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うしとら屋
二
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沙絵は今日紅梅屋に行く前に遭遇した出来事を、うしとら屋の面々に話す。
話を聞いた彼らは、皆眉をひそめた。
「危ないねぇ。最近はそうした無頼者が増えたなぁ。」
世間に憤るように寅吉は、怒りを表す。
彼は名が体を表すように大柄で矍鑠としていて、その名を聞いて恐れをなす者もいた。
長年、深川で飯屋をやってきた彼は、店に迷惑な客、特に勘違いしたような浪人者などがやってきても毅然とした態度で対応し、時には彼らを店から叩き出す気骨のある老人だ。そんな寅吉は、近所でも頼られる存在であった。
「本当にね、お父さん。お鶴さんとお秋さんが心配だわ。」
お駒は一見地味で大人しそうな印象を与えるが、寅吉の血を引いたせいか実際は肝が座った芯の強い女である。伊達に盗賊不知火の元副頭目左内の女房はやっていない。
ちなみ、寅吉もお駒の母がなくなるまでは先代が生きていた頃の不知火一味で、寅吉の寅にかけて「うしとらの寅吉」と呼ばれてた。それが、この店の名の由来にもなっている。
「それで様子見で琥太郎を紅梅屋にやったのかい?」
左内がそう言うと、沙絵は頷く。
亀戸天神の近くと言っても真夜中になると人っ子一人いなくなる。近所に家があったとしても昼間のような無頼者が押し込みなどしたら、老婆のお鶴はその場で殺され、若いお秋は無頼者たちに乱暴されて最悪殺される。
昨今はそのような事件が江戸などでも多発していた。そのため、近在の名主などは地域住民を守るために、自警団を組織したり、亀戸の名主がしているように知り合いの浪人を用心棒として住まわせたりしているのだ。
「心配だな、お鶴達。」
そう左内がつぶやくと、沙絵は自分の考えを養父に打ち明ける。
「私もそう思うから、明日店に帰ったらお義父さんとあの人に相談しようと思う。」
「ほう。お頭は今江戸にいなさるのかい?」
「うん。粂さんが明日桔梗屋に来る予定なんだって。」
「粂さんがねぇ。今度のお勤めは江戸かい。まぁ、お勤めするとしても今から仕掛けるとなりゃ、実際にお勤めできるのは二、三年後あたりになるからね。」
昔を懐かしむように左内は言う。
盗賊不知火は、盗人の三箇条を守るために一味の者をお店に潜り込ませる。いわゆる、引き込み役だ。大概は、女が多い。
彼女にお店の内情を探らせて、馴染んだ頃に蔵の鍵型を取らせる。そして、その鍵型を元に合鍵を作って頃合いを見計らいお勤めに入るのである。
この仕掛けに短くて二年、長くて三年はかかってしまう。
本来盗賊のお勤めは、年単位で計画され進められる事が多い。しかし、昨今は昔ながらのお勤めの仕方だと人と金がとてもかかってしまうために、手っ取り早くお店に押し込み蔵の中のものを一切合切奪って、口封じにお店の者達を皆殺しにする兇賊が増えているのであった。
「そう。粂さんはお鶴の大福が殊の外お気に入りだから、今日紅梅屋に行って大福を手に入れてきたのさ。」
うしとら屋の三人の前にある皿には、もうお鶴の大福は無くなっている。大福はもう三人の腹の中に収まっていた。
「そう言うことかい。その娘さんに何事もなくて良かったよ。あのあたりには松本様もいらっしゃる。いざとなれば頼りになるお方だ。」
「養父さんはその浪人さんの事を知っているのかい?」
「知ってるも何も、桔梗屋の近くにある松本道場の松本様の弟さんだよ。」
桔梗屋から歩いて十分くらいのところに小規模ながらの剣術道場がある。
松本哲太という念流の使い手が開く道場だ。小さいながらも松本の人柄と技量で流行っている道場で、琥太郎も世話になっている。
一度沙絵も松本道場に挨拶に出向いた事がある。初めて松本哲太に会った印象は、とても穏やかで大らかな人柄で、剣術で鍛えられた体は逞しく、どっしりと腰が座わる感じが只者ではない気がした。
松本哲太を思い出した時、沙絵はもう一人の顔も浮かぶ。
己の兄だという青木左馬之介である。彼も一目見た時は、外見の美麗さに加え腰に二本刀を差す立ち姿が只者ではない雰囲気を醸し出していた。
「まぁ、松本様の弟さん!」
「お頭が紅梅屋の近くを治める名主に話を通して、松本様の弟さんを近くに住まわしたというわけさ。」
左内の説明に納得が行く。
いくらお鶴のためとはいえ亀戸に茶店を与え、老婆と若い娘の二人暮らしは沙絵にはとても危険に思い心配であった。
どこにでも無頼の輩はいて、彼らは弱者の匂いに敏感だ。そんな彼らにとって、老婆と若い娘の組み合わせは格好の餌食であろう。
そうならないよう小平太は先手を打って、お鶴とお秋の近くに用心棒として松本哲太の弟を亀戸に住まわせているのだ。
沙絵は小平太のお鶴とお秋のための深慮遠望の策に舌を巻いた。
話を聞いた彼らは、皆眉をひそめた。
「危ないねぇ。最近はそうした無頼者が増えたなぁ。」
世間に憤るように寅吉は、怒りを表す。
彼は名が体を表すように大柄で矍鑠としていて、その名を聞いて恐れをなす者もいた。
長年、深川で飯屋をやってきた彼は、店に迷惑な客、特に勘違いしたような浪人者などがやってきても毅然とした態度で対応し、時には彼らを店から叩き出す気骨のある老人だ。そんな寅吉は、近所でも頼られる存在であった。
「本当にね、お父さん。お鶴さんとお秋さんが心配だわ。」
お駒は一見地味で大人しそうな印象を与えるが、寅吉の血を引いたせいか実際は肝が座った芯の強い女である。伊達に盗賊不知火の元副頭目左内の女房はやっていない。
ちなみ、寅吉もお駒の母がなくなるまでは先代が生きていた頃の不知火一味で、寅吉の寅にかけて「うしとらの寅吉」と呼ばれてた。それが、この店の名の由来にもなっている。
「それで様子見で琥太郎を紅梅屋にやったのかい?」
左内がそう言うと、沙絵は頷く。
亀戸天神の近くと言っても真夜中になると人っ子一人いなくなる。近所に家があったとしても昼間のような無頼者が押し込みなどしたら、老婆のお鶴はその場で殺され、若いお秋は無頼者たちに乱暴されて最悪殺される。
昨今はそのような事件が江戸などでも多発していた。そのため、近在の名主などは地域住民を守るために、自警団を組織したり、亀戸の名主がしているように知り合いの浪人を用心棒として住まわせたりしているのだ。
「心配だな、お鶴達。」
そう左内がつぶやくと、沙絵は自分の考えを養父に打ち明ける。
「私もそう思うから、明日店に帰ったらお義父さんとあの人に相談しようと思う。」
「ほう。お頭は今江戸にいなさるのかい?」
「うん。粂さんが明日桔梗屋に来る予定なんだって。」
「粂さんがねぇ。今度のお勤めは江戸かい。まぁ、お勤めするとしても今から仕掛けるとなりゃ、実際にお勤めできるのは二、三年後あたりになるからね。」
昔を懐かしむように左内は言う。
盗賊不知火は、盗人の三箇条を守るために一味の者をお店に潜り込ませる。いわゆる、引き込み役だ。大概は、女が多い。
彼女にお店の内情を探らせて、馴染んだ頃に蔵の鍵型を取らせる。そして、その鍵型を元に合鍵を作って頃合いを見計らいお勤めに入るのである。
この仕掛けに短くて二年、長くて三年はかかってしまう。
本来盗賊のお勤めは、年単位で計画され進められる事が多い。しかし、昨今は昔ながらのお勤めの仕方だと人と金がとてもかかってしまうために、手っ取り早くお店に押し込み蔵の中のものを一切合切奪って、口封じにお店の者達を皆殺しにする兇賊が増えているのであった。
「そう。粂さんはお鶴の大福が殊の外お気に入りだから、今日紅梅屋に行って大福を手に入れてきたのさ。」
うしとら屋の三人の前にある皿には、もうお鶴の大福は無くなっている。大福はもう三人の腹の中に収まっていた。
「そう言うことかい。その娘さんに何事もなくて良かったよ。あのあたりには松本様もいらっしゃる。いざとなれば頼りになるお方だ。」
「養父さんはその浪人さんの事を知っているのかい?」
「知ってるも何も、桔梗屋の近くにある松本道場の松本様の弟さんだよ。」
桔梗屋から歩いて十分くらいのところに小規模ながらの剣術道場がある。
松本哲太という念流の使い手が開く道場だ。小さいながらも松本の人柄と技量で流行っている道場で、琥太郎も世話になっている。
一度沙絵も松本道場に挨拶に出向いた事がある。初めて松本哲太に会った印象は、とても穏やかで大らかな人柄で、剣術で鍛えられた体は逞しく、どっしりと腰が座わる感じが只者ではない気がした。
松本哲太を思い出した時、沙絵はもう一人の顔も浮かぶ。
己の兄だという青木左馬之介である。彼も一目見た時は、外見の美麗さに加え腰に二本刀を差す立ち姿が只者ではない雰囲気を醸し出していた。
「まぁ、松本様の弟さん!」
「お頭が紅梅屋の近くを治める名主に話を通して、松本様の弟さんを近くに住まわしたというわけさ。」
左内の説明に納得が行く。
いくらお鶴のためとはいえ亀戸に茶店を与え、老婆と若い娘の二人暮らしは沙絵にはとても危険に思い心配であった。
どこにでも無頼の輩はいて、彼らは弱者の匂いに敏感だ。そんな彼らにとって、老婆と若い娘の組み合わせは格好の餌食であろう。
そうならないよう小平太は先手を打って、お鶴とお秋の近くに用心棒として松本哲太の弟を亀戸に住まわせているのだ。
沙絵は小平太のお鶴とお秋のための深慮遠望の策に舌を巻いた。
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