じていた。
「...真紀」
「ん?どうしたの?」
真紀がこちらを振り向く。あれ?なんで僕、真紀の名前を呼んだんだろう?特に用なんて無いのに...。
「満君?」
「あ、えっと、この後イルミネーション見に行かない?7時30分から中央広場で点灯が始まるんだ」
「ほんと?行く行く!」
よかった。イルミネーションをやることを思い出せてよかった。なんとか話すことを作ってその場を凌げた。
「楽しみだね!」
この時、僕の中の時間が完全に止まったように感じた。無意識に自分で止めておきたかったのかもしれない。この真紀の最高に美しい笑顔を、夕日に照らされた素敵な笑顔を、そのままに留めておきたかったのかもしれない。不思議な気分だ。だが、心地よい。もういい加減認めよう。さすがの僕でももう自分の気持ちが理解できた。いつから始まったのだろうか。この初めての感情は。
僕は真紀に恋をしている。真紀が好きだ。
観覧車のゴンドラから降りた時、夕暮れ時はすでに終わっており、辺りは暗闇に包まれるところだった。所々明かりがついてはいるが、中央広場付近はイルミネーションの点灯の時刻までは真っ暗になるようにしている。
「えっと...中央広場は...あっちだ!」
ちょっとゆっくりし過ぎていた。もうすぐ点灯が始まってしまう。僕は真紀の手を引いて走る。転ばせないよう、細心の注意は払いながら。
「...///」
真紀の顔が一瞬照れているようにも見えたが、この時の僕はそれに気づかなかった。すぐに前を向いてひたすら走った。
「ついた~」
「うわ!ここもすっごい人ね~」
なんとか間に合ったが、やはり人がいっぱいいる。中央広場には大きな噴水があり、その真ん中には大きな木がそびえ立っている。目を凝らして見てみるとイルミネーションの装飾品がかけられている。そこから明かりが灯っていき、広場全体へと広がっていく感じか。その神秘的な光景を一目見ようと、大勢の客が集まってきたようだ。来客の大半は来てるんじゃないかな。まぁ、一日の終わりを締めくくる一大イベントみたいなものだから当然か。僕自身もこのイルミネーションはまだ見たことないから非常に楽しみだ。
「あ、あそこ。ベンチ空いてるよ。座って見ようか」
「そうね」
今日はたくさん歩いた。真紀もだいぶ疲れているだろう。少し休ませてあげよう。僕も疲れちゃったし。
「よいしょっと」
「明かりがないと暗いわねぇ~」
確かに暗い。客の携帯の明かりが転々とついており、大勢の人数がこの場に集まっているということだけ確認できる。
“皆さん大変お待たせしました!まもなくイルミネーションの点灯を執り行います!”
中央広場に設置されているスピーカーからクルーの声が聞こえた。客の群衆は歓喜の声をあげる。
「キタァ~!」
真紀も身を乗り出して反応する。
“それではカウントを始めます!10...9...”
もう始めるのか。確かに時間通りだが、心の準備がまだだ。一回深呼吸を...。
“8...7...”
ふぅ...。落ち着いた。奇跡を迎える準備はできた。周りの客は、スピーカーから聞こえるクルーの声に合わせて大きな声でカウントダウンをする。
“6...5...4...”
隣に座っている真紀も、声を合わせてカウントダウンをする。僕も声を出してやるか。さぁ、点くぞ。
“3...2...1!”
木の天辺にあるドリームアイランドパークのマスコットキャラクター、アイラ君の大きなオーナメントが最初に黄色く光り、その光りが徐々に下へとレース状に広がっていく。赤、オレンジ、青、緑、様々な色を施しながら。あっという間に辺りは幻想的な空間へと姿を変えた。夢のようだ。
周りの客の顔も確認できるようになった。みんな目の前の奇跡の光景を見て口が開き、心を奪われる。光に照らされたその笑顔がなんとも素敵だ。だが...
「すっご~い!とても綺麗ね!」
「そうだね」
この場にいる者の中で真紀の笑顔が一番素敵だと思った。そう見えたんだ。自分の一番好きな人が、他の誰よりも素敵に見えるのは当然だ。
僕らはずっとイルミネーションの光を眺めていた。ベンチに座って、一言も話さずにずっと。時が経ち、閉園時間も近づく。周りの客はいつの間にか居なくなり、中央広場には僕ら二人だけになった。世界に僕らだけしか存在しないような不思議な気分になった。
「今日は本当に楽しかった♪連れてきてくれてありがとうね!」
「いえいえ」
真紀が楽しんでくれるなら、僕はいくらでも付き合うよ。
「実はね、私遊園地来たことなかったの。ていうか私の時代に遊園地というもの自体存在しないから...」
「え?そうなの?」
てことはあれか。遊園地のこともあの消滅遺産図録に書いてあるのか。未来っていろんなものがあるイメージだったけど、無いものもあるのか。つくづく興味が湧いてくる。
「だから私、このこと、絶対に忘れない!一生の思い出にするから!」
「僕も!このことはずっと...忘れ...な...い...から...」
「満君?」
無理だ。忘れるのだ。真紀が未来に帰る時に。真紀の正体は本来過去の人間には知られてはいけない。たまたま知ってしまったが、いつか僕はそれを忘れなければいけない。そういう約束だったじゃないか。いつか消されてなくなるんだ。真紀と過ごした時間が、思い出が、恋心が、全部。
「無理だ。忘れなきゃ...いけないんだよね」
「...!」
真紀も思い出したようだ。いつか僕が真紀達、未来人との記憶を奪われることになっていた約束を。どうしよう、涙が出てきた。止まらないや。
「で、でも、忘れるったって、私もいつ未来に帰るかわからないし、だから忘れるその時もいつくるか...」
「それでも!!!!」
僕は大きな声を出して、真紀の励ましを遮った。辛い現実に圧迫され、心が張り裂けそうだ。
「いつかその時はくるんでしょ?真紀は本来この時代にいてはいけないんだから...」
「そうだけど...」
愛さんやアレイさんは今も未来との通信を試みているに違いない。毎日タイム・テレフォンを耳に当てているところを見ているのだから。それはつまり、未来に帰ることを諦めていないということだ。いつか真紀達は元いた時代へ帰る。僕にはそれがどうしようもない。本音を言えば、真紀とずっと一緒にいたい。だがそれは許されることではない。だが、今になって納得できなくなった。まだ心残りがたくさんある。心に渡されたたくさんの荷物が...。
ならば、今するしかない。ずっと伝えたかったこと。声に出して言いたかったこと。真紀と出会って、初めて知ったこと。この感情のやり場を...。僕は右腕で涙を拭い、真紀の方へ向く。
「好きだ、真紀。君のことが」
言ってしまった。僕はこの日、初めて「恋」という言葉の意味を、人を好きになるという感情を知った。
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